愚禿鈔 上
【一】 賢者の信を聞きて、愚禿が心を顕す。 賢者の信は、内は賢にして外は愚なり。 愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり。
【二】 聖道・浄土の教について、二教あり。 一には大乗の教、 二には小乗の教なり。
【三】 大乗教について、二教あり。 一には頓教、二には漸教なり。
【四】 頓教について、また二教・二超あり。
【五】 二教とは、 一には難行聖道の実教なり。いはゆる仏心・真言・法華・華厳等の教なり。 二には易行浄土本願真実の教、『大無量寿経』等なり。
【六】 二超とは、 一には堅超 即身是仏・即身成仏等の証果なり。 二には横超 選択本願・真実報土・即得往生なり。
【七】 漸教について、また二教・二出あり。
【八】 二教とは、 一には難行道 聖道権教、法相等、歴劫修行の教なり。 二には易行道 浄土の要門、『無量寿仏観教』の意、定散・三福・九品の教なり。
【九】 二出とは、 一には堅出 聖道、歴劫修行の証なり。 二には横出 浄土、胎宮・辺地・懈慢の往生なり。
【十〇】 小乗教について、二教あり。
【十一】 一には縁覚教 一に麟喩独覚、二に部行独覚。
【十二】 二には声聞教なり。初果・預流向、第二果・一来向、第三果・不還向、 第四果・阿羅漢向、八輩なり。
【十三】 ただ阿弥陀如来の選択本願(第十八願)を除きて以外の、大小・権実・顕密・の諸教は、みなこれ難行道、聖道門なり。また易行道、浄土門の教は、これを浄土回向発願自力方便の仮門といふなりと、知るべし。
【十四】 『大経』に、選択に三種あり。
【十五】 法蔵菩薩 選択本願 選択浄土 選択摂生 選択証果
【十六】 世饒王仏 選択本願 選択浄土 選択讃嘆 選択証成
【十七】 釈迦如来 選択弥勒付属
【十八】 『観経』に、選択に二種あり。
【十九】 釈迦如来 選択功徳 選択摂取 選択讃嘆 選択護念 選択阿難付属
【二十〇】 韋提夫人 選択浄土 選択浄土の機
【二十一】 『小経』に、勧信に二、証成に二、護念に二、讃嘆に二、難易に二あり。
【二十二】 勧信に二とは、 一には釈迦の勧信なり、釈迦に二あり。 二には諸仏の勧信なり、諸仏に二あり。
【二十三】 証成に二とは、 一には功徳証成 二には往生証成なり。
【二十四】 護念に二とは、 一には執持護念 釈迦の護念なり。 二に発願護念 諸仏の護念なり。
【二十五】 讃嘆に二とは、 一には釈迦讃嘆に二あり。 二には諸仏讃嘆に二あり。
【二十六】 難易に二とは、 一には難は疑情なり。 二には易は信心なり。
【二十七】 執持に三あり。已・今・当なり。発願に三あり。已・今・当なり。
【二十八】 『法事讃』に三往生あり。 一には、難思義往生は、『大経』の宗なり。 二には、双樹林下往生は、『観経』の宗なり。 三には、難思往生は、『弥陀経』の宗なり。
【二十九】 『大経』にのたまはく、「本願を証成したまふに、三身まします」と。 法身の証成、『経』(大経・上)にのたまはく、「空中にして讃じてのたまはく、<決定してかならず無上正覚を成じたまふべし>と 。文 報身の証成、十方如来なり。 化身の証成、世饒王仏なり。
【三十〇】 仏土について二種あり。 一には仏、 二には土なり。
【三十一】 仏について四種あり。 一には法身、 二には報身、 三には応身、 四には化身なり。
【三十二】 法身について二種あり。 一には法性法身、 二には方便法身なり。
【三十三】 報身について三種あり。 一には弥陀、 二には釈迦、 三には十方なり。
【三十四】 応・化について三種あり。 一には弥陀、 二には釈迦、 三には十方なり。
【三十五】 土について四種あり。 一には法身の土、 二には報身の土、 三には応身の土、 四には化身の土なり。
【三十六】 報土について三種あり。 一には弥陀、 二には釈迦、 三には十方なり。
【三十七】 弥陀の化土について二種あり。 一には疑城胎宮、 二には懈慢辺地なり。
