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燃える言葉(2)
●[星飛雄馬の最後]
『俺はリンゴをボ−ルに代え、大リ−グボ−ル三号を完成したが、それは無敵であ
っても投手自身の血を啜る吸血ボ−ル、禁断の魔球であった。一球毎に不自然きわ
まる酷使の負担が指にかかり、ひいては指の働きをつかさどる筋肉を蝕み、今やボ
ロボロとかで、破滅の日は近い!しかし、これは俺の貧しい医学の知識でも予期し
ていたこと。つまり、俺は破滅覚悟で吸血の魔球を投げ続けてきた!「死ぬときは、
たとえ溝の中でも前のめりに死んでいたい!」俺の青春を支配した坂本龍馬の言葉
にかけて、後退しての死よりも、前進しての死を選んだのだ!大投手としての素質
に恵まれなかった男が、たとえ一時の花火でも大投手たるには、巨人の星たるには、
もはやこの破滅の魔球にかけるしか道がなかった!』
●[矢吹丈の信念]
『青春を謳歌するっていうことと、ちょいと違うかもしれないが、何とか俺は俺な
り今まで燃えるような充実感を何度も味わってきたよ!血だらけのリングの上でさ!
ぐずぐずとそこらにあるみてくれだけの不完全燃焼とは訳が違う!ほんの瞬間にせ
よ、眩しいほどに真っ赤に燃え上がるんだ!そしてあとには真白な灰だけが残る!
燃え滓なんか残りゃしない、真白な灰だけだ!力石だって、あのカ−ロスだって、
きっとそうだったんだ!』
『そうさ!燃え滓なんか、残りゃしない、真っ白な灰だけだ!』
『右目が、右目が霞んできやがった!でもよ!こっちはどの道、やけっぱちのパン
チドランカーさ!』勝つためにではなく、燃え尽きるために闘った矢吹丈。
[明日への叫び]
[1]燃える!燃える!燃える!俺の心が!血と汗に染まった白いマットに!俺の
青春は闘いの道!まばゆいライトに浮かんだリングを墓場と決めて!涙橋よ!渡っ
てきた俺さ!この魂、賭けた!明日を俺は信じて!
[2]燃える!燃える!燃える!熱い血潮が!冷たく孤独なこの世の檻!俺の青春
は四角いジャングル!飢えも渇きも!耐えてリングに叩きつけるだけ!涙橋を渡っ
てきた俺さ!この魂、賭けた!全てが燃え尽きるまで!
●世間は死を遠ざけることを、よりよく生きるとする。だが仏教は死を避ける足を止
め、それに向かえ、と教える。そこに本当の生がある!
●親鸞聖人には現代人が夢見ている幸福の材料は何一つなかったが一度親鸞聖人の著
書を開けば『慶ばしきかな〜』と魂の底から、我が身の幸せを絶叫しておられる!
●顕正は虚仮の世界に切り込んでいく白兵戦だ!生死出離は、この顕正戦に突撃する
か否かで決する!
●真宗滅亡か!再興か!時局が危急に面している現在、我々は唯一の目的に向かって
一致団結しなければならない。蟻集まって大樹を揺るがすが如く、助け合い、励ま
し合ってこそ、難中の難は突破出来るのだ!共に苦しみ、共に泣くことの共感から
こみ上げてくる熱いものが必要なのだ!そのような鉄の団結がなかったら、法蔵久
遠の聖戦に臨んでも、倶会一処を誓った戦場は生ける屍の共同墓地となるのみ!
●自分の輝かしい実績よりも、それを達成するまでの苦しみに耐えた自分の影の姿を
誇りとしてほしい。結果はいつか忘れられる。記録はいつか誰かに破られる。しか
し栄光を勝ち取るまでの自分の血だらけの努力は、時に刻まれて行為として残る!
