口伝鈔


  本願寺の鸞聖人、如信上人に対しましまして、おりおりの御物語の条条。

  一 あるときのおおせにのたまわく、黒谷上人源空浄土真宗御興行さかりなりしとき、上一人よりはじめて、偏執のやから一天にみてり。これによりて、かの立宗の義を破せられんがために、禁中時代不審、もし土御門の院の御宇か にして、七日の御逆修をはじめおこなわるるついでに、安居院の法印聖覚を唱導として、聖道の諸宗のほかに別して浄土宗あるべからざるよし、これをもうしみだらるべきよし、勅請あり。しかりといえども、勅喚に応じながら、師範空聖人の本懐さえぎりて、覚悟のあいだ、もうしみだらるるにおよばず、あまっさえ、聖道のほかに、浄土の一宗興じて、凡夫直入の大益あるべきよしを、ついでをもって、ことに、申したてられけり。ここに公廷にしてその沙汰あるよし、聖人源空きこしめすについて、もしこのときもうしやぶられなば、浄土の宗義なんぞ立せんや。よりて安居院の坊へおおせつかわされんとす。たれびとたるべきぞや、のよし、その仁を内内えらばる。ときに、善信御房その仁たるべきよし、聖人さしもうさる。同朋のなかに、また、もっともしかるべきよし、同心に挙しもうされける、そのとき上人善信かたく御辞退、再三におよぶ。しかれども、貴命、のがれがたきによりて、使節として、上人善信安居院の房へむかわしめたまわんとす。ときに、縡、もっとも重事なり、すべからく人をあいそえらるべきよし、もうさしめたまう。もっともしかるべしとて、西意善綽御房をさしそえらる。両人、安居院の房にいたりて案内せらる。おりふし、沐浴と云々。御つかい、たれびとぞやと、とわる。善信御房入来ありと云々 そのときおおきにおどろきて、この人の御使たること、邂逅なり。おぼろけのことにあらじ、とて、いそぎ温室よりいでて、対面。かみ、くだんの子細をつぶさに、聖人源空のおおせとて演説。法印もうされていわく、このこと年来の御宿念たり。聖覚いかでか疎簡を存せん。たとい勅定たりというとも、師範の命をやぶるべからず。よりて、おおせをこうぶらざるさきに、聖道・浄土の二門を混乱せず、あまっさえ、浄土の宗義をもうしたてはんべりき。これしかしながら王命よりも師孝をおもくするがゆえなり。御こころやすかるべきよし、もうさしめたまうべしと云々 このあいだの一座の委曲、つぶさにするにいとまあらず。すなわち、上人善信御帰参ありて、公廷一座の唱導として、法印重説のむねを聖人源空の御前にて一言もおとしましまさず、分明に、また一座宣説しもうさる。そのときさしそえらるる善綽御房に対して、もし紕繆ありやと、聖人源空おおせらるるところに、善綽御房もうされていわく、西意、二座の説法聴聞つこうまつりおわりぬ、言語のおよぶところにあらずと云々三百八十余人の御門侶のなかに、その上足といい、その器用といい、すでに清撰にあたりて、使節をつとめましますところに、西意また証明の発言におよぶ。おそらくは、多宝証明の往事にあいおなじきものをや。この事、大師聖人の御とき、随分の面目たりき。説道も涯分いにしえにはずべからずといえども、人師・戒師停止すべきよし、聖人の御前にして誓言発願おわりき。これによりて、檀越をへつらわず、その請におもむかずと云々 そのころ七条の源三中務丞が遺孫、次郎入道浄信、土木の大功をおえて、一宇の伽藍を造立して、供養のために唱導におもむきましますべきよしを屈請しもうすといえども、上人善信つにもって固辞しおおせられて、かみ、くだんのおもむきをかたりおおせらる。そのとき上人善信権者にましますといえども、濁乱の凡夫に同じて、不浄説法のとが、おもきことをしめしましますものなり。

  一 光明名号の因縁という事。
  十方衆生のなかに、浄土教を信受する機あり、信受せざる機あり。いかんとならば、『大経』のなかに、とくがごとく、過去の宿善あつきものは、今生のこの教におうて、まさに信楽す。宿福なきものは、この教にあうといえども、念持せざれば、またあわざるがごとし。「欲知過去因」の文のごとく、今生のありさまにて、宿善の有無あきらかにしりぬべし。しかるに、宿善開発する機のしるしには、善知識におうて開悟せらるるとき一念疑惑を生ぜざるなり。その疑惑を生ぜざることは、光明の縁にあうゆえなり。もし光明の縁、もよおさずは、報土往生の真因たる名号の因をうべからず。いうこころは、十方世界を照曜する無碍光遍照の明朗なるにてらされて、無明沈没の煩悩漸漸にとらけて、涅槃の真因たる信心の根芽わずかにきざすとき、報土得生の定聚のくらいに住す。すなわちこのくらいを、「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」(観経)とらとけり。また光明寺の御釈には、「以光明名号摂化十方但使信心求念」(往生礼讃)とも、のたまえり。しかれば、往生の信心のさだまることは、われらが智分にあらず。光明の縁にもよおしそだてられて、名号信知の報土の因をう、としるべしとなり。これを他力というなり。

  一 無碍の光曜によりて、無明の闇夜はるる事。
  本願寺上人親鸞あるとき門弟にしめしてのたまわく、つねに人のしるところ、夜あけて日輪はいずや、日輪やいでて夜あくや、両篇、なんだち、いかんがしると云々 うちまかせて、人みなおもえらく、夜あけてのち日いず、とこたえ申す。上人のたまわく、しからざるなりと。日いでてまさに夜あくるものなり。そのゆえは、日輪はまさに須弥の半腹を行度するとき、他州のひかりちかづくについて、この南州、あきらかになれば、日いでて、夜はあくというなり。これはこれ、無碍光の日輪、照触せざるときは、永永昏闇の無明の夜あけず。しかるにいま、宿善ときいたりて、不断難思の日輪、貪瞋の半腹に行度するとき、無明ようやく闇はれて、信心たちまちにあきらかなり。しかりといえども、貪瞋の雲霧、かりにおおうによりて、炎王清浄等の日光あらわれず。これによりて、「煩悩障眼雖不能見」(往生要集)とも釈し、「已能雖破無明闇」(正信偈)とらのたまえり。日輪の他力、いたらざるほどは、われと無明を破すということ、あるべからず。無明を破せずは、また出離その期あるべからず。他力をもって、無明を破するがゆえに、日いでてのち、夜あくというなり。これさきの光明名号の義に、こころおなじといえども、自力・他力を分別せられんために、法譬を合して、おおせごとありきと云々

