四日目 無明の闇

 
 


ヒロ:前回は、苦しみの根元は「疑情」だ、ということまで話をしました。

サトシ:はい。

ヒロ:苦しみの根元が分からないと、幸せになることは出来ませんから、これが一番大事なところですね。

サトシ:そうですね。

ヒロ:この疑情について、この本には「死後どうなるか分からない『無明の闇』のことである。」と書いてあります。

サトシ:そうみたいですね。

ヒロ:じゃあ、この「無明の闇」とは何なのか。まず、そこから考えてみましょう。

サトシ:はい。

ヒロ:まず無明の闇とは、「死後どうなるか分からない心」と書いてありますね。

サトシ:はい。

ヒロ:だけど、今まで「人生の目的とは何か?」とか、「苦しみの根元は何か?」という話をしてきたのに、なんでいきなり「死」が出てくるのかな、って思いませんか?

サトシ:そうですね。

ヒロ:だって、毎日をどうすれば楽しく過ごせるかということを考えているんだから、「死」ということは関係ないでしょ。

サトシ:はい。

ヒロ:それに一々、死ぬことを考えていたら、暗くなるだけじゃないですか。

サトシ:そうですね。今が大事ですよね。

ヒロ:じゃあ、私たちが幸せになるために、どうして死を考えなければならないのか、いや、この死の問題を避けて通れないのか。

サトシ:はい。

ヒロ:ところで、「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」という話は知っていますか?

サトシ:うーん。どういう話だったでしょうか?

ヒロ:これはどんな話かと言うと、昔、中国の北の方に、あるお爺さんが住んでいました。さらに北には胡(こ)という国があって、その間には城塞があったんですね。そのお爺さんの飼っていた馬が、ある時、胡の国に逃げてしまったんです。

大切な馬が逃げてしまったんですから、これは苦しいことですよね?

サトシ:
そうですね。

ヒロ:ところがしばらくしたら、逃げた馬が良い馬をたくさんつれて帰ってきた。これは嬉しいことでしょ。馬が増えたんですから。そうすると、馬が逃げたことは、結果的に良かったことですか?悪かったことですか?

サトシ:良かったことですね。

ヒロ:そうですね。馬が逃げたおかげで、良い馬がたくさん手に入ったのだから、良かったことになりますね。

サトシ:はい。

ヒロ:ところがその後、お爺さんの息子が、その馬から落ちて骨折してしまうんです。こうなると、その馬を連れてこなければ、息子は骨折することもなかったんですから、馬を連れてきたことも、最初に馬が逃げたことも、悪かったことになりますよね。

サトシ:そうですね。

ヒロ:ところが1年ほど経ったころ、胡の国が城塞に攻めてきたんですね。激しい戦いで、何とか城塞を守ることはできたんだけど、近くに住んでいた若者は、殆ど戦いに駆り出されて死んでしまいました。でも、そのお爺さんの息子は、ケガをしていたから戦いに行かずにすんで、助かったんです。じゃあ、息子が骨折したことは結果的には良かったことですか?悪かったことですか?

サトシ:助かったのだから、良かったことになりますね。

ヒロ:そうですね。それで息子は死なずに済んだんですから、良かったことになりますよね。だから、馬が逃げたり、たくさんの馬を連れてきたり、骨折したり、色々なことがありましたけど、結果的には息子が戦いに行かずに済んで助かったから、それまでのことは良かったことになりますよね。

サトシ:そうですね。

ヒロ:だから、人生には色々なことがありますけど、それが本当に良かったのか、悪かったのか、最後になるまで分からないんです。

サトシ:はい。

ヒロ:この話は息子が助かって、ハッピーエンドになっていますけど、もし息子がお爺さんを虐待して殺したら、それまでのことは息子に殺されるためだった、ということになってしまうでしょ。そうなったら、すべて結果的には悪かったということになりますよね。

サトシ:そうですね。

ヒロ:だから、私たちの人生が良かったのか、悪かったのかは、最後がどうなるかで決まると言ってもいいですね。

サトシ:はい。

ヒロ:それで、私たちは最後は幸せになれると未来に希望を持って生きているんですね。

サトシ:そうですね。

ヒロ:そうでしょ。苦しいことがやってきたときでも、今は苦しくても、いつか幸せになれると思って頑張るでしょ。ほら、浜崎あゆみの歌にもあるよね。

「今日がとても悲しくて、明日もしも泣いていても、そんな日々もあったねと、笑える日が来るだろう。(SEASONS)」ってね。

サトシ:はい。

ヒロ:私たちは無意識のうちに、いつか幸せになれると思って頑張ってますけど、その結果が悲劇だったらどうなるかな。例えば、田代まさしっていう人、知ってますか?

