『教行信証六要鈔会本』第五巻  信巻

 ○教行信証六要鈔会本第五 信

 ◎顕浄土真実信文類三末

 ◎夫按真実信楽。信楽有一念。一念者。斯顕信楽開発時剋之極促。彰広大難思慶心也。
  ◎(御自釈)それ真実信楽を按ずるに、信楽に一念あり。一念とは、これ信楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰すなり。SIN:J:SYOZEN2-71/HON-239,HOU-351

 ◎是以大経言。諸有衆生。聞其名号信心歓喜乃至一念。至心回向願生彼国即得往生。住不退転。
  ◎ここをもって『大経』に言わく、諸有〈あらゆる〉衆生、その名号を聞きて、信心歓喜し、乃至一念せん。至心に回向せしめたまえり。かの国に生ぜんと願ずれば、すなわち往生を得、不退転に住せんとと。SIN:SYOZEN2-71/HON-239,HOU-351

 ◎又言他方仏国所有衆生。聞無量寿如来名号。能発一念浄信歓喜
  ◎(如来会)また、他方仏国の所有の衆生、無量寿如来の名号を聞きて、よく一念の浄信を発して歓喜せんと言えりと。SIN:SYOZEN2-71/HON-239,HOU-351

 ◎又言其仏本願力。聞名欲往生。
  ◎(大経)また、その仏の本願の力をもって、名を聞きて往生せんと欲〈おも〉わんと言えり。SIN:SYOZEN2-71/HON-239,HOU-351

 ◎又言聞仏聖徳名。已上。
  ◎(如来会)また、仏の聖徳の名を聞くと言えり。已上。SIN:SYOZEN2-71/HON-240,HOU-351

 〇夫按真実信楽等者。是私御釈也。上第二巻言有行一念及信一念。証行一念。出流通文。今至当巻。証信一念出第十八願成就文及諸文等。其意可見。SYOZEN2-297/TAI6-418
  〇「夫按真実信楽」等とは、これ私の御釈なり。上の第二巻に行の一念及び信の一念ありといいて、行の一念を証するに流通の文を出だす。今、当巻に至りて信の一念を証するに第十八の願成就の文及び諸文等を出だす。その意見つべし。SYOZEN2-297/TAI6-418

 ◎涅槃経言。云何名為聞不具足。如来所説十二部経。唯信六部未信六部。是故名為聞不具足。雖復受持是六部経。不能読誦為他解説。無所利益。是故名為聞不具足。又復受是六部経已。為論議故。為勝他故。為利養故。為諸有故。持読誦説。是故名為聞不具足。已上。
  ◎『涅槃経』(迦葉品)に言わく、いかんが名づけて聞不具足とする。如来の所説は十二部経なり。ただ六部を信じて、未だ六部を信ぜず。このゆえに名づけて聞不具足とす。またこの六部の経を受持すといえども、読誦に能わずして他のために解説するは、利益するところなけん。このゆえに名づけて聞不具足とす。またこの六部の経を受け已りて、論議のためのゆえに、勝他のためのゆえに、利養のためのゆえに、諸有のためのゆえに、持読誦説せん。このゆえに名づけて聞不具足とすとのたまえり。已上。SIN:SYOZEN2-71/HON-240,HOU-351,352

 〇次所引文。涅槃経者。出彼聞不具足之文。示聞具義。是顕聞者非只触耳。能聞仏願生信解義。故引此文顕其義也。聞不具足有三重釈。初依部数。次嫌不読為他解説。後嫌諍論名聞利養諸事意楽。SYOZEN2-297/TAI6-433
  〇次の所引の文、『涅槃経』は、彼の聞不具足の文を出だして聞具の義を示す。これ聞とは、ただ耳に触するのみにあらず、能く仏願を聞きて信解を生ずる義を顕わす。故にこの文を引きてその義を顕わすなり。聞不具足に三重の釈あり。初は部数に依る。次は読みて他の為に解説せざることを嫌う。後は諍論・名聞・利養・諸事の意楽を嫌う。SYOZEN2-297/TAI6-433

 ◎光明寺和尚云一心専念。又云専心専念。已上。
  ◎(散善義)光明寺の和尚は、一心専念と云い、また専心専念と云えり。已上。SIN:SYOZEN2-71/HON-240,HOU-352

 ◎然経言聞者。衆生聞仏願生起本末無有疑心。是曰聞也。言信心者。則本願力回向之信心也。言歓喜者。形身心悦予之貌也。言乃至者。摂多少之言也。言一念者。信心無二心故曰一念。是名一心。一心則清浄報土真因也。
  ◎(御自釈)しかるに経に聞と言うは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし。これを聞と曰うなり。信心と言うは、すなわち本願力回向の信心なり。歓喜と言うは、身心の悦予を形す貌なり。乃至と言うは、多少を摂するの言なり。一念と言うは、信心、二心なきがゆえに一念と曰う。これを一心と名づく。一心はすなわち清浄報土の真因なり。SIN:J:SYOZEN2-72/HON-240,HOU-352-

 ◎獲得金剛真心者。横超五趣八難道。必獲現生十種益。何者為十。一者冥衆護持益。二者至徳具足益。三者転悪成善益。四者諸仏護念益。五者諸仏称讃益。六者心光常護益。七者心多歓喜益。八者知恩報徳益。九者常行大悲益。十者入正定聚益也。
  ◎(御自釈)金剛の真心を獲得する者は、横に五趣・八難の道を超え、必ず現生に十種の益を獲。何者か十とする。一には冥衆護持の益、二には至徳具足の益、三には転悪成善の益、四には諸仏護念の益、五には諸仏称讃の益、六には心光常護の益、七には心多歓喜の益、八には知恩報徳の益、九には常行大悲の益、十には入正定聚の益なり。SIN:J:SYOZEN2-72/-HON-240,241,HOU-352,353-

 〇横超五趣八難等者。是明如来本願威力。他力信心之勝利也。言五趣者。五道如常。言八難者。律名句云。一地獄。二餓鬼。三畜生。四長寿天。五北州。六仏前仏後。七世智弁聡。八諸根不具。已上。章安大師仁王私記。其説聊異。初四如前。五辺地。六諸根不具。七邪見。八不見仏也。SYOZEN2-297/TAI6-463
  〇「横に五趣・八難の道を超え」等とは、これ如来本願の威力、他力信心の勝利を明かすなり。「五趣」というは、五道、常の如し。「八難」というは、『律の名句』に云わく「一には地獄。二には餓鬼。三には畜生。四には長寿天。五には北州。六には仏前仏後。七には世智弁聡。八には諸根不具」已上。章安大師の『仁王の私記』その説は聊か異なり、初の四は前の如し、五には辺地、六には諸根不具、七には邪見、八には不見仏なり。SYOZEN2-297/TAI6-463

 〇十種益者。問。依何経論立此益乎。答。依諸経論並師釈意。取要立之。広論無限。第一冥衆護持益者。如彼観念法門所明。現生護念増上縁益。謂彼文云。仏言。若人専行此念弥陀仏三昧者。常得一切諸天及四天大王龍神八部随逐影護愛楽相見。永無諸悪鬼神災障厄難横加悩乱。已上。此釈是依般舟経説。第二至徳具足益者。大経下巻流通文云。当知此人為得大利。即是具足無上功徳。是明其益。第三転悪成善益者。観経下品中生中説。猛火変為清涼風等其証也。第四諸仏護念益者。弥陀経説。是諸善男子善女人。皆為一切諸仏共所護念等其文也。第五諸仏称讃益者。大経上云。至其然後得仏道時。普為十方諸仏菩薩。歎其光明亦如今也。已上。雖説当益。理可及現。又観経云。若念仏者。当知此人是人中分陀利華。已上。釈尊歎之。諸仏宜同。観念法門云。即是閉絶六道生死之因行。永開常楽浄土之要門也。非直弥陀称願。亦乃諸仏普皆同慶。第六心光常護益者。観経云。光明遍照十方世界。念仏衆生摂取不捨。已上。観念法門云。彼仏心光常照是人摂護不捨。已上。第七心多歓喜益者。或云至心信楽。或云歓喜踊躍。得真実心之時。必可歓喜義也。第八知恩報徳益者。観念法門。引般舟経。明此念仏三昧有四事助歓喜。即言三世諸仏。持是念阿弥陀仏三昧。四事助歓喜皆得成仏是也。又法事讃。或云砕骨慚謝阿弥師。或云砕身慚謝釈迦恩。明必可報二尊恩義。皆其意也。第九常行大悲益者。如当巻下所引用之大悲経説是其義也。第十入正定聚益者。第十一願所説益也。本是雖説処不退位。現生之中且得其益。是則如来摂取益故。龍樹尊十住婆沙判云即時入必定也。SYOZEN2-297,298/TAI6-463,464
  〇「十種の益」とは、問う、何の経論に依りてこの益を立つるや。答う。諸経論並びに師釈の意に依りて、要を取りてこれを立つ。広く論ぜば限りなし。第一に冥衆護持の益とは、彼の『観念法門』に明かす所の現生護念増上縁の益の如し。謂く彼の文に云わく「仏の言わく、もし人専らこの念弥陀仏三昧を行ずれば、常に一切諸天及び四天大王・龍神八部、随逐影護愛楽相見することを得て、永く諸の悪鬼神災障厄難の横に悩乱を加うることなし」已上。この釈はこれ『般舟経』の説に依る。第二に至徳具足益とは、『大経』の下巻、流通の文に云わく「まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなわちこれ無上の功徳を具足するなり」。これその益を明かす。第三に転悪成善の益とは、『観経』の下品中生の中に「猛火、変じて清涼の風となる」と説く等、その証なり。第四に諸仏護念の益とは、『弥陀経』に「この諸の善男子・善女人、みな一切諸仏の為に共に護念せらる」と説く等、その文なり。第五に諸仏称讃の益とは、『大経』の上に云わく「それ然して後、仏道を得たらん時に至りて、普く十方諸仏菩薩の為に、その光明を歎ぜられんこと、また今の如くならん」と已上。当益を説くといえども、理は現に及ぶべし。また『観経』に云わく「もし念仏する者は、まさに知るべし、この人はこれ人中の分陀利華なり」已上。釈尊これを歎ず。諸仏宜く同じかるべし。『観念法門』に云わく「即ちこれ六道生死の因行を閉絶して、永く常楽浄土の要門を開くなり。直ちに弥陀の称願のみにあらず、また乃ち諸仏普く皆同じく慶ぶ」。第六に心光常護の益とは、『観経』に云わく「光明遍く十方世界を照して、念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」已上。『観念法門』に云わく「彼の仏の心光、常にこの人を照らして摂護して捨てたまわず」已上。第七に心多歓喜の益とは、或いは「至心信楽」といい、或いは「歓喜踊躍」という。真実心を得る時、必ず歓喜すべき義なり。第八に知恩報徳の益とは、『観念法門』に『般舟経』を引きて、この念仏三昧に四事助歓喜あることを明かす。即ち三世の諸仏は、この念阿弥陀仏三昧を持ちて、四事をもって助けて歓喜して、みな成仏することを得と、これなり。また『法事讃』に、或いは「砕骨慚謝阿弥師」といい、或いは「砕身慚謝釈迦恩」といいて、必ず二尊の恩を報ずべき義を明かす、皆その意なり。第九に常行大悲の益とは、当巻の下に引用する所の『大悲経』の説の如き、これその義なり。第十に入正定聚の益とは、第十一の願所説の益なり。本これ処不退の位を説くといえども、現生の中に且〈かつ〉その益を得。これ則ち如来摂取の益の故なり。龍樹尊の『十住婆沙』に判じて「即時入必定」というなり。SYOZEN2-297,298/TAI6-463,464

 ◎宗師云専念即是一行。云専心即是一心也。
  ◎(御自釈)宗師の専念と云えるは、すなわちこれ一行なり。「専心」と云えるは、すなわちこれ一心なり。SIN:J:SYOZEN2-72/-HON-241,HOU-353-

 ◎然者願成就一念即是専心。専心即是深心。深心即是深信。深信即是堅固深信。堅固深信即是決定心。決定心即是無上上心。無上上心即是真心。真心即是相続心。相続心即是淳心。淳心即是憶念。憶念即是真実一心。真実一心即是大慶喜心。大慶喜心即是真実信心。真実信心即是金剛心。金剛心即是願作仏心。願作仏心即是度衆生心。度衆生心即是摂取衆生生安楽浄土心。是心即是大菩提心。是心即是大慈悲心。是心即是由無量光明慧生故。願海平等故発心等。発心等故道等。道等故大慈悲等。大慈悲者是仏道正因故。
  ◎(御自釈)しかれば、願成就の一念は、すなわちこれ専心なり。専心すなわちこれ深心なり。深心すなわちこれ深信なり。深信すなわちこれ堅固深信なり。堅固深信すなわちこれ決定心なり。決定心すなわちこれ無上上心なり。無上上心すなわちこれ真心なり。真心すなわちこれ相続心なり。相続心すなわちこれ淳心なり。淳心すなわちこれ憶念なり。憶念すなわちこれ真実一心なり。真実一心すなわちこれ大慶喜心なり。大慶喜心すなわちこれ真実信心なり。真実信心すなわちこれ金剛心なり。金剛心すなわちこれ願作仏心なり。願作仏心すなわちこれ度衆生心なり。度衆生心はすなわちこれ衆生を摂取して安楽浄土に生ぜしむる心なり。この心すなわちこれ大菩提心なり。この心すなわちこれ大慈悲心なり。この心すなわちこれ無量光明慧に由りて生ずるがゆえに。願海平等なるがゆえに発心等し、発心等しきがゆえに道等し、道等しきがゆえに大慈悲等し、大慈悲はこれ仏道の正因なるがゆえに。SIN:J:SYOZEN2-72,73/-HON241,242,HOU-353,354

 ◎論註曰。願生彼安楽浄土者。要発無上菩提心也。
  ◎『論の註』に曰わく、かの安楽浄土に生まれんと願ずる者は、要ず無上菩提心を発するなりとのたまえり。SIN:SYOZEN2-73/HON-242,HOU-354

 〇次論註文。所引有二。初文下巻善巧摂化章段釈也。如前所引。彼者広引。此者略挙。証菩提心即為浄土信心義也。SYOZEN2-299/TAI6-498
  〇次に『論註』の文、所引に二あり。初の文は下巻の善巧摂化の章段の釈なり。前の所引の如し。彼は広引、これは略挙なり。菩提心は即ち浄土の信心たる義を証するなり。SYOZEN2-299/TAI6-498

 ◎又云。是心作仏者。言心能作仏也。是心是仏者。心外無仏也。譬如火従木出。火不得離木也。以不離木故則能焼木。木為火焼。木即為火也
  ◎(論註)また云わく、是心作仏とは、言うこころは、心よく作仏するなり。是心是仏とは、心の外に仏ましまさずとなり。譬えば、火、木より出でて、火、木を離るることを得ざるなり。木を離れざるをもってのゆえに、すなわちよく木を焼く。木、火のために焼かれて、木すなわち火となるがごときなりとのたまえり。SIN:SYOZEN2-73/HON-242,HOU-354

 〇次文。上巻荘厳身業功徳成就釈文之下。就観経説諸仏如来是法界身。乃至。従心想生。有其問答。答中言也。上挙水像譬。今出木火喩。各顕凡心及其仏心不一不異之義趣耳。但此釈意尤可措心。不必一切知此深理可願往生。只顕於法有其功能。其功能者。即是弥陀法界身故。発帰命心。機法不離必得往生。SYOZEN2-299/TAI6-498,499
  〇次の文は上巻の荘厳身業功徳成就の釈文の下に、『観経』に就きて「諸仏如来是法界身。乃至。従心想生」と説くに、その問答ある、答の中の言なり。上には水像の譬を挙げて、今は木火の喩を出だして、おのおの凡心及び、その仏心不一不異の義趣を顕わすらくのみ。但しこの釈の意は尤も心を措くべし。必ずしも一切、この深理を知りて往生を願ずべきにはあらず。ただ法に於いてその功能あることを顕わす。その功能とは、即ちこれ弥陀は法界身の故に、帰命の心を発せば、機法不離にして必ず往生を得。SYOZEN2-299/TAI6-498,499

 ◎光明云。是心作仏。是心是仏。是心外無異仏。已上。
  ◎(定善義)光明の云わく、この心作仏す、この心これ仏なり、この心の外に異仏ましまさずとのたまえり。已上。SIN:SYOZEN2-73/HON-242,HOU-354

 ◎故知。一心是名如実修行相応。即是正教・是正義・是正行・是正解・是正業・是正智也。三心即一心。一心即金剛真心之義答竟。可知
  ◎(御自釈)かるがゆえに知りぬ。一心、これを如実修行相応と名づく。すなわちこれ正教なり、これ正義なり、これ正行なり、これ正解なり、これ正業なり、これ正智なり。三心すなわち一心なり、一心すなわち金剛真心の義、答え竟りぬ。知るべし。SIN:J:SYOZEN2-73/HON-242,HOU-354

 ◎止観一云。菩提者天竺語。此称道。質多者天竺音。此方云心。心者即慮知也。已上。
  ◎『止観』の一に云わく、菩提は天竺の語、ここには道と称す。質多は天竺の音なり、この方には心と云う。心はすなわち慮知なり。已上。SIN:SYOZEN2-73/HON-242,HOU-354

 〇次止観文。明菩提心。是則亦顕聖道浄土大菩提心。其相似異和会是一。言菩提者所求之果。心能求心。終不違故。SYOZEN2-299/TAI6-513
  〇次に『止観』の文は菩提心を明かす。これ則ちまた聖道・浄土の大菩提心は、その相、異に似たれども、和会すれば、これ一なることを顕わす。菩提というは、所求の果、心は能求の心、終に違せざるが故に。SYOZEN2-299/TAI6-513

 ◎言横超断四流者。横超者。横者対竪超・竪出。超者対迂対廻之言。竪超者。大乗真実之教也。竪出者。大乗権方便之教。二乗三乗迂廻之教也。横超者。即願成就一実円満之真教真宗是也。亦復有横出。即三輩九品定散之教。化土懈慢迂廻之善也。大願清浄報土不云品位階次。一念須臾頃速疾超証無上正真道。故曰横超也。
  ◎(御自釈)横超断四流と言うは、横超は、横とは竪超・竪出に対す、超は迂に対し回に対するの言なり。竪超とは、大乗真実の教なり。竪出は大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の教なり。横超とは、すなわち願成就したまえる一実円満の真教なり、真宗これなり。また横出あり、すなわち三輩・九品・定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。大願清浄の報土には、品位階次を云わず、一念須臾の頃に速やかに疾く無上正真道を超証す、かるがゆえに横超と曰うなり。SIN:J:SYOZEN2-73/HON-243,HOU-355

 〇横超等者。二双四重教相如前。大願清浄報土等者。問。彼浄土中品位浅深経説分明。今釈如何。答。如載今文。三輩九品横出教意。所生之土是化土也。今明真実報土之相。般舟讃云。不覚転入真如門。法事讃云。未籍思量一念功。是恐可謂自然流入薩婆若海之深義歟。又同讃云。正門即是弥陀界。究竟解脱断根源。已上。既言究竟。蓋言極果。但言無上正真道者。有分証位。有究竟位。若依差別門。且可約分証。若是初地。若是初住。依宗教意可有差異。若依平等門即可約極果。往生成仏雖始終益。時無前後。是同時故。言横超者。異彼自力次第竪断証入称也。SYOZEN2-299,300/TAI6-518
  〇「横超」等とは、二双四重、教相は前の如し。「大願清浄報土」等とは、問う、彼の浄土の中に品位浅深あること経説に分明なり。今の釈、如何。答う。今の文に載るが如く、三輩九品は横出の教の意、所生の土はこれ化土なり。今は真実報土の相を明かす。『般舟讃』には「不覚転じて真如門に入る」といい、『法事讃』には「未だ思量一念の功に藉らず」という。これ恐くは自然流入薩婆若海の深義というべきか。また同じき讃に云わく「正門は即ちこれ弥陀界なり。究竟解脱して根源を断ず」已上。既に究竟という。蓋〈なん〉ぞ極果といわざらん。但し「無上正真道」というは、分証の位あり、究竟の位あり。もし差別門に依らば、且く分証に約すべし。もしはこれ初地、もしはこれ初住、宗教の意に依りて差異あるべし。もし平等門に依らば、即ち極果に約すべし。往生・成仏は始終の益といえども、時に前後なし。これ同時なるが故に。横超というは、彼の自力の次第竪断証入の称に異なり。SYOZEN2-299,300/TAI6-518

 ◎大本言。超発無上殊勝之願
  ◎(大経)『大本』に言わく、無上殊勝の願を超発すと。SIN:SYOZEN2-74/HON-243,HOU-355

 〇次大経文。所引有三。初文上巻。次上文云。時彼此丘聞仏所説。厳浄国土皆悉覩見。下如所引。上下合為聞法発願。於中上文聞法見土。今文正明発其勝願。義寂師云。此時法蔵雖未登初地。然由仏力亦得暫見故。超発無上殊勝願者。正発願也。此時既在解発心終。於世間中更無有上。因此便能得入証位。故云超発無上勝願。已上。SYOZEN2-300/TAI6-532
  〇次に『大経』の文。所引に三あり。初の文は上巻なり。次上の文に云わく「時に彼の此丘、仏の所説を聞き、厳浄の国土皆悉く覩見す」、下、所引の如し。上下合して聞法発願と為す。中に於いて上の文は聞法見土なり。今の文は正しくその勝願を発すことを明かす。義寂師の云わく「この時に法蔵は未だ初地に登らずといえども、然も仏力に由りて、また暫く見ることを得るが故に。超発無上殊勝願とは、正発願なり。この時既に解発心の終に在り。世間の中に於いて更に上あることなし。これに因りて便ち能く証位に入ることを得。故に超発無上勝願という」已上。SYOZEN2-300/TAI6-532

 ◎又言。我建超世願。必至無上道。名声超十方。究竟靡所聞。誓不成正覚
  ◎(大経)また言わく、我、超世の願を建つ、必ず無上道に至らんと。名声十方に超えて、究竟して聞こゆる所なくは、誓う、正覚を成らじと。SIN:SYOZEN2-74/HON-243,HOU-355

