歎異鈔第2章
 
 

◎歎異鈔第2章(イントロダクション)

ここでは、歎異鈔第2章について、解説します。
  『歎異鈔』は、今から700年前に書かれたもので、こんにち、大変多く人に読まれています。『歎異鈔』が、よく読まれている理由は、まず第一に、親鸞聖人の仰有ったお言葉がそのまま書かれているからです。親鸞聖人は、こんにち、“世界の光”と言われて、大変有名です。これは、親鸞聖人の教えが、全人類が救われる教えであるからです。その親鸞聖人が仰有ったお言葉が、そのまま書かれていますので、よく読まれているのです。
  理由のもう一つは、非常に美しい文章で書かれているということです。日本の古典の中で、名文と言われるものはいろいろあります。吉田兼好の『徒然草』、鴨長明の『方丈記』などもそうが、『歎異鈔』は、それに勝るとも劣らない名文で書かれています。それで、『歎異鈔』は、仏教の本の中で、一番よく読まれています。
  『歎異鈔』は、それほど厚い本ではありません。全部で18章からなります。ここでは、その第2章を解説いたします。全18章の中で、この第2章は、比較的長い方ですが、長いといっても、後記のとおりで、すぐに読むことができます。
  『歎異鈔』は、第1章から第10章までは、親鸞聖人の仰有ったお言葉がそのまま生々しく書かれています。第11章から第18章までは、『歎異鈔』を書いた人の言葉になっています。親鸞聖人の仰有ったお言葉は、第10章までですから、この第2章も、親鸞聖人の仰有ったお言葉そのままが書かれています。
  『歎異鈔』のもう一つの特徴は、誰が書いたか、わからないということです。これ程の名文で、よく読まれているのに、書いた人の名前が書かれていません。親鸞聖人の高弟(優れたお弟子)の唯円(ゆいねん)ではないかと言われていますが、ハッキリしていません。誰が書いたかわかりませんが、『歎異鈔』の大体は、親鸞聖人の仰有ったお言葉に間違いありません。親鸞聖人が筆を執られて書かれたものは『教行信証』はじめたくさんありますが、それらを読むと、『歎異鈔』は、間違いなく親鸞聖人の仰有ったお言葉が書かれているとわかります。

◎歎異鈔第2章(全文)

  これが歎異鈔第2章です。一度皆さんも、声に出して読んでみてください。

  おのおの十余箇所国の境を越えて、身命を顧みずして、尋ね来たらしめたまう御志(おんこころざし)、ひとえに往生極楽の道を問い聞かんが為なり。然るに「念仏よりほかに往生の道をも存知し、また法文等をも知りたらん」とこころにくく思召しおわしましてはんべらば、大なる誤りなり。もし然らば、南都北嶺にもゆゆしき学匠達多くおわせられ候なれば、彼の人にも遇いたてまつりて、往生の要よくよく聞かるべきなり。親鸞におきては、「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」とよき人の仰せを被りて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏はまことに浄土に生るる因(たね)にてやはんべるらん、また、地獄に堕つる業にてやはんべるらん、惣じてもって、存知せざるなり。たとい法然上人に賺(すか)されまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候。その故に、自余の行も励みて、仏になるべかりける身が、念仏を申して、地獄に堕ちて候わばこそ「賺されたてまつりて」という後悔も候わめ。いづれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。法然の仰せまことならば、親鸞が申す旨、またもって虚しかるべからず候か。詮ずるところ、愚身が信心におきては、是の如し。この上は、念仏をとりて信じたてまつらんとも、また、棄(す)てんとも、面々の御計(おんはからい)なり。