【三十八】 本願一乗は、頓極・頓速・円融・円満の教なれば、絶対不二の教、一実真如の道なりと、知るべし。専がなかの専なり、頓がなかの頓なり、真のなかの真なり、円のなかの円なり。一乗一実は大誓願海なり。第一希有の行なり。
【三十九】 金剛の真心は、無碍の信海なりと、知るべし。
【四十〇】 『疏』(玄義分)にいはく、「われ菩薩蔵・頓教と一乗海とによる」と。
【四十一】 『讃』(般舟讃)にいはく、「『瓔珞経』のなかには漸教を説く、万劫、功を修して不退を証す、『観経』・『弥陀経』等の説は、すなはちこれ頓教・菩提蔵となり」と。文
【四十二】 円・頓とは、円は円融・円満に名づく。頓は頓極・頓速に名づく。
【四十三】 二教対 本願一乗海は、頓極・頓速・円融・円満の教なりと、知るべし。 浄土の要門は、定散二善・方便仮門・三福九品の教なりと、知るべし。 難易対 横堅対 頓漸対 超渉対 真仮対 順逆対 純雑対 邪正対 勝劣対 親疎対 大小対 多少対 重軽対 通別対 径迂対 捷遅対 広狭対 近遠対 了不了教対 大利小利対 無上有上対 不回回向対 自説不説対 有願無願対 有誓無誓対 選不選対 讃不讃対 証不証対 護不護対 因明直弁対 理尽非理尽対 無間有間対 相続不続対 退付退対 断不断対 因行果徳対 法滅不滅対 自力他力対 摂取不摂対 入定聚不入対 思不思議対 報化二土対 以上四十二対 教法につくと、知るべし。
【四十四】 真実浄信心は、内因なり。摂取不捨は、外縁なり。
【四十五】 本願を信受するは、前念命終なり。「すなはち正定聚の数に入る」(論註・上意)と。文 即得往生は、後念即生なり。「即のとき必定に入る」(易行品)と。文 また「必定の菩薩と名づくなり」(地相品・意)と。文
【四十六】 他力金剛心なりと、知るべし。 すなはち弥勒菩薩に同じ。自力金剛心なりと、知るべし。 『大経』(下)には「次如弥勒」とのたまへり。文
【四十七】 二機対 一乗円満の機は、他力なり。 漸教回心の機は、自力なり。 信疑対 賢愚対 善悪対 正邪対 是非対 実虚対 真偽対 浄穢対 好醜対 妙粗対 利鈍対 奢促対 希常対 強弱対 上上下下対 勝劣対 直入回心対 明闇対 以上十八対 二機につくと、知るべし。
【四十八】 また二種の機について、また二種の性あり。
【四十九】 二機とは、 一には善機、 二には悪機なり。
【五十〇】 二性とは 一には善性、 二には悪性なり。
【五十一】 また善機について二種あり。また傍・正あり。 一には定機、二には散機なり。『疏』(序分義)に「一切衆生の機に二種あり、一には定、二には散なり」といへり。文
【五十二】 また傍・正ありとは、 一には菩薩 大・小 二には縁覚、 三には声聞・辟支等 浄土の傍機なり。 四には天五には人等なり。浄土の正機なり。
【五十三】 また善性について五種あり。 一には善性、 二には正性、 三には実性、 四には是性、 五には真性なり。
【五十四】 また悪機について七種あり。 一には十悪、 二には四重、 三には破見、 四には破戒、 五には五逆、 六には謗法、 七には闡提なり。
【五十五】 また悪性について五種あり。 一には悪性、 二には邪性、 三には虚性、 四には非性、 五には偽性なり。
【五十六】 光明寺の和尚(善導)のいはく(玄義分)、 「道俗時衆等、おのおの無上の心を発せども、生死はなはだ厭ひがたく、仏法また欣ひがたし。ともに金剛の志を発して、横に四流を超断せよ。弥陀界に観入して、帰依し合掌し礼したてまつれ。相応一念ののち、果、涅槃を得んひとといへり」と。文
【五十七】 『浄土論』にいはく、 「世尊、われ一心に、尽十方無碍光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず。われ修多羅の真実功徳相によりて、願偈を説きて総持して、仏教と相応せり」と。文