  一 善悪二業の事。
  上人親鸞おおせにのたまわく、某はまったく善もほしからず、また悪もおそれなし。善のほしからざるゆえは、弥陀の本願を信受するにまされる善なきがゆえに。悪のおそれなきというは、弥陀の本願をさまたぐる悪なきがゆえに。しかるに、世の人みなおもえらく、善根を具足せずんば、たとい念仏すというとも、往生すべからず、と。また、たとい、念仏すというとも、悪業深重ならば、往生すべからず、と。このおもい、ともに、はなはだ、しかるべからず。もし悪業をこころにまかせてとどめ、善根をおもいのままにそなえて生死を出離し、浄土に往生すべくは、あながちに本願を信知せずとも、なにの不足かあらん。そのこといずれも、こころにまかせざるによりて、悪業をばおそれながら、すなわちおこし、善根をばあらませど、うることあたわざる凡夫なり。かかるあさましき三毒具足の悪機として、我と出離にみちたえたる機を摂取したまわんための五劫思惟の本願なるがゆえに、ただあおぎて仏智を信受するにしかず。しかるに、善機の念仏するをば、決定往生とおもい、悪人の念仏するをば、往生不定とうたがう。本願の規模、ここに失し、自身の悪機たることをしらざるになる。おおよそ、凡夫引接の無縁の慈悲をもって、修因感果したまえる別願所成の報仏報土へ、五乗ひとしくいることは、諸仏いまだおこさざる超世不思議の願なれば、たとい読誦大乗解第一義の善機たりというとも、おのれが生得の善ばかりをもって、その土に往生すること、かなうべからず。また、悪業はもとより、もろもろの仏法にすてらるるところなれば、悪機また悪をつのりとして、その土へのぞむべきにあらず。しかれば、機にうまれつきたる善悪のふたつ、報土往生の得ともならず、失ともならざる条、勿論なり。さればこの善悪の機のうえにたもつところの、弥陀の仏智をつのりとせずよりほかは、凡夫、いかで往生の得分あるべきや。さればこそ、悪もおそろしからずとはいえ。ここをもって、光明寺の大師、「言弘願者如大経説 一切善悪凡夫得生者 莫不皆乗阿弥陀仏 大願業力為増上縁也」(玄義分)とのたまえり。文のこころは、弘願というは、『大経』の説のごとし。一切善悪凡夫のうまるることをうるは、みな阿弥陀仏の大願業力にのりて、増上縁とせざるはなしとなり。されば宿善あつきひとは、今生に善をこのみ、悪をおそる、宿悪おもきものは、今生に悪をこのみ、善にうとし。ただ、善悪のふたつをば、過去の因にまかせ、往生の大益をば如来の他力にまかせて、かつて、機のよきあしきに、目をかけて、往生の得否をさだむべからず、となり。これによりて、あるときのおおせにのたまわく、「なんだち念仏するより、なお往生にたやすきみちあり、これをさずくべし」と。「人を千人殺害したらば、やすく往生すべし。おのおの、このおしえにしたがえ。いかん」と。ときにある一人、もうしていわく、「某においては、千人まではおもいよらず、一人たりというとも殺害しつべき心ちせず」と云々 上人かさねてのたまわく、「なんじ、わがおしえを日比そむかざるうえは、いまおしうるところにおいて、さだめてうたがいをなさざるか。しかるに一人なりとも殺害しつべきここちせずというは、過去に、そのたねなきによりてなり。もし過去にそのたねあらば、たとい、殺生罪をおかすべからず、おかさば、すなわち往生をとぐべからずと、いましむというとも、たねにもよおされて、かならず殺罪をつくるべきなり。善悪のふたつ、宿因のはからいとして、現果を感ずるところなり。しかれば、まったく往生においては、善もたすけとならず、悪もさわりとならず、ということ、これをもって准知すべし。」

  一 自力の修善はたくわえがたく、他力の仏智は、護念の益をもってたくわえらるる事。
  たとい万行諸善の法財を修したくわうというとも、進道の資糧となるべからず。ゆえは、六賊知聞して侵奪するがゆえに。念仏においては、すでに行者の善にあらず、行者の行にあらずとら、釈せらるれば、凡夫自力の善にあらず。またう弥陀の仏智なるがゆえに、諸仏護念の益によりて、六賊これをおかすにあたわざるがゆえに、出離の資糧となり、報土の正因となるなり。しるべし。

  一 弟子同行のあらそい、本尊聖教をうばいとること、しかるべからざるよしの事。

  常陸の国新堤の信楽坊、聖人親鸞の御前にて、法文の義理ゆえに、おおせをもちいもうさざるによりて、突鼻にあずかりて、本国に下向のきざみ、御弟子蓮位房もうされていわく、「信楽房の御門弟の儀をはなれて、下国のうえは、あずけわたさるるところの本尊をめしかえさるべくやそうろうらん」と。「なかんずくに、釈親鸞と外題のしたにあそばされたる聖教おおし。御門下をはなれたてまつるうえは、さだめて仰崇の儀なからんか」と云々 聖人のおおせにいわく、「本尊・聖教をとりかえすこと、はなはだ、しかるべからざることなり。そのゆえは、親鸞は弟子一人ももたず、なにごとをおしえて弟子というべきぞや。みな如来の御弟子なれば、みなともに同行なり。念仏往生の信心をうることは、釈迦・弥陀に尊の御方便として発起すと、みえたれば、まったく親鸞が、さずけたるにあらず。当世たがいに違逆のとき、本尊・聖教をとりかえし、つくるところの房号をとりかえし、信心をとりかえすなんどということ、国中に繁昌と云々 返す返すしかるべからざず。本尊・聖教は、衆生利益の方便なれば、親鸞がむつびをすてて、他の門室にいるというとも、わたくしに自専すべからず。如来の教法は、総じて流通物なればなり。しかるに、親鸞が名字ののりたるを、法師にくければ袈裟さえの風情に、いといおもうによりて、たとい、かの聖教を山野にすつ、というとも、そのところの有情群類、かの聖教にすくわれて、ことごとくその益をうべし。しからば衆生利益の本懐、そのとき満足すべし。凡夫の執するところの財宝のごとくに、とりかえすという義、あるべからざるなり。よくよくこころうべし」とおおせありき。

