『六要鈔会本』
『教行信証六要鈔会本』第十巻 化身土巻
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参考のため、下記のように符号を付けました。
◎は『教行信証』の文。○は『六要鈔』の文。
SYOZEN2-2,3は真宗聖教全書 第2巻 2〜3頁の意。
TAI1-48は仏教大系教行信証 第1巻 48頁の意。
HON-149は東本願寺刊『真宗聖典』149頁の意。
HOU-265は柏原祐義編『真宗聖典』265頁の意。
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○教行信証六要鈔会本第十 化
◎顕浄土方便化身土文類 六末
◎愚禿釈親鸞集
◎夫拠諸修多羅勘決真偽。教誡外教邪偽異執者。
◎それ、もろもろの修多羅に拠って真偽を勘決して、外教邪偽の異執を教誡せば、KESINDO:J:SYOZEN2-175/HON-368,HOU-479
○於当帖中有標有文。標有総別。言総標者。初云夫拠以下一行二字是也。言別標者。於諸文上所題経論解釈名也。今此別標上来諸巻皆以安之。於当帖者総標之外流通以前更無私詞。只広引用諸文而已。是故短慮弥迷文義。但荊渓云。得文大旨不暗元由。已上。一一文言不能委解。且非自宗心行大要。只粗推知所引梗概可仰祖意。其祖意者乃顕総標。即是勘決真偽已下其意明也。SYOZEN2-417/TAI9-402
○当帖の中に於いて標あり文あり。標に総別あり。総標というは、初に「夫拠」という以下、一行二字これなり。別標というは、諸文の上に於いて題する所の経論・解釈の名なり。今この別標は上来の諸巻に皆以てこれを安ず。当帖に於いては総標の外、流通以前に更に私の詞なし。ただ広く諸文を引用すらくのみ。この故に短慮は、いよいよ文義に迷う。但し荊渓の云わく「文の大旨を得れば元由に暗からず」已上。一一の文言は委しく解するに能わず。かつは自宗心行の大要にあらず。ただほぼ所引の梗概を推知して、祖意を仰ぐべし。その祖意とは、乃ち総標に顕する、即ちこの「勘決真偽」已下、その意は明らかなり。SYOZEN2-417/TAI9-402
○若依仏教云真云正。若依外教云邪云偽。而或依外不信内教。縦依仏教宛貶真宗。縦入真門不専一行。或加諸行。或住雑心。如此心行尋其本心。起自仏智疑惑迷心。縦離邪教不出化土胎生因故。当巻明之勧。当捨之。以此為詮。SYOZEN2-417/TAI9-402
○もし仏教に依れば真といい、正という。もし外教に依れば邪といい、偽という。しかるにあるいは外に依りて内教を信ぜず、たとい仏教に依れども、宛も真宗を貶し、たとい真門に入れども一行を専らにせず、あるいは諸行を加え、あるいは雑心に住す。かくの如きの心行は、その本心を尋ぬるに、仏智疑惑の迷心より起る。たとい邪教を離るとも化土胎生の因を出でざるが故に。当巻にこれを明かして勧む。まさにこれを捨つべし。これを以て詮とす。SYOZEN2-417/TAI9-402
◎涅槃経言。帰依於仏者。終不更帰依其余諸天神。略出。
◎『北本涅槃経』(如来性品)に言わく、仏に帰依せし者は、終にまたその余の諸天神に帰依せざれと。略出。KESINDO:SYOZEN2-175/HON-368,HOU-479
○先涅槃文。即出経名是別標也。已下皆同。言終不更帰依等者。問。天神地祗世之所貴何誡之乎。答。帰仏陀者釈教軌範。崇神明者世俗礼奠。内外別故。法度如此。是則月氏晨旦風教。所崇之神多邪神。故帰三宝者不得事之。故倶舎云。衆人恐所逼多帰依諸仙園苑及[ジュ01]林孤樹制多等。此帰依非勝。此帰依非尊。不因此帰依能解脱衆苦。已上。聖道修行既有此制。況於一向専念倫哉。是故善導大師臨終正念決云。問。神祇禍福求祷如何。答。人命長短生下已定。何仮鬼神延之耶。世人迷惑反更求邪。殺害衆生祭祀神鬼。但増罪業倍結怨讎変損寿矣。大命若尽小鬼奈何。空自[ショウ08]惶必無所済。切宜謹之。已上。是等皆誡事邪神者有損無益。於権社者非此限歟。就中我朝是神国也。王城鎮守。諸国擁衛。諸大明神。尋其本地往古如来。法身大士。不可相同異域邪神。和光素意本在利物。且酬宿世値遇善縁。且依垂迹多生調熟。今帰正法欲出生死。思其神恩不可忽緒。雖然欲専一心一行。称念結縁猶且閣之。一宗廃立大師定判。更非不信彼利生等。只守専念専修之儀。依此専念生浄土者。諸上善人倶会一処其説明故。聖衆倶会不可疑惑。一切諸仏共所護念。其益不空。雖不別念蒙其利益故。念弥陀必得諸仏菩薩冥護。為其垂迹天神地祗。又不可違本地聖慮。故専一心唯念一仏。以之為要。於彼諸神本地等者。深致信伏。不可忽緒。SYOZEN2-417,418/TAI9-409,410
○まず『涅槃』の文。即ち経名を出だす、これ別標なり。已下皆同じ。「終不更帰依」等というは、問う、天神地祗は世の貴ぶ所なり、何ぞこれを誡むるや。答う、仏陀に帰するは釈教の軌範、神明を崇むるは世俗の礼奠、内外別なる故に、法度かくの如し。これ則ち月氏、晨旦の風教、崇むる所の神は多く邪神なり。故に三宝に帰する者は、これに事うることを得ず。故に『倶舎』に云わく「衆人は所逼を恐れて多く諸仙の園苑、及び[ジュ01]林、孤樹、制多等に帰依す。この帰依は勝にあらず。この帰依は尊にあらず、この帰依に因りて能く衆苦を解脱せず」已上。聖道の修行、既にこの制あり。況んや一向専念の倫に於いてをや。この故に善導大師の臨終正念の決に云わく「問う、神祇に禍福を求め祷ること、いかん。答う、人命の長短、生まれてよりこのかた已に定まれり。何ぞ鬼神を仮りてこれを延べんや。世人迷惑して反りて更に邪を求む。衆生を殺害して神鬼を祭祀し、ただ罪業を増し、ますます怨讎を結びて変りて寿を損す。大命もし尽きなば小鬼奈何にかせん。空しく自ら[ショウ08]惶して必ず済う所なし。切に宜しくこれを謹むべし」已上。これら皆、邪神に事うる者は損ありて益なきことを誡む。権社に於いてはこの限にあらざるか。なかんずく我が朝はこれ神国なり。王城の鎮守、諸国の擁衛の諸大明神、その本地を尋すれば往古の如来、法身の大士なり。異域の邪神にあい同じかるべからず。和光の素意は本より利物に在り。且は宿世値遇の善縁に酬い、且は垂迹多生の調熟に依りて、今、正法に帰して生死を出でんと欲す。その神恩を思うに忽緒すべからず。然りといえども一心一行を専らにせんと欲す。称念の結縁なお且くこれを閣くは。一宗の廃立、大師の定判なり。更に彼の利生等を信ぜざるにあらず。ただ専念専修の儀を守る。この専念に依りて浄土に生ずる者は、「諸上善人倶に一処に会すること」、その説明らかなるが故に、聖衆倶会、疑惑すべからず。一切の諸仏共に護念ぜらる、その益空しからず。別に念ぜずといえども、その利益を蒙る故に、弥陀を念ずれば、必ず諸仏菩薩の冥護を得。その垂迹たる天神地祗、また本地の聖慮に違すべからず。故に一心を専らにして、ただ一仏を念ずる、これを以て要とす。彼の諸神の本地等に於いては、深く信伏を致す。忽緒すべからず。SYOZEN2-417,418/TAI9-409,410
◎般舟三昧経言。優婆夷聞是三昧欲学者。乃至。自帰命仏。帰命法。帰命比丘僧。不得事余道。不得拝於天。不得祠鬼神。不得視吉良日。已上。
◎『般舟三昧経』に言わく、優婆夷、この三昧を聞きて学ばんと欲わば、乃至、自ら仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事うることを得ざれ、天を拝すること得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ。已上。KESINDO:SYOZEN2-175/HON-368,HOU-479
○次に『般舟』の文。「優婆夷」とは対告の人を挙ぐ。「聞三昧」とは念仏三昧、「帰命」等とは即ち弥陀界の三宝なり。「鬼神」というは、言う所の鬼はこれ邪神なり。「不得視吉良日」というは吉凶禍福はもとこれ妄情の分別なり。仏教を学ばん人は心を措くに足らず。故にその義を顕す。但し事の情を案ずるに、たとい内心に於いて仏法を信ずるといえども、その身は未だ俗塵を棄てざるの類は世に准じて礼を守り、境に入りて風を問う、神妙というべし。内心に於いては、信知の旨、全く動転に及ばざるものか。SYOZEN2-418/TAI9-420
◎又言。優婆夷欲学三昧。乃至。不得拝天祠祀神。略出。
◎(般舟三昧経)また言わく、優婆夷、三昧を学ばんと欲わば、乃至、天を拝し神を祠祀することを得ざれ。略出。KESINDO:SYOZEN2-175/HON-368,HOU-479
○次同経文。其意同前。SYOZEN2-418/TAI9-420
○次に同経の文。その意は前に同じ。SYOZEN2-418/TAI9-420
◎大乗大方等日蔵経巻第八魔王波旬星宿品第八之二言。爾時[カ04]盧虱[タ04]告天衆言。是諸月等各有主儻。汝可救済四種衆生。何者為四。救地上人諸龍夜叉乃至蝎等。如斯之類。皆悉救之。我以安楽諸衆生故。布置星宿。各有分部乃至摸呼羅時等。亦皆具説。随其国土方面之処。所作事業随順増長。[カ04]盧虱[タ04]於大衆前合掌説言。如是安置日月年時大小星宿。何者名為有六時也。正月二月名暄暖時。三月四月名種作時。五月六月求降雨時。七月八月物欲熟時。九月十月寒凉之時。十有一月合十二月大雪之時。是十二月分為六時。又大星宿其数有八。所謂歳星・[ケイ11]惑・鎭星・太白・辰星・日・月・荷羅[ゴ02]星。又小星宿有二十八。所謂従昴至胃諸宿是也。我作如是次第安置。説其法已。汝等皆須亦見亦聞。一切大衆於意云何。我所置法。其事是不二十八宿及八大星所行諸業汝喜楽不為是為非。宜各宣説。
◎『大乗大方等日蔵経』巻第八、「魔王波旬星宿品」の第八の二に言わく、その時に[カ04]盧虱[タ04]〈カルシッタ〉、天衆に告げて言わく、このもろもろの月等、おのおの主儻あり。汝、四種の衆生を救済すべし。何者をか四とする。地上の人、諸龍、夜叉、乃至、蝎等を救けん。かくの如きの類、みなことごとくこれを救けん。我、もろもろの衆生を安楽するを以ての故に、星宿を布置す。おのおの分部あり、乃至、摸呼羅の時等、またみなつぶさに説かん。その国土方面の処に随いて、所作の事業随順し増長せん。[カ04]盧虱[タ04]、大衆の前にして、掌を合せて、説きて言く、かくのごとく、日月、年時、大小星宿を安置す。何者をか名づけて有六時とするや。正月・二月を暄暖時と名づく。三月・四月を種作時と名づく。五月・六月は求降雨時なり。七月・八月は物欲熟時なり。九月・十月は寒涼の時なり。十有一月、十二月を合して大雪の時なり。これ十二月を分かちて六時とす。また大星宿その数、八あり。いわゆる歳星・[ケイ11]惑・鎮星・太白・辰星・日・月・荷羅[ゴ02]星なり。また小星宿、二十八あり。いわゆる昴より胃に至るまで、諸宿これなり。我かくのごときの次第安置を作して、その法を説き已りぬ。汝等、みな須らくまた見また聞くべし。一切大衆、意においていかん。我が置くところの法、その事、是なりや、いなや、二十八宿および八大星の所行諸業、汝、喜楽なりや、いなや。是とやせん、非とやせん。宜しくおのおの宣説すべし。KESINDO:SYOZEN2-175,176/HON-368,369,HOU-479,480-
◎爾時一切天人仙人阿修羅龍及緊那羅等。皆悉合掌咸作是言。如今大仙。於天人間最為尊重。乃至諸龍及阿修羅無能勝者。智慧慈悲最為第一。於無量劫不忘。隣愍一切衆生。故獲福報。誓願満已。功徳如海。能知過去現在当来一切諸事天人之間。無有如是智慧之者。如是法用。日夜・刹那及迦羅時・大小星宿・月半・月満・年満法用。更無衆生能作是法。皆悉随喜安楽。我等善哉大徳。安穏衆生。
◎(日蔵経)その時に一切天人・仙人・阿修羅・龍および緊那羅等、みなことごとく掌を合せて、ことごとくこの言を作さく、いま大仙のごとき、天人の間に於いて最も尊重たり。乃至、諸龍および阿修羅、よく勝れたる者なけん。智慧・慈悲、最も第一とす。無量劫において忘れず、一切衆生を憐愍するが故に、福法を獲、誓願満ち已りて、功徳、海のごとし。よく過去・現在・当来の一切諸事を知り、天人の間に、かくの如きの智慧の者〈ひと〉あることなし。かくの如きの法用、日夜・刹那および迦羅時、大小星宿、月半・月満・年満の法用、更に衆生よくこの法を作すことなけん。みなことごとく随喜す。我等を安楽ならしめたまえ。善いかな、大徳、衆生を安穏す。KESINDO:SYOZEN2-176/-HON-369,HOU-480,481-
◎是時[カ04]盧虱[タ04]仙人復作是言。此十二月一年始終。如此方便。大小星等刹那時法。皆已説竟。又復安置四天大王於須弥山四方面所。各置一王。是諸方所各領衆生。北方天王名毘沙門。是其界内多有夜叉。南方天王名毘留荼倶。是其界内多有鳩槃荼。西方天王名毘留博叉。是其界内多有諸龍。東方天王名題頭隷[タ04]。是其界内多乾闥婆。四方四維皆悉擁護一切洲渚及諸城邑。亦置鬼神而守護之。爾時[カ04]盧虱[タ04]仙人為於諸天・龍・夜叉・阿修羅・緊那羅・摩[ゴ02]羅伽・人非人等一切大衆。皆称善哉歓喜無量。是時天龍夜叉阿修羅等。日夜供養[カ04]盧虱[タ04]。次復於後過無量世更有仙人。名伽力伽。出現於世。復更別説置諸星宿小大月法時節要略。爾時諸龍在[カ04]羅[テイ04]山聖人住処。尊重恭敬光味仙人。尽其龍力而供養之。已上抄出。
◎(日蔵経)この時、[カ04]盧虱[タ04]仙人、またこの言を作さく、この十二月・一年始終、かくの如く方便す。大小星等、刹那の時法、みなすでに説き竟りぬ。また四天大王を須弥山の四方面所に安置す。おのおの一王を置く。このもろもろの方所にして、おのおの衆生を領す。北方の天王を毘沙門と名づく。これその界内に多く夜叉あり。南方天王を毘留荼倶と名づく。これその界の内に多く鳩槃荼あり。西方天王を毘留博叉と名づく。これその界内に多く諸龍あり。東方天王を題頭隷[タ04]と名づく。これその界内に乾闥婆多し。四方四維、みなことごとく一切洲渚およびもろもろの城邑を擁護す。また鬼神を置きてこれを守護せしむ。その時に[カ04]盧虱[タ04]仙人、諸天・龍・夜叉・阿修羅・緊那羅・摩[ゴ02]羅伽・人非人等、一切大衆に於いて、みな善哉と称して、歓喜無量なることをなす。この時に天・龍・夜叉・阿修羅等、日夜に[カ04]盧虱[タ04]を供養す。次にまた後に於いて、無量世を過ぎて、また仙人あらん、伽力伽と名づけん。世に出現して、また更に別してもろもろの星宿、小大月の法、時節要略を説き置かん。その時に諸龍、[カ04]羅[テイ04]山聖人の住処に在りて、光味仙人を尊重し恭敬せん、それ龍力を尽くしてこれを供養せん。已上抄出。KESINDO:SYOZEN2-176,177/-HON-369,370,HOU-481
○次日蔵経所引有三。一第八巻魔王波旬星宿品文。於中有三。初爾時下至已説竟二十八行余。是明安置大小星宿。又分時節安穏衆生。次又復下至盧虱[タ04]一十行余。是明安置四大天王并鬼神等。致令擁護。後次復下至尽当文。三行余者。明未来記。SYOZEN2-418,419/TAI9-438
○次に『日蔵経』、所引に三あり。一には第八巻「魔王波旬星宿品」の文。中に於いて三あり。初に「爾時」の下、「已説竟」に至るまで二十八行余は、これ大小の星宿を安置し、また時節を分かちて衆生を安穏にすることを明かす。次に「又復」の下、「盧虱[タ04]」に至るまで一十行余は、これ四大天王、并びに鬼神等を安置して、擁護せしむることを致すことを明かす。後に「次復」の下、当文を尽くすに至るまで、三行余は未来記を明かす。SYOZEN2-418,419/TAI9-438
◎日蔵経巻第九念仏三昧品第十言。爾時波旬説是偈已。彼衆之中有一魔女。名為離暗。此魔女者。曽於過去植衆徳本。作是説言。沙門瞿曇名称福徳。若有衆生得聞仏名一心帰依。一切諸魔於彼衆生不能加悪。何況見仏親聞法人。種種方便慧解深広。乃至。設千万億一切魔軍。終不能得須臾為害。如来今者開涅槃道。女欲往彼帰依於仏。即為其父而説偈言。乃至。修学三世諸仏法。度脱一切苦衆生。善於諸法得自在。当来願我還如仏。爾時離暗説是偈已。父王宮中五百魔女姉妹眷属。一切皆発菩提之心。是時魔王見其宮中五百諸女皆帰於仏発菩提心。益大瞋忿怖畏憂愁。乃至。是時五百諸魔女等。更為波旬而説偈言。若有衆生帰仏者。彼人不畏千億魔。何況欲度生死流。到於無為涅槃岸。若有能以一香華持散三宝仏法僧。発於堅固勇猛心。一切衆魔不能壊。乃至。我等過去無量悪一切亦滅無有余。至誠専心帰仏已。決得阿耨菩提果。
◎『日蔵経』巻第九「念仏三昧品」第十に言わく、その時に波旬、この偈を説き已るに、かの衆の中に一の魔女あり、名づけて離暗とす。この魔女は、むかし過去において、もろもろの徳本を植えたりき。この説を作して言く、沙門瞿曇は名づけて福徳と称す。もし衆生ありて、仏名を聞くことを得て、一心に帰依せん。一切の諸魔、かの衆生において悪を加うることあたわず。いかにいわんや、仏を見たてまつり、まのあたり法を聞かん人、種種に方便し慧解深広ならん。乃至。たとい千万億の一切魔軍、ついに須臾も害をなすことを得ることあたわず。如来いま涅槃道を開きたまえり。女、彼に往きて仏に帰依せんと欲うて、即ちその父のためにして、偈を説きて言く、乃至。三世の諸仏の法を修学して、一切苦の衆生を度脱せん。善く諸法に於いて自在を得、当来に願わくは、我還りて仏の如くならんと。その時に、離暗この偈を説き已るに、父の王の宮中の五百の魔女、姉妹、眷属、一切みな菩提の心を発せしむ。この時に魔王、その宮中の五百の諸女、みな仏に帰して菩提心を発せしむるを見るに、大瞋忿・怖畏・憂愁を益すと。乃至。この時に五百のもろもろの魔女等、また波旬のためにして偈を説きて言く、もし衆生ありて仏に帰する者は、かの人、千億の魔に畏れず。いかにいわんや生死の流を度して、無為涅槃の岸に到らんと欲うをや。もしよく一香華を以て、三宝仏法僧に持散することありて、堅固勇猛の心を発さん、一切の衆魔、壊することあたわず。乃至。我等過去の無量の悪、一切また滅して、余あることなけん。至誠専心に仏に帰したてまつり已らば、決して阿耨菩提の果を得んと。KESINDO:SYOZEN2-177,178/HON-370,371,HOU-482-
◎爾時魔王聞是偈已。倍大瞋恚怖畏。煎心憔悴憂愁。独坐宮内。是時光味菩薩摩訶薩聞仏説法。一切衆生尽離攀縁得四梵行。乃至。応浄洗浴著鮮潔衣。菜食長斎勿[タン03]辛臭。於寂静処荘厳道場。正念結跏。或行或坐。念仏身相。無使乱心。更莫他縁念其余事。或一日夜或七日夜。不作余業。至心念仏。乃至見仏。小念見小。大念見大。乃至無量念者見仏色身無量無辺。略抄。
◎(日蔵経)その時、魔王、この偈を聞き已りて、大瞋恚・怖畏を倍〈ま〉して、心を煎〈こが〉し、憔悴憂愁して、独り宮の内に坐す。この時、光味菩薩摩訶薩、仏の説法を聞きて、一切衆生ことごとく攀縁を離れ、四梵行を得しむと。乃至。浄く洗浴し、鮮潔の衣を著て、菜食長斎して、辛く臭きものを[タン03]〈な〉むることなかるべし。寂静処にして、道場を荘厳して、正念結跏し、あるいは行じ、あるいは坐して、仏の身相を念じて乱心せしむることなかれ。さらに他縁し、その余の事を念ずることなかれ。あるいは一日夜、あるいは七日夜、余業を作さざれ。至心に念仏すれば、乃至、仏を見たてまつる。小念は小を見たてまつる。大念は大を見たてまつる。乃至、無量の念は、仏の色身無量無辺を見たてまつらんと。略抄。KESINDO:SYOZEN2-178/-HON-371,372,HOU-482
