『教行信証六要鈔会本』巻第三 行巻
◎憬興師云。如来広説有二。初広説如来浄土果即所行所成也。後広顕衆生往生果〈因果〉即所摂所益也。
◎(述文賛)憬興師の云わく、如来の広説に二あり。初めには広く如来浄土の果〈因果〉、すなわち所行・所成を説きたまえるなり。後には広く衆生往生の因果、すなわち所摂・所益を顕したまえるなり。GYO:SYOZEN2-26/HON-182,HOU-296
〇次憬興釈。大経疏文。彼疏名曰無量寿経連義述文賛。分為三巻。上中下也。今所引者中巻文也。三段之中於正宗分(名曰問答広説分)有六文段。其中今言如来広説第六文段。初説如来浄土因果(今無因字令脱落歟)。上巻所説。後顕衆生往生因果下巻所説。SYOZEN2-252/TAI3-140
〇次に憬興の釈。『大経』の疏の文なり。彼の疏を名づけて『無量寿経連義述文賛』という。分かちて三巻と為す。上・中・下なり。今の所引は中巻の文なり。三段の中に正宗分(名づけて問答広説分という)に於いて六の文段あり。その中に今「如来広説」というは第六の文段なり。初に如来浄土の因果を説くは(今「因」字なし、脱落せしむるか)、上巻の所説なり。後に衆生往生の因果を顕わすは下巻の所説なり。SYOZEN2-252/TAI3-140
◎又云。悲華経諸菩薩本授記品云。爾時宝蔵如来讃転輪王言。善哉善哉。乃至。大王汝見西方。過百千万億仏土有世界。名尊善無垢。彼界有仏。名尊音王如来。乃至。今現在為諸菩薩説於正法。乃至。純一大乗清浄無雑。其中衆生等一化生。亦無女人及其名字。彼仏世界所有功徳清浄荘厳。悉如大王所願無異。乃至。今改汝字為無量清浄。已上。
◎(述文賛)また云わく、『悲華経』の「諸菩薩本授記品」に云わく、その時に宝蔵如来、転輪王を讃めて言わく、善きかな、善きかな。乃至。大王、汝西方を見るに、百千万億の仏土を過ぎて世界あり、尊善無垢と名づく。かの界に仏まします、尊音王如来と名づく。乃至。いま現在にもろもろの菩薩のために、正法を説く。乃至。純一大乗清浄にして無雑なり。その中の衆生、等一に化生なり。また女人およびその名字なし。かの仏世界の所有の功徳、清浄の荘厳、ことごとく大王の所願のごとくして、異なけん。乃至。いま汝が字〈な〉を改めて無量清浄とせんと。已上。GYO:SYOZEN2-26/HON-182,HOU-296
◎無量寿如来会云。広発如是大弘誓願。皆已成就。世間希有。発是願已。如実安住。種種功徳具足。荘厳威徳広大清浄仏土。已上。
◎(述文賛)『無量寿如来会』に云わく、広くかくのごとき大弘誓願を発して、みなすでに成就したまえり。世間に希有なり。この願を発し已りて、実のごとく安住し、種種の功徳具足して、威徳広大清浄仏土を荘厳したまえりと。已上。GYO:SYOZEN2-26/HON-182,HOU-296
〇次悲華経宝積二文。未勘得之。SYOZEN2-252/TAI3-147,148
〇次に『悲華経』『宝積』の二文は未だこれを勘え得ず。SYOZEN2-252/TAI3-147,148
◎又云。福智二厳成就故。備施等衆生行也。以己所修利衆生故。令功徳成。
◎(述文賛)また云わく、福智二厳成就したまえるがゆえに、つぶさに等しく衆生に行を施したまえるなり。己が所修をもって衆生を利したまうがゆえに、功徳成ぜしめたまえり。GYO:SYOZEN2-26/HON-182,HOU-296
〇又云福智二厳等者同巻文也。是解自経恭敬三宝至于功徳成就之文釈也。彼具文云。恭敬三宝即福方便。奉事師長者則智方便。(以下如所引)仏所行外無衆生行。如来回向成就義也。SYOZEN2-252/TAI3-156
〇「また云わく、福・智の二厳」等とは同巻の文なり。これ経の「恭敬三宝」より「功徳成就」の文に至るまでを解する釈なり。彼の具なる文に云わく「恭敬三宝は即ち福の方便。奉事師長は則ち智の方便」。(以下、所引の如し)。仏の所行の外に衆生の行なし。如来の回向成就の義なり。SYOZEN2-252/TAI3-156
◎又云。籍久遠因値仏。聞法可慶喜故。
◎(述文賛)また云わく、久遠の因に籍りて仏に値〈もうあ〉いたてまつるなり。法を聞きて慶喜すべきがゆえにと。GYO:SYOZEN2-26/HON-182,HOU-296
〇又云籍久遠因等文。追可勘之。SYOZEN2-252/TAI3-159
〇「また云わく、久遠の因に籍りて」等の文は追いてこれを勘うべし。SYOZEN2-252/TAI3-159
◎又云。人聖国妙。誰不尽力。作善願生。因善既成。不自獲果故云自然。不簡貴賎皆得往生。故云箸無上下。
◎(述文賛)また云わく、人聖に、国妙〈たえ〉なり。たれか力を尽くさざらん。善を作して生を願ぜよ。善に因りてすでに成じたまえり。自ら果を獲ざるが故に自然と云う。貴賎を簡ばず、みな往生を得しむ。故に著無上下と云うと。GYO:SYOZEN2-27/HON-182,183,HOU-297
〇次言人聖国妙等者。是下巻文。次上文云。経曰何不力為善。至昇道無窮極者。述云。第二正勧往生有二。此初直勧往生也。何不力為善者。勧修往生之因。力者(自人聖至願生十二字。如所引)次下文云。故又力者力励。念道之自然者。修所得之利(自因善至自然十二字。如所引。但自然上有念字)又次下云。唯能念道行徳者。(自不簡至上下十四字。如所引。但著下有於字)又次下云。念字長読流至此故。已上。SYOZEN2-252/TAI3-162
〇次に「人聖に、国妙なり」というは、これ下巻の文なり。次上の文に云わく「経に曰わく、何不力為善より昇道無窮極に至るまでは、述して云わく、第二に正しく往生を勧むるに二あり。これ初に直ちに往生を勧むるなり。何不力為善とは往生の因を修することを勧む。力とは」(「人聖」より「願生」に至るまでの十二字は所引の如し)。次下の文に云わく「故又力とは力励なり。念道之自然とは所得の利を修すれば」(「因善」より「自然」に至るまでの十二字は所引の如し。ただし「自然」の上に念の字あり)。また次下に云わく「ただよく道を念じ、徳を行ずれば」。(「不簡」より「上下」に至るまでの十四字は所引の如し。ただし著の下に於の字あり)。また次下に云わく「念の字、長読して此に流至するが故に」。已上。SYOZEN2-252/TAI3-162
◎又云。易往而無人。其国不逆違。自然之所牽。修因即往。無修生尠。修因来生。終不違逆。即易往也。
◎(述文賛)また云わく、「易往而無人 其国不逆違 自然之所牽」と。因を修すればすなわち往く、修することなければ生ずること尠〈すく〉なし。因を修して来生するに、終に違逆せざれば、すなわち易往なり。GYO:SYOZEN2-27/HON-183,HOU-297
〇又云易往而無等者。次上文云。経曰。易往而無人。至寿楽無有極者。述云。此復傷嘆重勧也。修因即往。故易往。無人修因。往生者尠。故無人。修因来生終不違逆。即前易往也。正習纏蓋自然為之。牽伝不往故自然所牽。即無人也。有説。因満果熟不仮功用自然招致。故自然所牽。義亦可也。上之二文。句数字数粗有増減是取意歟。為達前後更今引之。SYOZEN2-253/TAI3-165
〇「又云易往而無」等とは、次上の文に云わく「経に曰わく、易往而無人より寿楽無有極に至るまでは、述して云わく、これまた傷嘆重勧なり。因を修すれば即ち往く。故に易往なり。人の因を修することなければ往生する者尠〈すく〉なし。故に無人なり。因を修すれば来生す。終に違逆せず。即ち前の易往なり。正習纏蓋自然にこれが為に牽伝して往かざるが故に自然の牽く所なり。即ち無人なり。有が説かく、因満ち果熟すれば、功用を仮らず。自然に招致す。故に自然の牽く所なり。義また可なり」。上の二文、句数・字数にほぼ増減あり。これ取意なるか。前後を達せんが為に更に今これを引く。SYOZEN2-253/TAI3-165
◎又云。本願力故 即往誓願之力。満足願故 願無欠故。明了願故 求之不虚故。堅固願故 縁不能壊故。究竟願故 必果遂故。
◎(述文賛)また云わく、本願力の故と(すなわち往くこと誓願の力なり)、満足願故(願として欠くることなきがゆえに)、明了願故(これを求むるに虚しからざるがゆえに)、堅固願故(縁として壊ることあたわざるがゆえに)、究竟願の故に(必ず果し遂ぐるがゆえに)。GYO:SYOZEN2-27/HON-183,HOU-297
〇又云本願力故等者。上巻文也。是又文言聊有参差。為知正釈亦出本文。経曰。本願力故至究竟願故者。述云。後願力獲利也。本願者即往誓願之力。他方菩薩聞名得忍。恐亦自土故。願無欠故満足。求之不虚故明了。縁不能壊故堅固。願必遂果故究竟。由此願力生彼土者。皆得三忍。已上。是明所以見道場樹皆見三忍。言三忍者。経云。一者音響忍。二者柔順忍。三者無生法忍。已上。此三忍義諸師異解。興師破之。出自義云。尋樹音声従風而有。有而非実故得音響忍。柔者無乖角義。順者不違空義。悟境無性。不違於有而順空故。云柔順忍。観於諸法生絶四句故。云無生忍。已上。問。所引本願力故句上。先有威神力故之句。何略之耶。答。興以彼句判為別科。即名為之神力得忍。今殊欲顕本願利益。是故略彼引之而已。SYOZEN2-253/TAI3-167,168
〇「又云本願力故」等とは上巻の文なり。これまた文言に聊か参差あり。正釈を知らんが為に、また本文を出だす。「経に曰わく、本願力故より究竟願故に至るまでは、述して云わく、後に願力獲利なり。本願とは即ち往くこと誓願の力なり。他方の菩薩は名を聞きて忍を得。恐らくはまた自土なるが故に、願として欠くることなきが故に満足なり。これを求むるに虚しからざるが故に明了なり。縁として壊すること能わざるが故に堅固なり。願として必ず遂果するが故に究竟なり。この願力に由りて彼の土に生ずる者は、みな三忍を得」已上。これ道場樹を見て、みな三忍を見る所以を明かす。三忍というは、経に云わく「一には音響忍。二には柔順忍。三には無生法忍」已上。この三忍の義は諸師異解す。興師はこれを破して自義を出だして云わく「樹の音声を尋ぬるに、風に従りして有なり。有にして実にあらず。故に音響忍を得。柔とは乖角なき義なり。順の無性とは空に違せざる義なり。境を悟するに、有に違せずして、しかも空に順ずるが故に柔順忍という。諸法を観ずるに、生は四句を絶つが故に無生忍という」已上。問う。所引の「本願力故」の句の上に、まず「威神力故」の句あり。何ぞこれを略するや。答う。興は彼の句を以て判じて別科と為す。即ち名づけてこれを神力得忍となす。今殊に本願の利益を顕わさんと欲す。この故に彼を略して、これを引くのみ。SYOZEN2-253/TAI3-167,168
◎又云。総而言之。欲令凡小増欲往生之意故。須顕彼土勝。
◎(述文賛)また云わく、総じてこれを言わば、凡小をして欲往生の意を増さしめんと欲うがゆえに、須くかの土の勝ることを顕すべしと。GYO:SYOZEN2-27/HON-183,HOU-297
〇又云総而言之等者。是下巻文。次上文云。経曰。東方恒沙至亦復如是者。述云。是後勝聖共生也。(以下如所引)。SYOZEN2-253/TAI3-170
〇「又云総而言之」等とは、これ下巻の文なり。次上の文に云わく「経に曰わく、東方恒沙より亦復如是に至るまでは、述して云わく、これ後に勝聖共生なり」。(以下、所引の如し)。SYOZEN2-253/TAI3-170
◎又云。既言於此土修菩薩行。即知。無諍王在於此方。宝海亦然。
◎(述文賛)また云わく、すでにこの土にして菩薩の行を修すと言えり。すなわち知りぬ、無諍王この方にましますことを。宝海もまたしかなり。GYO:SYOZEN2-27/HON-183,HOU-297
〇又云既言於此等者。同巻文也。是解経云。阿難白仏。彼二菩薩其号云何。仏言一名観世音。二名大勢至。是二菩薩於比国土修菩薩行。命終転化生彼仏国之文釈也。無諍王者弥陀如来。宝海梵士釈迦仏也。SYOZEN2-254/TAI3-171,172
〇「又云既言於此」等とは、同巻の文なり。これ経に「阿難、仏に白さく、かの二菩薩、その号いかんぞ。仏言わく、一りを観世音と名づく。二をば大勢至と名づく。この二菩薩はこの国土にして菩薩の行を修して、命終転化して、かの仏国に生ず」といえる文を解する釈なり。「無諍王」とは弥陀如来なり。「宝海梵士」は釈迦仏なり。SYOZEN2-254/TAI3-171,172
◎又云。聞仏威徳広大故。得不退転也。已上。
◎(述文賛)また云わく、仏の威徳広大を聞くがゆえに、不退転を得るなり。已上。GYO:SYOZEN2-27/HON-183,HOU-297
〇又云聞仏威徳等者。未勘得之。SYOZEN2-254/TAI3-173
〇「又云聞仏威徳」等とは、未だこれを勘得せず。SYOZEN2-254/TAI3-173
◎楽邦文類云。総官張[リン01]云。仏号甚易持。浄土甚易往。八万四千法門。無如是之捷径。但能輟清晨俛仰之暇。遂可為永劫不壊之資。是則用力甚微。而收功乃無有尽。衆生亦何苦自棄而不為乎。噫夢幻非真。寿夭難保。呼吸之頃即是来生。一失人身。万劫不復。此時不悟。仏如衆生何願。深念於無常。勿徒貽於後悔。浄楽居士張[リン01]勧縁。已上。
◎『楽邦文類』に云わく、総官の張[リン01]云わく、仏号はなはだ持ち易し、浄土ははなはだ往き易し。八万四千の法門、この捷径にしくはなし。ただよく清晨俛仰の暇〈いとま〉を輟〈や〉めて、ついに永劫不壊の資〈たすけ〉をなすべし。これすなわち、力を用うることは、はなはなだ微にして、功を収むることいまし尽くることあることなけん。衆生また何の苦しみあればか、自ら棄ててせざるや。ああ夢幻にして真にあらず、寿夭にして保ちがたし。呼吸の頃〈あいだ〉、すなわちこれ来生なり。一たび人身を失いつれば、万劫にも復せず〈かえらず〉。この時悟らずは、仏もし衆生をいかんかしたまわん。願わくは深く無常を念じて、いたずらに後悔を貽すことなかれと。浄楽の居士張[リン01]、縁を勧むと。已上GYO:SYOZEN2-27,28/HON-183,184,HOU-297,298
〇次言楽邦文類等者。此書四明石芝沙門宗暁編次。部帙五巻。其第二巻総管張[リン01]結蓮社普勧文也。彼文一十八行余中。今之所引纔四行余。言俛仰者。俛是俯俛。[ジ02]頭義也。仰是偃仰。向上称也。言呼吸者。呼[アイ01]。吸引。蓋是外内出入息也。SYOZEN2-254/TAI3-175,176
〇次に「楽邦文類」等というは、この書は四明石芝の沙門宗暁編次す。部帙は五巻。その第二巻は総管張[リン01]の蓮社を結ぶ普勧の文なり。彼の文の一十八行余の中に、今の所引は纔かに四行余なり。「俛仰」というは、「俛」はこれ俯俛、[ジ02]頭の義なり。「仰」はこれ偃仰、上に向う称なり。「呼吸」とは、呼は[アイ01]、吸は引、蓋しこれ外内出入の息なり。SYOZEN2-254/TAI3-175,176
◎台教祖師山陰(慶文法師)云。良由仏名従真応身而建立故。従慈悲海而建立故。従誓願海而建立故。従智慧海而建立故。従法門海而建立故。若但専称一仏名号。則是具称諸仏名号。功徳無量。能滅罪障。能生浄土。何必生疑乎。已上。
◎台教の祖師山陰(慶文法師)の云わく、まことに仏名は真応の身よりして建立せるがゆえに、慈悲海よりして建立せるがゆえに、誓願海よりして建立せるがゆえに、智慧海よりして建立するがゆえに、法門海よりして建立せるに由るがゆえに、もしただ専ら一仏の名号を称するに、すなわちこれつぶさに諸仏の名号を称するなり。功徳無量なれば、よく罪障を滅す。よく浄土に生ず。何ぞ必ずしも疑いを生ぜんやと。已上。GYO:SYOZEN2-28/HON-184,HOU-298
〇次山陰釈。言山陰者越地之名。言慶文者。号云慈雲法師是也。釈意可見。SYOZEN2-254/TAI3-182
〇次に山陰の釈なり。「山陰」というは越の地の名なり。「慶文」というは、号して慈雲法師というこれなり。釈の意、見つべし。SYOZEN2-254/TAI3-182
◎律宗祖師元照云。況我仏大慈開示浄土。慇懃勧属遍諸大乗。目見耳聞特生疑謗。自甘沈溺不慕超昇。如来説為可憐憫者。良由不知此法特異常途。不択賢愚不簡緇索〈緇素〉。不論修行久近不問造罪重軽。但令決定信心即是往生因種。已上。
◎(観経義疏)律宗の祖師元照の云わく、いわんや我が仏大慈、浄土を開示して慇懃にあまねくもろもろの大乗を勧嘱したまえり。目に見、耳に聞きて、特に疑謗を生じて、自ら甘〈あまな〉うて沈溺して超昇を慕わず、如来説きて憐憫すべき者のためにしたまえり。まことに、この法のひとり常途に異なることを知らざるに由ってなり。賢愚を択ばず、緇索〈緇素〉を簡ばず、修行の久近を論ぜず、造罪の重軽を問わず、ただ、決定の信心ならしめよ。すなわちこれ往生の因種なり。已上。GYO:SYOZEN2-28/HON-184,HOU-298
〇次元照釈。観経義疏大分為二。先列義門令知総意。然後入経分文分釈。初中有四。初教興来致。二摂教分斉。三弁定宗旨。四料簡異同。其第四門又有五中。五指濫伝之下釈也。指濫伝者。多挙有人謬解疑惑。示有自障障他之過。述其悲憐之結釈也。二巻之中上巻文耳。SYOZEN2-254/TAI3-187
〇次に元照の釈なり。『観経義疏』大に分かちて二と為す。まず義門を列ねて総意を知らしむ。然して後に経に入りて文を分かちて分釈す。初の中に四あり。初には教興の来致。二には摂教の分斉。三には宗旨を弁定す。四には異同を料簡す。その第四門にまた五ある中に、五に濫伝を指す下の釈なり。濫伝を指すとは、多く有人の謬解疑惑を挙げて自障障他の過あることを示す。その悲憐を述ぶる結釈なり。二巻の中に上巻の文ならくのみ。SYOZEN2-254/TAI3-187
◎又云。今浄土諸経並不言魔。即知。此法無魔明矣。山陰慶文法師正信法門弁之甚詳。今為具引彼問曰。或有人云。臨終見仏菩薩放光持台。天楽異香来迎往生。並是魔事。此説如何。答曰。有依首楞厳修習三昧。或発動陰魔。有依摩訶衍論修習三昧。或発動外魔 謂天魔也 有依止観論修習三昧。或発動時魅。此等並是修禅定人。約其自力先有魔種。被定撃発故現此事。儻能明識各用対治。即能除遣。若作聖解。皆被魔障 上明此方入道。則発魔事 今約所修念仏三昧。乃憑仏力。如近帝王無敢干犯。蓋由阿弥陀仏有大慈悲力・大誓願力・大智慧力・大三昧力・大威神力・大摧邪力・大降魔力・天眼遠見力・天耳遥聞力・他心徹監力・光明遍照摂取衆生力。有如是等不可思議功徳之力。豈不能護持念仏之人。至臨終時令無障礙邪。若不為護持者。則慈悲力何在。若不能除魔障者。智慧力・三昧力・威神力・摧邪力・降魔力復何在邪。若不能監察被魔為障者。天眼遠見力・天耳遥聞力・他心徹監力復何在邪。経云。阿弥陀仏相好光明。遍照十方世界。念仏衆生摂取不捨。若謂念仏臨終被魔障者。光明遍照摂取衆生力復何在邪。況念仏人臨終感相出自衆経。皆是仏言。何得貶為魔境乎。今為決破邪疑。当生正信。已上彼文。