●勝敗は他人よりどれだけ苦しい思いをするか、どれだけ涙を流すかで決まります。
●間違いなくやってくる死に対しては、全く無防備ではないか!
●惰眠を貪る大衆は無間地獄の釜底で目を覚ます!
●仏法一筋の生活によって、仏法こそ真実と確信した!
●必ず全てを投げ出さなければならない時が来る!と如来聖人は仰せである。
●露の命を仏法に、を合い言葉に今年も聖使命達成に死力を尽くそうではないか!
●1分1秒もおろそかにするな!約束は必ず守れ!金銭は1円から出納帳に記載せよ!
●我々は真実開顕に燃え上がる若武者!仏法の利剣を振るい、良識の鎧を着て、戦場
に向かうのだ!
●知育、体育は短期間で身につくが年老えば消えていく。徳育は地道だが老いて深み
が出るものであり、人間の価値を高める。
●敵は忙しい環境ではなく、自分の怠惰な五欲しか考えようとしない心です。
●朝はやはり辛いけれど、責任感と使命感で起きる!
●『志あらばついに成る』とは中国の革命家孫文の言葉である。孫文は辛亥革命に成
功するまで16年間に実に10回の革命を企て、10回とも失敗しながら、なお途
中で志を捨てることはなかったのである。
孫文の革命と我々の後生の一大事の解決を対比させることは無理があるかも知れ
ない。しかし孫文にとって革命が人生の全てであったという点では我々が獲信に全
生命を懸けるのと共通するところがあるだろう!10回失敗した孫文の真似をせよ
というのではない!求道の熱を持ち続けることが大切なのだ!この道は諦めきれぬ
と諦めるのである。「とても難しくて信心決定出来そうにない」とか「私のような
者が最後まで求め切れるだろうか」と躊躇している暇はないのだ!
●叫んで死ぬか!黙して死ぬか!この無気力、無関心のしらけきったキャンパスに真
実の嵐を巻き起こそうではないか!
●その昔、ジュリアスシーザーが軍団を率いてゴールから船で海峡を渡り、現在のイ
ングランドに上陸した時、彼は征旅の成功を確かなものにするために軍勢をドーバ
ーの白亜の岸の上に停止させ、兵士が見ている目の前で200フィート下の海上に
浮かんだ軍船に一隻残らず火をかけた。
敵地にあっては大陸との最後の繋がりが失われ、退却の最後の手段が煙と消えて
しまったので、残された道はただ一つ、前進して征服する以外になかったのだ!こ
こにシーザーを勝利に導いた最大の原因があったのである。
破邪顕正は言うは易く行うは難しの行学の道であり、話す勇気が必要だ!逃げた
い気持ちも出てくる。しかし念々に迫り来る後生の一大事を凝視したとき、我々は
もう一歩も引き下がれない!我々はシーザーがとったような捨て身の覚悟で苦悩の
大衆の中に飛び込んでいかなければならない!
●行きやすいところばかり求めている私達を待っているものは地獄の苦しみしかない!
●真宗改革の先陣を切る我ら同志は、常に炎の求道者であれ!
●真実開顕に向かって、一炬の炎となって、突き進まれる善知識の燃える闘魂によっ
て、心の芯に火をつけられた思いがする!燃えずにおれない!
●如来聖人から100%、完全燃焼のチャンスを与えられている今、この無限の可能
性に向かって、自らをどこどこまでも成長させたい!燃えるか、燃えないかは自分
次第だ!
●教学をしたお陰で、どんな人を顕正するにも自信を持って、因果の道理から三重廃
立の教え、一向専念無量寿仏をハッキリと言い切れます!
●彼等でさえ、あれだけのことをやった!我らは善知識の元で、真実の教えに導かれ
ているではないか!この幸せ、伝えずにおれようか!燃えよ!真宗改革に!青春を
賭かけて、悔いなし!
●一度は消えかかったこの命!真実に燃え切って後悔などありません!