 〇次文。是又同重誓偈最初二句。是明法蔵発願文也。依義寂意。初一行判望満願果。問。超世願者指何願耶。答。諸師不同。影興二師別指摂身摂土五願。寂意通指六八之願。此中須依義寂之意。若限身土除第十八。違仏意故。依集主意。広亘六八。略指十八。凡夫済度別意弘願。超諸仏故云超世也。SYOZEN2-300/TAI6-532
  〇次の文はこれまた同じき重誓偈の最初の二句なり。これ法蔵の発願を明かす文なり。義寂の意に依るに、初の一行は満願の果を望むと判ず。問う、超世の願とは、何の願を指すや。答う。諸師不同なり。影と興との二師は別して摂身・摂土の五願を指す。寂意は通じて六八の願を指す。この中に須く義寂の意に依るべし。もし身土に限らば第十八を除く。仏意に違するが故に。集主の意に依らば、広くは六八に亘り、略しては十八を指す。凡夫済度の別意の弘願は諸仏に超えたるが故に超世というなり。SYOZEN2-300/TAI6-532

 ◎又言。必得超絶去。往生安養国。横截五悪趣。悪趣自然閉。昇道無窮極。易往而無人。其国不逆違。自然之所牽。已上。
  ◎(大経)また言わく、必ず超絶し去って安養国に往生することを得れば、横に五悪趣を截り、悪趣自然に閉ず。道に昇るに窮極なし。往き易くして、而も人なし。その国逆違せず。自然の牽くところなりと。已上。SIN:SYOZEN2-74/HON-243,HOU-355

 〇後文下巻勧修益文。必得等者。義寂師云。若能精進持於五善。則能必得超五悪絶五痛去五焼。往生安身養神之国。横截等者。又云若就穢土。下三為悪人天為善。今対浄土五皆名悪。一得往生。五道頓去故。云横截。往生不期去悪。生者悪自然杜故。言悪道自然閉。已上。昇道等者。又云一昇無為之道。終功無有窮極。十念専志必得往生。故易往也。百千人中。而無其一。故無人也。已上。其国等者。又云非其国逆違令人不往。但自然業牽不得往耳。已上。又憬興釈。易往以下如第二巻。就引彼釈出前後文。粗解之耳。SYOZEN2-300/TAI6-532
  〇後の文は下巻、修益を勧むる文なり。「必得」等とは、義寂師の云わく「もし能く精進して五善を持せば、則ち能く必ず五悪を超え、五痛を絶して、五焼を去ることを得て、安身養神の国に往生す」。「横截」等とは、また云わく「もし穢土に就きては、下三を悪人と為し、天を善と為す。今、浄土に対しては五みな悪と名づく。一たび往生を得つれば、五道頓に去つ。故に横截という。往生しぬれば期せずして悪を去つ。生じぬれば悪は自然に杜〈ふさ〉ぐ。故に悪道自然閉という」已上。「昇道」等とは、また云わく「一たび無為の道に昇りぬれば、功を終れども窮極あることなし。十念、志を専らにすれば、必ず往生することを得。故に易往なり。百千人の中に、而もその一もなし。故に無人なり」已上。「其国」等とは、また云わく「その国逆違して人をして往かざらしむるにあらず。但し自然の業牽きて往くことを得ざらまくのみ」已上。また憬興の釈、「易往」以下は第二巻の如し。彼の釈を引くに就きて前後の文を出だす。ほぼこれを解すらくみ。SYOZEN2-300/TAI6-532

 ◎大阿弥陀経言。支謙三蔵訳也。可得超絶去。往生阿弥陀仏国。横截於五悪道。自然閉塞。昇道之無極。易往無有人。其国土不逆違。自然之随牽。已上。
  ◎『大阿弥陀経』に言わく(支謙三蔵の訳なり)、超絶して去ることを得べし。阿弥陀仏国に往生すれば、横に五悪道を截りて、自然に閉塞す。道に昇るにこれ極まりなし。往き易くして人あることなし。その国土逆違せず。自然の牽く随〈ところ〉なり。已上。SIN:SYOZEN2-74/HON-243,244,HOU-355,356

 〇次大阿弥陀経文者。言有増減。其意全同。SYOZEN2-301/TAI6-532
  〇次に『大阿弥陀経』の文は、言に増減あれども、その意は全く同じ。SYOZEN2-301/TAI6-532

 ◎言断者。発起往相一心故。無生而当受生。無趣而更応到趣。已六趣四生因亡果滅。故即頓断絶三有生死。故曰断也。四流者。則四暴流。又生老病死也。
  ◎(御自釈)断と言うは、往相の一心を発起するがゆえに、生として当に受くべき生なし。趣としてまた到るべき趣なし。すでに六趣四生の因亡じ果滅す。故にすなわち頓に三有の生死を断絶す。故に断と曰うなり。四流とは、すなわち四暴流なり。また生老病死なり。SIN:J:SYOZEN2-74/HON-244,HOU-356

 〇次私御釈。言断等者。由仏力故。雖未断惑。頓絶生死速証無生。依此義故言之断也。是則解上横超断義。SYOZEN2-301/TAI6-542
  〇次に私の御釈。「言断」等とは、仏力に由るが故に、未だ惑を断ぜずといえども、頓に生死を絶ちて速かに無生を証す。この義に依るが故にこれを断というなり。これ則ち上の横超断の義を解す。SYOZEN2-301/TAI6-542

 ◎大本言。会当成仏道広度生死流。
  ◎(大経)『大本』に言わく、かならず当に仏道を成じて、広く生死の流を度すべしと。SIN:SYOZEN2-74/HON-244,HOU-356

 ◎又言。会当作世尊将度一切生老死。已上。
  ◎(平等覚経)また言わく、かならず当に世尊と作りて、将に一切生老死を度せんとす。已上。SIN:SYOZEN2-74/HON-244,HOU-356

 ◎涅槃経言。又涅槃者。名為洲渚。何以故。四大暴河不能漂故。何等為四。一者欲暴。二者有暴。三者見暴。四無明暴。是故涅槃名為洲渚。已上。
  ◎『涅槃経』(師子吼品)に言わく、また涅槃とは名づけて洲渚とす。何をもってのゆえに、四大の暴河に漂〈ただよ〉わすことあたわざるがゆえに。何等をか四とする、一には欲暴、二には有暴、三には見暴、四には無明暴なり。このゆえに涅槃を名づけて洲渚とすと。已上。SIN:SYOZEN2-74/HON-244,HOU-356

 〇次二経文。所引之意。是証四流即為生老病死之義。只云生死。云生老死。文字雖少各摂余苦。彼此広略開合異也。四流名目如当巻本。SYOZEN2-301/TAI6-542
  〇次に二経の文。所引の意は、これ四流即ち生老病死たる義を証す。ただ生死といい、生老死という。文字は少しといえども、おのおの余の苦を摂す。彼此広略開合の異なり。四流の名目は当巻の本の如し。SYOZEN2-301/TAI6-542

 ◎光明寺和尚云。白諸行者。凡夫生死不可貪而不厭。弥陀浄土不可軽而不忻。厭則娑婆永隔。忻則浄土常居。隔則六道因亡。淪廻之果自滅。因果既亡。則形名頓絶也。
  ◎(般舟讃)光明寺の和尚の云わく、もろもろの行者に白さく、凡夫生死、貪して厭わざるべからず。弥陀の浄土、軽しめて忻わざるべからず。厭えばすなわち娑婆永く隔つ、忻えばすなわち浄土に常に居せり。隔つればすなわち六道の因亡じ、輪回の果自ずから滅す。因果すでに亡じてすなわち形と名と頓に絶つるをや。SIN:SYOZEN2-74,75/HON-244,HOU-356,357

 〇次大師釈。其文有二。初般舟讃後序始文。是就穢浄勧其厭欣。言凡夫生死者。是指分段生死。凡夫執著輪回生死。是故誡言不可不厭。弥陀浄土菩提宝所。愚人軽慢遠離涅槃。是故勧言不可不忻。形名等者。是顕頓証無生之理。下文判云。唯仏与仏得知本元。現生之中且契其理。往生之後宜顕其徳。SYOZEN2-301/TAI6-551,552
  〇次に大師釈、その文に二あり。初は『般舟讃』の後序の始の文なり。これ穢浄に就きてその厭欣を勧む。「凡夫の生死」というは、これ分段生死を指す。凡夫は執著して生死に輪回す。この故に誡めて厭わずはあるべからずという。弥陀の浄土は菩提の宝所なり。愚人軽慢して涅槃を遠離す。この故に勧めて忻ずはあるべからずという。「形名」等とは、これ頓証無生の理を顕わす。下の文に判じて「ただ仏と仏とのみ本元を知ることを得」という。現生の中に且くその理に契い、往生の後に宜しくその徳を顕わすべし。SYOZEN2-301/TAI6-551,552

 ◎又云。仰願一切往生人等。善自思量己能。今身願生彼国者。行住座臥。必須励心剋己昼夜莫廃。畢命為期。上在一形似如少苦。前念命終後念即生彼国。長時永劫常受無為法楽。乃至成仏不逕生死。豈非快哉。応知。已上。
  ◎(往生礼讃)また云わく、仰ぎ願わくは一切往生人等、善く自ら己が能を思量せよ。今身にかの国に生ぜんと願わん者は、行住座臥に、必ず須らく心を励まし己に剋して、昼夜に廃することなかるべし。畢命を期として、上一形にあるは少苦にに似如たれども〈似如=にたれども〉、前念に命終し、後念にすなわちかの国に生じて、長時・永劫に常に無為の法楽を受く。乃至成仏までに生死を径ず、あに快しみにあらずや。知るべしと。已上。SIN:SYOZEN2-75/HON-244,245,HOU-357

 〇次釈礼讃前序終文。上明専修雑修得失。今就専修勧進信行。善自等者。言顧涯分。一本為已。今己為正。上在等者。大経説云一世勤苦。是則不知後楽。迷以一旦策励為苦。此非実義。故云似如。前念等者。明得往生利益速疾。或云如弾指頃即生彼国。或云如一念頃即生彼国。是其義也。但我上人別存一義。愚禿鈔云。信受本願前念命終。即得往生後念即生。已上。是就平生業成之義。所顕横超頓速益也。SYOZEN2-301/TAI6-556
  〇次の釈は『礼讃』の前序の終の文なり。上に専修・雑修の得失を明かして、今、専修に就きて信行を勧進す。「善自」等とは、言うこころは、涯分を顧みよとなり。一本には已と為す。今は己を正と為す。「上在」等とは、『大経』には説きて「一世勤苦」という。これ則ち後楽を知らず。迷いて一旦の策励を以て苦と為す。これ実義にあらず。故に「似如」という。「前念」等とは、往生を得る利益の速疾なることを明かす。或いは「弾指の頃の如くに彼の国に往生す」といい、或いは「一念の頃の如くに即ち彼の国に生ず」という。これその義なり。但し我が上人は別して一義を存したもう。『愚禿鈔』に云わく「本願を信受するは前念命終なり。即得往生は後念即生なり」已上。これ平生業成の義に就きて横超頓速の益を顕わす所なり。SYOZEN2-301/TAI6-556

 ◎言真仏弟子者。真言対偽対仮也。弟子者。釈迦諸仏之弟子。金剛心行人也。由斯信行必可超証大涅槃故。曰真仏弟子。
  ◎(御自釈)真の仏弟子と言うは、真の言は偽に対し、仮に対するなり。弟子とは釈迦・諸仏の弟子なり、金剛心の行人なり。この信行に由りて、必ず大涅槃を超証すべきがゆえに、真の仏弟子と曰う。SIN:J:SYOZEN2-75/HON-245,HOU-357

 〇言言真仏弟子等者。散善義意。随順二尊諸仏之意。故有此名。般舟讃意。以行仏語生安楽土。又得此称。彼此二文。同以浄土修行之人名真仏子。尤可信仰。由斯等者。問。応言可得往生之益。何云超証大涅槃耶。答。往生初益。涅盤終益。亦依生即無生之義。往生即是涅槃極理。是故従勝云証涅槃。是依必至滅度意耳。SYOZEN2-301,302/TAI6-562
  〇「言真仏弟子」等というは、『散善義』の意は、二尊諸仏の意に随順す、故にこの名あり。『般舟讃』の意は仏語を行じて安楽土に生ずるを以て、またこの称を得。彼此の二文は、同じく浄土修行の人を以て真仏子と名づく。尤も信仰すべし。「由斯」等とは、問う、往生の益を得べしというべし。何ぞ「大涅槃を超証す」というや。答う。往生は初益、涅盤は終益。また生即無生の義に依れば、往生は即ちこれ涅槃の極理なり。この故に勝に従いて証涅槃という。これ必至滅度の意に依るらくのみ。SYOZEN2-301,302/TAI6-562

 ◎大本言。設我得仏。十方無量不可思議諸仏世界衆生之類。蒙我光明触其身者。身心柔[ナン01]超過人天。若不爾者不取正覚。
  ◎(大経)『大本』に言わく、設い我仏を得たらんに、十方無量・不可思議の諸仏世界の衆生の類、我が光明を蒙りてその身に触るる者、身心柔軟にして人天に超過せん。もし爾らずは、正覚を取らじと。SIN:SYOZEN2-75/HON-245,HOU-357

 ◎設我得仏。十方無量不可思議諸仏世界衆生之類。聞我名字不得菩薩無生法忍諸深総持者不取正覚。已上。
  ◎(大経)設い我仏を得たらんに、十方無量・不可思議の諸仏世界の衆生の類、我が名字を聞きて、菩薩の無生法忍・もろもろの深総持を得ずは、正覚を取らじと。已上。SIN:SYOZEN2-75/HON-245,HOU-357

 〇次大経二文。三十三四之両願也。第三十三者触光柔[ナン01]願。問。光明功徳在第十二。何重願耶。答。彼摂仏身即為光体。此摂衆生即為光用。体用異故。二願是別。蒙我等者。平等覚経大阿弥陀共云見我。蒙約冥応。見約顕益。但雖言見。約心見者。同属冥利。此願正顕如来無瞋善根之利。是歓喜光所照益也。問。光明所治限瞋恚耶。答。就言柔軟。雖蒙無瞋。兼復可摂無貪無癡。所以知者。成就文云。遇斯光者。三垢消滅。身意柔軟歓喜踊躍。已上。柔軟歓喜。就願意顕説無瞋益。三垢消滅。顕其消滅広亘貪癡。問。於身与心。論柔軟義。差別如何。答。依論註意。仏以三業治諸衆生虚誑三業。既治三業。身心共得柔軟益。其義分明。論註下云。衆生以身見故。受三途身。卑賤身。醜陋身。八難身。流転身。如是等衆生見阿弥陀如来相好光明身。如上種種身業繋縛皆得解脱。入如来家畢竟得平等身業。又云。衆生以邪見故。心生分別。若有若無。若非若是。若好若醜。若善若悪。若彼若此。有如是等種種分別。以分別故。長淪三有受種種分別苦取捨苦。長寝長夜無有出期。是衆生若遇阿弥陀如来平等光照。若聞阿弥陀如来平等意業。是等衆生如上種種意業繋縛皆得解脱。入如来家。畢竟得平等意業。已上。二文如次明身心益。問。今解釈中無柔軟言。如何。答。柔軟之言且雖約瞋。広論不遮貪癡二惑。今解釈中。解意業益。不言柔軟。只明繋縛解脱之徳。是知此義即是柔軟。准之可知。身業所明繁縛解脱同為柔軟。問。如来所治亘三業者。経文何故不挙口業。答。唯是文略。義必有之。以口摂身。即開合耳。或云色心。或云身意。口是身摂。又色摂也。可信其益普渉三業。故論与註同亘三業歎其功徳。註釈荘厳口業徳。云衆生以[キョウ02]慢故誹謗正法。毀呰賢聖。捐斥尊長。如是之人応受抜舌[イン01][ア01]苦。言教不行苦。無名聞苦。如是等種種諸苦。衆生聞阿弥陀如来至徳名号説法音声。如上種積口業繋縛。皆得解脱入如来家。畢竟得平等口業。已上。問。蒙摂取益。十二当願何願益耶。答。一仏光明更無所隔。両願利益強不違害。但第十二摂法身故約仏自利。第三十三摂衆生故約仏利他。故摂取益。就利他辺且約当願。其義有便。是故憬興当願名云蒙光獲利。寂云光明摂益之願。両師立名其意在斯。SYOZEN2-302,303/TAI6-567,568,569
  〇次に『大経』の二文は三十三・四の両願なり。第三十三は触光柔軟の願なり。問う、光明の功徳は第十二に在り。何ぞ重ねて願ずるや。答う、彼の摂仏身は即ち光体たり。この摂衆生は即ち光用たり。体用異なるが故に、二願これ別なり。「蒙我」等とは、『平等覚経』『大阿弥陀』は共に「見我」という。蒙は冥応に約し、見は顕益に約す。但し見というといえども、心見に約すれば、同じく冥利に属す。この願は正しく如来の無瞋善根の利を顕わす。これ歓喜光所照の益なり。問う、光明の所治は瞋恚に限るや。答う、柔軟というに就きては。無瞋を蒙むるといえども、兼てまた無貪・無痴を摂すべし。知る所以は、成就の文に云わく「この光に遇う者は、三垢消滅し、身意柔軟にして歓喜踊躍す」と已上。柔軟歓喜は願意の顕なるに就きて無瞋の益を説く。三垢消滅はその消滅の広く貪痴に亘ることを顕わす。問う。身と心とに於いて、柔軟の義を論ずること、差別は如何。答う、『論註』の意に依るに、仏は三業を以て諸の衆生の虚誑の三業を治したもう。既に三業を治す、身心共に柔軟の益を得ること、その義分明なり。『論註』の下に云わく「衆生は身見を以ての故に三塗の身・卑賤の身・醜陋の身・八難の身・流転の身を受く。かくの如き等の衆生は、阿弥陀如来の相好光明の身を見たてまつれば、上のごときの種種の身業の繋縛、皆解脱することを得て、如来の家に入りて畢竟じて平等の身業を得」。また云わく「衆生は邪見を以ての故に、心に分別を生じて、もしは有、もしは無、もしは非、もしは是、もしは好、もしは醜、もしは善、もしは悪、もしは彼、もしは此、かくの如き等の種種の分別あり。分別を以ての故に長く三有に淪みて、種種の分別の苦・取捨の苦を受く。長く大夜に寝ねて、出期あることなし。この衆生、もし阿弥陀如来の平等の光照に遇い、もしは阿弥陀如来の平等の意業を聞く。これ等の衆生は、上のごときの種種の意業の繋縛、皆解脱することを得て、如来の家に入りて畢竟じて平等の意業を得」已上。二文は次の如く身心の益を明かす。問う、今の解釈の中に柔軟の言なし、如何。答う、柔軟の言は且く瞋に約すといえども、広く論ぜば貪痴の二惑を遮せず。今の解釈の中に、意業の益を解するに、柔軟といわず。ただ繋縛解脱の徳を明かす。ここに知りぬ、この義は即ちこれ柔軟なり。これに准じて知るべし。身業に明かす所の繁縛解脱は同じく柔軟たりということを。問う。如来の所治は三業に亘るとは、経文は何が故ぞ口業を挙げざるや。答う。唯これ文の略せるなり。義は必ずこれあり。口を以て身に摂す。即ち開合ならくのみ。或いは色心といい、或いは身意という。口はこれ身の摂なり。また色の摂なり。その益は普く三業に渉ることを信ずべし。故に『論』と『註』と同じく三業に亘りてその功徳を歎ず。『註』に荘厳口業の徳を釈して云わく「衆生は[キョウ02]慢を以ての故に、正法を誹謗し、賢聖を毀呰し、尊長を捐斥す。かくの如きの人は、抜舌・[イン01][ア01]の苦・言教不行の苦・無名聞の苦、かくの如き等の種種の諸苦を受くべし。衆生は、阿弥陀如来の至徳の名号、説法の音声を聞けば、上のごときの種種の口業の繋縛、皆解脱することを得て、如来の家に入りて畢竟じて平等の口業を得」已上。問う。摂取の益を蒙ることは、十二と当願と何の願の益なるや。答う。一仏の光明は更に隔つる所なし。両願の利益は強ちに違害せず。但し第十二は摂法身の故に仏の自利に約す。第三十三は摂衆生の故に仏の利他に約す。故に摂取の益は利他の辺に就きて且く当願に約るに、その義、便あり。この故に憬興は当願を名づけて「蒙光獲利」という。寂は「光明摂益の願」という。両師の立名、その意はここに在り。SYOZEN2-302,303/TAI6-567,568,569

 〇第三十四聞名得忍願。問。唯聞名力直得無生。縦雖仏願難信如何。答。四十八願皆不徒設。既是仏願。何抱疑惑。若疑此願余願亦然。縦雖但聞。唯可仰信。況聞名者即可称名。何以得知。次下女人往生之願雖説聞名。観念法門引比願云称仏名号。尤可准拠。問。所被之機。言衆生者。凡聖中何。答。此是凡夫。衆生之名雖通凡聖。於其聖者皆云菩薩。今云衆生。只是凡夫。問。所言無生何位得耶。答。地上無生。但或初地。或第七地得無生位。雖有異説共地上也。問。当巻之中引此二願有何意耶。答。先引上願。触光柔軟是光明益。蓋依光明名号勝利得其往益。為肝要故。礼讃釈云。以光明名号摂化十方。已上。黒谷三部経講釈云。光明之縁。名号之因。因縁和合而蒙摂取不捨之益。已上。次願同説聞名益故。問。説聞名益非但此願。其数多之。何限引耶。答。引多引一。其義無妨。不尽聞名。此難無尽。而無生忍行者所期。就其勝益殊引之歟。SYOZEN2-303,304/TAI6-569
  〇第三十四は聞名得忍の願なり。問う、唯聞名の力は直ちに無生を得ること、縦い仏願なりといえども、信じ難し、如何。答う。四十八願みな徒設ならず。既にこれ仏願なり。何ぞ疑惑を抱かん。もしこの願を疑わば、余願もまた然なり。縦い但聞といえども、ただ仰信すべし。況んや聞名とは即ち称名なるべし。何を以てか知ることを得ん。次下の女人往生の願は聞名を説くといえども、『観念法門』にこの願を引きて「称仏名号」という。尤も准拠すべし。問う。所被の機、衆生というは、凡聖の中には何ぞ。答う。これはこれ凡夫なり。衆生の名は凡聖に通ずといえども、その聖に於てはみな菩薩という。今は衆生というは、ただこれ凡夫なり。問う。いう所の無生は、何の位に得るや。答う。地上の無生なり。但し或いは初地、或いは第七地得無生の位、異説ありといえども、共に地上なり。問う。当巻の中に、この二願を引くこと、何の意かあるや。答う。まず上の願を引くことは、触光柔軟はこれ光明の益なり。蓋し光明名号の勝利に依りてその往益を得ること、肝要たるが故に。『礼讃』の釈に云わく「光明名号を以て十方を摂化す」已上。黒谷の三部経の講釈に云わく「光明の縁、名号の因、因縁和合して、而も摂取不捨の益を蒙る」已上。次の願は同じく聞名の益を説くが故に。問う。聞名の益を説くことは、ただこの願のみにあらず。その数これ多し。何ぞ限りて引くや。答う。多を引き、一を引くこと、その義に妨げなし。聞名を尽さずは、この難は尽くることなからん。而るに無生忍は行者の所期なり。その勝益に就きて殊にこれを引くか。SYOZEN2-303,304/TAI6-569