  一 凡夫往生の事。
  おおよそ、凡夫の報土にいることをば、諸宗ゆるさざるところなり。しかるに、浄土真宗において、善導家の御こころ、安養浄土をば報仏報土とさだめ、いるところの機をばさかりに凡夫と談ず。このこと性相のみみをおどろかすところなり。さればかの性相に封ぜられて、ひとのこころ、おおくまよいて、この義勢におきて、うたがいをいだく。そのうたがいのきざすところは、かならずしも弥陀超世の悲願を、さることあらじと、うたがいたてまつるまではなけれども、わが身の分を卑下してそのことわりをわきまえしりて、聖道門よりは凡夫報土にいるべからざる道理をうかべて、その比量をもって、いまの真宗をうたがうまでの人はまれなれども、聖道の性相、世に流布するを、なにとなく耳にふれ、ならいたるゆえか、おおくそれにふせがれて、真宗別途の他力をうたがうこと、かつは無明に痴惑せられたるゆえなり、かつは明師にあわざるがいたすところなり。そのゆえは、浄土宗のこころ、もと凡夫のためにして聖人のためにあらず云々 しかれば貪欲もふかく、瞋恚もたけく、愚痴もさかりならんにつけても、今度の順次の往生は、仏語に虚妄なければ、いよいよ必定とおもうべし。あやまってわがこころの三毒もいたく興盛ならず、善心しきりにおこらば往生不定のおもいもあるべし。そのゆえは、凡夫のための願、と仏説分明なり。しかるに、わがこころ凡夫げもなくは、さては、われ凡夫にあらねば、この願にもれやせん、とおもうべきによりてなり。しかるに、われらが心、すでに貪・瞋・痴の三毒、みなおなじく具足す。これがためとて、おこさるる願なれば、往生その機として必定なるべし。かくこころえつれば、こころのわろきにつけても、機の卑劣なるにつけても、往生せずは、あるべからざる道理、文証勿論なり。いずかたより凡夫の往生もれてむなしからんや。しかればすなわち、五劫の思惟も、兆載の修行も、ただ親鸞一人がためなり、とおおせごとありき。

  わたくしにいわく、これをもってかれを案ずるに、この条、祖師聖人の御ことにかぎるべからず。末世のわれら、みな凡夫たらんうえは、またもって往生おなじかるべしとしるべし。

  一 一切経御校合の事。
  西明寺の禅門の父、修理亮時氏、政徳をもっぱらにせしころ、一切経を書写せられき。これを校合のために、智者学生たらん僧を屈請あるべしとて、武藤左衛門入道実名を知らず、ならびに、屋戸やの入道実名を知らず 両大名におおせつけて、たずねあなぐられけるとき、ことの縁ありて聖人をたずねいだしたてまつりき。
  もし常陸の国笠間の郡稲田郷に御経回の比か 聖人その請に応じましまして、一切経御校合ありき。その最中、副将軍、連連昵近したてまつるに、あるとき盃酌のみぎりにして、種種の珍物をととのえて、諸大名面々、数献の沙汰におよぶ。聖人、別して勇猛精進の僧の威儀をただしくましますことなければ、ただ世俗の入道、俗人等におなじき御振舞なり。よって、魚鳥の肉味等をもきこしめさるること、御はばかりなし。ときに鱠を御前に進ず。これをきこしめさるること、つねのごとし。袈裟を御着用ありながらまいるとき、西明寺の禅門、ときに開寿殿とて、九歳、さしよりて聖人の御耳に密談せられていわく、「あの入道ども面々魚食のときは袈裟をぬぎてこれを食す。善信御房、いかなれば袈裟を御着用ありながら食しましますぞや。これ不審」と云々聖人おおせられていわく、「あの入道達はつねにこれをもちうるについて、これを食するときは袈裟をぬぐべきことと、覚悟のあいだ、ぬぎてこれを食するか。善信はかくのごときの食物邂逅なれば、おおけていそぎたべんとするにつきて、忘却してこれをぬがず」と云々 開寿殿、またもうされていわく、「この御答、御偽言なり。さだめてふかき御所存あるか。開寿、幼稚なればとて、御蔑如にこそ」とて、のきぬ。またあるとき、さきのごとくに袈裟を御着服ありながら御魚食あり。また、開寿殿、さきのごとくにたずねもうさる。聖人また御忘却とこたえまします。そのとき開寿殿、「さのみ御廃忘あるべからず。これしかしながら幼少の愚意深義をわきまえしるべからざるによりて、御所存をのべられざるものなり。まげて実義を述成あるべし」と再三こざかしくのぞみもうされけり。そのとき聖人のがれがたくして、幼童に対して、しめしましましていわく、「まれに人身をうけて生命をほろぼし、肉味を貪ずる事、はなはだ、しかるべからざることなり。されば如来の制誡にも、このこと、ことにさかんなり。しかれども、末法濁世の今時の衆生無戒のときなれば、たもつものなく、破するものなし。これによりて、剃髪染衣のそのすがた、ただ世俗の群類にこころおなじきがゆえに、これらを食す。とても食する程ならば、かの生類をして解脱せしむるようにこそ、ありたくそうらえ。しかるに、われ名字を釈氏にかるといえども、こころ俗塵にそみて、智もなく、徳もなし。なにによりてか、かの有情をすくうべきや。これによりて袈裟はこれ、三世の諸仏解脱幢相の霊服なり。これを着用しながら、かれを食せば、袈裟の徳用をもって、済生利物の願念をやはたすと、存じて、これを着しながら、かれを食する物なり。冥衆の照覧をあおぎて、人倫の所見をはばからざること、かつは無慚無愧のはなはだしきににたり。しかれども、所存、かくのごとし」と云々 このとき開寿どの、幼少に身として、感気おもてにあらわれ、随喜、もっとふかし。一天四海をおさむべき棟梁、その器用おさなくより、ようあるものと、おおせごとありき。