  ご覧の通りの名文で、流れるような文章です。

◎親鸞聖人の御一生

  「おのおの」と言われていますので、一人ではないことがわかります。どんな人に仰有ったお言葉でしょうか。それがわからないと、歎異鈔第2章は、全くわかりません。
  親鸞聖人は、今から800年前、京都にお生まれになられました。京都といえば、当時の都です。親鸞聖人は、都に生まれられた方でした。そして、35才の時に、越後の国(今の新潟県)に流刑となりました。今でいうと、無期懲役のようなものです。無期懲役と聞くと、親鸞聖人は、人殺しとか放火とか、悪いことをされたのですかと思う人があります。もちろん、親鸞聖人は、そんなことはされていません。権力者の都合によって、越後に流刑となったのです。自分の気にくわない者なら、世界の光といわれる親鸞聖人のような方でも、流刑にさせるのです。いかに権力者が非道かということがわかります。
  親鸞聖人は、権力者によってかけられた裁判で、はじめ、死刑という判決を受けられました。これは、歴史上の事実です。ですから、親鸞聖人は、本当は35才の時に死んでおられたのです。それが、流刑となって、35才の時に京都から、昔の直江津(今の上越市)に流刑となりました。そこは、“虎狼の住むところ”といわれていました。日本に虎はいないですが、それだけ寂しい、人が住みたいと思わないところだったということです。
  それから、親鸞聖人は、関東へ行かれました。これは、親鸞聖人の自由意志です。無罪放免の知らせが届きまして、40才すぎに、当時の常陸国(今の茨城県)に行かれました。そして関東で、親鸞聖人は20年間、阿弥陀仏の本願を伝えられました。その後、60才すぎに、どうしても京都に戻らねばならないことがあって、都に帰られました。「どうしても京都に戻られねばならないこと」とは何であったかは、今でもハッキリしていませんが、何か事情があって、親鸞聖人は、60才すぎに京都に帰られました。そして、京都の人達に布教される傍ら、たくさんの書物を書き残されました。そして、90才でお亡くなりになっておられます。
  親鸞聖人の足跡をザッと述べました。親鸞聖人は、京都に生まれられて、京都で亡くなられました。その間、90年あります。

◎親鸞聖人まします京都へ

  親鸞聖人がこの歎異鈔第2章のお言葉を言われたのは、関東から京都に帰られた後のことです。ですから、晩年の親鸞聖人のお言葉ということになりますが、だいたい、親鸞聖人80才過ぎだろうと推測されています。
  どういう人に対して言われたのかというと、これは、関東の人達に対して言われたお言葉です。親鸞聖人の教えを、20年間聞いていた関東の人達にです。こんにちならば電話で、ということも考えられますが、当時は、電話はありませんので、関東から親鸞聖人のまします京都へ行ったということです。
  「十余箇国」とあります。当時、関東から京都まで、十余りの国がありました。武蔵国、相模国、遠江国、三河国、近江国、のちに家康が登場する駿河国などです。
  今なら東名高速とか、東海道新幹線とかを利用するでしょうが、当時は何もありませんでしたから、歩いて行きました。何もないと言っても、金持ちは、籠や馬に乗ることはできたでしょうが、関東の人達は、そんなにお金に余裕のある人達ではありませんのでした。関東から京都まで、歩いて約25、6日かかったと言われています。関東から京都まで、片道おおよそ一ヵ月ほどかかったということです。
  こんにち、30日かからないと行けないところは、地球上どこにもありません。ジャングルの奥地であっても、ヘリコプターで行きます。地球の裏側にあるブラジルだって、二日もあれば行くことができます。
  関東から京都に行くのに、一ヵ月弱かかるのですから、その間、宿に泊まらないといけません。木賃宿でも、一ヵ月余り泊まるには、相当の路銀(旅費)が必要です。それで、関東の人達は、財産や田畑を売って、お金を作ったと言われています。
  「おのおの十余箇国の境を越えて」とは、そういうことを親鸞聖人仰っています。この時、関東から京都に来た人は、これも推測ですが、5、6人であったと言われています。それで、親鸞聖人は、「おのおの方」と言われています。

◎身命を顧みず

  次に、「身命を顧みずして」とあります。「命をかけてやって来た」と言われていますが、これは大げさでも何でもありません。当時、法律もなければ、それを取り締まる警察もいませんでしたから、無法地帯でした。京都まで行けたとしても、今度は無事に戻ることができるかもわかりません。それで、関東の人達は、家族や肉親と、水杯をかわして出発したと言われています。ですから、これは決してオーバーなことを言われているのではありません。
  関東の人達は、どれだけ仏法を説く人がいても、親鸞聖人から聞きたい、直(じか)に聞きたいと思って、財産や田畑を売って、家族と水杯をかわして、京都へ行きました。そういう人に言われたお言葉が歎異鈔第2章です。ですから、そういう気持ちにならないと、この歎異鈔第2章は、わかりません。隣の子供が交通事故で亡くなり、葬式に出て一緒に泣いていても、自分の子供を亡くした悲しみは、もうわかりません。ですから、この歎異鈔第2章も、そういう気持ちにならないと、本当はわかりません。字は読めても、心は読めません。歎異鈔第2章は、言葉が難しいのではなく、心が読めないので難しいのです。
  そこで次に問題になるのは、どうして関東の人達は、そういう差し迫った、財産をなげうってでもという気持ちになったのか、ということです。それには、原因があります。関東の人達がそういう気持ちになったのは結果ですが、結果には必ず原因があります。関東でどんなことがあったのか、どうして関東の人達は、そういう気持ちになったのか。これがわからないと、歎異鈔第2章はもうわかりません。