【五十八】 『仏説無量寿経』(下)にのたまはく、康僧鎧三蔵訳 「わが滅度ののちをもつて、また疑惑を生ずることを得ることなかれ。当来の世に経道滅尽せんに、われ慈悲哀愍をもつて、特にこの経を留めて止住すること百歳せん。それ衆生ありてこの経に値ふもの、意の所願に随ひてみな得度すべしと。仏、弥勒に語りたまはく、<如来の興世、値ひがたく見たてまつりがたし。諸仏の経道、得がたく聞きがたし。菩薩の勝法、諸波羅蜜、聞くを得ることまた難し。善知識に遇ひ法を聞きよく行ずること、これまた難しとす。もしこの経を聞きて信楽し受持すること、難のなかの難、この難に過ぎたるはなけん。このゆゑにわが法かくのごとくなしき。かくのごとく説き、かくのごとく教ふ。まさに信順して法のごとく修行すべし>」と。文
【五十九】 『無量寿如来会』(下)にのたまはく、菩提流支三蔵訳 「如来の勝智、・虚空の諸説の義言は、ただ仏のみの悟なり。このゆゑに博く諸智土を聞きて、わが教、如実の言を信ずべし」と。文
【六十〇】 『無量清浄平等覚経』(二)にのたまはく、帛延三蔵訳 「速疾に越えてすなはち、安楽国の世界に到るべし。無量光明土に至りて、無数の仏に供養したてまつれ」と。文
【六十一】 『諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』(下)にのたまはく、支謙三蔵訳 「われ般泥・して去きてのち、経道留止せんこと千歳せん。千歳ののち経道断絶せん。われ、みな慈哀して、ことにこの経法を留めて、止住せんこと百歳せん。百歳のうちに竟らん。いまし休止し断絶せん。心の所願ありてみな道を得べし」と。略出
【六十二】 元照律師『阿弥陀経の義疏』にいはく、大智律師なり 「<勢至章>にいはく、<十方の如来、衆生を憐念したまふこと、母の子を憶ふがごとし>と。『大論』(大智度論)にいはく、<たとへば、魚母のもし子を念はざれば、子すなはち壊爛する等のごとし>と。阿耨多羅、ここには無上と翻ず、三藐は正等といふ、三菩提は正覚といふ。すなはち仏果の号なり。薄地の凡夫、業惑に纏縛せられて五道に流転せること百千万劫なり。たちまちに浄土を聞きて、志願して生を求む。一日名を称すればすなはちかの国に越ゆ。諸仏護念してただちに菩提に趣かしむ。謂ふべし、万劫にも逢ひがたし。千生に一たび誓に遇へり。今日より未来を終尽すとも、在所にして讃揚し、多方にして勧誘せん。所感の身土・所化の機縁、阿弥陀と等しくして異あることなけん。この心極まりなし、ただ、仏、証知したまへ。このゆゑに下に三たび信を勧む。わが語を信ずるものは、教を信ずといふなり。わが十方諸仏を信ぜざるがごとしと、あに虚妄なるをや」と。略出 本にいはく、 建長七年乙卯八月二十七日これを書く。
愚禿親鸞八十三歳
愚禿鈔 下
【六十三】 賢者の信を聞きて、 愚禿が心を顕す。 賢者の信は、 内は賢にして外は愚なり。 愚禿が心は、 内は愚にして外は賢なり。
【六十四】 唐朝の光明寺の和尚(善導)の『観経義』(散善義)にいはく、 「まづ上品上生の位のなかについて、乃至 一つには<仏告阿難>より以下は、すなはちならべて二の意を標す。一つには告命を明かす。 二つにはその位を弁定することを明かす。これすなはち大乗の上善を修学する凡夫人なり。 三つには<若有衆生>より下<即便往生>に至るまでのこのかたは、まさしく総じて有生の類を挙ぐることを明かす。すなはちそれに四あり。一つには能信の人を明かす。二つには往生を求願することを明かす。三つには発心の多少を明かす。 四つには得生の益を明かす。四つには<何等為三>より下<必生彼国>に至るまでこのかたは、まさしく三心を弁定してもつて正因となすことを明かす。すなはち二あり。一つには世尊、機に随ひて益を顕すこと、意密にして知りがたし。仏みづから問ひてみづから徴したまふにあらざれば、解を得るに由なきこと明かす。 二つには如来、還りてみづから前の三心の数を答へたまふことを明かす。『経』(観経)にのたまはく、<一つには至誠心>。