●大きな目標を達成するには能力や頭の善し悪しは、あまり関係ない!何よりも、や
れば出来る!という信念と徹底した行動こそが必要なのだ!
●坂本龍馬『世の中の人は何とも言わば言え!我が為すことは我のみぞ知る!』
『天下の志士といわれた人と殆ど付き合ってきたが、度量の大きいことでは龍馬以
上の人物はいなかった』とかの西郷隆盛が回想している。西郷にして、このように
言わせた坂本龍馬とは、余程、剛腹な人間であったに違いない。
それも単なる太っ腹というだけでなく『豪放不埒…、それが龍馬の特質であった』
と板垣退助が評したように、することなすこと自由奔放、天馬空を行くというよう
な趣があった。しかもこれらが時勢に対する鋭い直感力や天才的なまでの先見性に
裏付けされていた。
幕末に志士は多かったが、風雲児と呼ぶにふさわしかったのは、この龍馬であっ
たに違いない。慶応3年、満32才の誕生日に刺されることがなかったならば、明
治維新のありようが、かなり変わっていたであろうとは、多くの識者が指摘すると
ころである。それほどまでに才も度量も大きい人物であった。
“栴檀は双葉より芳し”と言う。龍馬のこのような度量や才幹の片鱗は幼年時代か
ら発揮されていたに違いない、と思うかも知れないが、事実は全く逆だった。
幼少時の龍馬は心身ともに、どうしようもないほどの虚弱児だったのである。五
人兄弟の末っ子だったが、末っ子が持ちやすい欠点を最大限に備えていた。
つまり甘えん坊で。そして特別の弱虫だったのである。鼻の下にいつも2本棒を
垂らしていた。11、2才の頃まで寝小便がやまなかった。そこで近所の悪童たち
から『坂本の鼻たれ』『寝小便たれ』と罵られ、苛められる。
これに立ち向かってゆく元気など、どこにもない、ただ泣くだけである。苛めら
れては泣き、泣きながら家に帰る。そこでまた『坂本の泣き虫』という罵言が出来
た。要するに徹底的に弱い子供であったわけである。
数え年の12、今の小学校5年に初めて塾(寺小屋)に通うことになったが、こ
れは当時としても極めて遅い就学だった。しかも記憶力がすこぶる悪く、しばらく
すると「この子は教えようがない」と塾の方から断わられてしまった。見込みなし
として、退校させられてしまったのである。
“体が弱い、心も弱い、知能は駄目”これが幼少時の龍馬の姿だった。どこにも取
り柄のない、全く無能な少年がそこにあった。後年の龍馬像とは全く正反対である。
龍馬のこの驚くべき“変身”は人間は変わり得るものだという真理を鮮やかに示
してくれる実例である。そしてこのような実例は世に決して少なくはないのである。
●元冦の時、鎌倉幕府の執権、北条時宗も若い頃はひどい臆病者で、これを克服する
のに辛苦したという。
●鉄血宰相と言われたドイツのビスマルクも幼い頃は蠅が食卓の上を飛ぶのを見ても
怖がったという。病的なまでに気の小さな子供で母親を痛く嘆かせたという。
●龍馬は剣術を始めて、その腕をあげていったことが直接的な機縁となる。千葉周作
の道場で修行し、北辰一刀流の免許皆伝を得た24才の頃、自分について完全な自
信を持つにいたり、それまでのひどい劣等感からおさらばしたらしい。そしてこの
自信があらゆる潜在能力を開花せしめたのである。
●『弱い自分を強くせよ!』『小さい自分を大きくせよ!』『精魂尽くす!』『倒れ
て後、やむ!』
(太っ腹な人間とは?)
*度量や包容力が大きい!
*人の好き嫌いをしない!
*人の批判や誤解を苦にしない!
*腹を立てない!
*小事にこだわらない!
*不安、心配、恐れなどの感情と無縁である!
*イライラ、クヨクヨ、メソメソすることがない!
