燃える言葉(7)
 
 

燃える言葉(7)

人間の価値
●人間の価値は、掲げる目標の大きさによって決まると言われる。あるプロゴルファ
  ーは語っている。「ゴルフでいうハングリー精神とは、他人がびっくりする程の高
  い目標に必死で向かうことだ!そんな人は大変な努力をするし、ちょっとした成長
  ぐらいでは満足しない。だから必ず大きく前進する」
   目的の大きさに比例して努力しなければならないのは因果の鉄則なのだから、目
  標が小さいと、少しの努力に甘んじて、成長も小さい。
   我々は今、悠久の過去から迷い続けてきた魂の打ち止めをし、未来永劫の楽果を
  得ようとしているのだ!この世で最も、遠大で崇高な目的に向かって進んでいる我
  々は、誰よりも努力して当然である!
   ならば『出来ない』『辛い』『厳しい』などの愚痴は言うまい!『精神一到何事
  かならざらん』の決意で体当たりあるのみ!

不屈の信念
●逆転劇−絶体絶命から反撃し、勝利する姿に、感動を覚えぬ人はなかろう!
  絶望の淵から決起する!その精神力が万人の胸を打つ!タイ国の選手と戦ったある
  日本人ボクサーは第一ラウンドからダウンを喫した!
   彼は右足首を捻挫し、殆ど勝敗は見えていた。ところがどうだろう?40分後、
  マットに沈んでいたのはタイ国のボクサーだったのだ!
「負傷した時、もう駄目だと思っていたら、駄目だったでしょう。だが私は負けるな
  んて、これっぽっちも思わなかった!」と彼は言う!

我々に明日はない
●「今日は一生懸命練習して明日さぼろう」あるボクサーの戒めとしていた言葉であ
  る。「今日は休み、明日から頑張ろう」と考えがちな人達の裏を行き、彼は史上に
  残る世界チャンピオンとなった!
   我々の日常生活を振り返ると、どうであろう。「毎日、教学を勉強します」「朝
  晩の勤行は欠かしません」と誓約はしても、いざ、実行となると難しい。
「今は忙しい、来月からにしよう」「まだ寒いから暖かくなったら始めよう」つい先
  のばしにしてしまう。
『ある者は明日に、他の者は来月に、さらに他の者は十年先に希望をかけている。一
  人として今日に生きようとする者がない』と道破したフランスの作家がいる。
   ましてや『仏法には明日と申す事ある間じく候』と御教導を頂く我々、この御金
  言さえ明日に延ばしては、永久に救われない!

あざむくな真如の月
●「誰も見ていないし、面倒だから、やめようか」「ごまかしても他人には分からな
  い」人の眼がないと、途端にあさましい心が起きる。いつもする勤行をしなかった
  り、掃除を怠けたり……、ところが見聞知の仏眼はごまかせない、一切をお見通し
  だ!
   因果の道理に狂いなし!隠徳有れば、陽報有り!悪徳は、必ず悪報となって表れ
  る!仏を忘れた「これくらい…」の心が、やがて身を破滅させていく!
『あれを見よ、み山の桜、咲きにけり、まごころ尽くせ、人知らずとも』と善知識は
  教えて下さる!仏相手の生活をし、人の見えないところで努力してこそ、仏法者と
  いえるのだ!目的を忘れた、人間相手の求道になっていないか!他人を偽り、横着
  したい心が出る度に言い聞かせよう!『あざむくな、真如の月が見てござる』

生きていくばくぞ
●『もう生きていくばくぞ、仏教に身も心もなげうつべし』月日は容赦なく流れてゆ
  く。人間の喜怒哀楽などに目もくれず、一刻として止まろうとはしない!
   呼吸しているまま、一息一息、地獄へ運ばれているのが私達!今日かも知れない
  後生の覚悟は出来ているのか!どれだけの歳月がいたずらに過ぎ去ったろう!
   仏法に命懸けたことが一度でもあっただろうか!欲に溺れ、怒りに身を焼き、愚
  痴に苦しみ、煩悩に振り回され続けた日々ではなかったか!
   臨終に、真っ暗な心を抱え、血の涙を流して死んでゆく己が見えるだけだ!
『仏法に身も心もなげうて!』と善知識は仰有る。すべてを投げうって求めねば解決
  出来ぬ道なのだ!言い訳や泣き言を言っている暇はない!今以外に命を懸けれる時
  はないのだ!』

