入出二門偈頌文


『称讃浄土経』に言わく、   玄奘三蔵の訳なり
  「たとい百千倶胝那由他劫を経て、それ無量百千倶胝那由他の舌をもって、一一の舌の上に無量の声を出だして、その功徳を讃めんに、また尽くること能わじ」と。文

入出二門偈頌   愚禿釈親鸞作

『無量寿経論』一巻 元魏天竺三蔵菩提留支の訳なり
婆薮般豆菩薩の造なり、婆薮般豆はこれ梵語なり。
旧訳には天親、これはこれ訛れるなり、新訳には世親なり、これを正とす。
優婆提舎願生の偈、宗師これを『浄土論』と名づく。
この論をまた『往生論』と曰えり。入出二門これより出でたり。
世親菩薩、大乗修多羅真実功徳に依って、
一心に尽十方不可思議光如来に帰命したまえり。
無碍の光明は大慈悲なり、この光明すなわち諸仏の智なり。
かの世界を観ずるに辺際なし。究竟せること広大にして虚空のごとし。
五には仏法不思議なり。この中の仏土不思議に、
二種の不思議力まします。これは安養の至徳を示すなり。
一には業力、いわく法蔵の大願業力に成就せられたり。
二には正覚の阿弥陀法王の善力に摂持せられたり。
女人根欠二乗の種、安楽浄刹には永く生ぜず。
如来浄華のもろもろの聖衆は、法蔵正覚の華より化生す。
諸機は本すなわち三三の品なれども、今は一二の殊異なし。
同一に念仏して別の道なければなり。なお の一味なるがごときなり。
かの如来の本願力を観ずるに、凡愚遇うて空しく過ぐる者なし。
一心に専念すれば速やかに、真実功徳の大宝海を満足せしむ。
菩薩は五種の門を入出して、自利利他の行、成就したまえり。
不可思議兆載劫に、漸次に五種の門を成就したまえり。
何等をか名づけて五念門とすると。礼と讃と作願と観察と回となり。
いかんが礼拝する、身業に礼したまいき。阿弥陀仏正遍知、
もろもろの群生を善巧方便して、安楽国に生ぜん意をなさしめたまうがゆえなり。
すなわちこれを第一門に入ると名づく、またこれを名づけて近門に入るとす。
いかんが讃嘆する、口業をして讃じたまいき。名義に随順して仏名を称せしむ。
如来の光明智相に依って、実のごとく修し相応せしめんと欲すがゆえに。
すなわちこれ無碍光如来の、摂取・選択の本願なるがゆえに。
これを名づけて第二門に入るとす。すなわち大会衆の数に入ることを獲るなり。
いかんが作願する、心に常に願じたまいき。一心に専念して彼に生まれんと願ぜしむ。
蓮華蔵世界に入ることを得。実のごとく奢摩他を修せしめんと欲すなり。
これを名づけて第三門に入るとす。またこれを名づけて宅門に入るとす。
いかんが観察する、智慧をして観じたまいき。正念に彼を観ぜしむるは、実のごとく
毘婆舎那を修行せしめんと欲すがゆえなり。かの所に到ることを得れば、すなわち
種種無量の法味の楽を受用す。すなわちこれを第四門に入ると名づく、
またこれを名づけて屋門に入るとす。菩薩の修行成就というは、
四種は入の功徳を成就したまう、自利の行成就したまうと、知るべし。
第五に出の功徳を成就したまう。菩薩の出第五門というは、
いかんが回向したまう、心に作願したまいき。苦悩の一切衆を捨てたまわざれば、
回向を首として、大悲心を成就することを得たまえるがゆえに、功徳を施したまう。
かの土に生じ已りて速疾に、奢摩他毘婆舎那
巧方便力成就を得已りて、生死園煩悩林に入りて、
応化身を示し神通に遊びて、教化地に至りて群生を利したまう。
すなわちこれを出第五門と名づく、園林遊戯地門に入るなり。
本願力の回向をもってのゆえに、利他の行成就したまえり、知るべし。
無碍光仏、因地の時、この弘誓を発し、この願を建てたまいき。
菩薩すでに智慧心を成じ、方便心・無障心を成じ、
妙楽勝真心を成就して、速やかに無上道を成就することを得たまえり。
自利利他の功徳を成じたまう、すなわちこれを名づけて入出門とすとのたまえり。
曇鸞和尚 大巌寺
婆薮般豆菩薩の論、本師曇鸞和尚、註したまえり。
願力成就を五念と名づく、仏をして言わば、宜しく利他と言うべし。
衆生をして言わば他利と言うべし。当に知るべし、いま将に仏力を談ぜんとす。
如実修行相応は、名義と光明と(に)随順するなり。
この信心をもって一心と名づく。煩悩成就せる凡夫人、
煩悩を断ぜずして涅槃を得しむ。すなわちこれ安楽自然の徳なり。
淤泥華というは『経』(維摩経)に説いて言わく、「高原の陸地に蓮を生ぜず、卑湿淤泥に蓮華を生ず。」これは凡夫、煩悩の泥の中にありて、仏の正覚の華を生ずるに喩うるなり。これは如来の本弘誓不可思議力をしめす、すなわちこれ、入出二門を他力と名づくとのたまえり。

道綽禅師 玄忠寺
道綽和尚解釈して曰わく、『大集経』に言わく「我が末法に行を起こし道を修せん一切衆、未だ一人も獲得の者あらじと。此にありて心を起こし行を立てん者は、すなわち聖道なり、自力と名づく。当今は末法にしてこれ五濁なり、ただ浄土ありて通入すべし」と。今の時、悪を起こし衆罪を造ること、恒常にして暴風駛雨のごとし。本弘誓願に名を称せしむるは、これ穢濁悪の衆生のためなり、ここをもって諸仏、浄土を勧めたまえり。たとい一生悪を造る者、三信相応せんは、これ一心なり。一心は淳心なればこれ如実と名づく。もし生まれずは、この処なけん。必ず安楽国に往生を得れば、生死すなわちこれ大涅槃なり、すなわち易行道なり、他力と名づくとのたまえり。

善導禅師 光明寺
善導和尚義解して曰わく、念仏成仏する、これ真宗なり、
すなわちこれを名づけて一乗海とす、すなわちこれをまた菩提蔵と名づく。

すなわちこれ円教の中の円教なり、頓教の中の頓教なり。
真宗遇いがたし、心を得ること難し、難の中の難、これに過ぎたるはなけん。

釈迦諸仏これ真実 慈悲の父母なり、種種の善巧方便をもって、我等が無上の真実の心を発起せしめたまう。煩悩を具足せる凡夫人、仏願力をもって摂取を獲。

この人はすなわち凡数の摂にあらず、これ人中の分陀利華なり。この信は最勝希有人なり、この信は妙好上上人なり。安楽土に到れば必ず自然に、すなわち法性の常楽を証すとのたまえり。

入出二門

   建長八歳丙辰三月二十三日     書写之