○二第九巻念仏三昧品第十文。於云乃至。言広博故非至要故不及勘戴所除之文。今就所引現在之文私分為九。一爾時已下八字是明結前生後。二彼衆之下至不能得須臾為害五行余者。是明魔女帰仏世尊即自具述聞名見仏聞法之徳。三如来之下至説偈言一行余者。是明同女欲往仏所為父説偈。次乃至者即偈頌也。略始出終。謂修学下至還如仏一四句偈是其文也。四爾時之下至菩提心一行余者。是明諸余魔女眷属聞偈発心。五是時之下至畏憂愁一行余者。是明魔王見彼発心忽生瞋憂。六是時之下至菩提果五行余者。明諸魔女為重説偈。若有以下至不能壊七言八句。我等以下一四句偈是其文也。七爾時之下至坐宮内一行余者。是明魔王重倍瞋怖。八是時之下至四梵行一行余者。是明菩薩聞仏説法諸衆生等尽得断惑修善之益。九応浄之下至尽当文五行余者。是明正念観察方軌。又説念仏見仏益也。此文之中。小念見小大念等者。選択集中引此経文。加私詞云。感師釈云。大念者大声念仏。小念者小声念仏。故知念即是唱也。已上。SYOZEN2-419/TAI9-452
○二に第九巻「念仏三昧品」第十の文。「乃至」というに於いて、言、広博なるが故に、至要にあらざるが故に、除く所の文を勘戴するに及ばず。今、所引現在の文に就きて私に分ちて九と為す。一に「爾時」已下の八字は、これ結前生後を明かす。二に「彼衆」の下、「不能得須臾為害」に至るまで五行余は、これ魔女、仏世尊に帰して即ち自ら具に聞名・見仏・聞法の徳を述ぶることを明かす。三に「如来」の下、「説偈言」に至るまで一行余は、これ同じき女、仏所に往かんと欲して父の為に偈を説くことを明かす。次に「乃至」とは、即ち偈頌なり。始を略して終を出だす。謂く「修学」の下、「還如仏」に至るまで一四句の偈、これその文なり。四に「爾時」の下、「菩提心」に至るまで一行余は、これ諸余の魔女眷属、偈を聞きて発心することを明かす。五に「是時」の下、「畏憂愁」に至るまで一行余は、これ魔王、彼の発心を見て忽に瞋憂を生ずることを明かす。六に「是時」の下、「菩提果」に至るまで五行余は、諸の魔女、ために重ねて偈を説くことを明かす。「若有」以下、「不能壊」に至るまで七言八句、「我等」以下の一四句偈、これその文なり。七に「爾時」の下、「坐宮内」に至るまで一行余は、これ魔王、重ねて瞋怖を倍することを明かす。八に「是時」の下、「四梵行」に至るまで一行余は、これ菩薩、仏の説法を聞きて、諸の衆生等、尽く断惑修善の益を得ることを明かす。九に「応浄」の下、当文を尽くすに至るまで五行余は、これ正念観察の方軌を明かす。また念仏見仏の益を説くなり。この文の中に「小念見小大念」等とは、『選択集』の中にこの経文を引きて、私の詞を加えて云わく「感師釈して云わく、大念は大声に念仏するなり。小念とは小声に念仏するなり。故に知りぬ念即ちこれ唱なりと」已上。SYOZEN2-419/TAI9-452
◎日蔵経巻第十護塔品第十三言。時魔波旬与其眷属八十億衆。前後囲遶往至仏所。至已接足頂礼世尊。説如是偈。乃至。三世諸仏大慈悲。受我礼懺一切殃。法僧二宝亦復然。至心帰依無有異。願我今日所供養恭敬尊重世導師。諸悪永尽不復生。尽寿帰依如来法。時魔波旬説是偈已白仏言。世尊。如来於我及諸衆生。平等無二心。常歓喜慈悲含忍。仏言。如是。時魔波旬生大歓喜発清浄心。重於仏前接足頂礼。右遶三[ソウ01]恭敬合掌。却住一面。瞻仰世尊心無厭足。已上抄出。
◎『日蔵経』巻第十「護塔品」第十三に言わく、時に魔波旬、その眷属八十億の衆と、前後に囲繞して仏所に往至せしめ、到り已りて、世尊を接足し頂礼したてまつりて、かくの如きの偈を説かく、乃至。三世の諸仏の大慈悲、我が礼を受けたまえ、一切の殃〈つみ〉を懴したてまつらん。法僧二宝も、また然なり、至心帰依したてまつるに異あることなし。願わくは我今日、世の導師を、供養し恭敬し尊重したてまつるところなり。諸悪永く尽くして、また生ぜじ。寿を尽くすまで如来の法に帰依せんと。時に魔波旬、この偈を説き已りて、仏に白して言さく、世尊如来、我およびもろもろの衆生において、平等無二の心にして、常に歓喜し、慈悲含忍せんと。仏の言わく、かくの如し。時に魔波旬、大歓喜を生じて清浄心を発し、重ねて仏前に於いて接足頂礼し、右に遶ること三[ソウ01]して、恭敬合掌して、却きて一面に住して、世尊を瞻仰したてまつるに、心に厭足なしと。已上抄出。KESINDO:SYOZEN2-178,179/HON-372,HOU-483
○三同第十巻護塔品文。是明波旬説偈懺殃乞仏摂受長帰仏法。分文為五。一時魔之下至如是偈一行余者。明魔及衆共至仏所欲説偈意。二三世之下至如来法三行余者。七言八句正偈頌也。三時魔之下至悲含忍一行余者。魔説偈後為我及生重乞摂受。四仏等四字仏印可也。五時魔之下至尽当文二行余者。是結魔王大生歓喜清浄之心無厭足也。SYOZEN2-419,420/TAI9-460,461
○三に同じき第十巻「護塔品」の文。これ波旬の、偈を説きて殃を懺し仏の摂受を乞いて、長く仏法に帰することを明かす。文を分ちて五と為す。一に「時魔」の下、「如是偈」に至るまで一行余は、魔及び衆ともに仏所に至りて偈を説かんと欲する意を明かす。二に「三世」の下、「如来法」に至るまで三行余は、七言八句、正しき偈頌なり。三に「時魔」の下、「悲含忍」に至るまで一行余は、魔、偈を説きて後に我及び生のために重ねて摂受を乞う。四に「仏等」の四字は仏の印可なり。五に「時魔」の下、当文を尽くすに至るまで二行余は、これ魔王大いに歓喜清浄の心を生じて厭足なきことを結するなり。SYOZEN2-419,420/TAI9-460,461
◎大方等大集月蔵経巻第五諸悪鬼神得敬信品第八上言。諸仁者於彼遠離邪見因縁。獲十種功徳。何等為十。一者心性柔善伴侶賢良。二者信有業報乃至奪命不起諸悪。三者帰敬三宝不信天神。四者得於正見不択歳次日月吉凶。五者常生人天離諸悪道。六者得賢善心明人讃誉。七者棄於世俗常求聖道。八者離断常見信因縁法。九者常与正信正行正発心人共相会遇。十者得生善道。以是遠離邪見善根回向阿耨多羅三藐三菩提。是人速満六波羅蜜。於善浄仏土而成正覚。得菩提已。於彼仏土功徳智慧一切善根荘厳衆生。来生其国。不信天神。離悪道畏。於彼命終還生善道。略抄。
◎『大方等大集月蔵経』巻第五「諸悪鬼神得敬信品」第八の上に言わく、もろもろの仁者、かの邪見を遠離する因縁に於いて、十種の功徳を獲ん。何等をか十とする。一には、心性柔善にして伴侶賢良ならん。二には、業報あることを信じて、乃至、命を奪わんとも、諸悪を起こさず。三には、三宝を帰敬して天神を信ぜず。四には、正見を得て、歳次日月の吉凶を択ばず。五には、常に人天に生まれてもろもろの悪道を離る。六には、賢善の心明らかなることを得て、人、讃誉せしむ。七には、世俗を棄てて常に聖道を求めん。八には、断常の見を離れて因縁の法を信ず。九には、常に正信・正行・正発心の人と共に、あい会〈あつ〉まり遇わん。十には、善道に生まるることを得しむ。この邪見を遠離する善根を以て、阿耨多羅三藐三菩提に回向す。この人、速やかに六波羅蜜を満ぜん。善浄の仏土にして正覚を成らん。菩提を得已りて、かの仏土に於いて、功徳・智慧・一切善根、衆生を荘厳せん。その国に来生して天神を信ぜず、悪道の畏を離れて、彼にして命終して、還りて善道に生ぜん。略抄。KESINDO:SYOZEN2-179/HON-372,373,HOU-483,484
○次日蔵経所引有八。一第五巻諸悪鬼神得敬信品第八上文。明依遠離邪見因縁速満六度得菩提也。分文為三。一諸仁者下至云為十一行余者。先標離邪有其十種。次明徴問。二一者以下至生善道六行余者。正挙其数。三以是之下至尽当文四行余者。明其益也。SYOZEN2-420/TAI9-463,464
○次に『日蔵経』所引に八あり。一には第五巻「諸悪鬼神得敬信品」第八の上の文。邪見の因縁を遠離するに依りて速かに六度を満たし、菩提を得ることを明かすなり。文を分かちて三と為す。一に「諸仁者」の下、「為十」というに至るまで一行余は、先まず邪を離るるにその十種あることを標す。次に徴問を明かす。二に「一者」以下、「生善道」に至るまで六行余は、正しくその数を挙ぐ。三に「以是」の下、当文を尽くすに至るまで四行余は、その益を明かすなり。SYOZEN2-420/TAI9-463,464
◎月蔵経巻第六諸悪鬼神得敬信品第八下言。仏出世甚難。法僧亦復難。衆生浄信難。離諸難亦難。哀愍衆生難。知足第一難。得聞正法難。能修第一難。得知難平等。於世常受楽。此十平等処。智者常速知。乃至。爾時世尊於彼諸悪鬼神衆中説法。時於彼諸悪鬼神衆中。彼悪鬼神昔於仏法作決定信。彼於後時近悪知識。心見他過。以是因縁生悪鬼神。略出。
◎『月蔵経』巻第六「諸悪鬼神得敬信品」の第八の下に言わく、仏の出世、はなはだ難し。法僧もまた難し。衆生の浄信難し。諸難を離るること、また難し。衆生を哀愍すること難し。知足、第一に難し。正法を聞くことを得ること難し。よく修すること、第一に難し。難を知ることを得て、平等なれば、世において常に楽を受く。この十平等処は、智者は常に速やかに知らんと。乃至。その時に世尊、かのもろもろの悪鬼神衆の中にして法を説きたまう時に、かのもろもろの悪鬼神衆の中にして、かの悪鬼神は、むかし仏法に於いて決定の信を作せりしかども、彼、後の時に於いて、悪知識に近づきて心に他の過を見る。この因縁を以て、悪鬼神に生まると。略出。KESINDO:SYOZEN2-179,180/HON-373,HOU-484
○二第六巻同品下文。分文為二。初仏出下至常速知三行余者。五言偈頌十二句也。説十平等明諸智者常速可知。次爾時下至尽当文三行余者。対諸悪鬼明得彼報之因縁耳。SYOZEN2-420/TAI9-469
○二には第六巻、同じき品の下の文。文を分かちて二と為す。初に「仏出」の下、「常速知」に至る三行余は、五言の偈頌、十二句なり。十平等を説きて諸の智者の常に速かに知るべきことを明かす。次に「爾時」の下、当文を尽くすに至るまで三行余は、諸の悪鬼に対して彼の報を得るの因縁を明かすらくのみ。SYOZEN2-420/TAI9-469
◎大方等大集経巻第六月蔵分中諸天王護持品第九言。爾時世尊示世間故。問娑婆世界主大梵天王言。此四天下是誰能作護持養育。時娑婆世界主大梵天王作如是言。大徳婆伽婆。兜率陀天王共無量百千兜率陀天子。護持養育北欝単越。他化自在天王共無量百千他化自在天子。護持養育東弗婆提。化楽天王共無量百千化楽天子。護持養育南閻浮提。須夜摩天王共無量百千須夜摩天子。護持養育西瞿陀尼。
◎『大方等大集経』巻第六「月蔵分」の中、「諸天王護持品」第九に言く、その時に世尊、世間を示すがゆえに、娑婆世界の主大梵天王に問うて言く、この四天下に、これ誰かよく護持養育を作すと。時に娑婆世界の主大梵天王、かくの如きの言を作さく、大徳婆伽婆、兜率陀天王、無量百千の兜率陀天子と共に北欝単越を護持し養育せしむ。他化自在天王、無量百千の他化自在天子と共に東弗婆提を護持し養育せしむ。化楽天王、無量百千の化楽天子と共に南閻浮提を護持し養育せしむ。須夜魔天王、無量百千の須夜魔天子と共に西瞿陀尼を護持し養育せしむ。KESINDO:SYOZEN2-180/HON-373,374,HOU-484-
◎大徳婆伽婆。毘沙門天王共無量百千諸夜叉衆。護持養育北欝単越。提頭頼[タ04]天王共無量百千乾闥婆衆。護持養育東弗婆提。毘楼勒天王共無量百千鳩槃荼衆。護持養育南閻浮提。毘楼博叉天王共無量百千龍衆。護持養育西瞿陀尼。
◎(月蔵分)大徳婆伽婆、毘沙門天王、無量百千の諸夜叉衆と共に、北欝単越を護持し養育せしむ。提頭頼[タ04]天王、無量百千の乾闥婆衆と共に、東弗婆提を護持し養育せしむ。毘楼勒天王、無量百千の鳩槃荼衆と共に、南閻浮提を護持し養育せしむ。毘楼博叉天王、無量百千の龍衆と共に、西瞿陀尼を護持し養育せしむ。KESINDO:SYOZEN2-180/HON-374,HOU-484,485-
◎大徳婆伽婆。天仙七宿・三曜・三天童女。護持養育北欝単越。彼天仙七宿者。虚・危・室・壁・奎・婁・胃。三曜者。鎭星・歳星・[ケイ11]惑星。三天童女者。鳩槃・弥那・迷沙。大徳婆伽婆。彼天仙七宿中。虚・危・室三宿是鎭星土境。鳩槃是辰。壁・奎二宿是歳星土境。弥那是辰。婁・胃二宿是[ケイ11]惑土境。迷沙是辰。大徳婆伽婆。如是天仙七宿・三曜・三天童女。護持養育北欝単越。
◎(月蔵分)大徳婆伽婆、天仙七宿・三曜・三天童女、北欝単越を護持し養育せしむ。かの天仙七宿とは虚・危・室・壁・奎・婁・胃なり。三曜は鎮星・歳星・[ケイ11]惑星なり。三天童女は鳩槃・弥那・迷沙なり。大徳婆伽婆、かの天仙七宿の中に虚・危・室の三宿は、これ鎮星の土境なり。鳩槃はこれ辰なり。壁・奎の二宿は、これ歳星の土境なり。弥那はこれ辰なり。婁・胃の二宿は、これ[ケイ11]惑の土境なり。迷沙はこれ辰なり。大徳婆伽婆、かくのごとき天仙七宿・三曜・三天童女、北欝単越を護持し養育せしむ。KESINDO:SYOZEN2-180,181/-HON-374,HOU-485-
◎大徳婆伽婆。天仙七宿・三曜・三天童女。護持養育東弗婆提。彼天仙七宿者。昴・畢・觜・参・井・鬼・柳。三曜者。太白星・歳星・月。三天童女者。毘利沙・弥偸那・羯迦[タ04]迦。大徳婆伽婆。彼天仙七宿中。昴・畢二宿是太白土境。毘利沙是辰。觜・参・井三宿是歳星土境。弥偸那是辰。鬼・柳二宿是月土境。羯迦[タ04]迦是辰。大徳婆伽婆。如是天仙七宿・三曜・三天童女。護持養育東弗婆提。
◎(月蔵分)大徳婆伽婆、天仙七宿・三曜・三天童女、東弗婆提を護持し養育せしむ。かの天仙七宿は昴・畢・觜・参・井・鬼・柳なり。三曜は太白星・歳星・月なり。三天童女は毘利沙・弥偸那・羯迦[タ04]迦なり。大徳婆伽婆、かの天仙七宿の中に昴・畢の二宿はこれ太白の土境なり。毘利沙はこれ辰なり。觜・参・井の三宿はこれ歳星の土境なり。弥偸那はこれ辰なり。鬼・柳の二宿はこれ月の土境なり。羯迦[タ04]迦はこれ辰なり。KESINDO:SYOZEN2-181/-HON-374,375,HOU-485-
◎大徳婆伽婆。天仙七宿・三曜・三天童女。護持養育南閻浮提。彼天仙七宿者。星・張・翼・軫・角・亢・[テイ05]。三曜者。日・辰星・太白星。三天童女者。[シャク02]訶([シャク02] 星黒の反。須陵の反)・迦若・兜羅。大徳婆伽婆。彼天仙七宿中。星・張・翼是日土境。[シャク02]訶是辰。軫・角二宿是辰星土境。迦若是辰。亢・[テイ05]二宿是太白土境。兜羅是辰。大徳婆伽婆。如是天仙七宿・三曜・三天童女。護持養育南閻浮提。
◎(月蔵分)大徳婆伽婆、かくのごとき天仙七宿・三曜・三天童女、東弗婆提を護持し養育せしむ。大徳婆伽婆、天仙七宿・三曜・三天童女、南閻浮提を護持し養育せしむ。かの天仙七宿は星・張・翼・軫・角・亢・[テイ05]なり。三曜は日・辰星・太白星なり。三天童女は[シャク02]訶([シャク02] 星黒の反。須陵の反)・迦若・兜羅なり。大徳婆伽婆、かの天仙七宿の中に、星・張・翼はこれ日の土境なり。[シャク02]訶はこれ辰なり。軫・角の二宿はこれ辰星の土境なり。迦若はこれ辰なり。亢・[テイ05]の二宿はこれ太白の土境なり。兜羅はこれ辰なり。大徳婆伽婆、かくのごとき天仙七宿・三曜・三天童女、南閻浮提を護持し養育せしむ。KESINDO:SYOZEN2-181/-HON-375,HOU-485,486-
◎大徳婆伽婆。彼天仙七宿・三曜・三天童女。護持養育西瞿陀尼。彼天仙七宿者。房・心・尾・箕・斗・牛・女。三曜者。[ケイ11]惑星・歳星・鎭星。三天童女者。毘離支迦・檀[ド01]婆・摩伽羅。大徳婆伽婆。彼天仙七宿中。房・心二宿是[ケイ11]惑土境。毘利支迦是辰。尾・箕・斗三宿是歳星土境。檀[ド01]婆是辰。牛・女二宿是鎭星土境。摩迦羅是辰。大徳婆伽婆。如是天仙七宿・三曜・三天童女。護持養育西瞿陀尼。
◎(月蔵分)大徳婆伽婆、かの天仙七宿・三曜・三天童女、西瞿陀尼を護持し養育せしむ。かの天仙七宿は房・心・尾・箕・斗・牛・女なり。三曜は[ケイ11]惑星・歳星・鎮星なり。三天童女は毘離支迦・檀[ド01]婆・摩伽羅なり。大徳婆伽婆、かの天仙七宿の中に房・心の二宿はこれ[ケイ11]惑の土境なり。毘利支迦はこれ辰なり。尾・箕・斗の三宿はこれ歳星の土境なり。檀[ド01]婆はこれ辰なり。牛・女の二宿はこれ鎮星の土境なり。摩伽羅はこれ辰なり。大徳婆伽婆、かくのごとき天仙七宿・三曜・三天童女、西瞿陀尼を護持し養育せしむ。KESINDO:SYOZEN2-181,182/-HON-375,HOU-486-
◎大徳婆伽婆。此四天下。南閻浮提最為殊勝。何以故。閻浮提人勇健聡慧。梵行相応仏。婆伽婆於中出世。是故四大天王於此倍増護持養育此閻浮提。有十六大国。謂鴦伽摩伽陀国・傍伽摩伽陀国・阿槃多国・支提国。此四大国。毘沙門天王与夜叉衆囲遶護持養育。迦尸国・都薩羅国・婆蹉国・摩羅国。此四大国。提頭頼[タ04]天王与乾闥婆衆囲遶護持養育。鳩羅婆国・毘時国・槃遮羅国・疎那国。此四大国。毘楼勒叉天王与鳩槃荼衆囲遶護持養育。阿湿婆国・蘇摩国・蘇羅[タ04]国・甘満闍国。此四大国。毘楼博叉天王。与諸龍衆。囲繞護持養育。
◎(月蔵分)大徳婆伽婆、この四天下に南閻浮提は最も殊勝なりとす。何を以ての故に。閻浮提の人は勇健聡慧にして、梵行、仏に相応す。婆伽婆、中に於いて出世したまう。このゆえに四大天王、ここに於いて倍増してこの閻浮提を護持し養育せしむ。十六の大国あり。いわく、鴦伽摩伽陀国・傍伽摩伽陀国・阿槃多国・支提国なり。この四大国は、毘沙門天王、夜叉衆と囲繞して護持し養育せしむ。迦尸国・都薩羅国・婆蹉国・摩羅国、この四大国は、提頭頼[タ04]天王、乾闥婆衆と囲繞して護持し養育せしむ。鳩羅婆国・毘時国・槃遮羅国・疎那国、この四大国は、毘楼勒叉天王、鳩槃荼衆と囲繞して護持し養育せしむ。阿湿婆国・蘇摩国・蘇羅[タ04]国・甘満闍国、この四大国は、毘楼博叉天王、もろもろの龍衆と囲繞して護持し養育せしむ。KESINDO:SYOZEN2-182/-HON-375,376,HOU-486-
◎大徳婆伽婆。過去天仙護持養育此四天下。故亦皆如是分布安置。於後随其国土城邑村落塔寺園林樹下塚間山谷曠野河泉陂泊乃至海中宝洲天祠。於彼卵生・胎生・湿生・化生。諸龍・夜叉・羅刹・餓鬼・毘舎遮・富単那・迦[タ04]富単那等。生於彼中。還住彼処。無所繋属。不受他教。是故願仏於此閻浮提一切国土。彼諸鬼神分布安置。為護持故。為護一切諸衆生故。我等於此説欲随喜。
◎(月蔵分)大徳婆伽婆、過去の天仙この四天下を護持養育せしむ。故にまた皆かくの如く分布安置せしむ。後に於いて、その国土・城邑・村落・塔寺・園林・樹下・塚間・山谷・曠野・河泉・波泊、乃至、海中宝洲・天祠に随いて、かの卵生・胎生・湿生・化生に於いて、もろもろの龍・夜叉・羅刹・餓鬼・毘舎遮・富単那・迦[タ04]富単那等、かの中に生じて、かの処に還住して、繋属するところなし。他の教を受けず。この故に願わくは、仏、この閻浮提の一切国土に於いて、かのもろもろの鬼神、分布安置して、護持のための故、一切もろもろの衆生を護らんがための故に、我等、この説に於いて随喜せんと欲すと。KESINDO:SYOZEN2-182/-HON-376,HOU-486,487-
◎仏言。如是大梵。如汝所説。爾時世尊欲重明此義。而説偈言。示現世間故。導師問梵王。於此四天下。誰護持養育。如是天師梵。諸天王為首。兜率他化天。化楽須夜摩。能護持養育如此四天下。四王及眷属。亦復能護持。二十八宿等。及以十二辰。十二天童女。護持四天下。随其所生処。龍鬼羅刹等。不受他教者。還於彼作護。天神等差別。願仏令分布。憐愍衆生故。熾然正法灯。
◎(月蔵分)仏の言わく、かくの如き、大梵、汝が所説の如しと。その時に世尊、重ねてこの義を明かさんと欲して、偈を説きて言わく、世間に示現するが故に、導師、梵王に問わまく、この四天下に於いて、誰か護持し養育せんと。かくの如き天師梵、諸天王を首として、兜率・他化天・化楽・須夜摩、よく、かくの如き四天下を護持し養育せしむ。四王および眷属、またよく護持せしむ。二十八宿等、および十二辰、十二天童女、四天下を護持せしむ。その所生の処に随いて、龍・鬼・羅刹等、他の教を受けざるも、彼に還りて護を作しき。天神等、差別して、願じて、仏、分布せしめたまえり。衆生を憐愍したまう故に、正法の灯を熾然ならしむ。KESINDO:SYOZEN2-182,183/-HON-376,377,HOU-487-