かけた苦労を思うべし
●「顕正相手がいない」「話が苦手で」と愚痴をこぼす。こんなことがあってよいの
  だろうか!我々が真実を知り、真実を求めるまでに、どれだけの人に、どれだけの
  苦労をかけたか!深く反省せねばならぬ!
『この里に親を亡くした子はなきか、御法の風になびく人なし』勿体なや、祖師聖人
  も縁なき無法の広野を歩き回られたのである!石に打たれ、唾を吐かれ、罵倒され
  ながらも『唯、仏恩の深きことを念じて人倫の弄言を恥じず』と、真実一路、ひた
  すら進まれたではないか!浄土真宗の源流がここにある!
   思えば、我々の苦労は苦労になっていない!いかに仏縁有り難きかを肝に銘じ、
  今こそ、顕正戦に体当たりしなければならない!

親鸞聖人の捨て身の求道
●親鸞聖人の求道を知るとき、我々の懈怠さに泣かずにはおられない!御両親との死
  別に驚かれ、9才で天台僧となられた親鸞聖人が20年間、如何に取り組まれたか!
  知る人はない。
   建久2年9月12日、比叡山での修行にゆきづまられた19才の聖人は、日本仏
  教の先駆者と敬慕する聖徳太子の御廟を大阪磯長に訪ねられたのである。
   三日間、不眠不休で参籠し、後生の一大事の解決の道を聖徳太子に尋ねられたの
  である。
『私は魂の解決を求めて磯長に参籠し、三日間、一心不乱に祈り念じ、失神してしま
  った!その第二夜、夢に聖徳太子が現れ、「汝が命根、応に十余才なるべし」と告
  令を受けた』親鸞聖人、自らの記録の意訳である。
   崇敬する聖徳太子から『お前の命はあと十年』と宣告された衝撃はどんなに大き
  く、以後、求道がいかに加速されたことか!
   たちまち歳月が流れ、聖人二十九才。『あと十年』と限定された最後の年である。
   目前に迫る暗黒の後生に悩まれ、京都六角堂に百夜の祈願を決行せずにおれなか
  った!比叡山から約4里(16キロ)極寒の1月中旬より、夜毎の参籠を重ねられ、
  九十五日目、再び聖徳太子から夢告を受けられたことが、御内室、恵信尼公の書簡
  に生々しく、記されている。
『山を出て六角堂に百日籠らせ給ひて、後世を祈らせ給ひけるに、九十五日のあかつ
  き、聖徳太子の文を結びて示現に預からせ給ひて候』
   ここでも約百日、寝食忘れての熾烈な求道に驚嘆せずにおれない!その直後、法
  然上人にめぐりあわれた親鸞聖人は、更に百日余り、聞法精進されたと、やはり『
  恵信尼文書』に記されている。
『法然上人にあいまいらせて、又、百か日、降るにも照るにも、如何なる大事にも参
  りてあり…』
   親鸞聖人の血みどろなお姿が彷彿と浮かんでくるではないか!勿論、文献が伝え
  るのはご修行の一部に過ぎない。
   しかし、これらだけでも、如何に親鸞聖人の求道は必死であったかが知らされる!
  そのままが親鸞聖人の全身かけての後生の一大事の御説法である!
   翻って我々の求道はどうであろうか!遇い難い仏法に遇いながら、三日三晩はお
  ろか、一晩も魂の解決に苦しんだことがあろうか、百日はおろか、一日として無上
  仏を念じたこともない。
「どれだけ聞いても救われん」などと、言える資格がどこにあるかと自己を深く反省
  し、親鸞聖人に恥じない聞法に精進せねばならない!

法蔵の願心そのままに
●『皆さん、よく聞いてくれ!私は今日まで過去無量劫の間、幾千万の生死を繰り返
  して来た!そのいずれの時も欲のために、怒りのため、愚痴のために命を捨て、迷
  い続けてきた!どうか今生だけは真実の為に死なせてくれ!』と永生の楽果を求め
  て、火中に身を投じた求法太子の物語を“話”と聞いてはこなかったか!
「真実に遭えた」座布団にアグラをかき、「いつでも聞ける」安楽椅子に腰かけてい
  ては、断じて救われない!
『真実知る者、求める者』確かに幸福者に違いない!が、無間の業火は未だ、治まっ
  ていないのだ、無常の警笛は鳴り響いてる!求めている我々に、そして御説き下さ
  る御方にも!なのに、何故に気付かぬのか!善知識のご教示に身命を賭する秋の、
  今しかないことを!
   さあ、平成の求法太子よ!二河を恐れず、万難に身を投じよ!地獄の釜を突き破
  れ!輝ける無礙の浄土は、その汝のものである!
『難の難、乗り越えてこそ、光あり!満てらん火をも過ぎゆきて聞け!』