 ◎無量寿如来会言。若我成仏。周遍十方無量無辺不可思議無等界有情之輩。蒙仏威光所照触者。身心安楽超過人天。若不爾者不取菩提。已上。
  ◎『無量寿如来会』に言わく、もし我成仏せんに、周遍十方無量・無辺・不可思議・無等界の衆生の輩、仏の威光を蒙りて照触せらるる者、身心安楽にして人天に超過せん。もし爾らずは、菩提を取らじと。已上。SIN:SYOZEN2-75/HON-245,HOU-357,358

 〇次如来会文。意同大経。彼説柔軟。此云安楽。安楽即是柔軟之義。広亘三業。其義応知。SYOZEN2-304/TAI6-577
  〇次に『如来会』の文。意は『大経』に同じ。彼は柔軟と説き、これは安楽という。安楽は即ちこれ柔軟の義、広く三業に亘る。その義知るべし。SYOZEN2-304/TAI6-577

 ◎又言。聞法能不忘。見敬得大慶。則我善親友
  ◎(大経)また、法を聞きてよく忘れず、見て敬い得て大きに慶ばば、すなわち我が善き親友なりと言えり。SIN:SYOZEN2-75/HON-245,HOU-358

 ◎又言。其有至心願生安楽国者。可得智慧明達功徳殊勝。
  ◎(大経)また言わく、それ至心ありて安楽国に生ぜんと願ずる者は、智慧明達にして、功徳殊勝なることを得べしと。SIN:SYOZEN2-75/HON-245,HOU-358

 ◎又言。広大勝解者。
  ◎(如来会)また、広大勝解者と言えりと。SIN:SYOZEN2-76/HON-245,HOU-358

 ◎又言。如是等類大威徳者。能生広大異門
  ◎(如来会)また、かくのごとき等の類、大威徳の者は、よく広大異門に生ずと言えり。SIN:SYOZEN2-76/HON-245,HOU-358

 ◎又言。若念仏者。当知。此人是人中分陀利華。已上。
  ◎(観経)また言わく、もし念仏する者は、当に知るべし。この人はこれ人中の分陀利華なりと。已上。SIN:SYOZEN2-76/HON-246,HOU-358

 〇次大観等経文。雖或上引。或下引之。若略一句。若抜一言。助成上文讃揚而已。其有等者。下巻之中。仏告弥勒之下。勧人修捨文也。義寂師釈同科段云。此即勧令修習無染清浄心。已上。智慧明達功徳等者。其徳先指生後之益。但亦可有通現生義。若約其義。非謂念仏修行之人。可必獲得智慧功徳。謂其頓断生死之功。義当得智得功徳也。SYOZEN2-304/TAI6-578
  〇次に『大』『観』等の経文。或いは上に引き、或いは下にこれを引くといえども、もしは一句を略し、もしは一言を抜く。上の文を助成して讃揚すらくのみ。「其有」等とは、下巻の中、「仏告弥勒」の下の勧人修捨の文なり。義寂師は同じき科段を釈して云わく「これ即ち勧めて無染清浄心を修習せしむ」已上。「智慧明達功徳」等とは、その徳はまず生後の益を指す。但しまた現生に通ずる義あるべし。もしその義に約せば、念仏修行の人は必ずしも智慧功徳を獲得すべしというにはあらず。その頓断生死の功をいうに、義は智を得、功徳を得るに当るなり。SYOZEN2-304/TAI6-578

 ◎安楽集云。拠諸部大乗明説聴方軌者。大集経云。於説法者作医王想作抜苦想。所説之法作甘露想作醍醐想。其聴法者作増長勝解想作愈病想。若能如是説者聴者。皆堪紹隆仏法。常生仏前。乃至。
  ◎『安楽集』に云わく、諸部の大乗に拠りて説聴の方軌を明かさば、『大集経』に云わく、説法の者〈ひと〉においては、医王の想を作せ、抜苦の想を作せ。所説の法をば、甘露の想を作せ、醍醐の想を作せ。それ聴法の者をば、増上勝解の想を作せ、愈病の想を作せ。もしよくかくのごとき説者・聴者は、みな仏法を紹隆するに堪えたり、常に仏前に生ぜんと。乃至。SIN:SYOZEN2-76/HON-246,HOU-358-

 〇次安楽集上文。所引総有五段。置乃至言示其文別。SYOZEN2-304/TAI6-587
  〇次に『安楽集』の上の文。所引に総じて五段あり。乃至の言を置きて、その文の別を示す。SYOZEN2-304/TAI6-587

 〇最初文者。第一大門作九門中。今文第二章段釈也。又当章中有六之内。今文初依大集経説。仍集正文方軌者下。大集経上見。有於中有六第一等之六字。初之所引四行余者。是其釈也。次乃至者。略上巻終並下巻始。故有此言。SYOZEN2-304/TAI6-587
  〇最初の文は第一大門に九門を作る中に、今の文は第二章段の釈なり。また当章の中に六ある内、今の文は初に『大集経』の説に依る。仍て『集』の正文「方軌者」の下、「大集経」の上に見るに「於中有六第一」等の六字あり。初の所引の四行余は、これその釈なり。次に「乃至」とは上巻の終り、並びに下巻の始を略す。故にこの言あり。SYOZEN2-304/TAI6-587

 ◎依涅槃経。仏言。若人但能至心常修念仏三昧者。十方諸仏恒見此人如現在前。是故涅槃経云。仏告迦葉菩薩。若有善男子善女人。常能至心専念仏者。若在山林。若在聚落。若昼若夜。若座若臥。諸仏世尊常見此人如現目前。恒与此人而作受施。乃至。
  ◎(安楽集)『涅槃経』に依るに、仏の言わく、もし人ただよく至心に常に念仏三昧を修する者は、十方諸仏、恒にこの人を見そなわしたまうこと、現に前に在すがごとし。このゆえに『涅槃経』に云わく、仏、迦葉菩薩に告げたまわく、もし善男子善女人ありて、常によく心を至し専ら念仏する者は、もしは山林にもあれ、もしは聚落にもあれ、もしは昼、もしは夜、もしは座、もしは臥、諸仏世尊、常にこの人を見そなわすこと、目の前に現ぜるがごとし、恒にこの人のためにして受施を作さんと。乃至。SIN:SYOZEN2-76/-HON-246,HOU-358,359-

 〇次文。下巻大門第四有三番中。二引彼此諸経。多明念仏三昧為宗之中。有八番釈。今文其第三番依涅槃経文也。而作等者。見或一本。以作為住。若依作義。諸仏世尊。為其行人。且受供養。且施利益。若依住義。諸仏世尊住其人辺。如前受施。今文彼経第十八巻取意文也。次乃至者。同八番中此除第四第五両番。SYOZEN2-305/TAI6-587
  〇次の文は下巻の大門第四に三番ある中に、二に彼此の諸経を引きて、多く念仏三昧を明かして宗と為る中に、八番の釈あり。今の文はその第三番に『涅槃経』に依る文なり。「而作」等とは、或る一本を見るに、作を以て住と為す。もし作の義に依らば、諸仏世尊はその行人の為に、且つは供養を受け、且つは利益を施す。もし住の義に依らば、諸仏世尊はその人の辺に住して、前の如く施を受く。今の文は彼の経の第十八巻の取意の文なり。次の「乃至」とは、同じき八番の中に第四・第五の両番を除く。SYOZEN2-305/TAI6-587

 ◎依大智度論有三番解釈。第一仏是無上法王。菩薩為法臣。所尊所重唯仏世尊。是故応当常念仏也。第二有諸菩薩自云。我従曠劫已来。得蒙世尊長養我等法身・智身・大慈悲身。禅定・智慧・無量行願由仏得成。為報恩故常願近仏。亦如大臣蒙王恩寵常念其王。第三有諸菩薩復作是言。我於因地遇悪知識。誹謗波若堕於悪道。逕無量劫雖修余行未能出。後於一時依善知識辺。教我行念仏三昧。其時即能併遣諸障方得解脱。有斯大益故願不離仏。乃至。
  ◎(安楽集)『大智度論』に依るに、三番の解釈あり。第一には、仏はこれ無上法王なり、菩薩は法臣とす。尊ぶところ、重くするところ、ただ仏・世尊なり。このゆえに当に常に念仏すべきなり。第二に、もろもろの菩薩ありて、自ら云わく、我曠劫よりこのかた、世尊、我等を長養することを蒙ることを得たりき。法身・智身・大慈悲心・禅定・智慧・無量の行願、仏に由りて成ずることを得たりき。報恩のためのゆえに、常に仏に近ずきたてまつらんことを願ず。また大臣の、王の恩寵を蒙りて、常にその王を念うがごとし。第三に、もろもろの菩薩ありてまたこの言を作さく、我因地にして悪知識に遇いて、波若を誹謗して悪道に堕しき。無量劫を径て余行を修すといえども、未だ出ずることあたわず。後に一時において善知識の辺に依りしに、我を教えて念仏三昧を行ぜしむ。その時にすなわちよくしかしながら、もろもろの障をまさに解脱を得しむ。この大益あるがゆえに、仏を離れじと願ず。乃至。SIN:SYOZEN2-76,77/-HON-246,247,HOU-359-

 ◎大経云。凡欲往生浄土。要須発菩提心為源。云何。菩提者乃是無上仏道之名也。若欲発心作仏者。此心広大周遍法界。此心長遠尽未来際。此心普備離二乗障。若能一発心。傾無始生死有輪。乃至。
  ◎(安楽集)『大経』に云わく、おおよそ浄土に往生せんと欲わば、かならず須く菩提心を発すを源とすべし。云何ぞ、菩提とはすなわちこれ無上仏道の名なり。もし発心作仏せんと欲せん者は、この心広大にして法界に周遍し、この心長遠にして未来際を尽くす。この心普く備に二乗の障りを離る。もしよく一たび発心すれば、無始生死の有輪を傾くと。乃至。SIN:SYOZEN2-77/-HON-247,HOU-359-

 〇次依智論第六番文。依之本中。依大之下有第六之字。今文彼論第七巻中取意文也。次文。上巻第三大門有三番中。第一明発菩提文。又有四番。其中第一出菩提心功用。初文。大経云者。指三輩文。現行本文聊有其異。周遍法界或云遍周。又法界下更有二句。此心究竟等若虚空八字是也。傾無等者。言断無始輪回苦報。止観一云。善悪輪環。弘決釈云。善通非想。悪極無間。昇而復沈故名為輪。無始無際。喩之如環。已上。此文前後各言乃至。就上乃至。問。准常途義言乃至者。於若一段。若一部中。略中言也。今引大経釈文上巻。上引智論釈文下巻。逆次引用錯乱之上乃至之言。其義難思如何。答。所難誠然。但試解之。上下乃至共対所引大悲経文。彼文下巻第五大門有四番中。第一汎明修道延促。欲令速獲不退之中。引多経説其一文也。但中間引上巻文意。大論所明念仏三昧。与大悲経相続念仏。是一法故。其二文中挙菩薩心。為顕此心信行念仏之信心故。中間引之被上下也。SYOZEN2-305/TAI6-587
  〇次に『智論』に依る第六番の文なり。これに依りて本の中に、「依大」の下に「第六」の字あり。今の文は彼の論の第七巻の中の取意の文なり。次の文は上巻第三大門に三番ある中に、第一に発菩提を明かす文に、また四番あり。その中の第一に菩提心の功用を出だす初の文なり。「大経云」とは、三輩の文を指す。現行の本文に聊かその異あり。周遍法界を或いは遍周という。また法界の下に更に二句あり。「此心究竟等若虚空」の八字これなり。「傾無」等とは、言うこころは、無始輪回の苦報を断つ。『止観』の一に云わく「善悪輪環す」。『弘決』に釈して云わく「善は非想に通じ、悪は無間に極まる。昇りてまた沈むが故に名づけて輪と為す。無始無際なり。これを喩うるに環の如し」已上。この文の前後におのおの「乃至」という。上の乃至に就きて、問う、常途の義に准ずるに乃至というは、もしは一段、もしは一部の中に於いて、中を略する言なり。今『大経』の釈文を引くは上巻、上に『智論』の釈文を引くは下巻、逆次の引用錯乱の上、乃至の言は、その義思い難し、如何。答う。所難誠に然なり。但し試みにこれを解せば、上下の乃至は共に所引の『大悲経』の文に対す。彼の文は下巻の第五大門に四番ある中に、第一に汎く修道の延促を明かして、速かに不退を獲しめんと欲する中に、多の経説を引く、その一の文なり。但し中間に上巻の文を引く意は、『大論』に明す所の念仏三昧と、『大悲経』の相続念仏と、これ一法なるが故に。その二文の中に菩薩心〈菩提心〉を挙ぐるに、この心は念仏を信行する信心たることを顕わさんが為の故に、中間にこれを引きて上下に被らしむるなり。SYOZEN2-305/TAI6-587

 ◎大悲経云。云何名為大悲。若専念仏相続不断者。随其命終定生安楽。若能展転相勧行念仏者。此等悉名行大悲人。已上抄出。
  ◎(安楽集)『大悲経』に云わく、いかんが名づけて大悲とする。もし専ら念仏相続して断えざれば、その命終に随いて定んで安楽に生ぜん。もしよく展転してあい勧めて念仏を行ぜしむる者は、これらをことごとく、大悲を行ずる人と名づくと。已上抄出。SIN:SYOZEN2-77/-HON-247,HOU-359,360

 〇後文之中。若専等者。是約自利明往生益。若能等者。是約利他明大悲益。SYOZEN2-306/TAI6-587
  〇後の文の中に「若専」等とは、これ自利に約して往生の益を明かす。「若能」等とは、これ利他に約して大悲の益を明かす。SYOZEN2-306/TAI6-587

 ◎光明師云。唯恨衆生疑不疑。浄土対面不相忤。莫論弥陀摂不摂。意在専心廻不廻。乃至。或[ドウ01]。従今至仏果。長劫讃仏報慈恩。不蒙弥陀弘誓力。何時何劫出娑婆。乃至。何期今日至宝国。実是娑婆本師力。若非本師知識勧。弥陀浄土云何入。
  ◎(般舟讃)光明師の云わく、やや恨むらくは衆生の疑うまじきを疑うことを。浄土対面してあい忤わず、弥陀の摂と不摂を論ずることなかれ。意、専心にして回すると回せざるとにあり。乃至。あるいはいわく、今より仏果に至るまで、長劫に仏を讃めて慈恩を報ぜん。弥陀の弘誓の力を蒙らずは、いずれの時、いずれの劫にか娑婆を出でんと。乃至。いかんが期せん、今日宝国に至ることを。実にこれ娑婆本師の力なり。もし本師知識の勧めにあらずは、弥陀の浄土、云何してか入らんと。SIN:SYOZEN2-77/HON-247,HOU-360

 〇次大師釈。総有八文。初釈之中。唯恨等者。誡疑勧信。示其冥応自然不忤。忤玉篇云。五故切逆也。莫論等者。是顕念仏必預摂取不求自益。意在等者。言仏願意唯在専心決定回心。言専心者。即是一心専念心耳。次文是讃弥陀仏恩。出苦娑婆。偏如来恩。次文是歎釈迦仏恩。言本師者。教主釈尊。依二尊力得往生益。為勧報恩引此二文。SYOZEN2-306/TAI6-601
  〇次に大師の釈、総じて八文あり。初の釈の中に「唯恨」等とは、疑を誡しめ信を勧めて、その冥応は自然に忤〈たが〉わざることを示す。「忤」は『玉篇』に云わく「五故の切。逆なり」。「莫論」等とは、これ念仏すれば必ず摂取に預りて、求めざるに自ずから益することを顕わす。「意在」等とは、言うこころは、仏願の意は、ただ専心決定して回心するに在り。「専心」というは、即ちこれ一心専念の心ならくのみ。次の文はこれ弥陀の仏恩を讃ず。苦の娑婆を出づることは、偏に如来の恩なり。次の文はこれ釈迦の仏恩を歎ず。「本師」というは教主釈尊なり。二尊の力に依りて往生の益を得。報恩を勧めんが為に、この二文を引く。SYOZEN2-306/TAI6-601

 ◎又云。仏世甚難値。人有信慧難。遇聞希有法。斯復最為難。自信教人信。難中転更難。大悲弘普化。真成報仏恩。
  ◎(往生礼讃)また云わく、仏世はなはだ値い難し、人、信慧あること難し。たまたま希有の法を聞くこと、これまた最も難しとす。自ら信じ人を教えて信ぜしむること、難きが中に転たまた難し。大悲をして弘く普く化せば、真に仏恩を報ずるに成るべしと。SIN:SYOZEN2-77/HON-247,HOU-360

 〇次文初夜礼讃偈也。仏世等者。総明難遇仏出之世。兼含仏法難遇之意。依大経云。如来興世難値難見。諸仏経道難得難聞。菩薩勝法諸波羅密得聞亦難之意故也。遇聞等者。別明難遇浄土之法。希有法者。弥陀教也。依同文云。遇善知識聞法能行。此亦為難之意故也。自信等者。是明自信教他共在真報仏恩。上云能行。其言中含自利利人之二益也。SYOZEN2-306/TAI6-606
  〇次の文は『初夜礼讃』の偈なり。「仏世」等とは、総じて仏出の世に遇うこと難きことを明かし、兼て仏法難遇の意を含む。『大経』に「如来の興世、値い難く見たてまつること難し。諸仏の経道、得難く聞き難し。菩薩の勝法、諸波羅蜜、聞くことを得ることまた難し」といえる意に依るが故なり。「遇聞」等とは、別して浄土の法に遇うこと難きことを明かす。「希有法」とは、弥陀の教なり。同じき文に「善知識に遇い、法を聞きて能く行ずること、これまた難しとす」といえる意に依るが故なり。「自信」等とは、これ自ら信じ、他に教うる、共に真に仏恩を報するに在ることを明かす。上に能行という、その言の中に自利利人の二益を含むなり。SYOZEN2-306/TAI6-606

 ◎又云。弥陀身色如金山。相好光明照十方。唯有念仏蒙光摂。当知本願最為強。十方如来舒舌証。専称名号至西方。到彼華台聞妙法。十地願行自然彰。
  ◎(往生礼讃)また云わく、弥陀の身色は金山のごとし。相好の光明は十方を照らす。ただ念仏のもののみありて、光摂を蒙る。当に知るべし、本願最も強しとす。十方の如来、舌を舒べて証したまうことは、専ら名号を称して西方に至るとなり。かの華台に到りて妙法を聞けば、十地の願行自然に彰ると。SIN:SYOZEN2-77/HON-248,HOU-360

 ○次同日中真身観讃。唯有等者。問。経文只説念仏衆生摂取不捨。無遮余言。何云唯耶。答。次下句云本願為強。可知此云唯有之義。如来本発深重願時。選捨諸行不為本願。選取念仏独為本願。因位本願既遮諸行。正覚心光利益何違。所捨行故不照余行。所取行故唯摂念仏。彼此行人摂不応知。故於此讃出三経説。初二句総標当観説。唯有一句。別就当観示摂取益限在念仏。当知等者明大経意。十方等者依小経意。専称等者。別指小経。総明三経名号為宗。十地等者。是明衆生本有具徳。至法性土方可顕現。是顕十地究竟之徳。更非本無今有之徳。若依酬因感果之理。論其自力修入之義。可云成歟。不可云彰。又不可云自然而已。SYOZEN2-306,307/TAI6-610
  〇次に同じき日中の真身観の讃。「唯有」等とは、問う、経文にはただ「念仏衆生摂取不捨」と説きて、余を遮する言なし。何ぞ「唯」というや。答。次下の句に本願強しとすという、ここに「唯有」という義を知るべし。如来もと深重の願を発したもう時、諸行を選び捨てて本願とせず。念仏を選取して独り本願と為したもう。因位の本願は既に諸行を遮す。正覚の心光利益は何ぞ違せん。捨る所の行なるが故に余行を照さず。取る所の行なるが故に、唯念仏を摂す。彼此の行人、摂・不、知りぬべし。故にこの讃に於いて三経の説を出だす。初の二句は総じて当観の説を標す。「唯有」の一句は別して当観に就きて摂取の益の限りて念仏に在ることを示す。「当知」等とは、『大経』の意を明かす。「十方」等とは、『小経』の意に依る。「専称」等とは、別して『小経』を指して、総じて三経名号を宗と為ることを明かす。「十地」等とは、これ衆生本有の具徳は、法性の土に至りて方に顕現すべきことを明かす。これ十地究竟の徳を顕わす。更に本無今有の徳にあらず。もし酬因感果の理に依りて、その自力修入の義を論ずれば、成というべきか。彰というべきからず。また自然というべからざるのみ。SYOZEN2-306,307/TAI6-610

 ◎又云。但有専念阿弥陀仏衆生。彼仏心光常照是人摂護不捨。総不論照摂余雑業行者此亦是現生護念増上縁。已上。
  ◎(観念法門)また云わく、ただ阿弥陀仏を専念する衆生のみありて、かの仏心の光、常にこの人を照らして摂護して捨てたまわず。すべて余の雑業の行者を照摂することを論ぜず。これまたこれ現生護念増上縁なり。已上。SIN:SYOZEN2-78/HON-248,HOU-360