サトシ:確か、覚せい剤で捕まった人ですよね。

ヒロ:そうです。あの田代まさしは最後は捕まってしまいましたけど、それまで芸能界で、あれだけの人気を保ち続けることは大変だったと思いますよ。

サトシ:そうですね。

ヒロ:聞いた話では、田代まさしは1980年に、「シャネルズ」という人気グループの一員としてデビューしたそうです。その他の人たちが芸能界から消えてゆく中で、タレントとして活躍して、有名になっていったんですね。

サトシ:はい。

ヒロ:ああいう芸能人には、天才肌と言われるような、アドリブで会場を沸かせるような人もいるんだけど、田代まさしはどちらかというと、緻密に計算して、準備してから本番に臨むタイプだったそうです。

サトシ:そうなんですか。

ヒロ:努力の甲斐あって、競争の激しい芸能界で生き残って、人気を高めていったんですけど、その田代まさしが覚せい剤で捕まった。人気がある分、衝撃も大きくて、テレビや新聞でも大きく取り上げられたんです。

サトシ:そういえば、見た覚えがあります。

ヒロ:一応、執行猶予で釈放されたんですけど、収録した番組が放映できないということで、すごい額の損害賠償をさせられて、借金地獄になったそうです。

サトシ:へーっ、大変ですね。

ヒロ:家を売って引っ越そうにも、名前を出すと断られて、住む所さえなかなか決まらない…。もちろん芸能界の復帰は絶対不可能だし、ようやく見つけた仕事も長続きしなかったんです。それで、また覚せい剤に手を出して逮捕。今は刑務所だと思います。

サトシ:そうだったんですか。

ヒロ:田代まさしには奥さんや子供さんもいたそうだけど、事件の前は、田代まさしがお父さんというのは自慢の種だったと思いますよ。だけど事件の後は有名な分だけ、「あれが田代まさしの子供か」って陰口を叩かれるようになるし、嫌がらせも結構あったそうです。

サトシ:かわいそうですね。

ヒロ:もし人気が出ずに、有名にならなければ、あんなに報道されることも無かったし、家族に迷惑かけることも無かった。じゃあ、田代まさしが何年もかけて、こつこつと積み上げてきた人気は、何だったんでしょうか?

サトシ:えーっ、何だったって言われても…。

ヒロ:結局、二度とやり直せないような悲劇を味わうためだった、ということになってしまうでしょ。どんなに途中が素晴らしいように思えても、最後が悲劇に終わってしまったなら、それまで苦労した分、味わう苦しみも大きくなってしまうんですね。

サトシ:はい。

ヒロ:だから、今さえ良ければ、先はどうなってもいいとは思わないでしょう?

サトシ:そうですね。

ヒロ:私たちにとって大事なことは、今よりも、最後どうなるかということなんです。じゃあ、私たちにとって、最後にやってくることって何ですか?

サトシ:それが、「死」ですか?

ヒロ:そうですね。だから、まず死ぬということはどういうことか、考えてみましょう。これは、室町時代に書かれた「御文章」と言われるものの一節ですが…

まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。

サトシ:どういう意味ですか?

ヒロ:「まことに死せんときは」というのは、いよいよ死んでいくときは、ということです。生まれたからには必ず死んでゆかねばならないですね。どんなに死にたくないって思っていても、私たちは一日一日、墓場に向かって進んでいます。そして、いよいよ最後死んでいくときは、というのが、「まことに死せんときは」ということです。

サトシ:はい。

ヒロ:「かねてたのみおきつる妻子も財宝も」とは、かねてから頼りにしてきた、心の支えにしてきた、妻や子供、財産やお金ということです。生きてゆくときには、色々なものを信じて、心の支えにしていますよね。

サトシ:そうですね。

ヒロ:例えば、親に仕送りをしてもらっている人なら、親を当てにしていますよね。これは親を信じていることだし、恋人ができたら、その人を信じるでしょ。

サトシ:はい。

ヒロ:子供が出来たら子供を信じるし、いつまでも元気でいられると健康を信じている。それに、まだまだ死ぬことはないだろうと、命を信じてますね。もし、何も信じられなかったら、私たちは1日も生きてゆけないでしょう?

サトシ:はい。

ヒロ:「わが身には一つも相添うことあるべからず」とは、そうやって信じてきたものを、何一つ持ってゆけませんよ、全部置いてゆかなければならないのですよ、ということです。

サトシ:なるほど。

ヒロ:田代まさしは、こんなことになってしまって、とても苦しんだと思いますけど、すべてを失ったわけじゃないですよね。

サトシ:そうですね。

ヒロ:だけど、死んでゆくということは、自分の財産や仕事だけじゃない。家族も、お金も、そして一番大事にしている命さえも、失ってしまうということなんです。

サトシ:はい。

ヒロ:ということは、田代まさし以上の悲劇が、最後に待っているということじゃないですか?