●一人の盲人が断崖絶壁に向かったとする。後ろに立って歩いている自分はどうする
  か!「待て!」と叫ぶ。「その先には谷底があるんだぞ!」と教える。
   それでも歩みを止めなければ、体をはってでも、食い止めずにおれないであろう!
  故に破邪顕正しない者は後生の一大事の重大性が全く分かっていないのである!
  破邪顕正とは、言葉を変えれば『説法』『布教』であり『叱る』ことである!
   難しく考える必要はない!うどんや蕎麦でさえ、おいしかったなら、友達にふれ
  まわる。
「おい!あそこの蕎麦屋はうまいぞ!今度、一緒に行こうじゃないか!』と誘わずに
  おれなくなる。いわんや、仏法の素晴らしさがまこと、わかったならば、声を大に
  して叫ばずにおれなくなってくるはずだ!
●『破邪顕正せずに50年、70年生きたところで、どうなるか、破邪顕正して、た
  とえ、10年命が縮まっても本望だ!』とも御信念のままに、善知識はまさに御身
  を削って叫んでこられた!
   広大なその御恩に感泣するならば、仏弟子の聖使命を自覚するならば、我々もま
  た、捨て身の破邪顕正に猛進しようではないか!
   新勧!外に法を叫ぶ闘いは、内なる自己の信仰を問う闘いでもある!
●育成の成否はその人の言動にかかってくる。顕正された人は顕正してくれた人を特
  に注意して見てゆく。行学といわれる仏の教えは、口先だけでは誰もついて来ない。
   人の目は鋭く、ゴマ化しはきかない。
   本音と建て前があっては鮮やかに見抜かれてしまう。『一心になれ!』『表裏の
  ない求道者になれ!』これこそ、新しい人のためにも自分のためにも、すべてにお
  いて大切な心得である!
   一心の聴聞、一心の顕正、一心の育成、それは辛く、厳しい。しかし、その実践
  に裏付けられた言葉のみが人を育てることが出来るのである!
   熟慮した暁の断行は倒れるまでやろうではないか!

我が命根、まさに今日限りなるべし!
●建久2年9月13日、比叡山での修行にゆきづまられた親鸞聖人は、意を決して大
  阪磯長の聖徳太子の御廟に3日間参籠された。
   その真剣さは、14日、夜に意識不明となって昏倒されるほどであった。
   その深刻な煩悶はついに聖徳太子よりの夢告を示現させた。
  ところがその夢告の核心は『汝が命根はまさに十余才なるべし』という一大鉄槌で
  あり、その太子の一言は親鸞聖人に心に百雷が同時に落下したような衝撃を与えた!
「おまえの命はあと10年だ!」この聖徳太子の夢告を原動力として、再び、激烈な
  修行の生活に身を投じてゆかれたのである!
仏法を求め、後生の一大事の解決を求める我々が、常に忘れてはならないのは無
  常観であり、罪悪観である。特に若い人は無常観を感じ易い。
『まだまだ死なん』と長綱吐いているから、くだらん煩悩に攻め立てられるのだ!あ
  れもしたい、これもやりたいと思うのだ!
『無常念々に至り、常に死王と共に居す』といわれた善導大師の如く、常に死を凝視
  する者こそ、最後の勝利者となれるのだ!
『我が命根、まさに今日限りなるべし!』と斬り込んで求めてゆかなければならない!
人の行く裏に道あり花の山
●『下等の人間は舌を愛して身を愛さぬ、中等の人間は身を愛して心を愛さぬ、上等
  の人間は心を愛するが故に克己して勇猛精進する!』
(光に向かって:一度ぐらいが身を滅ぼす)
「味良きが故に断つ」と己の欲に打ち勝って進んだクリブランド氏は米国の大統領と
  なり、成績優秀だったある学友は、一度くらいと己の欲にまかせたために最後、獄
  中に繋がれる身となる!
   顕正戦も学道戦も同じである!今日は寒いから、あの人の下宿に行かずにおこう、
  一度くらい大丈夫の思いが、相手の仏縁を大きく遠のかせ、この葉書を一枚書いて
  から、寝ようの努力が相手の胸を打つ!
疲れたから教学の勉強は明日にしょうと、一日休むために、毎月の教学試験がな
  かなか受けられない!
   今日、十問を覚えなければ、絶対に寝ない!の信念が大導師合格の重い扉を開く!
善知識は正に自分の心を最大の味方とされ、野菜ジュース、階段昇降運動。温冷
  浴を一日も欠かされない。
   じかも自分の心を愛されてではなく、私達の心を哀れに思われて。
善知識の御恩を思い、克己しなければならない!一度くらいが、未来永劫の魂の
  行く末を誤らせる!心すべし!