◎(元照・観経義疏)また云わく、今、浄土の諸経に並びに魔を言わず。すなわち知りぬ、この法に魔なきこと明らけしと。山陰の慶文法師の正信法門にこれを弁ずること、はなはだ詳らかなり。今ためにつぶさにかの問を引かん。曰わく、あるいは人ありて云わん、臨終に仏菩薩の光を放ち、台を持し、天楽異香来迎せるを見るは、往生並びにこれ魔事なりと。この説、いかんぞや。答えて曰わく、『首楞厳』に依りて三昧を修習して、あるいは陰魔を発動することあり。『摩訶衍論』(大乗起信論)に依りて三昧を修習して、あるいは外魔(天魔を謂うなり)を発動することあり。『止観論』に依りて三昧を修習して、あるいは時魅を発動することあり。これ等は、ならびにこれ、禅定を修する人、その自力に約して、まず魔種ありて、定んで撃発を被るがゆえにこの事を現ず。もしよく明らかに識りておのおの対治を用いれば、すなわちよく除遣せしむ。もし聖の解を作せば、みな魔障を被るなり(上にはこの方にして道に入るには、すなわち魔事を発すことを明かす)。今、所修の念仏三昧に約するに、いまし仏力を憑む。帝王に近づくときは、あえて于〈おかし〉犯すものなきがごとし。けだし阿弥陀仏に大慈悲力・大誓願力・大智慧力・大三昧力・大威神力・大摧邪力・大降魔力・天眼遠見力・天耳遥聞力・他心徹鑑力・光明遍照摂取衆生力ましますに由りてなり。かくのごとき等の不可思議功徳の力まします。あに念仏の人を護持して、臨終の時に至るまで障碍なからしむることあたわざらんや。もし護持をなさずは、すなわち慈悲力なんぞましまさん。もし魔障を除くことあたわずは、智慧力・三昧力・威神力・摧邪力・降魔力、またなんぞましまさんや。もし鑑察することあたわずして、魔、障をなすことを被らば、天眼遠見力・天耳遥聞力・他心徹鑑力、またなんぞましまさんや。経に云わく、阿弥陀仏の相好の光明、あまねく十方世界を照らす。念仏の衆生を摂取して捨てたまわずと。もし念仏して臨終に魔障を被ると謂わば、光明遍照摂取衆生力、またなんぞましまさんや。いわんや念仏の人、臨終の感相、衆経より出でたり。みなこれ仏の言〈みこと〉なり。なんぞ貶して魔境とすることを得んや。今ために邪疑を決破す。当に正信を生ずべしと。已上、かの文。GYO:SYOZEN2-28,29/HON-184,185,HOU-298,299,300
〇次所引文。同次上段。四解魔説之下釈也。当段初云。四解魔説。惑謂修西方浄業臨終感相。皆是魔者。斯由未披教典不楽修持。喜以邪言障他正信。為害不浅故須弁之。且魔有四種。一五陰魔。二煩悩魔。三死魔。四天魔。上三魔是汝身心。唯有天魔是外来耳。安得不畏己魔但疑外魔乎。況魔居欲界天。乃是大権退悪進善有大功行。方可勤之。凡夫修道内心不正。必遭魔擾。若心真実魔無能為。是知魔自汝心。非他所致。如世妖冶媚惑。於人端心正色必不能近。縦情顧眄定遭所惑。今引衆説以絶群疑。一云。大光明中決無魔事。猶如白昼奸盗難成。一云。此土観心反観本陰多発魔事。今観弥陀果徳真実境界故無魔事。一云念仏之人皆為一切諸仏之所護念。既為仏護。安得有魔。一云。修浄業人必発魔者。仏須捐破。如般若楞厳等。仏若不捐則誤衆生堕於魔納。(今所引此次也)又所引外次下文云。又楞厳云。禅定心中見盧舎那踞天光台十仏囲遶等。此名心魂霊悟所染。心光研明照諸世界。暫得如是非為聖証。資中疏曰。若修念仏三昧斯境現前。与修多羅合名為正相。若修余観設見仏形亦不為正。以心境不相応故。況観真如不取諸相。而有所著豈非魔耶。資中揀判極為精当。仍具引前諸説永除疑障。已上。一段之中。見文前後為令信解具所引也。正引文中。正信法門。山陰所造浄土文中。顕明正信浄行二門。其中今引正信下釈。是故号曰正信法門。問答之中問意易見。答中有依首楞厳者。彼経第九広弁魔事皆約自心入定精研。摩訶衍論馬鳴菩薩之所造也。通申一代大乗之教。止観論者即天台説。彼第八巻又弁魔事。言時魅者天魔所化。於私所引前後之文。先前文中就其四魔出対治者。大集出之。断集諦降煩悩魔。知苦諦降陰魔。修道諦降天魔。証滅諦降死魔。此外対治諸典所訓其文是繁。不及具述。後文之中。言資中者是蜀地名。弘允法師居彼蜀地。故称此名。作疏十巻解楞厳経。当文魔境以下註解。粗依戒度正観記意大概記之。委如彼文。SYOZEN2-254,256/TAI3-192,195
〇次の所引の文は同じき次上の段に、四に魔説を解する下の釈なり。当段の初に云わく「四に魔説を解す。惑〈あるひと〉の謂わく、西方の浄業を修する臨終の相を感ずるは皆これ魔といわば、これ未だ教典を披かざるに由りて、修持を楽わず、喜びて邪言を以て他の正信を障う。害を為すこと浅からざるが故に須くこれを弁ずべし。且く魔に四種あり。一には五陰魔、二には煩悩魔、三には死魔、四には天魔なり。上の三魔はこれ汝が身心なり。ただ天魔のみありて、これ外より来るのみ。いずくんぞ己が魔を畏れずして、ただし外魔を疑うことを得るや。況んや魔は欲界の天に居す。乃ちこれ大権、悪を退け善を進むるに大功行あり、まさにこれを勤むべし。凡夫の修道内心正ならざれば必ず魔擾に遭う。もし心真実ならば魔は能く為することなけん。ここに知りぬ魔は汝が心よりす。他の致す所にあらず。世の妖冶の人を媚惑するが如き、心を端くし、色を正しくすれば、必ず近づくこと能わず。情を縦にして顧眄すれば定んで惑わす所に遭う。今、衆説を引きて以て群疑を絶たん。一に云わく、大光明の中には決して魔事なし。猶し白昼に奸盗の成し難きが如し。一に云わく、此土の観心は反りて本陰を観ずるをもって多く魔事を発す。今、弥陀の果徳、真実の境界を観ずるが故に魔事なし。一に云わく、念仏の人はみな一切諸仏の為に護念せらる。既に仏の為に護らる。安ぞ魔あることを得ん。一に云わく、浄業を修する人、必ず魔を発せば、仏は須らく捐破したもうべし。『般若』『楞厳』等の如し。仏もし捐せざれば則ち衆生を誤りて魔網に堕せしめん」と。(今の所引はこの次なり)。また所引の外、次下の文に云わく「また『楞厳』に云わく、禅定心の中に盧舎那の、天の光台に踞して十仏囲遶する等を見る。これを心魂霊悟の所染と名づく。心光は研明にして諸の世界を照らすに、暫くかくの如くなるを得るも聖証と為るにあらず。資中の疏に曰わく、もし念仏三昧を修すれば、この境現前す。修多羅と合するを名づけて正相と為す。もし余観を修すれば、設い仏形を見れども、また正と為さず。心境の相応せざるを以ての故に。況んや真如を観ずるに諸相を取らず、而るに所著あらば、あに魔にあらざるや。資中の揀判は極めて精当と為す。よって具に前の諸説を引きて永く疑障を除く」已上。一段の中に文の前後を見て信解せしめんが為に具に引く所なり。正しき引文の中に、正信法門は山陰の所造の『浄土文』の中に正信・浄行の二門を顕明す。その中に今、正信の下の釈を引く、この故に号して正信法門という。問答の中に問意は見易し。答の中に「有依首楞厳」とは、彼の経の第九に広く魔事を弁ず、みな自心の入定精研に約す。『摩訶衍論』は馬鳴菩薩の所造なり。通じて一代大乗の教を申ぶ。『止観論』は即ち天台の説なり。彼の第八巻にまた魔事を弁ず。「時魅」というは天魔の所化なり。私の所引の前後の之文に於いて、まず前の文の中に、その四魔に就きて対治を出ださば、『大集』にこれを出だす。集諦を断じて煩悩魔を降し、苦諦を知りて陰魔を降し、道諦を修して天魔を降し、滅諦を証して死魔を降す。この外の対治は諸典の訓うる所、その文これ繁し。具に述ぶるに及ばず。後の文の中に「資中」というは、これ蜀の地名なり。弘允法師は彼の蜀地に居す。故にこの名を称す。疏十巻を作りて『楞厳経』を解す。当文魔境以下の註解は、ほぼ戒度の『正観記』の意に依りて大概これを記す。委しくは彼の文の如し。SYOZEN2-254,256/TAI3-192,195
◎又云。元照律師弥陀経義文。一乗極唱終帰。咸指於楽邦。万行円修最勝。独推於果号。良以従因建願。秉志躬行。歴塵点劫懐済衆之仁。無芥子地非捨身之処。悲智六度摂化以無遺。内外両財随求而必応。機与縁熟。行満功成。一時円証於三身。万徳総彰於四字。已上。
◎また云わく、元照律師『弥陀経義』の文、一乗の極唱は、終帰ことごとく楽邦を指す。万行の円修は、最勝を独り果号に推〈ゆず〉る。まことにもって因より願を建つ。志を秉り行を窮め、塵点劫を歴て済衆の仁を懐けり。芥子の地も捨身の処にあらざることなし。悲智六度、摂化して、もって遺すことなし。内外の両財、求むるに随うて必ず応ず。機と縁と熟し、行満じ功成り、一時に円かに三身を証す。万徳すべて四字に彰ると。已上。GYO:SYOZEN2-29/HON-185,186,HOU-299,300
〇次又同師小経疏文。序初文也。一乗極唱終帰等者念仏一乗頓教極談。偏勧西方置而不論。又一乗言本被法華。薬王流通終勧安楽。彼此帰一故云咸指。内外等者則分両異。言内財者七種聖財等之類也。言外財者七宝衣服等之類也。施彼聖財謂之法施。施其世財言之財施。機与等者与興有異愚按興字脇文体歟。SYOZEN2-256/TAI3-209
〇次はまた同じき師の『小経疏』の文。序の初の文なり。「一乗極唱終帰」等とは念仏一乗頓教の極談なり。偏に西方を勧むること置きて論ぜず。また一乗の言は、もと『法華』に被しむ。薬王の流通に終に安楽を勧む。彼此、一に帰す、故に「咸指」という。「内外」等とは、則ち両異を分かつ。内財というは七種の聖財等の類なり。外財というは七宝・衣服等の類なり。彼の聖財を施する、これを法施という。その世財を施する、これを財施という。「機与」等とは、与と興と異あり、愚按するに興の字が文体に脇うか。SYOZEN2-256/TAI3-209
◎又云。況我弥陀以名摂物。是以耳聞口誦。無辺聖徳攬入識心。永為仏種頓除億劫重罪。獲証無上菩提。信知。非少善根。是多功徳也。已上。
◎(元照・弥陀経義疏)また云わく、いわんや我が弥陀は名をもって物を摂したまう。ここをもって耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す。永く仏種となりて、頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。信に知りぬ、少善根にあらず、これ多功徳なりと。已上。GYO:SYOZEN2-29,30/HON-186,HOU-300
〇次文同疏正宗文也。彼科釈云。第二正宗分大分三段。従初至倶会一処。先讃二報荘厳。令生欣慕。二不可以少下。正示専念持名。教修行法。三如我今者下。後引諸仏同。讃勧信受持。已上。於第二科。又分為三。文云。第二正示行法分三段。初至彼国。簡余善不生。若有下。二正示修法。我見下。三結顕勧意。已上。又於第二子段有三。文云。二中分三。初至不乱。専念持名。其人下。臨終感聖。是人下。三正念往生。已上。而初専念持名之下。有三問答。今所引者。第三答也。其問言曰。四字名号凡下常聞。有何勝能超過衆善。已上。所引之中答言略初。今私引加。其詞云。答。仏身非相果徳深高。不立嘉名莫彰妙体。十方三世皆有異名。(以下如所引)所引文次引華厳経並薬師経及瞻察経。嘆仏功徳。但彼経説亘諸仏名。仍結文云。諸余仏名聞持尚爾。況我弥陀有本誓乎。已上。SYOZEN2-256/TAI3-218,219
〇次の文は同じき疏の正宗の文なり。彼の科釈に云わく「第二に正宗分、大に三段を分かつ。初より倶会一処に至るまでは、まず二報荘厳を讃じて、欣慕を生ぜしむ。二に不可以少の下は正しく専念持名を示して修行の法を教う。三に如我今者の下は後に諸仏の同讃を引きて勧信受持せしむ」已上。第二の科に於いて、また分かちて三と為す。文に云わく「第二に正しく行法を示すに三段を分かつ。初より彼国に至るまでは余善の不生を簡ぶ。若有の下は二に正しく修法を示す。我見の下は三に結して勧の意を顕わす」已上。また第二の子段に於いて三あり。文に云わく「二が中に三を分かつ。初より不乱に至るまでは専念持名なり。其人の下は臨終感聖なり。是人の下は三に正念往生なり」已上。而るに初に専念持名の下に三の問答あり。今の所引は第三の答なり。その問の言に曰わく「四字の名号は凡下常に聞く。何なる勝能ありてか衆善に超過せるや」已上。所引の中に答の言は初を略す。今私に引き加う。その詞に云わく「答う。仏身は相にあらず、果徳深高なり。嘉名を立てずば妙体を彰わすことなけん。十方三世にみな異名あり」。(以下、所引の如し)。所引の文の次に『華厳経』並びに『薬師経』及び『瞻察経』を引きて仏の功徳を嘆ず。ただし彼の経の説は諸仏の名に亘る。よって結文に云わく「諸余の仏名は聞持すれば尚爾り。況んや我弥陀に本誓あるをや」已上。SYOZEN2-256/TAI3-218,219
◎又云。正念中。凡人臨終識神無主。善悪業種無不発現。或起悪念。或起邪見。或生繋恋。或発猖狂悪相非一。皆名顛倒因。前誦仏罪滅障除。浄業内薫。慈光外摂。脱苦得楽一刹那間。下文勧生。其利在此。已上。
◎(元照・弥陀経義疏)また云わく、正念の中に、凡そ人の臨終は識神に主なし。善悪の業種、発現せざることなし。あるいは悪念を起こし、あるいは邪見を起こし、あるいは繋恋を生じ、あるいは猖狂悪相を発せんこと一にあらず。みな顛倒の因と名づく。前に仏を誦して、罪滅し、障除こり、浄業内に熏じ、慈光外に摂すれば、苦を脱れ楽を得ること、一刹那の間なり。下の文に生を勧む、その利、これにありと。已上。GYO:SYOZEN2-30/HON-186,HOU-300
〇次言又云正念等者。上所言之小子段中第三段也。言正念者。是則指経是人終時心不顛倒等之句也。言下文者。是指結顕勧意之文。即是我見是利以下意也。SYOZEN2-256,257/TAI3-222
〇次に「又云正念」等とは、上に言う所の小子段の中に第三段なり。「正念」というは、これ則ち経の「是人終時心不顛倒」等の句を指すなり。「下文」というは、これ結顕勧意の文を指すなり。即ちこれ「我見是利」以下の意なり。SYOZEN2-256,257/TAI3-222
◎慈雲法師云。天竺寺遵式。唯安養浄業捷真可修。若有四衆。欲復速破無明。永滅五逆十悪重軽等罪。当修此法。欲得大小戒体遠復清浄。得念仏三昧成就菩薩諸波羅蜜。当学此法。欲得臨終離諸怖畏身心安快。衆聖現前授子接引。初離塵労便至不退。不歴長劫即得無生。当学此法等。古賢法語能無従乎。已上五門略標綱要。自余不尽。委在釈文。按開元蔵録。此経凡有両訳。前本已亡。今本乃[キョウ04]良邪舎訳。僧伝云。[キョウ04]良邪舎此云時称。宋元嘉初。建于京邑。文帝。
◎(観経義疏)慈雲法師の云わく(天竺寺遵式)、ただ安養の浄業のみ捷真なり、修すべし。もし四衆ありて、また速やかに無明を破し、永く五逆・十悪重軽等の罪を滅せんと欲わば、当にこの法を修すべし。大小の戒体、遠くまた清浄なることを得、念仏三昧を得しめ、菩薩の諸波羅蜜を成就せんと欲わば、当にこの法を学すべし。臨終にもろもろの怖畏を離れしめ、身心安快にして衆聖現前し、授手接引せらるることを得、初めて塵労を離れてすなわち不退に至り、長劫を歴ず、すなわち無生を得んと欲わば、当にこの法等を学び、古賢の法語に等しくすべし。よく従うことなからんや。已上の五門、綱要を略標す。自余は尽くさず、くわしく釈文にあり。『開元の蔵録』を案ずるに、この経おおよそ両訳あり。前本はすでに亡じぬ。いまの本はすなわち[キョウ04]良耶舎の訳なり。僧伝に云わく、[キョウ04]良耶舎ここには時称と云う。宋の元嘉の初めに京邑に建めたり。文帝のときなり。GYO:SYOZEN2-30/HON-186,187,HOU-300,301
〇次言慈雲法師云者。元照観経義疏引之。彼義疏上。上所引之指濫伝文。所云即是往生因種。次下釈也。所引慈雲法師釈者。大弥陀懺序文也。已上五門者。前云二弁古今廃立之中又有五是。五者所謂一明福観。二弁定散。三示地位。四解魔説。五指濫伝。所言五門篇目如斯。委在釈文者。指入文別釈。抑時称下有所除詞一十三字。謂其言云。西域人性剛直寡耆欲。善通三蔵。已上。又云建于京邑。本文建字為達。有異本歟。愚按達字其言有便。言文帝者。宋第三帝元嘉主也。於彼時称。深加歎異崇重無双。SYOZEN2-257/TAI3-226,227
〇次に「慈雲法師云」というは、元照の『観経義疏』にこれを引く。彼の『義疏』の上に上に引く所の濫伝を指す文に「即是往生因種」という所の次下の釈なり。所引の慈雲法師の釈とは『大弥陀懺』の序の文なり。「已上五門」とは、前に二に古今の廃立を弁ずる中に、また五ありという、これなり。五とは、いわゆる一には福観を明かし、二には定散を弁じ、三には地位を示し、四には魔説を解し、五には濫伝を指す。言う所の五門、篇目はかくの如し。「くわしくは釈文にあり」とは入文別釈を指す。抑も「時称」より下に除く所の詞は一十三字あり。謂わく、その言に云わく「西域の人。性は剛直にして耆欲寡なし。善く三蔵に通ず」已上。また「建于京邑」というは、本文は「建」の字を「達」と為す。異本あるか。愚按するに「達」字は、その言に便あり。「文帝」というは、宋の第三の帝、元嘉主なり。彼の時称に於いて深く歎異を加えて崇重すること双なし。SYOZEN2-257/TAI3-226,227
◎慈雲讃云。遵式也。了義中了義。円頓中円頓。已上。
◎慈雲の讃に云わく(遵式なり)、了義の中の了義なり。円頓の中の円頓なり。已上。GYO:SYOZEN2-30/HON-187,HOU-301
◎大智唱云。元照律師也。円頓一乗純一無雑。已上。
◎大智唱えて云わく(元照律師なり)、円頓一乗は、純一にして無雑なり。已上。GYO:SYOZEN2-30/HON-187,HOU-301
〇次慈雲大智両師。解釈共是一言。各以易見。SYOZEN2-257/TAI3-235
〇次に慈雲・大智両師の解釈は共にこれ一言なり。おのおの以て見易し。SYOZEN2-257/TAI3-235
◎律宗戒度云。元照之弟子也。仏名乃是積劫薫修。攬其万徳総彰四字。是故称之獲益非浅。已上。
◎(正観記)律宗の戒度の云わく(元照の弟子なり)、仏名はすなわちこれ、劫を積んで薫修す。その万徳を攬るに、すべて四字に彰る。このゆえに、これを称するに益を獲ること、浅きにあらずと。已上。GYO:SYOZEN2-30,31/HON-187,HOU-301
〇次戒度釈正観記文。是釈元照義疏典也。今釈下品上生之中並解経題仏名徳中。今所引者嘆仏号釈。所引文上嘆題釈云。遇縁中題号難思者。蓋由経中所詮無非実相妙理。首題一挙経意全彰。(所引文此次也)。問。今此文者是釈本書何文句耶。答。本書元照義疏下云。臨終遇縁中知識開導有二。初聞法除業。二称名滅罪。経題仏号功力難思。滅罪劫数文中趣挙。已上。校本末文可知其益。SYOZEN2-257/TAI3-240,241
〇次に戒度の釈、『正観記』の文なり。これ元照の義疏を釈する典なり。今、下品上生を釈する中に、並べて経題仏名の徳を解する中に、今の所引は仏号を嘆ずる釈なり。所引の文の上に題を嘆ずる釈に云わく「遇縁の中に題号思い難しとは、蓋し経の中の所詮は実相の妙理にあらざることなきに由りて、首題一たび挙るに経の意全く彰わる」。(所引の文はこの次なり)。問う。今この文は、これ本書の何の文句を釈するぞや。答う。本書の元照の義疏の下に云わく「臨終遇縁の中に知識の開導に二あり。初に聞法除業。二に称名滅罪なり。経題仏号の功力は思い難し。滅罪の劫数は文の中に趣〈わず〉かに挙ぐ」已上。本末の文を校して、その益を知るべし。SYOZEN2-257/TAI3-240,241
