| ヒロ:前回は、私たちが生きていく上で、まず「人生の目的」を、最初に知らねばならないということを話しましたけど、ここまではいいですか?
サトシ:はい。大丈夫です。
ヒロ:では、話を続けますね。
サトシ:宜しくお願いします。
ヒロ:「私たちは何のために生きているのか」というと、難しそうに考えがちですけど、一言で言ってしまえば、全ての人は幸せを求めて生きているって言えませんか?
サトシ:そうですね。
ヒロ:例えば、「お金が欲しい」という人は、「お金があれば幸せになれる」と思っているわけです。「出世したい」と思っている人は、「出世すれば幸せになれる」と思っている。「結婚したい」という人は、「この人と一緒になれば、幸せになれる」と思っているんですよね。
サトシ:はい。
ヒロ:では、私たちは「幸せになりたい」と思って生きているわけですが、実際に幸せになっていますか?
例えば60年生きた人は、20年生きた人の3倍、幸せを求めてきたわけですから、当然その分、幸せになっていてもおかしくないですよね。
サトシ:でも、実際はなっていませんよね。
ヒロ:そうなんですね。じゃあ、どうして幸せになっていないのか、考えてみたいと思います。
サトシ:はい。
ヒロ:今、一番、経済的に発展している国はどこだと思いますか?
サトシ:中国ですか?
ヒロ:そうです。よく勉強していますね。GDP(国内総生産)は年10パーセントの伸び率で、世界4番目の経済大国になったそうです。
サトシ:そうなんですか。
ヒロ:豊かな生活ができるようになれば、幸せになれる。こう信じて、一生懸命に頑張っているわけですね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:じゃあ、経済が発展して、豊かな生活が出来るようになれば、本当に幸せになれますか?
サトシ:まあ、なれそうな気もしますけど…
ヒロ:ところが、その豊かな生活を実現している日本はどうでしょう。これは「日本村100人の仲間たち」と言って、何年か前にベストセラーになっていた本ですけど、ちょっと読んでみて下さい。
(資料8)
日本村の人たちは、あかんぼうを除いて、全員が文字を読めます。この村では、あたりまえのことですが、外の村では、あたりまえのことではありません。
アフガニスタン村では7割が、モロッコ村では、6割の人が、字が読めないのです。
日本村は、世界有数のお金持ちですから、当然、子どももお金持ちです。1年間に、おこづかいやお年玉を、7万7000円もらいます。
ところが外には貧しい村もたくさんあって、エチオピア村では、大人が1年間に稼ぐお金が、たったの、1万2000円なのです。
日本村の子どもたちは、毎日、1個か2個のケーキを食べています。1年間、ずっと食べ続けているのです。
インドネシア村の子どもたちは1ヶ月に1個です。なかには、それさえも食べられない子どもがいます。
村人は新しい電気のオモチャが出ると、すぐに飛びつきます。家のなかは、生活を豊かにする、たくさんの電化製品であふれかえっています。
カラーテレビは99人の家にあります。洗濯機は99人。冷蔵庫は98人。エアコンは86人。乗用車は85人。カメラは83人が持っています。
携帯電話は75人。パソコンは50人。
それから、ドラえもんのマンガ本と、ピカチュウのぬいぐるみと、ドラクエのゲームソフトと、これでもか、これでもかと、ありとあらゆるものを持っています。
こんなに恵まれているのに、日本村では年々、若い人たちの自殺が急増しています。25〜39歳の死因のトップは、自殺です。
そして、世界で7番目に自殺の多い村になってしまいました。
自殺が一番少ない村は、北極にあるイヌイット村でした。
今までは、本当に0人だったのに、文明が入ってきたとたん、自殺する人が出てきたのです。
「豊かになる」ということは、いったい、どういうことなのでしょうか?お金や便利な機械は、人間を幸せにしてくれるのではないのでしょうか?たくさんのお金やモノがある国なのに、なぜ、おおぜいの村人たちが、不幸になってしまうのでしょうか?