サトシ:そうですけど、それは仕方ないことじゃないですか?

ヒロ:うーん。確かに仕方がないっていうのも分かるけど、他のことなら、不安なことがあると、問題になるし、準備もするよね。

サトシ:そうですね。

ヒロ:死ぬということだって、今は死ぬのは仕方ないって言っているけど、もし、ガンにかかって、余命あと1年って宣告されたら、それでも仕方がないって言えるかな?

サトシ:うーん。それは、なってみないと分かりません。

ヒロ:まあ、私たちは今、元気だし、本気で自分が死ぬとは思ってないから、そうやって「死ぬのは仕方ないんじゃないか」って言っておれるけど、もし本当に死ななければならないとなったら、とても今のような心境じゃいられないんじゃないですかね?

サトシ:そうですねえ…。

ヒロ:だけど、そう言っても、分からないと思いますから、ちょっとこの資料を読んでみて下さい。

(資料15)

 死、それはやがてこの私にも必ずやってくる。五年か十年先かもしれないが、私の場合、半年先にくるかもしれない。いまガン腫瘍が残ったままになっている現実を考えると、死という問題がいやでも心に迫ってくる。いままで『人間はだれでも必ず死ぬ』という一般論であったことが、この私が死ぬかもしれないという、極めて個人的で具体的な問題として、いま自分に降りかかってきている。そして私はあきらかにそれに狼狽していた。
私はこの手記の前段で、『いまガンであるかもしれないという不安の中で、嘘のように死への恐怖はない』と書いた。
それは決して嘘ではない。その時はこれほど死が自分に迫ってはいなかった。しかし、現実に自分の問題となった時、あらためて私は死を怖いと思った。
私にとり、死は本能的に怖いものである。苦しみながらの死は嫌だというような条件の問題ではなく、理屈を越えた別次元のもので、死そのものが怖いのである。

静岡新聞出版局「ガン告知が私を変えた」(久保田信吾 著)

 
ヒロ:この人は、ガンにかかっても始めは「いまガンであるかもしれないという不安の中で、嘘のように死への恐怖はない」と、書いていたんですね。

サトシ:はい。

ヒロ:だけどその時は、「人間はだれでも必ず死ぬ」って、死がまるで他人事になっていたんですね。ところが、「この私が死ぬかもしれない」と、死が自分に迫ってきて、あわてふためいているんです。

サトシ:そうですね。

ヒロ:じゃあ、君は本当に自分が死ぬって思える?

サトシ:うーん。そう言われると、思えないですね。

ヒロ:やっぱり、死が現実に迫ってこないと、本当に死を考えることは出来ませんよね。だから、まだまだ自分は死なないって思っているうちは、死と言っても他人事だから、「仕方ない」って平気で言えるんじゃないかな。実際に今、死ななければならないとなったら、絶対に「仕方ない」なんて言えないと思いますよ。

サトシ:確かにそうですね。

ヒロ:だって、死ぬってことは、今、一番大事にしているものも、全部失うということなんですよ。両親とだって今、別れていかなければならないとなったら、悲しいでしょ。

サトシ:はい。

ヒロ:まして、死はすべてと別れてゆかなければならないんです。本当にそう思ったら、「仕方ない」じゃ済まないでしょう?

サトシ:そうですね。

ヒロ:だけど考えてみたら、最後に死が待っているということは、私たちの人生は、必ず墜落する飛行機に乗っているようなものだと言えませんか?

サトシ:うーん。そうですね。

ヒロ:じゃあ、ちょっと想像してみてよ。

サトシ:怖いですねー。

ヒロ:もし、そんな飛行機に乗っていたら、「墜落するのは仕方ない」って、おいしく食事を食べれるかな?

サトシ:いえ…。

ヒロ:「落ちたら落ちたときさ」って、ゆっくり寝てられる?

サトシ:寝ておれないと思います。

ヒロ:苦しいのは、墜落する瞬間だけなのかな。それまでは墜落したら墜落したときさって平気でいられるの?