◎爾時仏告月蔵菩薩摩訶薩言。了知清浄土。此賢劫初。人寿四万歳時。鳩留孫仏出興於世。彼仏為無量阿僧祇億那由他百千衆生。廻生死輪転正法輪。追廻悪道安置善道及解脱果。彼仏以此四大天下付属娑婆世界主大梵天王・他化自在天王・化楽天王・兜率陀天王・須夜摩天王等。護持故。養育故。憐他衆生故。令三宝種不断絶故。熾然故。地精気・衆生精気・正法精気久住増長故。令諸衆生休息三悪道故。趣向三善道故。以四天下付属大梵及諸天王。如是漸次劫尽。諸天人尽。一切善業白法尽滅。増長大悪諸煩悩溺。人寿三万歳時。拘那含牟尼仏出興於世。彼仏以此四大天下付属娑婆世界主大梵天王・他化自在天王乃至四大天王及諸眷属。護持養育故。乃至令一切衆生休息三悪道趣向三善道故。以此四天下付属大梵及諸天王。
◎(月蔵分)その時に仏、月蔵菩薩摩訶薩に告げて言わく、清浄土を了知するに、この賢劫の初め人寿四万歳の時、鳩留孫仏、世に出興したまいき。かの仏、無量阿僧祇億那由他百千の衆生のために、生死に回して正法輪を輪転せしむ。追うて悪道に回して、善道および解脱の果を安置せしむ。かの仏、この四大天下を以て、娑婆世界の主大梵天王・他化自在天王・化楽天王・兜率陀天王・須夜摩天王等に付嘱せしむ。護持の故に、養育の故に、他の衆生を憐れむが故に、三宝の種をして断絶せざらしめんが故に、熾然ならんが故に、地の精気・衆生の精気・正法の精気、久しく住せしめ増長せんが故に、もろもろの衆生をして三悪道を休息せしめんが故に、三善道に趣向せんが故に、四天下を以て大梵および諸天王に付嘱せしむ。かくの如き漸次に劫尽き、諸天人尽き、一切善業・白法尽き滅して、大悪・もろもろの煩悩溺を増長せん。人寿三万歳の時、拘那含牟尼仏、世に出興したまいき。かの仏、この四大天下を以て、娑婆世界の主大梵天王・他化自在天王・乃至四大天王およびもろもろの眷属に付嘱したまう。護持養育の故に、乃至、一切衆生をして三悪道を休息して、三善道に趣向せしめんが故に、この四天下を以て、大梵および諸天王に付嘱したまう。KESINDO:SYOZEN2-183,/-HON-377,378,HOU-487-
◎如是次第劫尽。諸天人尽。白法亦尽。増長大悪諸煩悩溺。人寿二万歳時。迦葉如来出興於世。彼仏以此四大天下付属娑婆世界主大梵天王他化自在天王・化楽天王・兜率陀天王・須夜摩天王・[キョウ02]尸迦・帝釈・四天王等及諸眷属。護持養育故。乃至令一切衆生休息三悪道趣向三善道故。彼迦葉仏以此四天下付属大梵四天王等。及付諸天仙衆・七曜・十二天童女・二十八宿等。護持故。養育故。
◎(月蔵分)かくの如き次第に劫尽き、諸天人尽き、白法また尽きて、大悪もろもろの煩悩溺を増長せん。人寿二万歳の時、迦葉如来、世に出興したまう。かの仏、この四大天下を以て、娑婆世界の主大梵天王・他化自在天王・化楽天王・兜率陀天王・須夜摩天王・[キョウ02]尸迦帝釈・四天王等、およびもろもろの眷属に付嘱したまえり。護持養育の故に、乃至一切衆生をして三悪道を休息せしめ、三善道に趣向せしめんが故に、かの迦葉仏、この四天下を以て、大梵・四天王等に付嘱し、および諸天仙衆・七曜・十二天童女・二十八宿等に付したまえり。護持の故に、養育の故に。KESINDO:SYOZEN2-183,184/-HON-378,HOU-487,488-
◎了知清浄土。如是次第至今劫濁・煩悩濁・衆生濁・大悪煩悩濁・闘諍悪世時。人寿百歳。一切白法尽。一切諸悪闇翳。世間譬如海水一味大鹹。大煩悩味遍満於世。集会悪黨。手執髑髏。血塗其掌。共相殺害。如是悪衆生中。我今出世苦提樹下。初成正覚。受提謂波利諸商人食。為彼等故。以此閻浮提分布天龍・乾闥婆・鳩槃荼・夜叉等。護持養育故。
◎(月蔵分)清浄土を了知するに、かくの如き次第に、今、劫濁・煩悩濁・衆生濁・大悪煩悩濁・闘諍悪世の時、人寿百歳に至るまで、一切の白法尽き、一切諸悪闇翳ならん。世間は、たとえば海水の一味にして大鹹なるがごとし。大煩悩の味、世に遍満せん。集会の悪党、手に髑髏を執り、血をその掌に塗らん、共にあい殺害せん。かくの如きの悪の衆生の中に、我いま出世して、菩提樹下に初めて正覚を成じて、提謂・波利・もろもろの商人の食を受けて、彼等がための故に、この閻浮提を以て天・龍・乾闥婆・鳩槃荼・夜叉等に分布せしむ。護持養育の故に。KESINDO:SYOZEN2-184/-HON-378,HOU-488-
◎以是大集十方所有仏土。一切無余菩薩摩訶薩等。悉来集此。乃至於此娑婆仏土。其処百億日月・百億四天下・百億四大海・百億鉄囲山大鉄囲山・百億須弥山・百億四阿修羅城・百億四大天王・百億三十三天・乃至百億非想非非想処。如是略数。娑婆仏土。我於是処而作仏事。乃至於娑婆仏土所有諸梵天王及諸眷属・魔天王・他化自在天王・化楽天王・兜率陀天王・須夜摩天王・帝釈天王・四大天王・阿修羅王・龍王・夜叉王・羅刹王・乾闥婆王・緊那羅王・迦楼羅王・摩[ゴ02]羅伽王・鳩槃荼王・餓鬼王・毘舎遮王・富単那王・迦[タ04]富単那王等。悉将眷属於此大集。為聞法故。乃至於此娑婆仏土所有諸菩薩摩訶薩等及諸声聞。一切無余悉来集此。為聞法故。我今為此所集大衆顕示甚深仏法。復為護世間故。以此閻浮提所集鬼神。分布安置護持養育。
◎(月蔵分)ここを以て大いに十方所有の仏土・一切無余の菩薩摩訶薩等を集めて、ことごとくここに来集せん。乃至この娑婆仏土に於いて、その処の百億の日月、百億の四天下、百億の四大海、百億の鉄囲山・大鉄囲山、百億の須弥山、百億の四阿修羅城、百億の四大天王、百億の三十三天、乃至百億の非想非非想処、かくの如きの数を略せり。娑婆仏土、我この処にして仏事を作す。乃至、娑婆仏土の所有の諸梵天王およびもろもろの眷属、魔天王・他化自在天王・化楽天王・兜率陀天王・須夜摩天王・帝釈天王・四大天王・阿修羅王・龍王・夜叉王・羅刹王・乾闥婆王・緊那羅王・迦楼羅王・摩[ゴ02]羅伽王・鳩槃荼王・餓鬼王・毘舎遮王・富単那王・迦[タ04]富単那王等において、ことごとく眷属を将いて、ここに大集せり。聞法のための故に。乃至、ここに娑婆仏土の所有のもろもろの菩薩摩訶薩等およびもろもろの声聞、一切余なく、ことごとくここに来集せり。聞法のためのゆえに。我いま、この所集の大衆のために甚深の仏法を顕示せしむ。また世間を護らんがための故に、この閻浮提所集の鬼神を以て分布安置す。護持養育すべし。KESINDO:SYOZEN2-184,185/-HON-378,379,HOU-488,489-
◎爾時世尊復問娑婆世界主大梵天王言。過去諸仏以此四大天下曽付属誰令作護持養育。時娑婆世界主大梵天王言。過去諸仏以此四天下曽付属我及[キョウ02]尸迦。令作護持。而我有失不。彰己名及帝釈名。但称諸余天王及宿曜辰。護持養育。爾時娑婆世界主大梵天王及[キョウ02]尸迦帝釈。頂礼仏足而作是言。大徳婆伽婆。大徳修伽陀。我今謝過。我如小兒愚癡無智。於如来前不自称名。大徳婆伽婆。唯願容恕。大徳修伽陀。唯願容恕。諸来大衆亦願容恕。我於境界言説教令。得自在処護持養育。乃至令諸衆生趣善道故。我等曽於鳩留孫仏。已受教勅。乃至令三宝種已作熾然。拘那含牟尼仏・葉達仏所。我受教勅亦如是。於三宝種已勤熾然。地精気・衆生精気・正法味醍醐精気久住増長故。亦如我今於世尊所頂受教勅。於己境界言説教令。得自在処休息一切闘諍飢饉。乃至令三宝種不断絶故。三種精気久住増長故。遮障悪行衆生護養行法衆生故。休息衆生三悪道趣向三善道故。為令仏法得久住故。勤作護持。
◎(月蔵分)その時に世尊、また娑婆世界の主、大梵天王に問うて言わく、過去の諸仏、この四大天下を以て、かつて誰に付嘱して護持養育を作さしめたまうや。時に娑婆世界の主大梵天王言さく、過去の諸仏、この四天下を以て、かつて我および[キョウ02]尸迦に付嘱したまいて、護持を作さしめき。しかして、我、失ありや。己が名および帝釈の名を彰さずして、ただ諸余の天王および宿・曜・辰を称せしむ、護持養育すべしと。その時に娑婆世界の主大梵天王および[キョウ02]尸迦帝釈、仏足を頂礼してこの言を作さく、大徳婆伽婆、大徳修伽陀、我いま過を謝すべし。我小児のごとくして、愚痴無智にして、如来の前にして、自ら称名せざらんや。大徳婆伽婆、やや願わくは容恕したまえ。大徳修伽陀、やや願わくは容恕したまえ。諸来の大衆、また願わくは容恕したまえ。我、境界に於いて言説教令す。自在の処を得て護持養育すべし。乃至、もろもろの衆生をして善道に趣かしめんが故に、我等むかし鳩留孫仏のみもとにして、すでに教勅を受けたまわりて、乃至、三宝の種すでに熾然ならしむ。拘那含牟尼仏・迦葉仏の所〈みもと〉にして、我教勅を受けたまわりしこと、またかくの如し。三宝の種においてすでに勤〈ねんごろ〉にして熾然ならしむ。地の精気、衆生の精気、正法の味、醍醐の精気、久しく住し増長せしむるが故に、また我がごときも今、世尊の所〈みもと〉にして教勅を頂受し、己が境界に於いて言説教令す。自在の処を得て、一切闘諍飢饉を休息せしめ、乃至、三宝の種断絶せざらしむるが故に、三種の精気久住して増長せしむるが故に、悪行の衆生を遮障して、行法の衆生を護養するが故に、衆生をして三悪道を休息せしめ、三善道に趣向するが故に、仏法をして久しく住せしむることを得しめんがための故に、勤〈ねんごろ〉に護持を作すと。KESINDO:SYOZEN2-185,186/-HON-379,380,HOU-489,490-
◎仏言。善哉善哉妙丈夫。汝応如是。爾時仏告百億大梵天王言。所有行法住法順法厭捨悪者。令悉付属汝等手中。汝等賢首於百億四天下各各境界言説教令。得自在処。所有衆生弊悪麁[コウ07]悩害。於他無有慈愍。不観後世畏。触悩刹利心及婆羅門・毘舎・首陀心。乃至触悩畜生心。如是作殺生因縁。乃至作邪見因縁。随其所作非時風雨。乃至令地精気・衆生精気・正法精気作損減因縁者。汝応遮止令住善法。若有衆生。欲得善者。欲得法者。欲度生死彼岸者。所有修行檀波羅蜜者。乃至修行般若波羅蜜者。所有行法住法衆生。及為行法營事者。彼諸衆生。汝等応当護持養育。若有衆生。受持読誦。為他演説。種種解説経論。汝等当与彼諸衆生念持方便得堅固力。入所聞不忘。智信諸法相。令離生死。修八聖道。三昧根相応。若有衆生。於汝境界住法。奢摩他毘婆舎那次第方便。与諸三昧相応。勤求修習三種菩提者。汝等応当遮護摂受。勤作捨施。勿令乏少。若有衆生。施其飲食衣服臥具。病患因縁施湯薬者。汝等応当令彼施主五利増長。何等為五。一者寿増長。二者財増長。三者楽増長。四者善行増長。五者慧増長。汝等長夜得利益安楽。以是因縁汝等能満六波羅蜜。不久得成一切種智。
◎(月蔵分)仏の言わく、善いかな、善いかな、妙丈夫、汝かくの如くなるべしと。その時に仏、百億の大梵天王に告げて言わく、所有の行法、法に住し法に順じて悪を厭捨せん者は、今ことごとく汝等が手の中〈うち〉に付嘱す。汝等賢首、百億の四天下おのおのの境界において、言説教令す。自在の処を得て、所有の衆生、弊悪・麁[コウ07」にして、他において悩害し、慈愍あることなし。後世の畏を観ぜずして、刹利心および婆羅門・毘舎・首陀心を触悩せん、乃至、畜生心を触悩せん。かくの如き殺生を作す因縁、乃至、邪見を作す因縁、その所作に随いて非時の風雨あらん。乃至、地の精気・衆生の精気・正法の精気、損減の因縁を作さしめば、汝、遮止して善法に住せしむべし。もし衆生ありて善を得んと欲わん者、法を得んと欲わん者、生死彼岸に度せんと欲わん者、檀波羅蜜を修行することあらんところの者、乃至、般若波羅蜜を修行せん者、所有の行法、法に住せん衆生、および行法のために事を営まん者、かのもろもろの衆生、汝等まさに護持養育すべし。もし衆生ありて、受持し読誦して、他のために演説し種種に経論を解説せん。汝等、まさにかのもろもろの衆生と、念持方便して堅固力を得べし。所聞に入りて忘れず、諸法の相を智信して、生死を離れしめ、八聖道を修して、三昧の根相応せん。もし衆生ありて、汝が境界において法に住せん、奢摩他・毘婆舎那、次第方便して、もろもろの三昧と相応して、勤に三種の菩提を修習せんと求めん者、汝等、まさに遮護し摂受して、勤に捨施を作して、乏少せしむることなかるべし。もし衆生ありて、その飲食・衣服・臥具を施し、病患の因縁に湯薬を施ん者、汝等、まさにかの施主をして五利増長せしむべし。何等をか五とする。一には寿増長せん、二には財増長せん、三には楽増長せん、四には善行増長せん、五には慧増長するなり。汝等、長夜に利益安楽を得ん。この因縁を以て、汝等、よく六波羅蜜を満ち、久しからずして一切種智を成ずることを得ん。KESINDO:SYOZEN2-186,187/-HON-380,381,HOU-490,491-
◎時娑婆世界主大梵天王為首。共百億諸梵天王咸作是言。如是如是。大徳婆伽婆。我等各各於己境界弊悪麁[コウ07]悩害。於他無慈愍心。不観後世畏。乃至我当遮障与彼施主増長五事。仏言。善哉善哉。汝応如是。爾時復有一切菩薩摩訶薩・一切諸大声聞・一切天龍乃至一切人非人等讃言。善哉善哉大雄猛士。汝等如是法得久住。令諸衆生得離悪道速趣善道。
◎(月蔵分)時に娑婆世界の主大梵天王を首として、百億の諸梵天王と共に、ことごとくこの言を作さく、かくの如し、かくの如し。大徳婆伽婆、我等おのおのに己が境界於いて、弊悪・麁[コウ07」にして、他を悩害し、慈愍の心なく、後世の畏れを観ぜざらん。乃至、我まさに遮障して、かの施主と〈かの施主とのために〉五事を増長すべしと。仏の言わく、善いかな、善いかな、汝かくのごとくなるべし。その時にまた、一切菩薩摩訶薩、一切諸大声聞、一切天・龍、乃至一切人・非人等ありて、讃めて言く、善いかな、善いかな、大雄猛士、汝等、かくの如き法、久しく住することを得、もろもろの衆生をして悪道を離るること得、速やかに善道に趣かしめん。KESINDO:SYOZEN2-187/-HON-381,HOU-491-
◎爾時世尊欲重明此義而説偈言。我告月蔵言。入此賢劫初。鳩留仏付属梵等四天下。遮障諸悪故。熾然正法眼。捨離諸悪事。護持行法者。不断三宝種。増長三精気。休息諸悪趣。令向諸善道。拘那含牟尼。復属大梵王・他化化楽天乃至四天王。次後迦葉仏。復属梵天王・化楽等四天・帝釈護世王・過去諸天仙。為諸世間故。安置諸曜宿。令護持養育。至於濁悪世。白法尽滅時。我独覚無上。安置護人民。今於大衆前。数数悩乱我。応当捨説法。置我令護持。十方諸菩薩。一切悉来集。天王亦来此娑婆仏国土。我問大梵王。誰昔護持者。帝釈大梵天。指示余天王。於時釈梵王。謝過導師言。我等所王処。遮障一切悪。熾然三宝種。増長三精気。遮障諸悪朋。護持善朋黨。已上抄出。
◎(月蔵分)その時に世尊、重ねてこの義を明らめんと欲〈おぼ〉して、偈を説きて言わく、我月蔵に告げて言わく、この賢劫の初めに入りて、鳩留孫仏、梵等に四天下を付嘱したまう。諸悪を遮障するが故に、正法の眼を熾然ならしむ。もろもろの悪事を捨離し、行法の者を護持し、三宝の種を断たず、三精気を増長し、もろもろの悪趣を休息し、もろもろの善道に向かえしむ。拘那含牟尼、また大梵王・他化・化楽天・乃至四天王に嘱したまう。次後に迦葉仏、また梵天王・化楽等四天・帝釈・護世王・過去の諸天仙に嘱したまう。もろもろの世間のための故に、もろもろの曜宿を安置して、護持し養育せしめたまえり。濁悪世に至りて、白法尽滅せん時、我、独覚無上にして、人民を安置し護らん。今大衆の前にして、しばしば我を悩乱せば、まさに説法を捨つべし。我に置て護持せしめよ。十方のもろもろの菩薩、一切ことごとく来集せん。天王もまた、この娑婆仏国土に来らしめん。我、大梵王に問わく、誰か昔護持せる者と。帝釈・大梵天、余の天王を指示す。時に、釈・梵王、過を導師に謝して言く、我等、所王の処、一切の悪を遮障し、三宝の種を熾然ならしめ、三精気を増長し、諸悪の朋を遮障して、善朋党を護持せしむと。已上抄出。KESINDO:SYOZEN2-187,188/-HON-381,382,383,HOU-491,492
○三第六巻諸天王護持品第九之文。広説天王諸天仙等護持養育四天下相。分文為二。一自文初至正法灯七十五行。是明世尊大梵問答。二爾時仏告月蔵下。至尽当文五丁余者。是明仏告月蔵菩薩。賢劫四仏以四天下付属梵釈四天等相。又明尊大梵問答以下重重所説之義。初中有三。初爾時之下。至持養育一行余者。世尊問也。次時娑婆下。至欲随喜天十四行十一字者。梵王答也。後仏言之下。至尽当文八行余者。又明仏説。二中有六。一初十四字先標梵答。二大徳以下。至瞿陀尼五行余者。明兜率陀他化自在化楽天王須夜摩天此等空居四大天主。各与無量我天子等。如次護養北東南西四大洲也。三大徳之下。至西瞿陀五行余者。明毘沙門(此云多聞)提頭頼[タ04](此云持国)毘楼勒叉(此云増長)毘楼博叉(此云広目)此四天王各与眷属。如前次第護養四洲。四大徳之下。至瞿陀尼三十一行。是明二十八宿之中所当七宿。七曜之中所当三曜。十二天中所当三辰。十二天童女中各三。亦如前次護養四洲。宿曜辰名皆見本文。此中二十八宿配当梵漢有異。月氏配当依仏経説。震旦所列世俗説歟。弘決十云。如摩[トウ11]伽中。又有蓮華実婆羅門。問帝勝伽言。汝知星不。答言。蜜要猶知。況此小術。広説二十八宿及七曜等。然経列四方星与此有稍異。此方者。西方七奎婁胃昂畢觜参。南方七井鬼柳星張翼軫。東方七角亢[テイ04]房心尾箕。北方七斗牛女虚危室壁。経所列者。西方従昴星終至柳星。如此遞遷。一方各七。是地七異故。已上。摩[トウ11]伽経。与今所挙日蔵説同。為示両説今出文也。五大徳之下。至持養育十一行余。是明別於此閻浮提十六大国。四大天王各領四国護持養育。六大徳之下。至欲随喜八行余者。是明梵王引古結上請仏於此分布安置諸鬼神等護持養育。三中為三。初十字者明仏印可。次爾時下十三字者明欲説偈。後示現下七行一字正是五言二十四句其偈頌也。総説上来問答事耳。二中為二。初爾時下十一字者先明告命。次了知下是正説也。於中有七。一自文之初至持養育五十行者。是明賢劫四仏付嘱。二爾時世尊復問之下。至作護持二十一行余。是明世尊大梵問答。初二行余是世尊問。時娑婆下梵王答也。此答有三。初過去下至作護持一行余者。正答仏問。次而我下。至云大衆亦願容恕六行余者。大梵謝過。後我於下十行余者。明梵王述由蒙過去三仏教勅今仏勅故。於三宝種不令断絶。誓可遮障悪行衆生。護養行法衆生。三仏言以下十三字者明仏印可。四爾時仏告百億之下。至切種智二十四行。是明世尊勅大梵王説可遮止邪見衆生。令住善法致護養者。汝満六度速成種智。五時娑婆下。至応如是四行余者。是明大梵領受仏勅。世尊印可梵言。六爾時已下。至趣善道三行余者。明諸菩薩大声聞及諸衆等讃如来徳。七爾時已下。至尽当文十五行余。是明世尊重説偈頌宣如上事。初十三字明欲説偈。我告以下所謂五言四十八句其偈頌也。SYOZEN2-420,421,422/TAI9-483,484