村では、「ただ何となく不満」という人たちが増えています。4割の人がそう思っています。かといって、その原因を聞いても、本当に何が不満というわけでもないのです。
村人の生活のなかで、「悩みや不安を感じている」人は、65人います。男女とも40代、50代が多くなっています。
その悩みの内容は、「老後の生活」「自分や家族の健康」「収入や資産について」などです。
長生きすればするほど、体の健康が気にかかり、お金があればあるほど、今の快適な生活ができなくなるのではないかと、不安で不安でしようがないのです。
村人は、とても「勤勉」で「誠実」な性格だったので、「労働」と「貯蓄」に励み、ついに、「長寿」と「富」の両方を手に入れました。
こんなことは、人類がはじまって以来のことです。村人たちの仲間意識が、村人すべてを幸せにしたのです。
村中の人たちが、だれもが幸せになれるなんて、かつて一度もなかったことです。
この村は、「安全」で、「衛生的」で、何から何まで、あらゆることが「平等」です。日本村は、究極の村として完成された村なのです。
しかし、なぜ、完ぺきな村が、悩みや不安でいっぱいになるのでしょうか?
飢えず、渇かず、戦争で死ぬ危険のない社会では、うつ病や自殺が増えます。
21世紀は、精神性の時代です。
日本村は、今、より高い次元の村に移るために、悩み、苦しみ、迷路のなかをさまよっているのです。
日本文芸社「日本村100人の仲間たち」(吉田浩 著、浜美登里)
ヒロ:日本も、戦争に負けたときは貧しかったんですが、アメリカみたいに豊かになれば幸せになれると信じて、みんなで60年間、一生懸命に働いてきたわけです。それで、ようやく今のような豊かな生活が手に入ったんですね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:他の国から見たら、うらやまれる生活をしているんですけど、じゃあ、けさ起きてから今まで、「日本に生まれて良かった」って何回くらい思いましたか?
サトシ:うーん、無いですね。
ヒロ:「日本に生まれて幸せだ」って実感はありますか?
サトシ:実感は無いです。
ヒロ:これだけ豊かになったのに、幸福だって実感が無いんですね。こんな資料があります。

ヒロ:日本の実質GDPは約30年で6倍になりました。ところが、その生活に満足しているか調査してみると、まったく変わっていないという結果が出たんです。
サトシ:見事に横ばいですね…
ヒロ:世界で7番目に自殺の多い国になってしまったと書いてありましたが、幸福だと思ったら自殺しないですよね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:じゃあ、戦後何十年もの苦労は何のためだったんですかね?
サトシ:うーん。何のためでしょう?
ヒロ:もちろん、幸せになるための苦労だったんですよね。決して物質的に恵まれたらそれでいいとは、誰も思っていなかったと思いますよ。
サトシ:そうですね。
ヒロ:でも、そうやって頑張って頑張って、日本人は働きアリだなんて言われるほど働いて、今のような経済大国になったのに、それで幸せになれたかというと、全然幸せを感じていない。それどころか、変わったのは、自殺する人が増えたことぐらいじゃないですか?
サトシ:はい。
ヒロ:じゃあ、いったい何のために頑張ってきたんでしょう。前回の話でいえば、幸せという宝を求めて求めて、ここまで来たけど、そこには何も無かったでは、今まで求めてきた苦労は結局、無駄だったということになりませんか?
サトシ:そうですね。
ヒロ:こういうことを、仏典に「有無同然」と書かれています。この言葉は知っていますか?
サトシ:知りません。
ヒロ:これは釈迦の言葉ですが、お釈迦様は分かりますか?
サトシ:はい、一応。
ヒロ:いつ頃の人ですか?
サトシ:…忘れました。
ヒロ:約2600年前、インドで活躍された方です。だからこの言葉は、そんな昔の、インドの人が教えた言葉なんですけど、非常に意味が深いんですね。
サトシ:どういう意味ですか?
ヒロ:「有無」とは、お金とか、地位とか、恋人とか、こういうものがあれば幸せになれると思っているものが、「有っても」、「無くても」、ということです。
「同然」とは「同じ」ということです。つまり、有っても無くても同じなんだということです。
サトシ:でも、やっぱり、「有る」方がいいんじゃないですか?
