サトシ:今日は死の問題の解決についてですよね。
ヒロ:そうです。
サトシ:本当に、そんなこと出来るんですか?
ヒロ:このことについて書かれている本はたくさんありますが、まず、「歎異鈔」という本は知っていますか?
サトシ:えーっと…。
ヒロ:日本の三大美文の1つだし、日本史の教科書にも出てくるから、知っているはずですけど。
サトシ:忘れました。
ヒロ:その歎異鈔の中には、死の問題を解決したことを「摂取不捨の利益」と書いてあります。
サトシ:どういう意味ですか?
ヒロ:これについては、この間も読んだ「なぜ生きる」という本に、詳しく説明されていますから、読んでみましょう。
(資料20)
「摂取不捨」とは文字通り“摂め取って捨てぬ”ことであり、「利益」は“幸福”をいう。“ガチッと摂め取られて、捨てられない幸福”を「摂取不捨の利益」と言われる。
1万年堂出版 「なぜ生きる」 (明橋大二・伊藤健太郎 著)
ヒロ:つまり、「摂取不捨の利益」とは、永遠に変わらない幸せになることだ、ということなんですね。この本では、 「絶対の幸福」って書いてあります。
サトシ:はい。
ヒロ:最初に、私たちは幸せになりたいと思って生きているって話をしましたよね。恋人が欲しいと追いかけるのも、希望の仕事につきたいと勉強するのも、お金を稼ぐのも、結婚するのも、結局、幸せになりたいからでしょ?
サトシ:はい。
ヒロ:だから、私たちが求めているのは、幸せというものですよね?
サトシ:そうですね。
ヒロ:だけど、大学に受かっても、恋人ができても、就職しても、結婚しても、心から安心、満足することができないんです。それは、どんな幸せを手に入れても、最後、死がやって来て、崩されてしまうからなんですね。つまり、幸せから捨てられてしまうということです。
サトシ:はい。
ヒロ:だから、天下を我がものにした豊臣秀吉でさえ、死んでいくときには、「なにわのことも夢のまた夢」と言って、さびしく、この世を去っているんですね。
サトシ:はい。
ヒロ:だから、死がきても変わらない幸せを手にすることが、本当に私たちが求めている人生の目的といえるんじゃないですか?
サトシ:そういうことになりますね。
ヒロ:それで、さっきの文章の続きですが、このように書かれているんです。
(資料20)
咲き誇った花も散るときが来るように、死の巌頭に立てば、必死にかき集めた財宝も、名誉も地位も、すべてわが身から離散し、1人で地上を去らねばならぬ。
これほどの不幸があるだろうか。こんな大悲劇に向かっている人類に、絶対の幸福の厳存を明示されているのが、親鸞聖人である。絶対捨てられない身にガチッと摂め取られて、
「人身受け難し、今すでに受く」(釈尊)
“よくぞ人間に生まれたものぞ”と、ピンピン輝く摂取不捨の幸福こそ、万人の求めるものであり、人生の目的なのだ。
1万年堂出版 「なぜ生きる」 (明橋大二・伊藤健太郎 著)
ヒロ:最後にも書いてありますけど、この「摂取不捨の幸福」こそ、すべての人が求める、人生の目的ということになるんですね。
サトシ:じゃあ、この「摂取不捨の幸福」って何なんですか?
ヒロ:そのことを教えた人が、この文章にも出てくる親鸞という人なんです。一般的には親鸞聖人と言われてますけど、知っていますか?
サトシ:はい、名前は知っています。
ヒロ:戦後出版された本で、一番多く取り上げられた人物が親鸞聖人だそうですね。
サトシ:そんなすごい人なんですか。
ヒロ:何を教えた人か知っていますか?
サトシ:念仏をとなえたら救われると言っていた人ですよね。
ヒロ:そんな人が、どうして注目されるんですか?
サトシ:確かにそうですね…。
ヒロ:実は、この「摂取不捨の幸福」があることと、だから、あなたも早くこの幸せになりなさい、と教えてゆかれた人が親鸞聖人なんですね。
サトシ:なるほど。
ヒロ:じゃあ親鸞聖人が、どのようにして「摂取不捨の幸福」になられたのか、そこから話をしていきましょう。
サトシ:はい。
ヒロ:まず、こういう歌があります。
明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは
ヒロ:どういう意味だと思いますか?
サトシ:明日もあると思っていた桜が…、夜中に嵐で散ってしまったということですか?
ヒロ:まあ、言葉だけ見れば、そういうことになるかも知れませんけど、これは親鸞聖人が9歳の時に詠んだ歌だと言われています。
サトシ:へーっ。
ヒロ:親鸞聖人は4歳でお父さん、8歳でお母さんと死に別れたそうです。次はオレの番だと死の影に驚いて、仏門に入ったときに作られた歌だと言われていますね。
サトシ:ふーん。何か深い意味でもあるんですか?
ヒロ:ここで、「明日ありと思う心」と言われているのは、明日がある、つまり明日も生きていられるということですから、つまり今日は死なないと思っている心のことです。君もまさか、今日死ぬとは思ってないでしょ?