   康永三歳甲申孟夏上旬七日
   此巻写之訖 桑門宗昭七十五

  一 あるとき鸞上人、黒谷の聖人の禅房へ御参ありけるに、修行者一人御ともの下部に案内していわく、「京中に八宗兼学の名誉まします智恵第一の聖人の貴坊やしらせたまえる」という。この様を御ともの下部、御車のうちへもうす。鸞上人のたまわく、「智恵第一の聖人の御房とたずぬるは、もし源空聖人の御事か、しからば、われこそただいま、かの御坊へ参ずる身にて、はんべれ。いかん。」修行者申していわく、「そのことにそうろう。源空聖人の御ことをたずね申すなり」と。鸞上人のたまわく、「さらば先達すべし、この車にのらるべし」と。修行者おおきに辞し申して、「そのおそれあり。かなうべからず」と云々 鸞上人のたまわく、「求法のためならば、あながちに隔心あるべからず、釈門のむつび、なにかくるしかるべき。ただのらるべし」と。再三辞退もうすといえども、御とものものに「修行者かくるところのかご負をかくべし」と御下知ありて御車にひきのせらる。しこうして、かの御坊に御参ありて空聖人の御前にて、鸞上人「鎮西のものと申して、修行者一人、求法のためとて御房をたずね申して侍りつるを、路次よりあいともないてまいりてそうろう。めさるべきや」と云々 空聖人「こなたへ招請あるべし」とおおせあり。よりて鸞上人、かの修行者を御引導ありて、御前へめさる。そのとき空聖人、かの修行者をにらみましますに、修行者また聖人をにらみかえしたてまつる。かくてややひさしくたがいに言説なし。しばらくありて空聖人おおせられてのたまわく、「御坊はいずこのひとぞ、またなにの用ありてきたれるぞや」と。修行者申していわく、「われはこれ鎮西のものなり。求法のために花洛にのぼる。よって推参つかまつるものなり」と。そのとき聖人「求法とはいずれの法をもとむるぞや」と。修行者申していわく、「念仏の法をもとむ」と。聖人のたまわく「念仏は唐土の念仏か、日本の念仏か」と。修行者しばらく停滯す。しかれども、きと案じて、「唐土の念仏をもとむるなり」と云々 聖人のたまわく、「さては善導和尚の御弟子にこそあるなれ」と。そのとき修行者ふところよりつま硯をとりいだして、二字をかきてささぐ。鎮西の聖光坊これなり。この聖光ひじり、鎮西にしておもえらく、「みやこに世もて智恵第一と称する聖人おわすなり。なにごとかは侍るべき。われすみやかに上洛して、かの聖人と問答すべし。そのとき、もし智恵すぐれてわれにかまさば、われまさに弟子となるべし。また問答にかたば、かれを弟子とすべし」と。しかるに、この慢心を空聖人、権者として御覧ぜられければ、いまのごとくに御問答ありけるにや。かのひじりわが弟子とすべき事、橋たてても、およびがたかりけり、と。慢幢たちまちにくだけければ、師資の礼をなして、たちどころに二字をささげけり。両三年ののち、あるとき、かご負かきおいて、聖光坊、聖人の御前へまいりて、「本国恋慕のこころざしあるによりて、鎮西下向つかまつるべし。いとまたまわるべし」と申す。すなわち御前をまかりたちて出門す。聖人のたまわく、「あたら修学者が、もとどりをきらでゆくはとよ」と。その御こえはるかにみみにいりけるにや、たちかえりて申していわく、聖光は出家得度して、としひさし、しかるに本鳥をきらぬよし、おおせをこうぶる、もっとも不審。このおおせ耳にとまるによりてみちをゆくにあたわず。ことの次第うけたまわりわきまえんがために、かえりまいれり」と云々 そのとき聖人のたまわく、「法師には、みつのもとどりあり。いわゆる勝他・利養・名聞、これなり。この三箇年のあいだ源空がのぶるところの法文をしるしあつめて随身す。本国にくだりて人をしえたげんとす。これ勝他にあらずや。よき学生といわれんとおもう。これ名聞をねがうところなり。これによりて檀越をのぞむこと、所詮、利養のためなり。このみつのもとどりをそりすてずは、法師といいがたし。よって、さ申しつるなり」と云々 そのとき聖光房、改悔の色をあらわして、負のそこよりおさむるところの抄物どもをとりいでて、みなやきすてて、またいとまを申していでぬ。しかれども、その余残ありけるにや。ついにおおせをさしおきて、口伝をそむきたる諸行往生の自義を骨張して、自障障他する事、祖師の遺訓をわすれ、諸天の冥慮をはばからざるにや、とおぼゆ。かなしむべし、おそるべし。しかれば、かの聖光坊は、最初に鸞上人の御引導によりて、黒谷の門下にのぞめる人なり。末学、これをしるべし。

  一 十八の願につきたる御釈の事。
  「彼仏今現在成仏」(礼讃)等。この御釈に世流布の本には「在世」とあり。しかるに黒谷・本願寺両師ともに、この「世」の字を略して、ひかれたり。わたくしにそのゆえを案ずるに、略せらるる条、もっともそのゆえあるか。まず『大乗同性経』にいわく、「浄土中成仏悉是報身 穢土中成仏悉是化身」文。この文を依憑として、大師、報身報土の義を成ぜらるるに、この「世」の字をおきては、すこぶる義理浅近なるべしと。おぼしめさるるか。そのゆえは、浄土中成仏の弥陀如来につきて、いま世にましましてと、この文を訓ぜば、いますこし義理いわれざるか。極楽世界とも釈せらるるうえは、「世」の字、いかでか報身報土の義にのくべきと、おぼゆる篇もあれども、さればそれも、自宗におきて浅近のかたを釈せらるるときの一往の義なり。おおよそ、諸宗におきて、おおくはこの字を浅近のときもちいつけたり。まず『倶舎論』の性相世間品に「安立器世間 風輪最居下」とら判ぜり。器世間を建立するとき、この字をもちいる条、分明なり。世親菩薩の所造、もっともゆえあるべきをや、勿論なり。わが真宗にいたりては、善導和尚の御こころによるに、すでに報身報土の廃立をもって規模とす。しかれば「観彼世界相 勝過三界道」(浄土論)の論文をもっておもうに、三界の道に勝過せる報土にして正覚を成ずる弥陀如来のことをいうとき、世間浅近の事にもちいならいたる「世」の字をもって、いかでか義を成ぜらるべきや。この道理によりて、いまの一字を略せらるるかとみえたり。されば彼仏今現在成仏とつづけて、これを訓ずるに、かの仏、いま現在して成仏したまえり、と訓ずれば、はるかにききよきなり。義理といい、文点といい、この一字、もっともあまれるか。この道理をもって、両祖の御相伝を推験して、八宗兼学の了然上人ことに三論宗に、いまの料簡を談話せしに、浄土真宗におきてこの一義相伝なしといえども、この料簡もっとも同ずべしと云々