 〇次文観念法門釈也。此文同依真身観意。上文云唯。此釈云但。雑業行者不蒙照摂。念仏行人独得光摂。深解経意解釈分明。言心光者。此非光分身相心想其体各別。只就義門宜得其意。以仏慈悲摂受之心所照触光。名之心光。是念仏行相応仏心。其仏心者慈悲為体。是以経云。仏心者大慈悲是。以無縁慈摂諸衆生。已上。是故照触称名行人之大悲光。得心称耳。准之私案。観仏三昧所観所見之光明等。可預身光之名者耶。SYOZEN2-307/TAI6-613
  〇次の文は『観念法門』の釈なり。この文は同じく真身観の意に依る。上の文には「唯」といい、この釈には「但」という。雑業の行者は照摂を蒙らず。念仏の行人は独り光摂を得。深く経の意を解すること、解釈分明なり。「心光」というは、これ光に身相心想を分かちてその体各別なるにあらず。ただ義門に就きて宜くその意を得べし。仏の慈悲摂受の心を以て、照触する所の光は、これを心光と名づく。これ念仏の行、仏心に相応す。その仏心とは、慈悲を体と為す。これを以て経に云わく「仏心とは大慈悲これなり。無縁の慈を以て諸の衆生を摂す」已上。この故に称名の行人を照触する大悲の光は心の称を得らくのみ。これに准じて私に案ずるに、観仏三昧の所観所見の光明等は、身光の名に預かるべきものなるや。SYOZEN2-307/TAI6-613

 ◎又云。言心歓喜得忍者。此明阿弥陀仏国清浄光明忽現眼前。何勝踊躍。因茲喜故即得無生之忍。亦名喜忍。亦名悟忍。亦名信忍。此乃玄談未標得処。欲令夫人等[キ03]心此益。勇猛専精心想見時。方応悟忍。此多是十信中忍。非解行已上忍也。
  ◎(序分義)また云わく、心歓喜得忍と言うは、これは阿弥陀仏国の清浄の光明、たちまちに眼前に現ず。何ぞ踊躍に勝えん。この喜びに因るがゆえに、すなわち無生の忍を得るを、また喜忍と名づく、また悟忍と名づく、また信忍と名づく。これすなわち玄〈はるか〉に談ずるに、未だ得処を標〈あらわ〉さず、夫人をして等しく心にこの益を[キ03]〈ねが〉わしめんと欲う。勇猛専精にして、心、見んと想う時、方に忍を悟るべし。これ多くはこれ十信の中の忍なり、解行已上の忍にはあらざるなりということを明かす。SIN:SYOZEN2-78/HON-248,HOU-361

 〇次所引文。序分義中示観縁釈。言心等者。約観成相。但雖外標観門之益。内顕念仏所得之益。所以知者。云清浄業。先約懺悔雖釈清浄。後就念仏滅罪之義釈清浄義。則彼文云。依下観門専心念仏。注想西方念念罪除。故清浄也。已上。其機又云煩悩賊害失此法財。是顕念仏所被之機。故知所得無生之益。是又可在念仏之益。故云踊躍。云因此喜。云得喜忍。是顕信心歓喜得益。言悟忍者悟仏智故。言信忍者即是信心成就相也。上人当巻被引此文。更不被備観門之益。是依念仏得益之辺而所被引也。此乃等者。玄先正説挙其利益。令人[キ03]之。故云玄談。未標等者。雖言得忍。未明分斉。故云未標。勇猛等者。且就観法修行相貌勧其策励。智度論云。禅定智慧非精進者不成。已上。蓋比義也。此多等者。雖為薄地信外凡夫。今依他力超絶強縁成就信根。故就得忍謂之十信。是故上人正信偈云。与韋提等獲三忍即証法性之常楽。下文亦云。獲金剛心者。則与韋提等。即可獲得喜悟信之忍。非解等者。是嫌古来諸師義也。SYOZEN2-307,308/TAI6-616,617
  〇次の所引の文は『序分義』の中に示観縁の釈なり。「言心」等とは、観成の相に約す。但し外に観門の益を標すといえども、内に念仏所得の益を顕わす。知る所以は、清浄業というは、まず懺悔に約して清浄を釈すといえども、後に念仏滅罪の義に就きて清浄の義を釈す。則ち彼の文に云わく「下の観門に依りて専心に念仏すれば、想を西方に注めめて、念念に罪除こる。故に清浄なり」已上。その機は、また「煩悩賊害、この法財を失う」という。これ念仏所被の機を顕わす。故に知りぬ、得る所の無生の益は、これまた念仏の益に在るべし。故に「踊躍」という。「この喜に因る」といい、「喜忍を得」という。これ信心歓喜の得益を顕わす。「悟忍」というは、仏智を悟るが故に。「信忍」というは、即ちこれ信心成就の相なり。上人の当巻にこの文を引かるること、更に観門の益に備えられず。これ念仏得益の辺に依りて引かるる所なり。「此乃」等とは、玄〈はるか〉に正説に先だってその利益を挙げて、人をしてこれを[キ03]〈ねが〉わしむ。故に玄談という。「未標」等とは、得忍というといえども、未だ分斉を明かにせず。故に未標という。「勇猛」等とは、且く観法修行の相貌に就きてその策励を勧む。『智度論』に云わく「禅定・智慧は精進にあらざれば成ぜず」已上。蓋しこの義なり。「此多」等とは、薄地信外の凡夫たりといえども、今は他力超絶の強縁に依りて信根を成就す。故に得忍に就きて、これを十信という。この故に上人の『正信偈』に云わく「韋提と等しく三忍を獲て、即ち法性の常楽を証す」。下の文に、また云く「金剛心を獲るとは、則ち韋提と等しく、即ち喜・悟・信の忍を獲得すべし」。「非解」等とは、これ古来諸師の義を嫌うなり。SYOZEN2-307,308/TAI6-616,617

 ◎又云。従若念仏者下至生諸仏家已来。正顕念仏三昧功能超絶。実非雑善得為比類。即有其五。一明専念弥陀仏名。二明指讃能念之人。三明若能相続念仏者。此人甚為希有。更無物可以方之。故引芬陀利為喩。言分陀利者。名人中好華。亦名希有華。亦名人中上上華。亦名人中妙好華。此華相伝名蔡華是。若念仏者即是人中好人。人中妙好人。人中上上人。人中希有人。人中最勝人也。四明専念弥陀名著。即観音勢至常随影護。亦如親友知識也。五明今生既蒙此益。捨命即入諸仏之家。即浄土是也。到彼長時聞法。歴事供養。因円果満。道場之座豈[シャ02]。已上。
  ◎(散善義)また云わく、若念仏者より下、生諸仏家に至るこのかたは、正しく念仏三昧の功能超絶して、実に雑善をして比類とすることを得るにあらざることを顕す。すなわちその五あり。一には、弥陀仏名を専念することを明かす。二には、能念の人を指讃することを明かす。三には、もしよく相続して念仏する者〈ひと〉、この人ははなはだ希有なりとす、さらに物としてもってこれに方〈たくら〉ぶべきことなきことを明かす。故に芬陀利を引きて喩とす。分陀利と言うは、人中の好華と名づく、また希有華と名づく、また人中の上上華と名づく、また人中の妙好華と名づく。この華あい伝えて蔡華と名づくる、これなり。もし念仏の者は、すなわちこれ人中の好人なり。人中の妙好人なり、人中の上上人なり、人中の希有人なり、人中の最勝人なり。四には、弥陀の名を専念する者は、すなわち観音・勢至、常に随いて影のごとく護りたまうこと、また親友・知識のごとくなることを明かすなり。五には、今生にすでにこの益を蒙れり。命を捨ててすなわち諸仏の家に入らん、すなわち浄土これなり。彼に到れば長時に法を聞き、歴時供養せん。因円かに果満ず。道場の座、あに[シャ02]〈はるか〉ならんやということを明かす。已上。SIN:SYOZEN2-78/HON-248,279,HOU-361

 〇次散善義。流通分中。有其七内第四段文。正顕等者。能得仏意深探経旨嘆念仏徳超余雑業。定善義云。自余衆行雖名是善。若比念仏者全非比校也。今文亦云。実非雑善得為比類。二尊正意。大師高判。念仏諸行勝劣宜知。分陀利者。蓮中好華。西天翫之如此桜梅。是故以之喩今行人。憬興師云。分陀利華即白蓮華。水陸華中最為尊勝。依大日経。蓮華有五。一鉢頭摩。二優鉢羅。各有二色。謂赤与白。三倶勿頭。亦有二色。謂赤与白。四泥盧鉢羅。此華極香。従牛糞生。五分荼利迦。葉葉相承円整可愛。最外葉極白。内色漸微黄。此華極香。言蔡華者。是蓮華名。依論語意。蔡者亀也。意亀所遊之華故即云亀。其体蓮華。華中蓮勝。蓮華之中此華殊勝。宜哉此華経為題目。仏亦為眼。豈比凡種。而仏世尊以念仏人譬此好華。尤足為奇。妙法蓮華雖有当体譬喩二義。共所行法。今観経説歎能行人。若約所行定亦応同。能所雖殊。恐顕弥陀妙法同体之深旨歟。又涅槃云。是人中蓮華芬陀利華。已上。而彼文意譬仏説之。准之思之。念仏行人即備如来功徳義分。此喩如彼染香人身有其香気。是則今此弥陀名号。自彼法性無漏果徳所流出之妙好香也。唱之念之。薫口薫心。不知自有無量万徳功徳香気。故潜備仏功徳気分。是故信知弥陀五智功徳。称念名号。本覚心蓮冥漸生長。開発諸法無生甚深一分理也。尤可貴之。即入等者。即是往生即為始益。道場等者。即是成仏即為終益。問。如経文者。先云当座道場。初説成仏之果。次云生諸仏家。後挙往生之益。今釈前後相違如何。答。経依従果向因之義。釈存従因至果之意。影略互顕其義炳然。SYOZEN2-308,309/TAI6-627,628
  〇次に『散善義』流通分の中に、その七ある内に、第四段の文なり。「正顕」等とは、能く仏意を得て、深く経旨を探りて念仏の徳の余の雑業に超えたることを嘆ず。『定善義』には「自余の衆行は、これ善と名づくといえども、もし念仏に比すれば全く比校にあらざるなりといい、今の文には、また「実に雑善をもって比類と為ることを得るにあらず」という。二尊の正意、大師の高判、念仏諸行の勝劣、宜しく知るべし。「分陀利」とは、蓮の中の好華、西天にこれを翫ぶこと、ここの桜梅の如し。この故にこれを以て今の行人に喩う。憬興師の云わく「分陀利華は即ち白蓮華なり。水陸の華の中に最も尊勝たり」。『大日経』に依るに、蓮華に五あり。一には鉢頭摩、二には優鉢羅、おのおの二色あり。謂わく赤と白となり。三には倶勿頭、また二色あり、謂わく赤と白となり。四には泥盧鉢羅、この華は極めて香し。牛糞より生ず。五には分荼利迦。葉葉相承て円整にして愛しつべし。最外の葉は極めて白く、内の色は漸く微黄なり。この華は極めて香し。「蔡華」というは、これ蓮華の名なり。『論語』の意に依るに、蔡とは亀なり。意は亀の遊ぶ所の華なるが故に即ち亀という。その体は蓮華なり。華の中に蓮は勝れ、蓮華の中に、この華は殊に勝れたり。宜なるかな、この華は経には題目たり。仏にはまた眼たり。あに凡種に比せんや。而るに仏世尊は念仏の人を以てこの好華に譬えたり。尤も奇と為るに足れり。『妙法蓮華』に当体・譬喩の二義ありといえども、共に所行の法なり。今の『観経』の説は能行の人を歎ず。もし所行に約せば、定んでまた同じかるべし。能所殊るといえども、恐くは弥陀・妙法同体の深旨を顕わすか。また『涅槃』に云わく「これ人中の蓮華、芬陀利華」已上。而るに彼の文の意は仏に譬えてこれを説く。これに准じてこれを思うに、念仏の行人は即ち如来功徳の義分を備う。この喩は彼の染香人の身に、その香気あるが如し。これ則ち今この弥陀の名号は、彼の法性無漏の果徳より流出する所の妙好香なり。これを唱え、これを念ずるに、口に薫じ、心に薫じて、知らざるに自ずから無量万徳の功徳の香気あり。故に潜かに仏の功徳の気分を備う。この故に弥陀の五智の功徳を信知して、名号を称念すれば、本覚の心蓮は冥に漸く生長して諸法無生甚深の一分の理を開発するなり。尤もこれを貴むべし。「即入」等とは、即ちこれ往生、即ち始益たり。「道場」等とは、即ちこれ成仏、即ち終益たり。問う。経文の如きは、まず「当座道場」といいて、初に成仏の果を説き、次に「生諸仏家」といいて、後に往生の益を挙ぐ。今の釈は前後相違すること、如何。答う。経は従果向因の義に依り、釈は従因至果の意を存す。影略互顕す、その義炳然たり。SYOZEN2-308,309/TAI6-627,628

 ◎王日休云。我聞無量寿経。衆生聞是仏名信心歓喜乃至一念。願生彼国即得往生住不退転。不退転者。梵語謂之阿惟越致。法華経謂弥勒菩薩所得報地也。一念往生便同弥勒。仏語不虚。此経寔往生之径術・脱苦之神方。応皆信受。已上。
  ◎(龍序浄土文)王日休云わく、我『無量寿経』を聞くに、衆生この仏の名を聞きて、信心歓喜し、乃至一念せんもの、かの国に生ぜんと願ずれば、すなわち往生を得、不退転に住すと。不退転とは、梵語にはこれを阿惟越致と謂う。『法華経』には謂わく、弥勒菩薩の所得の報地なり。一念往生、すなわち弥勒に同じ。仏語虚しからず。この経はまことに往生の径術・脱苦の神方なり。みな信受すべしと。已上。SIN:SYOZEN2-79/HON-249,HOU-362

 〇次文龍舒浄土文也。龍舒所名。王日休者。字是虚中。云王虚中。此是儒士国学進士。但今引文非日休言。此浄土文三人加跋。其中最初所加参政周大資作。而今直言日休云者是言総也。例如経中雖有其言。為弟子語。総云経言。意云日休所作文云。不著作者。只省略耳。言謂弥勒菩薩等者。涌出品云。我等住阿惟越致地。於是事中亦所不達。已上。弥勒菩薩。釈尊付属当来導師。衆所帰仰。謂所得地阿惟越致。念仏行者更無自力修行之功。只以南無他力一念。往生之時所得同為阿惟越致。歎此奇特。是故引之。SYOZEN2-309/TAI6-635
  〇次の文は『龍舒の浄土文』なり。龍舒は所の名。王日休、字はこれ虚中、王虚中という。これはこれ儒士国学進士なり。但し今の引文は日休の言にあらず。この浄土文は三人の跋を加う。その中に最初に加うる所の参政周大資の作なり。而るに今直ちに「日休云」というは、これ言の総せるなり。例せば経の中に、その言ありといえども弟子の語たる、総じて経に言わくというが如し。意は日休が所作の文にいうという。作者を著わさざることは、ただ省略せらるのみ。「謂弥勒菩薩」等というは、『涌出品』に云わく「我等、阿惟越致地に住せる、この事の中に於いて、また達せざる所なり」已上。弥勒菩薩は釈尊付属当来の導師、衆の帰仰する所なり。所得の地をいうに、阿惟越致なり。念仏の行者は更に自力修行の功なく、ただ南無他力の一念を以て往生の時に得る所は、同じく阿惟越致たり。この奇特を歎ず。この故にこれを引く。SYOZEN2-309/TAI6-635

 ◎大経言。仏告弥勒。於此世界有六十七億不退菩薩。往生彼国一一菩薩。已曽供養無数諸仏。次如弥勒。
  ◎『大経』に言わく、仏、弥勒に告げたまわく、この世界より、六十七億の不退の菩薩ありて、かの国に往生す。一一の菩薩は、すでにむかし無数の諸仏を供養せりき。次いで弥勒のごとしと。SIN:SYOZEN2-79/HON-249,HOU-362

 ◎又言。仏告弥勒。此仏土中有七十二億菩薩。彼於無量億那由他百千仏所。種諸善根成不退転。当生彼国。抄出。
  ◎(如来会)また言わく、仏、弥勒に告げたまわく、この仏土の中に、七十二億の菩薩あり。彼は無量億那由他百千の仏の所にして、もろもろの善根を種えて不退転を成ぜるなり。当にかの国に生ずべしと。抄出。SIN:SYOZEN2-79/HON-249,HOU-362

 〇次大経文。広説此土他方仏土及無量土大小菩薩。皆乗仏智往生彼土。於中今初明大菩薩往生文也。此世界者即是娑婆。次文易見。又言如前。SYOZEN2-309/TAI6-642,643
  〇次に『大経』の文。広く此土・他方の仏土及び無量の土の大小菩薩は、みな仏智に乗じて彼の土に往生することを説く。中に於いて、今は初に大菩薩の往生を明かす文なり。「此世界」とは即ちこれ娑婆なり。次の文、見易し。「又言」は前の如し。SYOZEN2-309/TAI6-642,643

 ◎律宗用欽師云。至如華厳極唱法華妙談。且未見有普授。衆生一生皆得阿耨多羅三藐三菩提記者。誠所謂不可思議功徳之利也。已上。
  ◎(超玄記)律宗の用欽師の云わく、至れること『華厳』の極唱、『法華』の妙談に如かんや。かつて未だ普授あることを見ず。衆生一生にみな阿耨多羅三藐三菩提の記を得ること、誠に謂うところの不可思議功徳の利なり。已上。SIN:SYOZEN2-79/HON-249,HOU-362

 〇次用欽釈。是歎往生即至不退。速登一生補処益也。SYOZEN2-310/TAI6-648
  〇次に用欽の釈なり。これ往生すれば即ち不退に至りて速かに一生補処に登る益を歎ずるなり。SYOZEN2-310/TAI6-648

 ◎真知。弥勒大士窮等覚金剛心故。龍華三会之暁。当極無上覚位。念仏衆生窮横超金剛心故。臨終一念之夕。超証大般涅槃。故曰便同也。加之獲金剛心者。則与韋提等。即可獲得喜悟信之忍。是則往相回向之真心徹到故。籍不可思議之本誓故也。
  ◎(御自釈)真に知りぬ。弥勒大士、等覚金剛心を窮むるがゆえに、龍華三会の暁、当に無上覚位を極むべし。念仏衆生は、横超の金剛心を窮むるがゆえに、臨終一念の夕に、大般涅槃を超証す。故に便同と曰うなり。しかのみならず、金剛心を獲る者は、すなわち韋提と等しく、すなわち喜・悟・信の忍を獲得すべし。これすなわち往相回向の真心徹到するがゆえに、不可思議の本誓に籍るがゆえなり。SIN:J:SYOZEN2-79/HON-250,HOU-362,363

 〇次私解釈。問。如上所引龍舒文者。弥勧菩薩現在所得阿惟越致不退之位。念仏行者生安楽土同得彼位。弥勧現益。行者当益。其位相同。故云便同。而今釈者。弥勧所得。行者所得。彼此共約極果当益。其意如何。答。以前料簡其意実爾。但今釈意。弥勧菩薩今居等覚補処之位。当来可唱三会正覚。念仏行者。今雖薄地。往生之時便至地上分証涅槃常楽之理。論註云。不断煩悩得涅槃分。已上。般舟讃云。一到即受清虚楽。清虚即是涅槃因。已上。往生礼讃云。即証彼法性之常楽。已上。分極雖殊。開悟是同。前後領解各有其意。SYOZEN2-310/TAI6-651
  〇次に私の解釈。問う。上の所引の龍舒の文の如きは、弥勧菩薩の現在に得る所は阿惟越致不退の位なり。念仏の行者は安楽土に生じて同じく彼の位を得。弥勧は現益、行者は当益なり。その位は相同じ。故に「便同」という。而るに今の釈は、弥勧の所得と、行者の所得と、彼此共に極果の当益に約す。その意は如何。答う。以前の料簡は、その意実に爾り。但し今の釈の意は、弥勧菩薩は今等覚補処の位に居して、当来に三会の正覚を唱うべし。念仏の行者は、今は薄地なりといえども、往生の時は便ち地上に至りて分に涅槃常楽の理を証す。『論註』に云わく「煩悩を断ぜずして涅槃の分を得」已上。『般舟讃』に云わく「一たび到りぬれば即ち清虚の楽を受く。清虚は即ちこれ涅槃の因なり」已上。『往生礼讃』に云わく「即ち彼の法性の常楽を証す」已上。分極殊なるといえども、開悟はこれ同じ。前後の領解は、おのおのその意あり。SYOZEN2-310/TAI6-651

 ◎禅宗智覚讃念仏行者云。奇哉。仏力難思。古今未有。
  ◎(楽邦文類)禅宗の智覚、念仏の行者を讃めて云わく、奇なるかな、仏力難思なれば、古今も未だあらずと。SIN:SYOZEN2-80/HON-250,HOU-363

 〇次智覚釈。師作神棲安養賦。載在楽邦文類第五。彼賦総有四百二十一言。其中今此所引十字。其結句也。次上句云。其或誹謗三宝破壊律儀。逼風刀解体之際。当業鏡照形之時。遇善知識現不思議。剣林変七重之行樹。火車化八徳之蓮池。地獄消[エン09]湛爾而怖心全息。天華飛引俄然而化仏迎之。慧眼明心香炉随手。応懺而蓮華不萎。得記而宝林非久。已上如所引。又初句云。弥陀宝刹安養嘉名。処報土而極楽。於十方而最清。二八観門修定慧而冥往。四十大願運散心而化生。爾乃畢世受持。一生帰命。仙人乗雲而聴法。空界作唄而讃詠。紫金台上身登而本願非虚。白玉毫中神化而一心自慶。已上。繋不悉引。聊出冠履。SYOZEN2-310/TAI6-659
  〇次に智覚の釈。師は神棲安養の賦を作る。載せて『楽邦文類』の第五に在り。彼の賦は総じて四百二十一言あり。その中に今この所引の十字は、その結句なり。次上の句に云わく「それ或いは三宝を誹謗し、律儀を破壊するも、風刀の体を解くの際に逼り、業鏡の形を照らす時に当りて、善知識に遇いて不思議を現ず。剣林は七重の行樹に変じ、火車は八徳の蓮池に化す。地獄消[エン09]し、湛爾として怖心全く息み、天華飛引し俄然として化仏これを迎う。慧眼は心に明らかに、香炉は手に随う。懺に応じて蓮華は萎まず。記を得て宝林は久しきにあらず」已上、所引の如し。また初の句に云わく「弥陀の宝刹、安養の嘉名、報土に処して楽を極め、十方に於いて最も清し。二八の観門、定慧を修して冥に往き、四十の大願、散心を運びて化生す。爾して乃ち世を畢るまで受持し、一生帰命すれば、仙人は雲に乗りて法を聴き、空界は唄を作して讃詠す。紫金台の上に身登りて、本願虚しきにあらず。白玉毫の中に神化して一心に自ら慶ぶ」已上。繋くして悉くは引かず。聊か冠履を出だす。SYOZEN2-310/TAI6-659

