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(資料1)
ヒロ:これは何だと思いますか?
サトシ:「わたしは何のために生きているのだろうか」ですか?
ヒロ:それは書いてある通りですけど、これは木藤亜也さんという女の子が30分もかけて書いたものです。
サトシ:その人は、どんな人なんですか?
ヒロ:木藤亜也さんは、体がどんどん動かなくなってゆくという脳の病気(脊髄小脳変性症)にかかってしまった人で、その闘病記が「1リットルの涙」という本になっています。
文庫本は200万部を超えてますし、ドラマや映画にもなっていますけど、聞いたことありますか?
サトシ:はい。それなら知っています。
ヒロ:亜也さんは中学3年生のとき、この病気になって、体の自由がだんだんと利かなくなってしまうんですね。そんな中でも、「人の役に立つ仕事がしたい」という思いが強くて、未来に希望を持って、人一倍、リハビリにも頑張っていたそうです。
サトシ:はい。
ヒロ:ところが病気が進行していって、自分で歩くこともできないし、うまく話すこともできない。そして、だんだんと字も書けなくなってゆき、自分で食べることさえもできなくなってしまうんです。
そんな自分が生きることに、どんな意味があるのか。そんな思いから、この言葉をお母さんに訴えたんですね。
(資料2)
しばらくして、亜也は私の方に顔を向けた。枕元のテーブルを指し、ノートとフェルトペンを求めた。このころは、鉛筆やボールペンで書くことができず、柔らかいフェルトペンを握りしめて書くのがやっとだった。
30分くらいかかって、大学ノート1ページにやっと書きとめると、きりっとした目を私に向け、ノートを差し出した。
必死で書いたのに乱れた文字だった。でも、はっきり判読できた。
「わたしは何のために生きているのだろうか」
亜也は、治るものと信じて数種類あるカプセルや散薬をオブラートに包んで服み、つらいリハビリにもなりふりかまわず頑張った。
体は不自由になったけれど、書くこと、見ること、聞くことはできる。ヘレン・ケラーだって三重苦を克服したんだ。失われた機能に未練をもつより残された能力を大切にしていこう。
しかし、食べさせてもらい、生かされているだけの人生。目標も生きがいもない。
受動形の人生に変わってしまうには若すぎる。自分には放つ光は何も残っていないのだろうか。
だったら、これからどう生きて行けばいいのか。いや生きている価値さえないのではないだろうか。
亜也の人生を総まとめにした言葉だった。
私も思っていた。
この子は病気で苦しむために生まれてきたのだろうか、と。
いや違う。そんなはずはない。
だけど、このままだったら一生懸命に勉強や苦手な運動をしてきたことが何一つ役に立つことなく終わってしまう。どんなに無念で悔しいことだろう。
生まれてきてよかった、生きていてよかったと思える、自分の存在価値を見つけてやらなければ、亜也は生きる気力をなくしてしまう。
それは何か。何があるのだろうか。
家族や周囲の者がどんなに優しくしても、亜也を大切な娘だといっても、それで喜びや感謝の気持ちをもつことはできるが、生きる目的にはつながらない。
幻冬舎文庫「いのちのハードル 『1リットルの涙』母の手記」
(木藤潮香 著)
ヒロ:それでお母さんは、亜也さんにも生きる意味があるのだと分かってほしくて、日記を本にして出版することを勧めたんです。
最初は恥ずかしいからって、渋っていたそうなんですけど、「日記を世の中に出すことが、社会に参加することになるんだ」と説得されて、出版することになったんですね。
サトシ:そうなんですか。
ヒロ:こうして「1リットルの涙」という本が、本屋に並んだのは、昭和61年のことでした。この本は当時もかなり話題になったので、たくさんの人から感想とか、励ましの手紙が届いたそうです。
では、それによって、亜也さんは生きる意味を感じられるようになったのでしょうか?