ヒロ:うん、そうですよね。やっぱり無いよりも有った方が幸せとしか思えませんよね。
そこで1つ、オリンピックを例に考えてみたいと思うんだけど、前回のトリノオリンピックは日本は今ひとつでしたね。
サトシ:そうでしたね。
ヒロ:なかなかメダルって取れないよね。だけど、だいぶん前になるけど、わずか14歳で金メダルを取った人がいるんです。岩崎恭子さんという人、知っていますか?
サトシ:うーん。知りません。
ヒロ:平成4年のバルセロナオリンピックで、当時中学2年生だった岩崎恭子さんが、水泳の平泳ぎで金メダルを取ったんです。
サトシ:すごいですね。
ヒロ:その時は、「今まで生きてきた中で、一番幸せです」と言っていたんですが、ところがその後、水泳をやめてしまいました。
サトシ:えっ、どうしてですか?
ヒロ:そのことについて、書かれている本があったので、読んでみたいと思います。
(資料10)
静岡県沼津市に帰ると、見送りの時はわずか20人だったものが5万人になっていた。紙吹雪の舞うパレードのなか、恭子さんは微笑んではいるものの、戸惑いと表情の堅さはとれない。それも無理はないだろう。いままで自分が生まれ育ってきた町がまるで違うように見える。華やかな紙吹雪は厳しい試練を暗示する本当の吹雪のようだ。撤退することはできない、ただ進むのみだ。
「今まで生きてきたなかで一番しあわせです」
あの言葉だけが先走っていたし、あんなことをいわなければよかったと後悔した。
(中略)
日常生活は変わらなかったが、さまざまな問題も起き始めた。たとえば嫌がらせの電話や見知らぬひとにつきまとわれたことも少なくなかった。いまでいうストーカーだ。
電話のなかには聞くに耐えないようなひどいものもあった。自衛策として新たに電話を引き、古い電話番号は留守番電話にした。その内容は本人にはけっして聞かせなかったし、あまりにひどい場合には警察に届けたこともあった、ストーカー的な行為は自宅、学校、スイミングスクールなど場所を問わなかった。
(中略)
変化したのは生活や環境だけではなかった。むしろ深刻だったのは水泳だった。
喧騒に明け暮れたオリンピックの年が終わり、新たなシーズンが始まった。しかし、恭子さんの成績は芳しくなかった。日本新記録のつぎは世界新記録へ。頂点への期待が高まっていたが、4月の日本室内選手権は6位に終わり、5月の東アジア競技大会では3位という成績に甘んじる。競泳者としての自信そのものが揺らぐ。
(中略)
何で私はこんな目にあわなきゃいけないのかな。
そんな思いは中学校を卒業し、高校に入学してからも変わらなかった。反動は金メダルへの嫌悪につながった。メダルは自宅に飾られることなく、金庫にしまわれていた。本人は見たこともなかったし、見たいとも思わなかった。
取材やイベントに招待された時も、金メダルを持参してほしいといわれるのが一番嫌だった。静岡県の水泳連盟が主催する表彰式でのこと。出席に際してメダルの持参を依頼されたが、絶対に持っていきたくないと言い張った。それというのも、県内からオリンピックに参加した水泳選手がもうひとりいたからだ。当然、注目は自分に集まる。ふたりしかいない水泳選手のなかで自分だけが目立つことを避けたかったのだ。
金メダルなんかとらなければよかった──。そう思うようにすらなり、競泳者としての気持ちは確実に衰えていた。
(中略)
それでも恭子さんは水泳を続けた。だが、オリンピックから2年後の1994年にはアジア大会、世界選手権のいずれも代表選考から落ちた。それでも周囲はほっておいてはくれない。どんなに成績が悪かろうと、恭子さんの記事は競技結果とともに伝えられた。競泳の岩崎選手ではなく、あくまでも「恭子ちゃん」として。
6月の日本選手権でのこと。3位に終わり、代表から洩れたことを知って恭子さんは泣いた。しかし、表彰台では泣き顔を見られまいとして涙をぬぐい、笑顔でフラッシュを浴びた。傍らに真知子さんはいた。
(中略)
それでも恭子さんは泳ぐことをやめなかった。その理由について本人は、何より見放されるのが怖かったからという。もしそこで水泳をやめたら周囲から見向きもされなくなり、忘れ去られてしまうという恐怖。それは頂点を極めたものなら誰もが思い描くことなのかもしれない。しかし、その絶望の縁をゆくには恭子さんは幼すぎたと思う。
ミキハウス「岩崎恭子 母と娘が見つけたほんとうの金メダル」
(柴田 充 著)
ヒロ:君なら、どれくらい練習したら金メダル取れますか?