◎律宗用欽云。元照之弟子也。今若以我心口称念一仏嘉号。則従因至果。無量功徳無不具足。已上。
◎律宗の用欽の云わく(元照の弟子なり)、今もし我が心口をもって、一仏の嘉号を称念すれば、すなわち因より果に至るまで、無量の功徳具足せざることなしと。已上。GYO:SYOZEN2-31/HON-187,HOU-301
◎又云。一切諸仏歴微塵劫。了悟実相不得一切故。発無相大願。修無住妙行。証無得菩提。住非荘厳国土。現無神通之神通故。舌相遍於大千。示無説之説。故勧信是経。豈容心思口議邪。私謂。諸仏不思議功徳。須臾收弥陀二報荘厳。持名行法。彼諸仏中亦須收於弥陀也。已上。
◎(用欽)また云わく、一切諸仏、微塵劫を歴て実相を了悟して、一切を得ざるがゆえに、無相の大願を発して、修するに妙行に住することなし。証するに菩提を得ることなし。住するに国土を荘厳するにあらず。現ずるに神通の神通なきがゆえに、舌相を大千に遍くして、無説の説を示す。故にこの経を勧信せしむ。あに心に思い、口に議〈はか〉るべけんや。私に謂わく、諸仏の不思議の功徳、須臾に弥陀二報荘厳に収む。持名の行法は、かの諸仏の中に、また須らく弥陀を収むべきなりと。已上。GYO:SYOZEN2-31/HON-187,HOU-301,302
〇次用欽師。二釈可見。SYOZEN2-257/TAI3-243,244
〇次に用欽師なり。二釈見るべし。SYOZEN2-257/TAI3-243,244
◎三論祖師嘉祥云。問。念仏三昧何因能得滅如此多罪邪。解云。仏有無量功徳。念仏無量功徳故得滅無量罪。已上。
◎(観経疏)三論の祖師、嘉祥の云わく、問う、念仏三昧は何に因ってか、よくかくのごとき多罪を滅することを得るや。解して云わく、仏に無量の功徳まします。仏の無量の功徳を念ずるがゆえに、無量の罪を滅することを得しむと。已上。GYO:SYOZEN2-31/HON-187,HOU-302
〇次嘉祥釈。観経疏釈。滅罪勝益其理分明。是故禅林古徳十因衆罪消滅之段引之。其意易覚。SYOZEN2-257,258/TAI3-249
〇次に嘉祥の釈は『観経疏』の釈なり。滅罪の勝益、その理分明なり。この故に禅林の古徳の十因衆罪消滅の段にこれを引く。その意覚り易し。SYOZEN2-257,258/TAI3-249
◎法相祖師法位云。諸仏皆徳施名。称名即称徳。徳能滅罪生福。名亦如是。若信仏名。能生善滅悪。決定無疑。称名往生此有何惑。已上。
◎(大経義疏)法相の祖師、法位の云わく、諸仏はみな、徳を名に施す、名を称するは、すなわち徳を称するなり。徳、よく罪を滅し福を生ず。名もまたかくのごとし。もし仏名を信ずれば、よく善を生じ悪を滅すること、決定して疑いなし。称名往生、これ何の惑いかあらんや。已上。GYO:SYOZEN2-31/HON-188,HOU-302
〇次法位釈。大経義疏上巻釈也。彼疏釈文有其四門。一明弥陀仏土是化非化。二明往生者有得不得。三明修因有事有理。四開文解釈。此中今文。第三門下有其多重問答之内一箇答也。其問言云。問曰。仏名有何神験。称名即得滅罪往生。已上。答曰之下有今引文。又次下云。若疑惑不信。然由信罪福修習善本願生其国。尚得往生名曰胎生。況今決定信楽。称仏名号十念相続。生彼不疑也。已上。SYOZEN2-258/TAI3-250,251
〇次に法位の釈『大経義疏』上巻の釈なり。彼の疏の釈文に、その四門あり。一には弥陀仏の土は是化・非化を明かし、二には往生の者の得・不得あることを明かし、三には修因に、事あり、理あることを明かし、四には文を開きて解釈す。この中に今の文は第三門の下に、その多重の問答ある内の一箇の答なり。その問言に云わく「問うて曰わく。仏名に何の神験ありてか、名を称するに即ち罪を滅して往生することを得るや」已上。答曰の下に今の引文あり。また次下に云わく「もし疑惑して信ぜざれども、然も罪福を信じ善本を修習して、その国に生ぜんと願ずるに由りて、なお往生を得るを名づけて胎生という。況んや今決定信楽して仏の名号を称すること十念相続せん、彼に生ずること疑わざるなり」已上。SYOZEN2-258/TAI3-250,251
◎禅宗飛錫云。念仏三昧善之最上万行元首。故曰三昧王焉。已上。
◎(念仏三昧宝王論)禅宗の飛錫の云わく、念仏三昧は善の最上なり。万行の元首なるがゆえに、三昧王と曰う。已上。GYO:SYOZEN2-31/HON-188,HOU-302
〇次飛錫釈。一句易解。SYOZEN2-258/TAI3-252,253
〇次に飛錫の釈、一句解し易し。SYOZEN2-258/TAI3-252,253
◎往生要集云。双巻経三輩之業雖有浅深。然通皆云一向専念無量寿仏。三四十八願中於念仏門別発一願云。乃至十念若不生者不取正覚。四観経。極重悪人無他方便。唯称弥陀得生極楽。已上。
◎『往生要集』に云わく、『双巻経』の三輩の業、浅深ありといえども、しかも通じてみな一向専念無量寿仏と云えり。三に、四十八願の中に念仏門において、別して一の願を発して云わく、乃至十念若不生者不取正覚と。四に『観経』には、極重の悪人、他の方便なし。ただ弥陀を称して極楽に生まるることを得と。已上。GYO:SYOZEN2-31,32/HON-188,HOU-302
〇次要集文。十門之中下巻文。大門第八念仏証拠門下略出十文。今於其中所挙。第三第四第五文也。問。縦略後文尤可出初。何略第一。答。占察経文。専説観察所得之益。今以称念為本意故。不標之歟。問。然者何標三四字耶。答。故略其初示不整足。後亦標之還示初文為第一歟。SYOZEN2-258/TAI3-256
〇次に『要集』文、十門の中に、下巻の文、大門第八念仏証拠門の下に略して十文を出だす。今その中に於いて挙ぐる所は、第三・第四・第五の文なり。問う。たとい後の文を略すとも、尤も初を出だすべし。何ぞ第一を略するや。答う。『占察経』の文は専ら観察所得の益を説く。今は称念を以て本意と為するが故に、これを標せざるか。問う。然らば何ぞ三・四の字を標するや。答う。ことさらにその初を略して整足せざることを示し、後にまた、これを標して、還りて初の文を第一と為すことを示すか。SYOZEN2-258/TAI3-256
◎又云。応依心地観経六種功徳。一無上大功徳田。二無上大恩徳。三無足二足及以多足衆生中尊。四極難値遇如優曇華。五独出三千大千界。六世出世間功徳円満。義依具如此等六種功徳。常能利益一切衆生。已上。
◎(往生要集)また云わく、『心地観経』の六種の功徳に依るべし。一には無上大功徳田、二には無上大恩徳、三には無足二足および多足の衆生の中の尊なり。四には、極めて値遇しがたきこと、優曇華のごとし。五には、独り三千大千世界に出でたまう。六には、世・出世間の功徳円満せり。義の依なり。かくのごとき等の六種の功徳を具して、常によく一切衆生を利益したまう。已上。GYO:SYOZEN2-32/HON-188,HOU-302,303
◎依此六種功徳。信和尚云。一応念一称南無仏皆已成仏道。故我帰命礼無上功徳田。二応念慈眼視衆生平等如一子。故我帰命礼極大慈悲母。三応念十方諸大士恭敬弥陀尊。故我帰命礼無上両足尊。四応念一得聞仏名過於優曇華。故我帰命礼極難値遇者。五応念一百倶胝界二尊不並出。故我帰命礼希有大法王。六応念仏法衆徳海三世同一体。故我帰命礼円融万徳尊。已上。
◎この六種の功徳に依って、信和尚の云わく(往生要集)、一には、一称南無仏と念ずべし、皆已に仏道を成ずるがゆえに、我、無上功徳田を帰命し礼したてまつる。二には念ずべし、慈眼をもって衆生を視そなわしたまう。平等にして一子のごとし。故に、我、極大慈悲母を帰命し礼したてまつる。三に念ずべし、十方の諸大士、弥陀尊を恭敬したてまつるがゆえに、我、無上両足尊を帰命し礼したてまつる。四には念ずべし、ひとたび仏名を聞くことを得ることは、優曇華よりも過ぎたり。故に我、極難値遇者を帰命し礼したてまつる。五には念ずべし。一百倶胝界には二尊、並んで出でたまわず。故に我、希有の大法王を帰命し礼したてまつる。六には念ずべし。仏法衆徳海は三世同じく一体なり。故に我、円融万徳尊を帰命し礼したてまつると。已上。GYO:SYOZEN2-32/HON-188,189,HOU-303
〇次上巻文。大門第四正修念仏之下。明五念門之中。初礼拝門之解釈也。SYOZEN2-258/TAI3-266,267
〇次に上巻の文、大門第四正修念仏の下に、五念門を明かす中に、初の礼拝門の解釈なり。SYOZEN2-258/TAI3-266,267
◎又云。波利質多樹華一日薫衣。瞻蔔華・波師迦華雖千歳薫所不能及。已上。
◎(往生要集)また云わく、波利質多樹の華、一日衣に薫ずるに、瞻蔔華・波師迦華、千歳薫ずといえども、及ぶことあたわざるところなり。已上。GYO:SYOZEN2-32/HON-189,HOU-303
〇次文第三作願門下。明菩提心。又有三門。一明行相。二明利益。三料簡也。今釈明其利益之文中也。所引之上有譬如字。又所引文次下釈云。菩提花亦復如是。一日所薫功徳香薫。徹十方仏所。声聞縁覚。以無漏智薫諸功徳。於百千劫所不能及。已上。又於前後有多譬喩。不能委載。SYOZEN2-258,259/TAI3-278
〇次の文は第三作願門の下に菩提心を明かすに、また三門あり。一には行相を明かし、二には利益を明かし、三には料簡なり。今の釈は、その利益を明かす文の中なり。所引の上に「譬如」の字あり。また所引の文の次下の釈に云わく「菩提の花もまたかくの如し。一日に薫ずる所の功徳の香薫は十方の仏所に徹す。声聞・縁覚は無漏智を以て諸の功徳を薫ずること、百千劫に於いてすとも及ぶこと能わざる所なり」已上。また前後に於いて多くの譬喩あり。委しく載すること能わず。SYOZEN2-258,259/TAI3-278
◎又云。如一斤石汁能変千斤銅為金。雪山有草名為忍辱。牛若食者即得醍醐。月利沙見昴星則出菓実。已上。
◎(往生要集)また云わく、一斤の石汁、よく千斤の銅を変じて金となす。雪山に草あり、名づけて忍辱とす。牛、もし食すればすなわち醍醐を得。尸利沙、昴星を見ればすなわち菓実を出すがごとし。已上。GYO:SYOZEN2-32/HON-189,HOU-303
〇次文下巻大門第十問答料簡。略有十事。其中第五臨終念相明他力益。顕往生利。或引書典。或加料簡載種種譬。集主先徳自加十喩。今於其中所出三也。石汁第三。忍辱第五。尸利第七。或本以尸為月錯也。SYOZEN2-259/TAI3-281
〇次の文は下巻の大門第十問答料簡に略して十事あり。その中に第五の臨終の念相に他力の益を明かし、往生の利を顕わすに、或いは書典を引き、或いは料簡を加えて種種の譬を載するに、集主先徳、自ら十喩を加う。今はその中に於いて三を出だす所なり。「石汁」は第三、「忍辱」は第五、「尸利」は第七なり。ある本には尸を以て月と為す、錯なり。SYOZEN2-259/TAI3-281
◎選択本願念仏集(源空集)云。南無阿弥陀仏往生之業念仏為本。
◎『選択本願念仏集』源空集に云わく、南無阿弥陀仏 往生の業は念仏を本とすと。GYO:SYOZEN2-33/HON-189,HOU-303,304
◎又云。夫速欲離生死。二種勝法中。且閣聖道門。選入浄土門。欲入浄土門。正雑二行中。且抛諸雑行。選応帰正行。欲修於正行。正助二業中。猶傍於助業。選応専正定。正定之業者。即是称仏名。称名必得生。依仏本願故。已上。
◎(選択集)また云わく、それ速やかに生死を離れんと欲わば、二種の勝法の中に、しばらく聖道門を閣きて、選びて浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲わば、正雑二行の中に、しばらくもろもろの雑行を抛すてて、選びて正行に帰すべし。正行を修せんと欲わば、正助二業の中に、なお助業を傍にして、選びて正定を専らにすべし。正定の業とは、すなわちこれ仏の名を称するなり。称名は必ず生ずることを得、仏の本願に依るがゆえにと。已上。GYO:SYOZEN2-33/HON-189,HOU-304
〇次選択文。初文題後文前要義。後文流通一部総結。正雑分別正助決判往生安心。二文最要。SYOZEN2-259/TAI3-284,285
〇次に『選択』の文。初の文は題の後文の前の要義、後の文は流通一部の総結なり。正雑分別、正助決判、往生の安心。二文は最要なり。SYOZEN2-259/TAI3-284,285
◎明知。是非凡聖自力之行。故名不回向之行也。大小聖人・重軽悪人。皆同斉応帰選択大宝海念仏成仏。
◎(御自釈)明らかに知りぬ、これ凡聖自力の行にあらず。故に不回向の行と名づくるなり。大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して、念仏して成仏すべし。GYO:J:SYOZEN2-33/HON-189,HOU-304
◎是以論註曰。彼安楽国土。莫非阿弥陀如来正覚浄華之所化生。同一念仏無別道故。已上。
◎ここをもって『論註』に曰わく、かの安楽国土は、阿弥陀如来の正覚浄華の化生するところにあらざることなし。同一に念仏して別の道なきがゆえにとのたまえり。已上。GYO:SYOZEN2-33/HON-190,HOU-304
〇次私御釈。是非凡夫自力等者。経云令諸衆生功徳成就。釈云阿弥陀仏者即是其行。念仏只是弥陀功徳。更非凡夫有漏行。故不借機功得往生益。偏是自然不可思議。此集本意此深旨也。所引論註所釈荘厳眷属功徳成就文也。問。胎生辺地是非化生。何因総云莫非化生。答。胎生辺地非報土相。今言正覚華化生者。正報土相。同一等者。一義云。釈彼土相。非此土行。故智論云。無量寿仏国人生自然能念仏。又小経云。皆悉念仏。今義不然。於彼念仏非敢所争。経説論判分明之上。華台端座念弥陀釈亦以炳然。但今文者指此土行。所以然者。当句次上文云。凡是雑生世界。若胎若卵若湿若化。眷属若干苦楽万品。以雑業故。已上。此釈之意。雑生世界能生苦因雑業異故四生不同。安楽国土。念仏一行為正因故。純一化生。以之思之。浄穢相対因果必然。言無別道。又次下云。遠通夫四海之内皆為兄弟也。已上。彼論語言有此妙談。言四海者非浄土相。閻浮同行同一仏子。勧其相親称之兄弟。兼標可為来生倶会一処親厚而已。SYOZEN2-259,260/TAI3-303,304
〇次に私の御釈なり。「是非凡夫自力」等とは、経には「諸の衆生をして功徳成就せしむ」といい、『釈』には「阿弥陀仏は即ちこれその行なり」という。念仏はただこれ弥陀の功徳なり。更に凡夫有漏の行にあらず。故に機の功を借らずして往生の益を得。偏にこれ自然不可思議なり。この集の本意はこの深旨なり。所引の『論註』の荘厳眷属功徳成就を釈する所の文なり。問う。胎生辺地はこれ化生にあらず。何に因りてか総じて「化生するところにあらざることなし」というや。答う。胎生辺地は報土の相にあらず。今「正覚華化生」というは正しく報土の相なり。「同一」等とは、一義に云わく、彼の土の相を釈す、此土の行にあらず。故に『智論』に云わく「無量寿仏の国は人生まれて自然に能く念仏す」。また『小経』に云わく「皆ことごとく仏を念ず」。今の義は然らず。彼に於いて念仏することは敢て争う所にあらず。経説論判分明の上、華台端座念弥陀の釈、また以て炳然なり。ただし、今の文は此土の行を指す。然るゆえんは、当句の次上の文に云わく「凡そこの雑生の世界は、もしは胎、もしは卵、もしは湿、もしは化、眷属そこばくにして、苦楽万品なり。雑業を以ての故なり」已上。この釈の意は、雑生の世界は能生の苦因雑業異るが故に四生同じからず。安楽国土は念仏の一行を正因と為すが故に純一に化生す。これを以てこれを思うに、浄穢相対して因果必然なるを無別道という。また次下に云わく「遠く通ずれば、それ四海の内、みな兄弟と為すなり」已上。彼の『論語』の言にこの妙談あり。「四海」というは浄土の相にあらず。閻浮の同行は同一の仏子なり。その相親を勧めて、これを兄弟と称す。兼て来生倶会一処の親厚を為すべきことを標するのみ。SYOZEN2-259,260/TAI3-303,304
◎爾者獲真実行信者。心多歓喜故。是名歓喜地。是喩初果者。初果聖者尚睡眠懶堕。不至二十九有。何況十方群生海帰命斯行信者。摂取不捨。故名阿弥陀仏。是曰他力。
◎(御自釈)しかれば真実の行信を獲る者は、心に歓喜多きがゆえに、これを歓喜地と名づく。これを初果に喩うることは、初果の聖者、なお睡眠し懶堕なれども、二十九有に至らず。いかにいわんや、十方群生海は、この行信に帰命すれば摂取して捨てたまわず。故に阿弥陀仏と名づけたてまつると。これを他力と曰う。GYO:J:SYOZEN2-33/HON-190,HOU-304
◎是以龍樹大士曰即時入必定。曇鸞大師云入正定聚之数。仰可憑斯。専可行斯也。
◎(御自釈)ここをもって龍樹大士は「即時入必定」と曰い、曇鸞大師は「入正定聚之数」と云えり。仰いでこれを憑むべし。専らこれを行ずべきなり。GYO:J:SYOZEN2-33/HON-190,HOU-304,305
〇又私御釈。獲真等者。問。如釈義者。直云信心獲得行者得初地歟。然者斯事難信如何。答。薄地凡夫三界見思不伏一毫。縦行念仏豈断無明登聖位耶。若対其位超天与地。非謂異生断無明人彼此相斉。初地初果大小雖異。聖位是同。而初果人縦造悪業不招来報。念仏行者。未断煩悩。雖侵罪業。信心発得以関摂取不捨利益。横超三界頓絶輪回。以其義同今儲此釈。則引即時入必定文。又引入正定聚之釈。其意在斯。即言頓義。不待命後。潜顕信心開発時分入正定聚。顕雖可為浄土不退。以不退堕隠表現生可有其益。非三不退並処不退。唯是所顕蒙光触者心不退之不思議耳。今家料簡専存此意。処処解釈以此義勢可解了之。SYOZEN2-260/TAI3-317,318
〇また私の御釈なり。「獲真」等とは。問う。釈義の如きは直に信心獲得の行者は初地を得というか。然らばこの事は信じ難し、いかん。答う。薄地の凡夫は三界の見思は一毫を伏せず。たとい念仏を行ずとも、あに無明を断じて聖位に登らんや。もしその位を対せば天と地とに超えたり。異生断無明の人は彼此相斉しというにはあらず。初地・初果・大小、異なるといえども、聖位はこれ同じ。而るに初果の人は、たとい悪業を造れども来報を招かず。念仏の行者は未だ煩悩を断ぜず、罪業を侵すといえども、信心発得すれば摂取不捨の利益に関るを以て、横に三界を超えて、頓に輪回を絶つ。その義同じきを以て、今、この釈を儲く。則ち「即時入必定」の文を引き、また「入正定聚」の釈を引く。その意は斯に在り。「即」の言は頓の義、命後を待たず、潜に信心開発の時分に正定聚に入ることを顕わす。顕に浄土の不退為るべしといえども、退堕せざるを以て、隠に現生にその益あるべきことを表わす。三不退、並びに処不退にあらず。ただこれ蒙光触者心不退の不思議を顕わす所ならくのみ。今家の料簡は専らこの意を存す。処処の解釈はこの義勢を以て、これを解了すべし。SYOZEN2-260/TAI3-317,318
◎良知。無徳号慈父。能生因闕。無光明悲母。所生縁乖。能所因縁雖可和合。非信心業識。無到光明土。真実信業識。斯則為内因。光明名父母。斯則為外縁。内外因縁和合。得証報土真身。故宗師言以光明名号摂化十方但使信心求念。又云念仏成仏是真宗。又云真宗[ハ01]遇也。可知。