サトシ:はい。
ヒロ:じゃあ、明日になったら、今日死ぬと思えるかな?
サトシ:思えないと思います。
ヒロ:じゃあ、1週間経ったら、どう?今日死ぬと思えますか?
サトシ:1週間経っても、思えないと思います。
ヒロ:じゃ、1年後は?
サトシ:うーん…。変わらないと思います。
ヒロ:5年後ならどうですか?
サトシ:今日死ぬ、とは思えませんね。
ヒロ:それじゃあ、10年後だったら?
サトシ:たぶん同じだと思います。
ヒロ:だったら、20年経っても、50年経っても、100年経っても、もし、その時まだ生きていたらですけど、やっぱり「明日がある」と思っているんじゃないですか?
サトシ:うーん。でも歳を取ったら、死ぬと思うようになるんじゃないですかね。
ヒロ:確かに、みんなそう思いますよね。だけど、以前、双子の100歳のお婆ちゃんが、コマーシャルとかに出て話題になったことがあったでしょ。
サトシ:きんさん、ぎんさんですか?
ヒロ:そうそう、あの、きんさんぎんさんが、レポーターから「コマーシャルの出演料の300万円は、何に使いますか?」って聞かれたんですね。そうしたら、「200万円は市に寄付しました」と答えたんです。
サトシ:残りはどうしたんですか?
ヒロ:それも、レポーターが聞いたんですよ。「残りの100万円はどうするんですか?」って。
サトシ:はい。
ヒロ:「老後のためにとっておきます」
サトシ:何ですか、それ…。
ヒロ:もう100歳過ぎてるんですから、老後も老後、棺桶に片足突っ込んでる状態ですよ。それでも、まだまだ死ぬとは思えないんですね。だから、いくら歳をとっても、やっぱり「明日がある」って思っているんですよ。
サトシ:そうなんですか。
ヒロ:つまり、「明日がある」という気持ちは、死ぬまで変わらないわけです。
サトシ:はい。
ヒロ:ということは、「永遠に死なない」って思っていることになりませんか?
サトシ:えっ?どうしてですか?
ヒロ:だって、50歳になっても、100歳になっても、明日があると思っているんでしょ。
サトシ:だけど、200歳まで生きられるとは思ってません。
ヒロ:じゃあ、「いつか死ぬ」ということは分かっているんですね?
サトシ:はい。
ヒロ:じゃあ、その死んでゆく日には、「いよいよ今日が死ぬ日だ、明日はないんだ」って思えるようになるの?
サトシ:…いえ、なりません。
ヒロ:ということは、いつか死ぬとは分かっていても、それがいつか分からないから、本当に死ぬ日が来ても、「今日自分が死ぬ」とは、思っていないんじゃないかな?
サトシ:そうですね。
ヒロ:じゃあ、「明日がある」と思っていても、死んでしまうんですか?
サトシ:はい。
ヒロ:ということは、ひょっとしたら今日がその日になってもおかしくないですよね?
サトシ:そうなりますね。
ヒロ:でも、まさか、そんなことはないだろうって思っているでしょ?
サトシ:はい。
ヒロ:だったら、いつか本当に死んでゆかねばならない日が来たとしても、その直前まで、まさか自分が今、死ぬとは思わないよね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:だから、死は、そのまさかのときにやってくるとは言えないかな?
サトシ:はい。
ヒロ:じゃあ、その「まさか」が、今日やってきてもおかしくないよね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:だけど、「ひょっとしたら明日がないかもしれない」って、そんなふうにはとても思えないでしょ。もし、そう思ったら、どんな心境になるか、書かれたものがあるんですね。ちょっと参考に読んでみましょう。
(資料21)
死刑囚棟の1日が始まるのは、午前10時である。もちろん起床はその前の7時だし、点検があり、8時には朝食が配膳される。しかし10時を過ぎるまでは、死刑囚棟はまだ闇なのである。その舎房も起床こそすれ森閑としており、食事に箸もつけない。たいがいの死刑囚は正座して、読経している。壁に貼った阿弥陀様の絵に向かって合掌し、瞑想にひたって、死への不安と必死に闘っている。死刑囚は常に死への恐怖と、生への執着・罪への悔恨が胸に渦巻き、安眠できる夜は一夜とてない。追い詰められた極限の日々を、必死で送っているのである。中でもとりわけ苦しいひとときが、朝起きてから午前10時、処刑言い渡しの時刻までの間である。だから死刑囚棟の夜は、10時を過ぎないと明けないのである。
午前10時が過ぎ、どうやらその日は処刑が行われないとわかると、
「それっ!夜が明けた、朝が来た。1日生き延びられた」
というわけで、どの監房も窓が開き、掃除が始まり、人間らしい活気がもどる、とっくに配給されてある朝食をとり、1日が始まる。
恒友出版「そして死刑は執行された」(合田士郎 著)
ヒロ:これを読んでも分かるように、「ひょっとしたら明日死ぬかもしれない」、そう思ったら、とても夜は安心して寝ていられないよね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:食事ものどを通らないでしょ。
サトシ:はい。
ヒロ:じゃあ、君は、夜も眠れないの?