(資料3)
十数日かかって読み終えたが、しばらくは他の本を読んでほしいとはいわなかった。
そして、自分のこれまでの生き方を振り返ったのだろう、しばらくして亜也は、
「日記を本にしてくれたこと、ありがとう。自分なりによくここまで自滅しないできたと思う。わたしを支えてくれた人がいたから頑張れたのだと思う。読者からも温かい手紙をいただいた。今、本当に良かったと思う。しかし、まだ社会へ参加できたとは感じてないよ……」
文字盤を使って正直な気持ちを語った。
(中略)
「本が亜也に代わって社会に出て活躍している。本のおかげでいろいろな事が体験できたし、素晴らしい人にも会えた。温かい心や優しい気持ちにもふれることができた。感謝しなくてはいけないね」
私も亜也も素直に喜んでいた。
しかしその喜びは、明日に続く光ではない。そのことを亜也はよくわかっていた。
亜也は再び悩み始めていた。
「自分が何もできなくなった現実にぶつかっている。すごく行きづまりを感じる」(亜也・文字盤で)
「わたしは何のために生きているの」と私に質問した時のように、私は亜也の次の光をさがしださなければならなかった。重くのしかかる難題を亜也はまたもや母親の私にぶっつけ、心の救いを求めた。
幻冬舎文庫「いのちのハードル 『1リットルの涙』母の手記」
(木藤潮香 著)
ヒロ:この本が多くの人に生きる勇気を与えたことは間違いないでしょう。だから、そういう人たちにとっては、確かに意味があったのかも知れません。
だけど、亜也さん自身にとっては、一時的な明かりにしかならなかったということなんですね。
体の自由が利かなくなる、やがてこの世から消えてゆく。そういう現実を目の前にして、自分の人生にどんな意味があったのか。それは最後まで答えが見つからなかった。
多くの人から励ましの手紙をもらったことは喜びではあったけど、生きる希望にはならなかったと言っているんですね。
サトシ:はい。
ヒロ:それから2年して、亜也さんは亡くなりました。結局、亜也さんが苦しみながら生きたのは、何のためだったのか。お母さんは今でも考え続けているそうです。
(資料4)
亜也へ
あなたと会えなくなってもう1年が経ちました。
亜也、歩いてますか。ご飯が食べられますか。
大声で笑ったり、お話ができていますか。
お母さんがそばにいなくても、毎日ちゃんとやっていますか。
お母さんは、ただただ、それだけが心配でたまりません。
亜也は、電話も手紙も届かない、遠いところへ行ったんだよね。
幸せに暮らしているかなあ。元気でいるかなあ。
お母さんはそう思いたいの。
「どうして病気は私を選んだの?」「何のために生きているの?」
亜也はそう言ったよね。
苦しんで苦しんで、たくさんの涙を流したあなたの人生が何のためだったのか、
お母さんは今でも考え続けています。
今でも答えを見つけられずにいます。
でもね、亜也。
あなたのおかげで、たくさんの人が生きることについて考えてくれたよ。
普通に過ごす毎日がうれしくて、あったかいものなんだって思ってくれたよ。
近くにいる誰かの優しさに気づいてくれたよ。
同じ病気に苦しむ人たちが、ひとりじゃないって思ってくれたよ。
あなたが、いっぱい、いっぱい涙を流したことは、
そこから生まれたあなたの言葉たちは、
たくさんの人の人生を変えたよ。
ねえ、亜也。
そっちではもう泣いたりしていないよね。
…お母さん、笑顔のあなたに、もう一度だけ会いたい…
(フジテレビ「1リットルの涙」公式HPより)
ヒロ:では私たちは、この問いに答えることができるでしょうか?
サトシ:うーん。やっぱりお母さんの立場で考えたら、悩まずにいられないと思いますね。
ヒロ:もし、友達が同じ病気にかかって、亜也さんと同じ質問をされたら、やっぱり同じように、答えられずに終わってしまうのではないかな。
サトシ:そうですね…。答えられないと思います。
ヒロ:ここで知ってもらいたいことは、この問題は、亜也さんだけのことじゃないということなんです。
サトシ:はあ。
ヒロ:亜也さんは、自分の身体が動かなくなる、そして命も消えゆくという現実を目の前にして、「それでもなぜ生きてゆかなければならないの?」とお母さんに疑問をぶつけているわけですけど、私たちもいずれは同じ状況に立たされるときが来るんですよね。
結局、人間ってみんな最後はこうじゃないですか?