サトシ:いえ。不安でとても、じっとしておれないと思います。

ヒロ:そうですよね。同じように、本当に自分が死んでいかなければならないと思ったら、不安で不安で仕方がないはずです。だけど、そう思っていないから、平気なんですね。

サトシ:そうですね。

ヒロ:じゃあ、自分が死んでゆかねばならないと思ったら、どういう心境になるのか。もう一つ、これはガンを宣告されてから死ぬまでの10年間、闘病生活をした人の記録ですが、読んでみましょう。

(資料16)

死自体を実感することのもたらす精神的な苦しみが、いかに強烈なものであるか、これは、知らない人が多い。いな、むしろ、平生は、それを知らないでいられるからこそ、人間は幸福に生きていられるのである。しかし、死に直面したときには、そうはいかない。人は、思いしらされる。その刺し通すような苦しみが、いかに強烈なものか、そのえぐり取るような苦しみを、心魂に徹して知るのである。

(中略)

その極端な例は、死刑囚の場合である。私は、死刑囚の精神的な苦しみには、言語を絶するものがあろうと想像する。死刑囚の死の苦しみは、絞首台の上で、死刑を執行されるときだけのものではない。その苦しみは、死刑の宣告をされたその時からはじまる。その時から心の中で、すさまじいあらしが荒れ狂いはじめる。三日生きれば三日間、十日生きれば十日間、そのあいだじゅうが、絶え間ない内心の血みどろの戦いである。そうした一刻々々を、一寸刻みに苦しみながら、二年も三年も、独房で死を見詰めていなければならないとしたら、どのような精神状態になるか。気が狂う死刑囚が、たくさん出るのも、無理のないことである。一種の、精神的な、なぶり殺しである。

講談社文庫「死を見つめる心」(岸本英夫 著)
 

ヒロ:これを読んでも、いかに死は恐ろしい問題であるか分かりますよね。これが来るかどうか分からない問題なら、考えなくてもいいかも知れないけど、君にも必ず来る問題でしょ?

サトシ:はい。

ヒロ:しかも、死はいつやってくるか分からない。だから、私たちは、いつ墜落するか分からない飛行機に乗っているようなものだとはいえませんか?

サトシ:そうですね。

ヒロ:ここで分かって欲しいことは、死が問題になるのは、死の一瞬だけじゃない、ということなんです。もし、墜落する飛行機に乗っていたら、今から地獄でしょ。同じように、本当に死がやってくると思ったら、今から身の震えるような不安が襲ってくるはずですよ。

サトシ:はい。

ヒロ:じゃあ、実際、みんな不安に思っていますか?

サトシ:いえ、思っていないと思います。

ヒロ:何でですかね?

サトシ:うーん…。

ヒロ:つまり、死ぬのは分かっているけど、それはまだまだ先のことだと思っているからじゃないかな?

サトシ:確かに…。

ヒロ:だから、「死んだら、死んだときさ」って安心しているんです。だけど、そんな墜落間違いなしの飛行機に乗っていながら、安心して寝ていたら、最後どうなりますか?

サトシ:墜落しますね。

ヒロ:そうですね。しかも、死が最後にやってくることは、みんな知っているんですから、つまり墜落すると知っていながら、何の準備もせずに地面に突っ込んでいくわけです。これでいいですか?

サトシ:いいってことは無いですよね…

ヒロ:だから、ビートたけしもこんなことを書いているんですね。

(資料17)

死の準備について

死ぬってことは人間みんなの目的であるっていうか、終着点であることには間違いない。死と言うのは突如来る暴力なんだね。その暴力にいかに準備しているか。それが必要だってことは、うすうすはわかるんだけれど、あまりにも儚いっていうか、空しい努力のような気がしてしまう。なにしろ死ぬことに対する対応だからね。
死はすべての終わり。それに対してなんで準備してなきゃいけないのか。対応しようがしまいが、死ぬことは死ぬことで仕方ない。そう考えりゃ、準備なんかしなくたっていいじゃないか、と言う奴もいる。だけど、準備なんかしなくたっていいと言っても、結局死というものには無理矢理対応させられるわけだよ。あまりにも一方的に向こうが勝手に来るわけだから。
それに準備してる奴としない奴と、死ぬことは結果的には同じだけれども、そのショックというのは半端じゃないんだよ。死を考える、死ぬための心の準備をするというのは、生きているということに対する反対の意義なんだけども、異常に重いテーマなんだ。
下手するとこれが哲学の究極の目的なんじゃないかって思うね。頭のいいのからバカから、金持ちから貧乏人から、人間全体に対しての問題提起なんだ。そうすると、バカでもなんでも対応せざるを得ない。そうしたとき、それの能力とか財産にもかかわらず、人間は対応する努力をしていかなきゃならない、と思ったんだ。

   新潮社「たけしの死ぬための生き方」(ビートたけし 著)

 

ヒロ:たけしが10年以上前に、バイクの事故で死にかけたこと知ってる?

サトシ:そんなことあったんですか?

ヒロ:これはその後に出た本なんですけど、ここで、たけしも「準備なんかしなくたっていいと言っても、結局死というものには無理矢理対応させられるわけだよ。」って書いていますね。

サトシ:はい。

ヒロ:私たちって、どんなに「死んだら、死んだときさ」と平気で言っていても、最後いざ自分に死が迫ってきたら、もう無視することはできない。だって避けられない現実ですからね。結局、無理矢理でも考えざるをえないんですよ。

サトシ:はい。

ヒロ:だからこそ、たけしは死の準備をしておかなければならないって書いているんだけど、私たちは最後死が待っていると聞いても、ちっとも不安にならないし、問題にもなりませんよね?