サトシ:いえ、ぐっすり眠れます。
ヒロ:食事ものどを通らないですか?
サトシ:いえ、おいしく食べてます。
ヒロ:ということは、当たり前のように明日があるって思っているんですね?
サトシ:そういうことになりますね。
ヒロ:じゃあ、何を根拠に明日があるって思っているの?
サトシ:えーっと、それは…
ヒロ:だって、明日があると思っていても、何にも根拠がなかったら、「本当かな?」って不安になるはずだよね?
サトシ:そうですよね…
ヒロ:さっき、君は夜もぐっすり眠れるし、食事もおいしいって言っていたでしょ。それは、今日死ぬなんてありえないと安心しているからですよね。
サトシ:はい。
ヒロ:だったら、死なないと思える根拠がなければおかしいでしょ?
サトシ:確かにそうですね。
ヒロ:じゃあ、その根拠って何ですか?
サトシ:うーん。
ヒロ:今まで何事もなかったからかな?
サトシ:そうではないですね…。
ヒロ:じゃあ、健康だから?
サトシ:うーん。
ヒロ:もし、健康だから死なないと言えるなら、健康な人は死んでいないことになりますよね?
サトシ:そうですね。
ヒロ:じゃあ、健康な人は死んでないの?
サトシ:いえ、死んでいます。
ヒロ:だったら、健康だから死なない、とは言えませんよね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:それに、新聞でもテレビでも、突然の事故や災害で亡くなっている人が、毎日のように報道されているでしょ。
サトシ:はい。
ヒロ:世界的に見たら、毎日、雨が降るみたいに、人が亡くなっているんじゃないですか?
サトシ:そうですね。
ヒロ:じゃあ、亡くなった人の中に、健康な人や若い人はいないの?
サトシ:いえ、います。
ヒロ:そうですよね。だから、健康だから、若いから、まだ死なないとは言えませんよね。
サトシ:はい。
ヒロ:だけど、どうして死なないと思うのかな?
サトシ:うーん…。
ヒロ:分かった!人は死んでも、自分には関係ないからでしょ?
サトシ:いえ、やっぱり関係ありますよ。
ヒロ:いやいや、「関係ない」って思ってるって。だってテレビで、突然の事故や災害で亡くなっている人を見ても、次は自分かも知れないって思わないでしょ?
サトシ:はい。
ヒロ:だから、ああいう被害にあった人は、みんな「何で私だけこんな目に…」って言ってますよね。だけど実際は、自分だけじゃないでしょ。そんな理不尽なことが、世界中でごろごろ起きているんです。
サトシ:そうですよね。
ヒロ:それをテレビや新聞で見ているはずなのに、なぜか次は自分かもしれないって思えないんですね。
サトシ:はい…。
ヒロ:これって、人は死んでも、自分だけは死なないって思っていることになりませんか?
サトシ:…そうですね。
ヒロ:つまり、「いつか死ぬ」ということは誰でも分かっているはずだけど、それはいつも他人のことであって、自分のことではない。だから、死が問題にならないんです。
サトシ:はい。
ヒロ:それどころか、今日と同じように明日が当たり前のように来て、それがずっと続いていくように思っているんですね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:それって、自覚はしていないけど、永遠に生きていられるって思っていることになりませんか?
サトシ:言われてみれば、そうなりますね。
ヒロ:これは君だけじゃなくて、みんな思っていることなんです。
サトシ:はい。
ヒロ:だけど、現実には毎日、毎日、たくさんの人が亡くなっているわけでしょ。その人たちもみんな、明日もあると信じて疑わなかった人ばかりなんですね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:しかも、そんな人たちの死を見たり、聞いたりしても、次は自分かも知れないって思えないでしょ?
サトシ:確かに、思っていませんね。
ヒロ:だから、死はいつも他人事であって、自分には来ないと思っているんですね。
サトシ:はい。
ヒロ:つまり、私たちはまさか今死ぬとは思っていないけど、その思いを裏切ってやってくるものが、死なんです。
サトシ:そうですね。
ヒロ:だから、いつやってきても死は突然にやってきたとしか感じられないんですね。そのことを、この間も読みましたけど「死を見つめるこころ」には、このように書いてあります。
(資料22)
死は、突然にやって来る。思いがけない時にやって来る。いや、むしろ、死は、突然にしかやって来ないといってもよい。いつ来ても、その当事者は、突然に来たとしか感じないのである。生きることに安心しきっている心には、死に対する用意がなにもできていないからである。
講談社文庫「死を見つめる心」(岸本英夫 著)
ヒロ:ここにも書いてありますけど、「死は、突然にしかやって来ないといってもよい。いつ来ても、その当事者は、突然に来たとしか感じないのである」とあるように、死ぬなんて、とても思えないときに、突然やってくるものが死なんですね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:君も今日死ぬとは思えないし、だから、明日があると思っているでしょ。
サトシ:はい。
ヒロ:だから、明日のことや、これからのことを考えているんじゃないですか?