*肝っ玉が太く、大抵のことには驚かない!
*失敗してもへこたれないし、困苦や艱難にたじろぐこともない!
*かえって勇んでこれらにぶつかっていく!
*人を羨む、妬む、憎むことを知らない、人間好きなのである!だから逃避の願望を
持つこともない!
*不平や不満を知らない、愚痴を言わない!
*心は常にどういう境遇や立場にあっても、安らかで満ち足りている!
*生きていること自体が楽しい!
*依存心を持たない!責任感が強い!人の責任を自分一人で背負ってしまうことさえ、
平気でする!
*急がない!慌てない!ジタバタしない!しかもシャープで俊敏である!
*大局的に物事を誤ることが少ない!人のあら捜しをせず、しかも人を見る眼は鋭い!
(腹が小さい人間とは?)
*気が小さくて、不安や心配に満ち、取り越し苦労ばかりしている!
*不平や不満が多く、劣等感が強く、常に人を羨み、人の批判や視線を気にして、空
想や逃避の願望ばかり取り付かれている!
*些細なことに心が引っ掛かり、いつまでもそれにこだわり、心の海に波の絶えるこ
とがない!
*ちょっとした困難にもたじろぎ、ちっぽけな失敗にも心がへたばる!甘えっ子で、
そのくせ、主観的な自尊心が強く、見栄っ張りときているから主観の世界でいつも
心がキリキリ舞いしている!
●成功する人とは例外なく、どんな小さな仕事にも“気”を打ち込んでやり抜いた人
だった。これは成功に関する一つの鉄則であろうと思われる!
●太閤となった秀吉が黒田如水の問いに答えて『拙者は足軽から仕えて一心に務めた
れば、足軽頭に取りたてられたり。実に有り難きことなりと思いて、一所懸命につ
とめたれば、またその上にあげられ用いられ、遂に姫路一城を拝領するに至れり。
拙者は一職を得れば一職、一官を拝すれば一官、いよいよ、その職、官、心頭を離
れず、ひたすたそのことに努めたるばかりにて余事なし』
如水『まことに良き教訓を受けたまわった』とこれを筆記し、代々黒田家に伝え
残した、という。
●二宮尊徳『およそ大事をなさんとすれば、小なることを怠らず勤むべし。小つもり
て大となればなり。およそ小人の常として、大なることを欲して小なることを怠り
がちにし、出来がたきことを憂いて、出来易きことを努めず、それゆえに遂に大な
ることをなす能わず。……万町の田を耕すもその業は一鍬ずつの巧による。』
●同志社大学の設立者である新島襄は『世の中すべて気魂仕事にして、気魂の強き者
が最後の勝利を得るにいたるものなり』と言っている。仕事に気魂を入れるかどう
かが成功と失敗の分れ道だというのである!
●若くして急死した将棋の山田道夫九段は『升田、大山は天才だ!天才と非天才の違
いは努力する時の“気”の違いだ!』
●自分には出来ないと思っていたことをやってのけることができた!この自信は大き
い。それは一生をさえ支配する。壁にぶつかるたびに昔のその体験を思い出し、『
あの時、あれが出来たじゃないか!』というふうに自分を励まし、勇気づけること
が出来る。若き日の一体験として終わってしまうことではなく、植物栽培に例える
ならば、基肥のようなものとして、生ある限り、栄養分を送ってくれるのである。
艱難によってこそ、人は成長する。
●優勝回数32回、大相撲史上、空前にして、ひょっとしたら、絶後かもしれない大
記録を打ち立てた大鵬は体の大きさはもとより、その柔軟さ、足腰の強さなど、天
性の素質に恵まれた人だった。いわば相撲の天才であったとも言える。
だが本人はこういうふうに評価されることを好まなかったという。彼の偉業は。
素質もさることながら、それよりも遥か以上に努力によってこそ、打ち立てられた
ものであることを誰よりも知っていたからであった。
ある時、ある相撲記者の『天才……』云々という言葉に憤然とした面持ちで『ワ
シほどよく稽古をした力士がいるか!』と切り返したそうである。努力の第一人者
という自負があったのだ!