サトシ:そうですね。

ヒロ:それって、死が間近に迫ってから考えればいいと、思ってるんじゃないかな?

サトシ:…確かにそうですね。

ヒロ:だけど、そうなってからでは遅いんです。

サトシ:え、どうしてですか?

ヒロ:だって、本当に死が迫ってきたら、準備しなければいけないって思っても、とても恐ろしくて、死について考えることから逃げてしまうんですよ。

サトシ:はあ…。

ヒロ:そうやって逃げて逃げて、最後、本当に逃げ切れなくなったときに初めて、死を真正面に見るんです。というより、見せつけられる。そのとき死が本当に問題になるんですね。

サトシ:でも、それって臨終じゃないですか?

ヒロ:そう。私たちは、あまりにも死が恐ろしいから、臨終まで死というものから目をそらしているんです。本当に逃げ切れなくなってから考えていたら手遅れでしょ?

サトシ:そうですね。

ヒロ:だから、今、この問題を解決しておかねばならないんですね。

サトシ:はい。

ヒロ:じゃあ、この死の問題とは、どういう問題なのか、そこから考えていきたいと思いますが、少し長くなりましたので、少し休憩を入れたいと思います。


(休憩)

ヒロ:今日は、死という問題について話をしていますね。

サトシ:はい。

ヒロ:では、まず、この資料を読んでみて下さい。

(資料18)

こんなことがよくも当初において理解できずにいられたものだ、とただそれに呆れるばかりだった。こんなことはいずれもとうの昔から誰にでも分かりきった話ではないか。きょうあすにも病気か死が愛する人たちや私の上に訪れれば(すでにいままでもあったことだが)死臭と蛆虫のほか何ひとつ残らなくなってしまうのだ。私の仕事などは、たとえどんなものであろうとすべては早晩忘れ去られてしまうだろうし、私もなくなってしまうのだ。とすれば、なにをあくせくすることがあろう?よくも人間はこれが眼に入らずに生きられるものだ――これこそまさに驚くべきことではないか!生に酔いしれている間だけは生きても行けよう、が、さめてみれば、これらの一切が――ごまかしであり、それも愚かしいごまかしであることに気づかぬわけにはいかないはずだ!
「懺悔」 (トルストイ著)

 

ヒロ:トルストイは知っていますね?

サトシ:はい。名前だけは。

ヒロ:世界の文豪でも、トップに挙げられる人です。

サトシ:そうなんですか。

ヒロ:この中で、トルストイが「これこそまさに驚くべきことではないか」と書いているところがありますね。

サトシ:はい。

ヒロ:じゃあ、トルストイが驚いていることって、一体何ですか?

サトシ:何ですかと言われても…。

ヒロ:まあ、突然言われても分かりませんよね。この前に書いてある、あ
「きょうあすにも病気か死が愛する人たちや私の上に訪れれば、死臭と蛆虫のほか何ひとつ残らなくなってしまうのだ。私の仕事などは、たとえどんなものであろうとすべては早晩忘れ去られてしまうだろうし、私もなくなってしまうのだ。とすれば、なにをあくせくすることがあろう?」

という部分ですね。

サトシ:そうですね。

ヒロ:つまり、やがては必ず全てを失うときが来る。しかも、それが今日か明日にもやってくるかも知れないんだから、いつ裏切られるか分からないものを求めて、一生懸命あくせくしていることに驚いているんですね。

サトシ:はい。

ヒロ:
じゃあ聞きますけど、君が今、勉強しているのは、将来の仕事のためでしょ?

サトシ:そうですね。

ヒロ:トルストイも言っているように、仕事も私たちを裏切っていくものなのに、それを求めて今は勉強していますよね。

サトシ:はい。

ヒロ:そして実際、仕事をする。これって、誰もがやっていることじゃないですか?

サトシ:そうですね。

ヒロ:だけどトルストイは、これを「驚くべきこと」だって言っています。つまり、君が当たり前と思っていることが、トルストイにとっては驚くべきことなんですね。じゃあ、トルストイは何に驚いているんですか?

サトシ:裏切られるものを、求めていることですか?

ヒロ:うーん。それは誰でも、ちょっと考えれば分かることじゃない?君だって、分かっていても驚かないでしょ?

サトシ:そうですね。

ヒロ:しかも、それが当たり前だと思っていますよね?