◎日蓮の法謗

どうして関東の人達がそういう気持ちになったのでしょうか。まず一つの原因は、日蓮です。日蓮とは、日蓮宗を開いた男です。その日蓮が、親鸞聖人が関東から京都に戻られた後の関東で、「念仏無間(ねんぶつむけん)、禅天魔(ぜんてんま)、真言亡国、律国賊(りつこくぞく)」という、四箇格言(しかかくげん)を言い出しました。
  念仏無間とは、念仏は無間地獄に堕ちる因(たね)であるということです。無間地獄とは、一番ひどい地獄です。苦しみの途絶える間がない地獄です。日蓮は、「お前ら、親鸞に騙されているんだ。念仏称えたら、無間地獄に堕ちるぞ。だから、俺の言うことに従え」と言いました。
  はじめは、気違いが現れたと問題にもしなかったのですが、日蓮が、内輪太鼓叩いて、はげしく辻説法を始めるものですから、やがて「ひょっとしたら・・」と迷う人が出てきました。
  無間地獄は、八万劫の間苦しみを受ける地獄です。八万劫とは、八万年とは違います。1劫は、4億3200万年です。その八万倍ですから、とんでもない長い間です。もし念仏無間が本当だったら、念仏称えていたら、無間地獄に堕ちて、八万劫という長い間、地獄で苦しむことになりますから、大変なことです。

◎善鸞の邪義

  理由のもう一つは、善鸞です。親鸞聖人の、長子の善鸞が、「極楽に往くには、秘密の法文(ほうもん)があるんだ。念仏を称えていても、極楽へは往けないんだ。私は、父上親鸞聖人からそれを授かったのである。これは、一般には公開されていない。だから、秘密の法文と言うんだ。これを聞かないと、絶対極楽には往けない。これは秘密の法文だから、一人一人、夜中に授ける」と言い出しました。
  これが、親鸞聖人のご長男が言い出しましたから、信じる人が出てきました。「今晩は私、あなたは次だ」と、順番争いまでして秘密の法文を聞こうとしました。人間は、始めから迷っていますから、すぐに迷ってしまいます。
  日蓮の念仏無間、善鸞の秘密の法文で、やがて、親鸞聖人から20年間、教えを聞いてきた人達が、迷い出しました。関東の人達にとっては、大きな台風と大地震が同時にやってきたようなものです。大地震だけでも大変なのに、同時に大きな台風がやってきたら、本当に大変です。日蓮の念仏無間と、善鸞の秘密の法文で、関東の人達の信仰は、動揺しました。
  親鸞聖人は20年間、「○○というお経にはこう書いてある、△△というお経にはこう書いてある、だから念仏しか助かる道はないんだ」と、完璧に教えられました。また、龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信・源空といった歴代の善知識方のお言葉を通して、「念仏よりほかに助かる道はないんだよ」と明らかにされました。しかし、親鸞聖人が関東から京都に帰られた後、今の千葉県出身の日蓮が関東で、念仏無間と言い出しました。また、善鸞が、秘密の法文があると言い出しましたので、関東の人達は、これらを問題視するようになりました。それで、関東の人達は、田畑を売って、命懸けで、京都の親鸞聖人に聞きに行ったのです。