 ◎律宗元照師云。鳴呼明教観孰如智者乎。臨終挙観経。讃浄土而長逝矣。達法界孰如杜順乎。勧四衆念仏陀。感勝相而西邁矣。参禅見性孰如高玉智覚乎。皆結社念仏而倶登上品矣。業儒有才孰如劉雷・柳子厚・白楽天乎。然皆秉筆書誠而願生彼土矣。已上。
  ◎(楽邦文類)律宗の元照師の云わく、ああ、教観に明らかなること、熟〈たれ〉か智者に如かんや。終わりに臨みて『観経』を挙し、浄土を讃じて長く逝きき。法界に達せること、熟〈たれ〉か杜順に如かんや。四衆を勧め仏陀を念じて、勝相を感じて西に邁〈ゆ〉きき。禅に参わりて性を見ること、熟〈たれ〉か高玉・智覚に如かんや。みな社を結び仏を念じて倶に上品に登りき。業儒、才あるもの、熟〈たれ〉か劉・雷・柳子厚・白楽天に如かんや。しかるにみな筆を秉り誠を書して、かの土に生ぜんと願じきと。已上。SIN:SYOZEN2-80/HON-250,HOU-363

 〇次元照釈。同文類三無量院造弥陀像記。凡有六百五十字中。今此所引中間九十二字是也。言嗚呼者。傷歎声也。次上詞云。或束縛於名相。或[エン09]冥於豁達。故有貶念仏為麁行忽浄業為小道。執隅自蔽。盲無所聞。雖聞而不信。雖信而不修。雖修而不勤。於是浄土教門或幾乎息矣。已上。念仏為麁浄業為小。不信不勤所痛有斯。明教等者。三大部中。就彼玄義文句言之。一代高覧数三五返。五時八教一宗恢弘至天台来分別熾盛。是故世挙称其十徳。明其教相智解応知。就観言之。依止観意。止観明静前代未聞。円頓実相一念三千。説己心中所行法門。観解明了亦以可知。臨終等者。霊応伝一天台大師別伝中云。唱二部経為最後聞慧。聴法華竟讃云。法門父母慧解由生。本迹広大微妙難測。乃至。聴無量寿経竟讃曰。四十八願荘厳浄土。華池宝閣。瑞応刪伝云宝樹。易往無人。火車相現能改悔者。尚復往生。況吾戒慧薫修耶。乃至。如入三昧。以大隋開皇十七年歳次丁巳十一月二十四日未時入滅。已上。問。此文之中唯讃大経。云挙観経有何拠乎。答。此文中云火車相現改悔往生。由此文故云挙観経。讃浄土者。讃双巻云。四十八願荘厳浄土之文意也。-SYOZEN2-310,311/TAI6-661,662-
  〇次に元照の釈。同じき『文類』の三、無量院に弥陀の像を造る記。凡そ六百五十字ある中に、今この所引は中間の九十二字これなり。「嗚呼」というは、傷歎の声なり。次上の詞に云わく「或いは名相に束縛し、或いは豁達に[エン09]冥す。故に念仏を貶じて麁行と為し、浄業を忽〈ゆるがせ〉にして、小道と為るものあり。隅を執して自ら蔽し、盲にして聞く所なし。聞くといえども、而も信ぜず。信ずといえども而も修せず。修すといえども、而も勤めず。ここに於いて浄土の教門は或いは息むに幾〈ちか〉し」已上。念仏を麁と為し、浄業を小と為す。信ぜず、勤めざる、痛む所ここにあり。「明教」等とは、三大部の中に、彼の『玄義』『文句』に就きてこれを言う。一代の高覧、数三五返。五時八教一宗の恢弘は天台に至りてよりこのかた分別熾盛なり。この故に世挙げてその十徳を称す。その教相に明かなること智解知んぬべし。観に就きてこれを言わば、『止観』の意に依る。止観の明静なること、前代に未だ聞かず。円頓実相一念三千、己心中所行の法門を説く。観解の明了なること、また知んぬべし。「臨終」等とは、『霊応伝』の一の天台大師の別伝の中に云わく「二部の経を唱して最後の聞慧と為す。法華を聴き竟わりて讃じて云わく、法門の父母、慧解の由生なり。本迹広大にして微妙にして測り難し。乃至。無量寿経を聴き竟わりて讃じて曰わく、四十八願、浄土を荘厳す。華池宝閣(瑞応刪伝に宝樹という)。往き易くして人なし。火車相現ずれども、能く改悔すれば、尚また往生す。況んや吾が戒慧薫修せるをや。乃至。三昧に入るが如くして、大隋の開皇十七年歳次丁巳十一月二十四日未の時を以て入滅す」已上。問う。この文の中に、ただ『大経』を讃ず。「観経を挙ぐ」というは何の拠かあるや。答う。この文の中に「火車相現ずれども、改悔すれば往生す」という。この文に由るが故に「観経を挙ぐ」という。「浄土を讃ず」るは『双巻』を讃ず。「四十八願荘厳浄土」という文の意なり。-SYOZEN2-310,311/TAI6-661,662-

 〇達法等者。法界唯心華厳経意。隋朝終南杜順法師能達経旨。是故云爾。彼華厳宗震旦弘通五師之中立為初祖。此後智儼法蔵澄観宗密而已。-SYOZEN2-311/TAI6-662-
  〇「達法」等とは、法界唯心『華厳経』の意なり。隋朝終南の杜順法師は能く経旨に達す。この故に爾いう。彼の華厳宗、震旦の弘通五師の中に立てて初祖と為す。この後、智儼・法蔵・澄観・宗密ならくのみ。-SYOZEN2-311/TAI6-662-

 〇参禅等者。智覚禅師雖禅大祖。念弥陀仏欣西方国造安養賦。心行可知。又有所造。所謂万善同帰集是。彼第二云。問。唯心浄土周遍十方。何得詫質蓮台。棄形安養而興取捨之念。豈達無生之門。欣厭情生。何成平等。答。唯心仏土者。了心方生。如来不思議境界経云。三世一切諸仏皆無所有。唯依自心。菩薩若能了知諸仏及一切法皆唯心量。得随順忍。或入初地。捨身速生極楽仏土。故知識心方生唯心浄土。著境祗堕所縁境中。既明因果無差。乃知心外無法。又平等之門無生之旨。雖即仰教生信。其奈力量未充心浮境強習重。須生仏国以依勝縁忍力易成速行菩薩道。起信論云。衆生初学是法。欲求正信。其心怯弱。以住娑婆不常値仏信心難成。意欲退者。当知如来有勝方便摂護信心。謂以専意念仏因縁。随願得生仏土。常見於仏永離悪道。若人専念西方阿弥陀仏。即得往生。常見仏故。終無有退。往生論云。遊戯地門者。生彼国土得無生忍已。還入生死園。教化地獄救苦衆生。以此因縁求生浄土。十疑論云。智者熾然求生浄土達生体不可得。即是真無生。此謂心浄故即仏土浄。愚者為生所縛聞生即作生解。聞無生即作無生解。不知生即無生無生即生。不達此理。横相是非。此是謗法邪見人也。已上。都有六重問答之中。今挙初重後五略之。登上品者。真歇了禅師浄土説云。如智覚禅師乃宗門之標准浄業之白眉也。興隆仏法勧億万人修白業。臨終預知時至。種種殊勝甚至。舎利鱗砌于身。嘗有撫州一僧。経年旋遶禅師之塔。即今西湖浄慈寺寿。私云具云延寿。禅師塔頭也。人問其故。謂因病入冥。閻王以陽数未艾得放還生。次見殿左。供養画僧一[セツ01]。閻王礼拝勤致。遂扣主吏。此是何人。吏曰抗州永明寺寿禅師也。天下死者。無不経由冥俯案判生。唯此人修行精進径生極楽上品。王以為希有。故図像恭敬。已上。-SYOZEN2-331,332/TAI6-662,663-
  〇「参禅」等とは、智覚禅師は禅の大祖なりといえども、弥陀仏を念じ、西方国を欣び、安養の賦を造る。心行知りぬべし。また所造あり、所謂『万善同帰集』これなり。彼の第二に云わく「問う。唯心の浄土は十方に周遍す。何ぞ質を蓮台に詫し、形を安養に棄てて、而も取捨の念を興すことを得ん。あに無生の門に達せんや。欣厭の情生ず。何ぞ平等を成ぜん。答う。唯心の仏土は心を了して方に生ず。如来不思議境界経に云わく「三世一切の諸仏はみな所有なし。ただ自心に依る。菩薩はもし能く諸仏及び一切法はみな唯心の量なりと了知すれば、随順忍を得て、或いは初地に入り、身を捨てて速かに極楽仏土に生ず。故に知んぬ識心は方に唯心の浄土に生ず。境に著すれば、ただ所縁の境の中に堕す。既に因果を明らむるに差なし。乃ち知んぬ、心外に法なしということを。また平等の門、無生の旨、即ち教を仰いで信を生ずるといえども、それ力量は未だ充たず、心浮び、境強く、習重きをいかんせん。須く仏国に生じて以て勝縁に依りて、忍力成じやすく速かに菩薩道を行ずべし。『起信論』に云わく、衆生初めてこの法を学して、正信を求めんと欲するに、その心怯弱にして、娑婆に住せば、常に仏に値わず、信心成じ難きを以て、意に退せんと欲する者は、当に知るべし、如来に勝方便ましまして信心を摂護す。謂わく、意を専らにして念仏する因縁を以て、願に随いて仏土に生ずることを得て、常に仏を見たてまつりて永く悪道を離る。もし人専ら西方の阿弥陀仏を念ずれば、即ち往生することを得。常に仏を見たてまつるが故に、終に退あることなし。『往生論』に云わく、遊戯地門とは、彼の国土に生じて無生忍を得已りて、生死の園に還り入りて、地獄を教化して苦の衆生を救う。この因縁を以て浄土に生ずることを求む。『十疑論』に云わく、智者は熾然に浄土に生ぜんことを求めて、生体不可得なりと達す。即ちこれ真の無生なり。これを心浄なるが故に即ち仏土浄なりという。愚者は生の為に縛せられて生を聞きては即ち生の解を作し、無生を聞きては即ち無生の解を作す。生即無生・無生即生なることを知らず。この理を達せず、横に相是非す。これはこれ謗法邪見の人なり」已上。都て六重の問答ある中に、今は初重を挙げて、後の五はこれを略す。「上品に登る」とは、真歇の了禅師の『浄土説』に云わく「智覚禅師の如きは乃ち宗門の標准、浄業の白眉なり。仏法を興隆し億万人を勧めて白業を修せしむ。臨終に預じめ時の至るを知りて、種種の殊勝甚だ至る。舎利は鱗のごとくに身に砌〈あつ〉まる。嘗て撫州に一の僧あり。年を経て禅師の塔を旋遶す。即ち今の西湖浄慈寺の寿(私に云わく、具には延寿という)禅師の塔頭なり。人その故を問う。謂く病に因りて冥に入りしに、閻王は陽数の未だ艾せざるを以て放〈ゆる〉して還〈また〉生けることを得しむ。次に殿の左を見るに、画僧一[セツ01]を供養せり。閻王礼拝すること勤致なり。遂に主吏に扣〈と〉う、これはこれ何人ぞと。吏の曰わく、抗州永明寺の寿禅師なり。天下に死する者は冥俯を経由して判生を案ぜられざることなし。唯この人のみ修行精進にして径〈ただ〉ちに極楽の上品に生ず。王は希有なりとおもえり。故に像を図して恭敬す」已上。-SYOZEN2-331,332/TAI6-662,663-

 〇業儒等者。劉劉遺民。雷雷次宗。共是廬山十八賢中俗士六人之其二也。楽邦文類第三。元照無量院造弥陀像記云。弥陀教観載于大蔵不為不多。然仏化東流数百年間。世人殆無知者。晋慧遠法師居廬山之東林。神機独抜為天下倡。鑿池栽蓮。建堂立誓。専崇浄業。号為白蓮社。当時名僧巨儒不期而自至。慧持道生釈門之俊彦。劉遺民雷次宗文士之豪傑。皆伏膺。請教而預其社焉。是故後世言浄社者。必以東林為始。厥後善導懐感大闡於長安。智覚慈雲盛振于淅石。末流狂妄正道梗塞。上所引或束以下此次也。柳子厚者。是又儒士。官為礼部。専修西方。此人作有龍興寺修浄土院記。此元照記。与此記碑在同文類同巻之中。其記初云。中州之西数万里有国。曰身毒。釈迦牟尼如来示現之地。彼仏言。西方過十万億仏土有世界。曰極楽。仏号無量寿如来。其国無有三毒八難。衆宝以為飾。其人無有十纏九悩。群聖以為友。有能誠心大願帰心是土者。苟念力具足則往生彼国。然後出三界之外。其於仏道無退転者。其言無所欺也。已上。総有四百三十許字。今少挙始多略文耳。白楽天者。字曰居易。太子賓客翰林主人。列名禅派帰心浄土。世皆称之文殊化身。文殊師利阿弥陀経同聞衆中菩薩上首。又為観経耆闍上首。又対法照教以念仏。為其化身自行化他専修西方。誠有由也。白氏画西方浄土[セツ01]記云。我本師釈迦如来説言。従是西方過十万億仏土。有世界号極楽。乃至。諦観此娑婆世界微塵衆生。無賢愚。無貴賤。無幼艾。有起心帰仏者。挙手合掌必先向西方。有怖厄苦悩者開口発声。必先念阿弥陀仏。又範金合土刻石織紋。乃至。印水聚沙童子戯者。莫不卒以阿弥陀仏為上首。不知其然而然。由是而観。是彼如来有大誓願於此衆生。有大因縁於彼国土矣。乃至。弟子居易焚香稽首。跪於仏前起慈悲心。発弘誓願。願此功徳回施一切衆生。一切衆生有如我老者。如我病者。願皆離苦得楽断悪修善。不越南瞻部。便覩西方。白毫大光応念来感。青蓮上品随願往生。従現在身。尽未来際。常得親近而供養也。欲重宣此願而偈讃曰。極楽世界清浄土。無諸悪道及衆苦。願如老身病苦者。同生無量寿仏所。已上。又白詩云。余年七十一。不復事吟哦。看経費眼力。作福畏奔波。無以度心眼。一声阿弥陀。行也阿弥陀。坐也阿弥陀。縦然忙似鑚。不廃阿弥陀。日暮而途遠。余生已蹉[タ06]。普勧法界衆。同念阿弥陀。達人応笑我。多却阿弥陀。達又作麼生。不達又如何。日暮清浄心。但念阿弥陀。已上。-SYOZEN2-313,314/TAI6-663,664-
  〇「業儒」等とは、「劉」は劉遺民、「雷」は雷次宗、共にこれ廬山の十八賢の中、俗士六人のその二なり。『楽邦文類』の第三、元照の無量院に弥陀像を造る記に云わく「弥陀の教観は大蔵に載せて多からずとせず。然に仏化東流して数百年間、世人に殆ど知る者なし。晋の慧遠法師は廬山の東林に居して、神機独抜して天下の倡たり。池を鑿り、蓮を栽え、堂を建て、誓を立てて、専ら浄業を崇む。号して白蓮社と為す。当時の名僧・巨儒は期せずして自ずから至る。慧持・道生は釈門の俊彦、劉遺民・雷次宗は文士の豪傑、みな伏膺して、教を請て、その社に預る。この故に後世に浄社という者は、必ず東林を以て始と為す。厥の後に善導・懐感は大いに長安に闡〈ひら〉き、智覚・慈雲は盛んに淅石に振う。末流狂妄して正道梗塞す」。(上の所引の或束以下はこの次なり。)「柳子厚」とは、これまた儒士、官、礼部たり。専ら西方を修す。この人の作に龍興寺に浄土院を修する記あり。この元照の記と、この記碑とは同じき『文類』同巻の中に在り。その記の初に云わく「中州の西、数万里に国あり、身毒という。釈迦牟尼如来示現の地なり。彼の仏の言わく、西方、十万億仏土を過ぎて世界あり、極楽という。仏を無量寿如来と号す。その国は三毒八難あることなし。衆宝を以て飾と為す。その人は十纏九悩あることなし。群聖以て友たり。能く誠心の大願ありて、心をこの土に帰する者は、苟〈まこと〉に念力具足すれば、則ち彼の国に往生す。然して後に三界の外に出ず。それ仏道に於て退転する者なし。その言、欺く所なきなり」已上。総じて四百三十許字あり。今少しき始を挙げて多く文を略すらくのみ。「白楽天」とは、字を居易という。太子の賓客、翰林の主人、名を禅派に列ね、心を浄土に帰す。世みなこれを文殊の化身と称す。文殊師利は『阿弥陀経』の同聞衆の中の菩薩の上首なり。また『観経』の耆闍の上首たり。また法照に対して教うるに念仏を以てす。その化身として、自行化他、専ら西方を修す。誠に由あるなり。白氏は西方浄土の[セツ01]を画する記に云わく「我本師釈迦如来の説きて言わく、これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり、極楽と号す。乃至。諦かにこの娑婆世界の微塵の衆生を観ずるに、賢愚となく、貴賤となく、幼艾となく、心を起して仏に帰することある者は、手を挙げて掌を合わせて必すまず西方に向い、怖厄苦悩ある者は口を開きて声を発して、必ずまず阿弥陀仏を念ず。また金に範し、土を合わせ、石を刻み、紋を織り、乃至、水に印し、沙を聚めて、童子の戯るる者は卒〈ことごと〉く阿弥陀仏を以て上首と為ざることなし。その然して然ることを知らず、これに由りて観ずれば、これ彼の如来、大誓願、この衆生にあり、大因縁、彼の国土にあり。乃至。弟子居易、香を焚き稽首し、仏前に跪きて慈悲心を起し、弘誓願を発す。願わくはこの功徳、一切衆生に回施す。一切衆生に我が如く老いたる者、我が如く病める者あらば、願わくはみな離苦・得楽し、断悪修善せん。南瞻部を越えずして、便ち西方を覩る。白毫の大光は念に応じて来感し、青蓮の上品は願に随いて往生せん。現在の身より未来際を尽くすまで、常に親近なることを得て供養せん。重ねてこの願を宣んと欲して、而も偈をもて讃じて曰わく、極楽世界清浄の土には諸の悪道及び衆の苦なし。願わくは老身病苦の者の如き、同じく無量寿仏の所に生ぜん」已上。また白の詩に云わく「余が年七十一、また吟哦を事とせず。経を看れば眼力を費し、福を作せば奔波を畏る。以て心眼を度することなし。一声せよ阿弥陀、行きても阿弥陀、坐しても阿弥陀。たとい忙しきこと鑚るに似たれども、阿弥陀を廃せず。日暮て途遠し。余が生已に蹉[タ06]たり。普く勧む法界の衆、同く阿弥陀を念ぜよ。達せる人は我を笑うべし。多く阿弥陀を却く。達せるもまた作麼生〈そもさん〉、達せざるもまた如何。日暮に清浄の心をもて、ただ阿弥陀を念ぜよ」已上。-SYOZEN2-313,314/TAI6-663,664-

 〇然皆等者総結。如上高僧碩儒各達仏教。皆記所解自念西方。令化願生。非唯此人。且挙少耳。所引之文次下詞云。以是観之。自非負剛明卓抜之識。達生死変化之数者。其孰能信於此哉。已上。当知不恃明智博達。急顧生死迅速理数。専憑仏力宜帰西也。-SYOZEN2-314/TAI6-664,665
  〇「然皆」等とは総結なり。上の如き高僧・碩儒はおのおの仏教に達す。みな所解を記するに自ら西方を念じ、化をして生を願ぜしむ。唯この人のみにあらず。且く少を挙げらくのみ。所引の文の次下の詞に云わく「これを以てこれを観ずるに、剛明卓抜の識を負い、生死変化の数〈ことわり〉を達する者にあらざらんよりは、それ孰〈たれ〉か能くこれを信ぜんや」已上。当に知るべし、明智博達を恃〈たの〉まず、急に生死迅速の理数を顧みて、専ら仏力を憑み、宜しく西に帰すべきなり。-SYOZEN2-314/TAI6-664,665

 ◎言仮者。即是聖道諸機・浄土定散機也。
  ◎(御自釈)仮と言うは、すなわちこれ聖道の諸機、浄土定散の機なり。SIN:J:SYOZEN2-80/HON-250,HOU-363

 〇言仮等者。集主私釈。SYOZEN2-314/TAI6-671
  〇「仮」等というは、集主の私の釈なり。SYOZEN2-314/TAI6-671

 ◎故光明師云。仏教多門八万四。正為衆生機不同。
  ◎(般舟讃)故に光明師の云わく、仏教多門にして八万四なり、正しく衆生の機、不同なるがためなりと。SIN:SYOZEN2-80/HON-250,251,HOU-363,364

 ◎又云。方便仮門等無殊。
  ◎(法事讃)また云わく、方便の仮門等しくして殊なしと。SIN:SYOZEN2-80/HON-251,HOU-364

 ◎又云。門門不同名漸教。万劫苦行証無生。已上。
  ◎(般舟讃)また云わく、門門不同なるを漸教と名づく、万劫苦行して無生を証すと。已上。SIN:SYOZEN2-80/HON-251,HOU-364

 ○大師解釈。引三文中。初之二句般舟讃文。次之一句法事讃下。或仮為化。本不同歟。後之二句又般舟讃。此等諸文皆顕聖道八万諸教広被諸機。SYOZEN2-314,315/TAI6-671
  〇大師の解釈、三文を引く中に、初の二句は『般舟讃』の文。次の一句は『法事讃』の下。或いは「仮」を「化」と為す、本の不同か。後の二句は、また『般舟讃』。これ等の諸文はみな聖道八万の諸教は広く諸機に被らしむることを顕わす。SYOZEN2-314,315/TAI6-671

 ◎言偽者。則六十二見・九十五種之邪道是也。
  ◎(御自釈)偽と言うは、すなわち六十二見、九十五種の邪道これなり。SIN:J:SYOZEN2-80/HON-251,HOU-364

 ◎涅槃経言。世尊常説。一切外学九十五種皆趣悪道。已上。
  ◎『涅槃経』(如来性品)に言わく、世尊常に説きたまわく、一切の外は九十五種を学んで、みな悪道に趣くと。已上。SIN:SYOZEN2-80/HON-251,HOU-364