○三に第六巻「諸天王護持品」第九の文。広く天王・諸天仙等、四天下を護持養育する相を説く。文を分かちて二と為す。一に文の初より、「正法灯」に至るまで七十五行、これ世尊と大梵との問答を明かす。二に「爾時仏告月蔵」の下、当文を尽くすに至るまで五丁余は、これ仏、月蔵菩薩に告げて、賢劫の四仏、四天下を以て梵・釈・四天等に付属する相を明かす。また世尊と大梵との問答以下は重重に所説の義を明かす。初の中に三あり。初に「爾時」の下、「持養育」に至るまで一行余は、世尊の問なり。次に「時娑婆」の下、「欲随喜天」に至るまで十四行十一字は、梵王の答なり。後に「仏言」の下、当文を尽くすに至るまで八行余は、また仏説を明かす。二が中に六あり。一に初の十四字は、まず梵答を標す。二に「大徳」以下、「瞿陀尼」に至るまで五行余は、兜率陀・他化自在・化楽天王・須夜摩天、これらの空居の四大天主、おのおの無量の我天子等と、次の如く北東南西四大洲を護養することを明かすなり。三に「大徳」の下、「西瞿陀」に至るまで五行余は、毘沙門(ここには多聞という)、提頭頼[タ04](ここには持国という)、毘楼勒叉(ここには増長という)、毘楼博叉(ここには広目という)、この四天王、おのおの眷属と、前次第の如く四洲を護養することを明かす。四に「大徳」の下、「瞿陀尼」に至るまで三十一行は、これ二十八宿の中に所当の七宿、七曜の中に所当の三曜、十二天の中に所当の三辰、十二天童女の中におのおの三、また前の次の如く四洲を護養することを明かす。宿・曜・辰の名は、みな本文に見えたり。この中に二十八宿の配当は、梵漢に異あり。月氏の配当は仏経の説に依る。震旦の所列は世俗の説か。『弘決』の十に云わく「摩[トウ11]伽の中の如し。また蓮華実婆羅門ありて、帝勝伽に問いてわく、汝、星を知るや不や。答えて言わく、蜜要すらなお知れり、況んやこの小術をや。広く二十八宿及び七曜等を説く。然るに経に四方の星を列すること、これとやや異なることあり。この方には、西方に七、奎・婁・胃・昂・畢・觜・参、南方に七、井・鬼・柳・星・張・翼・軫、東方に七、角・亢・[テイ04]・房・心・尾・箕、北方に七、斗・牛・女・虚・危・室・壁なり。経に列する所は、西方は昴・星より終に柳・星に至るまで、かくの如く遞に遷れば、一方におのおの七つ、これ地七異の故に」已上。『摩[トウ11]伽経』と今の挙ぐる所の「日蔵」の説と同じ。両説を示さんがために、今、文を出だすなり。五に「大徳」の下、「持養育」に至るまで十一行余は、これ別にこの閻浮提十六大国に於いて、四大天王おのおの四国を領して護持養育することを明かす。六に「大徳」の下、「欲随喜」に至るまで八行余は、これ梵王、古を引き上を結して、仏、ここにして、もろもろの鬼神等を分布安置して、護持し養育したまえと請することを明かす。三が中に三と為す。初の十字は仏の印可を明かす。次に「爾時」の下の十三字は偈を説かんと欲することを明かす。後に「示現」の下、七行一字は正しくこれ五言二十四句、その偈頌なり。総じて上来問答の事を説くらくのみ。二が中に二と為す。初に「爾時」の下、十一字は、まず告命を明かす。次に「了知」の下、これ正説なり。中に於いて七あり。一に文の初より、「持養育」に至るまで五十行は、これ賢劫の四仏の付嘱を明かす。二に「爾時世尊復問」の下、「作護持」に至るまで二十一行余は、これ世尊と大梵との問答を明かす。初の二行余はこれ世尊の問、「時娑婆」の下は梵王の答なり。この答に三あり。初に「過去」の下、「作護持」に至るまで一行余は、正しく仏の問に答う。次に「而我」の下、「大衆亦願容恕」というに至るまで六行余は、大梵、過を謝す。後に「我於」の下十行余は、梵王は過去三仏の教勅、今仏の勅を蒙るに由るが故に、三宝の種に於いて断絶せしめず、誓いて悪行の衆生を遮障し、行法の衆生を護養すべきことを述ぶることを明かす。三に「仏言」以下の十三字は、仏の印可を明かす。四に「爾時仏告百億」の下、「切種智」に至るまで二十四行は、これ世尊の、大梵王に勅して、邪見の衆生を遮止し、善法に住せしめて護養を致さば、汝、六度を満して速かに種智を成ずべしと説きたまうことを明かす。五に「時娑婆」の下、「応如是」に至るまで四行余は、これ大梵領受仏勅。世尊の、梵言を印可したまうことを明かす。六に「爾時」已下、「趣善道」に至るまで三行余は、諸菩薩・大声聞及び諸衆等の、如来の徳を讃ずることを明かす。七に「爾時」已下、当文を尽くすに至るまで十五行余は、これ世尊、重ねて偈頌を説きて上の如き事を宣べたまうことを明かす。初の十三字は偈を説かんと欲することを明かす。「我告」以下は、いわゆる五言四十八句、その偈頌なり。SYOZEN2-420,421,422/TAI9-483,484
◎月蔵経巻第七諸魔得敬信品第十言。爾時復有百億諸魔。倶共同時従座而起。合掌向仏頂礼仏足。而白仏言。世尊我等亦当発大勇猛。護持養育仏之正法。熾然三宝種。久住於世間。今地精気・衆生精気・法精気皆悉増長。若有世尊声聞弟子。住法順法。三業相応而修行者。我等皆悉護持養育。一切所須令無所乏。乃至。於此娑婆界。初入賢劫時。拘楼孫如来。已属於四天帝釈梵天王。護持令養育。熾然三宝種。増長三精気。拘那含牟尼。亦属四天下梵釈諸天王。護持令養育。迦葉亦如是。已属四天下梵釈護世王。護持行法者。過去諸仙衆。及以諸天仙。星辰諸宿曜。亦属令分布。我出五濁世。降伏諸魔怨。而作大集会。顕現仏正法。乃至。一切諸天衆咸共白仏言。我等所王処。皆護持正法。熾然三宝種。増長三精気。令息諸病疫飢饉及闘諍。乃至略出。
◎『月蔵経』巻第七「諸魔得敬信品」第十に言わく、その時にまた百億の諸魔あり。ともに同時に座よりして起ちて、合掌して仏に向かいたてまつりて、仏足を頂礼して、仏に白して言さく、世尊、我等またまさに大勇猛を発して、仏の正法を護持し養育して、三宝の種を熾然ならしめて、久しく世間に住せしめ、いま地の精気、衆生の精気、法の精気、みなことごとく増長せしむべし。もし世尊声聞弟子ありて、法に住し法に順じて、三業相応して修行せば、我等みなことごとく護持し養育して、一切の所須乏しきところなからしめんと。乃至。この娑婆界にして、初め賢劫に入りし時、拘楼孫如来、すでに四天を帝釈・梵天王に嘱せしめて、護持し養育せしむ。三宝の種を熾燃ならしめ、三精気を増長ならしめたまいき。拘那含牟尼、また四天下を梵・釈・諸天王に嘱して、護持し養育せしむ。迦葉もまたかくの如し、すでに四天下を梵・釈・護世王に嘱して、行法の者を護持せしめき。過去の諸仙衆、および諸天仙、星辰もろもろの宿曜、また嘱し分布せしむ。我五濁の世に出でて、諸魔の怨を降伏して、大集会を作して、仏の正法を顕現せしむ。乃至。一切の諸天衆、ことごとく共に仏に白して言さく、我等、所王の処、みな正法を護持し、三宝の種を熾燃ならしめ、三精気を増長せしめ、もろもろの病疫、飢饉、および闘諍を息めしむと。乃至略出。KESINDO:SYOZEN2-188,189/HON-383,384,HOU-492,493
○四同第七巻諸魔得敬信品之文。任乃至言且分為三。初爾時下至無所乏六行余者。是明諸魔於世尊前発護持誓。次於此下至仏正法七行余者。是明三仏乃今世尊隆伏諸魔。護持正法。後一切下二行余者。明諸天衆咸発護法息災誓也。SYOZEN2-422/TAI9-502
○四には同じき第七巻「諸魔得敬信品」の文。「乃至」の言に任せて且く分かちて三と為す。初に「爾時」の下、「無所乏」に至るまで六行余は、これ諸魔の、世尊の前にして護持の誓を発すことを明かす。次に「於此」の下、「仏正法」に至るまで七行余は、これ三仏乃び今の世尊、諸魔を隆伏し、正法を護持することを明かす。後に「一切」の下の二行余は、もろもろの天衆ことごとく護法息災の誓を発すことを明かすなり。SYOZEN2-422/TAI9-502
◎提頭頼[タ04]天王護持品云。仏言。日天子月天子。汝於我法護持養育。令汝長寿無諸衰患。爾時復有百億提頭頼[タ04]天王・百億毘楼勒叉天王・百億毘楼博叉天王・百億毘沙門天王。彼等同時及与眷属従座而起。整理衣服合掌敬礼。作如是言。大徳婆伽婆。我等各各於己天下。懃作護持養育仏法。令三宝種熾燃久住。三種精気皆悉増長。乃至。我今亦与上首毘沙門天王。同心護持此閻浮提北方諸仏法。已上略抄。
◎(月蔵経)「提頭頼[タ04]天王護持品」に云わく、仏の言わく、日天子、月天子、汝、我が法に於いて護持し養育せば、汝をして長寿にしてもろもろの衰患なからしめん。その時にまた百億の提頭頼[タ04]天王・百億の毘楼勒叉天王・百億の毘楼博叉天王・百億の毘沙門天王あり。彼等同時に、および眷属と、座よりして起ちて衣服を整理し、合掌敬礼して、かくの如きの言を作さく、大徳婆伽婆、我等おのおの己が天下にして、ねんごろに仏法を護持し養育を作さん。三宝の種をして、熾然として久しく住して、三種の精気みなことごとく増長せしめんと。乃至。我今また上首毘沙門天王と同心に、この閻浮提と北方の諸仏の法を護持すと。已上略抄。KESINDO:SYOZEN2-189/HON-384,HOU-493
○五同巻提頭頼[タ04]天王護持品文。初明仏勅日月天子。説汝護持我仏法者。当与得寿除災之益。後明百億四天王等。同於仏前領受仏勅。SYOZEN2-422/TAI9-505
○五には同巻「提頭頼[タ04]天王護持品」の文。初には仏、日月天子に勅して、汝、我が仏法を護持せば、まさに得寿除災の益を与うべしと説くことを明かす。後に百億の四天王等、同じく仏前にして仏勅を領受することを明かす。SYOZEN2-422/TAI9-505
◎月蔵経巻第八忍辱品第十六言。仏言。如是如是。如汝所言。若有愛己厭苦求楽。応当護持諸仏正法。従此当得無量福報。若有衆生。為我出家。剃除鬚髮被服袈裟。設不持戒。彼等悉已為涅槃印之所印也。若復出家不持戒者。有以非法而作悩乱。罵辱毀呰。以手刀杖打縛斫截。若奪衣鉢及奪種種資生具者。是人則壊三世諸仏真実報身。則挑一切天人眼目。是人為欲隠没諸仏所有正法三宝種故。令諸天人不得利益随地獄故。為三悪道増長盈満。已上。
◎『月蔵経』巻第八「忍辱品」第十六に言わく、仏の言わく、かくの如し、かくの如し、汝が言うところの如し。もし己が苦を厭い楽を求むるを愛することあらん、まさに諸仏の正法を護持すべし。これよりまさに無量の福報を得べし。もし衆生ありて、我がために出家し鬚髪を剃除して袈裟を被服せん。たとい戒を持たざらん、彼等ことごとくすでに涅槃の印のために印せらるるなり。もしまた出家して戒を持たざる者、非法を以てして悩乱を作し、罵辱し毀呰せん、手に刀杖を以て打縛し斫截することあらん。もし衣鉢を奪い、および種種の資生の具を奪う者、この人、すなわち三世の諸仏の真実の報身を壊するなり。すなわち一切天人の眼目を排〈はら〉うなり。この人、諸仏所有の正法三宝の種を隠没せんと欲うがための故に、もろもろの天人をして利益を得ざらしむ。地獄に堕せん故に、三悪道増長し盈満をなすなりと。已上。KESINDO:SYOZEN2-189,190/HON-385,HOU-493,494
○六同第八巻忍辱品文。分文為四。一初十字者、明仏印可対告所言。二若有愛下一行余者。是明厭苦欣楽之機。護持仏道当得福報。三若有衆下一行余者。明出家者被涅槃印。四若復出下五行余者。明以非法致種種之悪行。衆生断三宝種堕地獄也。SYOZEN2-422,423/TAI9-508
○六に同じき第八巻「忍辱品」の文。文を分かちて四と為す。一に初の十字は、仏、対告の所言を印可したまうことを明かす。二に「若有愛」の下一行余は、これ厭苦欣楽の機は仏道を護持してまさに福報を得べきことを明かす。三に「若有衆」の下一行余は、出家の者は涅槃の印を被むることを明かす。四に「若復出」の下五行余は、非法を以て種種の悪行を致す、衆生、三宝の種を断じて地獄に堕することを明かすなり。SYOZEN2-422,423/TAI9-508
◎又言。爾時復有一切天龍乃至一切迦[タ04]富単那人非人等。皆悉合掌作如是言。我等於仏一切声聞弟子。乃至若復不持禁戒剃除鬚髮著袈裟片者。作師長想。護持養育与諸所須令無之少。若余天龍乃至迦[タ04]富単那等作其悩乱。乃至悪心以眼視之。我等悉共令彼天龍富単那等所有諸相欠減醜陋。令彼不復得与我等共住共食。亦復不得同処戲咲如是擯罰。已上。
◎(月蔵経)また言わく、その時にまた一切天・龍、乃至、一切迦[タ04]富単那・人・非人等ありて、みなことごとく合掌して、かくの如きの言を作さく、我等、仏一切声聞弟子、乃至、もしまた禁戒を持たざれども鬚髪を剃除し袈裟の片を著ん者に於いて、師長の想を作し、護持養育してもろもろの所須を与えて乏少なからしめん。もし余の天・龍、乃至、迦[タ04]富単那等、それ悩乱を作し、乃至、悪心をして眼を以てこれを視ば、我等ことごとく共に、かの天・龍・富単那等、所有の諸相欠減し醜陋ならしめん。彼をしてまた、彼等と共に住し共に食することを得ざらしめん。また同処にして戯笑を得じ。かくのごとく擯罰せんと。已上。KESINDO:SYOZEN2-190/HON-385,HOU-494
○七同品之文。是明天龍以下雑類。皆於仏前説言我等護出家人。与諸所煩令悩乱者。宜擯罰也。SYOZEN2-423/TAI9-512
○七に同じき品の文。これ天龍以下の雑類、みな仏前にして我等、出家の人を護りて、諸の所煩を与え、悩乱せしむ者は、宜しく擯罰すべしと説言せることを明かすなり。SYOZEN2-423/TAI9-512
◎又言。離於占相修習正見。決定深信罪福因縁。抄出。
◎(月蔵経 或いは 華厳経)また言わく、占相を離れて、正見を修習せん。決定して深く罪福の因縁を信ずべしと。抄出。KESINDO:SYOZEN2-190/HON-385,HOU-494
○八又同品文。是明当離占相妄情修習深信正見義耳。問。大集諸文上来所用有何要耶。答。引用意趣輙以難測。但以短慮加愚推者。世尊既対諸天乃至龍神八部勅而付嘱四大天下。彼等之輩。又於仏前領納仏勅。言令善人念持守輩。若悩乱者。忽以擯罰令造悪人住善法等。其義灼然。以之思之。諸善猶然。況念仏人蒙其護益。敢不可疑。然者守其不事諸天等説。閣之。一心念仏。自預彼諸天龍神等護持養育。措而不論。仍勧専念為正一心被引之歟。又背専念事彼諸天龍神等者。縦交念仏依為雑修。其益可為胎生之故。為示其義当巻之中被引之乎。SYOZEN2-423/TAI9-514
○八にまた同品の文。これまさに占相の妄情を離れ修習して深く正見を信ずべき義を明かすのみ。問う、『大集』の諸文、上来の所用は何の要かあるや。答う、引用の意趣は輙く以て測り難し。但し短慮を以て愚推を加えば、世尊は既に諸天、乃至、龍神八部に対し勅して四大天下を付嘱したまう。彼等の輩は、また仏前にして仏勅を領納して、善をして人を念持守輩せしめて、もし悩乱せば、忽に以て擯罰し、造悪の人をして善法に住せしむということ等、その義灼然たり。これを以て、これを思うに、諸善なお然り。況んや念仏の人はその護益を蒙むらん。敢て疑うべからず。然らばその諸天等に事える説を守りて、これを閣〈さしお〉く。一心に念仏せば、自ずから彼の諸天龍神等の護持養育に預からんこと、措きて論ぜず。仍て専念を勧めて一心を正せんが為にこれを引かるるか。また専念を背きて彼の諸天龍神等に事えば、たとい念仏を交えるとも雑修たるに依りて、その益は胎生たるべきが故に、その義を示さん為に当巻の中にこれを引かるるか。SYOZEN2-423/TAI9-514
◎首楞厳経言。彼等諸魔。彼諸鬼神。彼等群邪亦有徒衆。各各自謂。成無上道。我滅度後。末法之中。多此魔民。多此鬼神。多此妖邪。熾盛世間。為善知識。令諸衆生落愛見坑。失菩提路。[ゲン03]惑無識。恐令失心。所過之処。其家耗散。成愛見魔。失如来種。已上。
◎『首楞厳経』に言わく、彼等の諸魔、かのもろもろの鬼神、彼等の群邪、また徒衆ありて、おのおのに自ら謂わん。無上道を成りて、我が滅度の後、末法の中に、この魔民多からん、この鬼神多からん、この妖邪多からん。世間に熾盛にして、善知識となりて、もろもろの衆生をして愛見の坑に落とさしめん。菩提の路を失し、[ゲン03]惑無識にして、恐らくは心を失せしめん。所過の処に、その家耗散して、愛見の魔と成りて、如来の種を失せんと。已上。KESINDO:SYOZEN2-190,191/HON-385,386,HOU-494,495
○次首楞厳文。今此経者禅門所依。竪超法門直達要路。然而依為自力修行進道難知。得悟[ハ01]測。解行若乖。工夫未熟魔障動侵退縁易競。且由根機利鈍差別。且就練行苦修厚薄。直悟成否定依人歟。魔境難伏在文炳然。修道之人誰以不恐。而我真宗雖為具縛造悪劣機。被仏加故。不恐魔悩。誠是他力不思議也。故引用意。為令識知他力一門。無魔[ジョウ02]也。SYOZEN2-423/TAI9-519
○次に『首楞厳』の文。今この経は禅門の所依、竪超の法門、直達の要路なり。然して自力の修行たるに依りて、進道、知りがたく、得悟、測りがたし。解行、もし乖きて、工夫いまだ熟せざれば、魔障動侵退縁は競いやすからん。かつは根機利鈍の差別に由り、かつは練行苦修の厚薄に就きて、直悟の成否は定んで人に依らんか。魔境の伏しがたきこと、文に在りて炳然なり。修道の人、誰か以て恐れざらん。しかるに我が真宗は具縛造悪の劣機たりといえども、仏加を被るが故に魔悩を恐れず。誠にこれ他力の不思議なり。故に引用の意は他力の一門に魔[ジョウ02]なきことを識知せしめんためなり。SYOZEN2-423/TAI9-519
◎潅頂経言。三十六部神王・万億恒沙鬼神為眷属。陰相番代護受三帰者。已上。
◎『潅頂経』に言わく、三十六部の神王、万億恒沙の鬼神を眷属として、相を陰〈かく〉し、番に代わりて、三帰を受くる者〈ひと〉を護る。已上。KESINDO:SYOZEN2-191/HON-386,HOU-495
○次灌頂経文。問。三十六部之神王者。指何等乎。答。雖有異説。依一義者。三十六禽是其体也。言其体者。止観八云。十二時即有三十六狩。寅有三。初是狸。次是豹。次是虎。卯有三。狐兎狢。辰有三。龍蛟魚。此九属東方木也。此九物依盂仲季伝作前後也。巳有三。蝉鯉蛇。午有三。鹿馬[ショウ18]。未有三。羊鴈鷹。此九属南方。火也。申有三。[ユウ03]猿猴。酉有三。鳥鶏雉。戌有三。狗狼豺。此九属西方。金也。亥有三。豕[ユ02]猪。子有三。猫鼠伏翼。丑有三。牛蟹鼈。此九属北方。水也。已上。若時媚鬼妨坐禅時。正知其時喚名消去。是故止観出此名也。雖為障法之魔眷属。明還守護三帰人也。問。今文全非守念仏人之誠証哉如何。答。既云三帰。帰仏其首。何言無之。六念所尅偏在専念阿弥陀仏。故観念法門証護念縁。引彼経説。彼所護人言持三帰五戒之人。此所守人唯言三帰。彼能護人六十一人。此能護人三十六王。広略雖異。彼此是同。SYOZEN2-423,424/TAI9-524,525
○次に『灌頂経』の文。問う、三十六部の神王とは何等を指すや。答う、異説ありといえども、一義に依らば、三十六禽、これその体なり。その体というは、『止観』の八に云わく「十二時に即ち三十六狩あり。寅に三あり。初はこれ狸、次はこれ豹、次はこれ虎なり。卯に三あり。狐・兎・狢なり。辰に三あり、龍・蛟・魚なり。この九は東方に属す、木なり。この九物は盂と仲と季とに依りて伝えて前後を作すなり。巳に三あり、蝉・鯉・蛇なり。午に三あり、鹿・馬・[ショウ18]なり。未に三あり、羊・鴈・鷹なり。この九は南方に属す、火なり。申に三あり、[ユウ03]・猿・猴なり。酉に三あり、鳥・鶏・雉なり。戌に三あり、狗・狼・豺なり。この九は西方に属す、金なり。亥に三あり、豕・[ユ02]・猪なり。子に三あり、猫・鼠・伏翼なり。丑に三あり、牛・蟹・鼈なり。この九は北方に属す、水なり」已上。若時媚鬼は坐禅の時を妨ぐ。正くその時を知りて名を喚べば消え去る。この故に『止観』にこの名を出だすなり。法を障うる魔の眷属たりといえども、還りて三帰の人を守護することを明かすなり。問う、今の文は全く念仏の人を守る誠証にあらざるをや、いかん。答う、既に三帰という。帰仏はその首なり。何ぞこれなしといわん。六念の尅する所は偏に専念阿弥陀仏に在り。故に『観念法門』に護念縁を証すとして、彼の経の説を引く。彼の所護の人は三帰五戒を持てる人という。この所守の人を、ただ三帰という。彼の能護の人は六十一人、この能護の人は三十六王、広略異ありといえども、彼此これ同じ。SYOZEN2-423,424/TAI9-524,525
◎地蔵十輪経言。具正帰依遠離一切妄執吉凶。終不帰依邪神外道。已上。
◎『地蔵十輪経』に言わく、正帰依を具して、一切の妄執吉凶を遠離せんものは、終に邪神外道に帰依せざれと。KESINDO:SYOZEN2-191/HON-386,HOU-495