サトシ:一生、ムリです。
ヒロ:岩崎さんは、相当練習したそうですね。小学校の頃から毎日スイミングに通っていて、テレビを見る時間もないから、友達との会話についてゆけなかったそうです。
サトシ:そうなんですか。
ヒロ:オリンピックが近くなると、とにかく練習がきつくて、泣きながら泳いでたってインタビューに答えていました。
サトシ:やっぱり大変ですよね。
ヒロ:でも、そうやって努力して金メダルを取ったのに、結局、「金メダルなんかとらなければよかった」ということになってしまったんですね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:だけど、ここで考えて欲しいことは、どうしてこういうような結果に終わってしまったのか、ということなんです。
サトシ:はい。
ヒロ:岩崎さんが頑張って練習してきたのは、オリンピックでいい記録を出せれば今までの苦労が報われる。そう信じて、遊びたいのも我慢して、必死に厳しい練習にも耐えてきたんでしょ。
サトシ:はい。
ヒロ:だから、金メダルを取ったときに「1番幸せです」って言ったんじゃないかな?
サトシ:そうですね。
ヒロ:だけど、金メダルをとって初めて分かった。そこに待っていたのは、すぐに消え去る喜びと、今までに味わったことのない苦しみだったんですね。
サトシ:はい。
ヒロ:じゃあ、岩崎さんは一体、何のためにこんな苦労をしてきたんでしょうね?
サトシ:うーん。でも、金メダルを取れたんだから、それはそれで良かったんじゃないですか?
ヒロ:確かに、金メダルを取るために頑張ってきたのかも知れない。だけど、岩崎さんが本当に求めていたものは、金メダルではないんです。
サトシ:え、金メダルじゃないとしたら、何なんですか?
ヒロ:これはさっきも言ったことですが、岩崎さんが本当に欲しかったのは、「幸せ」じゃないですか?オリンピックで良い記録が出せれば、満足できる。幸せになれると信じて頑張ってきたんでしょう。
サトシ:そうですね。
ヒロ:ところが金メダルは取ったけど、望んでいた幸せは、そこには無かったんですね。あるのは苦しみばかり。
サトシ:かわいそうですね。
ヒロ:そうですよ。じゃあ一体、何のために岩崎さんは苦労してきたのでしょう。
サトシ:はあ。
ヒロ:やっぱり、金メダルを取れたんだから、それで良かった。
サトシ:そうは言えないですね…
ヒロ:そうですね。くり返しになりますけど、岩崎さんが求めていたものは、金メダルではなかった。幸せだったんですね。
サトシ:はい。
ヒロ:その幸せが手に入ると信じていたからこそ、頑張ってきたんでしょう。
サトシ:そうですね。
ヒロ:じゃあ、ですね。せっかく金メダルを手に入れたのに、幸せは無かった。待っていたのは苦しみだけだったとしたら、一体、岩崎さんの努力は何だったのでしょう?
サトシ:うーん。まあ、それでも、金メダルを取れたこと自体は良かったんじゃないですか?
ヒロ:いやいや、そうではなくて。岩崎さんが本当に欲しかったのは、金メダルではなくて、幸せなんですよね。それが待ってると思って頑張ってきたんでしょう。だけど、そこには幸せが無かったんです。
じゃあ、今までの努力は、一体どうなるんですか?
サトシ:ということは、無駄になったということですか?
ヒロ:そう。無駄ですよね。一生懸命努力してきたのは、幸せになるためなんですから。ここで間違ってはいけないことは、あくまでも、求めていたものが手に入ってこそ、それまでの努力が本当に報われたと言えるということなんです。
サトシ:はい。
ヒロ:だから、岩崎さんの努力も、あくまで幸せになるための努力であって、金メダルというのはその1つの手段なんです。
サトシ:金メダルが手段なんですか。
ヒロ:そう。金メダルは手段ですよね。だから、それで幸せになれてこそ、それまで頑張ってきた甲斐があるんでしょ。だけど、金メダルを取っても、そこに幸せがなかったら、その苦労は全部無駄じゃないですか。
サトシ:うーん。
ヒロ:でも、無駄になってしまったと思えますか?