◎未来永遠の問題

  どうせ50年、長くて100年の命です。死は、私たちの一番確実な未来です。火事にあう、夫が死ぬ、妻が死ぬといったら大変ですが、確実なことではありません。実際に火事にあう人は、ほんのわずかです。しかし、それでも皆、保険に入ったりします。しかし、私たちにとって、一番確実な問題は、生まれた者は必ず死ぬという厳粛な事実です。
  ですから、死んだらどうなるか、問題になります。これを仏教では、後生どうなるか、と言います。これは、皆、持っている問題です。後生どうなるか、ということが関係ない人はありません。古今東西の全人類、何十億の人がいても、死んだらどうなるか、この問題を持っています。ですから、これほど大切な問題はありません。これを後生の一大事といいます。世の中にも、一大事はありますが、後生の一大事ほど一大事はありません。この世どうなるか、という問題は、せいぜい50年、長くて100年の問題ですが、後生どうなるか、という問題は、未来永遠の問題で、この世のこととはケタが違います。
  後生の一大事を往生極楽とも言います。往生極楽とは、いつ死んでも極楽参り間違いなしの身になる、いつ死んでも往生極楽の身になるということです。後生の一大事と往生極楽は、同じです。
  これが人生の目的です。人間に生まれてきたのは、後生の一大事を解決する為、往生極楽の身になる為です。政治、経済、科学、医学は、生きる為にあります。一番わかりやすいのは、医学です。医学が、人の内臓を移植してまで、命を延ばすのは、何をする為でしょうか。生きて何をするのか、この「何」が一番大事です。これがわからないと、命が延びても、何もすることがありませんから、延ばす意味がありません。もっと言えば、医学で命が延びたが、苦しいことばかりだったら、そんな人は、自殺します。そうなれば、医学は、呪うべきもの、恨むべきものになってしまいます。
  生きて何をするのか、これが人生の目的です。平たい言葉で言うと、なぜ生きるかです。政治、経済、科学、医学は、生きる為にありますから、人生の目的を果たす為にあるのです。どんなに苦しくても生きねばならない、人の臓器を移植してでも生きねばならないのは、後生の一大事を解決する為、往生極楽の身になる為です。
  政治、経済、科学、医学は、生きる手段です。平たい言葉で言えば、どう生きるかです。目的が先にあって、手段が出てきます。歩く、走る、飛ぶというのは、手段ですが、その前に目的地があります。
  「いや、生きる為に生きるんだ」という人がありますが、生きていても必ず死にますから、死ぬ為に生きていることになります。それに気付かねばなりません。
  生きる手段については、いろいろに教えられていますが、人生の目的については、誰も教えていません。これを明らかにされたのが、親鸞聖人であります。だから、親鸞聖人は、“世界の光”といわれます。他に誰が、人生の目的を明らかにしているでしょうか。そんな人は聞いたことがありません。親鸞聖人しか人生の目的を明らかにされた方はありません。人生の目的は、後生の一大事の解決、往生極楽の身になることです。

◎親鸞聖人に対する疑い

  命懸けで求めるものとは何かあるでしょうか。命をかけて、家を建てる人はいません。命をかけて求めるものとは、人生の目的、往生極楽、後生の一大事の解決です。これは、命懸けでなければなりません。命懸けで、求めなければなりません。
  関東の人達が、親鸞聖人から直に聞きたくて、田畑を売ったという関東の人達の判断は、正しいです。田畑は、どう生きるか、手段です。また、家族と仲良くする。これもどう生きるかですが、家族と水杯をかわしてでもという関東の人達の心意気は、正しいのです。これを「身命を顧みずして」と言われています。
  次に、「尋ね来たらしめたまう御志、ひとえに往生極楽の道を問い聞かんが為なり」とあります。「御志」とは、心ということ、目的ということです。「問い聞かんが為なり」と言われていますが、「親鸞に問い正す為であろう」という意味あいです。関東の人達にとっては、ことは往生極楽の道、人生の目的ですから、問い正さずにおれないことです。
  “問い正す”ということは、関東の人達は、親鸞聖人に疑いがあるからです。そういうと、関東の人達は、「私は、この世で一番信用できるのは、親鸞聖人お一人、親鸞聖人お一人を信じています」と言うでしょうが、そうは言っても、疑っているのです。疑っているからこそ、関東から京都まで、聞きに行ったのです。
  日蓮が“念仏無間”と言いましたので、「親鸞聖人に間違いはないとは思うが、ひょっとしたら、ひょっとするかもしれない。もし念仏無間が本当だったら、大変だ」と思いました。また、善鸞の“秘密の法文がある”と聞いて、「私たちは、まだ秘密の法文を聞いたことがない。もし極楽へ往くのに、秘密の法文がいるのなら、私たちは、極楽どころではない、地獄だ。これは、大変だ」と思いました。それで、関東の人達は、十余箇国の境を越えて、命懸けで、親鸞聖人に尋ねに行きました。
  その関東の人達に親鸞聖人は、「お前たちが親鸞のところへ来たのは、往生極楽の道を問い正す為であろう」と、ズバリ、言われています。それが「おのおの十余箇国の境を越えて、身命を顧みずして、尋ね来たらしめたまう御志、ひとえに往生極楽の道を問い聞かんが為なり」というお言葉です。「ひとえに」とは、ただ一つということです。「親鸞のところに尋ねに来たことは、ただ一つであろう。そのただ一つとは、往生極楽の道、これ一つを問い正す為であろう」と親鸞聖人が言われています。