サトシ:はい。

ヒロ:だけどトルストイは、そのことに驚いて仕事も手につかなくなっているんです。

サトシ:はあ…。

ヒロ:じゃあ、トルストイは何に驚いているんでしょう?

サトシ:うーん…。

ヒロ:じゃあ、まず、信じているものに裏切られるとはどういうことか、考えてみましょう。

サトシ:はい。

ヒロ:例えば、お母さんが夕食はカレーだって言っていたから、お昼はカレーを食べたかったけど、カツ丼にした。ところが夕食は、カツ丼だった。どう思う?

サトシ:ショックですね。

ヒロ:まあ、ショックって程でもないと思うけど、最初からカツ丼と言ってくれーって思いますよね。

サトシ:はい。

ヒロ:これは信じていたものに裏切られたってことだけど、こんなのなら裏切られても、苦しみは小さいですよね。

サトシ:そうですね。

ヒロ:じゃあ、今日は僕の誕生日。お父さん、お母さんから、何かもらっていましたか?

サトシ:はい。一応。

ヒロ:今年は何をくれるかな?って期待していたのに、朝から誰も話題にしない…。きっと夕食のときだなって待っていると、お母さんはダンスに行って、お父さんは残業。そしたら、さっさと寝れる?

サトシ:いえ、寝れませんね。

ヒロ:で、夜遅くまで、帰ってくるのを待っていたら、「まだ起きてたの。早く寝なさい。」って言われたら、どう?

サトシ:寂しいですね。

ヒロ:つまり、信じていた気持ちが大きいほど、裏切られたときのショックも大きくなるんですね。

サトシ:はい。

ヒロ:もし1年間つきあっていた彼女から突然、「私たち、これで終わりにしましょ」って言われたら、苦しみはもっと大きくないですか?

サトシ:そうですね。

ヒロ:じゃあ、10年間信じてきた夫が、浮気をしていたと分かった奥さんは?

サトシ:もっと苦しいですね。

ヒロ:じゃあ30年間、会社のためにと、一筋に尽くしてきた会社をリストラされたら?

サトシ:悲惨ですね。

ヒロ:結局、信じるということは、そういうものに、お金とか、時間とか体力とか、すべてをつぎ込んでいるんですよね。だから、信じている時間が長いほど、裏切られたショックも大きくなるわけです。

サトシ:はい。

ヒロ:じゃあ、一生かけて求めてきたものに裏切られたら、どうなりますか?

サトシ:それは大変ですね。

ヒロ:だけど死んでゆくときは、生涯かけて求めてきた全てに裏切られるんです。しかも、求めれば求めるほど、裏切られたショックも大きくなるでしょ。そんなものを、あくせくと求めていったら、あくせくした分、どうなりますか?

サトシ:苦しみが大きくなるということですか?

ヒロ:そういうことです。裏切られたときの苦しみを増やしてるだけなんですね。だから人生って、理屈から言えば、自爆するための爆弾を大切に抱えながら、せっせと火薬を増やして威力を大きくしているようなものですよ。

サトシ:はあ…。

ヒロ:しかも、いつそれが爆発するか、全く分からないわけです。

サトシ:何か、恐ろしいですね…。

ヒロ:だから、本当は、裏切られると分かっていたら、求めることはできないはずなんですね。

サトシ:そうですね。

ヒロ:だけど、私たちは裏切られると頭では知っていながら、一生懸命、求めているんです。つまり、最後は悲劇になると知っていながら、その苦しみを大きくするために、必死に苦労していることになりますよね。これって驚くべきことじゃないですか?

サトシ:確かにそうですね。

ヒロ:でも、平気でしょ。

サトシ:はい。

ヒロ:というより、こういう話を聞いても、「どこがいけないんだ」って思いませんか?

サトシ:思いますね。

ヒロ:そうやって、またせっせと爆弾の火薬を増やし始めるんですよ。つまり、聞いて分かっているはずなのに、何も変わらない。

サトシ:はい。

ヒロ:だけど、暴落すると思ったら、そんな株は買わないし、自分を裏切るかも知れないと思う人とは結婚できないでしょ。もし、家が火事になったら、と思って保険に入るんだし、みんな信じているものに裏切られたら大変だと思いますよね。

サトシ:はい。

ヒロ:だけど、死ぬときには全てに裏切られるんですよね?

サトシ:はい。

ヒロ:それなのに、なぜその死に対しては平気でいられるのかな?

サトシ:なぜ…ですかね。

ヒロ:なぜって言われても困りますよね。だけど、何かおかしいっていうことは分かりますか?