◎(御自釈)良に知りぬ。徳号の慈父ましまさずは能生の因闕けなん。光明の悲母ましまさずは所生の縁乖きなん。能所の因縁、和合すべしといえども、信心の業識にあらずは光明土に到ることなし。真実信の業識、これすなわち内因とす。光明名の父母、これすなわち外縁とす。内外の因縁和合して、報土の真身を得証す。故に宗師は、光明名号をもって十方を摂化したまう。ただ信心をして求念せしむと言えり。また、念仏成仏これ真宗と云えり。また真宗遇いがたしと云えるをや、知るべしと。GYO:J:SYOZEN2-33,34/HON-190,191,HOU-305
◎凡就往相回向行信。行則有一念。亦信有一念。言行之一念者。謂就称名遍数顕開選択易行至極。
◎(御自釈)おおよそ往相回向の行信について、行にすなわち一念あり、また信に一念あり。行の一念と言うは、いわく称名の遍数につきて、選択易行の至極を顕開す。GYO:J:SYOZEN2-34/HON-191,HOU-305
◎故大本言。仏語弥勒。其有得聞彼仏名号歓喜踊躍乃至一念。当知。此人為得大利。則是具足無上功徳。已上。
◎故に『大本』(大経)に言わく、仏、弥勒に語りたまわく、それ、かの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。当に知るべし、この人は大利を得とす。すなわちこれ無上の功徳を具足するなりと。已上。GYO:SYOZEN2-34/HON-191,HOU-306
〇次大経流通分初。明彼如来名号徳文。是故以之為行一念。問。今以此文難謂起行。既有歓喜踊躍之言宜属安心。随而見彼異訳経等。安心之趣其説分明如何。答。行不離信。信不離行。今文之意。信行相備互以通用。強不違害。若得此意。異訳経説又非相違。但属起行其理猶明。依之黒谷大経釈云。上逗機縁。且雖明助念往生及諸行往生之旨。準本願故。至流通分初廃諸行帰但念仏。已上。以此講釈尤為指南。SYOZEN2-260,261/TAI3-363
〇次に『大経』の流通分の初に彼の如来の名号の徳を明かす文なり。この故に、これを以て行の一念と為す。問う。今この文を以て起行といいがたし。既に「歓喜踊躍」の言あり、宜しく安心に属すべし。随いて彼の異訳の経等を見るに、安心の趣、その説分明なり、いかん。答う。行は信を離れず、信は行を離れず。今の文の意は信行相備りて互いに以て通用す。強ちに違害せず。もしこの意を得れば、異訳の経説はまた相違にあらず。ただし起行に属する、その理、なお明かなり。これに依りて黒谷の『大経釈』に云わく「上には機縁に逗して、かつ助念往生及び諸行往生の旨を明かすといえども、本願に準ずるが故に、流通分に至りて初めて諸行を廃して、ただ念仏に帰せしむ」已上。この講釈を以て、尤も指南と為す。SYOZEN2-260,261/TAI3-363
◎光明寺和尚。云下至一念。又云一声一念。又云専心専念。已上。
◎光明寺の和尚は「下至一念」と云えり。また「一声一念」と云えり。また「専心専念」と云えり。已上。GYO:SYOZEN2-34/HON-191,HOU-306
◎智昇師集諸経礼懺儀下巻云。深心即是真実信心。信知自身是具足煩悩凡夫。善根薄少流転三界不出火宅。今信知弥陀本弘誓願。及称名号下至十声聞等。定得往生。及至一念無有疑心。故名深心。已上。
◎智昇師の『集諸経礼懴儀』の下巻に云わく、深心は、すなわちこれ真実の信心なり。自身はこれ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少にして、三界に流転して火宅を出でずと信知す。いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下至十声聞等に及ぶまで、定んで往生を得と信知して、一念に至るに及ぶまで疑心あることなし。故に深心と名づくと。已上。GYO:SYOZEN2-34/HON-191,HOU-306
○次智昇師釈。宗家大師往生礼讃前序釈也。其中善根薄少等者。問。疏云無有出離之縁。更不云有一分善種。今雖薄少顕有其善。相違云何。答。天台釈云。衆生無始恒居三道。於中誰無一毫種類。已上。而雖有善未絶輪回。是則煩悩賊害故也。是故今釈示有善根。而顕自力薄少善根不截生死。疏釈正約不出生死之辺。亦就諸善不成之義。直云無有出離之縁。及称等者十声一声可守礼讃。十声聞者恐是展転書写誤歟。SYOZEN2-260,261/TAI3-364
○次に智昇師の釈は、宗家大師『往生礼讃』の前序の釈なり。その中に「善根薄少」等とは、問う、疏には「出離の縁あることなし」といいて、更に一分の善種ありといわず。今、薄少なりといえども、その善あることを顕わす。相違いかん。答う。天台の釈に云わく「衆生は無始より恒に三道に居す。中に於いて誰か一毫の種類なからん」已上。しかるに善あるといえども、未だ輪回を絶たず。これ則ち煩悩賊害の故なり。この故に今の釈は善根あることを示して、而も自力薄少の善根は生死を截らざることを顕わす。疏の釈は正しく生死を出でざるの辺に約し、また諸善不成の義に就きて、直ちに「無有出離之縁」という。「及称」等とは、十声・一声、『礼讃』を守るべし。「十声聞」とは恐らくはこれ展転書写の誤か。SYOZEN2-260,261/TAI3-364
◎経言乃至。釈曰下至。乃下其言雖異。其意惟一也。復乃至者一多包容之言。言大利者対小利之言。言無上者対有上之言也。信知。大利無上者一乗真実之利益也。小利有上者則是八万四千仮門也。釈云専心者即一心。形無二心也。云専念者即一行。形無二行也。今弥勒付属之一念即是一声。一声即是一念。一念即是一行。一行即是正行。正行即是正業。正業即是正念。正念即是念仏。即是南無阿弥陀仏也。
◎(御自釈)経に乃至と言い、釈に下至と曰えり。乃・下その言異なりといえども、その意、これ一なり。また乃至とは、一多包容の言なり〈包=かぬ。容=いるる〉。大利と言うは、小利に対せるの言なり。無上と言うは、有上に対せるの言なり。信に知りぬ。大利無上とは一乗真実の利益なり。小利有上とはすなわちこれ八万四千の仮門なり。釈に専心と云えるは、すなわち一心なり、二心なきことを形すなり。専念と云えるは、すなわち一行なり、二行なきことを形すなり。いま弥勒付嘱の一念はすなわちこれ一声なり、一声すなわちこれ一念なり、一念すなわちこれ一行なり、一行すなわちこれ正行なり、正行すなわちこれ正業なり、正業すなわちこれ正念なり、正念すなわちこれ念仏なり、すなわちこれ南無阿弥陀仏なり。GYO:J:SYOZEN2-34,35/HON-191,192,HOU-306,307
◎爾者乗大悲願船浮光明広海。至徳風静衆禍波転。即破無明闇。速到無量光明土。証大般涅槃。遵普賢之徳也。可知
◎(御自釈)しかれば、大悲の願船に乗じて光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず。すなわち無明の闇を破し、速やかに無量光明土に到りて大般涅槃を証し、普賢の徳に遵うなり。知るべしと。GYO:J:SYOZEN2-35/HON-192,HOU-307
〇私釈可見。SYOZEN2-261/TAI3-387
〇私の釈、見つべし。SYOZEN2-261/TAI3-387
◎安楽集云。十念相続者。是聖者一数之名耳。即能積念凝思不縁他事。使業道成弁便罷。亦不労記之頭数也。
◎『安楽集』に云わく、十念相続とは、これ聖者の一つの数の名ならくのみ。すなわちよく念を積み思いを凝らして他事を縁ぜざれば、業道成弁せしめてすなわち罷みぬ。また労しくこれを頭数を記せざれとなり。GYO:SYOZEN2-35/HON-192,193,HOU-307
◎又云。若久行人念多応依此。若始行人念者記数亦好。此亦依聖教。已上。
◎(安楽集)また云わく、もし久行の人の念は、多くこれに依るべし。もし始行の人の念は、数を記する、また好し。これまた聖教に依るなり。已上。GYO:SYOZEN2-35/HON-192,193,HOU-307
〇安楽集文。第二大門。有其三番料簡之中。第三広施問答之下。有其重重之中釈也。先以積念凝思為要。不用記数。後記其数約始行人。久行不然。言又云者。非別引文。本書如此。先後於義聊存異趣。故有此言。SYOZEN2-261/TAI3-401
〇『安楽集』の文、第二大門にその三番の料簡ある中に、第三に広く問答を施す下に、その重重ある中の釈なり。先は念を積に思を凝らすを以て要と為して、数を記することを用いず。後にその数を記すること、始行の人に約す。久行は然らず。「又云」というは、別の引文にあらず。本書かくの如し。先後、義に於いて聊か異趣を存するが故にこの言あり。SYOZEN2-261/TAI3-401
◎斯乃顕真実行明証。誠知。選択摂取之本願。超世希有之勝行。円融真妙之正法。至極無礙之大行也。可知。
◎(御自釈)これすなわち真実の行を顕す明証なり。誠に知りぬ。選択摂取の本願、超世希有の勝行、円融真妙の正法、至極無碍の大行なり。知るべしと。GYO:J:SYOZEN2-35/HON-193,HOU-307,308
〇斯乃以下二行余者総結也。SYOZEN2-261/TAI3-411,412
〇「斯乃」以下の二行余は総結なり。SYOZEN2-261/TAI3-411,412
◎言他力者如来本願力也。
◎(御自釈)他力と言うは、如来の本願力なり。GYO:J:SYOZEN2-35/HON-193,HOU-308
〇言他力下是重釈也。SYOZEN2-261/TAI3-415
〇「言他力」の下はこれ重釈なり。SYOZEN2-261/TAI3-415
◎論曰。言本願力者。示大菩薩於法身中常在三昧。而現種種身種種神通種種説法。皆以本願力起。譬如阿修羅琴雖無鼓者。而音曲自然。是名教化地第五功徳相。乃至。
◎(論註)論に曰わく、本願力と言うは、大菩薩、法身の中にして常に三昧にありて、種種の身・種種の神通・種種の説法を現じたまうことを示す。みな本願力より起こるをもってなり。たとえば阿修羅の琴の鼓する者なしといえども、音曲自然なるがごとし。これを教化地の第五の功徳相と名づく。乃至。GYO:SYOZEN2-35/HON-193,HOU-308
〇言論曰者浄土論也。但非論文是註釈也。問。何載註釈言論曰耶。答。若論若釈指之称経。大師解釈已有其例。所謂往生礼讃前序。指観経義云観経説。又玄義分道理破中。鵝鴨譬喩以智論説云如経説。今以註釈直云論曰無其過歟。彼論利行満足章中有五種門。其第五門之解釈也。本論文云。出第五門者。以大慈悲観察一切苦悩衆生。示応化身。回入生死園煩悩林中。遊戯神通。至教化地。以本願力回向故。是名出第五門。(已上論文)。示応化身者。如法華経普門示現之類也。遊戯有二義。一者自在義。菩薩度衆生。譬如獅子搏鹿。所為不難如似遊戯。二者度無所度義。菩薩観衆生畢竟無所有。雖度無量。衆生実無一衆生得滅度者。示度衆生如似遊戯。(已上註文。次下所引尽当章)。本願力者。問。是指如来本願力歟。将指行者本願力歟。答。顕説先指行者願力。雖然自利利他成就。偏依如来本願力故。推功帰本只是仏力。下文所判他利利他分別解釈。可思択之。以之言之。隠説可言仏本願力。如此義趣。第一巻解二種回向。委料簡畢。下解釈云。若因若果無有一事不能利他。而利他言約仏功徳。故所言之本願力者。其功偏為仏本願力。是以本文雖為行者願力。約其本意仏本願力。十八願之成就文。至心回向之料簡等皆此意也。今家解釈大得此意。宜仰信也。SYOZEN2-261,262/TAI3-418,419
〇「論曰」というは『浄土論』なり。ただ論文にあらず、これ註釈なり。問う。何ぞ註釈を載せて「論曰」というや。答う。もしは論、もしは釈、これを指して経と称す。大師の解釈に已にその例あり。いわゆる『往生礼讃』の前序に『観経義』を指して「観経に説く」という。また『玄義分』の道理破の中に、鵝鴨の譬喩は『智論』の説を以て「経に説くが如し」という。今、註釈を以て直ちに「論曰」という、その過なきか。彼の論の利行満足章の中に五種の門あり。その第五門の解釈なり。本論の文に云わく「出第五門とは大慈悲を以て一切苦悩の衆生を観察す。応化の身を示して生死の園、煩悩の林の中に回入して、神通に遊戯し教化地に至る。本願力回向を以ての故に。これを出第五門と名づく」(已上論文)。「応化身を示す」とは、『法華経』の普門示現の類の如きなり。遊戯に二義あり。一には自在の義、菩薩の衆生を度するを、譬えば獅子の鹿を搏するが如し。所為難らざるがこと、遊戯するがごとし。二には度無所度の義。菩薩、衆生は畢竟じて所有なしと観ず。無量の衆生を度すといえども、実に一衆生として滅度を得る者なし。衆生を度すと示すこと、遊戯するがごとし」(已上註文。次下の所引、当章を尽す)。「本願力」とは、問う、これ如来の本願力を指すか、はた行者の本願力を指すか。答う。顕説には、まず行者の願力を指す。然りといえども、自利利他成就は偏に如来の本願力に依るが故に、功を推して本に帰すれば、ただこれ仏力なり。下の文に判ずる所は他利と利他と分別して解釈す。これを思択すべし。これを以てこれを言うに、隠説には仏の本願力というべし。かくの如き義趣は、第一巻に二種の回向を解すとして委しく料簡し畢わりぬ。下の解釈に「もしは因、もしは果、一事として利他に能わざることあることなし」という。而るに利他の言は仏の功徳に約す。故にいう所の本願力とは、その功は偏えに仏の本願力たり。これを以て本文は行者の願力たりといえども、その本意に約すれば仏の本願力なり。第十八願の成就の文、至心回向の料簡等は皆この意なり。今家の解釈は大いにこの意を得て、宜しく仰信すべきなり。SYOZEN2-261,262/TAI3-418,419
◎菩薩入四種門自利行成就。応知成就者謂自利満足也。応知者。謂応知由自利故則能利他。非是不能自利而能利他也。
◎(論註)菩薩は四種の門に入りて、自利の行成就したまえり、知るべしと。成就とは、いわく自利満足せるなり。応知というは、いわく自利に由るがゆえにすなわちよく利他す。これ自利にあたわずしてよく利他するにはあらざるなりと。GYO:SYOZEN2-36/-HON-193,HOU-308-
◎菩薩出第五門回向利益他行成就。応知成就者謂以回向因証教化地果。若因若果無有一事不能利他也。応知者。謂応知由利他故則能自利。非是不能利他而能自利也。
◎(論註)菩薩は第五門に出でて、回向利益他の行成就したまえり、知るべし。成就というは、いわく回向の因をもって教化地の果を証す。もしは因、もしは果、一事として利他にあたわざることあることなしと。応知というは、いわく利他に由るがゆえにすなわちよく自利す、これ利他することあたわずしてよく自利するにはあらざるなりと。GYO:SYOZEN2-36/-HON-193,HOU-308-
◎菩薩如是修五門行自利利他。速得成就阿耨多羅三藐三菩提。故仏所得法名為阿耨多羅三藐三菩提。以得此菩提故名為仏。今言速得阿耨多羅三藐三菩提。是得早作仏也。阿名無。耨多羅名上。三藐名正。三名遍。菩提名道。[ガイ01]〈統〉而訳之。名為無上正遍道。無上者。言此道窮理尽性更無過者。何以言之。以正故。正者聖智也。如法相而知故称為正智。法性無相故聖智無知也。遍有二種。一者聖心遍知一切法。二者法身遍満法界。若身若心無不遍也。道者無礙道也。経言。十方無礙人。一道出生死。一道者一無礙道也。無礙者謂知生死即是涅槃。如是等入不二法門無礙相也。
◎(論註)菩薩はかくのごとく五門の行を修して、自利利他して、速やかに阿耨多羅三藐三菩提を成就することを得たまえり。ゆえに、仏の得る所の法を名づけて阿耨多羅三藐三菩提とす。この菩提を得たまえるをもってのゆえに、名づけて仏とす。いま速得阿耨多羅三藐三菩提と言えるは、これ早く仏を作ることを得たまえるなり。阿をば無に名づく。耨多羅をば上に名づく。三藐をば正に名づく。三をば遍に名づく。菩提をば道に名づく。[ガイ01]ねてこれを訳して、名づけて無上正遍道とす。無上とは、言うこころは、この道は理を窮め性を尽くすこと、更に過ぎたる者なし。何をもってかこれを言わば、正をもってのゆえに。正とは聖智なり。法相のごとくして知るがゆえに、称して正智とす。法性は相なきゆえに、聖智は無知なり。遍に二種あり。一には、聖心遍、一切の法を知ろしめす。二には法身遍、法界に満てり。もしは身、もしは心、遍ぜざることなきなり。道とは無碍道なり。経(六十華厳経)に言わく、十方無碍人、一道より生死を出でたまえり。一道とは一無碍道なり。無碍とは、いわく生死すなわちこれ涅槃なりと知るなり。かくのごとき等の不二の法門に入るは無碍の相なり。GYO:SYOZEN2-36/-HON-194,HOU-308,309-
〇経言十方無礙等者。云其経名。云其具文。如下所引。SYOZEN2-262/TAI3-424,425
〇「経言十方無碍」等とは、その経名といい、その具なる文といい、下の所引の如し。SYOZEN2-262/TAI3-424,425
◎問曰。有何因縁言速得成就阿耨多羅三藐三菩提。答曰。論言修五門行以自利利他成就故。然覈求其本。阿弥陀如来為増上縁。他利之与利他。談有左右。若自仏而言。宜言利他。自衆生而言。宜言他利。今将談仏力。是故以利他言之。当知此意也。凡是生彼浄土。及彼菩薩人天所起諸行。皆縁阿弥陀如来本願力故。何以言之。若非仏力。四十八願便是徒設。今的取三願用証義意。
◎(論註)問うて曰わく、何の因縁ありてか速得成就阿耨多羅三藐三菩提と言えるや。答えて曰わく、論に、五門の行を修して、もって自利利他成就したまえるがゆえにと言えり。しかるに、覈〈あきらか・まこと〉にその本を求むれば、阿弥陀如来を増上縁とするなり。他利と利他と、談ずるに左右あり。仏よりして言わば、宜しく利他と言うべし。衆生よりして言わば、宜しく他利と言うべし。いま将に仏力を談ぜんとす、このゆえに利他をもってこれを言う。当に知るべし、この意なり。おおよそこれ、かの浄土に生まるると、およびかの菩薩・人・天の所起の諸行は、みな阿弥陀如来の本願力に縁るがゆえなり。何をもってこれを言うとならば、もし仏力にあらずは、四十八願すなわちこれ徒らに設けたまうらん。いま的〈ひと・あきらかに〉しく三願を取りて、用いて義の意を証せん。GYO:SYOZEN2-36,37/-HON-194,195,HOU-309-
◎願言。設我得仏。十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念。若不生者不取正覚。唯除五逆誹謗正法。縁仏願力故十念念仏便得往生。得往生故即勉三界輪転之事。無輪転故。所以得速。一証也。
◎(論註)願に言わく、設い我仏を得たらんに、十方の衆生、至心・信楽して我が国に生ぜんと欲うて、乃至十念せん。もし生ぜずは正覚を取らじと。ただ五逆と誹謗正法とをば除くと。仏願力に縁るがゆえに、十念念仏してすなわち往生を得。往生を得るがゆえに、すなわち三界輪転の事を勉る。輪転なきがゆえに、このゆえに速やかなることを得る、一の証なり。GYO:SYOZEN2-37/-HON-195,HOU-309,310-