こういう彼にとって、素質だけで大成したかのように評価されることは心外なこ
とだった、むしろ侮辱のように感じられたのかも知れない。事実、どの分野におい
ても人並み以上の努力なしに素質だけで成功した人間なんぞ、一人だって、いはし
ないのである!
●仏法は頭で考えて、それで判るような教えでない!くよくよ考える前に行動せよ!
●教学をした御陰で、どんな人を顕正するにも自信を持って因果の道理から三重廃立、
一向専念無量寿仏をハッキリと言い切れます!
●足元を見つめれば『噴火山上の舞踏』と戒められた、釈尊の真意が知れよう!
●破邪顕正に必要なのは燃える情熱は勿論、仏教の正しい知識と理解、どんな理論に
も屈せぬ仏教ではあっても、熱がなかったり、暴論では真実は伝わらぬ!
●愛欲は善を食う鬼女、あらゆる善を滅ぼす!
●愛欲は花に隠れ住む毒蛇、欲と花を貪るものに毒を刺して殺す!
●愛欲は木を枯らす蔓草、人の心に巻き付き、人の心の善の汁を吸い尽くす!
●愛欲は悪魔の投げた餌、人はこれにつられて悪魔の道に沈む!
●飢えた犬に血を塗った、乾いた骨を与えると、犬はその骨にしゃぶりつき、ただ疲
れと悩みとを得るだけである。愛欲の人が心を養わないのは、全くこれと同じであ
る。
●「大正の親鸞」と言われた真田増丸。彼は正しい安心を体得して改革に立ち上がっ
た!大正五年、仏法済世軍を宣言して、街頭伝道を開始したのである。街の角々に
立ち、辻説法を行ったが、ある寒い冬の晩、誰一人、聞くものはいない。
しかし説法が終わるや、『今日はこの電柱に仏法を打ち込んだぞ!』と満足した
という。又、講演の際、「どうすれば救われますか」の質問に、着ている衣服、ふ
んどしまで脱ぎ捨てて、素っ裸になった。衣服やふんどしが雑行雑修自力の心、そ
れを投げ捨てよと身をもって法を説いたのである。そして朝鮮、台湾を含め、80
支部を創立したが、やはり改革までに至らなかった。
正しい安心は体得していたが、教学において発揮するところがなかったのと、強
い組織を作り得なかったからであろう。いくども真宗改革に立ち上がりながら、こ
とごとく実を結ばなかったのは、正しい安心と深い教学の善知識がおられなかった
からである!
●喜んで人の指摘を受ける人は必ず伸びていく。常に楽に流される自分の心に逆らっ
ていかねばならない!
●全身、火の玉になって叫ぶが如しの御説法!
●君よ!熱く人生を語れ!
●現代人は“人生は楽なり”を体験したいと願いつつ、“人生は苦なり”の現実をど
うすることも出来ない。しかし、そのまま人生を終わったのでは何の意味もない。
骨折り損のくたびれ儲けの人生は真っ平御免だ!苦しみに耐えながらもおしんの
如く、生き続けなければならないのはなぜか、そこに現代人は目覚めなければなら
ない!
●倒れても、倒れても、勇猛果敢に立ち上がり、力尽きて倒れる時も一歩でも半歩で
も前に倒れたい!
●『おそろしや、絶ゆまぬ歩み蝸牛』
●人生究極の大目的達成には、不断の聴聞で、何がなんでもの執念と使命の大きさの
確認こそ、大切である!
●もとより覚悟して、求め始めた二河の道!後退りは許されない!真宗改革のうねり
は、その激しさをますます増大させる。その度に我々の覚悟は試される!仏法に命
を捨てるか否かの選択を!その試験に合格する者こそ、我が身の一大事を解決出来
るのである。!