サトシ:確かにおかしいですね。

ヒロ:そう。冷静に考えると、おかしいことなんですけど、おかしいと思えない。それどころか、裏切られるものを求めていることが当たり前だと思っているんですよ。

サトシ:そうですね。

ヒロ:しかも、そう聞いても全然驚かない。

サトシ:うーん…。

ヒロ:そうやって、おかしいと思えないからいいんだと、簡単に心で片付けてしまう。そのまま時が過ぎて、やがて臨終が来て、爆弾が爆発するんですね。そうなってはじめて驚いても遅いでしょ。だからまず、なぜ、おかしいと思えないのか。そこが疑問にならないと、始まりませんよね?

サトシ:はい。

ヒロ:じゃあ、なぜ私たちは、裏切られるものは求められないはずなのに、いつか全てに裏切られると知っていながら、平気で求めているのでしょうか?

サトシ:うーん。分かりません。

ヒロ:結論から言えば、絶対に自分が死ぬとは思えないからなんです。

サトシ:そうなんですか?

ヒロ:こう聞くと、「いや、僕だっていつか死なねばならないことぐらい、分かってますよ」と、思うかも知れないけど、その当たり前のように思っていることが、本当に分かっていると言えますか?

サトシ:でも、いつかは死ぬと思っていますよ。

ヒロ:確かに、そんなことくらい、当然分かっているはずですよね。だけど、トルストイも最初に書いているでしょ。
「こんなことがよくも当初のおいて理解できずにいられたものだ、とただそれに呆れるばかりだった。こんなことはいずれもとうの昔から誰にでも分かりきった話ではないか」

つまり、誰でも自分がいつか死ぬことは分かっているはずなのに、それが理解できていなかった、って驚いているんですね。

サトシ:はあ…。

ヒロ:ということは、頭では分かっていたのに、それを自分の問題として、考えることができなかったということですね。じゃあ、私たちはなぜ自分の問題として考えられないのでしょうか?

サトシ:なぜなんですか?

ヒロ:それは、本当に自分が死ぬと思ったら、怖ろしくて耐えられないからなんです。つまり、私たちは死に対して底知れぬほどの不安を抱えている。これを、ティリッヒというドイツの哲学者は、「人間は一瞬たりとも死そのものの『はだかの不安』には耐えられない」って書いているんですね。

サトシ:ふーん。

ヒロ:だから、誰も本当に死を自分の問題として考えることができないんです。もし本当に、自分が今死ぬと思ったら、怖ろしさの余り、頭がおかしくなってしまうでしょう。だから、その不安が見えないように目隠しをしないと生きてゆけないんですね。その目隠しのために、絶対に自分が死ぬとは思えないんです。

サトシ:はあ…。

ヒロ:しかも、自分が目隠しをしていることにも気づいていない。だから、死に対してそんな怖ろしい不安を抱えていることにも気づかないんですね。それで、平気でいられるんです。

サトシ:そうなんですか。

ヒロ:パスカルという哲学者は、「われわれは断崖が見えないように、何か目隠しをして平気でそのなかへ飛びこむ」と言っています。私たちは目隠しをしているから、死という断崖が見えない。だから、死へ向かっているのに平気なんですね。

サトシ:なるほど…。

ヒロ:それで臨終まで、本当に自分が死ぬとは思えないんです。だけど、思えるとか、思えないとは関係なく、死はやってくるんですね。ところが私たちはその瞬間まで、まだまだ大丈夫と安心しているんです。そんな私に突然、死が襲いかかってくる。そのときになって、はじめて目隠しが、はぎ取られるんですね。

サトシ:はい。

ヒロ:じゃあ、取れたらどうなるか。今まで目隠しをしていたから平気でいたけど、いざ取れたら大変。それまで怖ろしくて見ることができなかった大変な不安が襲いかかって来るわけです。

その不安というのが、「死んだらどうなるか」。未知の世界へ入って行く底知れぬ不安なんです。これを「無明の闇」というんですね。

サトシ:「無明の闇」ですか?

ヒロ:そう。この無明の闇が苦しみの根元だと、前回お話ししましたけど、私たちにとってこれ以上深刻な苦しみはないんです。だから、この不安を目隠しして見えないようにしていないと、生きてゆけないんですよ。

サトシ:はあ…。

ヒロ:それで、目隠しが取れるまで、無明の闇は絶対に分からない。だから死ぬまで、そんな恐ろしい闇の心があることに気付かないまま、安心して臨終を迎えてしまうんです。

サトシ:うーん。恐ろしいことですね。

ヒロ:そこで問題なのは、私たちがその目隠しをしていることさえも気付いてないことなんですね。

サトシ:はい。

ヒロ:私たちは、死があまりにも不安だから、目隠しして見ないようにしているだけなのに、その自覚がないから、「いつか死ぬことぐらい分かってるよ。」と思って、全然問題にならないんですね。そして、そのまま臨終が来てしまうんです。

サトシ:確かに、そう思ってますね。

ヒロ:だから、こう聞いていても、君も、死んでゆくのは仕方ない、くらいに思って、流してしまうでしょ?