◎願言。設我得仏。国中人天不住定聚必至滅度者不取正覚。縁仏願力故住正定聚。住正定聚故必至滅度。無諸回伏之難。所以得速。二証也。
◎(論註)願じて言わく、設い我、仏を得たらんに、国の中の人天、定聚に住し必ず滅度に至らずは、正覚を取らじ。仏願力に縁るがゆえに、正定聚に住せん。正定聚に住せるがゆえに、必ず滅度に至りて〈至る〉、もろもろの回伏〈回=かえる。伏=したがう〉の難なし、このゆえに速やかなることを得る、二の証なり。GYO:SYOZEN2-37/-HON-195,HOU-310-
◎願言。設我得仏。他方仏土諸菩薩衆。来生我国究竟必至一生補処。除其本願自在所化。為衆生故被弘誓鎧積累徳本。度脱一切遊諸仏国。修菩薩行供養十方諸仏如来。開化恒砂無量衆生。使立無上正真之道。超出常倫。諸地之行現前。修習普賢之徳。若不爾者不取正覚。縁仏願力故超出常倫。諸地之行現前。修習普賢之徳。以超出常倫諸地之行現前故。所以得速。三証也。以斯而推他力。為増上縁得不然乎。
◎(論註)願じて言わく、設い我、仏を得たらんに、他方仏土のもろもろの菩薩衆、我が国に来生して、究竟して必ず一生補処に至らしめん。その本願の自ら所化に在りて、衆生のためのゆえに、弘誓の鎧を被〈き〉て、徳本を積累し、一切を度脱して、諸仏の国に遊び、菩薩の行を修して、十方の諸仏如来を供養し、恒沙無量の衆生を開化して、無上正真の道を立せしめんを除く。常倫〈倫=ともがら〉に超出し、諸地の行を現前し、普賢の徳を修習せん。もししからずは正覚を取らじと。仏願力に縁るがゆえに、常倫に超出し、諸地の行現前し、普賢の徳を修習せん。常倫に超出し諸地の行現前するをもってのゆえに、このゆえに速やかなることを得る、三の証なり。これをもって他力を推〈おしておもう〉するに増上縁とす、しからざることを得んや。GYO:SYOZEN2-37/-HON-195,HOU-310-
◎当復引例示自力他力相。如人畏三塗故受持禁戒。受持禁戒故能修禅定。以修禅定故修習神通。以神通故能遊四天下。如是等名為自力。又如劣夫跨驢不上。従転輪王行便乗虚空遊四天下。無所障礙。如是等名為他力。愚哉後之学者聞他力可乗当生信心。勿自局分也〈局=古玉反)。已上。
◎(論註)当にまた例を引きて、自力・他力の相を示すべし。人、三塗を畏るるがゆえに、禁戒を受持す。禁戒を受持するがゆえに、よく禅定を修す。禅定を修するをもってのゆえに、神通を修習す。神通をもってのゆえに、よく四天下に遊ぶがごとし。かくのごとき等を名づけて自力とす。また、劣夫の、驢に跨〈またが〉りて上らざれども、転輪王の行〈みゆき〉に従えば、すなわち虚空に乗じて四天下に遊ぶに障碍するところなきがごとし。かくのごとき等を名づけて他力とす。愚かなるかな、後の学者、他力の乗ずべきを聞きて、当に信心を生ずべし。自ら局分することなかれとなり〈局=古玉の反。きょく・ちかし・かぎる・せばし〉。已上。GYO:SYOZEN2-37,38/-HON-196,HOU-310
〇然覈等者。解釈之意如第一鈔。所引願文。初第十八。次第十一。後二十二。第十八願証往生事。是則往相回向之意。第十一願証生彼土於彼起行此二自利。二十二願証生彼土立利他行。是則還相回向之義。如是自利利他成就皆是如来本願力也。SYOZEN2-262/TAI3-436,438
〇「然覈」等とは、解釈の意は第一の鈔の如し。所引の願文、初は第十八、次は第十一、後は二十二なり。第十八願は往生の事を証す。これ則ち往相回向の意なり。第十一願は彼の土に生ずると彼に於いて行を起こすと、この二の自利を証す。二十二願は彼の土に生じて利他の行を立することを証す。これ則ち還相回向の義なり。かくの如きの自利利他成就は皆これ如来の本願力なり。SYOZEN2-262/TAI3-436,438
◎元照律師云。或於此方破惑証真。則運自力故談大小諸経。或往他方聞法悟道須憑他力故説往生浄土。彼此雖異。莫非方便。令悟自心。已上。
◎(観経義疏)元照律師の云わく、あるいはこの方にして惑を破し真を証するには、すなわち自力を運ぶべし。ゆえに大小の諸経を談ず。あるいは他方に往〈ゆ・おもむく〉きて法を聞き道を悟るには、須らく他力を憑むべきがゆえに、往生浄土を説く。彼・此異なりといえども、方便して、自心を悟らしむるにあらざることなし。已上。GYO:SYOZEN2-38/HON-196,HOU-311
〇次元照釈。観経義疏先列義門示総意中。初明教興又有其二。一総明一代教興。二別叙今経教興。今文其初。所引之文次下釈云。洞達諸法然後発大乗意。修菩提道上求下化究竟成仏。以智慧故不住生死。以慈悲故不住涅槃。歴微塵刹示生唱滅説法度生。衆生無尽行願身土亦無有尽。已上。SYOZEN2-262,263/TAI3-460
〇次に元照の釈、『観経義疏』に、まず義門を列して総意を示す中に、初に教興を明かすに、またその二あり。一には総じて一代の教興を明かし、二には別して今経の教興を叙す。今の文はその初なり。所引の文の次下の釈に云わく「諸法に洞達して、然して後に大乗の意を発し、菩提の道を修して、上求下化し、究竟して成仏す。智慧を以ての故に生死に住せず、慈悲を以ての故に涅槃に住せず。微塵刹を歴りて、生を示し、滅を唱え、法を説き、生を度す。衆生は尽くることなければ、行願身土また尽くることあることなし」已上。SYOZEN2-262,263/TAI3-460
◎言一乗海者。一乗者大乗。大乗者仏乗。得一乗者得阿耨多羅三藐三菩提。阿耨菩提者即是涅槃界。涅槃界者即是究竟法身。得究竟法身者則究竟一乗。無異如来。無異法身。如来即法身。究竟一乗者即是無辺不断。大乗無有二乗三乗。二乗三乗者入於一乗。一乗者即第一義乗。唯是誓願一仏乗也。
◎(御自釈)一乗海と言うは、一乗は大乗なり。大乗は仏乗なり。一乗を得るとは、阿耨多羅三藐三菩提を得るなり。阿耨菩提とはすなわちこれ涅槃界なり。涅槃界とはすなわちこれ究竟法身なり。究竟法身を得る者は、すなわち一乗を究竟して、如来に異なることなく、法身に異なることなし。如来はすなわち法身なり。一乗を究竟する者は、すなわちこれ無辺不断なり。大乗は、二乗・三乗あることなし。二乗・三乗は、一乗に入らしめんとなり。一乗はすなわち第一義乗なり。ただこれ誓願一仏乗なり。GYO:J:SYOZEN2-38/HON-196,197,HOU-311
〇次私御釈。是顕己心中領解深義。特応信受。SYOZEN2-263/TAI3-463
〇次に私の御釈なり。これ己心中の領解の深義を顕わす。特に信受すべし。SYOZEN2-263/TAI3-463
◎涅槃経言。善男子。実諦者名曰大乗。非大乗者不名実諦。善男子。実諦者是仏所説。非魔所説。若是魔説非仏説。不名実諦。善男子。実諦者一道清浄無有二也。已上。
◎『涅槃経』(聖行品)に言わく、善男子、実諦は名づけて大乗と曰う。大乗にあらざるものは実諦と名づけず。善男子、実諦はこれ仏の所説なり、魔の所説にあらず。もしこれ魔説は仏説にあらざれば、実諦と名づけず。善男子、実諦は一道清浄にして、二あることなし。已上。GYO:SYOZEN2-38/HON-197,HOU-311
◎又言。云何菩薩信順一実。菩薩了知一切衆生皆帰一道。一道者謂大乗也。諸仏菩薩為衆生故分之為三。是故菩薩信順不逆。已上。
◎(涅槃経・徳王品)また言わく、いかんが菩薩、一実に信順する。菩薩は、一切衆生をしてみな一道に帰せしめんと了知するなり。一道はいわく大乗なり。諸仏菩薩は、衆生のためのゆえに、これを分かちて三とす。このゆえに菩薩、不逆に信順すと。已上。GYO:SYOZEN2-38/HON-197,HOU-311,312
◎又言。善男子。畢竟有二種。一者荘厳畢竟。二者究竟畢竟。一者世間畢竟。二者出世畢竟。荘厳畢竟者六波羅蜜。究竟畢竟者一切衆生所得一乗。一乗者名為仏性。以是義故我説一切衆生悉有仏性。一切衆生悉有一乗。以無明覆故不能得見。已上。
◎(涅槃経・師子吼品)また言わく、善男子、畢竟に二種あり。一には荘厳畢竟、二には究竟畢竟なり。一には世間畢竟、二には出世畢竟なり。荘厳畢竟というは六波羅蜜なり。究竟畢竟というは一切衆生の得るところの一乗なり。一乗は名づけて仏性とす。この義をもってのゆえに、我、一切衆生悉有仏性と説くなり。一切衆生ことごとく一乗あり。無明覆えるをもってのゆえに、見ることを得ることあたわず。已上。GYO:SYOZEN2-38,39/HON-197,HOU-312
◎又言。云何為一。一切衆生悉一乗故。云何非一。説三乗故。云何非一非非一。無数法故。已上。
◎(涅槃経・師子吼品)また言わく、いかんが一とする、一切衆生ことごとく一乗なるがゆえに。いかんが非一なる、三乗を説くがゆえに。いかんが非一・非非一なる、無数の法なるがゆえなり。已上。GYO:SYOZEN2-39/HON-197,HOU-312
〇次涅槃経文。所引有四。問。此等経文不説弥陀如来功徳。何引之耶。答。一往誠然。但有深意。一代教文隠顕雖殊。併説弥陀済凡利生。得此意時諸文無違。以之言之。或云一道。或云一実。或云一乗。潜顕念仏一乗之理。粗明浄土一実之義。遙説清閑一道之利。弥陀妙果号曰無上涅槃。念仏即是涅槃門。涅槃誠説豈以不存弥陀利生。二教論云。諸経論中往往有斯義。雖然文随執見隠義逐機根現。已上。雖無念仏醍醐之文。選択集云。若非念仏三昧醍醐之薬者。五逆深重病甚為難治。已上。況於念仏正有一乗一道等釈。以此等説和会有由。引証智解仰可信受。SYOZEN2-263/TAI3-478,479
〇次に『涅槃経』の文なり。所引に四あり。問う。これ等の経文は弥陀如来の功徳を説かず、何ぞこれを引くや。答う。一往は誠に然り。ただし深意あり。一代の教文、隠顕は殊なりといえども、しかしながら弥陀済凡の利生を説く。この意を得る時、諸文は違することなし。これを以てこれを言うに、或いは一道といい、或いは一実といい、或いは一乗という。潜かに念仏一乗の理を顕わし、ほぼ浄土一実の義を明かし、遙かに清閑一道の利を説く。弥陀の妙果を号して無上涅槃という。念仏は即ちこれ涅槃の門なり。涅槃の誠説、あに以て弥陀の利生を存せざらんや。『二教論』に云わく「諸経論の中に往往にこの義あり。然りといえども文は執見に随いて隠れ、義は機根を逐いて現ず」已上。念仏醍醐の文なしといえども、『選択集』に云わく「もし念仏三昧は醍醐の薬にあらず、五逆深重の病は甚だ治し難しと為す」已上。況んや念仏に於いて、正しく一乗一道等の釈あり。これ等の説を以て和会するに由あり。引証の智解、仰いで信受すべし。SYOZEN2-263/TAI3-478,479
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◎華厳経言。文殊法常爾。法王唯一法。一切無礙人。一道出生死。一切諸仏身。唯是一法身。一心一智慧。力無畏亦然。已上。
◎『華厳経』に言わく、文珠の法は常にしかなり。法王はただ一法なり。一切無碍人は一道より生死を出でたまえり。一切諸仏の身、ただこれ一法身なり。一心・一智慧なり。力・無畏もまたしかなりと。已上。GYO:SYOZEN2-39/HON-197,HOU-312
〇次華厳文。六十華厳難明品文。問。此文上引。何重引耶。答。上引論註。彼註引故依載註文不除此文。今故引之具出前後。故非繁重。所引下云。随衆生本行求無上菩提。仏刹及衆会説法悉不同。已上。SYOZEN2-263/TAI3-492
〇次に『華厳』の文なり。『六十華厳』難明品の文なり。問う。この文は上に引く。何ぞ重ねて引くや。答う。上には『論註』を引く。彼の註に引くが故に、註文を載するに依りて、この文を除かず。今ことさらにこれを引きて、具に前後を出だす。故に繁重にあらず。所引の下に云わく「衆生の本行に随いて無上菩提を求む。仏刹及び衆会説法は悉く同じからず」已上。SYOZEN2-263/TAI3-492
◎爾者斯等覚悟。皆以安養浄刹之大利仏願難思之至徳也。
◎(御自釈)しかれば、これ等の覚悟は、みなもって安養浄刹の大利、仏願難思の至徳なり。GYO:J:SYOZEN2-39/HON-198,HOU-312
〇次私御釈。爾者等者。結上文等標弥陀徳。領解意也。SYOZEN2-263/TAI3-496
〇次に私の御釈なり。「爾者」等とは、上の文等を結して弥陀の徳を標す。領解の意なり。SYOZEN2-263/TAI3-496
◎言海者。従久遠已来。転凡聖所修雑修雑善川水。転逆謗闡提恒沙無明海水。成本願大悲智慧真実恒沙万徳大宝海水。喩之如海也。良知。如経説言煩悩氷解成功徳水。已上。
◎(御自釈)海と言うは、久遠よりこのかた、凡聖所修の雑修雑善の川水を転じ、逆謗闡提恒沙無明の海水を転じて、本願大悲智慧真実恒沙万徳の大宝海水と成す、これを海のごときに喩うるなり。良に知りぬ、経に説きて、煩悩の氷解けて功徳の水と成ると言えるがごとし。已上。GYO:J:SYOZEN2-39/HON-198,HOU-312,313
◎願海者。不宿二乗雑善中下屍骸。何況宿人天虚仮邪偽善業・雑毒雑心屍骸乎。
◎(御自釈)願海とは二乗雑善の中下の屍骸を宿さず。いかにいわんや、人天の虚仮邪偽の善業、雑毒雑心の屍骸を宿さんや。GYO:J:SYOZEN2-39/HON-198,HOU-313
○不宿二乗雑善等者。借論註言。粗述仏智純浄功徳。論註文言見下所引。SYOZEN2-263,264/TAI3-499
〇「不宿二乗雑善」等とは、『論註』の言を借りて、ほぼ仏智純浄の功徳を述ぶ。『論註』の文言は下の所引に見えたり。SYOZEN2-263,264/TAI3-499
◎故大本言。声聞或菩薩。莫能究聖心。譬如従生盲。欲行開導人。如来智慧海。深広無涯底。二乗非所惻。唯仏独明了。已上。
◎故に『大本』(大経)に言わく、声聞あるいは菩薩、よく聖心を究むることなし。たとえば生まれてより盲たるものの、行て人を開導せんと欲うがごとし。如来の智慧海は深広にして涯底なし。二乗の測るところにあらず、ただ仏のみ、独り明らかに了りたまえりと。已上。GYO:SYOZEN2-39,40/HON-198,HOU-313
〇次大経文三十偈説。釈迦讃嘆有三文段。其中第二仏智難思又有二文。是初二衆不測文也。声聞等者是則法説。譬如以下説喩弁之。二乗等者。問。上文説云菩薩莫窮。今云二乗。如此文者除菩薩歟。何相違耶。答。此有二義。一義云。指上声聞菩薩二衆謂之二乗。辟支仏者属声聞衆。三乗之衆皆不測故。一義云。上挙菩薩不挙縁覚。今出支仏。不挙菩薩影略互顕。所顕三乗不測之義趣也。浄影疏云。初有七句之文。明諸声聞菩薩不測。已上。是順初義。上言声聞菩薩二衆下結二乗。文言道理相叶者乎。SYOZEN2-263,264/TAI3-499、507,508
〇次に『大経』の文は三十偈の説なり。釈迦の讃嘆に三の文段あり。その中の第二仏智難思にまた二文あり。これ初の二衆不測の文なり。「声聞」等とは、これ則ち法説なり。「譬如」以下は喩を説きてこれを弁ず。「二乗」等とは、問う、上の文には説きて「菩薩莫窮」という。今は「二乗」という。この文の如きは菩薩を除くか。何ぞ相違せるや。答う。これに二義あり。一義に云わく、上の声聞・菩薩の二衆を指して、これを二乗という。辟支仏は声聞衆に属す。三乗の衆は皆測らざるが故に。一義に云わく、上には菩薩を挙げて縁覚を挙げず。今は支仏を出だして、菩薩を挙げず、影略互顕して三乗不測の義趣を顕わす所なり。浄影の疏に云わく「初に七句の文あり。諸の声聞・菩薩の不測を明かす」已上。これは初の義に順ず。上に「声聞菩薩二衆」といいて、下に「二乗」と結す。文言道理あい叶うものか。SYOZEN2-263,264/TAI3-499、507,508
◎浄土論曰。何者荘厳不虚作住持功徳成就。偈言。観仏本願力。遇無空過者。能令速満足功徳大宝海故。不虚作住持功徳成就者。蓋是阿弥陀如来本願力也。今当略示虚空〈作〉之相不能住持。用顕彼不虚作住持之義。乃至。所言不虚作住持者。依本法蔵菩薩四十八願・今日阿弥陀如来自在神力。願以成力。力以就願。願不徒然。力不虚設。力願相府畢竟不差。故曰成就。
◎(論註)『浄土論』に曰わく、何者か荘厳不虚作住持功徳成就、偈に、仏の本願力を観ずるに、遇うてむなしく過ぐる者なし、よく速やかに功徳の大宝海を満足せしむがゆえにと言えり。不虚作住持功徳成就とは、けだしこれ阿弥陀如来の本願力なり。今まさに略して、虚空〈作〉の相にして住持にあたわざるを示して、用てかの不虚作住持の義を顕す。乃至。言うところの不虚作住持とは、本の法蔵菩薩の四十八願と、今日の阿弥陀如来の自在神力とに依る。願は以て力を成ず、力は以て願に就く。願、徒然ならず、力、虚設ならず。力・願あい符うて畢竟じて差わず。故に成就と曰う。GYO:SYOZEN2-40/HON-198,199,HOU-313
〇次浄土論文。問。此文引上。何重出耶。答。如已前述。此書只是要文集也。不痛繁重。依要引之。其旨載上。其上上文偏載論文。今加註言。非無差別。SYOZEN2-264/TAI3-510,512
〇次に『浄土論』の文なり。問う。この文は上に引く、何ぞ重ねて出だすや。答う。已に前に述ぶるが如し。この書はただこれ要文集なり。繁重を痛まず。要に依りてこれを引く。その旨は上に載せたり。その上、上の文は偏えに論の文を載せたり。今は註の言を加う。差別なきにあらず。SYOZEN2-264/TAI3-510,512
◎又曰。海者。言仏一切種智深広無涯。不宿二乗雑善中下屍骸。喩之如海。是故言天人不動衆清浄智海生。不動者。言彼天人成就大乗根不可傾動也。已上。
◎(論註)また曰わく、海とは、言うこころは、仏の一切種智は深広にして涯〈きし〉なし、二乗雑善の中下の屍骸を宿さず、これを海のごとしと喩う。このゆえに、天人不動衆 清浄智海生と言えり。不動とは、言うこころは、かの天人、大乗根を成就して傾動すべからざるなり。已上。GYO:SYOZEN2-40/HON-199,HOU-313,314
○又曰等者。荘厳衆功徳成就文也。不宿等者。如来清浄智海之中。不雑二乗雑善之意也。言中下者。三乗之中縁覚為中。声聞為下。言死骸者。本文用尸。今為骸字。有異本歟。智度論明海有八種不思議。中不宿死尸其一徳也。是故喩之。SYOZEN2-264/TAI3-515
〇「又曰」等とは荘厳衆功徳成就の文なり。「不宿」等とは如来清浄智海の中に二乗の雑善を雑せずの意なり。「中下」というは、三乗の中に縁覚を中と為し、声聞を下と為す。「死骸」というは、本文には「尸」を用う。今は「骸」の字たり。異本あるか。『智度論』に海に八種の不思議あることを明かす中に、死尸を宿さざることは、その一の徳なり。この故にこれを喩う。SYOZEN2-264/TAI3-515
◎光明師云。我依菩薩蔵頓教一乗海。
◎(玄義分)光明師の云わく、我、菩薩蔵、頓教と一乗海とに依る。GYO:SYOZEN2-40/HON-199,HOU-314
〇光明師者。京師大師。就寺立名。二文之中。初観経義玄義分初勧衆偈文。菩薩蔵者。二蔵教意対声聞蔵。言頓教者是対漸教。一乗海者是対三乗。是就観経且判此義。総而言之可亘三部。SYOZEN2-264/TAI3-518