◎大なる誤りなり

  これは、図星でありました。関東から人達は、「どうして親鸞聖人、わかったのですか、それが聞きたかったんです」と思ったでしょう。
  関東の人達は、「どれだけ仏法を説く人がいても、親鸞聖人しか信頼できる人はおられない、一番信用できるのは、親鸞聖人」と信じていました。だから、命をかけて、親鸞聖人に聞きに行きました。しかし、それは格好いい言い方であって、腹底では、親鸞聖人を疑っていました。「親鸞聖人に間違いはないが、ひょっとしたら・・」。この「が」が疑いです。「親鸞聖人に間違いはないけれど、ひょっとしたら・・」。この「けれど」が疑いです。「阿弥陀仏の本願は信じているけれど・・」と言う人は、「けれど」がありますので、阿弥陀仏の本願を疑っています。「が」「けど」「けれど」が疑いです。関東の人達は、親鸞聖人を信じていますが、腹底では、親鸞聖人を疑っていました。それを親鸞聖人、見抜かれています。
  それで、怒りを爆発されています。それが現れているのが、次の「然るに『念仏よりほかに往生の道をも存知し、また、法文等をも知りたらん』とこころにくく思召しおわしましてはんべらば、大なる誤りなり」です。
  「日蓮が言うように、念仏のほかに助かる道があって、親鸞、それを知っているのに、教えなかったと思っているのか」と仰有っています。日蓮が“念仏無間”と言っていたということは、念仏では助からない、念仏以外に助かる道があると教えていたということです。また、「善鸞が言うように、秘密の法文があって、それを、親鸞、我が子だけに教えて、皆には教えなかったと、親鸞を疑っているのなら、それは、とんでもないことである」と言われています。
  やり場のない怒りが爆発されているのが「大なる誤りなり」です。「親鸞を疑って、念仏のほかに助かる道があるのに、親鸞が教えなかった、また、秘密の法文があるのに、教えなかったと思っているとしたら、大なる誤り、とんでもないことである。お前ら、20年間、何を聞いておったんだ」というお気持ちでしょう。「1ヵ月や2ヵ月じゃない。20年間、説いてきたのに、お前らは、何を聞いておったんだ」と憤懣やるかたない怒りが出ています。

◎奈良や比叡山へ行って聞け

  次に、「もし然らば、南都北嶺にもゆゆしき学匠達、多く在せられ候なれば、彼(か)の人にも遇いたてまつりて、往生の要、よくよく聞かるべきなり」と仰有っています。「もし然らば」とは、もし親鸞を疑っているのならば、ということです。前のことを受けて言われています。「もし親鸞を疑っているのなら、南都北嶺へ行け」と仰せです。「南都北嶺」の、「南都」とは奈良、「北嶺」とは滋賀県と京都府の境にある比叡山です。「もし親鸞を疑っているなら、奈良や比叡山へ行け」と言われています。当時、日本の仏教の学者は、奈良や比叡山に集まっていました。ですから、仏教を詳しく聞きたかったら、奈良や比叡山に行けばよかったのです。
  親鸞聖人も、29才まで、比叡山で修行されていました。しかし、後生の一大事の解決、往生極楽の身にはなれず、涙に暮れました。そして29才の時、ついに比叡山を下りられ、法然上人にお会いし、阿弥陀仏の本願を聞かれ、阿弥陀仏に救いとられました。この時、親鸞聖人29才、法然上人69才でした。その時の体験を、親鸞聖人は関東で20年間、伝えられました。「私は、29才まで比叡山にいたが、誰も後生の一大事の解決、往生極楽の道を教えてくれる人はいなかった。奈良にもいなかった。どこかに大徳、善知識がおられないか探したが、あうことができなかった。後生の一大事を解決した学者は、一人もいなかった。皆、仏教のイロハもわかっていない者ばかりであった」と、20年間、伝えられていました。ですから、関東の人達も、耳にタコができるぐらい、よく聞いていたのです。それが、ここでは、「もし親鸞を疑っているなら、南都北嶺へ行け、親鸞のところに用事はないだろう、南都北嶺へ行け」と言われています。
  しかも、「ゆゆしき学匠達、多く」と言われています。「ゆゆしき学匠」とは、大学者ということです。奈良や比叡山には、大学者がたくさんいるから、往生の要をよーく聞いてこいと言われています。「彼の人にもあいたてまつりて、往生の要、よくよく聞かるべきなり」とは、そういうことです。