サトシ:そうは思えません。
ヒロ:思えませんよね。というより、思えるはずがないんです。だって、それまで苦労してきましたからね。だから、これは自分が成長するためのステップだとか、さらなる飛躍のためだとか、いろいろ理由をつけて、自分を納得させようとするんですね。そして、次こそは、幸せが待っていると思うしかないでしょう。
サトシ:そうですね。
ヒロ:だけど、その結果、どういうことになるのか。
サトシ:はあ。
ヒロ:これについては、もう一つ、別の資料を通してお話したいと思います。これはボクシングの世界チャンピオンだった鬼塚勝也選手の記事ですけど、一度、読んでみて下さい。
(資料11)
少年のころ、世界チャンピオンはスーパーマンみたいな存在やと思ってきた。俺にとっては神様に近い存在ですよね。凡人の俺が、そんな凄い場所に辿りつくことができたら、いったいどんな凄い人間になれるんだろう。そのことだけを励みにここまでやってきました。
しかし、試合に勝ってはみたものの、あるはずのものが何もないんです。
「エッ、何なのこれ? なんで、何もないんや?」「いや、次勝てばきっと何かが得られる」そう信じて、次から次へと試合を積み重ねていきました。だけど何も残らない。
試合が終わった夜は、生き残れた実感と自分が探し求めたものが何もなかったという寂しさで発狂しそうになりました、俺は常に素直に飛び跳ねる自分でおりたいのに、充足感がないから、「何でや?」という思いばかりが虚しく深まっていく。最後の試合までずっとその繰り返しでした。
(『週刊文春』平成6年11月)
ヒロ:ボクシングで世界チャンピオンになるのは、半端なことではありません。地獄のようなトレーニングにも耐えたのは、「何かが得られる」と思ったからじゃないですか?
サトシ:そうですね。
ヒロ:ところが、実際には何も無かったわけです。つまり、この間の宝探しの話で言えば、必死に掘ったけど、そこには何もなかったということに当たるのではないですか?
サトシ:そうですね。
ヒロ:では、こうやってトレーニングしてきたことが、結局、無駄に終わってしまったことになりますけど、鬼塚選手はそう思えますかね?
サトシ:うーん。そうは思えないと思います。
ヒロ:だから、「次こそ勝てば、何かが得られる。」つまり、今までの苦労も報われると思って、頑張ったんですね。でも、そうやって勝っても、やはり何もない。
それでも、苦労が無駄になったとは思えないから、さらに次勝てば、次勝てばと、試合を重ねていったんですね。だけど最後まで、求めていたものが得られなかったんです。
サトシ:はい。
ヒロ:じゃあ、この鬼塚選手の苦労って何だったんでしょう?
サトシ:全部、無駄だったということですか?
ヒロ:そうですね。求めていたものが得られなかったのだから、この苦労は全部無駄に終わってしまったわけですよ。だけど、ここで問題なのは、鬼塚選手がこれを精も根も尽き果てるまで繰り返したってことなんです。
つまり宝探しの話で言えば、最後まで自分の間違いに気づかない。いや、もしかしたら、今でも自分が間違っていたとは認められないんじゃないですかね。
サトシ:そうかも知れないですね。
ヒロ:ここで気づいて欲しいことは、これは鬼塚選手だけのことじゃないってことなんです。大なり小なり、みんな、一生懸命に生きてゆけば幸せになれると信じています。というか、そう思えばこそ、生きていられると言った方がいいかも知れませんね。
だけど、目の前の苦しみを乗り越えていったその先に、果たして本当に、自分の納得できる結果があるのか考えて欲しいんです。
サトシ:はい。
ヒロ:人生って、「幸せ」という宝物を探す旅みたいなものでしょう。いつかその宝物が見つかると、みんな信じている。だから、苦しいことにも耐えて、頑張っていけるんじゃないですか?