〇「光明師」とは京師大師、寺に就きて名を立つ。二文の中に、初は『観経義玄義分』の初の勧衆偈の文なり。「菩薩蔵」とは二蔵教の意、声聞蔵に対す。「頓教」というは、これ漸教に対す。「一乗海」とは、これ三乗に対す。これ『観経』に就きて、且くこの義を判ず。総じてこれを言わば、三部に亘るべし。SYOZEN2-264/TAI3-518
◎又云。瓔珞経中説漸教。万劫修功証不退。観経弥陀経等説。即是頓教菩提蔵。已上。
◎(般舟讃)また云わく、『瓔珞経』の中には漸教を説けり。万劫、功を修して不退を証す。『観経』『弥陀経』等の説は、すなわちこれ頓教なり、菩提蔵なりと。已上。SYOZEN2-40/GYO:HON-199,HOU-314
○次又云者。般舟讃文。瓔珞等者。此経二巻。菩薩修入五十二位歴却修行整足明之。天台云。瓔珞偏存別門。已上。彼経雖説頓漸二門。随其本意如此判之。証不退者。是処不退及三不退。是約始終。菩提蔵者。依四乗意指仏乗也。又有異本云菩薩蔵。各無違失。SYOZEN2-264,265/TAI3-518
○次に「又云」とは『般舟讃』の文なり。「瓔珞」等とは、この経は二巻なり。菩薩の修入、五十二位歴却の修行、整足してこれを明かす。天台の云わく「瓔珞は偏に別門を存す」已上。彼の経には頓漸の二門を説くといえども、その本意に随えて、かくの如くこれを判ず。「証不退」とは、これ処不退及び三不退なり。これ始終に約す。「菩提蔵」とは四乗の意に依りて仏乗を指すなり。また異本ありて「菩薩蔵」という。各違失なし。SYOZEN2-264,265/TAI3-518
◎楽邦文類云。宗釈禅師云。[カン08]丹一粒変鉄成金。真理一言転悪業成善業。已上。
◎『楽邦文類』に云わく、宗釈禅師(宗暁)の云わく、[カン08]丹の一粒は鉄を変じて金と成す。真理の一言は悪業を転じて善業と成すと。已上。GYO:SYOZEN2-40/HON-199,HOU-314
〇次楽邦文類釈。第四巻文。言宗釈者釈字恐誤。此書作主宗暁詞也。真理等者。問。真理之言指理法歟。何嘆念仏引此文耶。答。今所引。依姑蘇法雲宝珠集意。載明命終請僧正得念仏感応篇章之後。宗暁所記十行余中最初詞也。嘆念仏徳有何疑耶。言[カン08]丹者。是薬名也。以弥陀法喩此良薬。即所引之次下釈云。弥陀教観真点鉄成金之妙薬也。彼仏自塵点劫来修行。成身成国発四十八願。終能克果。威徳光明不可思議。已上。所言真理文言無諍。是指弥陀如来功徳名号。則是三身三諦三徳秘蔵功徳故也。SYOZEN2-265/TAI3-521,522
〇次に『楽邦文類』の釈。第四巻の文なり。「宗釈」というは「釈」の字は恐らくは誤りなり。この書の作主宗暁の詞なり。「真理」等とは、問う、真理の言は理法を指すか。何ぞ念仏を嘆じてこの文を引くや。答う。今の所引は姑蘇の法雲の『宝珠集』の意に依りて、命終に僧を請じて正しく念仏の感応を得ることを明かす篇章に載せて後、宗暁の記する所の十行余の中の最初の詞なり。念仏の徳を嘆ずること、何の疑いかあらんや。言[カン08]丹とはこれ薬の名なり。弥陀の法を以てこの良薬に喩う。即ち所引の次下の釈に云わく「弥陀の教観は真に鉄を点じて金を成すの妙薬なり。彼の仏は塵点劫よりこのかた修行して、身を成じ国を成じて、四十八願を発して終に能く克果す。威徳光明不可思議なり」已上。言う所の真理文言、諍うことなく、これ弥陀如来の功徳名号を指す。則ちこれ三身・三諦・三徳の秘蔵の功徳なるが故なり。SYOZEN2-265/TAI3-521,522
◎然就教念仏諸善比校対論。有難易対・頓漸対・横竪対・超渉対・順逆対・大小対・多少対・勝劣対・親疎対・近遠対・深浅対・強弱対・重軽対・広[キョウ01]〈狭〉対・純雑対・[ケイ09]迂対・捷遅対・通別対・不退退対・直弁因明対・名号定散対・理尽非理尽対・勧無勧対・無間間対・断不断対・相続不続対・無上有上対・上上下下対・思不思議対・因行果徳対・自説他説対・回不回向対・護不護対・証不証対・讃不讃対・付属不属対・了不了教対・機堪不堪対・選不選対・真仮対・仏滅不滅対・法滅・利不利対・自力他力対・有願無願対・摂不摂対・入定聚不入対・報化対。斯義如斯。然按本願一乗海。円融満足極速無礙絶対不二之教也。
◎(御自釈)しかるに教について、念仏・諸善、比校対論するに、難易対・頓漸対・横竪対・超渉対・順逆対・大小対・多少対・勝劣対・親疎対・近遠対・深浅対・強弱対・重軽対・広[キョウ01]〈狭〉対・純雑対・[ケイ09]迂対・捷遅対・通別対・不退退対・直弁因明対・名号定散対・理尽非理尽対・勧無勧対・無間間対・断不断対・相続不続対・無上有上対・上上下下対・思不思議対・因行果徳対・自説他説対・回不回向対・護不護対・証不証対・讃不讃対・付嘱不嘱対・了不了教対・機堪不堪対・選不選対・真仮対・仏滅不滅対・法滅利不利対・自力他力対・有願無願対・摂不摂対・入定聚不入対・報化対あり。この義かくのごとし。GYO:J:SYOZEN2-41/HON-199,200,HOU-314,315
〇次私御釈。然就等者。就其機教各有相対。是依経論師釈之意。粗加料簡有此比[キョウ01]。教有四十八対之文。機有一十一対之義。広論猶亦可有多義。SYOZEN2-265/TAI3-524,525
〇次に私の御釈なり。「然就」等とは、その機教に就きて、おのおの相対あり。これ経論師釈の意に依りて、ほぼ料簡を加うるに、この比[キョウ01]あり。教に四十八対の文あり。機に一十一対の義あり。広く論ぜば猶しまた多の義あるべし。SYOZEN2-265/TAI3-524,525
◎然按本願一乗海。円融満足極速無礙絶対不二之教也。
◎(御自釈)しかるに本願一乗海を按ずるに、円融、満足、極促、無碍、絶対不二の教なり。GYO:J:SYOZEN2-,/HON-200,HOU-315
◎亦就機対論。有信疑対・善悪対・正邪対・是非対・実虚対・真偽対・浄穢対・利鈍対・奢促対・豪賎対・明闇対。斯義如斯。
◎(御自釈)また機について対論するに、信疑対・善悪対・正邪対・是非対・実虚対・真偽対・浄穢対・利鈍対・奢促対・豪賎対・明闇対あり。この義かくのごとし。GYO:J:SYOZEN2-41/HON-200,HOU-315
◎然按一乗海之機。金剛信心絶対不二之機也。可知。
◎(御自釈)しかるに一乗海の機を按ずるに、金剛の信心は絶対不二の機なり。知るべし。GYO:J:SYOZEN2-41/HON-200,HOU-315
◎敬白一切往生人等。弘誓一乗海者。成就無礙無辺最勝深妙不可説不可称不可思議至徳。何以故。誓願不可思議故。
◎(御自釈)敬いて一切往生人等に白さく、弘誓一乗海は、無碍、無辺、最勝、深妙、不可説、不可称、不可思議の至徳を成就したまえり。何をもってのゆえに、誓願不可思議なるがゆえに。GYO:J:SYOZEN2-41/HON-200,201,HOU-315
◎悲願喩如太虚空。諸妙功徳広無辺故。猶如大車。普能運載諸凡聖故。猶如妙蓮華。不染一切世間法故。如善見薬王。能破一切煩悩病故。猶如利剣。能断一切[キョウ02]慢鎧故。如勇将幢。能伏一切諸魔軍故。猶如利鋸。能截一切無明樹故。猶如利斧。能伐一切諸苦枝故。如善知識。解一切生死縛故。猶如導師。善令知凡夫出要道故。猶如涌泉。出智慧水無窮尽故。猶如蓮華。不染一切諸罪垢故。猶如疾風。能散一切諸障霧故。猶如好蜜。円満一切功徳味故。猶如正道。令諸群生入智城故。猶如磁石。吸本願因故。如閻浮檀金。映奪一切有為善故。猶如伏蔵。能摂一切諸仏法故。猶如大地。三世十方一切如来出生故。如日輪光。破一切凡愚癡闇出生信楽故。猶如君王。勝出一切上乗人故。猶如厳父。訓導一切諸凡聖故。猶如悲母。長生一切凡聖報土真実因故。猶如乳母。養育守護一切善悪往生人故。猶如大地。能持一切往生故。猶如大水。能滌一切煩悩垢故。猶如大火。能焼一切諸見薪故。猶如大風。普行世間無所礙故。
◎悲願は、たとえば、太虚空のごとし、もろもろの妙功徳広無辺なるがゆえに。なおし大車のごとし、あまねくよくもろもろの凡聖を運載するがゆえに。なおし妙蓮華のごとし、一切世間の法に染せられざるがゆえに。善見薬王のごとし、よく一切煩悩の病を破するがゆえに。なおし利剣のごとし、よく一切[キョウ02]慢の鎧を断つがゆえに。勇将幢のごとし、よく一切諸魔軍を伏するがゆえに。なおし利鋸のごとし、よく一切無明の樹を截るがゆえに。なおし利斧のごとし、よく一切諸苦の枝を伐るがゆえに。善知識のごとし、一切生死の縛を解くがゆえに。なおし導師のごとし、善く凡夫出要の道を知らしむるがゆえに。なおし涌泉のごとし、智慧の水を出だして窮尽なきがゆえに。なおし蓮華のごとし、一切もろもろの罪垢に染せられざるがゆえに。なおし疾風のごとし、善く一切もろもろの障の霧を散ずるがゆえに。なおし好蜜のごとし、一切功徳の味を円満せるがゆえに。なおし正道のごとし、もろもろの群生をして智城に入らしむるがゆえに。なおし磁石のごとし、本願の因を吸うがゆえに。閻浮檀金のごとし、一切有為の善を映奪するがゆえに。なおし伏蔵のごとし、よく一切諸仏の法を摂するがゆえに。なおし大地のごとし。三世十方の一切如来出生するがゆえに。日輪の光のごとし、一切凡愚の痴闇を破して信楽を出生するがゆえに。なおし君王のごとし、一切上乗人に勝出せるがゆえに。なおし厳父のごとし、一切もろもろの凡聖を訓導するがゆえに。なおし悲母のごとし、一切凡聖の報土真実の因を長生するがゆえに。なおし乳母のごとし、一切善悪の往生人を養育し守護したまうがゆえに。なおし大地のごとし、よく一切の往生を持つがゆえに。なおし大水のごとし、よく一切煩悩の垢を滌ぐがゆえに。なおし大火のごとし、よく一切諸見の薪を焼くがゆえに。なおし大風のごとし、あまねく世間に行ぜしめて碍うるところなきがゆえに。GYO:J:SYOZEN2-41,42/HON-201,202,HOU-316,317
〇悲願等者。以其譬喩顕仏誓願不思議徳。此有二十八句之譬。其文可解。SYOZEN2-265/TAI3-555,556
〇「悲願」等とは、その譬喩を以て仏の誓願不思議の徳を顕わす。これに二十八句の譬あり。その文解すべし。SYOZEN2-265/TAI3-555,556
◎能出三有繋縛城。能閉二十五有門。能得真実報土。能弁邪正道路。能竭愚癡海。能流入願海。乗一切智船浮諸群生海。円満福智蔵開顕方便蔵。良可奉持。特可頂戴也。
◎(御自釈)よく三有繋縛の城を出でて、よく二十五有の門を閉ず。よく真実報土を得しめ、よく邪正の道路を弁〈べん・わきまう〉ず。よく愚痴海を竭かして、よく願海に流入せしむ。一切知〈智〉船に乗ぜしめて、もろもろの群生海に浮かぶ。福智蔵を円満し、方便蔵を開顕せしむ。良に奉持すべし、特に頂戴すべきなり。GYO:J:SYOZEN2-42/HON-202,203,HOU-317,318
◎凡就誓願。有真実行信。亦有方便行信。其真実行願者諸仏称名願。其真実信願者至心信楽願。斯乃選択本願之行信也。其機者則一切善悪大小凡愚也。往生者則難思議往生也。仏土者則報仏報土也。斯乃誓願不可思議一実真如海。大無量寿経之宗致。他力真宗之正意也。
◎(御自釈)おおよそ誓願について、真実の行信あり、また方便の行信あり。その真実の行の願は、諸仏称名の願なり。その真実の信願とは、至心信楽の願なり。これすなわち選択本願の行信なり。その機は、すなわち一切善悪大小凡愚なり。往生はすなわち難思議往生なり。仏土はすなわち報仏報土なり。これすなわち誓願不可思議、一実真如海なり。『大無量寿経』の宗致、他力真宗の正意なり。GYO:J:SYOZEN2-42,43/HON-203,HOU-318
◎是以為知恩報徳披宗師釈言。夫菩薩帰仏。如孝子之帰父母。忠臣之帰君后。動静非己出没必由。知恩報徳。理宜先啓。又所願不軽。若如来不加威神。将何以達。乞加神力。所以仰告。已上。
◎ここをもって知恩報徳のために宗師の釈(論註)を披くに言わく、それ菩薩は仏に帰す。孝子の父母に帰し、忠臣の君后に帰して〈帰=よりたのむ〉、動静己にあらず、出没必ず由あるがごとし。恩を知りて徳を報ず、理宜しくまず啓すべし〈啓=ひらく〉。また所願軽からず、もし如来、威神を加したまわずは将に何をもってか達せんとせん。乞うらくは神力を加したまえ、このゆえに仰いで告ぐと。已上。GYO:SYOZEN2-43/HON-203,HOU-318
〇言披宗師釈言等者。問。於浄土宗称宗師者導和尚也。今以鸞師載宗師号。違常途義如何。答。以導大師為一宗師更無異論。然而五祖悉是祖師。皆用其釈。各称宗師有何違失。今釈註上解彼本論世尊我一心句之下釈。彼天親告我教主釈尊文也。是明稟教其事不軽。偏専師承不可自由。堅可守之。SYOZEN2-265/TAI4-28
〇「披宗師釈言」等というは、問う、浄土宗に於いて宗師と称するは導和尚なり。今、鸞師を以て宗師の号を載するは、常途の義に違す、いかん。答う。導大師を以て一宗の師とすることは、更に異論なし。然れども五祖は悉くこれ祖師なり。皆その釈を用うるなり。おのおの宗師と称せんに、何の違失かあらん。今の釈は註の上に、彼の本論の「世尊我一心」の句を解する下の釈なり。彼の天親の我が教主釈尊に告ぐる文なり。これ稟教にして、その事軽からず、偏に師承を専らにして自由にすべからざることを明かす。堅くこれを守るべし。SYOZEN2-265/TAI4-28
◎爾者。帰大聖真言。閲大祖解釈。信知仏恩深遠。作正信念仏偈曰。
◎(御自釈)しかれば大聖の真言に帰し、大祖の解釈に閲して〈閲=みる。ひらく〉、仏恩の深遠なるを信知して、正信念仏の偈を作りて曰わく、GYO:J:SYOZEN2-43/HON-203,HOU-318
〇次正信偈百二十句。行数六十。是依三朝高祖解釈。粗述一宗大綱要義。自偈初句至無過斯。四十四句二十二行是大経意。印度以下四句二行。総標三朝祖師同顕浄土教意。釈迦以下一十二句六行之文是龍樹讃。其初四句依楞伽経。次之八句是依十住毘婆沙論。次十二句六行之文是天親讃。依浄土論。次十二句六行之文是鸞師讃。依論註意。次之八句四行之文是綽公讃。依安楽集。次之八句四行之文是大師讃。次之八句四行之文是恵心讃。依要集意。次之八句四行之文空聖人讃。依選択集。次之四句是総結也。問。正信偈者是何義乎。答。正者対傍対邪対雑。信者対疑。今是対行。就所行法挙能信名。SYOZEN2-265,266/TAI4-32,33
〇次に正信偈、百二十句。行の数は六十なり。これ三朝高祖の解釈に依りて、ほぼ一宗大綱の要義を述ぶ。偈の初の句より、「無過斯」に至るまでの四十四句二十二行はこれ大経の意なり。「印度」以下の四句二行は、総じて三朝の祖師は同じく浄土の教を顕わす意を標す。「釈迦」以下の一十二句六行の文はこれ龍樹の讃なり。その初の四句は『楞伽経』に依る。次の八句はこれ『十住毘婆沙論』に依るなり。次の十二句六行の文はこれ天親の讃なり。『浄土論』に依るなり。次の十二句六行の文はこれ鸞師の讃なり。『論註』の意に依るなり。次の八句四行の文はこれ綽公の讃なり。『安楽集』に依るなり。次の八句四行の文はこれ大師の讃なり。次の八句四行の文はこれ恵心の讃なり。『要集』の意に依るなり。次の八句四行の文は空聖人の讃なり。『選択集』に依るなり。次の四句はこれ総結なり。問う。「正信偈」とはこれ何の義ぞや。答う。「正」とは傍に対し、邪に対し、雑に対す。「信」とは疑に対す。今はこれ行に対す。所行の法に就きて能信の名を挙ぐ。SYOZEN2-265,266/TAI4-32,33
◎帰命無量寿如来 南無不可思議光。
◎無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる。SYOZEN2-43/HON-204
〇大経意中。帰命以下一行二句。先挙寿命光明尊号為帰命体。SYOZEN2-266/TAI4-68
〇『大経』の意の中、「帰命」以下の一行二句は、まず寿命光明の尊号を挙げて帰命の体と為す。SYOZEN2-266/TAI4-68
◎法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所 覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪 建立無上殊勝願 超発希有大弘誓 五劫思惟之摂受。
◎法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所〈みもと〉にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。五劫に、これを思惟して摂受したまう。SYOZEN2-43/HON-204
〇「法蔵」以下三行半者。是明法蔵発心見土思惟等相。経云。棄国捐王行作抄門。号曰法蔵。高才勇哲与世超異。詣世自在王如来所。乃至。於是世自在王仏。則為広説二百一十億諸仏刹土。天人之善悪。国土之麁妙。応其心願悉現与之時。彼比丘聞仏所説厳浄国土。皆悉覩見超発無上殊勝之願。其心寂静志無所著。一切世間無能及者。具足五劫思惟摂取。荘厳仏国清浄之行。已上。SYOZEN2-266/TAI4-97
〇「法蔵」以下の三行半は、これ法蔵の発心・見土・思惟等の相を明かす。経に云わく「国を棄て、王を捐てて、行じて沙門と作る。号して法蔵という。高才勇哲にして、世と超異せり。世自在王如来の所に詣つ。(乃至)ここに世自在王仏、すなわちために広く二百一十億の諸仏刹土の天人の善悪、国土の麁妙を説きて、その心願に応じてことごとく現じてこれを与えたまう。時にかの比丘、仏の所説の厳浄の国土を聞き、みなことごとく覩見して、無上殊勝の願を超発す。その心寂静にして、志著するところなし。一切の世間に能く及ぶ者なし。五劫を具足して、荘厳仏国の清浄の行を思惟し摂取す」已上。SYOZEN2-266/TAI4-97
◎重誓名声聞十方。
◎重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。SYOZEN2-43/HON-204
〇重誓名声一句者。三誓喝中第三行意。即云我至成仏道等一行。即是第十七願成就意也。SYOZEN2-266/TAI4-138
〇「重誓名声」の一句は、三誓喝の中の第三行の意なり。即ち「我至成仏道」等といえる一行、即ちこれなり。第十七の願成就の意なり。SYOZEN2-266/TAI4-138
◎普放無量無辺光 無礙無対光炎王 清浄歓喜智恵光 不断難思無称光 超日月光照塵刹 一切群生蒙光照。
◎あまねく、無量・無辺光、無碍・無対・光炎王、清浄・歓喜・智慧光、不断・難思・無称光、超日月光を放ちて、塵刹を照らすに、一切の群生、光照を蒙る。SYOZEN2-43/HON-204
〇普放以下三行六句。具挙十二光仏之名。歎其利益。一一勝徳。第五巻中被引興釈。宜見彼釈。言塵刹者。経云。乃照東方恒沙仏刹。南西北方四維上下亦復如是。已上。既照十方。微塵刹土何有遺余。是以今讃云照塵刹。SYOZEN2-266/TAI4-145,146