サトシ:まあ、そうですけど…
ヒロ:今は若くて健康ですけど、年を取れば体は動かなくなるし、病気になって寝たきりになって、最後はこの世を去るわけです。
亜也さんは、何のために生きているのかと、切実な問題になっていますけど、私たちも同じような立場に立たされたら、やっぱり何のために生きているのかと、問題になるのかな。
サトシ:そうかも知れませんね。
ヒロ:でも実は、このテーマは非常に多くの人が関心を持っていることなんです。そこで今度は、哲学の本を紹介したいと思います。
これも同じく200万部を超える大ベストセラーになった本ですが、「ソフィーの世界」という本です。
(資料5)
すべての人に関心のあることなんてあるのだろうか?だれにでも、世界のどこに住んでいる人にでも、あらゆる人間に関係のあることなんて、あるだろうか?あるんですよ、親愛なるソフィー。その、すべての人間がかかわらなければならない問題をあつかうのが、この講座です。
生きていく上でいちばん大切なものはなんだろう?もしも、飢えている人々にたずねたら、答えは食べることですね。同じ質問を凍えている人にしたならば、答えは暖かさです。さらに、一人ぼっちでさびしがっている人にたずねたとしましょうか、答えは決まっていますね、ほかの人びととのつきあいです。
けれども、こういう基本条件がすべて満たされたとして、それでもまだ、あらゆる人にとって切実なものはあるだろうか?哲学者たちは、ある、と言います。哲学者たちは、人はパンのみで生きるのではない、と考えるのです。もちろん、人はみな、食べなければならない。愛と気配りも必要です。けれども、すべての人びとにとって切実なものはまだある。わたしたちはだれなのか、なぜ生きているのか、それを知りたいという切実な欲求を、わたしたちはもっているのです。
わたしたちはなぜ生きているのか、ということへの関心は、だから、たとえば切手のコレクションのような、いわば「ひょんなきっかけではまってしまう」興味とは別物です。この問題に関心をもった人は、わたしたち人間がこの惑星に生きてきたのとほとんど同じくらい長いこと議論されてきたことがらにかかわることになる。宇宙と地球と生命はどのようにしてできたのか、ということは、このあいだのオリンピックでだれがいちばんたくさん金メダルをとったか、ということよりもずっと大きな、ずっと大切な問題なのです。
日本放送出版協会「ソフィーの世界」(ヨースタイン・ゴルデル 著)
ヒロ:ここで筆者は、生きていく上でいちばん大切なものはなんだろう、と書いてありますね。
サトシ:はい。
ヒロ:じゃあ、どんなものが生きていく上で大切ですか?まずは、やっぱり食べることですね?
サトシ:そうですね。
ヒロ:じゃあ、食べてさえいれば、あとはいらない?
サトシ:うーん、住むところも必要ですね。
ヒロ:そうですね。やっぱり、住むところもないと心配ですよね。それと、出来ればいい人も見つけてね。そうやって、衣食住の心配なく、好きな人と暮らせたら、幸せだと思いません?
サトシ:まあ、そうですね。
ヒロ:だって、そうじゃないですか。こうやって、一生懸命勉強して大学に来たのも、卒業して就職するのも、それから、頑張って出世するのも、衣食住の心配せずに、毎日快適に生活するためじゃないですか?
サトシ:はあ…
ヒロ:だから、そうやって働いてお金を稼いで、両親のすねをかじらずに、自分でちゃんと生活できれば、それで幸せでしょう?
サトシ:うーん。そうも言えない気がしますけど…
ヒロ:そうですね。だから、この筆者も、「こういう基本条件がすべて満たされたとして、それでもまだ、あらゆる人にとって切実なものはある」と書いているんです。それが、「私は何のために生きているのだろうか」という問題なんですね。
サトシ:はい。
ヒロ:ただ、これを読んでちょっとひっかかるのは、この「なぜ生きるか」という問題が、私たちにとって切実な問題だと書いてあるところなんです。「切実」っていうのは、無くてはならないということでしょ?
サトシ:はい。
ヒロ:でも実際、今まで別にそんなことを考えたこともなかったし、まあ、知っていた方がいいとは思うけど、知らなくたって困らないよね。それを「切実」な問題って言われると、「ちょっと言い過ぎじゃないかな」って思いませんか?
サトシ:うーん、確かにそうですね。
ヒロ:うん。だから、この人の言っていることは、おかしいよね。
サトシ:まあ、おかしい、ということもないと思いますけど…
ヒロ:じゃあ、どうして筆者は、「なぜ生きるか」ということが、そんなに大切な問題だって言っているのか。それをまず知らなければなりませんね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:ところで、受験勉強はどうでしたか?大変だった?