◎手厳しい皮肉

  親鸞聖人は、関東で20年間、「奈良や比叡山の仏教の学者は、仏教のイロハもわかっていない者ばかりだ。誰も真実の仏教がわかっていない。法然上人しか真実の仏教をわかった方はおられなかった」と言われていました。それが、ここでは、「奈良や比叡山へ行け」と、大層な皮肉を言われています。「ゆゆしき学匠達」とまでつけておられます。
  お歳を召された親鸞聖人は、言葉を操るのが非常にお上手でした。関東の人達が、グサッとくる言い方を心得ておられました。それで、「親鸞を疑っているのなら、親鸞のところへ来ずに、奈良へ比叡に行け。そこには、仏教の大学者がたくさんいなさるから、彼の人々に、往生の要をよくよく聞いてこい」と言われています。
  このお言葉には、親鸞聖人の深い愛情があります。可哀相だなと思っておられたでしょう。また、親鸞聖人の大自信が感じられます。夫婦喧嘩の時、妻に、「俺よりもたよりになる男がいたら、いつでもその男のところへ行け」と言うようなものです。これを聞いた妻は、「この夫しかないわ」と思うでしょう。でもこんなこと言える人少ないです。大自信がないと、こんなことは言えません。自信がないのに、こんなこと言ったら、「これ幸い」となって行ってしまいます。
  親鸞聖人のこのお言葉を聞いた関東の人達は、どう思ったでしょうか。南都北嶺へ行こうという思いは皆無だったでしょう。また、親鸞聖人を疑っていたのも、吹き飛んでしまったでしょう。
 
◎ただ念仏して

  次に「親鸞におきては『ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし』とよき人の仰せを被りて、信ずるほかに別の子細なきなり」とあります。「親鸞におきては」とありますが、親鸞聖人は、大事なところには「親鸞におきては」「親鸞は」と言われています。これは、「他の者が言ったのではない、間違いなく親鸞が言ったことだ」と、責任の所在をハッキリさせておられるのです。ここでも「親鸞におきては」と言われていますし、歎異鈔第2章には、もう1ヵ所あります。「親鸞が申す旨」とあります。
  「親鸞におきては『ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし』とよき人の仰せを被りて、信ずるほかに別の子細なきなり」については、この『』の中が問題です。
  歎異鈔は、“カミソリ聖教”と言われます。カミソリは、大人が使えば、重宝ですが、子供が使うと、危険物です。ですから、カミソリは、使う人にとって、重宝なものになったり、危険なものになったりします。カミソリそのものに良いも悪いもありません。そのように、歎異鈔も、読む人にとって、危ないものになったり、素晴らしいものになったりします。信仰の程度によって、間違って解釈してしまう元となったり、また、真実の信心の妙なる境地を存分に表しているものになったりします。
  カミソリ聖教といわれるところの一つがこの『ただ念仏して』です。念仏は、口で南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と称えることですから、これは問題ありません。問題は「ただ」です。ただ念仏称えていれば、助かると思っている人が多いです。
  「ただ」といっても、3通りあります。1つは「ただじゃそうな」という「ただ」です。2つは、「ただとはどうなったただか、ただがわからん」となった「ただ」です。3つは、「ただじゃった」と知らされる「ただ」です。信仰の幼稚園の時は、「ただじゃそうな」と思っています。それが信仰が進んでいくと、「ただと言われるが、どうなったただか、ただがわからん」となってきます。そして、阿弥陀仏に救われた一念で、「ただのただもいらんただじゃった、言葉にならんただじゃった」と知らされます。「ただ」といっても、3通りありますが、親鸞聖人が言われる「ただ」は、「ただのただもいらんただじゃった」の、3番目の「ただ」です。
  こう言っても、よくわからないと思いますので、例えて言います。昔、腹痛に効くという富山の売薬がありました。箱には、ダルマの絵が書いてあり、そこに「3分間」と書いてあります。親から、「腹痛になったら、この売薬を飲めば3分間で治る」と言われましたが、「へぇ、3分間で治るのか」と思うだけです。ところがある日、腹痛になりました。親から、「この薬を飲みなさい」と言われ、「本当に治るの」と言っていると、親は、「ぐずぐずにせずに、さっさと飲みなさい」と言います。それで「本当に3分間で、治るのだろうか」と思って、飲んでみると、3分もかからない、わずか1分あまりで、腹痛がケロッと治りました。それで、「本当だった、本当だった」と知らされます。
  腹痛になっていない時は、「3分間で治るそうな」と聞いています。阿弥陀仏の救いを「ただじゃそうな」と思っているようなものです。だから、説明されても、聞いているようで、全然、聞いていません。ダルマの絵と、「3分間」しか覚えていません。それが、腹痛になると、「3分間で治るというが、本当だろうか」となります。阿弥陀仏の救いでいうと、「ただがわからん」となります。そして、薬を飲んで、腹痛が治ると、「3分で腹痛が治るというのは、本当だった、本当だった」と知らされます。阿弥陀仏の救いが「ただのただもいらんただじゃった」と知らされたときです。ここに言われている「念仏」は、救われた御恩報謝の念仏です。「ただ」とは、阿弥陀仏の一念で救われた「ただ」、阿弥陀仏の「ただ」の呼び声を「ただ」で聞いた「ただ」です。
  「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」とは、一念で阿弥陀仏に救われたことを、「弥陀にたすけられまいらすべし」と言われています。
  「よき人の仰せを被りて、信ずるほかに別の子細なきなり」とは、「他に何もない、秘密の法文もないんだ」ということです。「よき人」とは、法然上人のことです。法然上人の仰せを信ずるほかに別の子細はない、他に何にもないんだ、と言われています。
  「ただ念仏して」が、カミソリ聖教と、危険なところの一つであることを知って頂きたいと思います。
 