 ◎光明師云。九十五種皆汚世。唯仏一道独清閑。已上。
  ◎(法事讃)光明師の云わく、九十五種みな世を汚す、ただ仏の一道のみ独り清閑なりと。已上。SIN:SYOZEN2-80/HON-251,HOU-364

 〇言偽等者。明外道教。言六十二見者。依律宗名句意。総就五陰有六十見。先於色陰作其四句。一即色是我。二離色是我。三我大色小色在我中。四色大我小我在色中。下之四陰准之可知。若受若想若行若識。改色一字如前作句。故於一陰各有四見。五陰四見四五之数合成二十。而歴三世有此二十。則成六十。此外別加断常二見。是故総有六十二見。言九十五種者。是挙外道種類。九十五種九十六種。経論異説。除取有由。六師外道弟子各有一十五人。合九十人。師弟合論九十六種。於彼九十六種之中有其一類同小乗計。故除其一云九十五。雖有其計同小乗辺。実是旧法。是故斥言九十六種皆是邪道。九十六者。華厳智論薩婆多論多分之説。九十五者涅槃経説。此経意者。九十六種所計皆是戒禁取見。而於此中。有其一種執真涅槃在四禅等。故不説云直堕三途。依此義辺言九十五。大師解釈由斯説耳。唯仏等者。雖為五種。雖為六種。其外一也。SYOZEN2-315/TAI6-675
  〇「偽」等というは、外道の教を明かす。「六十二見」というは、『律宗の名句』の意に依るに、総じて五陰に就きて六十見あり。まず色陰に於いてその四句を作す。一には即色是我、二には離色是我、三には我大色小色在我中、四には色大我小我在色中なり。下の四陰は、これに准じて知るべし。もしは受、もしは想、もしは行、もしは識。色の一字を改めて前の如く句を作す。故に一陰に於いて、おのおの四見あり。五陰の四見、四五の数合して二十と成る。而も三世を歴てこの二十あり。則ち六十と成る。この外別に断常の二見を加う。この故に総じて六十二見あり。「九十五種」というは、これ外道の種類を挙ぐ。九十五種、九十六種。経論の異説にして、除取に由あり。六師外道は弟子おのおの一十五人あり。合せて九十人、師弟合論すれば九十六種なり。彼の九十六種の中に於いて、その一類の小乗の計に同じきあり。故にその一を除きて九十五という。その計は小乗に同じき辺ありといえども、実にはこれ旧法なり。この故に斥けて九十六種みなこれ邪道なりという。九十六とは、『華厳』『智論』『薩婆多論』多分の説、九十五とは、『涅槃経』の説、この経の意は、九十六種の所計はみなこれ戒禁取見なり。而るにこの中に於いて、その一種に真涅槃は四禅等に在りと執するあり。故に説いて直ちに三途に堕すといわず。この義辺に依りて九十五という。大師の解釈はこの説に由るらくのみ。「唯仏」等とは、五種と為すといえども、六種と為すといえども、その外の一なり。SYOZEN2-315/TAI6-675

 ◎誠知。悲哉愚禿鸞。沈没於愛欲広海。迷惑於名利太山。不喜入定聚之数。不快近真証之証。可耻可傷矣。
  ◎(御自釈)誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし、傷むべしと。SIN:J:SYOZEN2-80/HON-251,HOU-364

 〇誠知等者。傷歎詞也。但雖悲痛。又有所喜。寔是可謂悲喜交流。不喜不快是顕恥傷。入定聚数与近真証。潜表自証。非無喜快。SYOZEN2-315/TAI6-681
  〇「誠知」等とは、傷歎の詞なり。但し悲痛すといえども、また喜ぶ所あり。寔〈まこと〉にこれ悲喜交流というべし。「不喜」「不快」はこれ恥傷を顕わす。定聚の数に入ると、真証に近づくと、潜に自証を表わす。喜快なきにあらず。SYOZEN2-315/TAI6-681

 ◎夫仏説難治機
  ◎それ仏、難治の機を説きて、SIN:SYOZEN2-81/HON-251,HOU-364

 ◎涅槃経言。迦葉世有三人。其病難治。一謗大乗。二五逆罪。三一闡提。如是三病。世中極重。悉非声聞縁覚菩薩之所能治。善男子。譬如有病必死無治。若有瞻病随意医薬若無瞻病随意医薬。如是之病定不可治。当知是人必死不疑。善男子。是三種人亦復如是。従仏菩薩得聞治已。即便能発阿耨多羅三藐三菩提心。若有声聞・縁覚・菩薩。或有説法或不説法。不能令其発阿耨多羅三藐三菩提心。已上。
  ◎『涅槃経』(現病品)に言わく、迦葉、世に三人あり、その病治しがたし。一には謗大乗、二には五逆罪、三には一闡提なり。かくのごときの三病、世の中に極重なり。ことごとく声聞・縁覚・菩薩のよく治するところにあらず。善男子、たとえば病あれば必ず死するに治することなからんに、もし瞻病随意の医薬あらんがごとし。もし瞻病随意の医薬なくは、かくのごときの病、定んで治すべからず。当に知るべし。この人必ず死せんこと疑わずと。善男子、この三種の人、またかくのごとし。仏・菩薩に従いて聞治を得已りて、すなわちよく阿耨多羅三藐三菩提心を発せん。もし声聞・縁覚・菩薩ありて、あるいは法を説き、あるいは法を説かざるあらん、それをして阿耨多羅三藐三菩提心を発せしむることあたわずと。已上。SIN:SYOZEN2-81/HON-251,252,HOU-364,365

 ◎又言。爾時王舎大城阿闍世王。其性弊悪。善行殺戮。具口四悪貪恚愚癡。其心熾盛。乃至。而為眷属。貪著現世五欲楽故。父王無辜横加逆害。因害父已〈己〉心生悔熟〈熱〉。乃至。心悔熱故遍体生瘡。其瘡臭穢不可附近。尋自念言。我今此身已受華報。地獄果報将近不遠。爾時其母韋提希后。以種種薬而為塗之。其瘡遂増無有降損。王即白母。如是瘡者従心而生。非四大起。若言衆生有能治者。無有是処。
  ◎(涅槃経・梵行品)また言わく、その時に、王舎大城に阿闍世王あり。その性弊悪にしてよく殺戮を行ず。口の四悪、貪、恚、愚痴を具して、その心熾盛なり。乃至。しかるに眷属のために現世の五欲の楽に貪着するがゆえに、父の王辜なきに横に逆害を加す。父を害し已わるに因りて、心に悔熟を生ず〈父を害するに因りて、己が心に悔を生ず〉。乃至。心悔熟〈熱〉するがゆえに、遍体に瘡を生ず。その瘡臭穢にして附近すべからず。すなわち自ら念言すらく、我今この身にすでに華報を受けたり、地獄の果報、将に近づきて遠からずとす。その時に、その母韋提希后、種種の薬をもってためにこれを塗る。その瘡ついに増せども降損あることなし。王すなわち母に白さく、かくのごときの瘡は、心よりして生ぜり。四大より起これるにあらず。もし衆生よく治することありと言わば、この処あることなけん。SIN:SYOZEN2-81/HON-252,HOU-365-

 ◎時有大臣。名日〈曰〉月称。往至王所。在一面立白言。大王何故愁悴顔容不悦。為身痛邪。為心痛乎。王答臣言。我今身心豈得不痛。我父無辜横加逆害。我従智者曽聞是義。世有五人不脱地獄。謂五逆罪。我今已有無量無辺阿僧祇罪。云何身心而得不痛。又無良医治我身心。
  ◎(涅槃経・梵行品)時に大臣あり、日月称と名づく〈名づけて月称と曰う〉。王の所に往至して、一面にありて立ちて白して言さく、大王、何がゆえぞ愁悴して顔容悦ばざる。身痛とせんや、心痛とせんや。王、臣に答えて言わまく、我今身心あに痛まざることを得んや。我が父辜なきに、横に逆害を加す。我智者に従いて、かつてこの義を聞きき。世に五人あり、地獄を脱れずと。いわく五逆罪なり。我今すでに無量・無辺・阿僧祇の罪あり。いかんぞ身心をして痛まざることを得んや。また良医の我が身心を治せんものなけんと。SIN:SYOZEN2-81,82/-HON-252,HOU-365,366-

 ◎臣言大王。莫大愁苦。即説偈言。若常愁苦愁遂増長。如人喜眠眠則滋多。貪婬嗜酒亦復如是。如王所言。世有五人不脱地獄。誰往見之来語王邪。言地獄者。直是世間多智者説。如王所言。世無良医治身心者。今有大医名富闌那。一切智見得自在。定畢竟修習清浄梵行。常為無量無辺衆生。演説無上涅槃之道。為諸弟子説如是法。無有黒業無黒業報。無有白業無白業報。無黒白業無黒白業報。無有上業及以下業。是師今在王舎城中。惟願大王屈駕往彼。可令是師療治身心。時王答言。審能如是滅除我罪。我当帰依。
  ◎(涅槃経・梵行品)臣、大王に言さく、大きに愁苦することなかれと。すなわち偈を説きて言わく、もし常に愁苦せば、愁ついに増長せん。人、眠を喜めば、眠すなわち滋く多きがごとし。淫を貪し酒を嗜むも、またかくのごとしと。王の言うところのごとく、世に五人あり、地獄を脱れずとは、誰か往きてこれを見て、来りて王に語るや。地獄と言うは、直ちにこれ世間に多し、智者説かく、王の言うところのごとし、世に良医の身心を治する者なけん。今、大医あり、富闌那と名づく。一切知見して自在定を得たり。畢竟じて清浄梵行を修習して、常に無量無辺の衆生のために、無上涅槃の道を演説す。もろもろの弟子のために、かくのごときの法を説けり、黒業あることなければ黒業の報なし。白業あることなければ白業の報なし。黒白の業なければ黒白の業報なし。上業および下業あることなしと。この師いま、王舎城の中にいます。やや願わくは大王、駕を屈〈崛〉して彼に往け、この師をして身心を療治せしむべしと。時に王、答えて言わまく、審かによくかくのごとき我が罪を滅除せば、我当に帰依すべしと。SIN:SYOZEN2-82/-HON-252,253,HOU-366-

 ◎復有一臣名曰蔵徳。復往王所而作是言。大王何故面貌憔悴。屑〈唇〉口乾[シャ02]音声微細。乃至。何所苦為身痛邪為心痛乎。王即答言。我今身心云何不痛。我之癡盲無有慧目近諸悪友。而為善随提婆達多悪人之言。正法之王横加逆害。我昔曽聞智人偈説。若於父母仏及弟子。生不善心起於悪業。如是果報在阿鼻獄。以是事故令我心怖生大苦悩。又無有良医而見救療。
  ◎(涅槃経・梵行品)またひとりの臣あり、名づけて蔵徳と曰う。また王の所へ往きて、しかもこの言を作さく、大王、何がゆえぞ面貌憔悴して、屑〈唇〉口乾[シャ02]し、音声微細なるやと。乃至。何の苦しむるところあって、身痛とせんや、心痛とせんやと。王すなわち答えて言わく、我今身心いかんぞ痛まざらん。我これ痴盲にして慧目あることなし。もろもろの悪友に近づきて、ためによく提婆達多悪人の言に随いて、正法の王に横に逆害を加す。我昔かつて、智人の偈説を聞く。もし父母仏および弟子において、不善の心を生じ、悪業を起こさん。かくのごときの果報、阿鼻獄にありと。この事をもってのゆえに、我が心怖れて大苦悩を生ぜしむ。また良医ありて救療せらるることなけんと。SIN:SYOZEN2-82/-HON-253,254,HOU-366,367-

 ◎大臣復言。惟願大王且莫愁怖。法有二種。一者出家。二者王法。王法者。謂害其父。則王国土雖云是逆実無有罪。如迦羅羅虫要壊母腹然後乃生。生法如是。雖破母身実亦無罪。騾腹懐妊等亦復如是。治国之法。法応如是。雖殺父兄実無有罪。出家法者。乃至蚊蟻殺亦有罪。乃至。如王所言。世無良医治身心者。今有大師名末伽梨拘[シャ02]梨子。一切知見。隣愍衆生猶如赤子。已離煩悩能抜衆生三毒利箭。乃至。是師今在王舎大城惟願大王。往至其所。王若見者。衆罪消滅。時王答言。審能如是滅除我罪。我当帰依。
  ◎(涅槃経・梵行品)大臣また言わく、やや願わくは大王、しばらく愁怖することなかれ。法に二種あり、一には出家、二には王法なり。王法は、いわく、その父を害すれば、すなわち国土に王たるなり。これ逆なりと云うといえども、実に罪あることなし。迦羅羅虫のかならず母の腹を壊〈やぶ〉りて、しかして後にすなわち生ずるがごとし。生の法かくのごとし。母の身を破るといえども、実にまた罪なし。騾腹懐妊等またかくのごとし。治国の法、法としてかくのごとくなるべし。父兄を殺すといえども、実に罪あることなけん。出家の法は、乃至蚊蟻を殺するにまた罪あり。乃至。王の言うところのごとし、世に良医の身心を治する者なけんと。いま大師あり、末伽梨拘[シャ02]梨子と名づく。一切知見、衆生を憐愍すること、なおし赤子のごとし。すでに煩悩を離れて、よく衆生の三毒の利箭を抜く。乃至。この師、今、王舎大城にいます。やや願わくは大王、その所に往至したまえ。王もし見たまえば衆罪消滅せんと。時に王答えて言わく、審かによくかくのごとく我が罪を滅除せば、我まさに帰依すべしと。SIN:SYOZEN2-82,83/-HON-254,HOU-367-

 ◎復有一臣名曰実徳。復到王所即説偈言。大王何故身脱瓔珞。首髮蓬乱乃至如是。乃至。為是心痛邪為身痛邪。王即答言。我今身心豈得不痛。我父先王慈愛仁惻。特見矜念。実無辜咎。往問相師。相師答言。是兒生已。定当害父。雖聞是語。猶見瞻養。曽聞智者作如是言。若人通母。及汚比丘尼。偸僧祇物。殺発無上菩提心人。及殺其父。如是之人必定当堕阿鼻地獄。我今身心豈得不痛。
  ◎(涅槃経・梵行品)またひとりの臣あり、名づけて実徳と曰う。また王の所に到りて、すなわち偈を説きて言わく、大王、何がゆえぞ、身、瓔珞を脱ぎ、首〈こうべ〉の髪蓬乱せる。乃至かくのごとくなるやと。乃至。これ心痛とやせん、身痛とやせん。王すなわち答えて言わく、我いま身心あに痛まざることを得んや。我が父先王、慈愛仁惻して特に矜念せらる。実に辜なきに、往きて相師に問うに、相師答えて言さく、この児生まれ已らば定んで当に父を害すべしと。この語を聞くといえどもなお瞻養せらる。むかし智者のかくのごときの言を作ししことを聞きき。もし人、母と通じ、および比丘尼を汚し、僧祇物を偸み、無上菩提心を発せる人を殺し、およびその父を殺せん。かくのごときの人は、必定して当に阿鼻地獄に堕すべしと。我今身心あに痛まざることを得んや。SIN:SYOZEN2-83/-HON-254,255,HOU-367,368-

 ◎大臣復言。惟願大王且莫愁苦。乃至。一切衆生皆有余業。以業縁故数数受生死。若使先生有余業者。王今殺之。竟有何罪。惟願大王寛意莫愁。何以故。若常愁苦。愁遂増長。如人喜眠眠則滋多。貪婬嗜酒亦復如是。乃至。刪闍耶毘羅肱子。
  ◎(涅槃経・梵行品)大臣また言わく、やや願わくは大王、また愁苦することなかれと。乃至。一切衆生にみな余業あり。業縁をもってのゆえにしばしば生死を受く。もし先生に余業有らしめば、王今これを殺さんに、竟に何の罪かあらん。やや願わくは大王、意を寛〈ゆたか〉にして愁うることなかれ。何をもってのゆえに、もし常に愁苦すれば、愁ついに増長す。人、眠を喜〈この〉めば、眠すなわち滋く多きがごとし。淫を貪し酒を嗜むも、またかくのごとし。乃至。刪闍耶〈邪〉毘羅胝子。SIN:SYOZEN2-83/-HON-255,HOU-368-

 ◎復有一臣名悉知義。即至王所作如是言。乃至。王即答言。我今身心豈得無痛。乃至。先王無辜。横興逆害。我亦曽聞智者説言。若有害父。当於無量阿僧祇劫受大苦悩。我今不久必堕地獄。又無良医救療我罪。
  ◎(涅槃経・梵行品)またひとりの臣あり、悉知義と名づく。すなわち王の所に至りて、かくのごときの言を作さく。乃至。王すなわち答えて言わまく、我今身心あに痛みなきことを得んや。乃至。先王、辜なきに、横に逆悪を興ず。我またむかし智者の説きて言いしを聞きき。もし父を害することあれば、当に無量阿僧祇劫において、大苦悩を受くべしと。我今久しからずして、必ず地獄に堕せん。また良医の我が罪を救療することなけんと。SIN:SYOZEN2-83,84/-HON-255,HOU-368-

 ◎大臣即言。惟願大王放捨愁苦。王不聞邪。昔者有王名曰羅摩。害其父已得紹王位。跋提大王・毘楼真王・那[ゴ02]沙王・迦帝迦王・毘舎[キャ02]王・月光明王・日光明王・愛王・持多人王。如是等王皆害其父得紹王位。然無一王入地獄者。於今現在毘瑠璃王・優陀邪王・悪性王・鼠王・蓮華王。如是等王皆害其父。悉無一王生愁悩者。雖言地獄餓鬼天中。誰有見者。大王唯有二有。一者人道。二者畜生。雖有是二。非因縁生非因縁死。若非因縁。何者有善悪。惟願大王勿懐愁怖。何以故。若常愁苦。愁遂増長。如人喜眠眠則滋多。貪婬嗜酒亦復如是。乃至。阿耆多翅金欽婆羅。乃至。
  ◎(涅槃経・梵行品)大臣すなわち言さく、やや願わくは大王、愁苦を放捨せよ。王聞きたまわずや、むかし王ありき、名づけて羅摩と曰いき。その父を害し已りて王位を紹ぐことを得たりき。跋提大王・毘楼真王・那[ゴ02]沙王・迦帝迦王・毘舎[キャ02]王・月光明王・日光明王・愛王・持多人王、かくのごときらの王、みなその父を害して王位を紹ぐことを得たりき。しかるにひとりとして王の地獄に入る者なし。いま現在に、毘瑠璃王・優陀耶王・悪性王・鼠王・蓮華王、かくのごときらの王、みなその父を害せりき。ことごとくひとりとして王の愁悩を生ずる者なし。地獄・餓鬼・天中と言うといえども、誰か見る者あるや。大王、ただ二つの有あり、一には人道、二には畜生なり。この二ありといえども、因縁生にあらず、因縁死にあらず。もし因縁にあらずは、何者か善悪あらん。やや願わくは大王、愁怖を懐くことなかれ。何をもってのゆえに、もし常に愁苦すれば、愁ついに増長す。人、眠を喜めば、眠すなわち滋く多きがごとし。淫を貪し酒を嗜むも、またかくのごとしと。乃至。阿耆多翅舎欽婆羅。乃至。SIN:SYOZEN2-84/HON-255,256,HOU-368,369-

 ◎復有大臣名曰吉徳。乃至。言地獄者。為有何義。臣当説之。地者名地。獄者名破。破於地獄無有罪報。是名地獄。又復地者名人。獄者名天。以害其父故到人天。以是義故。婆蘇仙人唱言。殺羊得人天楽。是名地獄。又復地者名命。獄者名長。以殺彼寿命長〈以殺生故得寿命〉故名地獄。大王是故当知実無地獄。大王如種麦得麦。種稲得稲。殺地獄者還得地獄。殺害於人応還得人。大王今当聴臣所説実無殺害。若有我者。実亦無害。若無我者。復無所害。何以故。若有我者。常無変易。以常住故不可殺害。不破・不壊・不繋・不縛・不瞋・不喜猶如虚空。云何当有殺害之罪。若無我者。諸法無常。以無常故念念壊滅。念念滅故殺者・死者皆念念滅。若念念滅。誰当有罪。大王如火焼木。火則無罪。如斧斫樹。斧亦無罪。如鎌刈草。鎌実無罪。如刀殺人。刀実非人。刀既無罪。人云何罪。如毒殺人。毒実非人。毒薬非罪人。云何罪。一切万物皆亦如是。実無殺害。云何有罪惟願大王莫生愁苦。何以故。若常愁苦。愁遂増長。如人喜眠眠則滋多。貪婬嗜酒亦復如是。今有大師名迦羅鳩駄迦旃延。乃至。
  ◎(涅槃経・梵行品)また大臣あり、名づけて吉徳と曰う。乃至。地獄と言うは、何の義ありとせん。臣当にこれを説くべし。地は地に名づく、獄は破に名づく。地獄を破せん、罪報あることなけん。これを地獄と名づく。また地は人に名づく、獄は天に名づく。その父を害するをもってのゆえに、人天に到らん。この義をもってのゆえに、婆蘇仙人唱えて言わく、羊を殺して人天の楽を得、これを地獄と名づく。また地は命に名づく、獄は長に名づく。彼の寿命の長を殺すをもっての故に〈殺生をもっての故に寿命の長を得るが故に〉地獄と名づく。大王、このゆえに当に知るべし、実に地獄なしということを。大王、麦を種えて麦を得、稲を種えて稲を得るがごとし。地獄を殺さば、還りて地獄を得ん。人を殺害しては、まさに還りて人を得べし。大王、今まさに臣の所説を聴くに、実に殺害なかるべし。もし有我ならば実にまた害けん。もし無我ならばまた害するところなけん。何をもってのゆえに。もし有我ならば常にして変易なし。常住をもってのゆえに、殺害すべからず。不破・不壊・不繋・不縛・不瞋・不喜は、虚空のごとし。いかんぞ当に殺害の罪あるべき。もし無我ならば、諸法無常なり。無常をもってのゆえに、念念に壊滅すべし。念念に滅するがゆえに、殺者・死者、みな念念に滅すべし。もし念念に滅せば、誰かまさに罪あるべき。大王、火の木を焼くに、火すなわち罪なきがごとし。斧の樹を斫るに、斧また罪なきがごとし。鎌の草を刈るに、鎌実に罪なきがごとし。刀の人を殺すに、刀実に人にあらず、刀すでに罪なきがごとし。人、いかんぞ罪あらんや。毒、人を殺す、毒実に人にあらず。毒薬、罪にあらざるがごとし。人、いかんぞ罪あらんや。一切万物、みなまたかくのごとし。実に殺害なけん。いかんぞ罪あらんや。やや願わくは大王、愁苦を生ずることなかれ。何をもってのゆえに、もし常に愁苦せば、愁ついに増長せん。人、眠を喜めば、眠すなわち滋く多きがごとし。淫を貪し酒を嗜むも、またかくのごとし。いま大師あり、迦羅鳩駄迦旃延と名づく。乃至。SIN:SYOZEN2-84,85/-HON-256,257,HOU-369,370-