●破滅への道を走っている若者達が私達の何倍もいることを忘れてはならない!身は
豊かであっても、心貧しき青年達の群を看過することは出来ない!
●ちょっと苦しいと愚痴や不平が出る。聞いてやろうの心はあっても、聞かせて下さ
いの人がいない。恒沙の身命を投げ捨てても、聞かねばならぬ後生の一大事が分か
らぬからである!
●この道一つと心を定め、何が何でも信念を貫け!
●言われなくても出来るのは上等、言われてするのは中等、言われて実行出来ないの
は下等の人間!全力を出して、行学に徹する!
●聴聞を第一に自らが真実を求め、一人でも多くの人に広く、深く、真実の楔を打ち
込む。やればやるほど、自他共に善知識の最も願われる絶対の幸福の大勝利につな
がることは言を待たない!
●出来るか、出来ないかは、能力、頭の良い、悪いの問題ではない。やる気一つなの
だ!頭で考えるのでなくて、出来ると信じてやってみることだ!
●頭の良い人に限って、やりもしないうちから「そんなことは不可能だよ」とか「と
ても出来ないよ」と、まず頭で考えて物事を決めてしまうことが多い。何事も出来
るか、出来ないかは、やってみないと判らない、という発想をしない。
やれば出来る!やる気を起こし、成功を信じて徹底して行動すれば、不可能なも
のはない!
●つまらないことで一喜一憂する、しかしそれを卒業していかねばならない。そうし
ない限り、いつになっても『何かが足りなかったのです』という気持ちを拭い切れ
ない。真の充実した人生はいつになっても送れない。他人の言葉によって、一喜一
優し、些細なことで一喜一憂する自分を乗り越えていかなければ、人生は開けてこ
ない!
●良いレッテルを張られたがゆえに哀れなるピエロとなって、一生涯、身も心も沸き
返るような喜びを味わうこともなく、死んでいかなければならない。
●人生を棒に振らないで、生きることは難しい、本当に大変なことなのだ!青年がま
ず、知るべき最も大事はこれである!人生を嘗めてかかってはならない。どんなに
覚悟しても、覚悟しすぎることはない!
●真実に生きるためには、本当に大変なものなのだ!ちょっと油断すれば、たちまち
人生を失ってしまう!そして気がついたときは、もう取り返しがつかない!
●青春はただ一度であり、人生はただ一度なのだ!ピエロになるな!自暴自棄になる
な!
●運命は人によって、その差がある。しかし我々は他人との“差”を問題にはしない。
我々は他人と比較しない、自分自身の“伸び”を問題にするのだ!
●『人生に向かって“死”を全面的に肯定して、真っ正面から体当たりしてやろう』
●ジャン・クリストフのあの強烈なる人間、かつ正義を貫く意思!『人生とは休戦の
ない呵責な戦いであり、人間の名に値する人間でありたい者は、目に見えない敵の
軍勢に対抗して絶えず戦わなければならない!』
●自分に能力がないということで、劣等感を持ってしまって、「どうせ私は駄目なの
よ」と言ってしまって、どんどん他のことをやっていかないなら、自分の人生は小
さくなってしまうばかりだ!
後退に身を任すのは、人間はある程度の快感を覚えるのだ、自分の思うように物
事がいかない時、素直でいるより、ひねくれて引き込んでしまう方が遥かに楽であ
り、そのひねくれた中でウジウジしていることは、やはり努力しなくてもいいとい
う気楽さがある。
●大抵の人間が自分の人生の問題について、一時的な解決をする。だが誰だって破滅
したくない。それにもかかわらず、安易な一時逃れをするのは永久的、根本的に解
決することが如何に大変なことであるかの証拠ではなかろうか。
一時的に解決しようとすれば、麻薬を飲むのが一番だ!どんな苦しいときでも麻
薬を打てば、すぐに気持ち良くなって苦しみを忘れるだろう。しかしそれは次第に
自分を蝕んでしまって、最後には廃人となるだろう。
こうした一時的な解決は多かれ少なかれ、この麻薬と同じ解決の仕方なのである。
●努力もしない人間など、存在している価値なし!