◎惣じてもって存知せざるなり

  次は、「念仏はまことに浄土に生るる因にてやはんべるらん、また地獄に堕つる業にてやはんべるらん。惣じてもって存知せざるなり」と言われています。これは、日蓮の言葉で関東の人達の信仰が動揺しましたので、それを意識してこのように言われています。「今更、親鸞に、念仏が極楽行きの因と言わせたいのか」というお気持ちでしょう。
  「念仏が極楽行きの因か、地獄行きの因か」について、「惣じてもって存知せざるなり」と言われています。「親鸞、知らん」と言われています。これは、女の人がよく言う「知らん」です。男でも「そんなこと知るか」と言います。余りに明らかなことを聞かれると「そんなこと知るか」と言います。親鸞聖人は、念仏が極楽行きの因か、地獄行きの因か、「知らん」と言われていますが、これは、本当に知らないから言われているのではありません。言葉は、「惣じてもって存知せざるなり」ですが、心はそうではありません。「念仏が極楽行きの因か、地獄行きの因か、親鸞聖人でさえ、知らないと言われているのだから、私もわからない」と言っている仏教の学者がいたら、情けないことです。仏教の学者でも親鸞聖人のお気持ちが分かっていないということです。だから『歎異鈔』は、カミソリ聖教と言われるのです。

◎親鸞聖人の信心

  次に、「たとい法然上人に賺されまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候」とあります。「お前らは、日蓮の念仏無間で、念仏称えていたら、地獄に堕ちるんじゃなかろうかと思って、親鸞のところに尋ねに来たんだろうが、親鸞は、法然上人に騙されて、念仏を称えて、地獄に堕ちても、後悔はないんだ」と言われています。これを聞いた関東の人達は、驚いたでしょう。日蓮に、「念仏称えているお前らは、無間地獄に堕ちるぞ」と言われて、「ひょっとしたら地獄に堕ちるんじゃなかろうか」と思うようになったのですが、親鸞聖人は、「親鸞は、法然上人に騙されて、地獄に堕ちても、後悔は全くないんだ」と仰有います。それは、「親鸞は、地獄に堕ちて当然の者だから、騙されて地獄に堕ちて後悔が起きるはずがないんだ」というお気持ちからです。それを次に言われています。「いづれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」です。「地獄より他に行き場のない親鸞だから、地獄に堕ちて当然。だから、騙されて、地獄に堕ちて後悔するはずがないじゃないか。お前らは、日蓮の言葉を聞いて、ひょっとしたら地獄に堕ちるんじゃなかろうかと思ったのだろうが、それは、自分の姿がわかっていない。自惚れている。己知らずも甚だしいぞ」と言われています。
  親鸞聖人の信心と、関東の人達の信心が、全く違うことがおわかりになるでしょう。関東の人達の信心は、「ひょっとしたら地獄に堕ちるんじゃなかろうか」という信心ですが、そういう関東の人達に対して、親鸞聖人は、「親鸞の信心は、こうだ。地獄に堕ちて当然の親鸞、騙されて地獄に堕ちても後悔はなし」と言われています。