 ◎復有一臣名無所畏。乃至。今有大師名尼乾陀若[ケン01]〈提〉子。乃至。
  ◎(涅槃経・梵行品)またひとりの臣あり、無所畏と名づく。乃至。いま大師あり、尼乾陀若[ケン01]〈提〉子」と名づく。乃至。SIN:SYOZEN2-85/-HON-257,HOU-370-

 ◎爾時大医。名曰耆婆。往至王所白言。大王得安眠不。王以偈答言。乃至。耆婆我今病重。於正法王興悪逆害。一切良医妙薬呪術善巧瞻病所不能治。何以故。我父法王如法治国。実無辜咎。横加逆害。如魚処陸。乃至。我昔曽聞智者説言。身口意業若不清浄。当知是人必堕地獄。我亦如是。云何当得安穏眠邪。今我又無無上大医。演説法薬除我病苦。
  ◎(涅槃経・梵行品)その時に大医あり、名づけて耆婆と曰う。往きて王の所に至りて、白して言さく、大王、安眠することを得んや、いなや。王、偈をもって答えて言わまく。乃至。耆婆、我今病重し。正法の王において悪逆の害を興こす。一切の良医の妙薬、呪術、善巧、瞻病の治することあたわざるところなり。何をもってのゆえに。我が父法王、法のごとく国を治めたまう。実に辜なし。横に悪逆を加す、魚の陸に処するがごとし。乃至。我昔かつて智者説きて言いしことを聞きき。身口意の業もし清浄ならざれば、当に知るべし、この人必ず地獄に堕せんと。我またかくのごとし。いかんぞ当に安穏に眠ることを得べきや。今我また無上の大医の、法薬を演説せんに、我が病苦を除くことなし。SIN:SYOZEN2-85/-HON-257,HOU-370-

 ◎耆婆答言。善哉善哉。王雖作罪。心生重悔而懐慚愧。大王。諸仏世尊常説是言。有二白法能救衆生。一慚。二愧。慚者自不作罪。愧者不教他作。慚者内自羞耻。愧者発露向人。慚者羞人。愧者羞天。是名慚愧。無慚愧者。不名為人。名為畜生。有慚愧故則能恭敬父母師長。有慚愧故説有父母兄弟姉妹。善哉大王。具有慚愧。乃至。如王所言。無能治者。大王当知。迦毘羅城浄飯王子。姓瞿曇氏。字悉達多。無師覚悟。自然而得阿耨多羅三藐三菩提。乃至。是仏世尊。有金剛智能破衆生一切悪罪。若言不能。無有是処。乃至。大王。如来有弟提婆達多。破壊衆僧。出仏身血。害蓮華比丘尼。作三逆罪。如来為説種種法要。令其重罪尋得微薄。是故如来為大良医。非六師也。乃至。大王。作一逆者則便具受如是一罪。若造二逆罪則二倍。五逆具者罪亦五倍。大王。今定知。王之悪業必不得免。惟願大王。速往仏所。除仏世尊余無能救。我今愍汝故相勧導。爾時大王聞是語已。心懐怖懼。挙身戦慓。五体掉動如芭蕉樹。仰而答曰。天為是誰。不現色像而但有声。大王吾是汝父頻婆沙羅。汝今当随耆婆所説。莫随邪見六臣之言。時聞已悶絶躄地。身瘡増劇。臭穢倍前。雖以冷薬塗治療瘡。瘡蒸毒熱但増無損。已上。略出。
  ◎(涅槃経・梵行品)耆婆、答えて言わく、善いかな、善いかな、王、罪を作すといえども、心に重悔を生じ慙愧を懐けり。大王、諸仏世尊常にこの言を説きたまわく、二つの白法ありて、よく衆生を救う。一には慙、二には愧なり。慙とは自ら罪を作らず、愧とは他を教えて作さしめず。慙は内に自ら羞恥す、愧とは発露して人に向かう。慙とは人に羞ず、愧とは天に羞ず。これを慙愧と名づく。無慙愧の者は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。慙愧あるがゆえに、すなわちよく父母師長を恭敬す。慙愧あるがゆえに、父母兄弟姉妹あることを説く。善いかな大王、具に慙愧ありと。乃至。王の言うところのごとし、よく治する者なけん。大王、当に知るべし、迦毘羅城に浄飯王の子、姓は瞿曇氏、字は悉達多となづく。師なくして覚悟せり。自然にして阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと。乃至。これ仏世尊なり。金剛の智ましまして、よく衆生の一切の悪罪を破したまう。もしあたわずと言わば、この処あることなけんと。乃至。大王。如来、弟提婆達多あり。衆僧を破壊し、仏身より血を出だし、蓮華比丘尼を害す、三逆罪を作れり。如来ために種種の法要を説きたまうに、その重罪をしてすなわち微薄なることを得しめたまう。このゆえに如来を大良医とす、六師にあらざるなり。乃至。大王、一逆を作る者は、すなわち具にかくのごとく一罪を受く。もし二逆罪を造らば、すなわち二倍ならん。五逆具ならば、罪もまた五倍ならんと。大王、今定んで知りぬ。王の悪業、必ず免るることを得じ。やや願わくは、大王、速やかに仏の所に往きたまえ。仏世尊を除きて余は、よく救うことなけん。我今汝を愍れむがゆえに、あい勧めて導くなりと。その時に大王、この語を聞き已りて、心に怖懼を懐けり。身を挙げて戦慄す、五体掉動して芭蕉樹のごとし。仰ぎて答えて曰わく、天、これ誰とかせん、色像を現ぜずしてただ声のみありていわく。大王、吾はこれ汝が父頻婆娑羅なり。汝今まさに耆婆が所説に随うべし。邪見六臣の言に随うことなかれと。時に聞き已りて、悶絶して地に躄〈たお〉る。身の瘡〈かさ〉増劇して、臭穢、前よりも倍〈まさ〉れり。冷薬をもって塗り、瘡を治療すといえども、瘡蒸〈あつか〉わし。毒熱ただ増せども損ずることなしと。已上略出。SIN:SYOZEN2-85,86/-HON-257,258,HOU-370,371-

 ◎一 大臣、名日〈曰〉月称、   名富闌那。
   一 大臣、日月称と名づく〈名づけて月称と曰う〉、  富闌那と名づく。SIN:SYOZEN2-86/HON-259,HOU-371

 ◎二 蔵徳、   名末伽利拘[シャ02]梨子。
   二 蔵徳、   末伽梨拘[シャ02]梨子と名づく。SIN:SYOZEN2-86/HON-259,HOU-371

 ◎三 有一臣、名曰実徳   名刪闍邪毘羅胝子。
   三 一臣あり、名づけて実徳と曰う   刪闍邪毘羅胝子と名づく。SIN:SYOZEN2-87/HON-259,HOU-372

 ◎四 有一臣、名悉知義   名阿耆多翅舎欽婆羅。
   四 一臣あり、悉知義と名づく   阿耆多翅舎欽婆羅と名づく。SIN:SYOZEN2-87/HON-259,HOU-372

 ◎五 大臣、名曰吉徳   婆蘇仙。
   五 大臣、名づけて吉徳と曰う、   婆蘇仙。SIN:SYOZEN2-87/HON-259,HOU-372

 ◎六 迦羅鳩駄迦旃延   名尼乾陀若[ケン01]子。
   六 迦羅鳩駄迦旃延   尼乾陀若提子と名づく。SIN:SYOZEN2-87/HON-259,HOU-372

 ◎又言。善男子。如我所言。為阿闍世王不入涅槃。如是蜜義。汝未能解。何以故。我言為者。一切凡夫。阿闍世王者。普及一切造五逆者。又復為者。即是一切有為衆生。我終不為無為衆生而住於世。何以故。夫無為者非衆生也。阿闍世者即是具足煩悩等者。又復為者。即是不見仏性衆生。若見仏性。我終不為久住於世。何以故。見仏性者非衆生也。阿闍世者即是一切未発阿耨多羅三藐三菩提心者。乃至。又復為者。名為仏性。阿闍者名為不生。世者名怨。以不生仏性故則煩悩怨生。煩悩怨生故不見仏性。以不生煩悩故則見仏性。以見仏性故則得安住大般涅槃。是名不生。是故名為阿闍世。善男子。阿闍者名不生。不生者名涅槃。世名世法。為者名不汚。以世八法所不汚故。無量無辺阿僧祇劫不入涅槃。是故我言為阿闍世無量億劫不入涅槃。善男子。如来蜜語不可思議。仏・法・衆僧亦不可思議。菩薩摩訶薩亦不可思議。大涅槃経亦不可思議。
  ◎(涅槃経・梵行品)また言わく、善男子、我が言うところのごとし、阿闍世王の為に涅槃に入らず。かくのごときの密義は、汝未だ解することあたわず。何をもってのゆえに、我、為と言うは一切凡夫なり。阿闍世は普く一切の五逆を造る者に及ぶ。また為とは、すなわちこれ一切有為の衆生なり。我ついに無為の衆生のためにして世に住せず。何をもってのゆえに。それ無為とは衆生にあらざるなり。阿闍世は、すなわちこれ煩悩等を具足せる者なり。また為とは、すなわちこれ仏性を見ざる衆生なり。もし仏性を見んものには、我ついにために久しく世に住せず。何をもってのゆえに、仏性を見る者は衆生にあらざるなり。阿闍世とは、すなわちこれ一切、未だ阿耨多羅三藐三菩提心を発せざる者なり。乃至。また為とは、名づけて仏性とす。阿闍は、名づけて不生とす。世は、怨に名づく。仏性を生ぜざるをもってのゆえに、すなわち煩悩の怨生ず。煩悩の怨生ずるがゆえに、仏性を見ざるなり。煩悩を生ぜざるをもってのゆえに、すなわち仏性を見る。仏性を見るをもってのゆえに、すなわち大般涅槃に安住することを得。これを不生と名づく。このゆえに名づけて阿闍世とす。善男子、阿闍とは不生に名づく。不生とは涅槃と名づく。世をは世法に名づく。為は不汚に名づく。世の八法をもって汚さざるところなるがゆえに、無量・無辺・阿僧祇劫に涅槃に入らずと。このゆえに我、阿闍世の為に無量億劫に涅槃に入らずと言えり。善男子、如来の密語、不可思議なり。仏・法・衆僧、また不可思議なり。菩薩摩訶薩もまた不可思議なり。『大涅槃経』もまた不可思議なり。SIN:SYOZEN2-87,88/HON-259,260,HOU-372,373-

 ◎爾時世尊大悲導師。為阿闍世王入月愛三昧。入三昧已放大光明。其光清涼。往照王身。身瘡即愈。乃至。王言耆婆〈白王言耆婆〉。彼天中天。以何因縁放斯光明。耆婆答言。大王。今是瑞相相似為及。以王先言世無良医療治身心故。放此光先治王身。然後及心。王言耆婆〈白王言耆婆〉。如来世尊亦見念邪。耆婆答言。譬如一人而有七子。是七子中遇病。火母之心非不平等。然於病子心則偏重。大王。如来亦爾。於諸衆生非不平等。然於罪者心則偏重。於放逸者仏則慈念。不放逸者心則放捨。何等名為不放逸者。謂六住菩薩。大王。諸仏世尊於諸衆生不観種姓老少中年貧富時節日月星宿工巧下賎僮僕婢使。唯観衆生有善心者。若有善心則便慈念。大王当知。如是瑞相即是如来入月愛三昧所放光明。王即問言。何等名為月愛三昧。耆婆答言。譬如月光能令一切優鉢羅華開敷鮮明。月愛三昧亦復如是能令衆生善心開敷。是故名為月愛三昧。大王。譬如月光能令一切行路之人心生歓喜。月愛三昧亦復如是。能令修習涅槃道者心生歓喜。是故復名月愛三昧。乃至。諸善中王。為甘露味。一切衆生之所愛楽。是故復名月愛三味。乃至。
  ◎(涅槃経・梵行品)その時に、世尊大悲導師、阿闍世王のために月愛三昧に入りたまう。三昧に入り已りて大光明を放つ。その光清涼にして、往きて王身を照らしたまうに、身の瘡すなわち癒えぬ。乃至。王言さく〈王に白して言さく〉、耆婆、彼は天中の天なり。何の因縁をもってこの光明を放ちたまうや。耆婆答えて言わく、大王、今この瑞相は為に及ぼすにあい似たり。王、先に、世に良医の身心を療治するものなしと言うをもっての故に、この光を放ちて先ず王の身を治す。しかして後に心に及ぼす。王の耆婆に言わまく、如来世尊もまた見たてまつらんと念うをやと。耆婆答えて言わく、たとえば一人にしかも七子あらん。この七子の中に、病に遇えば、父母の心平等ならざるにあらざれども、しかも病子において心すなわち偏に重からんがごとし。大王、如来もまた爾なり。もろもろの衆生において平等ならざるにあらざれども、しかるに罪ある者において心すなわち偏に重し。放逸の者において仏すなわち慈悲の念を生ず。不放逸の者は心すなわち放捨す。何等をか名づけて不放逸の者とすると。謂わく六住の菩薩なりと。大王、諸仏世尊は、もろもろの衆生において、種姓、老、少、中年、貧富、時節、日月、星宿、工巧、下賎、僮僕、婢使を観そなわさず。ただ衆生の善心ある者を観そなわしたまう。もし善心あれば、すなわち慈念したまう。大王、当に知るべし、かくのごときの瑞相は、すなわちこれ如来、月愛三昧に入りて放ちたまうところの光明なり。王すなわち問うて言わまく、何等をか名づけて月愛三昧とすると。耆婆答えて言さく、たとえば月光よく一切の優鉢羅華をして開敷し鮮明ならしむるがごとし。月愛三昧もまたかくのごとし、よく衆生をして善心開敷せしむ。このゆえに名づけて月愛三昧とす。大王、たとえば月の光よく一切の路を行く人の心に歓喜を生ぜしむるがごとし。月愛三昧もまたかくのごとし。よく涅槃道を修習せん者をして心に歓喜を生ぜしむ。このゆえにまた月愛三昧と名づくと。乃至。諸善の中の王なり。甘露味とす。一切衆生の愛楽するところなり。このゆえにまた月愛三昧と名づくと。乃至。SIN:SYOZEN2-88/-HON-260,261,HOU-373,374-

 ◎爾時仏告諸大衆言。一切衆生為阿耨多羅三藐三菩提近因縁者。無先善友。何以故。阿闍世王若不随順耆婆語者。来月七日必定命終堕阿鼻獄。是故近日〈因〉。莫若善友。
  ◎(涅槃経・梵行品)その時に、仏、もろもろの大衆に告げて言わく、一切衆生、阿耨多羅三藐三菩提のために近き因縁とは、善友より先なるはなし。何をもってのゆえに。阿闍世王、もし耆婆の語に随順せずは、来月の七日に必定して命終して阿鼻獄に堕せん。このゆえに日に近づかんこと〈この故に近き因は〉、善友にしくはなし。SIN:SYOZEN2-88,89/-HON-261,HOU-374-

 ◎阿闍世王復於前路聞。舎婆提毘瑠璃王。乗船入海辺。遇火而死。瞿伽離比丘。生身入地至阿鼻獄。須那刹多作種種悪。到於仏所衆罪消滅。聞是語已。語耆婆言。吾今雖聞如是二語。猶未審。定汝来。耆婆。吾欲与汝同載一象。設我当入阿鼻地獄。冀汝投持不令我堕。何以故。吾昔曽聞得道之人不入地獄。乃至。
  ◎(涅槃経・梵行品)阿闍世王また前路において舎婆提に聞く、毘瑠璃王〈聞く、舎婆提の毘瑠璃王〉、船に乗じて海辺に入るに、災して死ぬ。瞿伽離比丘、生身に、地に入りて阿鼻獄に至れり。須那刹多は、種種の悪を作りしかども、仏所に到りて衆罪消滅しぬと。この語を聞き已りて、耆婆に語りて言わく、吾今かくのごときのふたりの語を聞くといえども、なお未だ審かならず。定んで汝来れり、耆婆、吾、汝と同じく一象に載らんと欲う。たとい我まさに阿鼻地獄に入るとも、冀〈ねが〉わくは汝捉持〈投持〉して、我をして堕さしめざれと。何をもってのゆえに。吾昔かつて、得道の人は地獄に入らずと聞きき。乃至。SIN:SYOZEN2-89/-HON-261,HOU-374-

 ◎云何説言定入地獄。仏告大王。一切衆生所作罪業凡有二種。一者軽。二者重。若心口作則名為軽。身口心作則名為重。大王。心念口説身不作者。所得報軽。大王。昔日口不勅殺。但言削足。大王若勅侍臣。立斬王首。坐時乃斬。猶不得罪。況王不勅。云何得罪。王若得罪。諸仏世尊亦応得罪。何以故。汝父先王頻婆沙羅。常於諸仏種諸善根。是故今日得居王位。諸仏若不受其供養。則不為王。若不為王。汝則不得為国生害。若汝殺父当有罪者。我等諸仏亦応有罪。若諸仏世尊無得罪者。汝独云何而得罪邪。
  ◎(涅槃経・梵行品)云何ぞ説きて定んで地獄に入ると言わん。仏、大王に告げたまわく、一切衆生の所作の罪業におよそ二種あり。一には軽、二には重なり。もし心と口とに作るは、すなわち名づけて軽とす。身と口と心とに作るは、すなわち名づけて重とすと。大王、心に念い口に説きて身に作さざれば、得るところの報、軽なり。大王、むかし口に殺せよと勅せず、ただ足を削れと言えりと。大王、もし侍臣に勅せましかば、立ちどころに王の首を斬らまし。坐〈つみ〉の時にすなわち斬るとも、なお罪を得じ。いわんや王勅せず、云何ぞ罪を得ん。王もし罪を得ば、諸仏世尊もまた罪を得たまうべし。何をもってのゆえに。汝が父、先王頻婆沙羅、常に諸仏においてもろもろの善根を種えたりき。このゆえに今日王位に居することを得たり。諸仏もしその供養を受けたまわずは、すなわち王とならざらまし。もし王とならざらましかば、汝すなわち国のために害を生ずることを得ざらまし。もし汝父を殺して当に罪あるべくは、我等諸仏もまた罪あるべし。もし諸仏世尊、罪を得たまうことなくんば、汝独り云何ぞ罪を得んや。SIN:SYOZEN2-89/-HON-261,262,HOU-374,375-

 ◎大王。頻婆沙羅往有悪心。於毘富羅山遊行。射猟鹿周遍曠野。悉無所得。唯見一仙五通具足。見已即生瞋恚悪心。我今遊猟。所以不得正坐。此人駈逐令去。即勅左右而令殺之。其人臨終生瞋。悪心退失神通。而作誓言。我実無辜。汝以心口横加戮害。我於来世亦当如是還以心口而害於汝命。時王聞已。即生悔心供養死屍。先王如是尚得軽受不堕地獄。況王不爾而当地獄受果報邪。先王自作還自受之。云何令王而得殺罪。如王所言父王無辜者。大王云何言無失。有罪者則有罪報。無悪業者則無罪報。汝父先王若無辜罪。云何有報。頻婆沙羅於現世中亦得善果及以悪果。是故先王亦復不定。以不定故殺亦不定。殺不定云何而言定入地獄。
  ◎(涅槃経・梵行品)大王、頻婆沙羅むかし悪心ありて、毘富羅山にして遊行し、鹿を射猟して曠野に周遍せしに、ことごとく得るところなし。ただひとりの仙、五通具足せるを見る。見已りてすなわち瞋恚悪心を生じて、我今遊猟す、このゆえにまさしく坐〈つみ〉を得ず、この人、駆〈か〉りて逐に去らしむ〈得ざるゆえんは、まさしくこの人、駆〈か〉り逐〈お〉うて去らしむるに坐〈ざ〉す〉。すなわち左右に勅してこれを殺さしむ。その人、臨終に瞋〈いか〉りて悪心を生ず。神通を退失して、しかして誓言を作さく、我実に辜なし。汝、心口をもって横に戮害を加す。我来世において、また当にかくのごとく還りて心口をもってして汝命を害すべしと。時に王聞き已りて、すなわち悔心を生じて、死屍を供養しき。先王かくのごとく、なお軽く受くることを得て、地獄に堕ちず。いわんや王はしからずして当に地獄の果報を受くべけんや。先王自ら作りて還りて自らこれを受く。いかんぞ王をして殺罪を得しめんや。王の言うところのごとし。父の王辜なくは、大王いかんぞ失なきに罪ありと言わば、すなわち罪報あらん。悪業なくは、すなわち罪報なけん。汝が父先王、もし辜罪なくは、いかんぞ報あらん。頻婆沙羅、現世の中において、また善果および悪果を得たり。このゆえに先王もまた不定なり。不定をもってのゆえに、殺もまた不定なり。殺不定ならば、云何して定んで地獄に入ると言わん。SIN:SYOZEN2-89,90/-HON-262,263,HOU-375-

 ◎大王。衆生狂惑凡有四種。一者貪狂。二者薬狂。三者呪狂。四者本業縁狂。大王。我弟子中有是四狂。雖多作悪。我終不記是人犯戒。是人所作不至三悪。若還得心亦不言犯。王本貪国。此逆害父王貪狂心与作。云何得罪。大王。如人耽酔逆害其母。既醒悟已心生悔恨。当知是業亦不得報。王今貪酔。非本心作。若非本心。云何得罪。
  ◎(涅槃経・梵行品)大王、衆生の狂惑におよそ四種あり。一には貪狂、二には薬狂、三には呪狂、四には本業縁狂なり。大王、我が弟子の中にこの四狂あり。多く悪を作るといえども、我ついにこの人犯戒なりと記せず。この人の所作、三悪に至らず。もし還りて心を得ば、また犯と言わず。王、もと、国を貪してこれ父の王を逆害す。貪狂の心をもって与に作せり。いかんぞ罪を得ん。大王、人の耽酔してその母を逆害せん、すでに醒悟し已りて心に悔恨を生ずるがごとし。当に知るべし。この業もまた報を得じ。王今貪酔せり。本心の作せるにあらず。もし本心にあらずは、いかんぞ罪を得んや。SIN:SYOZEN2-90/-HON-263,HOU-375,376-