◎又言。或執種種若少若多古凶之相祭鬼神。乃至。而生極重大罪悪業近無間罪。如是之人。若未懺悔除滅如是大罪悪業。不令出家及受具戒。若令出家或受具戒即便得罪。已上。
◎(十輪経)また言わく、あるいは種種に、もしは少、もしは多、吉凶の相を執して、鬼神を祭りて、乃至。極重大罪の悪業を生じ、無間罪に近づく。かくの如きの人、もし未だかくの如きの大罪悪業を懺悔し除滅せずは、出家しておよび具戒を受けしめざらんと。もしは出家してあるいは具戒を受けしめんも、すなわち罪を得んと。已上。KESINDO:SYOZEN2-191/HON-386,HOU-495
○次十輪経所引二段。SYOZEN2-424/TAI9-528
○次に『十輪経』所引の二段。SYOZEN2-424/TAI9-528
◎集一切福徳三昧経中言。不向余乗。不礼余天。已上。
◎『集一切福徳三昧経』の中に言わく、余乗に向かわざれ、余天を礼せざれと。已上。KESINDO:SYOZEN2-191/HON-386,HOU-495
○次集一切福徳三昧経。所説義趣其意大同。SYOZEN2-424/TAI9-530
○次に『集一切福徳三昧経』。所説の義趣、その意は大いに同じ。SYOZEN2-424/TAI9-530
◎本願薬師経言。若有浄信善男子善女人等。乃至尽形不事余天。
◎『本願薬師経』に言わく、もし浄信の善男子・善女人等ありて、乃至、尽形までに、余天に事えざれと。KESINDO:SYOZEN2-191/HON-386,HOU-495
◎又言。又信世間邪魔外道妖[ゲツ01]之師妄説。禍福便生。恐動心不自正。卜問覓禍。殺種種衆生。解奏神明。呼諸魍魎。請乞福祐。欲冀延年。終不能得。愚癡迷惑。信邪倒見。遂令横死。入於地獄。無有出期。乃至。八者横為毒薬厭祷呪咀起屍鬼等之所中害。已上抄出。
◎(本願薬師経)また言わく、また世間の邪魔・外道・妖[ゲツ01]の師、妄りに禍福を説くを信じて、すなわち恐動を生じ、心自ずから正しからず。卜問して禍を覓〈もと〉め、種種の衆生を殺し、神明に解奏し、もろもろの魍魎を呼ばいて、福祐を請乞し、延年を冀〈こいねが〉わんと欲するに、終に得ることあたわず。愚痴迷惑して邪を信じ、倒見す。遂に横死せしめ、地獄に入りて出期あることなけん。乃至。八には、横に毒薬・厭祷・呪咀・起屍鬼等のために中害せらると。已上抄出。KESINDO:SYOZEN2-191/HON-386,387,HOU-495,496
○次薬師経。所用両段初文是明偏帰三宝不事其外之余天等。故次下云。唯当一心帰仏法僧。已上。後文是明若信世間妄説邪教。現世当来有損無益。所言損者九横難也。今文不具。宜引前後示其説相。所謂彼経説有九横。其初横中説為二重。今所引者第二重也。其初重云。有諸有情得病雖軽然無医薬及看病者。設復遇医授以非薬。実不応死而便横死。已上。今之所引又信等者。即同次下第二重也。言乃至者。是除初横結文以来其下七横。彼具文云。是名初横。二者横被王法之所誅戮。三者畋猟嬉戯耽淫嗜酒放逸無度。横為非人奪其精気。四者横為火焚。五者横為水溺。六者横為種種悪獣所[タン03]。七者横堕山崖。已上。八横次下所引文也。又中害下有第九横。即其文云。九者飢渇所困不得飲食。而便横死。是為如来略説横死有此九種。已上。SYOZEN2-424,425/TAI9-532
○次に『薬師経』。用うる所の両段の初文は、これ偏に三宝に帰してその外の余天等に事えざることを明かす。故に次下に云わく「ただまさに一心に仏法僧に帰すべし」已上。後の文はこれ、もし世間の妄説邪教を信ずれば、現世・当来に損ありて益なきことを明かす。言う所の損とは九横の難なり。今の文は具ならず。宜しく前後を引きてその説相を示すべし。いわゆる彼の経に九横ありと説く、その初横の中に説きて二重とす。今の所引は第二重なり。その初重に云わく「諸の有情ありて病を得。軽なりといえども、然るに医薬及び看病の者なし。たといまた医に遇うとも授くに非薬を以てす。実に死すべからざれども、しかもすなわち横に死す」已上。今の所引に「又信」等とは、即ち同じき次下の第二重なり。「乃至」というは、これ初横の結文以来、その下の七横を除く。彼の具なる文に云わく「これ初横と名づく。二には横に王法に誅戮せらるることを被る。三には畋猟〈でんりょう〉嬉戯、淫に耽り酒を嗜んで放逸にして度〈のり〉なし。横に非人の為にその精気を奪わる。四には横に火の為に焚かる。五には横に水の為に溺る。六には横に種種の悪獣の為に[タン03]せらる。七には横に山崖に堕つ」已上。八の横は次下の所引の文なり。また中害の下に第九の横あり。即ちその文に云わく「九には飢渇に困らしめられて飲食を得ず。しかもすなわち横に死す。これを如来略して横に死す、この九種あることを説きたまうとす」已上。SYOZEN2-424,425/TAI9-532
◎菩薩戒経言。出家人法。不向国王礼拝。不向父母礼拝。六親不務。鬼神不礼。已上。
◎『菩薩戒経』に言わく、出家の人の法は、国王に向かいて礼拝せず、父母に向かいて礼拝せず、六親に務えず、鬼神を礼せずと。已上。KESINDO:SYOZEN2-191,192/HON-387,HOU-496
○次菩薩戒経。文意易見。SYOZEN2-425/TAI9-536
○次に『菩薩戒経』。文の意は見やすし。SYOZEN2-425/TAI9-536
◎仏本行集経第四十二巻優婆斯那品言(闍那堀多訳)。爾時彼三迦葉兄弟。有一外甥螺髻梵志。其梵志名優婆斯那。乃至。恒共二百五十螺髻梵志弟子修学仙道。彼聞其舅迦葉三人。諸弟子往詣於彼大沙門辺。阿舅剃除鬚髮著袈裟衣。見已向舅而説偈言。舅等虚祀火。百年亦復空。修彼苦行。今日同捨於此法。猶如蛇脱於故皮。爾時彼舅迦葉三人。同共以偈報其外甥優波斯那作如是言。我等昔空祀火神。亦復徒修於苦行。我等今日捨此法。実如蛇脱於故皮。抄出。
◎『仏本行集経』第四十二巻「優婆斯那品」に言わく(闍那堀多訳)、その時にかの三迦葉兄弟に一の外甥、螺髻梵志あり。その梵志を優婆斯那と名づく。乃至。恒に二百五十の螺髻梵志弟子と共に仙道を修学す。彼、その舅迦葉三人、もろもろの弟子、かの大沙門の辺に往詣して聞く。阿舅、鬚髪を剃除し袈裟衣を著ると。見已りて、舅に向かいて、しかして偈を説きて言わく。舅等、虚しく火を祀ると。百年また空しくかの苦行を修しき。今日同じくこの法を捨つること、なお蛇の故〈ふる〉き皮を脱ぐがごとくするをや。その時にかの舅迦葉三人、同じく共に偈を以て、その外甥、優婆斯那に報じて、かくの如きの言を作さく。我等、昔空しく火神を祀りて、また徒に苦行を修しき。我等、今日この法を捨つること、実に蛇の故き皮を脱ぐがごとくすと。抄出。KESINDO:SYOZEN2-192/HON-387,HOU-496
○次仏本行集経之文。問。今引此文有何由耶。答。今引用意。挙本外道声聞衆等。帰仏法時捨彼邪教。為例真宗念仏行人勿依外法被引之也。三迦葉者是兄弟也。一云優楼頻螺迦葉。二云那提。三云伽耶。天台釈云。三迦葉兄弟有千弟子共起刹。今連枝也。已上。本是祀火婆羅門也。後棄邪法帰仏正法。釈尊成道第一年時先度五人。*(アツ 安+頁)[ビ01]跋提十力迦葉狗梨太子釈摩男也。第二年時度三迦葉。今兄弟也。第三年時度舎利弗目[ケン01]連也。SYOZEN2-425/TAI9-539
○次に『仏本行集経』の文。問う、今この文を引くは何の由かあるや。答う、今引用の意は、本外道の声聞衆等は仏法に帰する時、彼の邪教を捨つることを挙げて、真宗念仏の行人、外法に依ることなかれということを例さんが為に、これを引かるるなり。「三迦葉」とはこれ兄弟なり。一をば優楼頻螺迦葉といい、二をば那提といい、三をば伽耶という。天台の釈に云わく「三迦葉兄弟に千の弟子あり、共に刹を起つ。今は連枝なり」已上。本はこれ祀火の婆羅門なり。後に邪法を棄てて仏の正法に帰す。釈尊成道第一年の時、まず五人を度す。[アツ01][ビ01]・跋提・十力迦葉・狗梨太子・釈摩男なり。第二年の時、三迦葉を度す。今の兄弟なり。第三年の時、舎利弗・目[ケン01]連を度すなり。SYOZEN2-425/TAI9-539
◎起信論曰。或有衆生無善根力。則為諸魔外道鬼神所誑惑。若於座中現形恐怖。或現端正男女等相。当念唯心境界。則滅終不為悩。或現天像菩薩像。亦作如来像相好具足。若説陀羅尼。若説布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧。或説平等・空・無相・無願・無怨・無親・無因・無果・畢竟空寂是真涅槃。或令人知宿命過去之事。亦知未来之事。得他心智弁才無碍。能令衆生貪著世間名利之事。又令使人数瞋数喜性無常准。或多慈愛多睡多宿多病。其心懈怠。或卒起精進。後便休廃。生於不信。多疑多慮。或捨本勝行更修雑業。若著世事種種牽纒。亦能使人得諸三昧少分相似。皆是外道所得。非真三昧。或復令人若一日若二日若三日乃至七日。住於定中得自然香美飲食。身心適悦。不飢不渇。使人愛著。或亦令人食無分斉。乍多乍少。顔色変異。以是義故。行者常応智慧観察。勿令此心随於邪網。当勤正念不取不著。則能遠離是諸業障。応知。外道所有三昧皆不離見愛我慢之心。貪著世間名利恭敬故。已上。
◎『起信論』に曰わく、あるいは衆生ありて、善根力なければ、すなわち諸魔・外道・鬼神のために誑惑せらる。もしは座中にして形を現じて恐怖せしめ、あるいは端正の男女等の相を現ず。当に唯心を念ずべし、境界すなわち滅して終に悩をなさず。あるいは天像・菩薩像を現じ、また如来の像を作して相好具足し、もしは陀羅尼を説き、もしは布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧を説き、あるいは平等・空・無相・無願・無怨・無親・無因・無果・畢竟空寂なる、これ真の涅槃なりと説き、あるいは人をして宿命過去の事を知り、また未来の事を知り、他心智弁才無碍を得せしめ、よく衆生をして世間の名利の事に貪着せしむ。また人をして、しばしば瞋り、しばしば喜びて、性常准なからしめ、あるいは多く慈愛し、多く睡り、多く宿し、多く病む、その心懈怠ならしむ。あるいは、卒〈にわか〉に精進を起こして、後にはすなわち休廃す。不信を生じて、疑多く、慮多く、あるいは本の勝行を捨て、更に雑業を修せしめ、もしは世事に著して、種種に牽纏す。またよく人をしてもろもろの三昧の少分の相似を得せしむ。みなこれ外道の所得にして、真の三昧にあらず。あるいはまた、人をしてもしは一日、もしは二日、もしは三日、乃至、七日、定中に住して、自然の香美飲食を得て、身心適悦して、飢えず渇かざらしめ、人をして愛着せしむ。あるいはまた、人をして食に分斉く、たちまちに多く、たちまちに少なくして、顔色変異せしむ。この義を以ての故に、行者常に、智慧観察して、この心をして邪網に堕せしむることなかるべし。当に勤めて正念にして、取らず着せざれば、すなわちよくこのもろもろの業障を遠離すべし。まさに知るべし、外道の所有の三昧は、みな見愛我慢の心を離れず、世間の名利恭敬に貪着するが故なりと。已上。KESINDO:SYOZEN2-192,193/HON-387,388,HOU-496,497
○次起信論文。是示衆生無善根者。為諸魔等所狂惑相。末代行者不謂顕密教内教外。自力修行未達浅機不免此障。依之聖道諸経論等教示仏法修習方軌。先誨降魔之用心等。而浄土教曾不言魔。蓋以此法無魔障也。故元照師観経疏中。引山陰釈解説此事。彼釈被引第二巻中。仍鈔新末粗記注訖。此論説意与上所引首楞厳同。他力行人雖為障重根鈍之機。得仏加故自脱魔網。仏恩之至深可貴之。SYOZEN2-425/TAI9-542,543
○次に『起信論』の文。これ衆生の善根なきは、諸魔等のために狂惑せらるる相を示す。末代の行者、顕密、教内、教外をいわず、自力修行未達の浅機はこの障を免れず。これに依りて聖道の諸経論等は、仏法修習の方軌を教示するに、まず降魔の用心等を誨う。しかるに浄土の教にかつて魔をいわず。蓋しこの法に魔障なきを以てなり。故に元照師の『観経疏』の中に山陰の釈を引きてこの事を解説す。彼の釈は第二巻の中に引かる。よって鈔の新末に、ほぼ記注し訖りぬ。この論説の意は上の所引の『首楞厳』と同じ。他力の行人は障重根鈍の機たりといえども、仏加を得るが故に自ずから魔網を脱る。仏恩の至り、深くこれを貴むべし。SYOZEN2-425/TAI9-542,543
◎弁正論(法琳撰)曰。十喩九箴篇。答。李道士。十異九述。
◎『弁正論』(法琳の撰)に曰わく、十喩九箴篇、答す、李道士、十異九述。KESINDO:SYOZEN2-193/HON-388,HOU-497-
○次所引文。弁正論者。撰者法琳。是唐沙門所造本意。老子学徒仏教為劣。道教為勝。故為破彼立釈教也。此書有序。東宮学士陳子良述。此人加註。十喩等者。十喩九箴共篇名也。巻有八巻篇有十二。十二篇者第一巻初挙目録云。三教治道篇第一(上下)。十代奉仏篇第二(上下)。仏道先後篇第三(巻第五)。釈李師資篇第四。十喩篇第五(巻第六)。九箴篇第六。気為道本篇第七。信毀交報篇第八巻(第七)。品藻衆書篇第九。出道偽謬篇第十(巻第八)。歴世相承篇第十一。帰心有道篇第十一。己上。十異九箴見此目録。李道士者李仲卿也。見第五巻。又決五云。如道士李仲卿著十異論。琳法師立十喩論以喩其異而異彼。喩猶暁暁彼迷故也。已上。十異等者。彼十異者李家所立以十喩暁。言九述者。又李家意。以九箴誡。但披唐本述字為迷。本有異歟。而於下挙九箴目録先叙云答外九迷論。是則外論毎段結云其迷一也乃至九也。是自李家以釈迦法所称迷也。対之内箴毎段結云其盲一也乃至九也。是自釈家呵李氏教所称盲也。又上所引荊渓解釈云暁彼迷。思此等義。九迷之本宜為正歟。SYOZEN2-426/TAI9-547,548
○次の所引の文、『弁正論』とは、撰者は法琳、これ唐の沙門なり。所造の本意は、老子の学徒の、仏教を劣なりとし、道教を勝れたりとす、故に彼を破して釈教を立せんがためなり。この書に序あり。東宮の学士、陳子良が述なり。この人は註を加う。「十喩」等とは、「十喩九箴」は共に篇の名なり。巻に八巻あり、篇に十二あり。十二篇とは、第一巻の初に目録を挙げて云わく「三教治道の篇、第一(上下)。十代奉仏の篇、第二(上下)。仏道先後の篇、第三(巻第五)。釈李師資の篇、第四。十喩の篇、第五(巻第六)。九箴の篇、第六。気為道本の篇、第七。信毀交報の篇、第八巻(第七)。品藻衆書の篇、第九。出道偽謬の篇、第十(巻第八)。歴世相承の篇、第十一。帰心有道の篇、第十一」己上。十異九箴はこの目録に見えたり。「李道士」とは李仲卿なり。第五巻に見えたり。また決の五に云わく「道士李仲卿が如きは『十異論』を著せり。琳法師は『十喩論』を立てて以てその異を喩〈さと〉して彼に異せり。喩はなお暁のごとし、彼の迷を暁〈さと〉すが故なり」已上。「十異」等とは、彼の十異とは李家の立つる所、十喩を以て暁す。「九述」というは、また李家の意、九箴を以て誡〈いま〉しむ。ただし唐本を披くに「述」の字を「迷」に為る。本に異あるか。しかるに下に九箴の目録を挙ぐるに於いて、まず叙して外の九迷論を答うという。これすなわち外論の段毎に結して、その迷の一なり、乃至、九なりという。これ李家より釈迦の法を以て迷と称する所なり。これに対して、内箴には段毎に結して、その盲一なり、乃至、九なりという。これ釈家より李氏の教を呵して盲と称する所なり。また上に引く所の荊渓の解釈に彼の迷を暁すという。これら等の義を思うに、九迷の本、宜しく正とすべきか。SYOZEN2-426/TAI9-547,548
◎外一異曰。太子老君託神玄妙玉女。割左腋而生。釈迦牟尼寄胎摩邪夫人。開右脇而出。乃至。内一喩曰。老君逆常。託牧女而左出。世尊順化。因聖母而右出。
◎(弁正論)外の一異に曰わく、太子老君は、神を玄妙玉女に託して、左腋を割きて生まれたり。釈迦牟尼は、胎を摩耶夫人に寄せて、右脇を開きて出でたりき。乃至。内の一喩に曰わく、老君は、常に逆〈たが〉い、牧女に託〈つ〉きて左より出ず。世尊は、化に随いて、聖母に因りて右より出でたまいき。KESINDO:SYOZEN2-193/-HON-388,HOU-497-
○外一異詞内一喩言所引在文。此一異意。李自左生。仏自右生。故以左右諍勝劣也。此一喩意述左劣義。検右勝礼相翻外異立優劣也。
○「外の一異」の詞、「内の一喩」の言、引く所、文に在り。この一異の意は、李は左より生じ、仏は右より生ず。故に左右を以て勝劣を諍すなり。この一喩の意は左の劣なる義を述べ、右の勝たる礼を検べて、外の異に相翻して優劣を立つるなり。SYOZEN2-426,427/TAI9-556
◎開士曰。案慮景裕・戴[シン04]・韋処玄等解五千文。及梁元帝・周弘政等老義類云。太上有四。謂三皇・及尭・舜是也。言上古有此大徳之君臨万民上。故云太上也。郭荘云。時之所賢者為君。材不称世者為臣。老子非帝非皇。不在四種之限。有何典拠輒称太上邪。検道家玄妙。及中胎・朱韜・王礼等経。并出塞記云。老是李母所生。不云有玄妙王女。既非正説。尤仮謬談也。仙人玉録云。仙人無妻。玉女無夫。雖受女形。畢竟不産。若有茲瑞。誠曰可嘉。何為史記無文。周書不載。求虚責実。信矯盲者之言耳。礼云。退官無位者左遷。論語云。左袵者非礼也。若以左勝右者。道上行道。何不左旋而還右転邪。国之詔書皆云如右。並順天之常也。乃至。
◎(弁正論)開士の曰わく、慮景裕・戴[シン04]・韋処玄等が解五千文、および梁の元帝・周弘政等が老義類を案ずるに云わく、太上に四あり。いわく、三皇および尭舜これなり。言うこころは、上古にこの大徳の君ありて、万民の上に臨めり。故に太上と云うなり。郭荘が云わく「時の賢とする所の者を君とす。材、世に称せられざる者は臣とす」。老子、帝にあらず、皇にあらず、四種の限にあらず、何の典拠ありてか、たやすく太上と称するや。道家『玄妙』および『中胎』『朱韜』『王礼』等の経、ならびに『出塞記』を検〈かんが〉うるに、云わく、老はこれ李母が生ずるところ、玄妙玉女ありと云わず。すでに正説にあらず。もっとも仮の謬談なり。『仙人玉録』に云わく、仙人は妻なし、玉女は夫なし。女形を受けたりといえども、畢竟産せず。もしこの瑞ある、誠に嘉とすべしと曰う。いかんすれぞ『史記』に文なし、『周書』に載せず。虚を求めて実を責めば、矯盲の者の言を信ずるのみと。『礼』に云わく「官を退いて位なきは左遷す」。『論語』に云わく「左袵は礼にあらざるなり」。もし左をもって右に勝るとせば、道士行道する、何ぞ左に旋らずして右に還りて転〈まぐ〉るや。国の詔書にみな、右のごとしという。並びに、天の常に順うなり。乃至。KESINDO:SYOZEN2-193,194/-HON-389,HOU-497,498-
○開士釈中。盧景裕等所述未勘。周弘政者作疏六巻。此釈之中。言太子者。是又唐本子字為上。上字宜歟。開士所破被太上故。此釈之終言乃至者。当段所引非有残文。是全文也。就除外内二異二喩三異三喩。故云爾耳。異喩所立為示条目。所除載之。即其文云。外二異云。老君垂訓開不生不滅之長生。釈迦説教示不滅不生之永滅。内二喩云。李[タン04]稟質有生有滅。畏患生之生。反招白首。釈迦垂象示滅。示生帰寂滅之滅。乃耀金躯。開士曰。老子云。貴大患。莫若有身使吾無身。吾有何患。患之所由莫若身矣。老子既患有身。欲求無悩未免頭白。与世不殊。若言長生何因早死。已上。此二異意。李氏雖談長生仙方遂不免死。仏雖示滅帰寂滅故非比論也。開士釈中。引老本文貴大患者。貴者畏也。見本経註。外三異曰。老君応生出茲東夏。釈迦降迹挺彼西戎。内三喩曰。李[タン04]誕形居東周之苦県。能仁降迹出中夏之新州。開士曰。智度論云。千千重数曰三千。二過復千故曰大千。迦羅衛居其中也。楼炭経云。葱河以東名為震旦。以日初出曜於東隅故称震旦。一本云故得名也。諸仏出世皆在其中。不生辺邑。若生辺地地為之傾。乃至。迦維未肯為西。其理験矣。已上。此三異意老出東夏仏出西戎。中夏辺邑以之為異。此三喩意汝解不爾。以彼天竺為地中心故仏勝也。SYOZEN2-427/TAI9-556,557