〇「普放」以下の三行六句は、具に十二光仏の名を挙げて、その利益を歎ず。一一の勝徳は第五巻の中に興の釈を引かる。宜しく彼の釈を見るべし。「塵刹」というは、経に云わく「乃し東方恒沙の仏刹を照らす。南西北方四維上下もまたかくの如し」已上。既に十方を照らす。微塵刹土、何ぞ遺余あらん。これを以て今の讃に「照塵刹」というなり。SYOZEN2-266/TAI4-145,146
◎本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就。
◎本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り、大涅槃を証することは、必至滅度の願成就したまえり。SYOZEN2-43/HON-204
〇本願名号之一句者。十七願意。至心信楽之一句者。十八願意。SYOZEN2-266,267/TAI4-163
〇「本願名号」の一句は十七の願の意なり。「至心信楽」の一句は十八の願の意なり。SYOZEN2-266,267/TAI4-163
◎如来所以興出世 唯説弥陀本願海 五濁悪時群生海 応信如来如実言。
◎如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀の本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言〈みこと〉を信ずべし。SYOZEN2-43、44/HON-204
〇如来以下二行四句。是示如来出世本懐。勧応信受如来実語。其本懐義。於第一巻引経如来以無蓋大悲之文下。大概解之。SYOZEN2-267/TAI4-247
〇「如来」以下の二行四句は、これ如来出世の本懐を示して、如来の実語を信受すべきことを勧む。その本懐の義は第一巻に経の「如来以無蓋大悲」の文を引く下に於いて、大概、これを解すなり。SYOZEN2-267/TAI4-247
◎能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃。
◎よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。SYOZEN2-44/HON-204
〇能発以下二行四句。是明煩悩罪障凡夫。唯以一念真実信心得其証益。能発等者。明信心相。喜謂歓喜。愛謂愛楽。是則信楽。不断等者。論註下云。荘厳清浄功徳成就者。偈言観彼世界相勝過三界道故。此云何不思議。有凡夫人煩悩成就。亦得生彼浄土。三界繋業畢竟不牽。則是不断煩悩。得涅槃分。焉可思議。已上。問。今註釈云得涅槃分。今不云分。如何。答。分約初生。若約究竟宜略此字。或又為調七言字数。除之無失。SYOZEN2-267/TAI4-265
〇「能発」以下の二行四句は、これ煩悩罪障の凡夫は、ただ一念真実の信心を以て、その証益を得ることを明かす。「能発」等とは信心の相を明かす。「喜」は謂わく歓喜なり。「愛」は謂わく愛楽なり。これ則ち信楽なり。「不断」等とは、『論註』の下に云わく「荘厳清浄功徳成就というは、偈に観彼世界相、勝過三界道と言えるが故に。これ云何が不思議なる。凡夫人の煩悩成就せるありて、また彼の浄土に生ずることを得。三界の繋業、畢竟じて牽かず。則ちこれ煩悩を断ぜずして涅槃の分を得るなり。いずくんぞ思議すべき」已上。問う。今の註の釈には「涅槃の分を得」という。今は「分」といわず、いかん。答う。「分」は初生に約す。もし究竟に約せば宜しくこの字を略すべし。或いはまた七言の字数を調えんが為に、これを除くに失なし。SYOZEN2-267/TAI4-265
◎凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味。
◎凡聖、逆謗、ひとしく回入すれば、衆水の海に入りて一味なるがごとし。SYOZEN2-44/HON-204
〇凡聖等者。是顕善悪諸機雖殊。斉乗仏願同生報土。無其差別。論註上解荘厳性功徳成就。釈性字云。又言性是必然義。不改義。如海性一味衆流入者。必為一味。海水不随彼改也。已上。SYOZEN2-267/TAI4-280
〇「凡聖」等とは、これ善悪の諸機は殊りといえども、斉しく仏願に乗じて同じく報土に生じたれば、その差別なきことを顕わす。『論註』の上に荘厳性功徳成就を解すとして、「性」の字を釈して云わく「また性というは、これ必然の義、不改の義なり。海性の一味にして、衆流入りぬれば、必ず一味と為りて海水は彼に随いて改まらざるがごとし」已上。SYOZEN2-267/TAI4-280
◎摂取心光常照護 已能雖破無明闇 貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天 譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇。
◎摂取の心光は常に照護して、すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実信心の天に覆えり。たとえば、日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下、明らかにして闇なきがごとし。SYOZEN2-44/HON-205
〇摂取以下三行六句。是明弥陀光摂之益。貪瞋障蔽雖不見之。大悲不倦摂護無止。得心不退必得往生。論註上云。間曰。若言無礙光如来光明無量照十方国土。無所障礙者。此間衆生。何以不蒙光照。光有所不照。豈非有礙耶。答曰。礙属衆生。非光礙也。譬如日光周四天下。而盲者不見。非日光不周也。已上。元照弥陀経義疏云。当知我輩処仏光中。都不知覚。仏光常摂略無厭棄。猶如盲人居日輪下。又如溷虫楽在穢処。撫膺自責。実可悲痛。已上。三毒所覆不見仏光義。同盲人不見日光。SYOZEN2-267/TAI4-288
〇「摂取」以下の三行六句は、これ弥陀光摂の益を明かす。貪瞋障蔽してこれを見ずといえども、大悲倦くことなく、摂護止むことなくして、心不退を得て、必ず往生を得るなり。『論註』の上に云わく「問いて曰わく、もし無碍光如来の光明無量にして、十方の国土を照らすに障碍する所なしと言わば、この間の衆生、何を以てか光照を蒙らざる。光に照らさざる所あらば、あに碍あるにあらずや。答えて曰く、碍は衆生に属す。光の碍にはあらず。譬えば日光は四天下に周けれども、而も盲者は見ざるが如し。日光の周からざるにはあらず」已上。元照の『弥陀経義疏』に云わく「まさに知るべし、我輩は仏光の中に処して、都て知覚せず。仏光は常に摂す、略〈ほぼ〉厭棄することなし。猶し盲人の日輪の下に居せるが如し。また溷虫の楽みて穢処に在るが如し。膺〈むね〉を撫〈なで〉て自ら責む。実に悲痛すべし」已上。三毒に覆われて仏光を見ざること、義は盲人の日光を見ざるに同じ。SYOZEN2-267/TAI4-288
◎獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣。
◎信を獲て見て敬い大きに慶喜しれば、すなわち横に五悪趣を超截す。SYOZEN2-44/HON-205
〇獲信以下三行六句。是顕念仏真実行者信心勝利。聞法不忘見敬大慶三十偈文。当巻之初被引用之。故不出釈。聞法本意在発信心。故云獲信。即横等者。必得超絶去等文意。五悪趣者是五道也。浄影師云。今此約対弥陀浄刹。娑婆五道斉名悪趣。地獄鬼畜純悪所向。名為悪趣。娑婆人天雑業所向。亦名悪趣。若依此方修習断除。先断見惑離三塗因。滅三途果。後断修惑。離人天因。絶人天果。漸次断除不名横截。若得往生弥陀浄土。娑婆五道一時頓捨。故名横截。已上。義寂師云。若就穢土。下三為悪。人天為善。今対浄土。五皆名悪。一得往生。五道頓去。故云横截。已上。SYOZEN2-267,268/TAI4-318
〇「獲信」以下の三行六句は、これ念仏真実の行者の信心の勝利を顕わす。聞法不忘見敬大慶(法を聞きて能く忘れず。見て敬い得て大きに慶ぶ)は三十偈の文なり。当巻の初にこれを引用せらる。故に釈を出ださず。聞法の本意は信心を発こすに在り。故に「獲信」という。「即横」等とは、「必得超絶去(必ず超絶して去〈すつ〉ることを得て)」等の文の意なり。「五悪趣」とは、これ五道なり。浄影師の云わく「今これは弥陀の浄刹に約対して、娑婆の五道を斉しく悪趣と名づく。地獄・鬼・畜は純悪の所向なり。名づけて悪趣と為す。娑婆の人天は雑業の所向なり。また悪趣と名づく。もしこの方にして修習断除するに依らば、まず見惑を断じて三塗の因を離れ、三途の果を滅す。後に修惑を断じて、人天の因を離れ、人天の果を絶つ。漸次の断除なれば横截と名づけず。もし弥陀の浄土に往生することを得れば、娑婆の五道は一時に頓に捨つ。故に横截と名づく」已上。義寂師の云わく「もし穢土に就きては下の三を悪と為し、人天を善と為す。今、浄土に対しては、五をみな悪と名づく。一たび往生を得れば、五道頓に去〈す〉つ。故に横截という」已上。SYOZEN2-267,268/TAI4-318
◎一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是人名分陀利華。
◎一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者と言えり。この人を分陀利華と名づく。SYOZEN2-44/HON-205
◎弥陀仏本願念仏 邪見[キョウ02]慢悪衆生 信楽受持甚以難 難中之難無過斯。
◎弥陀仏の本願念仏は、邪見と[キョウ02]慢と悪の衆生、信楽を受持すること、はなはだもって難し。難の中の難、これに過ぐるはなし。SYOZEN2-44/HON-205
〇弥陀以下二行四句。是明信受甚難。欲令識知遇法要益。言信楽者。光記釈云。信有二種。一忍許相。或名信可。名異義同。二欲楽相。或名信楽。或名信愛。名異義同。已上。百法論疏云。云何為信。於実徳能深忍楽欲。心浄為性。対治不信楽善為業。已上。唯識論云。忍謂勝解。此即信因。楽欲謂欲。即是信果。已上。依此等文。信有二義。所謂忍許愛楽是也。今信楽者即此二意。SYOZEN2-268/TAI4-337
〇「弥陀」以下の二行四句は、これ信受の甚だ難きことを明かす。遇法の要益を識知せしめんと欲す。「信楽」というは、光の記に釈して云わく「信に二種あり。一には忍許の相。或いは信可と名づく。名は異にして義は同じ。二には欲楽の相。或いは信楽と名づけ、或いは信愛と名づく。名は異にして義は同なり」已上。『百法論疏』に云わく「云何なるをか信と為す。実徳能に於いて深忍楽欲して心浄を性と為す。不信を対治して善を楽うを業と為す」已上。『唯識論』に云わく「忍は謂わく勝解なり。これ即ち信の因なり。楽欲は謂わく欲なり。即ちこれ信の果なり」已上。これらの文に依るに、信に二義あり。いわゆる忍許と愛楽と、これなり。今「信楽」とは即ちこの二の意なり。SYOZEN2-268/TAI4-337
〇言受持者。義寂師云。受者作心領納故。持者得記不忘故。已上。難中等者。経云。若聞斯経信楽受持。難中之難無過斯難。已上。浄影師云。約対前三。明此経中修学最難。余義余法処処宜説。開顕浄土教人往生。独此一経。為是最難。已上。言前三者。諸仏経道菩薩勝法聞法能行是皆為難。対三今経第一難也。問。持此経人。善悪二機更無所選。何云邪見[キョウ02]慢等耶。答。念仏之機広亘善悪。置而不論。雖然専以障重根鈍為正機故。先約悪人。非除善人。SYOZEN2-268/TAI4-338
〇「受持」というは、義寂師の云わく「受とは心の領納を作すが故に。持とは記を得て忘れざるが故に」已上。「難中」等とは、経に云わく「もしこの経を聞きて信楽受持すること、難中の難なり。この難に過ぎたるはなし」已上。浄影師の云わく「前の三に約対してこの経の中の修学の最も難きことを明かす。余義余法は処処に宜しく説くべし。浄土を開顕して人をして往生せしむることは、独りこの一経なり。これを最も難しと為す」已上。「前三」というは、諸仏の経道と、菩薩の勝法と、聞法能行これ皆難しと為す。三に対するに、今の経は第一に難きなり。問う。この経を持つ人は、善悪二機さらに選ぶ所なし。何ぞ「邪見[キョウ02]慢」等というや。答う。念仏の機は広く善悪に亘ることは、置きて論ぜず。然りといえども専ら障重根鈍を以て正機と為すが故に、まず悪人に約す。善人を除くにはあらず。SYOZEN2-268/TAI4-338
◎印度西天之論家 中夏日域之高僧 顕大聖興世正意 明如来本誓応機。
◎印度・西天の論家、中夏・日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ずることを明かす。SYOZEN2-44/HON-205
〇印度以下二行四句。総明三朝高僧弘教利生本心。顕大等者。是顕釈尊発遣聖意。明如等者。是示弥陀済度仏願。SYOZEN2-269/TAI4-352
〇「印度」以下の二行四句は、総じて三朝高僧の弘教の利生の本心を明かす。「顕大」等とは、これ釈尊発遣の聖意を顕わす。「明如」等とは、これ弥陀済度の仏願を示す。SYOZEN2-269/TAI4-352
◎釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺 龍樹大士出於世 悉能摧破有無見 宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽。
◎釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく、南天竺に、龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し、歓喜地を証して、安楽に生ぜんと。SYOZEN2-44/HON-205
〇龍樹讃中。釈迦以下三行六句。是明釈尊未来記説。楞伽経云。我乗内証智。妄覚非境界。如来滅世後。誰持為我説。未来当有人。於南天国中。有大徳此丘名龍樹菩薩。能破有無見。為人説我乗大乗無上法。住初歓喜地往生安楽国。已上。此経文意。真言行人謂約秘教。真宗学者為被念仏。内証智者。弥陀五智。妄覚等者。声聞菩薩不測如来智慧海也。我乗大乗無上法者。念仏三昧。龍樹論中多讃弥陀稽首礼拝。故指真門自云我乗。今言大乗無上法者。即是念仏。仏以名号説為大利。又言無上功徳故也。就中既説安楽往生。是故釈尊未来記文。龍樹出世専為弘通弥陀教也。SYOZEN2-269/TAI4-362
〇龍樹讃の中に「釈迦」以下の三行六句は、これ釈尊未来記の説を明かす。『楞伽経』に云わく「我が乗内証の智は、妄覚の非境界なり。如来滅世の後に、誰か持ちて我が為に説かん。未来にまさに人あるべし。南天国の中に於いて、大徳の此丘あり、龍樹菩薩と名づけん。能く有無の見を破して、人の為に我が乗、大乗無上の法を説き、初歓喜地に住して安楽国に往生せん」已上。この経文の意は、真言の行人は秘教に約すと謂〈おも〉えり。真宗の学者は念仏に被らしむると為す。「内証智」とは、弥陀の五智。「妄覚」等とは、声聞・菩薩は如来の智慧海を測らざるなり。「我乗大乗無上法」とは念仏三昧なり。龍樹の論の中に多く弥陀を讃めて稽首礼拝す。故に真門を指して自ら「我乗」という。今「大乗無上法」というは、即ちこれ念仏なり。仏は名号を以て説きて大利と為し、また無上の功徳というが故なり。中に就きて既に安楽の往生を説く。この故に釈尊未来記の文は、龍樹の出世は専ら弥陀の教を弘通せんが為なり。SYOZEN2-269/TAI4-362
◎顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽。
◎難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。SYOZEN2-44/HON-205
〇顕示以下一行二句。判示難易二道得失。其文源出十住婆沙。具文引在当巻初耳。SYOZEN2-269/TAI4-378
〇「顕示」以下の一行二句は、判じて難易二道の得失を示す。その文、もと『十住婆沙』に出でたり。具なる文は引きて当巻の初に在るのみ。SYOZEN2-269/TAI4-378
◎憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩。
◎弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時に必定に入る。ただよく、常に如来の号〈みな〉を称して、大悲弘誓恩を報ずべしといえり。SYOZEN2-44/HON-206
〇憶念等者。即所上引人能念是仏等文意也。唯能以下一行二句。総結釈也。遇易行法出離在心。勧応報謝他力仏恩。SYOZEN2-269/TAI4-384
〇「憶念」等とは、即ち上に引く所の「人能念是仏」等の文の意なり。「唯能」以下の一行二句は、総結の釈なり。易行の法に遇いて、出離、心に在り、他力の仏恩を報謝すべきことを勧む。SYOZEN2-269/TAI4-384
◎天親菩薩造論説 帰命無礙光如来 依修多羅顕真実 光闡横超大誓願 広由本願力回向 為度群生彰一心。
◎天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。修多羅に依りて真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由りて、群生を度せんがために、一心を彰す。SYOZEN2-44,45/HON-206
〇天親讃中。初之二句。標造論事。述帰命意。依修以下二行四句。是明所依真実之義。又顕横超他力之益。論中雖無横超之言。三経一論所説法門法体同故。依彼経中。或云超絶。或云横截。今云横超。又大師釈有此名目。故云横超大誓願也。彰一心者。指我一心。論主一心。行者一心。其心可同。是故釈云為度群生。SYOZEN2-269/TAI4-396,397
〇天親讃の中に、初の二句は造論の事を標して帰命の意を述ぶ。「依修」以下の二行四句は、これ所依真実の義を明かし、また横超他力の益を顕わす。『論』の中に横超の言なしといえども、三経一論所説の法門法体は同じき故に、彼の経中に、或いは「超絶」といい、或いは「横截」というに依りて、今「横超」というなり。また大師の釈にこの名目あり。故に「横超大誓願」というなり。「彰一心」とは「我一心」を指す。論主の一心と、行者の一心と、その心同じかるべし。この故に釈して「為度群生」という。SYOZEN2-269/TAI4-396,397
◎帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数。 得至蓮華蔵世界 即証真如法性身。 遊煩悩林現神通 入生死薗示応化。
◎功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。煩悩の林に遊んで神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。SYOZEN2-45/HON-206