 ◎大王。譬如幻師於四衢道頭。幻作種種男女象馬瓔珞衣服。愚癡之人謂為真実。有智之人知非真。殺亦如是。凡夫謂実諸仏世尊知其非真。大王。譬如山谷響声。愚癡之人謂之実声。有智之人知其非真〈真有〉殺亦如是。凡夫謂実。諸仏世尊知其非真。大王。如人有怨詐来親附。愚癡之人謂為真実〈実親〉。智者了達乃知其虚詐。殺亦如是。凡夫謂実。諸仏世尊知其非真。大王。如人執鏡自見面像。愚癡之人謂為真面。智者了達知其非真。殺亦如是。凡夫謂実。諸仏世尊知其非真。大王。如熱時炎。愚癡之人謂之是水。智者了達知其非水。殺亦如是。凡夫謂実。諸仏世尊知其非真。大王。如乾闥婆城。愚癡之人謂為真実。智者了達知其非真。殺亦如是。凡夫為〈謂〉実。諸仏世尊了知其非真。大王。如人夢中受五欲楽。愚癡之人謂之為実。智者了達知其非真。殺亦如是。凡夫謂実。諸仏世尊知其非真。大王。殺法・殺業・殺者・殺果。及以解脱。我皆了之。則無有罪。王雖知殺。云何有罪。大王。譬如有人主知典酒。如其不飲則亦不酔。雖復知火不焼燃。王亦如是。雖復知殺。云何有罪。大王。有諸衆生。於日出時作種種罪。於月出時復行劫盗。日月不出則不作罪。雖因日月令其作罪。然此日月実不得罪。殺亦如是。乃至。
  ◎(涅槃経・梵行品)大王、たとえば幻師の、四衢道の頭にして種種の男女・象馬・瓔珞・衣服を幻作するがごとし。愚痴の人は謂〈おも〉って真実とす。有智の人は真有〈真〉にあらずと知れり。殺〈有殺〉もまたかくのごとし。凡夫は実と謂〈おも〉えり、諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、たとえば山谷の響の声のごとし。愚痴の人はこれを実の声と謂えり、有智の人はそれ真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫は実と謂えり、諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、人の怨あるが詐り来りて親附するごとし。愚痴の人は謂うて真実〈実に親しむ〉とす。智者は了達すなわちその虚詐なりと知る。殺もまたかくのごとし。凡夫は実と謂わん。諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、人の、鏡を執りて自ら面像を見るがごとし。愚痴の人は謂うて真の面とす。智者は了達してそれ真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫は実と謂わん。諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、熱の時の炎のごとし。愚痴の人はこれをこれ水なりと謂わん。智者は了達してそれ水にあらずと知る。殺もまたかくのごとし。凡夫は実なりと謂わん。諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、乾闥婆城のごとし。愚痴の人は謂うて真実とす。智者は了達してそれ真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫は実とす〈謂えり〉。諸仏世尊はそれ真にあらずと了知せしめたまえり。大王、人の夢中に五欲の楽を受くるがごとし。愚痴の人はこれを謂うて実とす。智者は了達してそれ真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫は実なりと謂えり、諸仏世尊はそれ真にあらずと知れり。大王、殺の法、殺の業、殺の者、殺の果、および解脱、我みなこれを了れり、すなわち罪あることなし。王、殺を知るといえども、いかんぞ罪あらんや。大王、たとえば人主ありて酒を典〈つかさど〉れりと知れども、もしそれ飲まざればすなわちまた酔わざるがごとし。また火と知るといえども焼燃せず。王もまたかくのごとし。また殺を知るといえども云何ぞ罪あらん。大王、もろもろの衆生ありて、日の出ずる時において種種の罪を作る。月の出ずる時においてまた劫盗を行ぜん。日月出でざるに、すなわち罪を作らず。日月に因りてそれ罪を作らしむるといえども、しかもこの日月は実に罪を得ず。殺もまたかくのごとし。乃至。SIN:SYOZEN2-90,91/-HON-263,264,HOU-376,377-

 ◎大王。譬如涅槃非有非無而亦是有。殺亦如是。雖非有非無而亦是有。慚愧之人則為非有。無慚愧者則為非無。受果報者名之為有。空見之人則為非有。有見之人則為非無。有有見者亦名為有。何以故。有有見者得果報故。無有見者則無果報。常見之人則為非有。無常見者則為非無。常常見者不得為無。何以故。常常見者有悪業果故。是故常常見者不得為無。以是義故。雖非有非無而亦是有。大王。夫衆生者名出入息。断出入息故名為殺。諸仏随俗亦説為殺。乃至。
  ◎(涅槃経・梵行品)大王、たとえば涅槃は有にあらず、無にあらずして、またこれ有なるがごとし。殺もまたかくのごとし。非有・非無にしてまたこれ有なりといえども、慙愧の人はすなわちすなわち非有とす。無慙愧の者〈ひと〉はすなわち非無とす。果報を受くる者、これを名づけて有とす。空見の人は、すなわち非有とす。有見の人は、すなわち非無とす。有有見の者は、また名づけて有とす。何をもってのゆえに、有有見の者は果報を得るがゆえに、無有見の者はすなわち果報なし。常見の人はすなわち非有とす。無常見の者はすなわち非無とす。常常見の者は無とすることを得ず。何をもってのゆえに、常常見の者は悪業の果あるがゆえに、このゆえに常常見の者は無とすることを得ず。この義をもってのゆえに、非有非無んりといえども、しかもまたこれ有なりと。大王、それ衆生は出入の息に名づく。出入の息を断つがゆえに、名づけて殺とす。諸仏、俗に随いて、また説きて殺とす。乃至。SIN:SYOZEN2-91,92/-HON-264,265,HOU-377,378-

 ◎世尊。我見世間。従伊蘭子生伊蘭樹。不見伊蘭生栴檀樹者。我今始見従伊蘭子生栴檀樹。伊蘭子者。我身是也。栴檀樹者。即是我心無根信也。無根者。我初不知恭敬如来。不信法僧。是名無根。世尊。我若不遇如来世尊。当於無量阿僧祇劫在大地獄受無量苦。我今見仏。以是見仏所得功徳破壊衆生煩悩悪心。仏言。大王。善哉善哉。我今知汝必能破壊衆生悪心。世尊。若我審能破壊衆生諸悪心者。使我常在阿鼻地獄。無量劫中為諸衆生受苦悩。不以為苦。爾時摩伽陀国無量人民。悉発阿耨多羅三藐三菩提心。以如是等無量人民発大心故。阿闍世王所有重罪即得微薄。王及夫人・後宮・釆女。悉皆同発阿耨多羅三藐三菩提心。爾時阿闍世王語耆婆言。耆婆。我今未死已得天身。捨於短命而得長命。捨無常身而得常身。令諸衆生発阿耨多羅三藐三菩提心。乃至。諸仏弟子説是語已。即以種種宝幢。乃至。復以偈頌而讃嘆言。
  ◎(涅槃経・梵行品)世尊、我世間を見るに、伊蘭の子より伊蘭樹を生ず。伊蘭より栴檀樹を生ずるものを見ず。我今始めて伊蘭の子より栴檀樹を生ずるを見る。伊蘭子は、我が身これなり。栴檀樹とは、すなわちこれ我が心、無根の信なり。無根とは、我初めより如来を恭敬せんことを知らず。法・僧を信ぜず。これを無根と名づく。世尊、我もし如来世尊に遇わずは、まさに無量阿僧祇劫において、大地獄に在りて無量の苦を受くべし。我今仏を見たてまつる。この見仏所得の功徳をもって、衆生の煩悩悪心を破壊せしむ。仏の言わく、大王、善いかな、善いかな、我いま、汝必ずよく衆生の悪心を破壊することを知れり。世尊、もし我審かによく衆生のもろもろの悪心を破壊せば、我常に阿鼻地獄に在りて、無量劫の中にもろもろの衆生のために苦悩を受けしむとも、もって苦とせじ。その時に摩伽陀国の無量の人民、ことごとく阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。かくのごときらの無量の人民、大心を発するをもってのゆえに、阿闍世王の所有の重罪、すなわち微薄なることを得たり。王および夫人、後宮、采女、ことごとくみな同じく阿耨多羅三藐三菩提心を発しき。その時に阿闍世王、耆婆に語りて言わく、耆婆、我いま未だ死せずしてすでに天身を得たり。短命を捨てて、しかも長命を得たり。無常の身を捨てて、しかして常身を得たり。もろもろの衆生をして阿耨多羅三藐三菩提心を発せしむ。乃至。諸仏の弟子、この語を説き已りて、すなわち種種の宝幢をもって、乃至。また偈頌をもって讃嘆して言さく、SIN:SYOZEN2-92,93/-HON-265,266,HOU-378-

 ◎実語甚微妙善巧於句義 甚深祕蜜蔵為衆故顕示 所有広博言為衆故略説 具足如是語善能療衆生 若有諸衆生得聞是語者 若信及不信定知是仏説 諸仏常軟語為衆故説麁 麁語及軟語皆帰第一義 是故我今者帰依於世尊 如来語一味猶如大海水 是名第一諦故無無義語 如来今所説種種無量法 男女大小聞同獲第一義 無因亦無果無生亦無滅 是名大涅槃聞者破諸結 如来為一切常作慈父母 当知諸衆生皆是如来子 世尊大慈悲為衆修苦行 如人著鬼魅狂乱多所為 我今得見仏所得三業善 願以此功徳回向無上道 我今所供養仏法及衆僧 願以此功徳三宝常在世 我今所当獲種種諸功徳 願以此破壊衆生四種魔 我遇悪知識造作三世罪 今於仏前悔願後更莫造 願諸衆生等悉発菩提心 繋心常思念十方一切仏 復願諸衆生永破諸煩悩 了了見仏性猶如妙徳等
  ◎(涅槃経・梵行品)実語はなはだ微妙なり、善く句義に巧みなり、甚深秘密の蔵なり、衆のためのゆえに、あらゆる広博の言を顕示す。衆のためのゆえに略して説かく、かくのごときの語を具足して、よく衆生を療す。もしもろもろの衆生ありて、この語を聞くことを得る者は、もしは信および不信、定んでこの仏説を知らん。諸仏は常に軟語をもって、衆のためのゆえに麁を説きたまう。麁語および軟語、みな第一義に帰せん。このゆえに我いま、世尊に帰依したてまつる。如来の語は一味なること、なお大海の水のごとし。これを第一諦と名づく。故に無無義の語をもって、如来いま種種の無量の法を説きたまうところなり。男女・大小、聞きて、同じく第一義を獲しめん。無因また無果なり、無生また無滅なり、これを大涅槃と名づく。聞く者、諸結を破す。如来、一切のために、常に慈父母と作りたまえり。当に知るべし、もろもろの衆生は、みなこれ如来の子なり。世尊大慈悲は、衆のために苦行を修したまう。人の鬼魅に著〈くる〉わされて、狂乱して所為多きがごとし。我いま仏を見たてまつることを得たり。得るところの三業の善、願わくはこの功徳をもって、無上道に回向せん。我いま供養するところの仏・法および衆僧、願わくはこの功徳をもって、三宝常に世にましまさん。我いま当に獲べきところの種種のもろもろの功徳、願わくはこれをもって、衆生の四種の魔を破壊せん。我、悪知識に遇うて、三世の罪を造作せり。いま仏前にして悔ゆ、願わくは後にまた造ることなからん。願わくはもろもろの衆生をして等しくことごとく菩提心を発さしめん。心を繋けて常に、十方一切仏を思念したてまつる。また願わくはもろもろの衆生、永くもろもろの煩悩を破し、了了に仏性を見ること、なお妙徳のごとくして等しからん。SIN:SYOZEN2-93,94/-HON-266,267,HOU-378,379,380-

 ◎爾時世尊讃阿闍世王。善哉善哉。若有人能発菩提心。当知是人則為荘厳諸仏大衆。大王。汝昔已於毘婆尸仏。初発阿耨多羅三藐三菩提心。従是已来至我出世。於其中間。未曽復堕於地獄受苦。大王。当知菩提之心乃有如是無量果報。大王。従今已往。常当懃修菩提之心。何以故。従是因縁当得消滅無量悪故。爾時阿闍世王及摩伽陀国挙人民。従座而起。遶仏三匝。辞退還宮。已上。抄出。
  ◎(涅槃経・梵行品)その時に、世尊、阿闍世王を讃めたまう。善いかな、善いかな、もし人ありてよく菩提心を発さん。当に知るべし、この人はすなわち諸仏大衆を荘厳すとす。大王、汝昔すでに毘婆尸仏のみもとにして、初めて阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。これよりこのかた、我が出世に至るまで、その中間において、未だかつてまた地獄に堕して苦を受けず。大王、当に知るべし、菩提の心はいましかくのごとき無量の果報あり。大王、今より已往に、常に当に懃〈ねんごろ〉に菩提の心を修すべし。何をもってのゆえに、この因縁に従って、当に無量の悪を消滅することを得べきがゆえなり。その時に阿闍世王および摩伽陀国の人民挙って座よりして起ちて仏を遶ること三匝して、辞退して宮に還りにきと。已上抄出。SIN:SYOZEN2-94/-HON-268,HOU-381

 ◎又言。善男子。羅閲祇王頻婆沙羅。其王太子名曰善見。業因縁故。生悪逆心欲害其父。而不得便。爾時悪人提婆達多。亦因過去業因縁故。復於我所生不善心欲害於我。即修五通。不久獲得与善見太子共為親原。為太子故現作種種神通之事。従非門出従門而入。従門而出非門而入。或時示現象馬牛羊男子之身。善見太子見已。即生愛心喜心敬信之心。為是本故厳説種種供養之具而供養之。
  ◎(涅槃経・迦葉品)また言わく、善男子、羅閲祇の王頻婆沙羅、その王の太子、名づけて善見と曰う。業因縁のゆえに悪逆の心を生じて、その父を害せんとするに便りを得ず。その時に悪人提婆達多、また過去の業因縁に因るがゆえに、また我が所において不善の心を生じて、我を害せんと欲す。すなわち五通を修して、久しからずして、善見太子と共に親厚たることを獲得せり。太子のためのゆえに、種種の神通の事を現作す。門にあらざるより出でて門よりして入る。門よりして出でて門にあらざるよりして入る。ある時は象馬牛羊男子の身を示現す。善見太子見已りて、すなわち愛心・喜心・敬信の心を生ず。これを本とするがゆえに、厳しく種種の供養の具を説きて、これを供養す。SIN:SYOZEN2-94/HON-268,HOU-381-

 ◎又復白言。大師聖人。我今欲見曼陀羅華。時提婆達多即便法至三十三天。従彼天人而求索之。其福尽故都無与者。既不得華作是思惟。曼陀羅樹無我我所。若自取当有何罪。即前欲取。便失神通。還見己身在王舎城。心生慚愧不能復見。善見太子復作是念。我今当往至如来所求索大衆。仏若聴者。我当随意教詔勅便舎利弗等爾時提婆達多。便来我所作如是言。唯願如来。以此大衆付属於我。我当種種説法教化令其調伏。我言癡人。舎利弗等聴聞大智。世所信伏。我猶不以大衆付属。況汝癡人食唾者乎。時提婆達多復於我所倍生悪心。作如是言。瞿雲。汝今雖復調伏大衆。勢亦不久。当見磨滅。作是語已。大地即時六反震動。提婆達多尋時躄地。於其身辺出大暴風。吹諸塵土而汚[フン01]之。提婆達多見悪相已。復作是言。若我此身現世必入阿鼻地獄。我悪当報如是大悪。
  ◎(涅槃経・迦葉品)また白して言さく、大師聖人、我いま曼陀羅華を見んと欲す。時に提婆達多、すなわち法として三十三天に至りて、かの天人に従うてこれを求索するに、その福尽くるがゆえにすべて与うる者なし。すでに華を得ず。この思惟を作さく、曼陀羅樹は我・我所なし、もし自ら取らんに当に何の罪かあるべき。すなわち前んで取らんと欲するに、すなわち神通を失えり。還りて己身を見れば王舎城にあり。心に慙愧を生ずるに、また善見太子を見ることあたわず。またこの念を作さく、我いま当に如来の所に往至して、大衆を求索すべしと。仏もし聴さば、我当に意に随いて、教えてすなわち舎利弗等に詔勅すべしと。その時に提婆達多、すなわち我が所に来たりてかくのごときの言を作さく、やや願わくは如来、この大衆をもって我に付嘱せよ、我当に種種に法を説きて教化して、それをして調伏せしむべしと。我、痴人に言わく、舎利弗等は大智を聴聞して、世に信伏するところなり。我なお大衆をもって付嘱せず。いわんや汝痴人、唾を食らう者をやと。時に提婆達多、また我が所においてますます悪心を生じて、かくのごときの言を作さく、瞿曇、汝いままた大衆を調伏すといえども、勢また久しからじ。当に磨滅するを見るべしと。この語を作し已るに、大地即時に六反震動す。提婆達多、すなわち時に地に躄〈たふ〉れて、その身の辺において大暴風を出だして、もろもろの塵土を吹き、しかもこれを汚[フン01]す。提婆達多、悪相を見已りて、またこの言を作さく、もし我、この身、現世に必ず阿鼻地獄に入らば、我、悪〈かなら〉ずまさにかくのごときの大悪を報うべしと。SIN:SYOZEN2-94,95/-HON-268,269,HOU-381,382-

 ◎時提婆達多尋起。往至善見太子所。善見見已即問聖人。何故顔容憔悴有憂色邪。提婆達多言。我常如是。汝不知乎。善見答言。領説其意。何因縁爾。提婆達多言。我今与汝極成親愛。外人罵汝以為非理。我聞是事。豈得不憂。善見太子復作是言。国人云何罵辱於我。提婆達言。国人罵汝為未生怨。善見復言。何故名我為未生怨。誰作此名。提婆達言。汝未生時。一切相師皆作是言。是兒生已。当殺其父。是故外人皆悉号汝為未生怨。一切内人護汝心故謂為善見。毘提夫人聞是語已。既生汝身於高楼上棄之於地。壊汝一指。以是因縁人復号汝為婆羅怨枝。我聞是已。心生愁憤。而復不能向汝説之。提婆達多以如是等種種悪事教令殺父。若汝父死。我亦能殺瞿曇沙門。
  ◎(涅槃経・迦葉品)時に提婆達多、すなわち起ちて、善見太子の所に往至す。善見見已りてすなわち聖人に問わく、何がゆえぞ、顔容憔悴して憂の色あるやと。提婆達多言わく、我常にかくのごとし、汝知らずやと。善見答えて言わく、領〈ねが〉わくはその意を説くべし。何の因縁あってか爾なるやと。提婆達の言わく、我いま汝と極めて親愛を成す。外人、汝を罵りてもって非理とす。我この事を聞くに、あに憂えざることを得んや。善見太子、またこの言を作さく、国の人、いかんぞ我を罵辱するやと。提婆達の言わく、国の人、汝を罵りて未生怨とす。善見また言わく、何がゆえぞ我を名づけて未生怨とする。誰かこの名を作すと。提婆達の言わく、汝未だ生まれざりし時、一切の相師みなこの言を作さく、この児生まれ已りて当にその父を殺すべしと。このゆえに外人みなことごとく、汝を号して未生怨とす。一切の内の人、汝が心を護るがゆえに、謂うて善見とすと。毘提夫人この語を聞き已りて、すでに汝が身を生まんとして、高楼の上にして、これを地に棄てしに、汝が一の指を壊れり。この因縁をもって、人また汝を号して婆羅留枝とす。我これを聞き已りて、心に愁憤を生じてまた汝に向かいてこれを説くことあたわず。提婆達多、かくのごときらの種種の悪事をもって、教えて父を殺せしむ。もし汝が父死せば、我またよく瞿曇沙門を殺さんと。SIN:SYOZEN2-95,96/-HON-269,270,HOU-382,383-

 ◎善見太子問一大臣。名曰雨行。大王何故為我立字作未生怨。大臣即為説其本末。如提婆達所説無異。善見聞已。即与大臣收其父王閉之城外。以四種兵而守衞之。毘提夫人聞是事已。即至王所。時守王人遮不聴入。爾時夫人生瞋恚心。便呵罵之。時諸守人即告太子。大王夫人欲見父王。不審聴不。善見聞已復生瞋嫌。即往母所。前牽母髮抜刀欲斫。爾時耆婆白言。大王。有国已来。罪雖極重不及女人。況所生母。善見太子聞是語已。為耆婆故即便放捨。遮断大王衣服臥具飲食湯薬。過七日已王命便終。
  ◎(涅槃経・迦葉品)善見太子、一の大臣に問わく、名づけて雨行と曰う。大王、何がゆえぞ我がために字を立てて未生怨と作るや。大臣、すなわちためにその本末を説く、提婆達の所説のごとくして異なることなし。善見聞き已りて、すなわち大臣とともにその父の王を収りて、これを城の外に閉ず。四種の兵をもって、これを守衛せしむ。毘提夫人、この事を聞き已りてすなわち王の所に至る。時に王を守る人、遮りて入ることを聴さず。その時に夫人、瞋恚の心を生じて、すなわち呵してこれを罵る。時にもろもろの守人、すなわち太子に告ぐらく、大王の夫人、父の王を見んと欲う、いぶかし、聴してんや、いなやと。善見聞き已りてまた瞋嫌を生じて、すなわち母の所に往きて、前んで母の髪を牽きて、刀を抜きて斫らんとす。その時に耆婆白して言さく、大王、国を有〈たも〉ってよりこのかた、罪極めて重しといえども、女人に及ばず、いわんや所生の母をやと。善見太子、この語を聞き已りて、耆婆のためのゆえにすなわち放捨して、遮りて大王の衣服・臥具・飲食・湯薬を断って、七日を過ぎ已るに、王の命すなわち終わりぬと。SIN:SYOZEN2-96/-HON-270,HOU-383,384-

 ◎善見太子見父喪已。方生悔心。雨行大臣復以種種悪邪之法而為説之。大王。一切業行都無有罪。何故今者而生悔心。耆婆復言。大王当知。如是業者罪業二重。一者殺父王。二者殺須陀[オン01]。如是罪者。除仏更無能除滅者。善見王言。如来清浄無有穢濁。我等罪人云何得見。善男子