●ハッタリや虚勢だけで生き抜けるほど、人生は甘くはない!
●やるか!死ぬか!人生において、人は何度かこの場に立たされる。その時に『俺は
やる!』この声こそが青年の声なのだ!最も愛する人から軽蔑され、軽んじられて
もいい、俺は俺の道を行く!世界を相手に仕事をする!
●強い人間は負けたときに全面的に崩れないで、粘れる人間なのだ!
●真実開顕に精も根も尽き果て、疲れて眠ってしまうまで、ピチピチとした人間でい
たいのです。
●ウジウジ、ジメジメした人間と一緒にいると、どうしても自分の精神も腐っていっ
てしまう。つとめて本当のもの、偉大なもの、真実なるもの、雄大なものに接する
ように心掛けなければならない。
●お前、人間か!俺も人間だよ!そうか!頑張ろうな!こういう人間の触れ合いほど
嬉しいものはありません。
●成果ばかり気にしているのも目的を失っている証拠だ!聴聞や勤行を欠かさないか
ら、良かろうと思うのも間違いだ!自分は何のために仏法を求めているのか、常に
原点に立ち返らなければならない!ある人が真田増丸に言った。『仇討ちを忘れる
なよ』と!
●若さとは肉体、年齢ではなく、心が若いかどうかではないか!やる気があるかどう
かで、若さが決まる!やれば出来る!出来ないはずがない!命を懸けてやってみよ
う!
●『真の顕正とは一対である。派手なことをすれば、大勢の人達が集まってくるだろ
う。しかし、それは一時的なものであって、必ず全て去っていくものである。』
●『……するに至って、ようやく実現するに及んだごときは、実に我々宗門の一大恥
辱ではあるまいか!かつて私は信仰に目覚めた一青年から、僧侶に対する赤裸々な
る批評を聞かされました。彼のいわくには「ひらひらした黒衣を身につけ、手には
数珠を持ちながら、道を歩く僧侶の姿を見たとき、おおよそ20世紀の青年をして、
仏教から切り離すにもって充分である」と!
我々は僧侶自信の是非はともかく、この第三者の率直なる忠告に静かに耳を傾け
なければなりません!いかに伝統と形式を尊ぶ宗門といえども、日々夜々に失われ
ゆく無形的財産に対しては……ありましょう!
なかんずく愚人の憂うるところは宗教の生命とも言うべき、伝導方法における時
代錯誤であります!おおよそ数百年以前において薄暗き行灯の下に、一夜の慰安と
法悦を求めんとする善男善女に対して臨んだ、いわゆる浪花節的説教口調をもって
して、なお今日の大衆に臨まんとする、その愚かさに至っては、まさに時代錯誤と
言うよりも、むしろ滑稽と言わざるを得ないのであります!
そのほか、いくたの陋習を持ちながら、なお何等の謙虚なる対策をも講じない彼
等ならば、その無能力と時代感覚の鈍さとを自覚して、速やかにその席を立ってし
かるべきではないか!宗門に於いては、最も権威ある、かの宗務所を訪れた一新聞
社は、本山の宗務所を一日回って見たところ、念仏を称える一度の声も聞かれなか
ったが、労力の提供により、収入を得るお坊さんは、マルクスに遠慮しているのか!
さもなければ、仲間同志間の………人の無信仰なる一事にあって受くるのでありま
す!