  一 助業をなおかたわらにしまします事。
  鸞聖人東国に御経回のとき、御風気とて三日三夜ひきかずきて、水漿不通ましますことありき。つねのときのごとく、御腰膝をうたせらるることもなし。御煎物などいうこともなし。御看病の人をちかくよせらるる事もなし。三箇日と申すとき、ああ、いまはさてあらんとおおせごとありて、御起居御平復もとのごとし。そのとき恵信御房男女六人の君達の御母儀 たずねもうされていわく、御風気とて両三日御寢のところに、いまはさてあらんと、おおせごとあること、なにごとぞやと。聖人しめしましましてのたまわく、われこの三箇年のあいだ、浄土の三部経をよむ事、おこたらず、おなじくは、千部よまばやとおもいて、これをはじむるところに、またおもうよう、「自信教人信 難中転更難」(往生礼讃)とみえたれば、みずからも信じ、ひとをおしえても信ぜしむるほかは、なにのつとめかあらんに、この三部経の部数をつむこと、われながらこころえられずと、おもいなりて、このことをよくよく案じさだめん料に、そのあいだはひきかずきてふしぬ。つねのやまいにあらざるほどに、いまはさてあらん、といいつるなり、とおおせごとありき。わたくしにいわく、つらつらこの事を案ずるに、ひとの夢想のつげのごとく、観音の垂迹として、一向専念の一義を御弘通あること掲焉なり。 一 聖人本地観音の事。

  下野国、さぬきというところにて恵信御房の御夢想にいわく、堂供養するとおぼしきところあり。試楽ゆゆしく厳重にとりおこなえるみぎりなり。ここに虚空に神社の鳥居のようなるすがたにて、木をよこたえたり。それに絵像の本尊二鋪かかりたり。一鋪は形体ましまさず。ただ金色の光明のみなり。いま一鋪は、ただしくその尊形をあらわれまします。その形体ましまさざる本尊を、人ありて、また人に、「あれはなに仏にてましますぞや」と問う。ひとこたえていわく、「あれこそ大勢至菩薩にてましませ。すなわち源空聖人の御ことなり」と云々 また問うていわく、「いま一鋪は尊形あらわれたまうを、あれはまたなに仏ぞや」と。人こたえていわく、「あれは大悲観世音菩薩にてましますなり。あれこそ善信御房にてわたらせたまえ」と、申すとおぼえて、夢さめおわりぬと云々 この事を聖人にかたり申さるるところに、「そのことなり。大勢至菩薩は智恵をつかさどりまします菩薩なり。すなわち智恵は光明とあらわるるによりて、ひかりばかりにて、その形体はましまさざるなり。先師源空聖人、勢至菩薩の化身にましますということ、世もって人のくちにあり」とおおせごとありき。鸞聖人の御本地の様は、御ぬしに申さん事、わが身としては、はばかりあれば申しいだすにおよばず。かの夢想ののちは、心中に渇仰のおもいふかくして、年月をおくるばかりなり。すでに御帰京ありて、御入滅のよし、うけ給わるについて、わがちちは、かかる権者にてましましけると、しれたてまつられんがために、しるし申すなりとて、越後の国府よりとどめおき申さるる恵信御房の御文、弘長三年春の比、御むすめ覚信御房へ進ぜらる。わたくしにいわく、源空聖人、勢至菩薩の化現として、本地弥陀の教文を和国に弘興しまします。親鸞上人、観世音菩薩の垂迹として、ともにおなじく無碍光如来の智炬を本朝にかがやかさんために師弟となりて、口決相承ましますこと、あきらかなり。あおぐべし、とうとむべし。

  一 蓮位房聖人常随の御門弟、真宗稽古の学者、俗姓源三位頼政卿順孫夢想の記。
  建長八歳丙辰二月九日の夜寅時、釈蓮位、夢に聖徳太子の勅命をこうぶる。皇太子の尊容を示現して、釈親鸞法師にむかわしめましまして、文を誦して、親鸞聖人を敬礼しまします。その告命の文にのたまわく、「敬礼大慈阿弥陀仏、為妙教流通来生者 五濁悪事悪世界中 決定即得無上覚也」文。 この文のこころは、大慈阿弥陀仏を敬礼したてまつるなり。妙教流通のために来生せるものなり。五濁悪事悪世界のなかにして、決定して、すなわち無上覚を、えしめたるなり、といえり。蓮位ことに皇太子を恭敬し尊重したてまつる、とおぼえて、ゆめさめて、すなわちこの文をかきおわりぬ。わたくしにいわく、この夢想の記をひらくに、祖師聖人、あるいは観音の垂迹とあらわれ、あるいは本地弥陀の来現としめしまします事、あきらかなり。弥陀・観音一体異名、ともに相違あるべからず。しかれば、かの御相承、その述義を口決の末流、他にことなるべき条、傍若無人といいつべし。しるべし。

  一 体失、不体失の往生の事。
  上人親鸞のたまわく、先師聖人源空の御とき、はかりなき法文諍論のことありき。善信は、念仏往生の機は体失せずして往生をとぐという。小坂の善恵房証空は、体失してこそ往生はとぐれと云々 この相論なり。ここに同朋のなかに勝劣を分別せんがために、あまた大師聖人源空の御前に参じて申されていわく、善信御房と善恵御房と法文諍論のことはんべりとて、かみくだんのおもむきを一々にのべ申さるるところに、大師聖人源空のおおせにのたまわく、善信房の体失せずして往生すと、たてらるる条は、やがて、さぞと、御証判あり。善恵房の体失してこそ往生はとぐれと、たてらるるも、また、やがて、さぞと、おおせあり。これによりて両方の是非わきまえがたきあいだ、そのむねを衆中よりかさねてたずね申すところに、おおせにのたまわく、善恵房の体失して往生するよしのぶるは、諸行往生の機なればなり。善信房の体失せずして往生するよし申さるるは、念仏往生の機なればなり。如来教法元無二なれども、正為衆生機不同なれば、わが根機にまかせて領解する条、宿善の厚薄によりなり。念仏往生は仏の本願なり。諸行往生は本願にあらず。念仏往生には臨終の善悪を沙汰せず。至心信楽の帰命の一心、他力よりさだまるとき、即得往生住不退転の道理を、善知識におうて、聞持する平生のきざみに治定するあいだ、この穢体亡失せずといえども、業事成弁すれば、体失せずして往生すと、いわるるか。本願の文あきらかなり。かれをみるべし。つぎに諸行往生の機は、臨終を期し、来迎をまちえずしては、胎生辺地までもうまるべからず。このゆえに、この穢体亡失するときならでは、その期するところなきによりて、そのむねをのぶるか。第十九の願にみえたり。勝劣の一段におきては、念仏往生は本願なるについて、あまねく十方衆生にわたる。諸行往生は、非本願なるによりて、定散の機にかぎる。本願念仏の機の不体失往生と、非本願諸行往生の機の体失往生と、殿最懸隔にあらずや。いずれも文釈ことばにさきだちて歴然なり。