○開士の釈の中に、盧景裕等の述する所は未だ勘えず。「周弘政」とは、疏六巻を作る。この釈の中に「太子」というは、これまた唐本には「子」の字、「上」たり。上の字、宜しきか。開士の所破は太上に被るが故に。この釈の終に「乃至」というは、当段の所引に残文あるにあらず。これ全文なり。外内の二異・二喩・三異・三喩を除くに就くが故にしかいうのみ。異喩の所立、条目を示さんために、除く所、これを載す。即ちその文に云わく「外の二異に云わく、老君は訓を垂れて不生不滅の長生を開き、釈迦は教を説きて不滅不生の永滅を示す。内の二喩に云わく、李[タン04]は質を稟けて生あり滅あり。患生の生を畏れて、反りて白首を招く。釈迦は象を垂て滅を示し、生を示して寂滅の滅に帰して、すなわち金躯を耀かす。開士の曰わく、老子の云わく、大患を貴〈おそ〉るるに、身あるにしくはなし。吾をして身なからしめば、吾、何の患かあらん。患の由る所、身あるにしくはなし。老子は既に身あることを患う。悩なきことを求めんと欲すれども、未だ頭白を免れず。世と殊らず。もし長生をいわば、何に因ってか早く死せる」已上。この二異の意は、李氏の、長生の仙方を談ずるといえども、遂に死を免れず。仏は滅を示すといえども、寂滅に帰するが故に比論にあらざるなり。開士の釈の中に、老の本文を引くに、貴大患とは、貴は畏なり、本経の註に見えたり。外の三異に曰わく、老君の応生はこの東夏に出ず。釈迦の降迹は彼の西戎に挺〈ぬきん〉ず。内の三喩に曰わく、李[タン04]は形を誕じて東周の苦県に居り、。能仁は迹を降て中夏の新州に出ず。開士の曰わく、『智度論』に云わく、千千の重数を三千といい、二たび復千を過ぐるが故に大千という。迦羅衛はその中に居するなり。『楼炭経』に云わく、葱河以東を名づけて震旦とす。日の初めて出でて東隅に曜くを以ての故に震旦と称す。一本に云わく、故に名を得るなり。諸仏の出世はみなその中に在り。辺邑に生ぜず。もし辺地に生ずれば、地はこれがために傾く、乃至。迦維、未だ肯いて西たらず。その理、験せり」已上。この三異の意は、老は東夏に出で、仏は西戎に出ず。中夏辺邑、これを以て異とす。この三喩の意は、汝が解はしからず、彼の天竺を以て地の中心とするが故に、仏の勝れたりとなり。SYOZEN2-427/TAI9-556,557
◎外四異曰。老君文王之日。為隆周之宗師。釈迦荘王之時。為[ケイ02]賓之教主。内四喩曰。伯陽職処小臣。恭宛蔵吏。不在文王之日。亦非隆周之師。牟尼位居太子。身証特尊。当昭王之盛年。為閻浮教主。乃至。
◎(弁正論)外の四異に曰わく、老君は文王の日、隆周の宗師たり。釈迦は荘王の時、[ケイ02]賓の教主たり。内の四喩に曰わく、伯陽〈伯楊〉は、職、小臣に処り、恭〈忝〉〈かたじけ〉なく蔵吏に宛〈充〉〈あた〉れり。文王の日にあらず。また隆周の師にあらず。牟尼は、位、太子に居して、身、特尊を証したまえり。昭王の盛年に当れり。閻浮の教主たり。乃至。KESINDO:SYOZEN2-194/-HON-389,HOU-498-
○四異四喩所引在文。但今所除開士釈也。即其文云。開士曰。前漢書云孔子為上。上流是聖。老子為中。中流是賢。何晏王弼云老未及聖。二教論云。柱史在朝本非諧讃。出周入秦。為尹言道。無聞諸侯。不見天子。若為周師史無明証。不符正説。其可得乎。乃至。抱朴云。出文王世[ケイ12]康皇甫謐並生殷末者蓋指道之偽文。非国典所載也。已上。此四異意。老子総為隆周之師。釈尊僅一国之教主。故有勝劣。同四喩意。李為小臣。又非周師。仏初太子後証仏果。於閻浮提総為教主。故為勝也。言伯陽者是老子名。言蔵史者是官名也。謂之柱史。又云柱下。日本称之云大内記。是儒官也。外五異曰。老君降迹周王之代。三隠三顕五百余年。釈迦応生胡国之時。一滅一生寿唯八十。内五喩曰。李氏三隠三顕既無的拠。可依仮令五百許年。猶慚亀鶴之寿。法王一滅一生示見微塵之容。八十年間開誘恒沙之衆。開士曰。検諸史正典無三隠三顕出没之文。乃至。在周劣駕小車鬢垂糸髪。来漢即簫鼓雲萃羽従空。浮于宝捜神未聞其説。斉諧異記不載斯霊撫臆論心矯妄尤甚。已上。此五異意老子三隠三顕為奇。釈尊一滅一生是劣。寿命長短為之殊異。SYOZEN2-427,428/TAI9-563
○四異四喩、所引、文に在り。ただし今除く所は開士の釈なり。即ちその文に云わく「開士の曰く、『前漢書』に云わく、孔子を上とす。上流はこれ聖。老子を中とす。中流はこれ賢。何晏王弼が云く、老は未だ聖に及ばず。二教論に云わく、柱史、朝に在る本、諧讃にあらず。周を出でて秦に入る。尹がために道をいう。諸侯に聞ゆることなし。天子に見〈まみ〉えず。もし周の師たらば、史に明証なし。正説に符〈あ〉わず。それ得べけんや。乃至。抱朴に云わく、出文の王に世ず。[ケイ12]康皇甫謐、並びに殷の末に生まれたりとは、蓋し道を指すの偽文なり。国典の載する所にあらざるなり」已上。この四異の意は、老子は総て隆周の師たり、釈尊は僅かに一国の教主なり。故に勝劣あり。同じき四喩の意は、李は小臣たり、また周の師にあらず。仏は初には太子、後には仏果を証す。閻浮提に於いて総て教主たり。故に勝とするなり。「伯陽」というは、これ老子の名。「蔵史」というは、これ官名なり。これを柱史という。また柱下という。日本にはこれを称して大内記という。これ儒官なり。外の五異に曰わく「老君は迹を周王の代に降りて、三たび隠れ、三たび顕わること五百余年。釈迦の応生は胡国の時、一たび滅し、一たび生じて寿はただ八十なり。内の五喩に曰わく、李氏の三隠三顕は既に的拠なし。仮令五百許年に依るべきとも、なお亀鶴の寿に慚ず。法王の一滅一生は微塵の容を見るべきことを示す。八十年の間、恒沙の衆を開誘す。開士の曰わく、諸史正典を検るに、三隠三顕出没の文なし。乃至。周に在りては劣駕小車にして、鬢、糸髪を垂れ、漢に来ては、即ち、簫鼓、雲萃羽従して空く浮ぶ。于宝〈千宝〉が『捜神』、未だその説を聞かず。『斉諧異記』にこの霊を載せず。撫臆、論心、矯妄、もっとも甚し」已上。この五異の意は、老子の三隠三顕を奇とし、釈尊の一滅一生はこれ劣なり。寿命の長短、これを殊異とす。SYOZEN2-427,428/TAI9-563
◎外六異曰。老君降世。始自周文之日。訖于孔丘之時。釈迦下生肇於浄飯之家。当我荘王之世。内六喩曰。迦葉生桓王丁卯之歳。終景王壬午之年。雖訖孔丘之時。不出姫昌之世。調御誕昭王甲寅之年。終穆王壬申之歳。是為浄飯之胤。本出荘王之前開士曰。孔子至周見老[タン04]而問礼焉。史記具顕。為文王師則無典証。出於周末。其事可尋。周初史文不載。乃至。
◎(弁正論)外の六異に曰く、老君は世に降して、始め周文の日より、孔丘の時に訖れり。釈迦は肇めて浄飯の家に下生して、我が荘王の世に当れり。内の六喩に曰わく、迦葉は、桓王丁卯の歳に生まれて、景王壬午の年に終う。孔丘の時に訖るといえども、姫昌の世に出でず。調御は、昭王甲寅の年に誕じて、穆王壬申の歳に終う。これ浄飯の胤たり。本荘王の前に出でたまえり。開士曰わく、孔子、周に至りて老[タン04]を見て、礼を問う。『史記』に具に顕る。文王の師たること、すなわち典証なし。周の末に出でたり。その事、尋ぬべし、周の初めの史文に載せず。乃至。KESINDO:SYOZEN2-194/-HON-390,HOU-498,499-
○六異六喩在所引文。此六異意。老氏出世周文王時。釈尊下生同荘王時。言以前後為勝劣也。此六喩意。李老始。生周桓王歳。終景王年。不出文世。調御誕生昭王之年。出荘王前。終穆王年。若以前後論勝劣者。仏前老後何得比也。言迦葉者。蓋指老子。乃是本地菩薩名也。言姫昌者周文王也。文王雖為周之始祖。不即正位。武王以来。周継体主三十七也。言桓王者第十五代。言景王者第二十五代。言昭王者第四代主。言穆王者是第五代。言荘王者第十六代之王是也。前後応知。開士釈終。言乃至者於当文中有余言也。SYOZEN2428,429/TAI9-568
○六異六喩、所引の文に在り。この六異の意は、老氏の出世は周の文王の時、釈尊の下生は同じき荘王の時。言うこころは、前後を以て勝劣とするなり。この六喩の意は、李老の始は、周の桓王の歳に生まれて、景王の年に終う。文の世に出でず。調御は昭王の年に誕生して、荘王の前に出でて、穆王の年に終う。もし前後を以て勝劣を論ぜば、仏は前、老は後、何ぞ比することを得んやとなり。「迦葉」というは、蓋し老子を指す。すなわちこれ本地の菩薩の名なり。「姫昌」というは周の文王なり。文王は周の始祖たりといえども、正位に即かず。武王よりこのかた、周の継体の主は三十七なり。「桓王」というは第十五代、景王というは第二十五代、昭王というは第四代の主なり。穆王というはこれ第五代、荘王というは第十六代の王、これなり。前後、知るべし。開士の釈の終に、「乃至」というは当文の中に於いて余言あるなり。SYOZEN2428,429/TAI9-568
◎外七異曰。老君初生周代。晩適流沙。不測始終。莫知方所釈迦生於西国。終彼提河。弟子捉胸。群胡大叫内七喩曰。老子生於頼郷。葬於槐里。詳乎秦佚之弔。責在遁天之形。瞿曇出彼王宮。隠慈鵠樹。伝乎漢明之世。祕在蘭台之書開士曰。荘子内篇云。老[タン04]死秦佚弔焉。三号而出。弟子怪問。非夫子之徒歟。秦佚曰。向吾入見少者。哭之如哭其父。老者哭之如哭其子。古者謂之遁天之形。始以為其人也。而今非也。遁者隠也。天者免縛也。形者身也。言始以老子為免縛形之仙。今則非也。嗟其諂典。取人之情。故不免死。非我友。乃至。
◎(弁正論)外の七異に曰わく、老君、初めて周の代に生まれて、晩に流沙に適く。始終を測らず、方所を知ることなし。釈迦は西国に生まれて、かの提河に終わりぬ。弟子、胸を捉ち、群胡大きに叫ぶ。内の七喩に曰わく、老子は頼郷に生まれて、槐里に葬むる。秦佚の弔を詳らかにす。責め、遁天の形にあり。瞿曇はかの王宮に出でて、慈鵠樹に隠れたまう。漢明の世に伝わりて、祕かに蘭台の書にまします。開士の曰わく、『荘子』内篇に云わく、老[タン04]死して、秦佚弔う。ここに三たび号〈さけ〉んで出ず。弟子、怪しんで問う、夫子の徒にあらざるか。秦佚曰わく、さきに吾入りて少者を見るに、これを哭すること、その父を哭するがごとく、老者これを哭すること、その子を哭するがごとし。古はこれを遁天の形と謂う。始めはおもえらく、その人なり。しかるに今非なり。遁は隠なり、天は免縛なり、形は身なり。言うこころは、始め老子を以て免縛形の仙とす、今すなわち非なり。ああ、その諂れる典、人の情〈こころ〉を取る。故に死を免れず。我が友にあらず。乃至。KESINDO:SYOZEN2-194,195/-HON-390,391,HOU-499-
○七異七喩文在所引。此七異意。老適流沙不知所隠。言得仙也。仏終提河現唱涅槃。言有死也。同七喩意。老有生処又有葬処。不遁生死。仏隠鶴林雖示涅槃非滅現滅。是故其教自梵伝漢于今流布。法命長遠衆生蒙益。非対比也。開士釈終言乃至者。非於当段有余残文。(但也一字在最末矣)第八九十外異内論省略之故。対下十異十喩重説云乃至也。彼三段云。外八異曰。老君蹈五把十美眉方口双柱参漏日角月懸。此中国聖人之相。釈迦鼻如金挺。眼類井星。晴若青蓮。頭生螺髪。此西域仏陀之相。内八喩曰。李老美眉方口蓋是長者之徴。蹈五把十未為聖人之相。婆伽聚日融金之色。既彰希有之相。万字千輻之奇。誠標聖人之相。開士曰。老子中胎等経云。老[タン04]黄色広[ソウ09]長耳大目疎歯厚唇。手把十字之文。脚蹈二五之画。止是人間之異相。非聖者之奇姿也。乃至。如来身長丈六方正不傾。円光七尺照諸幽冥。項有肉髻其髪紺青。耳覆垂[トウ?02]目視開明。乃至。放一光而地獄休息。演一法使苦痛安寧。備列衆経。不煩委指。已上。此八異意。老備中華聖人之相。仏為西域仏陀之相。是分中辺貶異相也。外九異曰。老君説教敬譲威儀自依中夏。釈迦制法恭粛儀容還遵外国。内九喩曰。老是俗人官。居末品。衣冠拝伏自奉朝章。仏為聖主道与俗乖。服貌威儀不同凡制。開士曰。昔丹陽余玖興。撰明真論一十九篇以駭道士。出其偽妄詳彼論焉。取意。此異喩意。又依中辺就其威儀。争勝劣。外十異曰。老君之教以復孝慈為徳本。釈迦之法以捨親戚為行先。内十喩曰。老訓狂勃殺二親為行先。釈教仁慈済四生為徳本。開士曰。汝化胡経言。喜欲従。[タン04]曰。若有至心随我去者。当斬汝父母妻子七人頭者。乃可去耳。喜乃至心便自斬父母七人将頭到[タン04]前。便成七猪頭。夫順天地之道者行也。不傷和気者孝也。丁蘭感通於朽木。董永孝致於天女。禽獣猶有母子而知親。況[タン04]喜行道於天下。斬其父母。何名孝乎。戮其妻子豈謂慈乎。已上。此十異意。老教孝慈。仏捨親戚。勝劣在斯。同十喩意。老訓殺二親。是背孝行。仏済四生是叶仁慈。是勝劣也。開士釈中所言喜者。是尹喜也。老子序云。関令尹喜望見東方有来人。変化無常。乃謁請之。老子知喜入道。於是留与之言。喜曰子将隠矣。強為我著書。於是老子著上下二篇八十一章五千余言。故号曰老子経也。已上。異喩十双相対如斯。SYOZEN2-429,450/TAI9-573,574
○七異七喩の文は所引に在り。この七異の意は、老は流沙に適〈ゆ〉きて隠るる所を知らず。言うこころは仙を得たるなり。仏は提河に終りて現に涅槃を唱う。言うこころは死あるなり。同じき七喩の意は、老は生処あり、また葬処あり。生死を遁れず。仏は鶴林に隠れて涅槃を示すといえども、滅にらずして滅を現ず。この故にその教は梵より漢に伝いて今に流布し、法命長遠にして衆生は益を蒙る。対比にあらざるなり。開士の釈の終りに「乃至」というは、当段に於いて余残の文あるにあらず。(ただし「也」の一字、最末に在り。)第八・九・十の外異・内論は省略するが故に、下に十異十喩の重説に対して「乃至」というなり。彼の三段に云わく「外の八異に曰わく、老君は蹈五・把十・美眉・方口・双柱・参漏・日角・月懸、これ中国の聖人の相なり。釈迦は、鼻は金挺の如し、眼は井星に類す。晴は青蓮のごとし、頭は螺髪を生ず。これ西域の仏陀の相なり。内の八喩に曰わく、李老は美眉・方口、蓋しこれ長者の徴〈ち〉。蹈五・把十は未だ聖人の相とせず。婆伽は聚日融金の色、既に希有の相を彰わし、万字千輻の奇、誠に聖人の相を標す。開士の曰わく、老子は中胎等の経に云わく、老[タン04]、黄色広[ソウ09]にして、長耳・大目・疎歯・厚唇なり。手に十字の文を把り、脚に二五の画を蹈む。止〈た〉、これ人間の異相、聖者の奇姿にあらざるなり。乃至。如来は身の長丈六、方正にして傾かず。円光七尺、もろもろの幽冥を照らす。項に肉髻あり、その髪は紺青なり。耳覆の[トウ?02]を垂れ、目視ること開明なり。乃至。一光を放ちては地獄休息し、一法を安ずれば苦痛安寧ならしむ。備に衆経に列れり。煩しく委しく指さず。已上。これ八異の意は、老は中華聖人の相を備う。仏は西域の仏陀の相たり。これ中辺を分けて異相を貶むるなり。外の九異に曰わく、老君は教を説くこと、敬譲威儀、自ずから中夏に依る。釈迦は法を制すること恭粛儀容、また外国に遵う。内の九喩に曰わく、老はこれ俗人、官は末品に居して、衣冠拝伏、自ずから朝章に奉〈う〉く。仏は聖主として道、俗と乖けり。服貌威儀、凡制に同じからず。開士の曰わく「昔丹陽の余玖興、明真論一十九篇を撰びて以て道士を駭かす。その偽妄を出だすに、彼の論に詳らかなり」取意。この異喩の意、また中辺に依りてその威儀に就きて、勝劣を争う。外の十異に曰わく「老君の教は孝慈に復るを以て徳本と為す。釈迦の法は親戚を捨つるを以て行の先となす。内の十喩に曰わく、老訓は狂勃にして二親を殺すを行の先となす。釈教は仁慈にして四生を済うを徳の本となす。開士の曰わく「汝、化胡経に言わく、喜、従わんと欲す。[タン04]の曰わく、もし心を至して我に随いて去くことある者、まさに汝が父母妻子七人の頭を斬るべきは、すなわち去るべからくのみ。喜すなわち心を至してすなわち自ら父母七人を斬りて頭をもって[タン04]の前に到る、すなわち七の猪頭と成る。それ天地の道に順う者の行なり。和気を傷らざるは孝なり。丁蘭は感を朽木に通じ、董永は孝を天女に致す。禽獣は猶し母子として親を知ることあり。況んや[タン04]喜は道を天下に行ずるにその父母を斬る、何ぞ孝と名づけんや、その妻子を戮する、あに慈といわんや」已上。この十異の意は、老は孝慈を教え、仏は親戚を捨てしむ。勝劣ここにあり。同じき十喩の意は、老は訓えて二親を殺さしむ、これ孝行に背むく。仏は四生を済う、これ仁慈に叶う。これ勝劣なり。開士の釈の中に言う所の喜とは、これ尹喜なり。老子の序に云わく「関の令尹喜、東方を望見するに来る人あり。変化して常なし。すなわちこれに謁請す。老子、喜の道に入ることを知りて、ここに留まりてこれと言う。喜が曰わく、子、まさに隠れなんとす。強ちに我ために書を著わせ。ここに老子は上下二篇八十一章五千余言を著わす。故に号して老子経というなり」已上。異喩の十双相対してかくの如し。SYOZEN2-429,450/TAI9-573,574
◎内十喩答外十異。外従生左右異一。内従生有勝劣内喩曰。左袵則戎狄所尊。右命為中華所尚。故春秋云冢卿無命。介卿有之。不亦左乎。史記云。藺相如功大位在簾頗右恥之。又云。張儀相右秦而左魏。犀首相右緯而左魏。蓋云。不便也。礼云。左道乱群殺之。豈非右優而左劣也。皇哺謐高士伝云。老子楚之相人。家温水之陰。師〈押〉事常従子。及常子有疾。李耳往問疾焉。[ケイ12]康云。李耳従涓子学九仙之術。撥〈[ケン03]〉太史云等衆尽〈書・画〉。不云老子剖左腋生。既無正出。不可承信明矣。験知。揮戈操翰蓋文武之先。五気三光寔陰陽之首。是以釈門右転。且快人用。張陵左道。信逆天常。何者。釈迦超無縁之慈。応有機之召。語其迹也。乃至。
◎(弁正論)内の十喩、外の十異を答す。外は生より左右異なる一なり。内は生より勝劣あり。内に喩して曰わく、左袵はすなわち戎狄の尊ぶところ、右命は中華の尚ぶところとす。故に『春秋』に云わく、冢郷は命なし、介郷はこれあり、また左〈たが〉わずや」。『史記』に云わく、藺相如は、功大きにして、位、廉頗が右にあり、これを恥ず。また云わく、張儀相、秦を右にして魏を左にす。犀首相、韓を右にして魏を左にす。蓋し云わく、便ならず。『礼』に云わく、左道乱群をば、これを殺す。あに右は優りて左は劣れるにあらずや。皇甫謐が『高士伝』に云わく、老子は楚の相人、過水の陰に家す。常従子に師〈押〉とし事う。常子疾あるに及びて、李耳往きて疾を問う。[ケイ12]康の云わく、李耳、涓子に従いて九仙の術を学ぶ。太史公等の衆尽〈書・画〉を撥〈[ケン03]〉するに、老子、左腋を剖きて生まると云わず。すでに正しく出でたることなし。承信すべからざること明らけし。験らかに知りぬ。戈を揮い翰を操る、けだし文武の先、五気三光は、まことに陰陽の首なり。ここをもって釈門には、右に転ずること、また人用を快しくす。張陵左道にす、信に天の常に逆う。いかんとなれば、釈迦、無縁の慈を超えて、有機の召に応ず、その迹を語るなり。乃至。KESINDO:SYOZEN2-195/-HON-391,HOU-499,500-