サトシ:そうですね。
ヒロ:だけど、それは君が思っているだけで、そんな心は何のアテにもならないんですね。
サトシ:はい。
ヒロ:だから君は、今は明日があると思って安心しているけど、本当に明日があるかどうかは、明日になってみないと分からないでしょ?
サトシ:はい。
ヒロ:だけど、そう言われても、不安にならないでしょ?
サトシ:そうですね。
ヒロ:ということは、やっぱり明日があると信じているんですね。
サトシ:はい。
ヒロ:じゃあ、その心に裏切られて死ぬことはないの?
サトシ:いえ、あります。
ヒロ:でも、まさか今日じゃないよね。
サトシ:いえ、今日かもしれません。
ヒロ:いやー、もしそんなふうに思っていたら、さっきの死刑囚みたいに不安になっていると思うよ。そうじゃないかな?
サトシ:確かにそうですね。
ヒロ:じゃあ、君はそんなに不安なの?
サトシ:いえ、不安じゃありません。
ヒロ:そうでしょ。だから、君は今日かも知れないって言っているけど、本当にそうだとは思えないから、不安にならないんですよね。
サトシ:はあ…。
ヒロ:つまり、それだけ明日があるとしか思えないし、その心に裏切られるときが来るなんて思えないんですね。
サトシ:そういうことになりますね。
ヒロ:でも、その心は本当はまったくアテにならないんだと親鸞聖人は言われているんです。
サトシ:はい。
ヒロ:それを、「明日ありと思う心の仇桜」と言われて、みんな明日があると固く信じているけど、その心が仇になる、裏切られる。つまり、まったくアテにならないんですよ、と教えられているんですね。
サトシ:なるほど。
ヒロ:この言葉については分かりましたか?
サトシ:はい。
ヒロ:じゃあ、長くなりましたから、少し休憩したいと思います。
(休憩)
ヒロ:さっきまで、「明日ありと思う心の仇桜」という歌について話をしていましたけど、分かりましたか?
サトシ:はい
ヒロ:つまり、みんな明日があると思って安心しているけど、そんなアテにならない心をアテにしていたら、結局、臨終が来て後悔しなければならないんです。
サトシ:そうですね。
ヒロ:じゃあ、臨終っていつ来るの?
サトシ:えっ、それは…。
ヒロ:そう、こうやって話を聞いていても、臨終って、まだまだ先のことだとしか思えないんですね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:死の問題の解決だって、本当は今日しなければ間に合わないのかも知れないんですよ。
サトシ:はい。
ヒロ:だけど、全然焦ってないでしょ。
サトシ:…はい。
ヒロ:だから、このまま行ったら、焦ることもなく、死に対して何の準備もしないまんま、臨終を迎えてしまうんですね。
サトシ:それだと困りませんか?
ヒロ:だけど、ちっとも不安にならないでしょ?
サトシ:…はい。
ヒロ:だから、今のまま、臨終を迎えますね。
サトシ:でも、それではいけないんですよね?
ヒロ:そんなこと言っていても、家に帰ったら、また、目の前のことに没頭して、すっかり忘れてしまうんじゃない?
サトシ:うーん。だけど、死の準備をしなければいけないということは分かりますけど。
ヒロ:大丈夫、大丈夫。そんな心はすぐに無くなりますから。
サトシ:それじゃあ、全然大丈夫じゃないですよ。
ヒロ:だけど、本当に大丈夫じゃないって思ったら、もっと焦るでしょ。
サトシ:まあ、そうですけど…。
ヒロ:じゃあ、何で大丈夫じゃないのに、ちっとも焦らないのかな?
サトシ:えっ?何でなんでしょう。
ヒロ:じゃあ逆に、本当に自分が死ぬと思ったらどうなりますか?
サトシ:本当に死ぬと思ったら、とても耐えられませんね。
ヒロ:そう、私たちは本当に自分が死ぬと思ったら、不安で不安で、生きてゆけないんです。だから死を考えないように、考えないようにしているんですね。
サトシ:確かにそうですね。
ヒロ:だから、どんなに明日がないと聞いても、焦ることもなければ、不安になることもない。そうでしょ?
サトシ:はい。
ヒロ:たとえ、自分も死ぬかもしれないって不安になっても、無意識のうちに、「だけど、自分だけは大丈夫」と心を落ち着かせようとするんですね。
そして、その不安をかき消すために、「あれもしなくちゃ、これもしなくちゃ」って目の前のことに没頭してゆくんですよ。そうやっているうちに、結局、死を忘れて安心してしまうんですね。
サトシ:はい。
ヒロ:こういうことを言われたものに、こんな歌があります。
起きてみて また寝る鹿の 落ち葉かな
これは、鹿が気持ち良さそうに寝ているところへ猟師が来て、殺そうとして近づく。
すると、落ち葉がカサカサと音をたてるので、鹿は、「猟師か!」と驚いて目を覚まし、辺りをキョロキョロするが、誰もいない。
なーんだ、落ち葉が落ちただけかと安心して、鹿はまた眠ってしまうんですね。
それを見て猟師がまた近づく。するとまた、落ち葉がカサカサと音をたてる。
今度こそ「猟師か!」と驚いて目を覚ますけど、辺りには誰もいない。だから、やっぱり落ち葉が落ちただけかとまた眠ってしまう。
そんなことが何回もあった後、「ズドーン」と山に響く銃の音。そして、落ち葉の上には動かなくなった鹿が横たわっていた、という歌なんですね。
サトシ:はい。
ヒロ:私たちって、他人の死を見たり、聞いたりしたときに、驚くことがありますよね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:たとえば、向かいのお爺さんが亡くなったって聞くと、「こないだ会ったときは元気だったのに」と、そのときは驚きますけど、「だけど、あのお爺さん歳だったからね。私は若いから大丈夫」って、すぐ安心してしまうでしょ?