至とは真なり、誠とは実なり、一切衆生、身口意業に修するところの解行、かならず真実心のうちになしたまへるを須ゐんことを明かさんと欲ふ。外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐ければなり。貧瞋・邪偽・奸詐百端にして悪性侵めがたし、こと蛇蝎に同じ。三業を起すといへども、名づけて雑毒の善となす、また虚仮の行と名づく、真実の業と名づけざるなり。 もしかくのごとき安心起行をなすは、たとひ身心を苦励して日夜十二時、急に走め急になくこと、頭燃を灸ふがごとくするは、すべて雑毒の善と名づく。この雑毒の行を回してかの仏の浄土に求生せんと欲ふは、これかならず不可なり。なにをもつてのゆゑに、まさしくかの阿弥陀仏、因中に菩薩の行を行じたまひしとき、乃至一念一刹那も、三業の所修みなこれ真実心のなかになしたまひしによりてなり。おほよそ施したまふところ趣求をなす、またみな真実なりと。また真実に二種あり、一つには自利真実、二つには利他真実なり」と。文
【六十五】 利他真実について、また二種あり。 一つには、「おほよそ施したまふところ趣求をなすは、またみな真実なり」(散善義) と、 二つには、「不善の三業はかならず真実心のなかに捨てたまひしを須ゐよ。またもし善 の三業を起さばかならず真実心のなかになしたまひしを須ゐて、内外・明闇を簡ばず 、みな真実を須ゐるがゆゑに至誠心と名づく」(同)と。文
【六十六】 「自利真実といふは、また二種あり。一つには真実心のなかに、自他の諸悪および穢国等を制捨して、行住坐臥に<一切菩薩の諸悪を制捨するに同じく、われもまたかくのごとくせん>と想へとなり。二つには真実心のなかに、自他凡聖等の善を勤修すべしと。真実心のなかの口業に、かの阿弥陀仏および依正二報を讃嘆すべし。また真実心のなかの口業に、三界・六道等の自他の依正二報、苦悪のことを毀厭し、また一切衆生三業所為の善を讃嘆すべし。もし善業にあらず敬ひてこれを遠ざかれ、また随喜せざれとなり。また真実心のなかの身業に、合掌して礼敬して、四事等をもつてかの阿弥陀仏および依正二報を供養したてまつれ。また真実心のなかの身業に、この生死三界等の自他の依正二報を軽慢し厭捨すべし。また真実心のなかの意業に、かの阿弥陀仏および依正二報を思想し観察し憶念して、目の前に現ぜるがごとくすべし。また真実心のなかの意業に、この生死三界等の自他の依正二報を軽賎し厭捨すべし」(散善義)となり。文
【六十七】 「一つには至誠心」といふは、至とは真なり、誠とは実なり。すなはち真実なり。真実に二種あり。
【六十八】 一には自利真実なり。 難行道 聖道門 堅超 即身是仏・即身成仏、自力なり。堅出 自力のなかの漸教、 歴劫修行なり。
【六十九】 二には利他真実なり。 易行道 浄土門 横超 如来の誓願他力なり。 横出 他力のなかの自力なり。 定散の諸行なり。
【七十〇】 自利真実について、また二種あり。
【七十一】 一には厭離真実なり。 聖道門 難行道 堅出 自力 堅出とは難行道の教なり、厭離をもつて本とす、自力の心なるがゆゑなり。
【七十二】 二には欣求真実なり。 浄土門 易行道 横出 他力 横出とは易行道の教なり、欣求をもつて本とす、なにをもつてのゆゑに、願力によりて生死を厭捨せしむるがゆゑなりと。
【七十三】 また横出の真実について、また三種あり。 一には口業に欣求真実、 口業に厭離真実なり、 二には身業に欣求真実、 身業に厭離真実なり、 三には意業に欣求真実、 意業に厭離真実なり。
【七十四】 宗師(善導)の釈文(散善義)を案ずるに、「一者真実心中」以下より、「自他凡聖等善」に至るまでは、厭離を先とし欣求を後とす。すなはちこれ難行道、自力・堅出の義なり。「真実心中口業」以下より、「自他依正二報」に至るまでは、すなはちこれ易行道、他力・横出の義なり。