サトシ:ええ、まあ。
ヒロ:僕もけっこう、大変でしたよ。朝早くから、夜遅くまで、机の前にかじりついて。まあ、とにかく大変だったね。
サトシ:そうですよね。
ヒロ:そこで、考えたことは、「何で俺はこんな勉強しなきゃいけないんだろう?」って。そうでしょ、猫に生まれたら、こんな勉強しなくて良かったのに。
サトシ:はあ。
ヒロ:うちの猫なんか、いつもストーブの前で気持ち良さそうに寝てるだけですよ。それで、お腹がすくと、ご主人さまのところへ行って「ミャー」と鳴くだけ。そうすると、うちの母が「アラアラ、食事ね」って用意をする。それを食べたら、こっちには知らんぷりして、またストーブの前へ行って寝てしまう。尻尾のひとつも振らないでしょ。全くいい身分だなって思いましたね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:その点、犬は頑張ってますよね。寒い冬でも、外で震えながら番をしてるし。えさが欲しいときは、ジャスチャーたっぷりに、尻尾振って。ほんと、犬の努力には感心しますよ。猫は、えさをやっても、「ミャー」とも言わないし。
サトシ:そうなんですか。
ヒロ:なんで猫に生まれなかったのかな?人間に生まれたから、嫌でも勉強しなきゃいけないし、就職して働かなきゃいけないし…
就職したら、少しくらい風邪ひいても休めないし。テレビとかで時々やってるでしょ。無理して働いて、結局、とりかえしのつかない状態になるって。そういうの見ていると、やっぱり自分も就職したら、こうやって無理しちゃうのかなって心配になりますよね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:じゃあ、そうやって仕事して、お金を稼いで、頑張っているのは何のためかなぁって、ふっと考えたりするんですよね。
だってそうでしょ。うちの父なんか、本当、毎日残業残業で、帰ったらお酒飲んで寝るだけですよ。それで休みになると、疲れを取るって、家でゴロゴロしてるし。
サトシ:うちも一緒ですよ。
ヒロ:何か自分も、今頑張っているのは、こうなるためなのかなーって思うと、ちょっと暗くなったりするしね。
サトシ:確かにそうですね。
ヒロ:だから、猫を見てると、ほんと気楽だなって思うんですよね。結局、私たちは、いろいろ夢は持っていますけど、現実は働き盛りも半ばをすぎると、定年を夢見て、退職したら悠々自適な生活をしたいと、それだけを励みに頑張る。やっぱり猫のような生活が理想的なライフスタイルだってことだよね。
サトシ:何か、それだと虚しくないですか?
ヒロ:そう。こんな人生なら、虚しい。だけど、漠然と目の前のことに追われて過ごしていたら、こんな風に終わってしまうんですよね。
サトシ:そうなんですか…。
ヒロ:そういえば、少し前に出た本にこんなことが書いてありましたけど、読んでみて下さい。
サトシ:はい。
(資料6)
あなたの人生はたぶん、地元の小・中学校に行って、塾に通いつつ受験勉強をしてそれなりの高校や大学に入って、4年間ブラブラ遊んだあとどこかの会社に入社して、男なら20代後半で結婚して翌年に子どもをつくって、何回か異動や昇進をしてせいぜい部長クラスまで出世して、60歳で定年退職して、その後10年か20年趣味を生かした生活を送って、死ぬ。どうせこの程度のものだ。しかも絶望的なことに、これがもっとも安心できる理想的な人生なんだ。
太田出版「完全自殺マニュアル」(鶴見済 著)
ヒロ:ここにもありますけど、これって確かに理想的な人生とは言えるけど…。こうやって書かれるとちっとも嬉しくないですね。
「結局、俺の人生ってこれだけ?頑張って生きてきて、これだけ?」って、そんな思いになりますよね。
サトシ:確かに…
ヒロ:だからこそ、今、いったい私は何のために生きているのか?
これをハッキリさせなければなりませんよって、ソフィーの世界では書いてあるんですよね。
サトシ:そうですね。でも、そんな大きな問題、そう簡単に分かるものじゃないですよね。
ヒロ:確かにそうです。「なぜ生きるのか」ということは、非常に大きな問題ですよね。そこで、次はこの資料を読んでみて下さい。これもベストセラーになった有名な本です。
(資料7)
時間管理法の本がほぼ例外なく忠告していることは、人生の目的を把握せよということである。これも、まったくそのとおりだ。時間節約法や有効活用法が意味を持つのは、方向を正しく把握している場合に限られる。間違った方向に向かって歩いてしまえば、一歩一歩をいかに効率よく歩いても、結局無駄になってしまうからだ。ドイツの諺にいうように、「正しい道でなければ、走ったところでしようがない。」
子供の頃に読んだポオの『黄金虫』で強く印象に残ったのは、このことである。宝探しの目印になったどくろの右目と左目を間違えたために、最初に3インチの誤差が生じた。しかし、それは50フィート延ばした先では大きな誤差になっていた。このために、いくら掘っても宝が出てこなかったという話である。
だから、正しい方向を向き、大局において誤らないことが、何より大事である。これこそが、タイム・マネジメントの出発点だ。
しかし、よく考えてみると、「重要なことは重要だ」というだけでは、トートロジー(同意語反復)に過ぎない。われわれが知りたいのは、つぎの2つである。第1に、人生の重大事をどのようにして知ることができるのか?第2に、それが分かったとして、雑事にも時間を割かざるをえない現実をどうしたらよいのか?