サトシ:はい。
ヒロ:今度は隣の奥さんが亡くなると、また驚く。「えっ!あの奥さん、亡くなったの!どうして!?」って。だけど、「事故だったのか。あの奥さん、おっちょこちょいだったからねー。私は慎重だから大丈夫。」って、また安心してしまう。
サトシ:そうですね。
ヒロ:他人の死を聞いて驚くことはあっても、自分は違うから大丈夫と、すぐに安心してしまうでしょ?
サトシ:はい。
ヒロ:だから、自分が死ぬなんて、もう思えないんですね。これを「なぜ生きる」には、このように書かれています。
(資料23)
死は万人の確実な未来なのだが、誰もまじめに考えようとはしない。考えたくないことだからであろう。知人、友人、肉身などの突然の死にあって、否応なしに考えさせられるときは、身の震えるような不安と恐怖を覚えるが、それはあくまでも一過性で、あとはケロッとして、「どう生きるか」で心はうめつくされる。たとえ、自分の死を百パーセント確実な未来と容認しても、まだまだ後と先送りする。
1万年堂出版 「なぜ生きる」 (明橋大二・伊藤健太郎 著)
ヒロ:つまり、どんなに死を目の前にしてショックを受けても、それを無意識のうちに自分とは関係ないと否定して、あとはいろんな言い訳をして、考えないように考えないようにしてしまうんですね。
サトシ:はい。
ヒロ:だから、いつ死ぬか分からないのに、ちっとも焦らないんですね。それは、死を考えることから逃げているからなんです。だけど、そんな私たちの思いとは関係なくやってくるのが死なんですね。
サトシ:じゃあ、逃げないようにしたら、いいんですね?
ヒロ:当然、そう思いますよね。だけど、逃げないようになるということは、死と真正面から向き合って、真剣に考えるってことですよね?
サトシ:はい。
ヒロ:君だって、いつか真剣になれると思っているでしょ?
サトシ:そうですね。
ヒロ:じゃあ、真剣になれるまでは、死なないんですね?
サトシ:えっ!そんなことはないです。
ヒロ:だけど、そう思っているから、今は安心しているんでしょ?
サトシ:…はい。
ヒロ:それだと、死と向き合えるようになるまでは、真面目に考えなくてもいいんだって、逃げていることになりませんか?
サトシ:確かにそうなりますね。
ヒロ:つまり、今は死から逃げているけど、いつか考えるはずから大丈夫だろうって、帳尻あわせをしているだけなんだね。
サトシ:はい。
ヒロ:そうやって、いろいろ言い訳をして、死を考えることを先へ先へと押しやっていったら、最後どうなるの?
サトシ:そのまま死んでしまいますね。
ヒロ:そう。いつか真剣になるだろうって思っているうちに、本当に死がやってきてしまうんですね。
サトシ:…そうですね。
ヒロ:そのときに驚いても手遅れでしょ。
サトシ:はい。
ヒロ:だから、真剣になれる日を待っていたら、永遠にその日は来ないですよね。
サトシ:…はい。
ヒロ:それなのに、真剣になれる日を待っていることは、意味のないことにならない?
サトシ:じゃあ、どうしたらいいんですか?
ヒロ:つまり、死ぬとは全く思えないけど、今晩にも死が襲ってきてもおかしくないでしょ。その厳粛な事実を受け止めなければならないんです。こう言って分かりますか?
サトシ:うーん。何となく分かるような気はしますけど…。結局、どういうことなんですか?
ヒロ:たとえば、雪山で遭難して体温が下がると、とても眠くなるんだそうです。そんなときに、眠いからって、その心にまかせて眠ってしまったら、そのまま、死んでしまいますよね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:同じように、「まだまだ死ぬとは思えない」っていう心にまかせて真剣にならなかったら、そのまま臨終が来て、後悔しなければならないんですね。
サトシ:じゃあ、どうしたらいいんですか?