○次内十喩答外等者。次下重明十異十喩之標章也。本書之中。標章之下載目録云。内従生有勝劣一。立教有浅深二。徳位有高卑三。化縁有広[キョウ01]四。寿夭有延促五。化迹有先後六。遷謝有顕晦七。相好有少多八。威儀有同異九。法門有漸頓十。此十双者於前十異重宣其意。於前十喩再明其義。只是広略之不同也。前重是略。今重広耳。但前十双異喩之上各有注字。以之思之。上陳子良予先正文且著述歟。今此十双是琳法師正製作也。言外従生左右等者。上目録中唯載十喩不出十異。各至釈章内喩之前置外異題挙外異言。次置内題出内喩言。即今所挙外一題也。但下諸段所除非一。縦又雖引異喩之言多略題目。仍先釈章出外異題。合上所挙内喩目録。可顕相対之大意也。其題目云。外従生左右異一。外教門生滅異二。外方位東西異三。外適化華夷異四。外稟生有夭寿異五。外従生前後異六。外遷神返寂異七。外聖賢相好異八。外中表威儀異九。外設規逆順異十。内従等者。目録所挙十喩之中一喩題也。問。目録之中有一二三乃至十数。今不載之。有何意耶。答。目録之中唯載内喩。故記其数。今於外異先記数故。譲上不録。内外相対一一不可相濫故也。問。今外一異雖挙題目不出文言。其文如何。答。彼本文云。外論曰。聖人応迹異彼凡夫。或乗龍象以処胎。乍開脇而出。雖復無開両気非仮二親。至於左右之殊其優劣之異一也。内喩等者。内一瑜也。今所挙之内従生等之題目者。略外論故。次外異題。如本書者在外論後内喩之前。次第応知。此内喩中。藺相等者。世謂廉藺。廉則廉頗。藺藺相如。一双武将。而廉為麁書生誤歟。加之此中唐本文字相違又多。一者右緯。緯字為韓。二者温水温字為渦。三者押事押字為師。四撥太史。撥字為検。五快人用。快字為扶。弗謂是非。只記異耳。其迹也下言乃至者。自此文残至三喩半省略故也。SYOZEN2-430,431,432/TAI9-581,582
○次に「内十喩答外」等とは、次下に重ねて十異十喩を明かす標章なり。本書の中、標章の下に目録を載せて云わく「内は生より勝劣ある一。教を立つるに浅深ある二。徳位に高卑ある三。化縁に広[キョウ01]ある四。寿夭に延促ある五。化迹に先後ある六。遷謝に顕晦ある七。相好に少多ある八。威儀に同異ある九。法門に漸頓ある十」と。この十双は前の十異に於いて重ねてその意を宣べ、前の十喩に於いて再びその義を明かす。ただこれ広略の不同なり。前の重はこれ略、今の重は広なるのみ。ただし前の十双異喩の上に、おのおの注の字あり。これを以て、これを思うに、上は陳子良が予め正文に先だって且つ著述するか。今この十双は、これ琳法師の正しき製作なり。「外従生左右」等というは、上の目録の中に、ただ十喩を載せて十異を出ださず。おのおの釈章に至りて内喩の前に外異の題を置きて外異の言を挙ぐ。次に内題を置きて内喩の言を出だす。即ち今挙ぐる所、外の一の題なり。ただし下の諸段に除く所は一にあらず。たといまた異喩の言を引くといえども、多く題目を略す。よって釈章の先だって外異の題を出だす。上に挙ぐる所の内喩の目録に合して、相対の大意を顕わすべきなり。その題目に云わく「外は生より左右異なる一。外は教門生滅異なる二。外は方位東西異なる三。外は適化華夷異なる四。外は生を稟くるに夭寿ある異五。外は生より前後異なる六。外は神を遷し寂に返る異なる七。外は聖賢相好異なる八。外は中表威儀異なる九。外は規を設くること逆順異なる十」と。「内従」等とは目録に挙ぐる所の十喩の中の一喩の題なり。問う、目録の中に一二三乃至十の数あり。今はこれを載せず。何の意かあるや。答う、目録の中には、ただ内喩を載す。故にその数を記す。今は外異に於いて、まず数を記するが故に、上に譲りて録せず。内外相対して一一に相濫すべからざるが故なり。問う、今、外の一異に題目を挙ぐるといえども、文言を出ださず。その文如何。答う、彼の本文に云わく「外論に曰わく、聖人の応迹は彼の凡夫に異なり、あるいは龍象に乗りて以て胎に処し、たちまち脇を開きて出ず。また両気に開〈あずか〉ることなく二親を仮ることなしといえども、左右の殊に至りては、その優劣の異一なり」。「内喩」等とは、内の一瑜なり。今挙ぐる所の「内従生」等の題目は、外論を略するが故に、外異の題に次ぐ。本書の如きは外論の後、内喩の前にあり。次第知るべし。この内喩の中に「藺相」等とは、世に廉藺という。廉は則廉頗、藺は藺相如、一双の武将なり。しかして廉を麁とす、書生の誤りか。しかのみならず、この中に唐本の文字相違また多し。一には「緯を右にす」の緯の字は韓たり。二には「温水」の温の字は渦たり。三には「押事」の押の字は師たり。四に「撥太史」の撥の字は検たり。五に「人用を快しくす」の快の字は扶たり。是非をいうにはあらず。ただ異を記するのみ。「其迹也」の下に「乃至」というは、この文の残より三喩の半に至るまで省略するが故なり。SYOZEN2-430,431,432/TAI9-581,582
◎夫釈氏者天上天下介然居其尊。三界六道卓爾推其妙。乃至。
◎(弁正論)それ釈氏は、天上天下に介然として、その尊に居す。三界六道、卓爾としてその妙を推す。乃至。KESINDO:SYOZEN2-195/-HON-391,HOU-500-
○夫釈氏者天上等者。三喩中文前後猶有数行文言。併以略之。推其妙下言乃至者。於当段中猶有残文。又除四異四喩也下乃至十異。故云爾也。SYOZEN2-432/TAI9-588
○「夫釈氏者天上」等とは、三喩の中の文、前後になお数行の文言あり。しかしながら以てこれを略す。「推其妙」の下に「乃至」というは、当段の中に於いて、なお残文あり。また四異四喩也の下、乃至十異を除く。故に爾〈しか〉いうなり。SYOZEN2-432/TAI9-588
◎外論曰。老君作範。唯孝唯忠。救世度人。極慈極愛。是以声教永伝。百王不改。玄風長被。万古無差。所以治国治家常然楷式。釈教棄義棄親。不仁不孝。闍王殺父翻説無愆。調達射兄無間得罪。以此導凡。更為長悪。用斯範世。何能生善。此逆順之異十也。
◎(弁正論)外論に曰わく、老君、範と作す。ただ孝、ただ忠、世を救い人を度す、慈を極め愛を極む。ここを以て声教永く伝えて、百王改まらず、玄風長く被らしめて、万古差うことなし。このゆえに国を治め家を治むるに、常然として楷式たり。釈教は、義を棄て親を棄てて、仁ならず孝ならず。闍王、父を殺し、翻じて愆〈とが〉なしと説く。調達、兄を射て、罪を得ることを間〈聞〉くことなし。これを以て凡を導く、更に悪を長〈ま〉すことをなす。これを用て世に範〈のり〉とする、何ぞよく善を生ぜんや。これ逆順の異十なり。KESINDO:SYOZEN2-195,196/-HON-391,392,HOU-500-
○次外論曰。老君等者第十異也。本書先安外設規云逆順異十之題一行。其次有云外論等之長行也。SYOZEN2-432/TAI9-589
○次に「外論曰。老君」等とは第十異なり。本書はまず外設規の逆順異十という題の一行を安じて、その次に「外論」等という長行あり。SYOZEN2-432/TAI9-589
◎内喩曰。義乃道徳所卑。礼生忠信之薄。瑣仁譏於匹婦。大孝存乎不匱。然対凶歌咲。乖中夏之容。臨喪扣盆。非華俗之訓。原壤母死。騎棺而弗譏。子桑死子貢弔。四子相視歌。而孔子時助祭而咲。荘子妻死扣盆而歌也。故教之以孝。所以敬天下之為人父也。教之以忠。敬天下之為人君也。化周万国。乃明辟之至。仁形于四海。実聖王之臣孝。仏経言。識体輪回六趣。無非父母。生死変易三界。孰弁怨親。又言。無明覆慧眼。未往生死中。往来所作。更互為父子。怨親数為知識。知識数為怨親。是以沙門捨俗趣真。均庶類於天属。遺榮即道。等含気於己親。行普正之心等普親之志。且道尚清虚。爾重恩愛。法貴平等。爾簡怨親。豈非惑也。勢競遺親。文史明事。斉桓楚穆。此其流也。欲以[シ05]聖。豈不謬哉。爾道之劣十也。乃至。
◎(弁正論)内喩に曰わく、義はすなわち道徳の卑しゅうする所、礼は忠信の薄きより生ず。瑣仁、匹婦を譏り、大孝は不匱を存す。然して凶に対するに歌い笑う、中夏の容〈かたち〉に乖く。喪に臨みて盆を扣く、華俗の訓〈おし〉えにあらず。原壌、母死して騎棺して譏らず。子桑死するとき子貢弔う。四子あい視て歌う。しかるに孔子、時に祭を助けて笑う。荘子が妻死す、盆を扣きて歌うなり。故にこれを教うるに孝を以てす、天下の人父たるを敬する所以なり。これを教うるに忠を以てす、天下の人君たるを敬するなり。化、万国に周し、いまし明辟の至なり。仁、四海に形〈あらわ〉る、実に聖王の巨孝なり。仏経に言わく、識体、六趣に輪回す、父母にあらざるなし。生死、三界に変易す、たれか怨親を弁えん。また言わく、無明、慧眼を覆いて、いまだ生死の中に往かず。往来して作す所、さらに互いに父子たり。怨親しばしば知識たり、知識しばしば怨親たり。ここを以て沙門は、俗を捨てて真に趣く、庶類を天属に均しゅうす。栄を遺てて道に即〈つ〉く、含気を己親に等しゅうす。行、普く正しきの心。等しく普き親の志なり。また道は清虚を尚ぶ、爾〈なんじ・それ〉は恩愛を重くす。法は平等を貴ぶ、爾は怨親を簡〈きら〉わんや。あに惑にあらずや。勢競の、親を遺〈わ〉する、文史の、事を明らかにす。斉桓・楚穆、これその流〈ともがら・たぐい〉なり。以て聖を[シ05]〈そし〉らんと欲う、あに謬れるにあらずや。なんじが道の劣十なり。乃至。KESINDO:SYOZEN2-196/-HON-392,HOU-500,501-
○次内喩曰義乃等者第十喩也。本書文前安題如前。其題目者云内法門有漸頓之六字是也。当段之中又与唐本参差多之。一非華俗之訓下註云。歌孔子助祭五字在騎棺而上弗機之下。孔子上下而時二字共以無之。二云実聖王之臣孝。臣字為巨。三覆慧眼下云未往生。未字為来。生字無之。四云怨親数為知識。知識数為怨親。上下二句共無親字。言爾道之劣十也者。当篇外内異喩之説十双悉訖。SYOZEN2-432/TAI9-593
○「次内喩曰義乃」等とは第十喩なり。本書の文の前に題を安ずること前の如し。その題目とは「内法門有漸頓」というの六字これなり。当段の中にまた唐本と参差これ多し。一には華俗の訓にあらずという下の註に云わく「歌孔子助祭の五字は騎棺而の上に、弗機の下にあり。孔子の上下に而・時の二字共に以てこれなし。二には云わく、実に聖王の臣孝なり、臣の字は巨たり。三には覆慧眼の下に未往生という、未字は来たり。生の字はこれなし。四には云わく、怨親しばしば知識たり、知識しばしば怨親たりという、上下の二句共に親の字なし。爾道之劣十也というは、当篇外内異喩の説、十双悉く訖りぬ。SYOZEN2-432/TAI9-593
◎二皇統化。須弥四域経云。応声菩薩為伏羲。吉祥菩薩為女[カ03]也。居渟風之初。三聖立言。空寂所問経云。迦葉為老子。儒童為孔子。光浄為顔回也。興已澆之末。玄虚沖一之旨。黄老盛其談。詩書礼楽之文。周孔隆其教。明謙守質乃登聖之階梯。三畏五常為人天之由漸。蓋冥符於仏理。非正弁極談。猶謗道於[イン01]聾。麾方而莫窮遠迩。問律於兎馬。知済而不測浅深。因斯而談。殷周之世非釈教所宜行也。猶炎威赫耀。童子不能正目而視。迅雷奮撃。懦夫不能張耳而聴。是以。河池涌浮。昭王懼於誕神。雲霓変色。穆后欣亡聖。周書異記云。昭王二十四年四月八日江河泉水悉泛漲。穆王五十二年二月十五日。暴風起樹木折。天陰雲黒。有白虹之怪也。豈能越葱河而禀化。踰雲嶺而效誠。浄名云。是盲者遇。非日月咎。適欲窮其鑿竅之弁。恐傷吾子混沌之性。非爾所知。其盲一也。
◎(弁正論)二皇、化を統べて(『須弥四域経』に云わく、応声菩薩を伏義とす、吉祥菩薩を女[カ03]とするなり)、淳風の初めに居り、三聖、言を立てて(『空寂所問経』に云わく、迦葉を老子とす、儒童を孔子とす、光浄を顔回とするなり)、已澆の末を興す。玄虚沖一の旨、黄老その談を盛りにす。詩書礼楽の文、周孔その教を隆〈たか〉くす。謙を明らかにし、質を守る、すなわち聖に登るの階梯なり。三畏・五常は人天の由漸とす。けだし冥に仏理に符〈かな〉う、正弁の極談にあらや。なお道を[イン01]聾に謗り、方を麾きて遠迩を窮むることなかれ。律を兎馬に問う、済〈わた〉るを知りて浅深を測らず。これに因りて談ずるに、殷周の世は釈教の宜しく行うべきところにあらざるなり。なお炎威耀を赫〈かがや〉かす、童子、目を正しゅうして視ることあたわず。迅雷奮い撃つ、懦夫、耳を張りて聴くことあたわず。ここを以て河池涌き浮かぶ、昭王、神を誕ずることを懼る。雲霓色を変ず、穆后、聖を亡〈うしな〉わんことを欣ぶ。(『周書異記』に云わく、昭王二十四年四月八日、江河泉水ことごとく泛〈うかび〉漲せり。穆王五十二年二月十五日、暴風起ちて樹木折れ、天陰り雲黒し、白虹の怪あるなり)。あによく葱河を越えて化を禀け、雪嶺を踰えて誠を効〈いた〉さんや。『浄名』(維摩経)に云わく「これ盲者の過なり〈盲者遇えり〉、日月の咎にあらず」。たまたまその鑿竅の弁を窮めんと欲う、恐らくは、吾子混沌の性を傷む。それ知るところにあらず、その盲、一なり。KESINDO:SYOZEN2-196,197/-HON-392,393,HOU-501,502-
○自此以下次明九箴。但依略初文相起尽前後易迷。故示題目。其目録云。内九箴篇第六答外九迷論。周世無機一。建造像塔二。威儀器服三。棄耕分衛四。教為治本五。忠孝靡違六。三宝無翻七。異方同制八。老身非仏九。已上。目録如此。正於諸段所安題目。初有内字。又一乃至九之字上各有指字。於九迷者別無題目。二皇等者。即是初段。謂内周世無機指一之末文也。題目以前外論文言題目以後内箴初文所除是多。依為初段所引前後文言出之。即本文云。外論曰。夫言者非尚於華。辞貴在乎中理。歌者非尚於清。響貴資乎合節。仏経如来説法之時。諸国天子普来集聴。或放光明遍大千土。但釈迦在世之日当我周朝。史冊所書固無遺漏。未聞天王詣彼葱嶺。豈於中華之帝無善不預道場。辺鄙之君有縁普沾法座。光明所照則衆生離苦。而此土何辜偏無人悟。独隔恩外曾不見聞。取要。内周世無機指一内箴曰。夫淳儀麗天矇*(ソウ 目+叟)莫鑑其色。雷霆駭地。聾夫弗聆其響者。蓋機感之絶也。作暴兇跖孔智無以遏其心。結憤野夫賜弁。莫能[ケン05]其忿。亦情性之殊也。有註。故道合則万里懸応。勢乖則肝胆楚越。況無始結曠悩愛与滄海校深。有為業広塵労将巨岳争峻。群情不能頓至。故導之以積漸。衆行不可備修。故策之以限分。猶天地二化始合於自然。略註。斉魯再変乃臻於至道。密雲導於時雨。堅氷創於履霜。皆漸積之謂也故(此下二皇統化以下十四行余併如所引。)SYOZEN2-432,433/TAI9-602,603
○これより以下、次に九箴を明かす。ただし初を略するに依りて、文相起尽前後迷いやすし。故に題目を示す。その目録に云わく「内九箴の篇第六、外の九迷論を答す。周世に機なき一。像塔を建造する二。威儀器服三。耕を棄てて分衛する四。教は治の本たる五。忠孝違なき六。三宝翻なき七。異方同制の八。老の身は仏にあらざる九」已上。目録かくの如し。正しく諸段に於いて安ずる所の題目、初に内の字あり。また一乃至九の字の上に、おのおの指の字あり。九迷に於いては別に題目なし。「二皇」等とは、即ちこれ初段、謂わく内には周世に機なき指の一の末の文なり。題目以前は外論の文言、題目以後は内箴の初文、除く所はこれ多し。初段所引の前後の文言たるに依りて、これを出だす。即ち本文に云わく「外論に曰わく、それ言は華を尚ぶにあらず、辞の貴きことは理に中〈あ〉たるにあり。歌は清を尚ぶにあらず、響の貴きことは節に合〈かな〉うに資〈よ〉る。仏経は如来説法の時、諸国の天子普く来たりて集い聴く。あるいは光明を放ちて大千の土に遍く。ただし釈迦在世の日は我が周朝に当たる。史冊に書する所、固〈まこと〉に遺漏なし。いまだ天王の彼の葱嶺に詣ずることを聞かず。あに中華の帝に於いて善なくして道場に預からず。辺鄙の君、縁ありて普く法座に沾う。光明の照らす所、則ち衆生は苦を離る。しかしてこの土は何の辜あってか偏に人の悟りなく、独り恩外に隔てて、かつて見聞せざるや」取要。内には周世に機なき指の一、内箴に曰わく「それ淳儀は天に麗とも、矇*(ソウ 目+叟)はその色を鑑みることなし。雷霆の地を駭かすに、聾夫その響を聆〈き〉かざるは、けだし機感の絶たるなり。暴を作す兇跖孔の智も以てその心を遏〈とど〉むることなし。憤を結ぶ野夫賜が弁も、能くその忿をのぞくことなし。また情性の殊なるなり。(註あり。)故に道の合〈かな〉うるときは則ち万里懸〈はる〉かに応じ、勢乖く則〈とき〉んば肝胆楚越なり。況わんや無始結曠し、悩愛と滄海と深きことを校〈くら〉ぶ。有為業広し、塵労、巨岳を将て峻〈けわ〉しきことを争う。群情、頓に至ること能わず。故にこれを導くに積漸を以てす。衆行、備に修すべからず。故にこれを策〈はげ〉むに限分を以てす。天地の二化、始めて自然に合〈かな〉うがごとし。(註を略す。)斉魯、再び変じて乃ち至道に臻〈いた〉る。密雲、時雨を導き、堅氷、霜を履むに創まる。皆漸積の謂なるが故に(この下「二皇統化」以下の十四行余は併しながら所引の如し。)SYOZEN2-432,433/TAI9-602,603
◎内建造像塔指二。自漢明已下訖于斉梁。王公守牧清信士女。及比丘比丘尼等。冥感至聖国覩神光者。凡二百余人。至如見迹万山浮耀滬涜。清台之下覩満月之容。雍門之外観相輪之影。南平獲応於瑞像。文宣感夢於聖牙。蕭后一鑄剋成。宗皇四摸而不就。其例甚衆。不可具陳。豈以爾之無目而斥彼之有霊哉。
◎(弁正論)内には像塔を建造す、指の二。漢明よりこのかた、斉・梁に訖〈おう・おえる・いたる〉まで、王・公・守牧、清信の士・女、及び比丘・比丘尼等、冥に至聖を感じ、国に神光を覩る者、おおよそ二百余人。迹を万山に見〈みそなわ〉し、耀〈ひかり〉を滬涜〈ことく〉に浮かぶ、清台の下〈もと〉に満月の容〈かたち〉を覩、雍門の外に相輪の影を観るがごときに至る。南平は応を瑞像に獲、文宣は夢を聖牙に感ず。蕭后一たび鋳て剋成し、宗皇四たび摸して就〈な〉らず。その例、はなはだ衆し、具に陳ぶべからず。あに爾が無目を以て、かの有霊を斥〈きら〉わんや。KESINDO:SYOZEN2-197/-HON-393,394,HOU-502,503-
○内建等者即二箴也。自漢明下至有霊哉六行余者。当段外論文末註也。是故此文雖在建造像等題前。於此句者。居外論末而所弾折外論意句故。以其意楽助内箴故為示其義安題後歟。SYOZEN2-433/TAI9-616
○「内建」等とは、即ち二箴なり。「自漢明」の下、「有霊哉」に至る六行余は、当段外論の文の末の註なり。この故にこの文は建造像等の題の前にありといえども、この句に於いては、外論の末に居して、しかも外論の意を弾折する所の句なるが故に、その意楽、内箴を助くるを以ての故に、その義を示さんがために題の後に安ずるか。SYOZEN2-433/TAI9-616
◎然徳無不備者。謂之為涅槃。道無不通者。名之為菩提。智無不周者。称之為仏陀。以此漢語訳彼梵言。則彼此之仏昭然可信也。何以明之。夫仏陀者。漢言大覚也。菩提者。漢言大道也。涅槃者。漢言無為也。而吾子終日踐菩提之地不知大道。即菩提異号也。禀形於大覚之境未閑大覚。即仏陀之訳名也。故荘周公且有大覚者。而後知其大夢也。郭註云。覚者聖人也。言患在懐者皆夢也。註云。夫子与子游未能忘言而神解。故非大覚也。君子曰。孔丘之談。茲亦尽矣。涅槃寂照。不可識識。不可知智。則言語断。而心行滅。故忘言也。法身乃三点四徳之所成。肅然無累。故称解脱。此其神解而患息也。夫子雖聖。遥以推功仏。何者。按劉向古舊二録云。仏流経於中夏一百五十年後。老子方説五千文。然而周之与老並見仏経所説。言教往往可験。乃至。
◎(弁正論)しかるに徳として備わらざる者なし、これを謂いて涅槃とす。道として通ぜざる者なし、これを名づけて菩提とす。智として周からざる者なし、これを称して仏陀とす。この漢語を以て、かの梵言を訳す。則ち彼此の仏、昭然として信ずべきなり。何を以てかこれを明かすとならば、それ仏陀は漢には大覚というなり。菩提は漢には大道と言うなり。涅槃は漢には無為と言うなり。しかるに吾子、終日に菩提の地を践んで大道即ち菩提の異号なることを知らず。形を大覚の境に禀けて、いまだ大覚即ち仏陀の訳名なることを閑〈なら〉わず。故に荘周が公〈い〉わく「また大覚ある者は、後にその大夢を知るなり」。『郭註』に云わく「覚は聖人なり。言うこころは患〈うれい〉懐にあるはみな夢なり」。『註』に云わく「夫子、子游と、いまだ言を忘れて神解することあたわず、故に大覚にあらざるなり」。君子の曰わく、孔丘の談、ここにまた尽きぬ。涅槃寂照、識として識〈さと〉るべからず、知として智るべからず。則ち言語断えて心行滅す、故に言を忘るるなり。法身は乃し三点・四徳の成す所、蕭然として無累なり。故に解脱と称す。これその神解して患息するなり。夫子、聖なりといえども、遙かに以て功を仏に推〈ゆず〉れり。いかんとなれば、劉向が古旧二録を案ずるに云わく「仏流、中夏を経て一百五十年の後、老子方に五千文を説く。しかるに周と老と、並びに仏経の所説を見る。言教往往たり、験〈かんが〉えつべし」乃至。KESINDO:SYOZEN2-197,198/-HON-393,394,HOU-502,503-