 

水溜まりの魚
●無常を説かれる釈尊の御言葉は厳しい!
『一日過ぎれば、寿命は更に減る。僅かな水に住む魚のような人生に、何か真の楽し
  みがあろうか』(出曜経)
『屠殺場に追い立てられる牛の歩みは、一歩一歩が死に近づくように、人の命もまた
  この通りである』(摩耶経)
無常の殺鬼は、権力者も億万長者も区別せず、たちまち全てを白骨と化してしま
  う。我々に明日の保証はない!
それなのにどうして安閑として百年も長生き出来るように思えるのか!金や財産
  を積み蓄え、集め収めることばかりに、朝から晩まで目の色を変えておれるだろう
  か!たちまち迫る臨終には、何の力にもならず、何一つ持っていけないものに、わ
  ずかな命の水を費やしてしまう!
そして干からびた魚の如く、老残の身をさらして死んでゆく!無常を無常とも知
  らず、砂上の楼閣に狂奔して無間地獄に直行する人生ほど、哀れなものはない!

             世間か!仏法か!
●「そんなことを言えば、他人から嫌われる!「世間がうるさい!」二言目には世間、
  世間と、破邪顕正に二の足を踏む輩がいる。そんなに世間が大事なら、世間を拝ん
  で地獄へ行くがいい!
『世間虚仮、唯仏是真』と聖徳太子は喝破されたのだ!損じゃ、得じゃと欲にまみれ
  て、狂い回っている世間に雷同すれば、共に無間の火城は免れぬ!
非難を恐れてどこに仏法者の人生があろう!真宗再興を誓った我々は、真実開顕
  に猛進あるのみ!
非難のないのは怠惰な証拠だ!俗人の褒め言葉は如来聖人の叱責に違いない!肉
  食妻帯の堕落坊主!仏法の怨敵!悪魔!と。
満天下の悪罵雑言を一身に受けながら「唯仏恩の深きことを念じて、人倫の弄言
  を恥じず!」祖師聖人は敢然として、真実一路、突き進まれたではないか!
全人類の足下に、地獄の業火が燃えている。この一大事、非難覚悟で叫び抜かず
  は、如来聖人に申し訳ない!