【七十五】 「二つには深心、深心といふは、すなはちこれ深信の心なり。また二種あり。一つには、決定して<自信は、現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねに没してつねに流転して、出離の縁あることなし>と深信す。二つには、決定して<かの阿弥陀仏、四十八願をもつて衆生を摂受したまふ、疑いなく慮りなく、かの願力に乗ずれば、さだんで往生を得>と深信せよ」(同)となり。文
【七十六】 いまこの深信は他力至極の金剛心、一乗無上の真実信海なり。
【七十七】 文の意を案ずるに、深信について七深信あり、六決定あり。
【七十八】 七深信とは、 第一の深信は、「決定して自身を深信する」(散善義・意)と、すなは ちこれ自利の信心なり。 第二の深信は、「決定してかの願力に乗じて深信する」(同・意)と、 すなはちこれ利他の信海なり。 第三には、「決定して『観経』を深信す」(同・意)と、 第四には、「決定して『弥陀経』を深信す」(同・意)と、 第五には、「ただ仏語を信じ決定して行による」(同・意)と、 第六には、「この『経』(観経)によつて深信す」(同・意)と、 第七には、「また深心の深信は決定して自心を建立せよ」(同・意)となり。
【七十九】 六決定とは、以上次いでのごとし、知るべし。
【八十〇】 第五の「唯信仏語」(散善義・意)について、三遣・三随順・三是名あり。
【八十一】 三遣とは、 一には、「仏の捨て遣めたまふをば、すなはち捨つ」(散善義)と。 二には、「仏の行ぜ遣めたまふをば、すなはち行ず」(同)と。 三には、「仏の去ら遣めたまふところをば、すなはち去る」(同)となり。
【八十二】 三随順とは、 一つには、「是を仏教に随順すと名づく」(同)と、 二つには、「仏意に随順す」(同)と、 三つには、「是を仏願に随順すと名づく」(同)となり。
【八十三】 三是名とは、 一つには、「是を真仏弟子と名づく」(同)となり、 上の是名とこれと合して三是名なり。
【八十四】 第六に「この経によりて深信する」(同・意)について、六即・三印・三無・六正・二了あり。
【八十五】 六即とは、 一つには、「もし仏意に称へば、即ち印可して<如是如是>とのたまふ 」(散善義)と、 二つには、「もし仏意に称はざれば、即ち<なんぢらが説くところ、こ の義不如是>とのたまふ」(同)と。 三つには、「印せざるは、即ち無記・無利・無益の語に同じ」(同)と、 四つには、「仏の印可したまふは、即ち仏の正教に随順するなり」(同)と、 五つには、「もし仏の所有の言説は、即ちこれ正教なり」(同)と、 六つには、「もし仏の所説は、即ちこれ了教なり」(同)となり。
【八十六】 三印とは、 一には即印可、 二には不印、 三には仏印可なり。三印は上の六即の文のなかにあり。
【八十七】 三無とは、 一には無記、 二には無利、 三には無益なり。三無は六即の文のなかにあり。
【八十八】 六正とは、 一には正教、 二には正義、 三には正行、 四には正解、 五には正業、 六には正智なり。
【八十九】 二了とは、 一つには、「もし仏の所説は、すなはちこれ了教なり」(散善義)と、 二つには、「菩薩等の説はことごとく不了教と名づくなり」(同)と知るべし。
【九十〇】 第七の「また深心の深信」(同)については、決定して自心を建立するに、二別・三異・一問答あり。
【九十一】 二別とは、 一には別解、 二には別行なり。
【九十二】 三異とは、 一には異学、 二には異見、 三には異執なり。
【九十三】 一問答のなかに、四別・四信あり。
【九十四】 四別とは、 一には処別、 二には時別、 三には対機別、 四には利益別なり。
【九十五】 四信とは、 一には往生の信心、凡夫の疑難なり。 二には清浄の信心、地前の菩薩・羅漢・辟支仏等の疑難なり。 三には上上の信心なり、初地以上十地このかたの疑難なり。 四には畢竟じて一念疑退の心を起さざるなり。報仏・化仏の疑難なり。
【九十六】 上上の信心について、五実・二異あり。