◎いづれの行も及び難き親鸞

  「死んだら極楽に往ける、極楽に往ける」と言われていて、死んでみたら地獄に堕ちたらどうでしょう。それなら、地獄に堕ちて後悔も起きるでしょうが、地獄に堕ちて当然とハッキリ知らされている者が、地獄に堕ちても、後悔が起きるはずがありません。
  「誰が地獄に堕ちなくても、親鸞は地獄行き間違いなし」とハッキリ知らされています。これを「機の深信(きのじんしん)」と言います。自分の本当の姿が、一念で、「ただ」で救うの弥陀の呼び声を「ただ」と聞いた時に、ハッキリ知らされることです。
  「いづれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」について説明します。「行」とは、善とか、修行のことです。親鸞聖人は、比叡山で、血を流し、大曼(だいまん)の修行までなし遂げられました。しかし、後生の一大事の解決、往生極楽の身にはなれませんでした。そして、29才の時に、法然上人にお会いし、阿弥陀仏の本願を聞いて、法然上人のお導きによって、阿弥陀仏に救い摂られました。その時に、「親鸞は、どんなに真剣にやっても、一つの善もできる者ではなかった」と知らされました。「とても地獄は一定すみかぞかし」ということですが、「一定(いちじょう)」とは、一つに定まるということで、「親鸞は、地獄一つに定まっている、地獄に堕ちて当然である」と知らされました。これを聞いた関東の人達は、驚いたでしょう。
  そのように知らされていますから、たとい法然上人にだまされて、地獄に堕ちても後悔はあるはずがありません。法然上人は、親鸞聖人の善知識です。この少し前では、「よき人」とも言われています。「よき人」とは、善知識ということです。また、真の知識ともいいます。善知識の法然上人に騙されて、地獄に堕ちても後悔しないのは、地獄に堕ちて当然と知らされていたからです。

◎弥陀の本願まこと

  次に、「弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈まことにならば、法然の仰せそらごとならんや。法然の仰せまことならば、親鸞が申す旨、またもってむなしかるべからず候か」のお言葉です。親鸞聖人にとって、一番のまこと、一番狂いのないもの、崩れないものは、「弥陀の本願まこと」でした。29才の時に、阿弥陀仏の「ただ」の呼び声を「ただじゃった」と聞いた時、「弥陀の本願まこと」と知らされました。阿弥陀仏の本願以外にまことはありません。これは、親鸞聖人、言われています。

  火宅無常の世界は、萬(よろず)のこと、皆もって、そらごとたわごと真実(まこと)あることなきに、ただ念仏のみぞ、まことにて在(おわ)します

  親鸞聖人、「萬のこと」と言われています。ですから、この世のすべてのことに、まことはありません。念仏以外にまことはありません。「念仏のみぞまことにて在します」とは、そういうことを言われています。「念仏」とは、阿弥陀仏の本願のことです。
  「弥陀の本願まこと」と知らされたから、弥陀の本願を教えられた釈尊の教えがまことであったと知らされました。また、弥陀の本願を教えられた善導大師、法然上人の教えがまことであったと知らされました。だから、「親鸞の言うことに間違いがあるか」と言われています。
  弥陀の本願まことだから、釈尊の教えはまことです。釈尊が教えられたから、まことではありません。親鸞聖人は、弥陀の本願まことだから、弥陀の本願を教えられた釈尊の教えがまことと知らされました。たとえ、釈尊が教えられたことがすべてウソであったと科学的に証明されても、親鸞聖人は、「釈尊は弥陀の本願を知らなかったのか、気の毒だなぁ」と思うだけです。また、善導大師が教えられたことがウソであっても、問題ありません。親鸞聖人が知らされられたのは、弥陀の本願まことです。それを親鸞聖人は「心を弘誓の仏地に樹(た)て」と言われています。

◎面々の御計なり

  次に「詮ずるところ、愚身が信心におきては是の如し」と言われています。「詮ずるところ」とは、一口で言うと、ということです。「愚身」とは、親鸞聖人御自身のことです。「親鸞の信心は、是の如しである、何か文句あるか」と、面前の関東の人達に言われています。
  最後に、「この上は、念仏をとりて、信じたてまつらんとも、また、棄てんとも、面々の御計なり」と言い残しておられます。「親鸞の言うことを信じて、親鸞についてこようが、念仏を棄てて、日蓮の言うことを信じようが、面々の御計なり」と言われています。後生は、一人一人の問題です。蓮如上人は「後生は一人一人のしのぎ」と言われています。「念仏を信じようが、念仏を棄てようが、静かに三思三省しろ、面々、勝手にしなされ」と言われ、その後、打ち切られています。親鸞聖人は、静かに立ち上がられ、座を後になされ、襖をピシッと閉められた姿が目に浮かびます。それでも関東の人達は、「来てよかった」と、喜び踊って帰ったことでしょう。
  これが歎異鈔第2章の一部始終ですが、親鸞聖人がどういう態度で、どういうことを言われたか、お分かりになったと思います。
(END)

 
 
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