これらのうち第1点は、ノウハウのレベルを超える問題だと、私は思う。これが大変重要なことは間違いない。しかし、本書は基本的には、この問題は扱わないことにする。
中公新書「続『超』整理法・時間編」(野口悠紀夫 著)
ヒロ:ここで、ポオの「黄金虫」の話がありますね。
サトシ:はい。
ヒロ:この主人公は宝探しに出かけて、最初、ほんの少し、方向を間違えたんですね。ここに「宝探しの目印になったどくろの右目と左目を間違えた」と書いてあるでしょう。
サトシ:はい。
ヒロ:そこで大事なのが、間違いに気づいたのが、いつだったかということなんですね。
サトシ:えーっと。最後に宝を掘っても出てこなかった時ですか?
ヒロ:そうですね。この人が、自分の間違いに気づいたのは、最後だったんです。最初に気づいていたら、いくらでもやり直しができるでしょ。だけど最後に、どれだけ掘っても宝が出てこなかったというのでは、取り返しがつかないですよね。
サトシ:そうですね。
ヒロ:つまり、最初は少しのずれでも、それが進んでいくと、どんどん大きな違いになって、もう取り返しがつかなくなる。しかも、それに気づくのは、最後になってからなんですね。
サトシ:はい。
ヒロ:この筆者は、それでは手遅れですよ、と書いているんです。
サトシ:そうですね。
ヒロ:よく、「何のために生きているの?」と聞くと、「えっ?何のために生きる?そんなこと考えたことなかったなあ。だけど、生きてゆけば、そのうち、これが私の生きる目的だって分かる日が来るんじゃないかな」って言う人があるんです。
だけどそれは、この話で言うなら、「宝はどこにあるか分からないけど、とりあえず、どんどん歩いてゆこう。そうすれば、いつか宝が見つかるだろう」って言っているのと同じじゃないですか?
サトシ:うーん。そうなりますね。
ヒロ:それで生きる目的が見つかりますか?
サトシ:いえ、見つかりません。
ヒロ:そうですね。だけど問題なのは、それにいつ気づくかってことなんです。
サトシ:えーっと、最後ですか?
ヒロ:そう、最後。最後になるまで気がつかない。というより、最後になるまで認められないって言った方がいいかも知れませんね。
宝探しの話でも、もし自分だったらどうでしょう。お金も時間も体力も使って、ここまで来た。そして、今、目の前に宝がある。ところが掘っても掘っても出てこない、としたら簡単に諦められますか?
サトシ:いえ、諦められないと思います。
ヒロ:そうですよね。諦められるはずないですよ。ここまで来るのに、こんなに苦労したのに、宝がないなんて…って。きっと、体力が尽きるまで続けるでしょう。だけど、最後に残るのは虚しさだけなんです。
サトシ:悲惨ですね。
ヒロ:そうでしょう。これは悲劇ですよ。だから、ここにも書いてある通りで、ドイツの諺にいうように、「正しい道でなければ、走ったところでしょうがない」って。
サトシ:そうですね。
ヒロ:宝探しでも、最初にまず目的地を正しく知らなければならないように、私たちが生きてゆくときにも、まず、この人生の目的を正しく知らなければならないんですね。だから、この本でも、最初に「人生の目的を把握せよ」と書いているんです。
サトシ:うーん、そうですね。じゃあ、その「人生の目的」って、何なんですか?
ヒロ:そこが大事なところなんです。いったい私たちは何のために生きているのか?この「人生の目的」は何か、ということについて、お話しなければなりませんね。
サトシ:はい。
ヒロ:ですけど、今日はもう時間ですから、このことについては、次回詳しくお話したいと思います。
サトシ:分かりました。よろしくお願いします。
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