  一 真宗所立の報身如来、諸宗通途の三身を開出する事。
  弥陀如来を報身如来とさだむること、自他宗をいわず、古来の義勢、ことふりんたり。されば荊渓は、「諸教所讃多在弥陀」(止観輔行)とものべ、檀那院の覚運和尚は、また「久遠実成弥陀仏 永異諸経之所説」(念仏宝号)と釈せらる。しかのみならず、わが朝の先哲は、しばらくさしおく、宗師異朝の善導大師の御釈にのたまわく、「上従海徳初際如来、乃至今時釈迦諸仏、皆乗弘誓、非智双行」(法事讃)と等、釈せらる。しかれば、海徳仏より本師釈尊にいたるまで、番番出世の諸仏、弥陀の弘誓に乗じて、自利利他したまえるむね、顕然なり。覚運和尚の釈義、釈尊も久遠正覚の弥陀ぞとあらわさるるうえは、いまの和尚の御釈にえあわすれば、最初海徳以来の仏仏も、みな久遠正覚の弥陀の化身たる条、道理文証必然なり。「一字一言加減すべからず。ひとつ経法のごとくすべし」(散善義意)と、のべまします光明寺の御釈は、もっぱら仏経に准ずるうえは、自宗の正依経たるべし。傍依の経にまたあまたの証説あり。『楞伽経』にのたまわく、「十方諸刹土衆生菩薩中 所有法報身 化身及変化 皆従無量寿 極楽界中出」文ととけり。また『般舟経』にのたまわく、「三世諸仏念弥陀三昧成等正覚」ともとけり。諸仏自利利他の願行、弥陀をもってあるじとして、分身遣化の利生方便をめぐらすこと、掲焉し。これによりて、久遠実成の弥陀をもって、報身如来の本体とさだめて、これより応迹をたるる諸仏通総の法・報・応等の三身は、みな弥陀の化用たり、ということをしるべきものなり。しかれば報身という名言は、久遠実成に弥陀に属して、常住法身の体たるべし。通総の三身は、かれよりひらきいだすところの浅近の機におもむく所の作用なり。されば聖道難行にたえざる機を如来出世の本意にあらざれども、易行易修なるところをよりどころとして、いまの浄土教の念仏三昧をば衆機にわたしてすすむるぞと、みなひとおもえるか。いまの黒谷の大勢至菩薩化現の聖人より代代血脈相承の正義におきては、しかんはあらず。海徳仏よりこのかた釈尊までの説教出世の本意、久遠実成弥陀のたちどより、法蔵正覚の浄土教のおこるをはじめとして、衆生済度の方軌とさだめて、この浄土の機法、ととのおらざるほど、しばらく在世の権機に対して、方便の教として、五時の教をときたまえりと、しるべし。たとえば月まつほどの手すさみの風情なり。いわゆる三経の説時をいうに、『大無量寿経』は、法の真実なるところをときあらわして、対機はみな権機なり。『観無量寿経』は、機の真実なるところをあらわせり。これすなわち実機なり。いわゆる五障の女人韋提をもって対機としてとおく末世の女人、悪人にひとしむるなり。『小阿弥陀経』は、さきの機法の真実をあらわす二経を合説して、「不可以少善根福徳因縁得生彼国」と等、とける。無上大利の名願を、一日七日の執持名号にむすびとどめて、ここを証誠する諸仏の実語を顕説せり。これによりて「世尊説法時将了」(法事讃)と等、釈光明寺 しまします。一代の説教、むしろをまきし肝要、いまの弥陀の名願をもって、附属流通の本意とする条、文にありてみつべし。いまの三経をもって、末世造悪の凡機にときき(か)せ、聖道の諸教をもっては、その序分とすること、光明寺の処処の御釈に歴然たり。ここをもって諸仏出世の本意とし、衆生得脱の本源とする条、いかにいわんや、諸宗出世の本懐とゆるす『法華』において、いまの浄土教は、同味の教なり。『法華』に説時、八箇年中に王宮に五逆発現のあいだ、このときにあたりて、霊鷲山の会座を没して、王宮に降臨して、他力をとかれしゆえなり。これらみな、海徳以来乃至釈迦一代の出世の元意、弥陀の一教をもって本とせらるる太都なり。

  一 信のうえの称名の事。
  聖人親鸞の御弟子に、高田の覚信房太郎入道と号す というひとありき。重病をうけて獲麟にのぞむとき、聖人親鸞 入御ありて危急の体を御覧ぜらるるところに、呼吸のいきあらくして、すでにたえなんとするに、称名おこたらず、ひまなし。そのとき聖人たずねておおせられてのたまわく、そのくるしげさに、念仏強盛の条、まず神妙たり。ただし所存不審、いかんと。覚信房こたえもうされていわく、よろこび、すでにちかづけり。存ぜん事一瞬にせまる、刹那のあいだたりというとも、いきのかよわんほどは、往生の大益をえたる仏恩を報謝せずんば、あるべからずと存ずるについて、かくのごとく報謝のために称名つかまつるものなりと云々 このとき上人、年来常随給仕のあいだの提撕そのしるしありけりと御感のあまり、随喜の御落涙、千行万行なり。しかれば、わたくしにこれをもってこれを案ずるに、真宗の肝要、安心の要須、これにあるものか。自力の称名をはげみて、臨終のとき、はじめて蓮台にあなうらをむすばんと期するともがら、前世の業因しりがたければ、いかなる死の縁かあらん、火にやけ、みずにおぼれ、刀剣にあたり、乃至寢死までもみなこれ、過去の宿因にあらずということなし。もしかくのごとくの死の縁、身にそなえたらば、さらにのがるることあるべからず。もし怨敵のために害せられば、その一刹那に、凡夫としておもうところ、怨結のほか、なんぞ他念あらん。また寢死においては、本心いきのたゆるきわをしらざるうえは、臨終を期する先途、すでにむなしくなりぬべし。いかんしてか念仏せん。またさきの殺害の機、怨念のほか、他あるべからざるうえは、念仏するにいとまあるべからず。終焉を期する前途、またこれもむなし。仮令かくのごときらの死の縁にあわん機、日ごろの所存に違せば、往生すべからずとみなおもえり。たとい本願の正機たりというとも、これらの失、難治不可得なり。いわんやもとより自力の称名は、臨終の所期、おもいのごとくならん定、辺地の往生なり。いかにいわんや、過去の業縁のがれがたきによりて、これらの障難にあわん機、涯分の所存も達せんことかたきがなかにかたし。そのうえは、また懈慢辺地の往生だにもかなうべからず。これみな本願にそむくがゆえなり。ここをもって御釈浄土文類にのたまわく、「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」(正信偈)とみえたり。ただよく如来のみなを称して、大悲弘誓の恩をむくいたてまつるべしと。平生に善知識のおしえをうけて、信心開発するきざみ、正定聚のくらいに住すとたのみなん機は、ふたたび臨終の時分に往益をまつべきにあらず。そののちの称名は、仏恩報謝の他力催促の大行たるべき条、文にありて顕然なり。これによりて、かの御弟子、最後のきざみ、御相承の眼目、相違なきについて御感涙をながさるるものなり、しるべし。
  一 凡夫として毎事勇猛のふるまい、みな虚仮たる事。