サトシ:そうですね…。

ヒロ:そうやって本当に死がやってくるまで、何の準備もしないまま、臨終に突っ込んでゆけるんです。

サトシ:うーん。

ヒロ:結局、仕方ないと思えるのも、目隠しをしていることさえも気づいてないからであって、目隠しをしていることに気づいたら、もうそんなことは言えませんよ。

サトシ:どうしてですか?

ヒロ:もし、目隠しをしていることに気づいたら、やがて目隠しが取れるときが来ることも分かるでしょ。

サトシ:はい。

ヒロ:それが分かると、もう「死んだら死んだとき」とは言えません。嫌でも死について考えざるをえないから、そのときは、身の震えるような不安や恐怖が襲ってくるんですね。でも、そんな不安な状態では生きてゆけないでしょ。

サトシ:そうですね。

ヒロ:だから、何とか考えないようにと、趣味や生き甲斐に没頭して、死は来るかもしれないけど、まだまだ先のことだと心を落ち着かせるんです。でも、これって結局、問題の先送りですよね。

サトシ:はい。

ヒロ:ちょうど譬えるなら、借金を抱えた人が、その不安を忘れようとして酒を飲んでいるようなものなんですね。酔っ払っている間だけは、楽しく騒いでいられるけど、酔いがさめると、また不安になってくる。だから、また飲まずにおれなくなって、のめり込んでいくんです。

サトシ:うーん。

ヒロ:同じように、私たちの根底には死に対する不安があるから、何か生き甲斐や趣味に没頭して、誤魔化さなくては生きてはゆけないんですよ。

サトシ:なるほど。

ヒロ:しかも、このままでは、誤魔化してるって分かっているのに、やめられないんですね。

サトシ:え、どうしてですか?

ヒロ:だって、死を考えたら身の震えるような不安が襲ってくるでしょ。だから、分かっていても、誤魔化すしかないんです。だけど、誤魔化していることが分かっているから、ちっとも楽しくないですよね。それでも、誤魔化さずには生きてゆけないから、必死に誤魔化す。

サトシ:そうなんですか。

ヒロ:だけど、そんな目隠しに気づいている人なんて、ほんのわずかなんです。殆どの人は、目隠ししていることにさえも気づいていない。だから自分が死の不安を誤魔化すために、趣味や生き甲斐を求めているという自覚もなくて、これこそ幸せだと勘違いして、必死に求めているんですね。

サトシ:はあ…。

ヒロ:そうやって、自分のやっていることが誤魔化しだと分からないまま、安心して臨終を迎えます。でも、その時になってはじめて、自分のやってきたことが誤魔化しだったと分かって、「いったい俺は何のために生きてきたんだ」って、後悔しなければならないんですね。

サトシ:なんか悲惨ですね。

ヒロ:結局、私たちのやっていることは、目の前のことに没頭することによって、死を考えることを先送りにしているだけでしょう。だから、いつまで経っても、問題の解決にはならない。そして、最後には誤魔化しきれなくなる時が来るんです。

サトシ:はい…。

ヒロ:そのことを、トルストイは、「生に酔いしれている間だけは生きても行けよう、が、さめてみれば、これらの一切がごまかしであり、それも愚かしいごまかしであることに気づかぬわけにはいかないはずだ」と書いているんですね。

サトシ:なるほど。

ヒロ:さっきの資料に出てきた、ガン患者や死刑囚の不安といっても、やがて死んでゆかねばならないという不安であって、本当に死んでゆくときの不安じゃないですよね。

サトシ:そうですね。

ヒロ:死刑囚でさえ、気が狂う人がたくさんいるんですよ。だから、死そのものの不安が分かったら、もう、その瞬間に生きてゆけない。だから、目隠しの取れた本当の恐怖は臨終まで分からないから、安心して下さいね。

サトシ:…はい。

ヒロ:だけど、このまま行ったら、どうなりますか?

サトシ:どうなるんでしょうか?

ヒロ:もちろん目隠ししているから、今は安心しているけど、結局、目隠しにも気づかないまま、何の解決も出来ずに死んでしまうんですね。

サトシ:えっ、それじゃあ困りませんか?

ヒロ:だけど、こう言われても、やっぱり自分が死ぬとは思えないし、今は大変だと思っていても、この話が終わって家に帰ったら、すっかり忘れて目先のことに没頭するでしょ?

サトシ:そうですけど…。じゃあ、どうしたらいいんですか?

ヒロ:それが大事なところですよね。だけど、今日は長くなりましたから、続きは今度にします。

 

死と太陽は直視することは不可能である。

ラ・ロシュフーコー

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