【九十七】 五実とは、 一には真実決了の義なり、 二には実知、 三には実解、 四には実見、 五には実証なり。
【九十八】 二異とは、 一には異見、 二には異解なり。
【九十九】 報・化二仏の疑難について、『弥陀経』を引いて信を勧むるに、二専・四同・二所化・六悪・二同・三所あり。
【一〇〇】 二専とは、 一には専念、二には専修なり。五種なり。
【一〇一】 四同とは、 一には同讃、 二には同勧、 三には同証、 四には同体なり。
【一〇二】 二所化とは、 一つには「一仏の所化はすなはちこれ一切仏の化なり」(散善義)と、二つには「一切仏の所化はすなはちこれ一仏の化なり」(同)となり。
【一〇三】 六悪とは、 一には悪時、 二には悪世界、 三には悪衆生、 四には悪見、 五には悪煩悩、 六には悪邪無信盛時なり。
【一〇四】 二同とは、 一には十方仏等同心なり、 二には同時におのおの舌相を出す。
【一〇五】 三所とは、 一には所説、二には所讃、 三には所証なり。
【一〇六】 「一仏の所説はすなはち一切仏同じくそのことを証成したまふなり。これを人について信を立つと名づくるなり」(散善義)と、知るべし。 【一〇七】 「次に行について信を立つとは、しかるに行に二種あり。 一には正行、二には雑行なり」(同)と。
【一〇八】 正行について、五正行・六一心・六専修あり。
【一〇九】 五正行とは、 一には一心に専読誦、 二には一心に専観察、 三には一心に専礼仏、 四には一心に専称仏名、五には一心に専讃嘆供養なり。
【一一〇】 またこの正のなかについて、また二種あり。 一つには、「一心に弥陀の名号を専念する、これを正定の業と名づく」 (散善義・意)と。 二つには、「もし礼誦等によるはすなはち名づけて助業となす」(同) となり。
【一一一】 六一心とは、次いでのごとく一心なり。
【一一二】 六専修とは、次いでのごとく専修なり。
【一一三】 また正雑二行について、また二行あり。 一には定行、 二には散行なり。
【一一四】 また正・雑について、また二種あり。 一には念仏、 二には観仏なり。
【一一五】 また念仏について、また二種あり。
【一一六】 一には弥陀念仏、 二には諸仏念仏なり。 法身 報身 応身 化身
【一一七】 また弥陀念仏について、二種あり。 一には正行定心念仏、 二には正行散心念仏なり。 弥陀定散の念仏、これを浄土の真門といふ、また一向専修と名づくるなりと、知るべし。
【一一八】 また諸仏念仏について、二種あり。 一には雑行定心念仏、 二には雑行散心念仏なり。 諸仏定散の念仏は、これ雑中の専行なりと、知るべし。
【一一九】 また観仏について、また二種あり。 一には正の観仏、 二には雑の観仏なり。
【一二〇】 また正の観仏について、また二種あり。 一には真観、 二には仮観なり。
【一二一】 また真・仮について、十三の観想あり。 日想 水想 地想 宝樹想 宝池 宝楼 華座 像想 真観 観音 勢至 普観 雑観
【一二二】 また正の散行について、四種あり。 読誦 礼拝 讃嘆 供養
【一二三】 上よりこのかた定散六種兼行するがゆゑに雑修といふ、これを助業と名づく。名づけて方便仮門となす。また浄土の要門と名づくるなりと、知るべし。
【一二四】 また雑の観仏について、二種あり。また真・仮あり。 一には無相離念、 二には立相住心なり。
【一二五】 また雑の散行について、三福あり。 一には、孝養父母・奉事師長・慈心不殺・修十善業なり。 二には、受持三帰・具足衆戒・不犯威儀なり。 三には、発菩提心・深信因果・読誦大乗・勧進行者なり。
【一二六】 上よりこのかた一切の定散の諸善ことごとく雑行と名づく、六種の正に対して六種の雑あるべし。雑行の言は人・天・菩薩等の解行雑するがゆゑに雑といふなり。もとよりこのかた浄土の業因にあらず。これを発願の行を名づく。また回心の行と名づく。ゆゑに浄土の雑行と名づく。これを浄土の方便仮門と名づく。また浄土の要門と名づくるなり。おほよそ聖道・浄土・正・雑、定・散、みなこれ回心の行なりと、知るべし。