  愛別離苦におうて、父母妻子の別離をかなしむとき、仏法をたもち、念仏する機、いう甲斐なくなげきかなしむこと、しかるべからずとて、かれをはじしめ、いさむること、多分先達めきたるともがら、みなかくのごとし。この条、聖道の諸宗を行学する機のおもいならわしにて、浄土真宗の機教をしらざるものなり。まず凡夫は、ことにおいて、つたなく、おろかなり。その奸詐なる性の実なるをうずみて賢善なるよしをもてなすは、みな不実虚仮なり。たとい未来の生処を弥陀の報土とおもいさだめ、ともに浄土の再会をうたがいなしと期すとも、おくれさきだつ一旦のかなしみ、まどえる凡夫として、なんぞこれなからん。なかんずくに、曠劫流転の世々生々の芳契、今生をもって、輪転の結句とし、愛執愛着のかりのやど、この人界の火宅出離の旧里たるべきあいだ、依正二報ともに、いかでかなごりおしからざらん。これをおもわずんば、凡衆の摂にあらざるべし。けなりげならんこそ、あやまって自力聖道の機たるか、いまの浄土他力の機にあらざるかともうたがいつべけれ。おろかにつたなげにして、なげきかなしまんこと、他力往生の機に相応たるべし。うちまかせての凡夫のありさまにかわりめあるべからず。往生の一大事をば、如来にまかせたてまつり、今生の身のふるまい、心のむけよう、口にいうこと、貪・瞋・痴の三毒を根として、殺生等の十悪、穢身のあらんほどは、たちがたく、伏しがたきによりて、これをはなるること、あるべからざれば、なかなかおろかにつたなげなる煩悩成就の凡夫にて、ただありに、かざるところなきすがたにてはんべらんこそ、浄土真宗の本願の正機たるべけれと、まさしくおおせありき。されば、つねのひとは、妻子眷属の愛執ふかきをば、臨終のきわにはちかずけじ、みせじと、ひきさくるならいなり。それというは、着想にひかれて、悪道に堕せしめざらんがためなり。この条、自力聖道のつねのこころなり。他力真宗には、この義あるべからず。そのゆえは、いかに境界を絶離すというとも、たもつところの他力の仏法なくは、なにをもってか、生死を出離せん。たとい妄愛の迷心深重なりというとも、もとよりかかる機をむねと摂持せんといでたちて、これがためにもうけられたる本願なるによりて、至極大罪の五逆謗法等の無間の業因を、おもしとしましまさざれば、まして愛別離苦にたえざる悲嘆にさえらるべからず。浄土往生の信心成就したらんにつけても、このたびが輪回生死のはてなれば、なげきもかなしみも、もっともふかかるべきについて、あとまくらにならびいて、悲歎鳴咽し、ひだりみぎに群集して、恋慕涕泣すとも、さらにそれによるべからず。さなからんこそ、凡夫げもなくて、殆他力往生の機には不相応なるかやともきらわれつべけれ。されば、みたからん境界をも、はばかるべからず、なげきかなしまんをも、いさむべからずと云々

  一 別離等の苦におうて、悲歎せんやからをば、仏法のくすりをすすめて、そのおもいを教誘すべき事。
  人間の八苦のなかに、さきにいうところの愛別離苦、これもっとも切なり。まず生死界の、すみはつべからざることわりをのべて、つぎに安養界の常住なるありさまをときて、うれえなげくばかりにて、うれえなげかぬ浄土をねがわずんば、未来もまた、かかる悲歎にあうべし。しかし「唯聞愁歎声」(定善義)の六道にわかれて、「入彼涅槃城」(同)の弥陀の浄土にもうでんにはと、こしらえおもむけば、闇冥の悲歎、ようやくにはれて、摂取の光益になどか帰せざらん。つぎにかかるやからには、かなしみにかなしみをそうるようには、よめよめとぶらうべからず。もししからば、とぶらいたるにはあらで、いよいよわびしめたるにてあるべし。酒はこれ、忘憂の名あり。これをすすめて、わらうほどになぐさめて、さるべし。さてこそとぶらいたるにてあれと、おおせありき。しるべし。