○然徳無不備者等者内箴文也。上有数行。今又除之。問。若如然者。霊哉之下然徳之上尤以可置乃至言乎。答。上文雖在内箴之前。以其意通引加内箴為鉤鎖也。若言乃至。只可相似錯乱文段。是故不置乃至言也。可験之下言乃至者。当段之中猶有残文。又除三四及五箴初。故云爾也。是等数箴繁故不載其文而已。SYOZEN2-433,434/TAI9-625
○「然徳無不備者」等とは内箴の文なり。上に数行あり、今またこれを除く。問う、もし然の如くならば、「霊哉」の下、「然徳」の上に尤以て乃至の言を置くべし。答う、上の文、内箴の前にありといえども、その意通ずつを以て、内箴に引き加えて鉤鎖をなすなり。もし乃至といわば、ただ文段を錯乱するに相似たり。この故に乃至の言を置かざるなり。「可験」の下に「乃至」というは、当段の中に、なお残文あり。また三・四及び五箴の初を除く。故に爾いうなり。これらの数箴は繁なるが故にその文を載せざらくのみ。SYOZEN2-433,434/TAI9-625
◎正法念経云。人不持戒。諸天減少。阿修羅盛。善龍無力。悪龍有力。悪龍有力則降霜雹。非時暴風疾雨。五穀不登。疾疫競起。人民飢饉。互相殘害。若人持戒。多諸天増足威光。修羅減少。悪龍無力。善龍有力。善龍有力風雨順時。四気和暢。甘雨降稔穀豐。人民安楽。兵戈戦息。疾疫不行也。乃至。
◎(弁正論)『正法念経』に云わく、人、戒を持たざれば、諸天減少し、阿修羅盛なり。善龍力なし、悪龍力あり。悪龍力あれば、則ち霜雹を降して、非時の暴風疾雨、五穀登〈みの〉らず、疾疫競い起こり、人民飢饉す、たがいに相残害す。もし人、戒を持てば、多く諸天威光を増足す。修羅減少し、悪龍力なし、善龍力あり。善龍力あれば、風雨、時に順じ、四気和暢なり。甘雨降りて、稔穀豊かなり。人民安楽にして、兵戈戦息す、疾疫行ぜざるなり。乃至。KESINDO:SYOZEN2-198/-HON-394,395,HOU-503-
○次引正法念経以下五箴終文。今所引者是註文也。問。此註之意宣何事乎。依無当段外論之言並内箴文。難弁旨趣。請聞具文欲知元由。答。外論曰。夫国以民為本。本固則邦寧。是以賜及育子之門恩流孕婦之室。故子孫享祀世載不虧。雖至孝毀躬不令絶祀。故得国家富強天下昌盛。未聞人民凋尽家国可存。今仏教即不妻不娶名為奉法。唯早逝号得涅槃。既闕長生之方。又無不死之術。斯則一世之中家国空矣。取意。内教為治本指五内箴曰。夫澄神変性入道之要門。絶情棄欲登聖之遐本。故云道高者尚。徳弘者賞。以道伝神。以徳授聖。神聖相伝。是謂良嗣。塞道之源伐徳之根。此謂無後。非云棄欲為無後也。子不聞乎。昔何尚之言釈氏之化無所不可。諒入道之教源。誠済俗之称首。夫行一善則去一悪。去一悪則息一刑。一刑息於家。則万刑息於国。故知五戒十善為正治之本矣。又五戒修而悪趣減。十善暢而人天滋。人天滋則正化隆。悪趣衰而災害殄。已上。所引註者此文注也。此中文句又与唐本聊有相違。一云甘雨降。雨下降上有時一字。二云稔穀豊。加一字云百穀稔豊。三云戈戦息戦字為[シュウ04]。[シュウ04]叶義歟。不行也下言乃至者。当箴之中猶有残文。又下六七八九悉除故置此言。SYOZEN2-434/TAI9-633,634
○次に『正法念経』を引く以下は五箴の終文、今の所引はこれ註文なり。問う、この註の意は何の事を宣ぶるや。当段外論の言、並びに内箴の文なきに依りて、旨趣を弁じ難し。請う、具なる文を聞きて元由を知らんと欲す。答う、外論に曰わく「それ国は民を以て本とす。本固きときは則ち邦寧〈や〉すし。ここを以て賜は育子の門に及び、恩は孕婦の室に流る。故に子孫は享祀して世載に虧〈か〉けず。至孝、躬を毀すといえども祀を絶たしめず。故に国家富強にして天下昌盛せることを得しむ。いまだ人民凋尽して家国の存すべきを聞かず。今仏教には即ち不妻不娶を名づけて奉法とす。ただ早く逝するを涅槃を得と号す。既に長生の方を欠く。また不死の術なし。これ則ち一世の中に家国空し」取意。内教の治の本たることは指の五内箴に曰わく「それ神を澄し性を変えるは入道の要門、情を絶ち欲を棄つるは登聖の遐本なり。故に道高き者は尚〈とう〉とびらる。徳弘き者は賞せらる。道を以て神に伝い、徳を以て聖に授く。神聖相伝す。これを良嗣という。道の源を塞ぎ、徳の根を伐る。これを後なしという。欲を棄つるを後なしとするというにはあらず。子、聞かずや、昔何尚が言えることを、釈氏の化、可ならずという所なし。諒〈まこと〉に入道の教源、誠に済俗の称首なり。それ一善を行えば則ち一悪を去る。一悪を去れば則ち一刑を息む。一刑、家に息むるときは、則ち万刑、国に息む。故に知りぬ、五戒十善は正治の本たり。また五戒修して悪趣減し、十善暢〈の〉びて人天滋し。人天滋くして則ち正化隆なり。悪趣衰えて災害殄〈ほろ〉ぶ」已上。所引の註は、この文の注なり。この中の文句は、また唐本と聊か相違あり。一に「甘雨降る」という。雨の下、降の上に時の一字あり。二に「稔穀豊かなり」という。一字を加えて「百穀稔豊」という。三に「戈戦息」という、戦の字は[シュウ04]たり、[シュウ04]は義に叶うか。「不行也」の下に「乃至」というは、当箴の中になお残文あり。また下の六・七・八・九悉く除くが故にこの言を置く。SYOZEN2-434/TAI9-633,634
◎君子曰。道士大霄隠書。元上真書等云。元上大道君治在五十五重無極。大羅天中。玉京之上。七宝台金床玉机。仙童玉女之所侍衞。住三十二天三界之外。案神仙五岳圖云。大道天尊治大玄都玉光州金真之郡天保之縣元明之郷定志之里。災所不及。霊書経云。大羅是五億五万五千五百五十五重天之上天也。五岳図云。都者都也。太上大道。道之中道神明君最守静。居太玄之都。諸天内音云。天与諸仙鳴楼都之鼓。朝晏玉京以楽道君。
◎(弁正論)君子の曰わく、道士大霄が『隠書』、無上が『真書』等に云わく「無上大道君、治、五十五重無極大羅天の中、玉京の上、七宝の台、金床玉机にあり。仙童・玉女の侍衛するところ、三十二天三界の外に住す」。『神仙五岳図』を案ずるに云わく「大道天尊は大玄都、玉光州、金真の郡、天保の県、元明の郷、定志の里を治す。災及ばざるところなり」。『霊書経』に云わく「大羅はこれ五億五万五千五百五十五重天の上天なり」。『五岳の図』に云わく「都とは覩〈都・鄙〉なり、太上は大道なり、道の中の道神なり、明君もっとも静を守りて太玄の都に居る」。『諸天内音』に云わく「天と諸仙と、楼都の鼓を鳴らし、玉京に朝晏して、以て道君を楽しましむ」と。KESINDO:SYOZEN2-198,199/-HON-395,HOU-503-
○言君子曰道士等者。第七巻中(如目録者第六巻也)気為道本篇第七文楽道君下当篇文言猶繁多也。SYOZEN2-434,435/TAI9-636
○「君子曰道士」等というは、第七巻の中に(目録の如きは第六巻なり)「気は道の本とす篇、第七」の文、「楽道君」の下、当篇の文言はなお繁多なり。SYOZEN2-434,435/TAI9-636
◎案道士所上経目。皆云。依宋人陸脩静而列一千二百二十八巻。本無雑書諸子之名。而道士今列乃有二千四十巻。其中多取漢書藝文志目。妄註八百八十四巻為道経論。乃至。案陶朱者。即是范蠡親事越王勾踐。君臣悉囚於呉。甞屎飲尿亦以甚矣。又復范蠡之子被戮於斉。父既有変化之術。何以不能変化免之。案造立天地記。称老子託生幽王皇后腹中。即是幽王之子。又身為柱史。復是幽王之臣。化胡経言。老子在漢為東方朔。若審爾者。知幽王為犬戎所殺。豈可不愛君父与神符。令君父不死邪。乃至。指陸脩静目録。既無正本。何謬之甚也。然脩静為目已是大偽。今玄都録復是偽中之偽矣。乃至。
◎(弁正論)道士の上ぐるところの経目〈けいのな・けいぼく〉を案ずるに、みな云わく「宋人陸修静に依りて、一千二百二十八巻を列ねたり」。もと雑書諸子の名なし。しかるに道士いま列ぬるに、すなわち二千四十巻あり。その中に多く『漢書』芸文志の目を取りて、みだりに八百八十四巻を註〈しる〉して、道経論とす。(乃至)陶朱を案ずれば、すなわちこれ范蠡なり。親〈まのあた〉り越王勾践にに事えて、君臣ことごとく呉に囚れて、屎を嘗め尿を飲んで、また以て甚だし。また范蠡の子は、斉に戮〈ころ〉さる。父すでに変化の術あらば、何ぞ以て変化してこれを免るることあたわざらん。『造立天地の記』を案ずるに称すらく、老子、幽王の皇后の腹の中に託生す。すなわちこれ幽王の子なり。また身、柱史たり、またこれ幽王の臣なり。『化胡経』に言わく「老子、漢にありては東方朔とす」。もし審かに爾らば、知りぬ、幽王は犬戎のために殺さる。あに君父を愛して神符を与え、君父をして死せざらしめざるべけんや。(乃至)陸修静が目録を指す、すでに正本なし。何ぞ謬りの甚だしきをや。しかるに修静、目〈な〉をなすこと、すでにこれ大偽なり。今『玄都録』またこれ偽中の偽なり。乃至。KESINDO:-HON-395,396,HOU-503,504
○言案道士所上等者。第八巻初出道偽謬篇第十文。此篇之中。於出諸謬。是出諸子為道書謬之破文也。SYOZEN2-435/TAI9-639
○「案道士所上」等とは、第八巻の「初出道偽謬の篇、第十」の文なり。この篇の中に、諸の謬を出だすに於いて、これ諸子を道書とする謬を出だすの破文なり。SYOZEN2-435/TAI9-639
◎又云。大経中説。道有九十六種。唯仏一道是於正道。其余九十五種皆是外道。朕捨外道以事如来。若有公卿能入此誓者。各可発菩薩心。老子・周公・孔子等。雖是如来弟子而為化既邪。止是世間之善。不能隔凡成聖。公卿百官侯王宗室。宜反偽就真捨邪入正。故経教成実論説云。若事外道心重。仏法心軽。即是邪見。若心一等。是無記不当。若善悪事仏。強孝子心少者。乃是清言。言清者。清是表裏倶浄。垢穢惑累皆尽。信是信正不邪。故言清信仏弟子。其余等皆邪見。不得称清信也。乃至。捨老子之邪風。入流法之真教。已上抄出。
◎(弁正論)また云わく、『大経』(涅槃経)の中に説かく「道に九十六種あり。ただ仏の一道これ正道に於けるなり。その余の九十五種みなこれ外道なり」と。朕、外道を捨てて以て如来に事う。もし公卿ありて、よくこの誓いに入らん者は、おのおの菩薩〈ぼだい〉心を発すべし。老子・周公・孔子等、これ如来の弟子として化をなすといえども、すでに邪なり。ただこれ世間の善なり。凡を隔てて聖と成すことあたわず。公卿・百官・侯王・宗室、宜しく偽を反〈かえ〉して真に就き、邪を捨て正に入るべし。故に経教『成実論』に説いて云わく、もし外道に事えては心重く、仏法は心軽し。すなわちこれ邪見なり。もし心一等なる、これ無記にして善悪に当たらず。仏に事えて心強くして、孝〈老〉子に心少なきは、すなわちこれ清信なり。清と言うは、清はこれ表裏ともに浄く、垢穢惑累みな尽くす。信は、これ正を信じて邪ならざる故に、清信の仏弟子という。その余、等しくみな邪見なり、清信と称することを得ざるなり。乃至。老子の邪風を捨てて、法の真教に入流せよと。已上抄出。KESINDO:SYOZEN2-199,200/HON-396,HOU-504,505
○次言又云大経等者。同巻之終。帰心有地篇第十二之釈文也。言大経者指涅槃経。天台学者多以彼経称大経也。朕捨外道以事等者。朕者天子自称言也。昔染武帝。捨老子教永帰仏教。受菩薩戒。今弁正論以明此事為要須也。問。今鈔之中。引此論文有何要耶。答。捨外邪教入内正法。衆生依怙仏教本意顕此事故。被引用歟。将又謂之。外教内教頗非対論。如天与地而及比校。教主世尊是雖仏身。猶是応身。居娑婆故。輙以季老論其勝劣。故於所明化身土之当巻引之。弥陀報身更非比量。為顕此義。尤大切歟。凡此論文。一一文義不可輙解。又非要須。雖然粗勘諸篇科段。示文出処名目等耳。SYOZEN2-435/TAI9-646
○次に「又云大経」等というは、同巻の終、「帰心有地の篇、第十二」の釈文なり。「大経」というは『涅槃経』を指す。天台の学者は多く彼の経を以て大経と称するなり。「朕捨外道以事」等とは、朕とは天子の自ら称する言なり。昔、染の武帝は老子の教を捨てて永く仏教に帰し、菩薩の戒を受く。今『弁正論』はこの事を明かすを以て要須とするなり。問う、今の鈔の中にこの論文を引かる、何の要かあるや。答う、外の邪教を捨てて内の正法に入るは、衆生の依怙仏教の本意、この事を顕すが故に引用せらるるか。はたまたこれを謂うに、外教・内教、頗る対論にあらず。天と地と比校に及ぶが如し。教主世尊はこれ仏身なりといえども、なおこれ応身にして、娑婆に居するが故に、輙く季老を以てその勝劣を論ず。故に化身土を明かす所の当巻に於いて、これを引かる。弥陀の報身は更に比量にあらず。この義を顕さんがために、尤も大切なるか。凡そこの論文、一一の文義は輙く解すべからず。また要須にあらず。然りといえども、ほぼ諸篇科段を勘みて、文の出処名目等を示すらくのみ。SYOZEN2-435/TAI9-646
◎光明寺和尚云。上方諸仏如恒沙。還舒舌相。為娑婆十悪五逆多疑謗。信邪事鬼[イ02]神魔。妄想求恩謂有福。災障禍横転弥多。連年臥病於床枕。聾盲脚折手率[ケツ01]。承事神明得此報。如何不捨念弥陀。已上。
◎(法事讃)光明寺の和尚の云わく「上方の諸仏、恒沙のごとし。還りて舌相を舒べたまうことは、娑婆の十悪・五逆、多く疑謗し、邪を信じ、鬼に事え、神魔をあかしめて、妄りに想いて、恩を求めて福あらんと謂えば、災障禍横うたたいよいよ多し、連年、床枕に臥病し、聾・盲、脚折れ、手率〈攣・ひ〉きつり、神明に承事してこの報を得るもののためなり。いかんぞ捨てて弥陀を念ぜざる」已上。KESINDO:SYOZEN2-200/HON-396,HOU-505
○次大師釈。法事讃下六方段終。上方讃也。還舒等者。還玉篇云。胡関徐宣二切。退復也。広韻云。戸関切。変也。退也。[シン05]也。復也。又音旋。今言還者是非退義。是復訓也。対上五方。今言復也。十悪等者。是明十悪五逆下機。疑謗仏法信邪見故招諸災禍。但今非謂一切悪逆之衆生等。可必如此。悪逆下根専念仏機。邪鬼信不。依機性欲可随誡勧。故勧捨之可念弥陀。是又就事邪神言之。故云信邪。云[イ02]神魔。深可思択。SYOZEN2-435/TAI9-654
○次に大師の釈、『法事讃』の下の六方段の終り、上方の讃なり。「還舒」等とは、還は『玉篇』に云わく「胡関・徐宣の二切、退復なり」。『広韻』に云わく「戸関の切、変なり、退なり、[シン05]〈顧〉なり、復なり。また音は旋なり」。今、還というは、これ退の義にあらず、これ復の訓なり。上の五方に対して、今、復というなり。「十悪」等とは、これ十悪五逆の下機は、仏法を疑謗し、邪見を信ずるが故に、諸の災禍を招くことを明かす。ただし今、一切悪逆の衆生等は必ずかくの如くなるべしというにはあらず。悪逆の下根、専念仏の機、邪鬼の信不、機の性欲に依りて誡勧に随うべし。故にこれを捨てて弥陀を念ずべしと勧む。これまた邪神に事うるに就きてこれをいう。故に「信邪」といい、「[イ02]神魔」という。深く思択すべし。SYOZEN2-435/TAI9-654
◎天台法界次第云。一帰依仏。経云。帰依於仏者。終不更帰依其余諸外天神也。又云。謂帰依仏者。終不堕悪趣云。二帰依法。謂大聖所説若教若理。帰依修習也。三帰依僧。謂帰心出家三乗正行之伴故。経云。永不復更帰依其余諸外道。已上。
◎天台の『法界次第』に云わく、一には仏に帰依す。経(涅槃経)に云わく「仏に帰依せん者、終に更って〈また〉その余のもろもろの外の天神に帰依せざれ」と。また云わく「仏に帰依せん者、終に悪趣に堕せず」と云えり。二に法に帰依す。謂わく、大聖の所説、もしは教もしは理、帰依し修習せよとなり。三に僧に帰依す。謂わく、心、家を出でたる三乗正行の伴に帰するがゆえに。経(涅槃経)に云わく「永く、また更って、その余のもろもろの外道に帰依せざるなり」と。已上。KESINDO:SYOZEN2-200/HON-397,HOU-505
○次言天台法界等者。彼書天台大師撰述。三巻書也。所述法門凡三百科。其第一巻有二十科。其第十三三帰戒科所載文也。[キョウ01]其本文。聊有広略増減等差。彼具文云。一帰依仏。仏陀秦言覚者。自覚覚他。故名為仏。帰者以変還為義。不邪帰還帰正師。故名帰。依者憑也。憑心霊覚得出三途及三界生死也。故経云。帰依於仏者終不更帰依其余諸外天神也。二帰依法。達摩秦言法。法云可帰軌。大聖所説。若教若理可心軌故言法也。帰者反邪法還修正法。故名帰。依者憑心仏所説法。得出三途及三界生死也。故経云。帰依於法者永離於殺害也。三帰依僧。僧伽秦言衆。衆名和合。出家三乗行者。心与仏所説事理法合。故名為僧。帰者変九十五種邪行之侶。帰心出家三乗正行之伴。故名帰。依者憑心出家三乗正行之伴。得出三塗及三界生死也。故経云。帰依於僧者永不復更帰依其諸外道。已上。SYOZEN2-435,436/TAI9-658,659
○次に「天台法界」等というは、彼の書は天台大師の撰述、三巻の書なり。所述の法門はおおよそ三百科、その第一巻に二十科あり。その第十三、三帰戒の科に載する所の文なり。その本文に[キョウ01]するに、聊か広略増減等の差あり。彼の具なる文に云わく「一には帰依仏。仏陀、秦には覚者という。自覚覚他す。故に名づけて仏とす。帰とは変還を以て義とし、邪に帰せずして還りて正師に帰す。故に帰と名づく。依とは憑なり。心の霊覚に憑りて三途及び三界の生死を出づることを得るなり。故に経に云わく、仏に帰依する者は終に更にその余の諸の外の天神に帰依せざれ。二には帰依法。達摩、秦には法という。法は可帰軌という。大聖の所説、もしは教、もしは理、心軌に可〈かな〉う、故に法というなり。帰とは、邪法を反して還りて正法を修す。故に帰と名づく。依とは心仏所説の法を憑んで、三途及び三界の生死を出づることを得るなり。故に経に云わく、法に帰依する者は永く殺害を離るるなり。三に帰依僧。僧伽、秦には衆という。衆は和合に名づく。出家三乗の行者は、心と、仏の所説の事理の法と合す。故に名づけて僧とす。帰とは九十五種の邪行の侶を変じて、心、出家三乗正行の伴に帰す。故に帰と名づく。依とは心、出家三乗正行の伴を憑んで、三塗及び三界の生死を出づることを得るなり。故に経に云わく、僧に帰依する者は永くまた更にその諸の外道に帰依せざれ」已上。SYOZEN2-435,436/TAI9-658,659
◎慈雲大師云。然祭祀之法。天竺韋陀。支那祀典。既未逃於世。論真誘俗之権方。已上。
◎(楽邦文類・往生西方略伝序)慈雲大師の云わく、然るに祭祀の法は、天竺には韋陀、支那には祀典。すでに未だ世を逃れず、真を論ずれば俗を誘〈こしら〉うるの権方なり」已上。KESINDO:SYOZEN2-200/HON-397,HOU-505
○次慈雲師釈。彼師所造往生略伝序中文也。言韋陀者。天竺外典。治国書名。或云毘陀。或云吠陀。並是梵言。此云智論。此有四種。律名句云。一億力韋陀。説事火懺悔法。二耶受(此有異説)韋陀。説布施祠祀法。三阿陀韋陀。明知異国国戦法。已上。今所言者是第二也。韋陀是総祠。祀是別。欲論祭祀。只言韋陀。此是総属別名義也。言祀典者。即是所明祠祀書也。但不及見其具文者。難達釈意。次上文云。今時風俗競祭鬼神。求其福祐。望得安穏。信邪殺命造罪結怨。必無福慶而可利人。虚招来生地獄罪報。易曰積不善之家必有余殃。殺生害命祖承祭祀。非一朝一夕。豈非積不善耶。殃咎何疑也。若言殺生非不善者。古今帝王何故仁慈化世勝戦。去殺禽魚遂性令登寿域咸称善耶。(此次下有今所引文)又云。天趣在上。人居其次。修羅処中。鬼畜斯下。今以人事鬼。其猶俛首就足。抑君奉民。何逆之甚也。又鬼