【一二七】 「三者回向発願心」(散善義)とは、回向発願心といふは、二種あり。 一つには、「過去・今生・自他所作の善根、みな真実の深信心のなかに回向してかの国に生れんと願ずるなり」(同・意)と、 二つには、「回向発願して生るるものは、かならず決定して真実心のなかに回向せしめたまへる願を須ゐて得生の想をなすなり」(同)となり。
【一二八】 回向発願して生るるものについて、信心あり。 信心とは、 「得生の想をなす、この心深信すること、なほ金剛のごとし」(同)と なり。
【一二九】 この深信について、一譬喩・二異・二別・一問答・二回向あり。
【一三〇】 一譬喩とは、 「この心深信すること、なほ金剛のごとし」(散善義)となり。
【一三一】 二異とは、 一には異見、 二には異学なり。
【一三二】 二別とは、 一には別解、 二には別行なり。
【一三三】 一問答について、七悪・六譬・二門・四有縁・二所求・二所愛・二欲学・二必あり。
【一三四】 七悪とは、 一には十悪、 二には五逆、 三には四重、 四には破戒、 五には破見、 六には謗法、 七には闡提なり。
【一三五】 六譬とは、 一には、明よく闇を破す。 二には、空よく有を含む。 三には、地よく載養す。 四には、水よく生潤す。 五には、火よく成壊す。 六には、二河 水の河・火の河。
【一三六】 二門とは、 一つには、「随ひて一門を出づるは、すなはち一煩悩門を出づるなり」 (散善義)と、 二つには、「随ひて一門に入るは、すなはち一解脱智慧門に入るなり」 (同)となり。
【一三七】 四有縁とは、 一つには、「なんぢ、なにをもつていましまさに有縁の要行にあらざるをもつてわれを障惑する」(同)と。 二つには、「しかるにわが所愛はすなはちこれわが有縁の行なり。すなはちなんぢが所求にあらず」(同)と。 三つには、「なんぢが所愛はすなはちこれなんぢが有縁の行なり、またわが所求にあらず。このゆゑにおのおの所楽に随ひてその行を修すれば、必ず疾く解脱を得るなり」(同)と。 四つには、「もし行を学ばんと欲はば、必ず有縁の法によれ、少しき功労を用ゐるに多く益を得」(散善義)となり。文
【一三八】 二所求とは、上の文のごとし。
【一三九】 二所愛とは、上の文のごとし。
【一四〇】 二欲学とは、 一つには、「行者まさに知るべし、もし解を学ばんと欲はば、凡より聖に至るまで乃至仏果まで、一切碍なくみな学ぶことを得んとなり」(同)と、 二つには、「もし行を学ばんと欲はば、かならず有縁の法によれ」(同)となり。乃至
【一四一】 二必とは、上の文のごとし。
【一四二】 この深信のなかについて、二回向といふは、 一つには、「つねにこの想をなせ。つねにこの解をなす。ゆゑに回向発願心と名づく」(同・意)と、 二つには、「また回向といふは、かの国に生れをはりて、還つて大悲を起して生死に回入して衆生を教化するを、また回向と名づくるなり」(散善義)となり。
【一四三】 二河のなかについて、「一つの譬喩を説きて信心を守護して、もつて外邪・異見の難を防がん」と、 「この道、東の岸より西の岸に至るまで、また長さ百歩なり」となり。文
【一四四】 「百歩」とは、 人寿百歳に譬ふるなり。
【一四五】 「群賊・悪獣」とは、 「群賊」とは、別解・別行・異見・異執・悪見・邪心・定散・自力の心 なり。 「悪獣」とは、六根・六識・六塵・五陰・四大なり。
【一四六】 「つねに悪友に随ふ」といふは、 「悪友」とは、善友に対す、雑毒虚仮の人なり。
【一四七】 「<無人空迥の沢>といふは、悪友なり。真の善知識に値はざるなり」となり。 「真」の言は仮に対し偽に対す。 「善知識」とは、悪知識に対するなり。 真の善知識、 正の善知識、 実の善知識、 是の善知識、 善の善知識、 善性人なり。 悪の知識とは、 仮の善知識、 偽の善知識、 邪の善知識、 虚の善知識、 非の善知識、 悪の善知識、 悪性人なり。