  一 如来の本願は、もと凡夫のためにして、聖人のためにあらざる事。
  本願寺の聖人、黒谷の先徳より御相承とて、如信上人、おおせられていわく、世のひと、つねにおもえらく、悪人なおもて往生す。いわんや善人をやと。この事、とおくは弥陀の本願にそむき、ちかくは釈尊出世の金言に違せり。そのゆえは、五劫思惟の劬労、六度万行の堪忍、しかしながら、凡夫出要のためなり。まったく聖人のためにあらず。しかれば、凡夫本願に乗じて、報土に往生すべき正機なり。凡夫もし往生かたかるべくは、願、虚説なるべし。力、徒然なるべし。しかるに、願力あい加して、十方のために大饒益を成ず。これによりて、正覚をとなえて、いまに十劫なり。これを証する恒沙諸仏の証誠、あに無虚妄の説にあらずや。しかれば、御釈にも、「一切善悪凡夫得生者」(玄義分)と等、のたまえり。これも悪凡夫を本として、善凡夫をかたわらにかねたり。かるがゆえに、傍機たる善凡夫、なお往生せば、もっぱら正機たる悪凡夫、いかでか往生せざらん。しかれば、善人なおもて往生す、いかにいわんや悪人をやというべしと、おおせごとありき。
  一 つみは五逆謗法うまるとしりて、しかも小罪をつくるべからずという事。
  おなじき聖人のおおせとて、先師信上人のおおせにいわく、世の人、つねにおもえらく、小罪なりとも、つみをおそれおもいて、とどめばやとおもわば、こころにまかせてとどめられ、善根は修し行ぜんとおもわば、たくわえられて、これをもって大益をもえ、出離の方法ともなりぬべしと。この条、真宗の肝要にそむき、先哲の口授に違せり。まず逆罪等をつくること、まったく諸宗のおきて、仏法の本意にはあらず。しかれども、悪業の凡夫、過去の業因にひかれて、これらの重罪をおかす。これとどめがたく、伏しがたし。また小罪なりとも、おかすべからずといえば、凡夫こころにまかせて、つみをばとどめえつべしと、きこゆ。しかれども、もとより罪体の凡夫、大小を論ぜず、三業みなつみにあらずということなし。しかるに小罪もおかすべからず、といえば、あやまってもおかさば、落居するか。この条、もっとも思択すべし。これもし、抑止門のこころか。抑止は、釈尊の方便なり。真宗の落居は弥陀の本願にきわまる。しかれば、小罪も大罪も、つみの沙汰をし、たたば、とどめてこそ、その詮はあれ、とどめえつべくもなき凡慮をもちながら、かくのごとくいえば、弥陀の本願に帰託する機、いかでかあらん。謗法罪はまた仏法を信ずるこころのなきよりおこるものなれば、もとよりそのうつわものにあらず。もし改悔せば、うまるべきものなり。しかれば、「謗法闡提回心皆往」(法事讃)と釈せらるる、このゆえなり。
  一 一念にてたりぬとしりて、多念をはげむべしという事。
  このこと、多念も一念も、ともに本願の文なり。いわゆる「上尽一形」・「下至一念」と等、釈せらる。これその文なり。しかれども、下至一念は、本願をたもつ往生決定の時剋なり。上尽一形は、往生即得のうえの、仏恩報謝のつとめなり。そのこころ、経釈顕然なるを、一念も多念も、ともに往生のための正因たるようにこころえみだす条、すこぶる経釈に違せるものか。さればいくたびも、先達よりうけたまわり、つたえしがごとくに、他力の信をば、一念に即得往生ととりさだめて、そのとき、いのちおわらざらん機は、いのちあらんほどは、念仏すべし。これすなわち、上尽一形の釈にかなえり。しかるに、世の人つねにおもえらく、上尽一形の多念も、宗の本意とおもいて、それにかなわざらん機の、すてがてらの一念とこころうるか。これすでに、弥陀の本意に違し、釈尊の言説にそむけり。そのゆえは、如来の大悲、短命の根機を本としたまえり。もし多念をもって、本願とせば、いのち一刹那につづまる無常迅速の機、いかでか本願に乗ずべきや。されば真宗の肝要、一念往生をもって淵源とす。そのゆえは、願成就の文には「聞其名号 信心歓喜 乃至一念 願生彼国 即得往生 住不退転」(大経)ととき、おなじき『経』の流通には、「其有得聞彼仏名号 歓喜踊躍乃至一念 当知此人 為得大利 即是具足無上功徳」とも、弥勒に付属したまえり。しかのみならず、光明寺の御釈には、「爾時聞一念 皆当得生彼」(往生礼讃)とら、みえたり。これらの文証、みな無常の根機を本とするゆえに、一念をもって往生治定の時剋とさだめて、いのちのぶれば、自然と多念におよぶ道理をあかせり。されば、平生のとき、一念往生治定のうえの仏恩報謝の多念の称名とならうところ、文証・道理顕然なり。もし、多念をもって、本願としたまわば、多念のきわまり、いずれのときとさだむべきぞや。いのちおわるとき、なるべくんば、凡夫に死の縁、まちまちなり。火にやけても死し、みずにながれても死し、乃至刀剣にあたりても死し、ねぶりのうちにも死せん。これみな先業の所感、さらにのがるべからず。しかるに、もし、かかる業ありておわらん機、多念のおわりぞと、期するところ、たじろかずして、そのときかさねて十念を成じ、来迎引接にあずからんこと、機として、たとい、かねてあらますというとも、願としてかならず迎接あらんこと、おおきに不定なり。されば第十九の願文にも「現其人前者」(大経)のうえに、「仮令不与」とら、おかれたり。仮令の二字をば、「たとい」とよむべきなり。「たとい」というは、あらましなり。非本願たる諸行を修して、往生を係求する行人をも、仏の大慈大悲、御覧じはなたずして、修諸功徳のなかの称名を、よどころとして現じつべくは、その人のまえに現ぜんとなり。不定のあいだ、仮令の二字をおかる。もしさもありぬべくはと、いえるこころなり。まず不定の失のなかに、大段、自力のくわだて本願にそむき、仏智に違すべし。自力のくわだてというは、われとはからうところをきらうなり。つぎには、またさきにいうところのあまたの業因、身にそなえんこと、かたかるべからず。他力の仏智をこそ、「諸邪業繋無能碍者」(定善義)とみえたれば、さまたぐるものもなけれ。われとはからう往生をば、凡夫自力の迷信なれば、過去の業因、身にそなえたらば、あに自力の往生を障碍せざらんや。されば多念の功をもって、臨終を期し、来迎をたのむ自力往生のくわだてには、か様の不可の難どもおおきなり。されば紀典のことばにも、「千里は足の下よりおこり、高山は微塵にはじまる」といえり。一念は多念のはじめたり。多念は一念のつもりたり。ともにもって、あいはなれずといえども、おもてとし、うらとなるところを、人みなまぎらかすものか。いまのこころは、一念無上の仏智をもって、凡夫往生の極促とし、一形憶念の名願をもって、仏恩報尽の経営とすべしと、つたうるものなり。

  元弘第一之暦辛未仲冬下旬之候、相当祖師聖人本願寺親鸞報恩謝徳之七日七夜勤行中、談話先師上人釈如信面授口決之専心専修別発願之次、所奉伝持之祖師聖人之御己証 所奉相承之他力真宗之肝要 以予口筆令記之。是往生浄土之券契、濁世末代之目足也。故広為湿後昆遠利衆類也。推然於此書者守護可許之。無左右不可令披閲者也。非宿善開発之器者、痴鈍之輩定輩誹謗之唇歟。然者恐可令沈没生死海之故也。深納箱底輙莫出 而已。

           釈宗昭
   先年如斯註記之訖、而慮外干今存命、仍染老筆所写之也。姓弥朦朧身又羸劣、雖不堪右筆残留。斯書於遺跡者、若披見之人、往生浄土之信心開発歟之間、不顧窮屈於燈下馳筆畢耳。
   康永三歳甲申九月十二日、相当亡父尊霊御月忌故終写功畢。
               釈宗昭七十五
       同年十月二十六日夜、於燈下付仮名訖。