諸君、我々の先哲は道破した!「キリスト教、恐るるに足らず、共産思想またま
たしかり…」教団の無信仰を憤り、念仏禁止の教団なのかと痛罵し、かの蓮如上人
は、御一代記聞書の中において、『真宗の繁昌というは、人の多く集まり威の大な
ることにはなくして、一人がなりとも真実の信を獲るが真宗の繁昌なり』と喝破せ
られたのでありました!
かかる宗門の危機を促す、激しき時代にも関わらず、なお自己の無信仰をも恥と
せず、わが伝統尊しと固執する者!もしあるならば彼等こそ、実に新興宗教よりも、
共産思想、はたまたキリスト教、より以上に憎むべき、恐るべき獅子身中の虫であ
り、過日また、何の面目あってか、親鸞、蓮如にまみえんやと言わざるを得ません!
要するに、かかる教界の無信仰の焼け野原に立って、静かに我々の行くべき道を
洞察する時、宗門の現状に対しては、いくたびの改革すべきものがある!しかしな
がら、その前に我々は親鸞の狙った仏教魂とは何か!蓮如の伝えた法流とは何ぞや!
親鸞をして北越や関東の風雪と戦わしめ!蓮如をして応仁の戦国時代の真只中に
向かわしめた!弥陀の光明に我々の若き血潮を打ち込もうではないか!
若き親鸞学徒諸君よ!我々は敗れても、敗れたりといえども我々は未だ、魂まで
も売ったのではないのだ!まず汝自信を燃やせ!しからば他を焼かん!』
●真実を知ることは難しいことです。求めることはもっと難しいことです。一歩、二
歩と求道の歩みを進めると自己の心の内からも外からも出てくるものは妨げるもの
ばかり。だからこそ、引っ張るときには強く、時には厳しく言うことも必要となっ
てきます。どれだけの苦しみをいかに乗り越えるか、そこに求道の前進は見られま
す。
●『人間はただ電光朝露の夢、幻の楽ぞかし』一生がアッという間に過ぎていきます。
楽しいとか、辛いとか、嬉しいとか、悲しいとか、一切の喜怒哀楽が瞬時にして過
去のもの!まさに夢の如し!そして眼前に開けるものは後生の一大事!今、仏教の
聞ける今!一句の法門に命をかけよう!
●続くか、続かぬかは後生の一大事がどれだけ分かったかで決まります!一生に一度
は真剣にならなければ、今の気持ちのままで必ず臨終まで突っ走ることは間違いあ
りません!
●我々は真実開顕の最前線の戦闘部隊である!血みどろの野生的な逞しき行動!これ
こそが勝利へ通じる一本道だ!迷った人間の非難、攻撃など糞食らえ!前進、前進、
又、前進!動いて、動いて、動き回るのみ!
●世間でも大きな事を成就する時には毎日のたゆまぬ努力が大切です。ましてや人生
の目的においては尚更のことです。単調な日々の繰り返しでも、必ずや将来、偉大
な力を発揮します!
●『波の音、聞くが嫌さに山家に住めば、またも聞こゆる松風の音』苦は色替わりで
一時的な苦しみからの逃避など、人生の根本的解決からは程遠いものです!真の解
決は阿弥陀仏の本願によらなければ絶対に出来るものではありません!迷いの打ち
止めをする時には阿弥陀仏の本願を聞き抜く以外に道はありません!
●確固たる信念と不断の努力の上に信の花は開きます!
●常に目的を忘れず、一歩、一歩進んでください!小さな一歩でも着実に歩めば、必
ず高山の頂上まで到着します!いつも苦しみに身を沈めていく姿勢が大切です!自
ら我が身を律していくのが求道者です!
●動けなくなったとき、声が出なくなったときが休暇だ!
●人生の最善は努力より来り!最悪は怠惰より始める!
●芥川龍之介『私は善にしろ、悪にしろ、何でもいい、とにかく情熱を持っている人
にしか、友を持つことが出来ない。』私も溢れる情熱を持った人しか、引き付けら
れない性分である!
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