【一四八】 「白道四五寸」といふは、 「白道」とは、白の言は黒に対す、道の言は路に対す、白とは、すなはちこれ六度万行、定散なり。これすなはち自力小善の路なり。黒とは、すなはちこれ六趣・四生・二十五有・十二類生の黒悪道なり。 「四五寸」とは、四の言は四大、毒蛇に喩ふるなり。五の言は五陰、悪獣に喩ふるなり。
【一四九】 「能生清浄願往生心」といふは、 無上の信心・金剛の真心を発起するなり、これは如来回向の信楽なり。
【一五〇】 「あるいは行くこと一分二分す」といふは、年歳時節に喩ふるなり。
【一五一】 「悪見人等」といふは、 ・慢・懈怠・邪見・疑心の人なり。
【一五二】 「また、西の岸の上に人ありて喚ばうていはく、<汝一心正念にしてただちに来れ、我能く護らん>」といふは、 「西の岸の上に人ありて喚ばうていはく」といふは、阿弥陀如来の誓願なり。「汝」の言は行者なり、これすなはち必定の菩薩と名づく。 龍樹大士『十住毘婆沙論』(易行品)にいはく、「即時入必定」となり。曇鸞菩薩の『論』(論註・上)には「入正定聚之数」(意)といへり。 善導和尚は、「希有人なり、最勝人なり、妙好人なり、好人なり、上上人なり、真仏弟子なり」(散善義・意)といへり。「一心」の言は、真実の信心なり。「正念」の言は、選択摂取の本願なり。また第一希有の行なり、金剛不壊の心なり。「直」の言は、回に対し迂に対するなり。また「直」の言は、方便仮門を捨てて如来大願の他力に帰するなり、諸仏出世の直説を顕さしめんと欲してなり。「来」の言は、去に対し往に対するなり。また報土に還来せしめんと欲してなり。「我」の言は、尽十方無碍光如来なり。不可思議光仏なり。「能」の言は、不堪に対するなり、疑心の人なり。「護」の言は、阿弥陀仏果成の正意を顕すなり、また摂取不捨を形すの貌なり、すなはちこれ現生護念なり。
【一五三】 「念道」の言は、他力白道を念ぜよとなり。
【一五四】 「慶楽」とは、「慶」の言は印可の言なり。獲得の言なり。「楽」の言は悦喜の言なり。歓喜踊躍なり。
【一五五】 「仰いで釈迦発遣して指へて西方に向かへたまふことを蒙る」(散善義)といふは、順なり。「また弥陀の悲心招喚したまふによる」といふは、信なり。「いま二尊の意に信順して、水火二河を顧みず、念々に遺るることなく、かの願力の道に乗ず」といへり。
【一五六】 至誠心について、難易対 彼此対 去来対 毒薬対 内外対
【一五七】 難易対 難とは三業修善不真実の心なり、 易とは如来願力回向の心なり。
【一五八】 彼此対 彼とは浄邦なり、此とは穢国なり。
【一五九】 去来対 去とは釈迦仏なり、来とは弥陀仏なり。
【一六〇】 毒薬対 毒とは善悪雑心なり、薬とは純一専心なり。
【一六一】 内外対 内は外道、外は仏教 内は聖道、外は浄土 内は疑情、外は信心 内は悪性、外は善性 内は邪、外は正 内は虚、外は実 内は非、外は是 内は偽、外は真 内は雑、外は専 内は愚、外は賢 内は仮、外は真 内は退、外は進 内は疎、外は親 内は遠、外は近 内は迂、外は直 内は違、外は随 内は逆、外は順 内は軽、外は重 内は浅、外は深 内は苦、外は楽 内は毒、外は薬 内は怯弱、外は強剛 内は懈怠、外は勇猛 内は間断、外は無間 内は自力、外は他力
【一六二】 おほよそ心について二種の三心あり。 一には自利の三心、二には利他の三信なり。
【一六三】 また二種の往生あり。 一には即往生、二には便往生なり。
【一六四】 ひそかに『観経』の三心往生を案ずれば、これすなはち諸機自力各別の三心なり。『大経』の三信に帰せしめんがためなり、諸機を勧誘して三信に通入せしめんと欲ふなり。三信とは、これすなはち金剛の真心、不可思議の信心海なり。 また「即往生」とは、これすなはち難思議往生・真の報土なり。「便往生」とは、すなはちこれ諸機各別の業因果成の土なり、胎宮・辺地・懈慢界・双樹林下往生なり、また難思往生なりと、知るべし。 本にいはく、 建長七歳乙卯八月二十七日これを書く。 愚禿親鸞八十三歳