ヒロ:だから、全くアテにならない自分の心を、アテにしてはいけないんです。つまり、今、解決しなければ永遠に解決できない、ということに気づかなければならないんですね。
サトシ:うーん…。
ヒロ:だけど、なかなかそう思えないのは、こう言われても、やっぱりそのうち真剣になれるときが来るんじゃないかって、思っているからなんです。
サトシ:はあ…。
ヒロ:結局それは、「真剣になるまでに死ぬことはないだろう」って、死を先送りにしているだけなんだけど、私たちは我が身知らずで、自分のことが分かってないから、そのことに気づかないんですね。
サトシ:そうなんですか。
ヒロ:つまり、いつか真剣になる日がくるから、今は真剣にならなくても大丈夫って、安心しているわけです。しかも、どんなに真剣になる日なんか来ないって言われても、「そんなことはない。その気になれば、真剣になれる。」と、本心では思っているんですね。
サトシ:はい…。
ヒロ:だから、実際に今、自分がその気になろうと努力しなければ、もう本当のことは分かりません。
サトシ:確かに、そうですね。じゃあ、やってみます。
ヒロ:では、話は戻りますけど、親鸞聖人は、今晩とも知れない自分の命に驚いて死を見つめたとき、お先真っ暗なわが身の後生が問題になったんですね?
サトシ:後生って何ですか?
ヒロ:死んだらどうなるかってことです。この後生がハッキリしない不安を解決したいと、比叡山という当時の仏教の中心地で、20年間仏道を求められたんですね。
サトシ:ふーん。
ヒロ:ここで、今でも天台宗って宗派があるけど、その教えに従って大変な修行に励まれたんですね。だけど、真っ暗な後生の解決が出来ずに絶望されて、泣き泣き山を下りられたのは、親鸞聖人が29歳の時だったんです。
サトシ:修行ってそんなに大変なんですか?
ヒロ:それは親鸞聖人の生涯を描かれたアニメーションがあるから、それを見てもらったら分かりますよ。
サトシ:分かりました。今度見せて下さい。
ヒロ:そして親鸞聖人は、この真っ暗な心を解決できる道はどこかにないかと、京都の町をさまよっておられたとき、かつての友人の紹介で、法然上人という方に出会うことが出来たんです。
サトシ:聞いたことある名前ですね。
ヒロ:法然上人も教科書に出てくる有名な人です。この法然上人から本当の人生の目的を聞いて、真っ暗な後生の解決をされたんですね。その時の親鸞聖人のお言葉が、これなんです。
「噫、弘誓の強縁は、多生にももうあいがたく、真実の浄信は、億劫にも獲がたし」
サトシ:そうなんですか。
ヒロ:ここで、まず、「噫」とあるのはどういうことか。この「なぜ生きる」には、こう書かれてありますね。
(資料24)
「ああ!」という感嘆は、かつて体験したことのない驚きとよろこびの、言葉にならぬ言葉なのだ。
1万年堂出版 「なぜ生きる」 (明橋大二・伊藤健太郎 著)
ヒロ:つまり、「ああ!」というのは、驚きであり、喜びということなんですね。じゃあ、どんな驚き、喜びかというと、今まで体験したことのない驚きであり、喜びだと書いてあります。
サトシ:はい。
ヒロ:私たちもびっくりした時に、「ああ!」って言うことあるでしょ?例えば、アメリカに旅行に行ったときに、道でバッタリ小学校のときの友達に会ったら、「ああっ!君は小学校のときの!…誰だっけ?」というように、最初に「ああ!」って言うでしょ?
サトシ:そうですね。
ヒロ:そんなときに、「小学校のときの健ちゃん、ああ!」って、後から「ああっ!」とは言いませんよね。
サトシ:はい。
ヒロ:だから、この「ああ!」というのは、親鸞聖人が大変驚かれたことがあったから、しかも、今までに体験したことがない驚きだったから、「ああ!」と、このように言われているんですね。
サトシ:はい。
ヒロ:じゃあ、親鸞聖人は何に驚かれているんでしょうか?
サトシ:何なんでしょうか?
ヒロ:さっきも話しましたけど、親鸞聖人は、この後生暗い心ひとつを解決するために、比叡山で20年間も求められたんですよね。
サトシ:はい。
ヒロ:ところが、求めても求めても、真っ暗な心が晴れない。私にはこの教えを一生涯求めたとしても、とても解決なんてできない、と絶望されて、この答えをどこかに教えて下さる方はないだろうかと、山を下りられたんです。
サトシ:はい。
ヒロ:そう思っておられた親鸞聖人が、法然上人から教えを受けて、心の闇が晴れたから、「ああ!」と驚かれているんですね。
サトシ:そうなんですか。
ヒロ:こんな不思議な世界があったのか、絶対に助からないものが絶対に助かった。
助かると思っていた人が助かったなら、「ああ!」という驚きはありませんよね。思っていた通りになったんですから。だけど、親鸞聖人が「ああ!」と叫ばれているのは、もう晴らすことはできないと思っていた心の闇が晴れたから、「ああ!」と言われているんですね。
サトシ:はい。
ヒロ:ということは、親鸞聖人は、心の闇を晴らしたいとずっと思い続けて、求めておられたことになりますよね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:だから次に、「弘誓の強縁は多生にももうあいがたく、真実の浄信は億劫にも獲がたし」と言われているんです。多生にも、億劫にもあうことができないもの、獲ることができないものを今、獲ることができた、と喜ばれているんですね。
サトシ:はい。
ヒロ:この「多生」とか、「億劫」という言葉は仏教の言葉なんです。これは何百年とか、何千年、何万年とは比べものにならない、ずっと長い時間をいうんですね。
サトシ:はあ。
ヒロ:気の遠くなるような長い間求めたとしても、獲ることのできないものが今、獲られた。だから、親鸞聖人は「ああ!」と叫ばれて、「不思議だった、不思議だった、こんな幸せな世界があったのか!」と、喜ばれているのも分かる気がしますね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:それだけ親鸞聖人が、救いを求めておられたということは、それだけ、心の闇に苦しんでおられたということですよね。
サトシ:はい。
ヒロ:どういう苦しみか分かりますか?