だけど、そうやって頑張った先に、鬼塚選手のように何も無かったでは虚しいですよね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:ところが実際には、このように感じている人が多いんです。これを読んでみて下さい。
(資料12)
それなりには楽しいし、充実もしている。
けれど、やはりそれなりにはつまらない。
そんな人生が、ただどこまでもくり返されていく。
昨日も、今日も明日も……。
それがずっと続いていって、私の一度きりの人生は終わってしまうのだろうか。
そんなふうに考えると、「これでいいのか」「人生ってこんなものなのか」と、ぼんやり不安を感じることがある。
あるべき「何か」が欠けている気がする。
けれど、それが何なのかよくわからない……。
どうだろう。まったく思い当たることがないなんていう人は、まずいないのではないだろうか。
あなたが学生であれば、放課後何もすることがなくて、夕方、部屋でひとりぼんやりしているその時。
あなたがサラリーマンやOLであれば、仕事が終わり、疲れた体を通勤電車に揺られながら、ふとため息をつくその時。
あなたが主婦であれば、家事や育児に追われた後で、束の間の休息をとっているその時。
そんな時、忙しく充実した毎日を送っているはずのあなたの心に、なぜか時折ぽっかりと空白が訪れる。そして次のようなつぶやきがもらされる。
「私の(僕の)人生ってこんなものなのかな」
「このままずっと続いていって、それで終わってしまうのだろうか」
「こんな毎日のくり返しに、いったいどんな意味があるというんだろう」
講談社現代新書「<むなしさ>の心理学」(諸富祥彦 著)
サトシ:読みましたけど、どうしてこれが、一生懸命頑張っているのに何も無い、と感じていることになるんですか?
ヒロ:そうですね。ここに、「忙しく充実した毎日を送っているはずのあなた」とあるでしょう?
サトシ:はい。
ヒロ:つまり筆者は、「あなたは毎日ダラダラと、怠けて暮らしているのではないですよね。やっぱり、一日一日を大切に、忙しく充実した生活を送っているのではありませんか?」と書いているんですね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:ということは、忙しいということは、それだけ時間を大切にして、一生懸命頑張っていることになりませんか?
サトシ:そうですね。ダラダラしていたら、忙しいとは言いませんよね。
ヒロ:そう、だから、忙しく頑張っていることが、そのまま充実した毎日を送ることになると思っている人に、このように書いていることが分かりますか?
サトシ:はい、分かります。
ヒロ:ここでは、そんな人は毎日忙しいのだから、充実した毎日を送っているはずなのに、なぜか、こんな心が起きている人が多いと書いてあるんですね。
それが、
「私の(僕の)人生ってこんなものなのかな」
「このままずっと続いていって、それで終わってしまうのだろうか」
「こんな毎日のくり返しに、いったいどんな意味があるというんだろう」
ということなんですね。
サトシ:はい。
ヒロ:毎日忙しく頑張っているのだから、それで幸せじゃないかと思いますけども、実際は心の中に、こんな虚しさがあるんです。
サトシ:そうですね。
ヒロ:しかも、こう感じている人は、ぐうたらな生活を送っている人じゃないんですね。忙しく頑張っている人が感じている、ということを筆者は言っているわけです。
サトシ:なるほど…
ヒロ:ここで分かってほしいことは、さっき鬼塚選手の例を話しましたけど、これは鬼塚選手だけじゃなくて、みんなが感じていることなんだということです。
サトシ:はあ。
ヒロ:一生懸命頑張っているのに、求めている幸せが手に入らないことほど、悲しいことはないですよね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:だから、以前に話をした、「超」整理法の筆者が書いていたように、まず「人生の目的」を知らなければならないんですね。
確かに「人生の目的」を知らなくても生きてゆけますよ。だけど、それは宝の場所を知らずに宝を掘り出すようなもので、いくら掘っても宝は出てきません。必死に掘り起こした苦労が残るだけです。
せっかく一度しかない人生、こんな風に終わらせたくないでしょう?
サトシ:はい。
ヒロ:では、なぜ、鬼塚選手は一生懸命頑張ったのに、幸せになれなかったのか。その原因を知らなければなりませんね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:例えば、今年、こうやって合格できたから良かったけど、もし、落ちていたら、また、受験勉強しなきゃいけないのかって嫌になっていたでしょ?