●『恩を知らざる者は畜生にも劣る』が仏教精神である。世俗の恩さえ分からぬ者は
  弥陀の大恩、何をかいわんや、であるからだ!
身近な恩、親の恩を知り、初めて弥陀の御恩を説き切られる善知識の洪恩を感ず
  ることが出来る!恩に生きる仏法者でなければならぬ!
●寝ているのが1/3、働いているのが1/3、その他が1/3に時間を使っている
  のが普通の人の一日、寝ている時は別として目的を持っている人が少ない。
名ばかりの青春が過ぎていく中で我々は必ず『やった!』といえる足跡を残す!
●執念が物事を決すると言われる!もう少し辛抱しておれば、後、しばらくガマンす
  れば、道は開けたであろうにと、この道を脱落していった者に思うことである。
後日、切歯扼腕しても後の祭りなのだ!飛び切りなことを考えなくても、今の逆
  境を一つ一つ、確実に乗り越える執念の蓄積が未来を約束するもの!互いに心せね
  ばならぬことである。
●人間形成も宿善もつまるところ、欲との闘いである!煩悩具足の我々が、それと闘
  って楽な筈がない。小欲に騙されて大欲を失うか!それとも二河白道を突き進んで
  人生の勝利者となるか!今の闘いが未来を決定づける!
   今日の満足よりも、明日の幸福のための苦労を喜びとする仏法者となれ!
●真実に向かっては、能力、学力の差、善悪の多少、男女の相違など一切関係なし!
  共に一生造悪、地獄必定の同じ凡夫なり!
ただ「宿善とは煩悩を押さえて善を求めること」をどれだけ実践しているかであ
  る!
●高僧丈辨の話はどんなことでも、心掛け次第で向上の活力に転換出来ることが教え
  られる。学生部員としての評価、そのままが求道のバロメーターであり、顕正力と
  なる我々は「全てを奮起の勝縁に変え、人一倍努力するぞ!』と涙の決意が必要で
  ある!
●真宗の肝要は廃立!イエスかノーか!世間の人達から攻撃されて当たり前!独りぼ
  っちの求道、孤立して当然!
   だけど阿弥陀仏が見て下さっている。自分を奮い立たせる!邪教を叩き潰すんだ!
   誰が何と言おうが!
●無常の嵐の前には全ての人々は後悔し、恐れるしかない!これを越えて崩れぬ絶対
  の幸福がある!これ以上の光はない!求めるべし!伝えるべしではないか!
●善知識に対する信順度によって、その人の信仰が分かります。上司に信頼していく
  部員、信頼される様に常に気をつけてゆく上司、これを忘れたら、かき氷と同じで
  す。冷たくて、すぐなくなる。
●真実の自己を知るには必死の宿善を求める姿勢がなくてはならぬ!聴聞、勤行、六
  度万の実践!打ち込もうではないか!
●三世因果、善因善果、悪因悪果を知っていても、信じて行動する人がいない。悪因
  悪果に腹を立て、逆恨みして、落ち込んでいったりする。何時になったら善悪共に
  自因と反省してゆけるのだろうか!
●真剣に聞こうとしない姿勢を猛省しないと大変なことになる!人間、一生苦労した
  からといって分かる人生の目的ではなく、学問して分かる真実の自己ではない!
ただ善知識の御指導によって知れるのです。それにしても難中の難は素直になれ
  ない我が心、無常を念じて我慢の恐ろしさを問題にしていこう!
●親は簡単に子供を信用しないし、安心はさせられない。しかしその親に信用される
  言動にいつも心をかけてゆける人は凄い!回りへの気遣いが出来てこそ女性です!
   家で職場で、法友の中で精一杯、気遣ってゆく女性でなければならない。
●どんな困難にぶつかっても『オレはやるぞ!』という使命感を持ったならば、『千
  万人といえども我行かん!』で決死の覚悟で立ち向かい、たとえその結果がどうで
  あろうとも、決して悔いは残らないものである!
●死の縁、無量と知らされれば、人生の目的を遂げていなければなりません。法を求
  める御縁は二度と来ません!
●正しいことを正しいと言える人がいない、我が身可愛さのために口を閉じる。しか
  し、それは本当に我が身を大事にしているのではない!今しか目に入らないからだ!
   私達は過去を知り、今を見つめ、将来のために行動するのだ!
●不平不満の前に、改善する熱意が道を開く!私達仏法者にとって忘れてはならない
  心得です!
●全力を出し尽くすとは、どんなことか?情熱!計画!集中力!今期顕正戦は我々、
  一人一人の心との闘いだ!
休む者!逃げる者!原点を忘れた者の末路だ!なお更に『自分こそ!』となって
  こそ、宿善厚き学生部員だ!
●人生の目的を知り、その目的に向かって、たゆまぬ努力する姿は実にたくましく、
  そして美しい!
人生の苦悩に涙する若者よ!足を止め、眉を上げ、耳を傾けて確かめてほしい!
  親鸞聖人の御教えの中に君が心より求めている本当の人生の目的があることを!
●絶対絶命の危機感から、背水の陣が生まれ、大勝利へとつながります!逆境に奮起
  する部員にならねばならぬ!
●若さとは知ることと、実践することである!青年の特権は、真実に対する誠実さと、
  真実を知っただけでは済ませない意欲!自分でやってみて、自分の血肉としていく
  実践力だ!
●どんな環境にあっても十方衆生に後生の一大事はある!後生の一大事がある以上、
  私達は如何なる境遇におかれようとも信心決定目指して求めねばならない!
アキラメルことは簡単だ!いつだって出来る!しかし必ず後で後悔しなければな
  らない!
●いくら百も千も承知のことであっても、一つの実行も伴わなければ、知らないのと
  同じです。顕正戦、聞法戦と続く我々の戦いは厳しいものかも知れないが、厳しけ
  れば、厳しいだけ、求道の前進を意味しており、獲信に向かっているのです!

無上の種蒔き(破邪顕正)
●仏法を知らぬ人達の蒔けない種蒔きをしているのだから、世間の人の受けぬ結果を
  受ける。一番苦労していたら、最も大きな結果が得られる。
                 (END)

 
 
  トップ    説 法    真宗聖典    仏教資料    仏教講座    連 絡