サトシ:分かりません。
ヒロ:この苦しみとは、どういう苦しみか。「なぜ生きる」には、このように書いてあります。
(資料25)
つらくとも、なぜ生きるのか。もっとも大事なことがわからない。ただ生きるために生きるだけなら、料亭の生け簀に泳ぐ魚とどこが変わろう。死を待つだけの生ならば、沈んでいるといわれて当然である。生まれてきた意味がわからず、もだえ苦しんでいた聖人が…
1万年堂出版 「なぜ生きる」 (明橋大二・伊藤健太郎 著)
ヒロ:ここで、私たちは「料亭の生け簀に泳ぐ魚」と同じだと書かれてありますね。
サトシ:はい。
ヒロ:この魚って、結局、殺されるために、生かされているようなものですよね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:じゃあ、この魚は、今日にも自分が殺されるかもしれないって思っているかな?
サトシ:それは思っていないと思います。
ヒロ:魚の立場にたって考えてみたら、きっと、生け簀の中で、これがやりたい、あれがやりたいと思っていたと思いますよ。
サトシ:そうですね。
ヒロ:もしかしたら、将来はあの魚と結婚して卵を産みたい、と思っていたかもしれないでしょ。だけど、お客さんが来て、「あの魚が食べたい」って指をさされたら、その瞬間に殺されてしまうんですね。
サトシ:はい。
ヒロ:もう少し待ってくれ〜、せめて、あの魚と結婚するまでは〜、と思っていても、容赦なく、殺されてしまう。
サトシ:うーん。人間って残酷ですね。
ヒロ:だけど、これは私たちも同じじゃないですか。私たちも、将来の夢に向かって、いろいろ計画しているでしょ。小説を書きたいとか、野球でリーグ優勝したいとか。この子が一人前になるまでは、とか。
サトシ:そうですね。
ヒロ:ところが、そんな私たちの思いとは裏腹に、死は突然、情け容赦なく、すべてを奪ってしまうんですね。
サトシ:はあ。
ヒロ:ちょうど、もっともっと大きく膨らませようとしていたシャボン玉が、突然、パチンと割れてしまうようなもので、割れてしまったら、あとは何も残らない。生け簀の中の魚も、自分がいつ殺されるか分からないのに、そんなことも知らずに、気楽に泳いでいるんですね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:親鸞聖人も、今、何とか心の闇を晴らそうしているけど、そんな思いとは関係なく、次の瞬間にも死が襲ってくるかもしれない。それなのに、料亭の生け簀の魚みたいに、驚きもしなければ焦りもしない。そんな自分の心が知らされて、ジリジリ迫る、わが身の後生にもだえ苦しんでおられたんですね。
サトシ:はあ。
ヒロ:そんな親鸞聖人が、心の闇が晴れて救われたから、「ああ!」と、心も言葉も絶え果てて、仰っているんです。
サトシ:そうなんですか。
ヒロ:そして、こんな私でさえ救われたのだから、皆さんも救われますよと、正信偈というものの中に、「道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説」と言われているんですね。
サトシ:はい。
ヒロ:この「道俗時衆」というのは、仏教の言葉で、すべての人ということです。だから親鸞聖人は、すべての人に対して呼びかけられている、ということじゃありませんか?
サトシ:そうですね。
ヒロ:じゃあ、何を言われているのかというと、「共同心」。これは、「共に同じ心になって下さい」ということです。つまり、「この親鸞と共に、親鸞と同じ心になって下さい」と仰っているんですね。
サトシ:はい。
ヒロ:同じ心になるということは、心の闇が晴れて、「噫、弘誓の強縁は…」と喜ばれた、そんな親鸞聖人と同じ心になるということなんです。
サトシ:はあ。
ヒロ:もし親鸞聖人が、自分だけしかこんな幸せにはなれないと思われたら、「皆さん、私と同じ心になって下さい」と言われるかな?
サトシ:いえ、言われません。
ヒロ:そうでしょ。すべての人がなれる幸せだから、このように仰っているんですね。だから、君もなれるんですよ。
サトシ:本当ですか?
ヒロ:親鸞聖人は、すべての人がなれる。当然、君もなれる、と思われたから、こう仰っているんです。
サトシ:そうなんですか。
ヒロ:だけど、普通、そんな幸せになれると言われても、信じられませんよね?
サトシ:そうですね。
ヒロ:もし友達に、こんな幸せがあるって言ったら、どんな反応が返ってくるかな?