サトシ:はい。
ヒロ:やっぱり、僕も受験のときは大変だったけど、あの苦しみっていうか、不安はもう味わいたくない!って思いましたね。
サトシ:僕も思います。
ヒロ:だから、合格できて本当に良かったね。
サトシ:はい。有難うございます。
ヒロ:それで、そうやって受験で苦しんだのも、大学に入れば楽になれると思ったからでしょ?
サトシ:そうですね。
ヒロ:だけど大学に入っても、嫌なことはたくさんあるんですよ。まず、授業が分からない。分からないといっても、サボっていて分からないなら仕方ないけど、一生懸命授業を聞いていても、やっぱり分からないんです。
サトシ:え、そうなんですか?
ヒロ:大学の授業ってそんなもんです。教授の仕事は研究であって、教えることじゃないからね。高校とか予備校の先生みたいに、生徒に分かってもらおうと思って授業をしてくれるわけじゃないし。
サトシ:そんなもんなんですか…
ヒロ:だけど、しっかり試験はありますからね。留年する人も多い。
だから、僕も大学に入ったら、楽になれると思ったけど、実はそうじゃないですよ。やっぱり次々と嫌なことがやってきて、それに追われている人が多いんです。
サトシ:はあ。
ヒロ:これは大学だけじゃなくて、社会に出ても続くわけです。いや、社会に出てからの方がずっと多いって、卒業したヒロも言っていましたね。
サトシ:そうですか。
ヒロ:もし、私たちの人生を1本の木に譬えるなら、次から次へとやってくる嫌なこと、面倒なことや、様々な不安は、この木の枝に咲く、花のようなものなんです。
サトシ:はい。
ヒロ:目の前に苦しいことがやってきたら、どう思いますか?
サトシ:解決したいと思いますね。
ヒロ:そうですね。もっと苦しみを味わっていたいという人はいませんよね。だから、この苦しみを早く何とかしたいと思う。それはちょうど、この花の咲いている枝を、切り落とすようなものなんです。
サトシ:はい。
ヒロ:じゃあ、そうやって切り落としたら、もう花は咲きませんか?
サトシ:いえ、また、別の枝から花が咲きます。
ヒロ:そうですね。この枝を切っても、今までこの花を咲かせていた養分は別の枝に行って、また花を咲かせる。つまり、人生で言ったら、新しい苦しみがやってくるということです。
ちょうど、受験っていう花を切っても、やっぱり勉強という花が咲くように、次から次へと嫌なことってやってくるんですね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:だから、切っても切っても花が咲くように、苦しみを解決しても解決しても、また、新たな苦しみがやってくるんです。
ちょうど、モグラたたきをしているようなものですね。あれって、叩いても、叩いてもモグラが出てくるでしょ。あんな風に、苦しみの花は切っても、切っても、また花が咲く。結局、人生って、この繰り返しで終わってしまうんですね。
サトシ:そうなんですか。
ヒロ:だけどモグラたたきでも、夢中になっているときは、目の前のモグラしか見えないようなもので、私たちも目の前の苦しみしか見えない。その先、どうなるかは考えていないんです。だから、死ぬまで続ける。いや、死ぬまで気づかないんですね。
サトシ:はあ。
ヒロ:鬼塚選手の話なら、ボクサーとして力尽きるまで続けたように、人生でも、次から次へとやってくる苦しみを解決してゆくだけで、一生があっという間に終わってしまうんです。
サトシ:うーん。じゃあ、どうしたらいいんですか?
ヒロ:それは、この木で言うなら、根もとから切ってしまえばいいんです。つまり、人生で言えば、苦しみの根本的な原因を解決する。
それが、人生の目的の答え、ということになるんですね。
サトシ:なるほど。
ヒロ:この苦しみの根本的な原因のことを、「苦しみの根元」と言います。だからまず、この苦しみの根元を知ることが大事なんです。
サトシ:じゃあ、苦しみの根元って何ですか?
ヒロ:そこが大事なところなんですけど。そこで、私たちの先哲がこのことについて、どのように考え、答えを出しているか。これについては、もう時間ですから、次回お話したいと思います。
次へ
|