〇帰入以下三行六句。論五門中第二第三第五門意。論註下云。入第二門者。以讃嘆阿弥陀仏。随順名義。称如来名。依如来光明智相修行故。得入大会衆数。是名第二門。依如来名義讃嘆。是第二功徳相。入第三門者、以一心専念。作願生彼。修奢摩他寂静三昧行故、得入蓮華蔵世界。是名入第三門。為修寂静止故、一心願生彼国、是第三功徳相。乃至。出第五門者。(此重釈始引註文下所載論文)。SYOZEN2-269,270/TAI4-419,425,435
〇「帰入」以下の三行六句は、『論』の五門の中に第二・第三・第五門の意なり。『論註』の下に云わく「入第二門とは、阿弥陀仏を讃嘆して、名義に随順して、如来の名を称し、如来の光明智相に依りて修行するを以ての故に、大会衆の数に入ることを得。これを第二門と名づく。如来の名義に依りて讃嘆す、これ第二の功徳の相なり。入第三門とは、一心に専念して彼に生ぜんと作願して、奢摩他寂静三昧の行を修するを以ての故に、蓮華蔵世界に入ることを得。これを入の第三門と名づく。寂静止を修せんが為の故に、一心に彼の国に生ぜんと願ず。これ第三の功徳の相なり。乃至。出の第五門とは」。(この重釈始、註文を引く下に論文を載する所なり)。SYOZEN2-269,270/TAI4-419,425,435
〇必獲入大会衆数者。第二門益。得至蓮華蔵世界者。第三門益。遊煩悩林現神通者。第五門益。今除第一第四両門。SYOZEN2-270/TAI4-419,425,435
〇「必獲入大会衆数」とは、第二門の益なり。「得至蓮華蔵世界」とは第三門の益なり。「遊煩悩林現神通」とは、第五門の益なり。今は第一・第四の両門を除く。SYOZEN2-270/TAI4-419,425,435
○問。五門之中挙此三門。有何意耶。答。第二門者是讃嘆門。其讃嘆者随順名義。称如来名是肝要故。第三門者其益蓮華蔵世界故。就為勝益今故出之。入四門中以為最要。挙此二門。第五門者。是出功徳還相回向利益衆生之至極故。依是等義出此三門。SYOZEN2-270/TAI4-435,456
〇問う、五門の中にこの三門を挙ぐるは、何の意かあるや。答う。第二門はこれ讃嘆門なり。その讃嘆とは、名義に随順して如来の名を称する、これ肝要なるが故に。第三門とは、その益は蓮華蔵世界なるが故に、勝益と為すに就きて、今ことさらにこれを出だす。入の四門の中に最要と為すを以て、この二門を挙ぐるなり。第五門は、これ出の功徳、還相の回向、利益衆生の至極なるが故に。これらの義に依りて、この三門を出だす。SYOZEN2-270/TAI4-435,436
○問。蓮華蔵世界者。是何土哉。答。智光疏云。如言盧舎那仏坐蓮華蔵世界。今言蓮華蔵世界者。無量寿仏所居住処。準此世界随義為名。即是修行安心之宅。已上。如此文者。極楽華蔵是一土也。SYOZEN2-270/TAI4-425
〇問う、「蓮華蔵世界」とは、これ何の土なるや。答う。智光の疏に云わく「盧舎那仏は蓮華蔵世界に坐すというが如し。今蓮華蔵世界というは、無量寿仏所居の住処は、この世界に準ずるに、義に随いて名と為す。即ちこれ修行安心の宅なり」已上。この文の如きは、極楽と華蔵と、これ一土なり。SYOZEN2-270/TAI4-425
○問。華厳世界純菩薩居。極楽国土五乗通入。何一土哉。答。分為両土。且随機見。達其深旨非各別土。随則極楽大乗善根清浄土故。実無二乗三乗之異。依之智論。判云一乗清浄無量寿世界。今説論説云蓮華蔵界。名異義同。其理応知。SYOZEN2-270/TAI4-425
〇問う、華厳世界は純菩薩の居なり。極楽国土は五乗通入す。何ぞ一土ならんや。答う。分ちて両土と為す。且く機見に随う。その深旨に達すれば、各別の土にあらず。随いて則ち極楽は大乗善根清浄の土なるが故に、実に二乗・三乗の異なし。これに依りて『智論』に判じて「一乗清浄無量寿世界」といい、今の説論には説きて「蓮華蔵界」という。名異にして義同じきこと、その理、知りぬべし。SYOZEN2-270/TAI4-425
○即証等者。寂静三昧所入之土故。得真如法性証也。SYOZEN2-270/TAI4-425
○「即証」等とは、寂静三昧所入の土なるが故に、真如法性の証を得るなり。SYOZEN2-270/TAI4-425
◎本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼 三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦
◎本師曇鸞は、梁の天子、常に鸞のところに向こうて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。SYOZEN2-45/HON-206
○鸞師釈中。初之二句。明朝崇重。示其行徳。迦才浄土論云。沙門曇鸞法師者。并州[ブン01]水人也。魏末高斉之初猶在。神智高遠三国知聞。洞暁衆経独出人外。梁国天子蕭王。恒向北礼鸞菩薩。註解往生論。載成両巻。已上。三蔵以下一行二句。先明今師帰法行状。新修往生伝云。初鸞好為術学。聞陶隠居得長生法。千里就之。陶以仙経十巻授鸞。鸞躍然自得。以為神仙之術其必然也。後還洛下遇菩提留支。意頗得之。問支曰。仏道有得長生乎。具能却老為不死乎。支笑而対曰。長生不死吾仏道也。旋以観無量寿経授之曰。汝可誦此。則三界無復生。六道無所往。乃至。此吾金仙氏之長生也。乃至。鸞承其語驟起深信。遂焚所学仙経。而専観経。已上。SYOZEN2-270,271/TAI4-439
○鸞師の釈の中に、初の二句は朝の崇重を明かして、その行徳を示す。迦才の『浄土論』に云わく「沙門曇鸞法師は并州[ブン01]水の人なり。魏の末、高斉の初に猶在り。神智高遠にして三国に知聞せらる。洞〈あき〉らかに衆経を暁〈さと〉りて独り人外に出でたり。梁国の天子蕭王は恒に北に向いて鸞菩薩と礼す。往生論を註解して、裁〈載〉して両巻を成す」已上。「三蔵」以下の一行二句は、まず今師帰法の行状を明かす。『新修往生伝』に云わく「初、鸞は好みて術学を為す。陶隠居は長生の法を得たりと聞きて、千里にこれに就く。陶は仙経十巻を以て鸞に授く。鸞は躍然として自ら得たり。神仙の術はそれ必然なりとおもえらく。後に洛下に還りて菩提留支に遇う。意に頗るこれを得たり。支に問いて曰わく、仏道に長生を得ることあるや。具に能く老を却けて不死を為すや。支笑いて対えて曰わく、長生不死は吾が仏道なり。旋〈かえ〉りて観無量寿経を以てこれを授けて曰わく、汝これを誦すべし。則ち三界に復生ずることなし。六道に往く所なし。乃至。これ吾が金仙氏の長生なり。乃至。鸞はその語を承て驟〈しばしば〉深信を起こす。遂に所学の仙経を焚きて、而も観経を専らにす」已上。SYOZEN2-270,271/TAI4-439
◎天親菩薩論註解 報土因果顕誓願 往還廻向由他力 正定之因唯信心 惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃 必至無量光明土 諸有衆生皆普化
◎天親菩薩の論を註解して、報土の因果、誓願に顕わす。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。惑染凡夫、信心発すれば、生死即涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生、みなあまねく化すといえり。SYOZEN2-45/HON-206
〇天親以下四行八句。依論註意粗述其意。論註解者。見上所引迦才師釈。惑染等者。問。生死即是涅槃証者約深悟機。惑染凡夫縦発信心。争得其証。随而今教不明無相離念之義。煩悩菩提不二之悟。何以関之。答。非云凡夫直証此理。而今名号万徳所帰。仏果功徳。能信信心。又起他力。更非凡夫自力心行。是故発信称其名号。雖為不断煩悩悪機。依法功能備此理也。必至等者。生彼土已。広利衆生得自在也。SYOZEN2-271,/TAI4-445,446
〇「天親」以下の四行八句は、『論註』の意に依りて、ほぼその意を述ぶ。「論註解」とは、上に引く所の迦才師の釈に見えたり。「惑染」等とは、問う、生死即ちこれ涅槃の証は、深悟の機に約す。惑染の凡夫は、たとい信心を発すとも、いかでかその証を得ん。随いて、今の教には無相離念の義を明かさず。煩悩・菩提不二の悟は、何を以てかこれに関からん。答う。凡夫は直ちにこの理を証すというにはあらず。而るに今の名号は万徳の所帰にして、仏果の功徳なり。能信の信心は、また他力より起こる。更に凡夫自力の心行にあらず。この故に信を発して、その名号を称すれば、不断煩悩の悪機たりといえども、法の功能に依りてこの理を備うるなり。「必至」等とは、彼の土に生じ已りぬれば、広く衆生を利するに自在を得るなり。SYOZEN2-271,/TAI4-445,446
◎道綽決聖道難証 唯明浄土可通入。 万善自力貶勤修 円満徳号勧専称。 三不三信誨慇懃 像末法滅同悲引。 一生造悪値弘誓 至安養界証妙果。
◎道綽、聖道、証しがたきことを決して、ただ浄土に通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す〈貶=おとしむ〉。円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨〈おしえ〉、慇懃にして、像末法滅、同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。SYOZEN2-45/HON-206
〇次綽公讃。依安楽集演其義趣。道綽等者。彼集上巻第三大門。有五番中第五文段。引月蔵経。証聖道門末法修行得道難成。結云。唯有浄土一門可通入路。已上。彼経之説此釈具文在第六本。SYOZEN2-271/TAI4-472,473
〇次に綽公の讃。『安楽集』に依りて、その義趣を演ぶ。「道綽」等とは、彼の集の上巻、第三大門に五番ある中の第五の文段に、『月蔵経』を引きて、聖道門は末法の修行得道は成じがたきことを証するに、結して云わく「ただ浄土一門のみありて、通入すべき路なり」と已上。彼の経の説、この釈の具なる文は第六の本に在り。SYOZEN2-271/TAI4-472,473
〇万善等者。同釈之中。或云一切衆生都不自量。或云然持得者甚希。是貶自力修行義也。円満等者。同釈之中。或云是以諸仏大慈勧帰浄土。或云何不思量都無去心也。是勧専称念仏義也。SYOZEN2-271,272/TAI4-479
〇「万善」等とは、同じき釈の中に、或いは「一切衆生は都て自ら量らず」といい、或いは「然るに持得る者は甚だ希なり」という。これ自力の修行を貶する義なり。「円満」等とは、同じき釈の中に、或いは「これを以て諸仏の大慈勧めて浄土に帰せしめたもう」といい、或いは「何ぞ思量せずして都て去く心なきや」というなり。これ専称念仏を勧むる義なり。SYOZEN2-271,272/TAI4-479
〇三不等者。彼集大門第二之章。有三番中第三広施問答。釈去疑情下釈。其文大略与論註同。而彼註釈在第三本。可待其解。SYOZEN2-272/TAI4-487
〇「三不」等とは、彼の集の大門第二の章に、三番ある中に、第三に広く問答を施して疑情を釈去する下の釈なり。その文の大略は『論註』と同じ。而るに彼の註の釈は第三の本に在り、その解を待つべし。SYOZEN2-272/TAI4-487
〇一生等者。上云唯有浄土等之同章云。縦令一生造悪。但能繋意専精常能念仏。一切諸障自然消除。定得往生。已上。此文意也。SYOZEN2-272/TAI4-494
〇「一生」等とは、上に「唯有浄土」等という同章に云わく「たとい一生悪を造れども、ただ能く意を繋げて専精に常に能く念仏すれば、一切の諸障自然に消除して、定めて往生を得」已上。この文の意なり。SYOZEN2-272/TAI4-494
◎善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪 光明名号顕因縁。 開入本願大智海 行者正受金剛心 慶喜一念相応後 与韋提等獲三忍 即証法性之常楽。
◎善導独り、仏の正意を明かせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明名号、因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしむ。慶喜の一念相応の後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。SYOZEN2-45/HON-207
〇大師讃。善導等者。選択集意諸師雖多独依今師。蓋請仏証楷定古今。明顕別意弘願正旨故也。依之或云弥陀化身。或勘経文直云教主釈尊再誕。更不可準余師者也。矜哀等者。明所被機。普兼善悪。言定散者。只是簡機非其受法。故対造逆造悪衆生。挙定与散以為善機。光明等者。上所引之礼讃前序釈之意也。SYOZEN2-272/TAI4-497,498
〇大師の讃、「善導」等とは、『選択集』の意は諸師多しといえども、独り今師に依る。蓋し仏証を請して古今を楷定し、明かに別意弘願の正旨を顕わすが故なり。これに依りて、或いは弥陀の化身といい、或いは経文を勘みて直ちに教主釈尊の再誕という。更に余師に準ずべからざる者なり。「矜哀」等とは、所被の機は普く善悪を兼ぬることを明かす。「定散」というは、ただこれ簡機にして、その受法にあらず。故に造逆・造悪の衆生に対して、定と散とを挙げて以て善機と為す。「光明」等とは、上に引く所の『礼讃』の前序の釈の意なり。SYOZEN2-272/TAI4-497,498
〇行者等者。非指菩薩等覚後心。只明一心念仏行者。一念慶喜金剛信心。与韋提者。序分義意。彼釈被載第三巻末。仍可譲下。言三忍者喜悟信也。即証等者。往生礼讃前序釈。云捨此穢身即証等意。SYOZEN2-272/TAI4-510
〇「行者」等とは、菩薩等覚の後心を指すにあらず。ただ一心念仏の行者、一念慶喜金剛の信心を明かす。「与韋提」とは『序分義』の意なり。彼の釈は第三巻の末に載せらる。よって下に譲るべし。「三忍」というは喜と悟と信となり。「即証」等とは、『往生礼讃』の前序の釈に「捨此穢身即証」(玄義分?)等といえる意なり。SYOZEN2-272/TAI4-510
◎源信広開一代教 偏帰安養勧一切。 専雑執心判浅深 報化二土正弁立。 極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲向倦常照我。
◎源信、広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して、一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土を正しく弁立せり。極重の悪人は、ただ仏を称すべし。我また、かの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲倦きことなくして、常に我を照らしたまうといえり。SYOZEN2-45,46/HON-207
〇楞厳讃中。初二句者。標諸教中選帰安養。偏勧西方。専雑以下三行六句。別依要集弁其義趣。SYOZEN2-272/TAI4-525
〇楞厳の讃の中に、初の二句は諸教の中に選んで安養に帰し、偏えに西方を勧むることを標す。「専雑」以下の三行六句は、別して『要集』に依りてその義趣を弁ず。SYOZEN2-272/TAI4-525
〇専雑等者彼集下未。引群疑論問答之中。明雑修人執心不牢。生懈慢国。専行之人執心牢固。生極楽国。是判専雑二修得失。又所弁立報化二土得失文也。SYOZEN2-272/TAI4-525
〇「専雑」等とは、彼の集の下未に『群疑論』の問答を引く中に、雑修の人は執心不牢にして、懈慢国に生じ、専行の人は執心牢固にして、極楽国に生ずることを明かす。これ専雑二修の得失を判じ、また報化二土の得失を弁立する所の文なり。SYOZEN2-272/TAI4-525
〇極重等者。同集下本。大門第八念仏証拠門中出十文内。四依観経所出釈之極重悪人無他以下。四言四句要文意也。我亦等者。同集上末大門第四正修念仏章段之中。有五門内中末第四。明観察門。於中有三。一別相観。二総相観。三雑略観。其雑略観引彼観経。一一光明遍照等文。其下所釈。我亦在彼摂取以下。四言六句二十四字之文意也。SYOZEN2-272,273/TAI4-535
〇「極重」等とは、同じき集の下の本、大門第八念仏証拠門の中に十文を出だす内、四に『観経』に依りて出だし釈する所の「極重悪人無他」以下の四言四句の要文の意なり。「我亦」等とは、同じき集の上の末、大門第四正修念仏の章段の中に、五門ある内、中の末第四に観察門を明かす。中に於いて三あり。一には別相観、二には総相観、三には雑略観なり。その雑略観に彼の『観経』の「一一光明遍照」等の文を引きて、その下に釈する所の「我亦在彼摂取」以下の四言六句二十四字の文の意なり。SYOZEN2-272,273/TAI4-535
◎本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人 真宗教証興片州 選択本願弘悪世。 還来生死輪転家 決以疑情為所止 速入寂静無為楽 必以信心為能入。
◎本師源空は、仏教に明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証を片州に興し、選択本願を悪世に弘む。生死輪転の家に還り来たることは、決するに疑情をもって所止し、速やかに寂静無為の楽〈みやこ〉に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。SYOZEN2-46/HON-207
〇次黒谷讃。初之二句。総称智解悲心二徳。次之二句。別嘆片州弘通巨益。 還来以下二行四句。就選択集挙釈義要。所謂当知生死以下二十言意。SYOZEN2-273/TAI4-543,554
〇次に黒谷の讃、初の二句は、総じて智解悲心の二徳を称し、次の二句は、別して片州弘通の巨益を嘆ず。「還来」以下の二行四句は、『選択集』に就きて釈義の要を挙ぐ。いわゆる「当知生死」以下の二十言の意なり。SYOZEN2-273/TAI4-553,554
◎弘経大士宗師等 拯済無辺極濁悪 道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説。
◎弘経の大士・宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう〈拯=あわれみ。済=すくう〉。道俗時衆、共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。SYOZEN2-46/HON-208
〇弘経以下二行四句。総結諸祖拯済之徳。勧可依信彼等説耳。SYOZEN2-273/TAI4-568
〇「弘経」以下の二行四句は、総じて諸祖拯済の徳を結して、彼等の説を依信すべきことを勧むるのみ。SYOZEN2-273/TAI4-568
◎六十行已畢一百二十句。
◎六十行、すでに畢りぬ。一百二十句。SYOZEN2-46/HON-208
◎顕浄土真実行文類二
○教行信証六要鈔会本第三