サトシ:そんなの信じられないって言うと思います。
ヒロ:そうじゃないでしょ。「それ絶対アブナイ宗教だって。お前だまされてるんだよ。絶対やめとけ。」っていう人が多いと思うけど。
サトシ:そこまで言われますかね?
ヒロ:だって、世間には、「悟りを開いた!」とか、「神の声を聞いた!」とか、「救われた!」と言っている人がゴマンといるんですよ。
そんな体験と、親鸞聖人の言われている幸せと区別つきますか?
サトシ:つきませんね。
ヒロ:だから、「摂取不捨の幸福があるぞ!」と言っても、キチガイ扱いされるだけです。
サトシ:じゃあ、どこが違うんですか?
ヒロ:そこで、親鸞聖人は次に、「唯可信斯高僧説」と書かれているんですね。
サトシ:はあ。
ヒロ:これは、「ただこの高僧の説を信ずべし」と読みます。この高僧というのは、インドや中国、日本で活躍された、高僧と言われる人たちのことで、それらの人たちも親鸞聖人と同じ心の世界に出て、「皆さんも同じ心になれますよ」と教えてゆかれたんです。
サトシ:ふーん。
ヒロ:だから、「この親鸞だけが言っていることではありませんよ。これらの高僧方の教えを信じて下さい」と仰っているんですね。
サトシ:はい。
ヒロ:仏教を勉強すれば分かりますけど、これらの人たちは生まれた国も、時代も、言葉も、文化もまったく違いますけども、教えられている体験はまったく同じなんですね。だから「同じ心になって」と言われているんです。
サトシ:へーっ。そうなんですか。
ヒロ:もし、それが一時的な感情や、妄想だったら、同じ体験をするってことありますか?
サトシ:ありませんね。
ヒロ:だけど偶然の一致で、みんなが同じ体験をしたというのは?
サトシ:うーん。無いと思います。
ヒロ:1人の人が言っているだけなら、思い込みとか妄想ということもあるかも知れませんけど、時代も、場所も、文化も違う人たちが、まったく同じことを言われているとするならば、そういう一貫して変わらない体験があるからとは言えませんか?
サトシ:そうですね。
ヒロ:しかも、親鸞聖人は多くの哲学者や文学者から尊敬されて、褒めたたえられているんですね。
サトシ:そうなんですか。
ヒロ:たとえば、20世紀最大の哲学者といわれるハイデガーは次のように言っています。
(資料26)
「今日、英訳を通じて、初めて東洋の聖者親鸞を知った。若し10年前に、こんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったなら、私はギリシャ語や、ラテン語の勉強もしなかった。日本語を学び、親鸞聖人の教えを聞いて世界中に弘めることを、生き甲斐にしたであろう。だが、おそかった。自分の側には、日本の哲学者や思想家が30名近くも留学していたが、誰一人、日本にこんな偉大な人がおられたことを聞かせてくれなかった。日本の人達は何をしているのだろう。日本は戦に負けて、今後、文化国家として世界文化に貢献すると言っているが、私をして言わしむれば、立派な建物も美術品もいらない。何もいらないから、親鸞聖人の教えを世界に宣伝して頂きたい。商売人、観光人、政治家であっても、日本人にふれたら、何かそこに、深い教えがあるという匂いのある人間になって欲しい。そしたら世界の人々が、この親鸞聖人の教えの存在を知り、夫々に聖人の教えをわがものとするであろう。その時、世界の平和に対する見通しも初めてつき、21世紀文明の基礎がおかれる」
(M・ハイデッガー・哲学者)
ヒロ:他にも、挙げればキリがないけど、いくつかを紹介しますね。l
「親鸞は私の哲学において、学ぶべき師であり、指導者である。」 (田辺 元・哲学者)
「『教行信証』は、思索と体験が渾然として一体をなした稀有の書である。」 (三木 清・哲学者)
「親鸞を語ることは私にとって、人生を語るに等しい。私のまず最初に言うべきことは、親鸞に出会ったという、その謝念でなければならぬ」 (亀井勝一郎・文芸評論家)
「親鸞のような人に巡り会えたことは、一介の文学者としても、人間としても、生涯の喜びである。」(丹羽文雄・作家)
「人類が、今日ほど、親鸞を必要としている秋はない。」 (井上 靖・作家)
「鎌倉時代というのは、一人の親鸞を生んだだけでも偉大だった。」 (司馬遼太郎・作家)
サトシ:すごいですね。
ヒロ:これだけ多くの人から尊敬されているのが、親鸞聖人という方なんです。もし、親鸞聖人がおかしなことを言われた方だったら、こんなに多くの人から尊敬されると思いますか?
サトシ:いえ、ないと思います。
ヒロ:だから、この「摂取不捨の幸せ」というのは、妄想や思い込みではありませんし、すべての人が、この幸福になることが出来るんです。一応、分かりましたか?
サトシ:まあ、何となく分かったんですけど、どうしたら摂取不捨の幸福になれるんですか?
ヒロ:それも親鸞聖人が詳しく教えられていますけど、これについては、今日はかなり長くなりましたから、次回ということで…。
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